外殻と崩落
一番近いということでシェリダンへ着き、アストンの許可を得て工房を借りる。改めてボクとティアがいなくなった経緯を説明した。
ティアがこれを説得の最後のチャンスと思ったのは、障気に体が冒され始めたのもあったらしい。自分と同じく兄の体も蝕まれていると思い、行動に出たと説明される。
「……でも、それももうおしまい。いつも思っていたわ。兄さんがこんな馬鹿げたことをやめてくれないかって。でも……もう私と兄さんは進むべき道を違えてしまったのよ」
「いいのか? ヴァン師匠と戦うことになっても」
「……忘れたの? 私はそのために外殻へ来たのよ。もう迷わないわ」
ティアの決意はいつだって固かったと思う。それでもずっと、密かに揺らいで今がある。肉親と戦うというのは、それだけ難しいことなのだろう。
「そこまで言うなら、いいでしょう。次にアリアの件ですが……」
「シンクを放っておけなくて。勝手に出て行ったのは謝る」
「……それで、ここにいるってことは完全に手を切ったと思っていいのか?」
ガイの鋭い声がシンクへ向かって、彼は何でもないように答える。
「そう思ってくれて構わないよ。預言も世界も気に食わない。けど、こいつを犠牲にするなら話は別だ」
「アリアを犠牲に……? 師匠は何をするつもりなんだ?」
「ローレライの器だって」
皆が怪訝な顔をする中、聞いたばかりの話を伝える。
元々被験者に導師の力と高い音素適性があり、ローレライを一時的に宿す器にしようと考えていたこと。被験者が失われた今、レプリカであるボクでそれを代用しようとしていること。そして実際にボクはシルフを喚んで親和性を証明してしまっていること。ついでにディストによって理論は出来上がっていることまで付け加えれば完璧だ。
「ディストはまた余計なことを……」
「人の身に意識集合体を宿すなんて、そんなことが可能ですの?」
「不可能です。一時的に実現したとしても、膨大な音素量に体の方が保たない」
「だから一時的な器ってことか。アリアがどうなっても構わないんだな」
「ヴァンにとってレプリカは道具だからね。使い捨てる前提に決まってる」
シンクが不愉快そうに言って、それに疑問を覚えたのはボクだけではない。代わりに問いを形にしたのはルークだ。
「……シンクも同じ考えなんじゃなかったのか?」
「だから何? 言っておくけど何も変わっちゃいないよ。こいつを消されたら僕が困るってだけ」
「どういうこと?」
「そんなことまで教えてやる義理はないよ」
アニスが訝しむように問うが、シンクのガードも固い。どうしてシンクがボクの扱いでヴァン謡将と袂を分かったのか、ボクだって気になる。二人きりになった時に聞けば答えてくれるだろうか。
とにかくボクの無事という点でシンクは明確にヴァン謡将側と対立したし、今までより頼っていいようだ。六神将やヴァン謡将との戦いで味方になってくれるなら、これ以上頼もしいこともない。
「グランツ謡将の話の真偽はさておき、注意はしておいた方がいいでしょうね」
大佐の言葉に皆一様に頷いて、次のパッセージリングへ向かうことになる。一度ケテルブルクで休息を取り、ネフリー女史に最近のロニール雪山の様子を聞いた方が良さそうだ。
ルーク達がワイヨン鏡窟から連れ帰った実験体のチーグルはアストンに任せ、アルビオールを出発させた。
*****
一面の銀世界に戻って来ると中々寒い。お得意の保護膜を張って体温を奪われないようにした。
「ネフリーさんなら知事邸にいるよな?」
「その筈です」
ルーク達の後ろについてケテルブルクの街並みを歩く。雪が音を吸収し、色も少ない景色は落ち着く。温かい知事邸に着けば「丁度良かった」と迎えられる。
「サフィールが街の広場で倒れて、そのまま寝込んでしまったのよ」
「サフィール?」
「ディストの本名です」
六神将は皆ファミリーネームがないし、全員生まれついての名ではないのだろう。それでどうしてディストがケテルブルクで倒れているのか。聞けば、約束がどうとか言われる。
「そういや飛行譜石の件でそんな手紙受け取ってたね」
「まぁ、律儀にジェイドを待っていたのですね」
「アレも馬鹿ですから」
当の大佐は凍えさせておけばいいと言っていたし、実際にそうなったようだ。折角なので叩き起こしてロニール雪山について聞き出すことになる。ネフリー女史が宿に寝かせているそうで、扱いの差が凄い。
「では憲兵を呼んできて、宿に向かわせて下さい」
「……捕まえるのね。分かったわ。でも手荒なことはさせないでよ」
「はいはい。ではルーク、宿に行きましょう」
「……う、うん」
ルークの返答の歯切れが悪かったのは、少なからずディストに同情しているからか。
宿に着けば夢の中で大佐と追い駆けっこをしているらしいディストの姿があり、大佐は「話を聞き出すから」とボクらを部屋から追い出した。扉越しに、廊下にディストの悲鳴が聞こえてくる。
情けない声を暫く聞くと、やがて大佐が部屋から出て来た。何事もなかったようにけろりとしている。
「地震の影響で雪崩が頻発しているようです。それと、奥の方にかなり強い魔物が棲みついてしまったようですね。魔物達が凶暴化したのは、その影響と考えて間違いないでしょう」
「う、うん。それは分かったけど、さっきの悲鳴……」
「ああ、何でもありませんよ。それより、そろそろ行きましょうか」
「う、うん……」
にこりと返されれば誰もそれ以上踏み込めない。この世には知らない方がいいこともあるし、その類だと思うことにする。
外に出れば連絡してあったマルクト兵が待機していて、ディストを連行するよう大佐が指示する。ボクらは後方の憂いもなくロニール雪山へ向かうことになった。
*****
雪道というだけで簡単ではないのに、山を登るとなれば体力を使う。吹き抜ける風も凍える程冷たく、保護膜がなくては体がすぐに動かなくなってしまいそうだ。
「以前六神将がここに来た時は、魔物だけでなく雪崩で大勢の神託の盾兵が犠牲になったそうです」
「雪崩は回避しようがないからな」
「必要以上に大きな物音をたてないように。いいですね」
当然魔物との戦闘も派手にやる訳にはいかない。強い魔物も多いのにこちらは地味に戦わなければいけないと思うと面倒だ。なるべく戦闘を避けて登っていれば、ナタリアが足を滑らせる。
「きゃぁ! いたた……この辺りは滑りますわ」
「ナタリア、大丈夫? 気を付けないと……きゃ!」
手を貸そうとしたティアまで滑り、雪の中だ。アニスが見せつけるように元気に歩き、あっという間に悲鳴と共に雪に転んだ。大佐がそれらを横目に通り抜ける。
「三人とも、あまり大きな声を出すと雪崩が起きますよ。気を付けて下さ……おおっと!」
「おわっ! ジェイド! 俺の服を掴むなっ!」
大袈裟な声と共にルークが巻き込まれ、代わりに頭から雪へ飛び込んで行った。保護膜を張っているとはいえ、雪に直接飛び込めば冷たい。尊い犠牲が出てしまった。
「……おやおや、ルーク。大きな声を出して転ぶのは感心しませんねぇ」
「「「………………」」」
しれっと大佐が罪をなすりつけて、目撃した女性陣が黙り込む。あれに巻き込まれなくて良かったと安堵しながら歩いていれば、後ろからシンクに注意される。
「アンタもバカやって転ばないでよ」
「気を付けてますぅ。シンクこそどうなの?」
「雪に足を取られて転ぶほど間抜けじゃない」
「そう言われると巻き込んで転びたくなるな……」
「巻き込まれてやる訳ないだろ。転ぶならアンタ一人だ」
どうやら助けてはくれないらしい。残念だ。隣を歩くテセへ視線を向ければ、彼は雪に足を取られまいと頑張っているところだった。
「大丈夫?」
「大丈夫です……すみません、慣れていなくて」
「この面子で雪に慣れてるのは大佐くらいだよ」
雪山初心者の一行なんて、いつ遭難してもおかしくない。幸いなのは雪の割に道が分かりやすいことか。踏み外して真っ逆さま、ということがないだけ有難い。
なんて考えていれば、隣でテセの体が傾いだ。
「あっ」
「え」
器用な転び方をしたようで、坂道を後ろ向きに傾く。雪のクッションが良くも悪くもあるとはいえ、転がり落ちれば大変なことになる。咄嗟に手を伸ばし、腕を掴むと音素の補助も合わせて軌道修正を試みる。
「アリア───」
「だいじょぶ!」
投げ出されかけた体を引き寄せ、その場で体を反転させて受け身を取る。抱き込む形でどうにかその場の雪に倒れ込むことに成功した。雪に埋もれて流石に冷たい。
「ったた……」
「すみません! 怪我は……」
「ないない」
がばりとテセが身を起こし、慌てて上から退く。冷たさの中の唯一の温もりが去ってしまった。
ボクも身を起こそうとして、黒手袋の手が差し出される。ぱちくりと瞬きをすれば、無機質な嘴型の仮面がボクを見下ろしている。
「さっさと取りなよ」
「助けてくれるの?」
「巻き込まれなかったからね」
そう言われると、確かに巻き込む場合は助けてくれないという話だったような気もする。手を伸ばせばちゃんと握られて、強い力で引かれて起きる。その場に自力で立って、手を離すと服についた雪を払った。
隣でしゅんとテセが肩を落とす。
「すみません、アリア。貴女を巻き込んでしまいました」
「いやいや、自分から巻き込まれにいったようなものだから。大事にならなくて良かった」
「……はい。ありがとう」
そっと微笑まれて、どうせなら謝罪より感謝の方がいいなと思う。それからボクは後ろで溜め息を吐いているシンクを振り返り、礼を伝える。引っ張り起こしてくれたから。
「ありがと、シンク」
「無様に転ばれて見るに堪えなかっただけだ」
「はいはい」
多分照れ隠しとかでなく本当にそうなのだと思う。でも何にせよ、助けてくれたことに変わりはない。彼がボクをどう思っているかは分からないけど、悪くはない関係の筈だ。
(一度、ちゃんと話を聞きたいな)
シンクがボクをどう思ってついてくると決めたのか。預言を消すという目的は本当に諦めてしまっていいのか。
尋ねることで彼がヴァン謡将側に戻ってしまう可能性もある。それでも折角こうして近くにいるのだから、彼を知る機会を逃したくないと思った。
*****
雪山を登り続ければ風が増し、行く手を阻む。その風に紛れて人の声が届いた。本当に六神将が待ち伏せているのかもしれない。
「気を付けましょう」
「……多分、教官の声だったと思います」
「話し声ってことは一人じゃないってことだな」
「もしかしたら、総力戦で来るかもしれません」
多対多の混戦ということだ。何にせよ、向かって来るなら倒す以外にない。そのまま雪の中を奥へ進んだ。
やがて開けた場所へ出れば、気配が動く。ボクらの背後をどこからか現れたリグレットが取った。
「来たなっ!」
発砲音と同時にボクは自身とテセに障壁を張る。ボクは対銃の戦いに慣れていないし、弾いてしまった方が早い。皆はその場で散って銃撃を避けたようだ。
───瞬間、別の方向から音素が爆ぜる。
「きゃあっ!」
ナタリアの悲鳴が聞こえ、振り返れば正面側にラルゴとアリエッタの姿があった。二人が並ぶと身長差が凄いが、それはともかく挟み撃ちという訳だ。
ラルゴの攻撃を受けてしまったようだが、ナタリアは自身で治癒しているようで心配は要らない。八の字眉を下げたアリエッタが最初に口を開く。
「イオン様……邪魔をしないで」
「アリエッタ……僕は……」
「イオン様! アリエッタなんかにお話しすることないんです!」
何かを言い掛けたテセの言葉をアニスが遮る。きっと自身が慕う「導師」ではないと告白しようとしたのだろう。
知らなくていいことだってある───それにボクも異論はない。ボクが被験者でないことだって、きっと伝えなくていいことだ。彼女の好意を利用すると決めた時から。
次に口を開いたのはリグレットで、変わらずティアの説得へ注力する。
「ティア。これ以上自分を犠牲にするな。そこまでする価値があるのか?」
「教官。私は兄の極論にはついていけません。それを止めることが出来ない自分も歯痒いけど、止めようともしない貴女も……軽蔑します」
「……では、もう私も容赦すまい。閣下の敵は殲滅する!」
師弟の関係は決裂したようだ。
ナタリアも体勢を立て直し、ラルゴへ意趣返しに弓を引く。それを叩き落とすとラルゴは鼻を鳴らした。
「お姫様は城で大人しくしていたらどうだ」
「私を侮辱しないで。私には父の代わりに全てを見届ける義務があるのです」
「……父ねぇ。どちらにしても相容れないなら、力尽くで止めるしかねぇな!」
それは少し気になる発言で、しかし問う間はない。先鋒を務めたラルゴの動きに、即座に応じたのはシンクだ。回し蹴りを放ち、大鎌を弾いて距離を取らせる。
「そういや裏切り者がいたんだったな。参謀総長としてお前さんのことは信頼してたんだがねぇ……残念だ」
「揃いも揃って裏切りなんて、お仲間ごっこでもしてたみたいだね。少しは目が覚めた?」
「……総長閣下の理想を夢と笑うか、シンク!」
「アンタの思想に興味はないよ、リグレット。僕は元々預言を消してやりたかっただけだ。レプリカ世界なんてどうでもいい」
「どうでも良くない! 総長はアリエッタに故郷を作ってくれるって言った……だから……!」
アリエッタの叫びに、「ああ」と思い出したようにシンクが息を漏らす。徐に自身の仮面に触れ、それを外した。現れるのはテセとよく似た顔で───それを見たアリエッタの目が見開かれる。
「い……イオン、様……?」
「───滑稽だね。レプリカってのはこういうことだ」
的確に心を抉っていく。アリエッタの目的は、ヴァン謡将の力で故郷のレプリカを得ること。作り物の故郷に抱く感情を今ここで突きつける訳だ。それも慕う「導師」の顔を借りて。
「どうして……シンクが……」
助けを求めるように桃色の瞳がテセを見て、彼も目を伏せる。絞り出したのは真実であり誤魔化しのある言葉。
「……彼は導師のレプリカです」
「! う、嘘! そんな筈ない……イオン様は……!」
「イオンは一人だって? ───同感だね! 僕もあんな奴の代わりになる気なんかないよ。……その必要もない!」
仮面を着け直したシンクが地を蹴り、アリエッタへ迫る。ラルゴがカバーに動くがルークが止めた。その隙に流れ弾のない場所へテセが移動し、後衛組は散開して各々の仕事を始める。
「リグレットの動きはこっちで押さえる!」
「ガイ、援護するわ!」
「私はルークと共にラルゴを!」
「任せろ!」
「力勝負ならトクナガも負けないんだから!」
大体の動きはすぐに決まる。
リグレットを押さえるのがガイとティア、ラルゴを押さえるのがルークとアニス、ナタリアだ。大佐は全体を見て譜術で援護し、ボクとシンクでアリエッタが呼び寄せた大量の魔獣を処理する。
「───人間の命は尊ぶクセにね」
容赦なく魔獣に第五音素をぶつけ焼き尽くしていく。勿論ボクは人間だろうと変わらないけど、皆の基準ならどうなのだろうか。この魔獣達はアリエッタにとって友達なのに。
アリエッタが泣きだしそうな顔で「どうして」とボクに問う。
「なんで……なんで殺すの、アリア……!」
「敵だからだよ、アリエッタ。君もボクを殺していいんだよ。その権利がある」
「……やだ。そんなの、やだよ! アリエッタはアリアを殺したくない!」
「そっか。残念だな」
魔物に育てられたのに、君はすっかり人なんだなと思う。彼女でさえ人なのに、ボクときたら人の形をした化け物だ。
本物のアリアはどうだったのだろう。彼女の慕う本物のアリアならこんな風に無情に焼き払わず、アリエッタの願いに心を痛めたのだろうか。レプリカであるボクには分かる筈もない。
「大地の咆哮、其は怒れる地竜の爪牙───グランドダッシャー!」
シンクへ迫った魔獣の一群を大佐の譜術が纏めて葬る。それに可愛げのない反応が返された。
「死霊使い! 余計なことはしないでよね。僕は一人でやれる。大事なお仲間を助けなよ」
「貴方こそ余計なことをしないで下さい。戦力として数えているんですから、勝手をして死なれては困ります」
「ああ、そう。なら精々生かしてみせなよ!」
シンクが宙へ跳び、落下しながら譜術を唱える。ボクは第四音素を集めると、逃れようとする魔獣を一ヶ所に集めた。そこに容赦なく炎が立ち昇り焼き払う。
───瞬間、銃声が響き脇腹に熱がはしった。
「……っ」
「チッ!」
シンクが舌打ちをしてボクの方へ下がる。即座に譜歌で治癒を始めるがすぐには動けない。
「私が援護します!」
ナタリアの矢が三連で放たれ、魔獣達の動きを止める。大佐の譜術が追い打ちをかけ一時的に道が開かれた。それを見逃さずシンクが飛び出す。
アリエッタの譜術が発動するが、詠唱破棄の譜術で相殺すると距離を詰め、動きを封じる。
「───寝てろ」
手刀が打たれ、アリエッタの意識が奪われた。途端魔獣の増援もなくなり、一気に戦いが楽になる。
「くぅっ!?」
「これで終わりだ!」
ルークの剣が一閃し、ラルゴも膝をつく。鮮血が白い雪を染めた。肩で息をしながらその口角を上げる。
「……タルタロスでのへっぴり腰が、ここまで成長するとはな」
「俺はもう……迷えないんだ」
思えば旅の始まりから随分時間が経ったものだ。懐かしむには少し早く、リグレットはふらつく体で二丁拳銃を構えた。
「まだだ! まだ、終わっては……!」
その言葉は続かない。低い地響きと共に山全体が揺れたからだ。見上げれば山の上の方から大量の雪が流れ込んでくるのが見える。
「しまった! 今の戦闘で雪崩が……!」
「譜歌を!」
「駄目だ、間に合わない!」
瞬間的に各々が動く。ルークはティアの腕を引き、ガイはナタリアを。アニスは側にいたテセをトクナガで庇って、ボクは諦めなかった。
「───限定解除!」
師に貰った響律符に触れ、封を緩める。瞬間、時間の進みが遅くなったと錯覚する。時間が間延びし、音素の動きがいつもより詳細に感じられる。そこから音素を集め、練り上げると一気に障壁を作り上げた。
「っ……!」
フォンスロットが使われ体が熱い。仲間のみを覆う巨大な護りを維持し、押し寄せる白い濁流に耐える。
「アリア!」
ティアがボクを呼ぶけど応える余裕はない。気を抜けば障壁が崩れてしまいそうで、精神力も体力も一気に消耗する。
(それでも地核でシルフを喚んだ程じゃない……!)
雪崩も永遠ではない。その勢いが人の命を奪うように、あっという間になだらかに変わる。雪崩が止まったと判断して障壁を解けば、体を支えることが出来なかった。
揺れた体を誰かに抱き留められる。ぼんやりと見上げれば、嘴型の仮面から溜め息が下りてきた。
「無茶苦茶だね、アンタ」
「……専売特許ですから」
冗談を返して自立しようとするが、目の前が暗くなりかける。再びシンクに体を支えられ、今はそれに頼るしかないようだ。
「アリア! なんという無茶を……!」
「えへへ……」
すぐにテセが駆け付けて叱られる。多分ボクの顔色は酷いだろうけど、笑って誤魔化すくらいしか出来ない。ルーク達も心配そうにこちらを見る。
「大丈夫なのか? 術式に何かあったら……」
「大丈夫。響律符の力を借りたから、フーブラス川でやったのよりは軽いよ」
「こりゃまた懐かしい無茶が出て来たな」
「何にせよ助かりました。お蔭で雪崩に巻き込まれずに済みましたからね」
「教官は……!」
ハッと気付いたようにティアが周りを見回す。生憎ボクにその余裕はないが、どうやら六神将の姿はないようだ。雪崩に巻き込まれて谷底に落ちたようだった。
「アリエッタ……」
「……どの道倒さなきゃならなかったんだ」
「……ガイの言う通りだわ。それより、パッセージリングの入り口を見付けないと」
気丈に振る舞うティアを冷たいと詰る人間はいない。ボクはその場で少し休ませてもらって、その間に皆が周囲を調べてくれる。丁度崖の下方に道が隠されており、今の雪崩で露出したようだ。セフィロトの扉はそこにあるようで、動けるようになってから皆とそこへ向かう。
「では、ここを解放しますね」
そう宣言するテセの調子も良くはない。慣れない雪山にずっと体を冷やされているし、障壁で防いだとはいえ雪崩の直後だ。元々弱っている体は驚いたことだろう。
「大丈夫。任せて下さい。ここで最後ですから」
「……頼む」
テセの体調を気にしているのはボクだけではない。ティアの体を慮るように、皆も気にはしている。それでもセフィロトの扉を開けることは必要で、テセも己の役割としてそれを全うしていた。譜陣が描かれ扉が開き、青い顔をして膝をつく。
「イオン様!」
「……大丈夫。後少しですから」
そっと微笑みが返るが、大丈夫でないことだけは確かだった。それでも今彼のために出来ることはない。無理をして進む他なかった。
内部は見慣れた創世暦時代の遺跡で、全体的に氷を思わせる水色の光に包まれている。仕掛けらしい仕掛けも少なく、昇降機を動かしてパッセージリングの前へ辿り着いた。
そこまでくればボクとテセは並んで休ませてもらい、ここからはルークやティアの仕事だ。ルークが気遣わしげな視線を向ける。
「ティア。大丈夫か?」
「……教官のことなら、大丈夫」
「それだけじゃないよ。障気が……」
「……忘れたの? やれることをやるしかないのよ」
ティアは少しだけ表情を緩めて、それから譜石へ向かう。ボク達が利用する力はどれも不完全なものだ。
ティアは血を利用してユリア式封咒を解き、障気で命を削っている。テセの導師の力もまた、その作り物の体を確実に衰弱させている。ボクの力だって命を繋ぐ術式を歪めかねないリスクがある。ルークの超振動も、彼に何の悪影響もないとは証明されていない。
随分綱渡りをしているものだと改めて思う。
「さぁ、ルーク。後は全てのセフィロトをアブソーブとラジエイトのゲートへ連結して下さい」
「分かった」
大佐の指示の通りルークが指示を書き込み、リングが起動して記憶粒子が噴き上がる。これで後は二つのゲートのセフィロトを起動すれば、全てのセフィロトが繋がる。
順調に思えた直後、予想していない激しい揺れが空間を揺らした。
「何ですの!?」
「……まさか、俺しくじったのか!?」
ルークも青い顔をするが、答えたのは大佐だ。苦い顔をして「やられた」と呟く。
「アブソーブゲートのセフィロトから記憶粒子が逆流しています。連結した全セフィロトの力を利用して、地核を活性化させているんです!」
「そんなことが出来るのは、パッセージリングを操作できる奴だけ……」
「ヴァンだろうね。第七音素を作り出すためにまんまと利用されたって訳だ」
「でもどうして……! 記憶粒子を逆流させたら兄さんのいるアブソーブゲートのセフィロトツリーも逆転して、ゲートのあるツフト諸島ごと崩落するわ!」
「いえ、今は私達によって各地のセフィロトの力がアブソーブゲートに流入しています。その余剰を使ってセフィロトを逆流させているのでしょう」
寧ろ落ちるならアブソーブゲート以外の大陸、ということだ。安全に降下させるつもりが、崩落に手を貸す結果になったらしい。
その上地核が活性化されれば、振動中和装置を乗せたタルタロスも無事では済まない。アブソーブゲートへ行き、ヴァン謡将を倒してリングを操作する必要がある。
すぐにでも行きたいところだが、アニスが否を唱えた。
「総長を止める前に、イオン様とアリアを街で休ませないと」
「……すみません」
「面目ない」
揃って謝罪すれば、ボクらの気を軽くするようにガイが肩を竦める。
「謝るなって。二人が体を張って助けてくれたのは分かってる。ちゃんと休ませてやるべきなのは、ルークだって分かってるだろ?」
「ああ。ごめんな、もう少し辛抱してくれ」
ここで急いでしまわないのも、ルークの成長と言えるだろう。
崩落が速まったとはいえ、ディバイディングラインのこともありすぐに大陸が落ちることはない。一先ず来た道を戻り、下山してケテルブルクを目指すことになった。
「アリアの体はホントに大丈夫なんだよな?」
ルークに心配されるが、びっくりすることにもう体の調子は戻っていた。そもそも、倒れていないからには大丈夫だ。ボクの中の基準の話をすれば、皆に怪訝な顔をされる。
「倒れてないからって……極端すぎるだろ」
「皆もそうでしょ?」
「それはそうだけど……」
皆の基準とそう変わらない筈なのに、ボクの態度が軽すぎて不安を抱かせたようだった。そうは言っても深刻に考えられないのだから仕方がない。
「真面目な話をすると、前と違って随分楽だよ。力を使った時は消耗したけどあっさり回復したし」
気を失っていないのは勿論、普段なら見舞われる倦怠感や数々の不調もすっかりない。少し休めばいつもの調子に戻っていて、なんだか前までが嘘のようだ。大佐が言葉を挟む。
「貴方の場合は術式のせいでフォンスロットが正常に機能していなかっただけです。響律符の助けを借りて正しく音素を循環させれば、体に負担は少ないでしょう」
「本来あるべき在り方、という訳ですわね」
「ええ。ですが響律符による補助は一過性のものです。術式を歪めるリスクは変わらない。あまり頼りすぎないように」
「はぁい」
そんな調子で下山し、吹雪く山から離れた。ティアが足を止めて背後を振り返る。遠くを見つめる瞳にあるのは師の死を悼む心か。
「……分からないわ。教官も皆も、どうして兄さんの馬鹿な理想を信じるの」
「……そうしなきゃ生きられないからだよ」
シンクが答え、視線が彼へ集まる。彼はただ仮面の奥に表情を隠したまま言葉を続ける。
「六神将はどいつもこいつも真っ当に生きる道なんか失ってるのさ。預言を憎んで、世界を呪って……そうやって影に身を置き続けなきゃ、存在すら出来ないんだ」
「でも兄さんのやっていることは滅茶苦茶よ……! 仮に実現したとしても、誰も生き残らないわ」
「それでいいんだ。生きるために死に場所を探してる連中さ。最初から救いなんか求めちゃいない」
「……破滅に向かってるっていうのか」
「そんなの無責任だよ! 世界をレプリカと入れ替えて、その後のことは知らないってこと?」
「それでは世界を……民を混乱に陥れるだけではありませんか!」
ここにいる皆はヴァン謡将に従う者の気持ちなんて分からない。皆ほどヴァン謡将のやろうとしていることを否定していないボクだって、どうしてここまでするのかと思う。
でもガイは、それに「分かる気がする」と漏らした。
「俺はずっと、公爵達に復讐するためヴァンと協力する約束をしていた。どこかで違う道を選んでいたら、俺は六神将側にいたかもしれない」
「ガイ……ヴァン師匠の目指す世界の姿を知ってもか」
「シンクが言ったろ。影に身を置き続けなきゃ存在出来ないって……俺が過去に、憎しみに囚われ続けてたらそうなってたさ。ホドの復活を、例えレプリカでも……仲間や家族が復活するなら、それもいいって」
「ガイ!」
「……今だって、正直なところ何が正しいのかは分からないさ」
故郷を失った痛みというのを、ボクらは理解できない。生まれる前に失ったティアと、五歳の誕生日に失ったガイとでもまた違うだろう。……己の力で滅ぼしてしまったヴァン謡将とも。
「六神将はそれぞれ、この世界を全て消滅させてまで叶えたい思いがあって……それがヴァンの理想と一致しているのでしょう」
「俺達と師匠……目的は同じ人類の存続なのに、どうしてこんなに遠いんだろう」
「被験者を生かす世界と殺す世界。とても近くて遠いわね……」
ティアの囁きの通り、それは隣合って、しかし相容れない。被験者を殺して全てをレプリカに入れ替えた世界。そんなものは形だけ同じ別物だと、レプリカだからこそ分かる。そうしてハリボテにして生かした世界に、何の意味があるというのか。
ボクは、そんな世界で生きたいとは思えなかった。
*****
ケテルブルクで宿を取り、一晩休むことになる。アルビオールの浮力機関が寒さで凍り付いたのもあって、すぐには動けなくなってしまったのだ。ネフリー知事の協力もあって明日には動くようで、大きな問題はない。
街を適当にうろついていれば、大佐に遭遇する。彼は「おや」と声を上げると意地の悪い微笑みを浮かべて聞いてくる。
「シンクは一緒ではないんですか?」
「セットみたいに言わないで」
「これは失礼。どちらも半人前なので、丁度いいかと思っていました」
「それを言ったら誰一人一人前じゃないでしょ」
「おや。手厳しい」
雑にじゃれあって、人心地つく。これでこそ大佐だ。話す甲斐がある。
「実際のとこ、どう思ってるの? シンクを連れて行くこと」
「変わりませんよ。貴方の判断に任せます」
それは無責任なようで、ボクの責任を信頼してくれているのだと思う。ボクの事情を汲んでくれてもいて有難い。「そういえば」と思い出して告げる。
「宿題の答え分かったよ」
「そうですか。感想は如何ですか?」
「やっぱよく分かんない」
「ははは、正直でよろしい」
相変わらずにこやかだけど、わざとらしくて笑ってるのか笑ってないのかよく分からない人だ。そんなことを思いつつ、気になっていたことを問う。
「なんでこんな宿題出したの?」
ボクの問い掛けに大佐は眼鏡の奥で眼を細め、ずっと聞きたかった疑問に答えをくれた。
「試したかったんです。貴女が人になれるかどうかを」
「……どういうこと?」
「以前、貴女がレプリカかもしれないと考えたのは神託の盾を殺した時だと答えましたね」
「うん」
「あの時の貴女は、人の命を何とも思っていなかった。必要だから殺す。それだけでした」
それが、かつて実験で見たレプリカ達を思わせたのだと彼は語る。そのレプリカ達は第一から第六音素を使用した、所謂化け物達だった。ボクらを生んだのは同じように「死」を理解しなかった大佐の心だ。実のところ、ボクらはそう違わない。
「大佐はボクが暴走リスクを持つって気付いてたんだ。だから無茶をしないように釘を刺してた」
「ええ。無駄だったようですがね」
「うっ……」
何度注意されても無茶を止めず、挙げ句地核でシルフを喚んだ。ちくちく言われても仕方がない。大佐は息を吐いて話を戻す。
「貴女は確かにただのレプリカにしては不安定だった。しかし、私の知る彼らと比べればずっと人間らしい。それが私には不思議だったのです」
「お師様の術式のお陰だよね」
「ええ。それから恐らくは、作製時の貴女に最低限の刷り込みがされていたことも起因しているでしょう。勿論、記憶を持とうと化け物になってしまった例はありますが……術式のこともありますからね。別の作用があってもおかしくはない」
何か気になる発言があったけど、話が逸れるので黙っておくことにする。大佐は更に述べる。
「その他にも要因はあるかもしれない。私は貴女自身が倫理や道徳に向き合うことで、より人に近付く可能性が高まるのではないかと考えたんです」
「目論みは外れたね」
「そうですか? 今の貴女は化け物には見えませんよ」
出た答えだけが結果ではない、と彼は笑う。
「貴女は気付いていないようですが、随分この旅で変わりましたよ。それは貴女が考えることをやめなかったからです。宿題にしてしまえば、ストレスになるくらい考えざるを得ないでしょう?」
「───陰険」
「くすぐったいですねぇ」
ああ、もう。これでこそ大佐だ。これでこそ話す甲斐がある。悔しいけれど、いつも何歩も先にいる。これが大人の余裕なら、ボクは永遠に大人になれそうにない。
「じゃあ、そろそろ観光に戻るね。大佐も体を労ったら? 老体でしょ」
「お気遣い痛み入ります。腰に響く前に戻りますよ」
「嫌味をそのまま受け取られてもやだなぁ……」
じゃあどうしろというのか、問われてもボクにも分からない。どうでもいいやと思いながら、観光に戻った。
*****
街を歩いていれば、カジノ内でガイとアニスとナタリアに会う。珍しい取り合わせだなと思って近付けば、カジノの必要・不必要について論じていたらしい。
アニスがガイに「カジノで儲けて🖤」としつこくしたらしく、それにナタリアが反応したようだ。「緊張感ないなぁ」とつっこめば、話はヴァン謡将へと及ぶ。
「あのヴァンと戦うのか……」
「ガイにとっては幼馴染なんだっけ」
「まぁ、そうだな。子供の頃の俺は怖がりでよく姉上に怒られてたんだが、そんな時はいつもヴァンが庇ってくれてたよ」
「ガイ……」
「……ガイには悪いけど、私は総長が大っ嫌い。だってアリエッタは、大好きな人がもうこの世にいないって……知らないまま死んじゃったんだよ」
「ヴァンはそれを知っていて、その上で利用してたからな……アニスの気持ちも当然だ」
アニスの眼は少しだけ潤んでいるようにも見えた。死を悼んでいる。誰かの死を哀しめる。それはやっぱり、人に見えた。
ボクはどちらだろう。アリエッタの死は、哀しくない。ボクは少し話をすると、また街を歩くことにする。人の姿を見るために。
*****
雪の中で次に遭遇したのはルークとティアだ。流石にお邪魔をするのは気が引けて、その場をそっと離れた。流石にボクだって空気を読む。
代わりに足を向けたのは知事邸で、預けられているテセと会う。彼は訪ねてきたボクを見れば少し驚き、表情を柔らかくした。
「どうしたんですか、アリア」
「少し、テセの話を聞きたいと思ってね」
「僕の話、ですか?」
「そ。アリエッタ、死んじゃったなぁって話」
ボクの不意打ちに、テセは表情を暗くする。ボクと違って思うところがあるようだった。例え慕われていたのが、自分でなくとも。
「本当のことを伝えられなかったのが辛い?」
「……ええ。ですが、僕はそうすることで僕が楽になりたかったんです。彼女を騙し続けることが、苦しかった。知らなくていいこともあると、ジェイドに言ったのは僕だったのに」
それはデオ峠での話だ。ルークがレプリカであるという話に至りかけて、テセは大佐を諌めた。知らなくていいこと……知らない方が、いいこと。
「ボクは、ボクの本当を知れてよかった。後悔してない。……アリエッタにとっての『よかった』は、どっちにあったんだろうね」
「分かりません。ただ、彼女が導師イオンの死を受け止め、乗り越えられたかと言えば……そうではないと感じます。だから、『よかった』んです。きっと、これで」
「……そう」
彼がそう言うのなら、ボクから言えることは殆どない。本物のフリも満足にしなかったボクには。それぞれがそれぞれに、死と向き合っている。ボク以外は。
「ずっと、貴女に言われたことを考えていたんです」
不意に、テセがそう切り出す。顔を上げて、ボクをしっかり見る千歳緑の瞳がある。そこに真剣さがあって、少し身構えた。
「ボクに言われたこと?」
「貴女をダアトへ連れて行くことです」
「あ……」
忘れていた訳ではないけど、今その話題が戻って来ると思っていなくて不意を突かれる。シェリダンへ向かう船で、呑み込めなくて伝えてしまった気持ち。側に望んでくれる彼への、ボクの戸惑い。
「あれは……」
傷付けるようなことを二度言うのは躊躇いがあって言葉に詰まる。伝えたことに間違いがあったとは思わない。でも一方的に拒絶してしまったことは確かで、何と言っていいのか分からない。彼は首を横に振る。
「いいんです。貴女は僕のことを考え、心配してくれていたんですよね。貴女は、貴女の中にあるものに気付いていた」
人の命がどうでもよくて、何も積み上げられないボク。倫理観や道徳観の欠けだと言われれば否定は出来ない。温かさに戸惑って、悪くはなくて、反面で煩わしくも感じていた。時折、今の関係の全てを壊して身を軽くしたくもなる。己が二人いるようなアンバランスさ。ボクは、皆と何かが違うらしい。
「確かに、僕は知りませんでした。貴女が抱えているものを。ですが……知って尚、気持ちは変わりませんでしたよ」
だって貴女は、とテセは続ける。眼は全然逸らされない。真っ直ぐに見られて、ボクも逸らせない。向き合わないことを許されない。
「貴女は僕を心配してくれていた。いつも気に掛けて、動いてくれていた。例えそこに仕事としての関わりがあったとしても、僕達とは違う思いがあったとしても……貴女の中に僕達を想う心があることは、事実です」
そう言われてしまえば、返せる言葉はない。ボクは皆を仲間だと思っている。居心地がよくて、手伝いたい。他人事だなんて思ってない。繋がりを煩わしく思う声が内に在っても、結局側にいることを選んだ。
「あの時の言葉を返しますね」
そう言うと、テセは小さく息を吸った。間違えないようにしっかりと、そして優しく告げる。
「貴女は無責任な人間なんかじゃない。無責任な人は……僕に『テセレマ』なんて祈りを捧げはしないでしょう」
彼を「イオン」と呼べず、わざわざ名前を考えて。その名に、特別祈りを込めて。
「貴女は貴女が思うような人ではありません。少なくとも僕にはとても優しく、温かく映る」
チーグルの森で庇って、下手な言い訳をして。街道でも峠でも、誰かの代わりに足を止めて。歩き出せない誰かの背を押して。
「もう一度よく考えました。僕は貴女を連れて行きたい───僕の側に、いてくれませんか」
手が差し伸べられる。ボクなんかには勿体無い手。もっと掴めるものがいっぱいあって、導ける相手がいると思う。
でも差し伸べられたのはボク。人未満で、中途半端で、この手を恐れたことだってある。傷付ける言葉だって掛けたのに……それでも彼は変わらない。穏やかに笑って、ボクを側に望む。
(どうして、なんて結局分からない)
ボクの思うボクと、彼の思うボクが違うなら、もうどんな言葉でも拒めない。正しくないと突き付けた言葉が正しかったと返されれば、もう何も言えない。後はただ、ボクがどうしたいかだ。
(……ボクの、望みは)
答えの出せなかったそれに、ボクは答えを出さなくちゃならない。手を伸ばす。言い訳はもう成り立たない。
幾度と触れた掌は……温かかった。
*****
そういえば、テセに初めにそれを伝えられた時もケテルブルクだった。ここに来ると、こういうことになる呪いにでも掛かっているのだろうか。
宿で転がっていれば部屋の扉が唐突に開けられる。入ってきたのはシンクだ。
「着替え中だったらどうするの」
「知らないよ。どうでもいい」
びっくりして問えば切り捨てられる。これでも花も恥じらう乙女なのだが、何だと思われているのだろう。女の子扱いはされたくないからいいのだけど。ベッドで起き上がりながら尋ねる。
「何か用?」
「アンタ、今の仕事はいつまでなんだ?」
「ヴァン謡将の計画を阻止してルーク達の旅が終わるまで」
「じゃあ、その後は?」
「……何もないけど」
ダアトへ行くことは決まっているけど、依頼を請けている訳ではない。そう思って答えれば「じゃあ」と仮面の下で口が開いた。
「アンタに依頼だよ。───僕を使え」
「……へ」
唐突に願われて反応が遅れる。ぽかんとしていれば、シンクはボクへと近付いた。手が伸ばされ肩を押される。ころりとベッドに転がされ、上から覆い被さる彼を見上げる。───ボクの視界にはシンクしかいない。
「僕を拾ったのはアンタでしょ。アンタ以外に使われるなんて御免だよ」
「……でも」
「でもはない。アンタは断れない筈だ」
拾った責任があるから───暗に告げられた言葉に返せる言葉がない。シンクの望みはボクに使われること。どうせ手離さないなら関係性なんて何でも同じな筈だ。ボクが彼を使おうと、使うまいと。違うのはボクにとっての彼ではなく、彼にとっての彼。長く道具でいた彼には、その在り方が居やすいのかもしれない。
確認のために口を開く。
「ボクはヴァンじゃない。君を目的のために消費したりしない」
「好きにしなよ。どうせアンタが拾った命だ」
「じゃあ、聞くけど。君は何が欲しくてボクの側についたの? 君にとってボクって、何?」
「………………」
シンクは仮面の向こうで押し黙る。表情が見えないから、その沈黙が何を意味するのかは分からない。彼はヴァンよりもボクを選んだ。預言を消すという望みよりも優先される望みがある。それらは揺らぎようもない事実だ。なら、それは何なのか───ボクに使われることを願うなら、知る権利がある筈だ。
辛抱強く答えを待てば、やがて彼は小さく呟いた。
「……知りたいのはこっちだよ」
「え……」
「僕にとってのアンタなんて、知らない。ただこの手を取ったのがアンタだったから……離さないって言ったのがアンタだから、僕はここにいるんだ」
それはとてもシンプルな答え。手を取ったのがボクだから───地核へ落ちた彼を、飛び込んで拾い上げたのがボクだったから。それ以上の理由はない。あの時、飛び込もうと思えば誰だって飛び込めたと思う。彼を連れて帰る方法だって、もっと他にあったかもしれない。でも実際に行動して、結果を残したのはボクだった。───ボクしかいなかった。
「ヴァンを裏切ったのは、ヴァンがアンタを道具として使い捨てる気だから。預言は今でも憎い。消せるものなら消してやりたいさ。でも……そのためにアンタが消えてちゃ意味ないんだ」
「……ボクがいた方がいい?」
「当たり前でしょ。アンタがいなきゃ僕が生きてる意味がない」
大袈裟だと思うけど、きっと彼の言葉は誇張でも何でもないのだろう。文字通り、ボクが命を拾ったから生きていて、ボクが生を望むから今も命を投げ出さないでいてくれている。ボクがこの手を繋いでいるから───そうでないと、彼はいつでも地核へ落ちてしまえる。仮面に隠された暗い瞳が覗くようだった。
「僕にとってのアンタが何かって? 強いて言うなら『全部』だよ。今の僕にはアンタしかないんだ」
ベッドの上でボクを組み敷いて、狭い世界に互いを閉じ込めて彼はそう告げる。ボクの瞳には今彼しか映っておらず、きっと彼の瞳にもボクしか映らない。まるで、言葉の通りに。暗く、閉鎖的な関係。それでも、それがなくちゃ彼は今生きてすらいないと言うのなら。
「……分かった。君の依頼、請けるよ」
この手を離せないから、ボクは頷く他にない。
使われたいと願うのは道具としての自分しか受け入れられないから。きっと、彼自身の意志で生きるのは難しいのだと思う。テセじゃないけど、彼は自分で何かを望むということに慣れていない。ずっと預言への憎しみとヴァンという導が全てだったから。今更変われなんて、今すぐ変われなんて言われても無理だろう。だから、
(君が……他に望みを見付けられるまで)
手を伸ばし、嘴型の仮面を撫でる。そっと外せば、彼は抵抗しなかった。暫くぶりにちゃんと見るシンクの素顔。露になった千歳緑の瞳はボクを見下ろしていて、ボク以外を映していない。その眼にあるのは切実な色だ。まるで、コーラル城で呼ばれた名に込められていたように……感情を伴う瞳。
道具としての生き方しか知らない少年が、それ以外の在り方を見付けられるまで。ボクと彼との契約関係は、その時までのいい時間稼ぎになるだろう。ボクの側で世界を見て、生きて色々なものに触れて。そうしていつか、使われる以外の望みを持てるようになれば……そうなって欲しいから。
それが例え悪魔の契約でも、ボクは喜んで結ぶだろう。
翌日、ボクらはアブソーブゲートを目指す。そこで待つヴァン謡将を倒し、今ある世界の続きを生きるために。世界を終わらせられないために。
長かった旅が、終わる。