空音の新生
連れられて歩けば、どうやらパッセージリングへ向かっているらしい。以前使った隠し通路の手前でルーク達が追い付く。
「待て!」
「ルーク!」
「どうしてここにモースがいるんだ! それにアニス、これは一体どういうことなんだ?」
「……それは……」
答えられないと、アニスが言い淀む。モースは口の端を歪めて憎々しげに口を開いた。
「ぬぅ……リグレットめ。こんなガキ共すら足止めできんとは! アニス! ここは任せたぞ! 裏切ればオリバー達のことは分かっているな?」
その言葉にようやく事態を把握する。オリバーといえばアニスの父親の名前だ。達、ということは母親であるパメラもいるのだろう。アニスは両親を人質にとられている。
(両親のためにテセを裏切ったって言うの?)
信じられない心地になる。理解が出来ない。肉親が切り捨て難い存在であることは、知識では分かっている。でもボクには分からない。アニスにとってテセは……導師は、両親よりも軽いのだろうか。
アニスをその場に残し、促されてテセと共に奥へ進む。転送譜陣が起動させられ、ザレッホ火山の内部へ移動させられた。
前回訪れてから一度も訪れていないそこは、変わった様子はない。相変わらずの暑さで保護膜も張れないのが不便だ。
「モース。オリバーとパメラをどうしたのですか」
「何もしておりませぬ。導師が大人しく従って下されば、これからも心配は要らないでしょう」
テセとモースの会話を耳に挟みながら、モースの目的が何なのかを考える。導師の力が必要なのは間違いない。だが今更パッセージリングに向かったところで意味はないし、前回セフィロトを暴走させたのもあって操作盤は上手く起動しないようになっている筈だ。こんな所へ来て何をさせるつもりなのか。
「導師イオン。そちらへ」
テセを見上げる程の巨岩の前へ誘導する。何をするつもりかと窺えば、テセが驚いた顔をした。
「これは……まさか、第七譜石!?」
「えっ……第七譜石って、ユリアが詠んだ最後の預言だよね? 見付かってないっていう……」
そこで不意に連想が働く。預言を順守するモースに導師の力が必要で、連れて来られた場所には第七譜石がある。
その岩が本物であることなどない。ガイの話では本物はホドと共に沈んだのだから。なら、ここにあるのはその一部を誰かが新たに詠んだものか。
何にせよ、この状況で求められることは想像に難くない。最悪な予想をモースが現実に変える。
「さぁ、導師イオン。その預言を詠むのです。そして我ら人類に繁栄の未来を!」
「っ……!」
あまりの愚かしさに眩暈がする。世界はユリアの預言から外れた。預言にない出来事に対処し、これからも預言に頼らない世界にするための改革を始めているところだ。
だがモースは未だ預言に依存している。そんなことのためにテセを犠牲にしようとしている。これが偽物の第七譜石で、本来の一部でしかないとしても───この大きな岩に刻まれた預言の全てを詠めば、テセの体が保たない。第七音素で構成された彼の体は、きっと乖離してしまう。
「イオン様……」
声の方を見れば追ってきたアニスがいる。彼女は眼を逸らし、その視線の先には吊り橋の先の牢があった。中には見知った男女の姿がある。教会で奉仕活動を行っている夫婦……アニスの両親だ。
「アニス。念のため、それを見ておけ」
「……はい」
トクナガが作動し、ボクの体を押さえる。ただでさえ音素を扱えないというのに、アニスの監視までつけば動けない。焦燥が占める。
「アニス、離して」
「………………」
「今すぐ止めないとダメ。アニス!」
声を大きくしても彼女は拳を固く握るだけだ。どうして。理解が出来ない。テセがあの譜石を詠めばどうなるかなんて、結果を見なくても分かるのに。君は導師守護役じゃないのか───その非難が喉まで出掛けて呑み込んだ。
聞く耳のない「敵」に語り掛けても仕方がない。ボクの視線は譜石へ向き合うテセへ向く。
「ダメだよ、テセ」
「……アリア」
「ダメ。絶対に詠んじゃダメ」
強い口調で願うが、テセはその場を離れない。本当は分かってる。アニスの両親が人質に取られ、彼女が両親を選んだと分かった彼がどうするかなんて。
それでも願いが届いて欲しい。自分を選ばなかった人間のことなんて見捨てて欲しい。そう願うのは、ボクが……
(ボクが……テセを選んでるから)
彼の差し出した手を取った。側にいると約束した。それは間違いもなく確かにボクの選択だった。今更いなくならないで欲しい。側に望んだのは君じゃないか。手離されたくないと……思ってしまったのに。
テセは、優しく笑う。まるで、こうすることが自分の役目なのだとでも言うように。
「お願い、テセ」
「……すみません」
それは何に対する謝罪だったのだろう。彼は両手を持ち上げ譜石へ翳す。共鳴するように第七音素の輝きが彼を包んで、預言を詠み上げようとする。ボクはそれを眺めて、何も出来ない。ただ彼の選択を見守る他ない。……そんなこと、望んでないのに。
やがて預言を口にするテセの声が耳に届いて、延々と続く地獄のような時間の始まりが告げられた。
*****
それから、どれ程の時間が経ったか。膨大な預言をテセが詠み上げていく。みるみる内に顔色が悪くなり、ゆっくりと、しかし着実に体力が消耗されていく。彼の中の第七音素が減っていく。
「……やがてそれが、オールドラントの死滅を招くことになる」
テセの声が遠い。預言が殆ど耳に入らない。ただ焦りばかりがあって、何度か抵抗を試みたけれど、音素を扱えない以上何も出来なかった。ルーク達が駆けつけてはくれないかと、ただ祈るしかない。
ND2019
キムラスカ・ランバルディアの陣営は
ルグニカ平野を北上するだろう
軍は近隣の村を蹂躙し、要塞の都市を囲む
やがて半月を要して
これを陥落したキムラスカ軍は
玉座を最後の皇帝の血で汚し
高々と勝利の雄叫びをあげるだろう
ND2020
要塞の街はうずたかく死体が積まれ
死臭と疫病に包まれる
ここで発生する病は新たな毒を生み
人々はことごとく死に至るだろう
これこそがマルクトの最後なり
以後数十年に渡り
栄光に包まれるキムラスカであるが
マルクトの病は勢いを増し、やがて
一人の男によって国内に持ち込まれるであろう
「お、お前達……!」
永遠に続くかと思ったその声に、モースの声が混じる。地を駆ける音が聞こえて、顔を上げればルーク達の姿がある。
ようやく来てくれた、という思いと、もう遅いのだという、聞きたくもない声が内でする。目の前でテセが死へ向かうのに、ボクは何も出来なかった。ずっとここにいたのに、何も出来ないまま、ただ見ているだけで。
「やめろ、イオン! やめるんだ!」
ルークが彼を第七譜石から引き剥がす。けれど、彼はその両腕を下ろさなかった。自らの意志で預言を詠む。
「……聖なる焔の光は、穢れし気の浄化を求め、キムラスカの音機関都市へ向かう。そこで咎とされた力を用い、救いの術を見出だすだろう……」
囁くように詠み上げ、テセは両腕を下ろした。崩れ落ちるように倒れ、その上体をルークが支える。ぐったりとする彼の体は動かない。
少し遅れて皆が駆け付ける。その中にシンクの姿もあった。彼はルークに抱えられたテセの姿を認めると舌打ちをして、それからボクの方へ来る。彼がトクナガを押し退ければ、今更抵抗も無意味と思ったのかあっさり解放された。
「シンク……」
「……なんて顔してるのさ」
苦い声が降って来る。どんな顔をしているのだろう。分からない。ただ、無力感と虚しさが胸を内側から締め付けるようで、苦しい。
「イオン! しっかりしろ!」
ルークの声で意識がそちらへ向く。彼に抱えられたテセはまだ生きている。……まだ。
「ルーク……今のは僕が貴方に贈る預言……数ある貴方の未来の……一つの選択肢です……」
息も絶え絶えに、テセは言葉を紡ぐ。自分が消える前に、音素が乖離する前に、彼に遺せるものを遺そうと。
「頼るのは不本意かもしれませんが……僕にはこれぐらいしか、貴方に協力できない……」
「馬鹿野郎! 今までだって沢山協力してくれただろ! これからだって……」
「……ルーク。そんな顔をしないで下さい。僕の代わりは沢山います……」
「そんなことない! 他のレプリカは俺のこと何も知らないじゃないか! 一緒にチーグルの森に行ったイオンは、お前だけだ」
泣き叫ぶようなルークの声が胸に響く。ああ、痛い。煩い。感情を揺り動かさないで欲しい。でないと決壊しそうだ。くらくらと目の前が揺れる。この胸を蝕む虚しさが、急激に質量を持ち始めたように感じた。
「ティア、こちらに……」
テセが手を差し伸べ、その手をティアがとる。
「僕が……貴女の障気を受け取ります」
「そんなことをしたら、導師が……」
「言ったでしょう。一つだけ貴女を助ける方法があるって。……第七音素は互いに引き合う。僕の第七音素の乖離に合わせて、貴女の汚染された第七音素も貰っていきますよ」
やめて欲しい。耳を塞ぎたい。眼を閉じたい。知りたくない。認識したくない。けれど、耳を塞ぐことも眼を閉じることも出来ない。取り零したく、なくて。
「イオン!」
「……いいんです。ほら……これでもう、ティアは……大丈夫……」
テセとティアの体が仄かに光り、音素が反応し合っていることが分かる。音素が移る様など見えないけれど、彼の言葉がその作業を終わらせたことを告げていた。
「……イオン……さま……」
アニスの声だ。裏切り者の声。震えた声に、彼女も苦しんでいるのかと思う。そういうものかもしれない。分からない。もう沢山だ。
「もう……僕を監視しなくて、いいんですよ……アニス……」
「ごめんなさい、イオン様! 私……私……」
「今まで……ありがとう……僕の、大切な守護役……」
彼が裏切り者に最期に掛けた言葉は、感謝の言葉だった。それが彼らしくて……それでも飲み下せなくて、喉が詰まる。それから、と彼はゆっくりとボクらを見る。いつもボクらを見守っていた優しい瞳が、まだそこにあった。
「……アリア。すみません……貴女を、側にと望んだのは僕なのに……」
テセ、と声にしたくて、しかし声が出ない。喉が詰まって、声帯の使い方も忘れてしまった。
「貴女の願いの通りに……生きましたよ」
違う、と言いたい。こんなことを望んだ訳じゃない。こんな終わりを願った訳じゃない。君に名前をあげたのは……生きて欲しかったからなのに。
「シンク……僕はもう少し、貴方と生きてみたかった……」
「……小言がなくなって、清々するよ」
シンクの言葉に彼はゆっくりと微笑む。その憎まれ口すら愛おしいとでも言うように。
「……アリアを、頼みます」
シンクは何も言わなかったけれど、テセは満足そうだった。その顔が悔しい。その顔が憎たらしい。その顔が……哀しい。
彼がゆっくりと唇を動かす。それが最期の言葉になるのだと、直感が理解した。嫌だと、ボクの全てが現実を拒否する。
「アリア……」
嫌だ。名前を読んで、満足そうに笑って。君はこれから死のうという。身勝手だ。ボクを側に望んだのは君なのに。君だけ幸せそうに、先にいなくなるなんてズルい。
「…………僕の……愛しい……」
声が掠れる。伸ばされた手が力を失う。ボクに伸ばされた手。ボクを望んだ意志。優しい瞳と、柔らかな声。その全てが、滑り落ちていくようで。
「……やだ」
声が出たのか、自分でも分からなかった。ただ、その気持ちだけが胸を占める。
「やだ、やだ、やだ、やだ」
繰り返す。嫌だ。認められない。どうして。なんで。目の前でテセの体が淡く輝く。音素が乖離しようとする。ダメだ。待って。行かせない。
(待って)
体が熱い。頭が痛い。何でもいい。何を捧げれば返してくれる? 何を壊せば奪わない。大切なものは決して多くないのに、彼を持っていこうなんて酷い話だ。
ねぇ、神様───ボクに、可能性を頂戴。
「……っ!」
考えるより先に手が動いた。護身用のナイフを引き抜き、もう片方の手で無理矢理に引き千切ったそれに振り下ろす。バキリ、と嫌な音がして……師が預けてくれた響律符が、砕けた。
「アリア!!」
誰よりも早く気付いたシンクがボクの名を呼ぶけれど、遅い。だって、要らない。もうこんな世界は要らないよ。人間はボクの大事なものを奪っていく。道具として消費する。それなら……そんな人間の方が、余程要らないから。
世界が、止まる。時間が引き延ばされたように感じる世界の中で、ボクはテセへと手を伸ばす。もし、この世界が彼を奪うなら。
───ボクが、この世界を壊してやる。