和平の使者


 マルクト軍が保有する最新の戦艦タルタロス───その巨大な鉄の塊に乗り込むのは、人生初めてのことだった。

 村一つ分を優に越える巨大な艦隊と、それを動かす技術には眼を瞠るものがある。こうして音素で動く機械を音機関といい、世に出回る多くの音機関はキムラスカの技術だ。

 キムラスカは音機関研究に、マルクトは譜術研究に長けている。故にこの戦艦や連絡船はキムラスカで造られて輸入されているものであり、戦争の道具を敵国に売ることは国益になるのだろう。或いは、その技術力の差を見せ付ける意図でもあるのか。

「如何ですか。タルタロスの乗り心地は」

「気分わりぃ」

「椅子もっと柔らかいのにしない?」

「空気を入れ換えたいでーす♡」

「気に入って頂けて何よりです」

 大佐の問いにルーク、ボク、それから何故かアニスが続いて、大佐は満足そうに笑んだ。茶番はさておき、戦艦の一室で話が始められる。

 揃っている面子はルーク、ティア、導師、アニス、大佐、それからボクだ。拘束等は特にない。

「第七音素の超振動はキムラスカ・ランバルディア王国王都方面から発生。マルクト帝国領土タタル渓谷付近にて収束しました。超振動の発生源が貴方がたなら不正に国境を越え、侵入して来たことになりますね」

「へっ、ねちねち嫌味な奴だな」

「へへ~嫌味だって♡ 大佐♡」

「傷付きましたねぇ」

 大佐の視線は疑いより確信を伝えていて、その迂遠な状況整理にルークが不快そうに鼻を鳴らした。

 ボクはここへ来ても何の話をしているのかよく分からないのだが、誰も教えてはくれないらしい。勝手に得られる情報を整理することにする。

(要するにバチカルからタタル渓谷に向けて超振動が起きて、大佐はルークとティアがそれを起こしたって考えてる……不正入国か)

 超振動は第七音素同士の干渉によって生じる一種の振動で、あらゆる物質の分解と再構築を行う現象だ。それが二人の間で起きて結構な距離を飛ばされて来た……中々突飛だが、有り得ない話でもない。

 ホイホイ起こる現象でもないので、大分特異なケースだとは思う。そもそも貴重とされる第七音譜術士がそんじょそこらにいる訳でもない。

 超振動はその特性から危険性が高く、国が兵器としての利用を考える程だ。マルクトからすれば、キムラスカによる何らかの攻撃を疑ったものだろう。

「ま、それはさておき。ティアが神託の盾騎士団だということは聞きました。ではルーク、貴方のフルネームは?」

「ルーク・フォン・ファブレ。お前らが誘拐に失敗したルーク様だよ」

「キムラスカ王室と姻戚関係にある、あのファブレ公爵のご子息……という訳ですか」

「公爵……♡ 素敵……♡」

 アニスはどうやら地位やお金が好きなようだ。彼女のルークを見る眼が途端に輝き分かりやすい。

 ルークに関するボクの推測は当たっていたらしい。自分の知識に間違いがなくて安心するが、誘拐云々は知らない話だった。

 敵国の大佐と元帥の息子という構図を思うと、穏やかな結果にはならないかもしれない。ルークの起こした疑似超振動を国交問題に発展させることも出来るし、このまま人質にして帝国に有利な状況を作り出すことも出来るだろう。

 両国は一時的に休戦しているだけで、今も絶賛戦争中なのだから。

「何故マルクトへ? それに誘拐などと……穏やかではありませんね」

 大佐の問いにティアが偶然によるものだと説明し、「ファブレ公爵家によるマルクトへの敵対行動ではない」と弁明する。導師も味方してくれるようで、ルークが温室育ちで世界情勢に疎いことも判断材料になったようだった。

 と、話が思わぬ方向へ転がる。導師がルーク達に協力をお願いしないかと、大佐に提案したのだ。

「我々はマルクト帝国皇帝、ピオニー九世陛下の勅命によってキムラスカ王国へ向かっています」

「まさか、宣戦布告……?」

「宣戦布告って……戦争が始まるのか!?」

 大佐の前置きにティアとルークに緊張が走る。だがボクの見立てはその逆だ。保守派の大詠師と改革派の導師───大詠師は戦争を起こしたがっているなんて話も聞く。なら教団から行方不明になった導師と、皇帝の懐刀、それに親書……寧ろその意味は平和的なものの方に思える。

 その考えを肯定するようにアニスが情報を溢す。

「逆ですよぅ、ルーク様ぁ♡ 戦争を止めるために私達が動いているんです」

「アニス。不用意に喋ってはいけませんね」

 大佐が待ったを掛けるが、口から出てしまったものは取り消せない。さしものルークでも戦争が大事であることは理解しているようで、動揺のある声が投げ掛けられた。

「戦争を止める? ……っていうか、そんなにやばかったのか? キムラスカとマルクトの関係って」

「知らないのは貴方だけだと思うわ」

「……お前も嫌味だな」

 ティアの返しにルークが苦い顔をするが、実際常識レベルの話だ。民の多くはいつまた戦争が起きるかと怯えながら暮らしている。

 戦争を止める、ということは和平交渉のために国王陛下への取り次ぎをルークに担って欲しいということだろう。彼は公爵子息であり、王位継承権を持つ人物だから。

「これから貴方がたを解放します。軍事機密に関わる場所以外は、全て立ち入りを許可しましょう。まず私達を知って下さい。その上で信じられると思えたら、力を貸して欲しいのです。戦争を起こさせないために」

 随分綺麗な言葉が出てくるものだ。ティアが真っ先に宣戦布告を想像したように、多くの民は彼の言葉を疑うだろう。だが、大佐の表情は至極真面目で偽りは感じない。

(今の大佐はルーク達を口実にキムラスカに砂を噛ませることも出来る。それでもあくまで紳士的に和睦の協力を要請する、か)

 連行して閉じ込めている以上紳士的なのかは少し疑わしいが、表面上は繕っている。暴力や脅しには訴えず、自由と信用を優先しているのだから。

 事は国家機密だ。詳しい話をする前に決心を促したいと大佐は言葉にする。話した後で協力が得られない場合、ルーク達を拘束しなければならなくなるから。

 正直、詳しい話を聞かないにしても自由の身には戻れないと思う。断片的にでもボクらは情報を持ってしまったし、疑似超振動の件も良い口実になる。

 拘束されるか、監視がつくか、もしくは別の手段でルークの帰還を邪魔してくるか、それは分からない。

(悪い話じゃないけどね。ルーク達はマルクト領土で頼りが出来るし、導師を連れ帰る誉れもある)

 公には行方不明中の導師だ。両国に敬われる重要人物で、その価値は一国の王に匹敵する。放って帰るより安全に連れ帰った方がキムラスカの顔も立つだろう。

 マルクトと教団の両方に恩が売れると考えても良い。ティアも神託の盾の一員として見過ごせないだろうし、都合は良い。

 大佐の側は、勿論使者と親書を国王の眼に触れさせられる利点が得られる。また、ルークをバチカルまで送り届ける恩も売れる。互いに利のある話のように思えた。

「どうかよろしくお願いします」

 にこりと微笑みを貼り付け、大佐が部屋を出て行こうとする。ふと赤い瞳がこちらを向いて、思い出したように言葉を付け加えた。

「ああ、それからそこの貴女。少しお話を伺えますか? 別室で♪」

「───勿論」

 それもまた、ルーク達に提示された選択肢と同じく、既に選ぶしかないものだと分かって頷いた。










*****










 別室に移ったのはボクと大佐、それから導師だ。てっきり大佐と二人きりかと思っていたので助かった。こちらに好意的な人間が一人居ると居ないでは訳が違う。

 大佐は立ったまま、導師は椅子に座って、二人は揃ってボクへ直った。

「お話というのは他でもありません。貴女の仕事についてです」

「何でも屋の? 依頼があるのかな」

「ええ。請けて頂ければ助かります」

 こうなれば、大体何を頼まれるかは予想できる。ルーク達が疑似超振動や身分と引き換えに依頼されることを、ボクは仕事を口実に依頼されるのだろう。

 こちらには付け入られる弱味もないが、身を守れるだけの立場もない。タダ働きでないだけ良心的だ。

「素性も知れないけどいいの?」

「貴女が間者なら話も違いますが、どこにも所属していない方が都合の良いこともあるんですよ」

「間者かもしれないよ」

「貴女のことはローズ夫人に聞きました」

 崩れない余裕のままに返されれば、大佐の方で既に結論は出ていると理解できる。ボクを完全フリーと見込んで声を掛けてくれたようだ。なら、これ以上は余計な疑いを広げるだけだろう。

(大佐からすれば、ボクを自由にする必要なんてないしね)

 何の後ろ楯もない一般人なら、情報が漏れる前に消すか閉じ込めるか選べる筈だ。タルタロスに乗るマルクト兵の数を思えば、わざわざ依頼なんて形で手駒を増やす必要もない。これは大佐なりにボクに譲歩してくれた提案なのだ。

 或いは、と眼をやれば同席する導師と眼が合う。彼は千歳緑の瞳に申し訳なさそうな色を浮かべながら、困ったように微笑する。───もしかしたら、こうして配慮するよう提案したのは導師なのかもしれない。

(きっと大佐は早い段階でルーク達に目を付けていたし、同行してた以上こうなるのは避けられなかった。なら、表面上でも自由が用意されてる方がマシだ)

 今は大佐や導師の配慮を有り難く受け取る方がいい。頭を切り替えて、答えを待つ大佐へ向き直る。

「オーケイ。それで、依頼の内容は?」

「我々の目的はキムラスカ国王にマルクト皇帝の親書を届けること───貴女にはそれまで協力して頂きます」

「随分良心的だね。分かった。報酬も期待してる」

「勿論。お望みの報酬を用意しますよ。働きに見合った、ね」

「働き甲斐があるなぁ」

 報酬と言いつつ、導師や大佐と縁が出来ただけでも大きな見返りだ。教団の最高指導者と皇帝の懐刀のネームバリューは高い。

 この縁を今後どう利用していくかはまだ決められないが、事の重大さと伴う危険に見合ったリターンだと思う。

 元々ルーク達の道案内でもしようかと思っていたし、それ程今後の方針に変わりはないだろう。

「じゃあまぁ二人とも。暫くよろしく」

「よろしくお願いします」

「期待していますよ」

 ボクの軽い挨拶と対照的に、導師は眼差しに、大佐は言葉に。確かな期待が乗せられて、奇縁による旅路が始まるようだった。










*****










 決心が固まったルーク達と、再び同じ話を聞く。導師が行方不明として扱われているのは、中立の立場から使者として協力を要請されて教団を飛び出して来たかららしい。

 戦争を起こしたがっている大詠師派と和平を望む導師派の話も出てくる。ティアは大詠師を尊敬しているようで「何かの間違いだ」と言うが、実際導師は軟禁から抜け出して来たというのだから、大詠師は信用ならない。

 兎角、大詠師派による邪魔が入るだろうというのが今想定される危険のようだった。

「で? お前はどーすんだよ」

「同行することになっちゃった。何でも屋の依頼として」

「なら、また暫く一緒なのね」

「どうせあのおっさんに脅されたんだろ? 性格わりぃよな」

「いい性格はしてるけどね」

 改めてルーク達にこちらの事情を伝える。ここからバチカルまでと思うと、結構な期間を彼らと過ごすことになる。本当に縁があったようだ。

 少しばかり彼らと話した後、艦内を見て回るからと断りを入れて別行動を取る。

 戦艦タルタロスは六百名超を運ぶことが出来る大型の陸艦だ。速度は辻馬車よりも余程早く、振動や風も軽減されて乗り心地はいい。

 有事の際に備えてある程度艦内を見回ると、甲板に出て柔らかい風を受けた。

「ん~、気持ち良い」

 伸びをし、深く息を吐く。広い青空に、一面に続く平野の景色。ありきたりな自由の感覚を享受する。

 状況は色々変わったけれど、予定からそれ程大きくは外れていない。何でも屋の依頼をこなしながら旅をする。師を捜していたのも旅に理由を付けるためであって、別に捜さなくても困らない。

 ボクはただ、旅が好きなだけだ。

「ま、何とかなるでしょ」

 ルークは問題児だし、ティアは誤解を招くし、大佐は大人気ないし、アニスはお金や地位が好きそうだし、導師は変なところで頑固だし。曲者揃いの中で、ちょっとこれからの旅が楽しみになる。

 ずっと一人旅をしていた。知っている他人なんて師くらいで、他人とパーティーを組んで仕事をしたことなんてない。珍しい経験に思うところがない訳でもなかった。

 ただし、楽観的に考えていいことばかりとも言えない。留意すべきは大詠師派のことだ。

(ボクが大詠師なら導師を見付け出して何としてでも連れ帰る。でもって軟禁する)

 猶予は導師が首都バチカルに入るまでだ。大詠師も雑兵を送り込んでくるとは思えない。ルークの話では主席総長も導師捜索の任に就くということだし、追手は甘く見ない方がいいだろう。

 主席総長の他に差し向けられる厄介な追手といえば、幹部とされる各師団長がそれに当たる。

 神託の盾には七つの師団があり、第一師団から始まり第六師団、それから特務師団だ。内、第六師団の長を除いた六名の師団長を合わせ、六神将という通称が存在した。

 師の話では、第六師団長は遠方の守備隊へ回されて殆ど空席の扱いを受けているらしい。故に、その人物を除いた六神将が考えられる限りの大きな障害となりそうだった。

(第一師団長から順に、黒獅子ラルゴ、死神ディスト、幼獣のアリエッタ、魔弾のリグレット、烈風のシンク、鮮血のアッシュ……だっけな)

 由来は知らないが、そんな通称がついていることは知っている。彼らの見た目や戦い方を表した通り名なんて話もある。彼らが大詠師派かどうかは分からないが、知識を浚っておいて損はないだろう。

「……?」

 空を眺めながらそんなことを思っていれば、不意に何かが動いた気がした。それは空の一部で、ゴミか何かが舞って錯覚したのかとも思う。

 けれどそれは、舞い落ちるだけのゴミよりもずっと高度を保ち、段々と輪郭を形作っていく。初めは点のように小さく、ゆっくりと大きくなって。

 影は、一つ二つではない。数えられる点が増え、数えきれない量へと加速していく。像が大きく、速く、徐々に明確になって、目に留まる。

 それは生物の形をしていた。大きな翼が、羽ばたきがあって。長い尾に鋭い爪───その足で何かを運んでいる。それは見覚えのある姿で、チーグルの森で相対したばかりの魔物に似て見える。

 成人男性を優に超える体躯の巨鳥に、それに運ばれる大型の虎。その数は、十や二十に収まらない。群れる筈のない魔物が群れて、このタルタロスへ向かってくる。

 ───決して自然に起こり得ない、魔物の強襲。それは予期していた、大詠師派による最初の攻撃だった。










*****










 けたたましく警報が鳴り、敵襲を告げる。群れる習性のない鳥型の魔物───グリフィンが大集団で降りかかり、甲板にライガをばら蒔いていく。同時に白い制服と鎧を纏った兵がバラバラと現れ、刃を抜く。

 あっという間に甲板は、強襲した神託の盾と迎え撃つマルクトの兵の交戦で戦場と化した。血と、怒号と、悲鳴が上がる。

(───導師を捜さなきゃ)

 判断し、即座に踵を返す。ボクがすべきことは、ここでマルクト兵を助けることではない。和平の使者である導師と親書を確保することだ。それから依頼主である大佐と合流すること。他は後回しで良い。

 譜歌を詠い、音素を纏い、己の体を補助して戦場をすり抜ける。降りかかる火の粉は払った。躊躇いなんてない。道を塞ぐものは全て障害だ。

 甲板を端から端まで走って、導師の姿はない。なら艦内にいる筈だ。扉をこじ開けようとしていた神託の盾兵を燃やして退かし、中へと踏み入る。強化窓を破ったのか、艦内にも魔物や神託の盾兵の姿が既にある。

「捕らえろ!」

「お断りだよ!」

 神託の盾兵の号令に応え、すぐに音素へ呼び掛ける。光の槍で貫き、疾風で撹乱し、炎で燃やしきる。疲労は蓄積するがまだまだ問題ない。音素灯に照らされた廊下を駆ける。

 広い艦内で導師の姿を見付けるのは簡単ではない。どこにいるかも心当たりがないのだ。片っ端から確認していくにも限度がある。

 どうしたものか、と頭を悩ますボクに、唐突に声が掛かった。

「アリア!」

 それは明確にボクの名を呼んだ声で、驚いて足を止める。声が掛かった廊下の先を見れば、小さな少女が一人。

 年の頃はアニスと同じ頃だろうか。不健康に線の細い印象を受ける。少しくすんだ桃色の長い髪に、同色の瞳。気弱に下がった眉が特徴的だ。丈の短い黒いワンピースに身を包んでおり、腕には奇妙なぬいぐるみを抱えていた。

 大きな瞳は今にも泣き出しそうで、ストレートの髪を揺らして躊躇いなくボクの懐へと飛び込んできた。

「わっ……!?」

「アリア……アリア、アリア、アリア!」

 名を連呼し、ぎゅうと固く抱き着かれる。状況が飲み込めず目を白黒させた。まず、この少女は誰なのか。ボクの名を呼んでいるけれど覚えはない。

 細い肩に触れれば微かな震えが伝わって、少女が涙する程心動かしていることが分かってしまう。困った。どちら様ですかとは聞きづらいじゃないか。

「……よ……良かった……アリア……ずっと、捜してたの……!」

「ええっと……ずっとって、どれくらい?」

「…………二年」

 余りに重い返事に天を仰ぎたくなる。それと同時に合点がいった。二年前といえばボクが師に拾われた時期だ。

 二年前、ボクは師に拾われた。それからずっと師と旅をして、ある日突然置いていかれて今に至る。拾われる前のことは覚えていない───記憶がないのだ。綺麗さっぱり。

 少女は、記憶を失う前のボクを知っているのかもしれない。

「君は……」

「どうしていなくなっちゃったの……? アリエッタ、悪い子だった……?」

「!」

 不意に告げられた疑問に息を飲む。否、驚いたのは彼女の口にした名前の方だ。アリエッタ───幼獣のアリエッタ?

 ほんの少し前に自分で知識を掘り返していたばかりだ、分からない筈がない。幼獣のアリエッタは六神将の一人だ。か弱く幼い少女に見えたが、その実態は神託の盾の幹部。ただの気弱な少女などではない。

 こんな場所にいるからには彼女の目的は導師と親書の筈で、今のボクにとっては敵だ。抱き合っていていいような相手ではない。

 緊張が走った瞬間、ハッと何かに気付いたようにアリエッタが顔を上げた。そのまま慌てた様子で近くの部屋へ押し込められる。

「隠れて……!」

「わわっ」

 いつの間にか側に付き従っていたライガがのそりと近寄り、ボクの体を扉の陰へ隠してしまう。本来なら敵対するしかない筈の魔物がそうして身を寄せてくるのが珍しくて驚いた。

 幼獣のアリエッタは魔物を従えているという話だったが、タルタロスを襲った魔物といい、通常なら考えられない行動を取るのは彼女の意志が働いているのかもしれない。

 息を潜めれば、足音が近付いて知らない女性の声が廊下から聞こえて来る。

「アリエッタ。首尾はどうだ」

「……問題ない」

「そうか。貴女の働きには感謝しているわ。この作戦が終わったら魔物達を休ませてやらねば」

 姿は確認出来ないが声からして大人の女性だろう。首尾の確認をしているということは、同じ六神将なのだろうか。

 六神将に含まれる女性は、幼獣のアリエッタの他に魔弾のリグレットだけだ。相手はリグレットなのだろうと当たりをつける。

「……イオン様は?」

「ご無事よ。拉致に関わった者達もラルゴが直に制圧するだろう」

「良かった……!」

 ほっと、強い安堵をアリエッタが滲ませる。余程導師のことが心配だったらしい。それはさておき、導師は既に六神将の手に渡ってしまったらしい。親書の行方もボクは知らないし、万事休すだ。

(ラルゴって黒獅子ラルゴだよね。これで六神将が少なくとも三人……ボク一人じゃ無理かも)

 六神将は一騎当千の力を持つ。ただの旅人が一人で立ち向かえる相手じゃない。大佐達は無事だろうか。予定が崩れてしまったと考えている内に、相手は立ち去ったようだった。

 アリエッタがひょっこりと目の前へと現れる。

「……もう、大丈夫……」

「ありがと。今のは?」

「リグレット……アリエッタ達と一緒に、イオン様を捜しに来たの」

 予想は当たっていたようで、状況を覆すにはハードルが高い。大佐達が生きていることに賭けて行動するか、居ないものと思って動くか。

(いや、大佐はまだしもルーク達がいたって六神将三人は重い。今は見付からないようにして、機会を窺わないと)

 どういう訳かアリエッタはボクをリグレットの眼から隠してくれた。協力を期待できるかもしれない。一先ず知りたいことを尋ねてみる。

「導師イオンはどこ?」

「……イオン様は、これからシュレーの丘にリグレットと向かうって……」

「シュレーの丘に? 何しに?」

「知らない……でも、すぐに戻ってくるって……」

「そう……」

 シュレーの丘はエンゲーブより南、セントビナーという街の東に位置する丘だ。これといって何かがある記憶はない。アリエッタでさえ知らないということは、余程重要な用件なのか。

 タルタロスがチーグルの森を出て随分経っている。丘へ着くのもそれ程遠くはないだろう。

 考えていれば、アリエッタがそっとボクの服の裾を引く。見れば、不安そうな瞳がこちらを見上げていた。

「アリア……いなくならないで。一緒に帰ろ……?」

 それは切実な願いだった。それ程彼女は、記憶を失う前のボクを慕ってくれていたのだろうか。

 知りたい。彼女とボクの関係性も、ボクに帰る場所があるのかも。でも、今はそう出来ない。今のボクは大佐に雇われた何でも屋で、彼女の敵だから。昔話を聞いている余裕はない。

 答えに貧窮していると、アリエッタは服の裾から手を離し、ぎゅうと人形を抱き締めて告げた。

「……もう行かなきゃ。アリアは、ここに隠れてて」

「あ……うん」

「アリアのこと……お願い」

 願われて、先程のライガが小さく鳴く。どうやらボクの側に付けていくつもりのようだ。監視のつもりか、他の兵から護るためか。どちらにせよ、ボクに断る権利はない。

 アリエッタはライガを残すと、名残惜しそうな様子を見せながら立ち去った。その背を見送り、部屋に戻って扉を閉める。ライガは扉の外を護るようで、部屋の中には入ってこないようだった。

 椅子に座ってそっと息を吐く。暴れ回った分の疲労を感じながら、これからのことを考えた。

(無茶は出来ない。最優先は導師と親書だ)

 シュレーの丘に着けば、リグレットは導師を連れて一時的にタルタロスを離れる。その隙に大佐達がどこかに逃れていないか調べよう。親書の行方を聞くためにも。

 大佐達が見付からなければ、戻って来たところで導師だけでも奪還する。親書は導師が持っていることに賭けるしかない。それが、今のボクに出来る最善の選択だ。

 依頼を引き受けて早々とんでもないことになってしまったと、緊張感のある状況に苦笑を浮かべた。










*****










 アリエッタに匿われて、暫く。窓の外の景色が止まり、シュレーの丘に着いたのだと思う。すぐに行動を起こし、廊下へ出た。

 置いて行かれたライガがのそりと体を起こし、ボクを見る。立ち去ろうとすれば襲われるかと思ったが、何もされなかった。どうやらただ護りとして置いて行ってくれたらしい。

「……アリエッタにごめんねって伝えてね」

 ボクの言葉が通じるかは知らない。それでも、あれだけ切実に願われた身として思うところはあって、そんな身勝手な言伝てをお願いした。身を翻し、艦内を静かに移動する。

 制圧が終わったからだろう、神託の盾兵や他の魔物の姿はない。都合は良くて、ボクは慎重に一つ一つの部屋を捜していく。

「生き残りがいたか!」

「第四!」

 部屋によっては神託の盾兵が休んでおり、遭遇すると報せが飛ぶ前に黙らせた。それを暫く繰り返し、ある程度時間が経った頃。───不意に、艦内に声が響いた。

『死霊使いの名によって命じる。作戦名「骸狩り」始動せよ』

「!」

 艦内アナウンスのようなものが響き、ごうん、と轟音を立てて船全体を衝撃が襲う。どうやらタルタロスが機能を停止したようだ。

 指令を出した声に聞き覚えがある。死霊使い───大佐は無事だったらしい。

 流石は大佐と心の中で称賛を送りつつ、尚更合流をしようと行動を再開した。船の機能を麻痺させたら、次に大佐はどこへ向かうだろうか。

(非常停止時には左舷昇降口しか開かなくなるって話だった筈。そこで待ってれば、或いは)

 大佐がどの程度状況を把握しているかは知らない。だが六神将が複数人いることを知っていれば、ボクと同じように考える筈だ。既に制圧されたタルタロスを取り戻すより、ここから逃げた方がいいと。

 確証はないが同じ考えだと願って左舷昇降口へ向かう。非常停止に驚いて出た来た神託の盾兵を始末しながら進み、やがて目的の地点へ着く。見張りを殺し、大佐の到着を待つ。

 そうして待てば、程なくして人影が現れた。それは待ち兼ねた大佐と、思わぬことにルークとティアも無事だったらしい。驚いた様子で駆け寄ってくる。

「アリア! 無事だったのね」

「そっちこそ。アニスは?」

「彼女にはイオン様と親書を任せました。無事だといいのですが」

「導師か……それはどうだろう」

 手短に、六神将が複数人乗り込んでいる状況と、導師とその内の一人がシュレーの丘に向かっている話を伝える。アニスが無事かどうかは分からない。

「ご苦労。イオン様が戻られるタイミングを狙って脱出しましょう」

「! おい、あれ……!」

 側の窓からルークが何かを指して、様子を窺う。見れば、丁度リグレットが導師を連れて戻ってきたようだ。外に導師の姿と、金髪の女性、神託の盾兵が一人見える。タルタロスが非常停止したことに気付いたのかもしれない。

「今からでは詠唱が間に合いません。譜術は使えないものと考えて下さい」

「どっちにしたって封印術のせいでセコい譜術しか使えないんだろ」

「大佐は少しずつ封印術を解除しているのよ。そんな言い方、最低だわ」

「構いませんよ。事実ですから」

 封印術、というと人体のフォンスロット───音素を取り込むための機能を阻害する術だ。音素が取り込めなくては譜術は扱えない。大佐の様子から譜術が全く扱えない訳ではないようだが、厄介な術をかけられたものだ。

 封印術は国家予算程の費用がかかるというが、そんな代物を持ち出すなんて大詠師派も必死と見える。

「分かった。ボクが最初に動く」

「待てよ、俺がやる」

「ルークが?」

「考えがあるんだよ」

 にやりと笑って彼はミュウを掲げた。昇降口が外からの操作で降ろされ、先行して上がってきた神託の盾兵が扉の向こうに立つ。

 時間がない。自信満々なルークに任せて脇へ潜み、タイミングを見計らう。扉が開かれ、白い兜が現れる。

「おらぁ! 火出せぇっ!」

「みゅうぅぅ!」

 動物虐待、もとい見事な連携でルークがミュウに炎を吐かせる。神託の盾兵が怯んだ瞬間に大佐とボクは動いた。

 大佐は即座に反応して二丁拳銃を引き抜いた金髪の女性───リグレットへ。ボクはそのまま怯んだ神託の盾兵を昇降口の下へ蹴落とした。

 引き金が引かれる前に、大佐はどこから取り出したのか、槍を投擲してリグレットの動きを妨げる。避けた場所へ追い討ちし、地面へ着地するとその喉元へ槍の先を突き付けた。

「ティア! 譜歌を!」

 意識を奪うつもりだ。彼女の扱う第一音素の譜歌には対象を眠らせる力がある。大佐の指示に従ってタラップを駆け下りたティアが譜歌を詠おうとする。だが、彼女は何かに気付いたように眼を瞠るとリグレットの名を呼んだ。

「リグレット教官!」

 どうやら顔馴染みだったらしい。同じ神託の盾ならそんなこともあって当然だろう。だが、その一瞬の連携の乱れが状況を変える。

 瞬間、雷撃がティアを襲った。

「きゃあ!」

「ティア!」

 彼女が倒れ、昇降口から雷撃の主が降りてくる。それはチーグルの森でも見た雷撃で、ライガによるものだ。予想に正しく、昇降口を降りてきたのはライガを従えたアリエッタだった。

「どうして……」

 八の字眉を寄せて、アリエッタは小さく問う。それはボクに向けられたものだろう。どうして居なくなろうとするのか。答える前に、リグレットが大佐の拘束を振り払い距離を取る。

 構え直された銃口はボクと大佐を捉え、ルークはというと、背後で気絶させ損ねた神託の盾兵に剣を突き付けられていた。ティアも体を起こすがライガに睨まれている。簡単には動けない。

「アリエッタ! タルタロスはどうなった?」

「制御不能のまま……この子が隔壁、引き裂いてくれてここまで来れた……」

「よくやったわ。彼らを拘束して……」

 そこで不意にリグレットの言葉が途切れる。何かを感じ取ったように視線が外れ、しかしすぐに戻される。

 直後、大佐が銃口へ背を向けた。いきなり何の真似かと驚けば、直後人影が降ってくる。大佐の動きに気を取られたリグレットを、何者かが奇襲したのだ。

「っ!」

「やって!」

「第一!」

 リグレットが地面に引き倒され、慌ててアリエッタがライガへ指示を飛ばす。巨体が奇襲した人物を目指すが、ボクがすぐに第一音素で阻害する。闇の腕がその動きを一時的に止めた。その隙に、その人物は導師を脇に抱えるとこちらへ離脱する。

「チッ!」

 素早く身を起こすとリグレットは銃を構え直し発砲する。それは謎の人物へ向かい───彼はそれを剣で弾いた。黄金色の短髪に、青い瞳の青年。

 柚子色を基調とした旅装束に身を包んでおり、何者かは知らないがこちらの味方のようだ。彼は名乗りを上げる。

「ガイ様、華麗に参上」

 青年はガイというらしい。その隙に大佐が動き、アリエッタを拘束する。ルークは神託の盾兵をのしたようで、形勢は逆転だ。

「さぁ、もう一度武器を棄てて、タルタロスの中へ戻ってもらいましょうか」

「………………」

「……イオン様……あの……あの……」

「言うことを聞いて下さい、アリエッタ」

 ガイに下ろされた導師が願い、彼女は悲しそうに視線を下げる。ライガが艦内へ戻り、リグレットが続く。最後にアリエッタも内部へ入って、外から昇降口を閉じた。これで暫くは全ての昇降口が開かないらしい。

「ふぅ……助かった。ガイ、よく来てくれたな!」

「やー、捜したぜぇ。こんな所に居やがるとはなー」

 軽い調子でルークとガイが言葉を交わす。どうやら顔見知りのようで、ガイはルークを捜してここまでやって来たようだ。だから突然現れてこちらに味方してくれたらしい。

「導師、怪我は?」

「僕は大丈夫です。皆さんは……」

「大丈夫。アニスは?」

「敵に奪われた親書を取り返そうとして、魔物に船窓から吹き飛ばされて……」

 彼女は彼女でとんでもない目に遭っていたようだ。遺体は見付かっていないらしく、それならセントビナーを目指そうと大佐が言う。アニスと約束した合流地点らしい。

 タルタロスが復旧されるにしろ、追手が掛かるにしろ、一度身を隠せる場所が欲しい。賛成してすぐに動き出す。一旦行動を共にすることになったガイが問う。

「そちらさんの部下は? まだこの陸艦に残ってるんだろ?」

「生き残りがいるとは思えません。証人を残しては、ローレライ教団とマルクトの間で紛争になりますから」

 何人艦に乗っていたのかとルークが問えば、極秘任務故に通常の半数、百四十名程が乗っていたと大佐が答える。その数を聞いてルーク達の表情が暗くなった。

 多くの命が失われたことが堪えるらしい。特にルークは温室育ちの民間人なので、死が身近でなくとも理解はできる。今回の件はそれなりに衝撃的だっただろう。

「……行きましょう。私達が捕まったら、もっと沢山の人が戦争で亡くなるんだから」

 ティアが固い声で促し、一行は歩みを再開する。親書を確保しているだろうアニスを信じて、セントビナーへの街道を進み始めた。







 突然現れた過去の陰に、気持ちは少し揺らされる。ボクの帰る場所はどこなのか───この旅が終わればアリエッタに尋ねる機会が得られるだろうかと、ひっそり思った。
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