外殻と崩落
ザオ遺跡にこれといって変化はない。強いてあげるならセフィロトの扉から出て来たのか、見たことのない魔物に襲われた。苦労して倒せば、ティアも創世暦の魔物だと思うと口にする。
セフィロト内部はシュレーの丘で見た光景と酷似しており、音叉のようなパッセージリングの前には同様に譜石があった。ティアが近付くとやはり起動するようで、ここにもヴァン謡将が残した暗号がある。ルークの超振動で削り、大佐の指示で新たな命令文を刻んでいく。
作業が終わると、パッセージリングが淡く光り命令が実行されたようだった。微かに届く緩やかな揺れが、降下が始まったことを知らせてくれる。念のため降下が終わるまでパッセージリングの側に待機することになった。
待つ間、ボクと大詠師の関係に触れる。ややこしくなるのでボクが養女らしいという話にしておいた。過去の記憶がないと話すと、ルークが心配そうな視線になる。
「まぁそんな訳で、ボクにとっては他人だよ。今更従う気もないし」
「でも、相手は大詠師だよ? 逆らい続けるにも無理があるんじゃ……」
アニスの心配はその通りだ。いつ実力行使に出られるか分からない。暴れて逃れるという選択肢は常にあるけど、権力というものは面倒臭い。
皆はボクの言い分を信じてくれるようで、余計な疑心は避けられたようだ。それには安堵する。今になって大詠師のスパイ疑惑を掛けられるなんて御免だ。
そうして暫く待てば微かな振動が止み、降下が完全に終わったようだ。「全てが上手く行き過ぎて拍子抜けする」なんてルークが気を抜くと、唐突にティアが倒れた。驚いて駆け寄れば、彼女は恥じ入るように漏らす。
「体調管理も出来ないなんて、兵士として失格ね……」
「兵士とかそんなことを気にするより、もっと体の心配をなさい。本当によろしいんですの?」
「あ、ありがとう。でも本当に平気よ」
顔色は悪い。体調を診ようかと提案するが、ただの疲労だからと遠慮されてしまった。パッセージリングが彼女に反応しているのと関係があるだろうか。
外に出て確認すると、青空から暗い紫の障気が漂う世界に一変しており、予定通り魔界に降りていた。我々は外殻へ戻るため、ノエルとの合流場所であるケセドニアへ戻る。
無事に合流して空へ飛び上がれば、おかしな挙動をしているセフィロトツリーが遠目に確認出来た。記憶粒子で形作られた光の大樹が、消えかけの音素灯のように明滅している。大佐は心当たりがあったようだ。
「やはりセフィロトが暴走していましたか……パッセージリングの警告通りだ」
「セフィロトの暴走?」
「ええ。恐らく何らかの影響でセフィロトが暴走し、ツリーが機能不全に陥っているのでしょう。最近地震が多かったのも、崩落のせいだけではなかったんですよ」
セフィロトツリーの機能不全と聞いて、皆が顔色を変える。それはつまり、外殻大地が落ちるということだ。安全な降下など出来ない。
これ以上外殻大地は落ちないと話していたのだし、テオドーロ詠師は知らないだろう。後は液状化した魔界の大地を固形化するくらいしか思い付かないが、そもそもそんな方法が見付からなかったから外殻大地が作られたのだ。手詰まりになる。
「預言に、何かヒントはないのかな。暴走するからには原因がある筈だろ?」
「残っていたとしても、お祖父様でも閲覧できない機密情報じゃないかしら」
となれば、残る選択肢は一つだ。それを口にしたのはアニスだった。
「……イオン様なら、ユリアシティの最高機密を調べることが出来ると思う……導師だし……」
「だったらダアトへ向かおう! 何か対処方法があるかもしれない!」
戦場が降下した今は、恐らく戦争どころではないだろう。バチカルは後回しとなる。国王陛下とナタリアのことを思えば早く動いてあげた方がいいのだろうけど、セフィロトの暴走の方が一刻を争う話だ。アルビオールは一つしかないし、我慢してもらうしかない。
外殻に戻り、別れたばかりのテセを訪ねてダアトへ向かうことに決まった。
*****
外殻の空から大地を見下ろせば、ルグニカ平野で残っているのはグランコクマ周辺だけとなってしまっていた。急に魔界に落とされた方も不安だろうが、残された方もいつ落ちるかと不安だろう。出来ることなら、各国の王に降下の話を事前にしたいところだったが、そうもいかない。それは後でなんとかしようとダアトを目指した。
ダアトに寄るなら、大詠師は勿論ヴァン謡将や六神将にも見付かる訳にはいかない。ひっそりと言うには堂々としていたが、信者に紛れて教会へ入り込むことにした。
教会の入口には人々が詰め掛けている。ルグニカ大陸の八割が消滅したことで定期船が止まり、混乱しているらしい。戦争も一時休戦したらしく、それは安心だ。
「この事がもっと大勢の人に知られたら、大混乱になるな……」
「この先どう対処するかが分かれば、それも抑えられる筈よ」
崩落や戦争で混乱した民をどう治めるか為政者の才覚が問われる、なんて話をしつつアニスの案内で中へと入った。導師の私室への道は守護役である彼女頼りだ。
私室は教会内の転送譜陣によって護られているようで、アニスの唱えた譜の通りに起動させた。視界が音素の光で白く染まり、晴れた時には別の階層にいる。
案内に従って部屋へ入り込めば、そこは必要最低限のもので整えられたシンプルな部屋だった。部屋の主の姿はない。
「イオンの奴、どこに行ったんだ」
「しっ。静かに。誰か来るわ!」
ティアの忠告に慌てて隣室へと移る。続き部屋は寝室となっているようで、勝手に立ち入って多少は申し訳ない。扉越しに執務室から聞こえて来たのは、大詠師とディストの声だった。
「誰かここへ来たと思ったが、気のせいだったか……」
「それより大詠師モース。先程のお約束は本当でしょうね。戦争再開に協力すれば、ネビリム先生のレプリカ情報を……」
「任せておけ。ヴァンから取り上げてやる」
あまりにディストが扱いやすくて呆れる。単純にヴァン謡将の目的に従っている訳でなく、あくまで目的はネビリム女史の復活らしい。何度レプリカを作ろうと、それは本人には成り得ないのにご苦労なことだ。
死んでまでただ一人に固執する感情は理解出来ない。あまつさえ復活を願うなど。ボクは師やテセ、ルーク達が死んでもそこまで出来ない気がする。
「とりあえずは導師に休戦を破棄するよう、導師詔勅を出させるのがいいでしょう」
「ふむ、導師は図書室だったな。戻り次第手配しよう」
なんて会話を最後に、彼らは部屋から出ていく。休戦したとはいえ、大詠師はまだ動くつもりのようだし、それを国王陛下が信じてしまえば戦争は再開されてしまいそうだ。何とか話をする必要は、まだあるらしい。
「でも、私の言葉を……お父様は信じて下さるかしら。本当の娘ではないのかも知れませんのよ」
「その時はグーパンするから大丈夫」
「……え?」
ポカン、とナタリアがボクを見る。まるで頭になかったという顔だ。いやまぁ、不敬罪で殺されそうなので頭になくて正解だとは思う。
「比喩だよ。ちゃんと分からせようってこと。何が大切で、何が手離しちゃいけないことなのか」
「大切で、手離してはいけないこと……」
「そ。ほら、今は図書室に行こ。テセと話さなくちゃ」
「え、えぇ……」
戸惑うナタリアに、ルークが何事かを小声で伝える。と言っても、距離はそんなに離れていないので微かに聞こえてきた。
「アリアって、急に確信に触れるようなこと言ってくるよな。俺もアクゼリュスの前とかに、結構言葉を貰うことがあってさ……」
「……そうでしたの?」
「ああ。あいつ突飛な言い回しするけどさ、結構大事なことをいつも言ってくれてるんだ。だから、ナタリアも……」
「……ええ。ありがとう、ルーク」
聞こえてるよ、とも言いづらい内容で、ボクは聞かなかったことにして部屋を出る。にやにやと横から視線を送る大佐の顔が煩くて仕方がなかったけど、頑なに触れないことにした。
*****
図書室へ行けばテセの姿がある。なんだか別行動をしている時は大体攫われていたので、こうして無事でいると違和感まであった。無事ならその方が有難いのだけど。
「皆さん!? どうしてここに……」
「イオン、外殻大地が危険なんだ! だから教えてくれ! ユリアの預言には、セフィロトの暴走について詠まれてなかったのか?」
ルークの訴えを皮切りにこれまでのことを共有する。セフィロトツリーの暴走を聞くと、テセは「初耳です」と表情を険しくした。
「……実は僕、今まで秘預言を確認したことがなかったんです」
テセは導師イオンのレプリカだ。生まれて二年程だし、詠んでいなくともおかしくはない。それにレプリカは劣化する。ダアト式譜術を使った際にテセは酷く消耗するし、もしかしたら危険だから秘預言を詠まない方針になっていたのかもしれない。
「秘預言を知っていれば、会った時にルークが何者か分かったでしょう。それに、アクゼリュスの崩落も回避できたかもしれない……ですから僕は、秘預言を全て理解するためにダアトへ戻ったんです」
「でも、その秘預言にセフィロトの暴走のことは……」
「ええ、詠まれていなかった筈です。念のため、礼拝堂の奥へ行って調べてみましょう。譜石が安置してあるんです。そこで預言を確認できます」
「イオン様! それはお体に障りますよぅ!」
アニスが異を唱えるけれど、テセは譲らなかった。必要なことであり、導師である自分だから出来ることだと彼は考えているのだ。それは決して誰かに強いられる選択や用意された道ではない、テセの選ぶ道だ。止めることは難しい。
礼拝堂へ向かう道すがら、テセがボクの隣に並ぶ。ボクの顔を見ると何か安心したようで、表情が柔らかくなった。
「よかった。アリアだ」
「なに? それ」
「いえ。久しぶりに貴女の顔が見られて、よかったと思ったんです。皆さんと一緒なら大丈夫だと分かってはいたんですが……心配になりますから」
「………………」
少し恥ずかしそうに言われれば、返答に窮する。早くなんとか眼を覚ましてもらいたいのだけど、やはりどう伝えればいいのか分からない。どれだけ勘違いしているとしても、今こうして彼が嬉しそうにしているその感情は事実だ。それは間違いだと伝えれば、彼は傷付くだろう。傷付けたくは、ない。
「少し、手を貸して頂けませんか」
囁くように乞われ、大人しく手を出せば握られた。驚いていると、申し訳なさそうな顔をされる。
「すみません。嫌でなければ……暫く、貴女の手をお借りしたいんです」
「え、えっと……うん」
頷けば彼は頬を少し明るく染めて喜ぶ。よく、分からない。この行為に、何の意味があるのだろう。どこかに行ってしまいそうに見える、と何度か言われているし、繋ぎ止めたいということなのだろうか。
(繋ぎ止める───)
一瞬、ぞっとする。この手に、ボクは縛られるのだろうか。ボクは、自由を妨げられるのか。行きたい場所に、やりたいことに、時間を使えなくなるのだろうか。ボクは……ボクであることを、誰かに邪魔されたくはない。それでもこの手を振り払えないのは、ボクの中に甘さがあるから。この温度を、嫌ってないから。
(……ボクは、どうしたいんだろう)
この手を振り払いたいボクと、振り払えないボク。どちらが本当で、どちらが違うのか。それとも、両方共にボクならば……その上でどちらを選ぶのか。ボクは、いつか決めなくてはならないと思った。
やがて礼拝堂へ着く。そこは大きなステンドグラスの窓から差す光に飾られた、巨大なホールだ。人の姿はなく、ちょっと静謐な空気が漂う。
テセは壇上に上がり机の向こうへ回った。倣うとそれ自体が譜石のようで、ユリアの残した第一から第六までの譜石を加工し、結合したものらしい。欠片を繋いだようなものであり、ここから預言を詠めるのは導師だけだという話だ。
「量が桁違いなのでここ数年の、崩落に関する預言だけを抜粋しますね」
そう言ってテセが譜石に手を翳す。途端共鳴するようにテセの体と譜石が淡い光に包まれた。それは第七音素の輝きで、多量の音素を消費していると見て分かる。
ND2000
ローレライの力を継ぐ者、キムラスカに誕生す
其は王族に連なる赤い髪の男児なり
名を聖なる焔の光と称す
彼はキムラスカ・ランバルディアを新たな繁栄に導くだろう
ND2002
栄光を掴む者、自らの生まれた島を滅ぼす
名をホドと称す
この後、季節が一巡りするまで
キムラスカとマルクトの間に戦乱が続くであろう
ND2018
ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう
そこで若者は力を災いとしキムラスカの武器となって街と共に消滅す
しかる後にルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失うだろう
結果キムラスカ・ランバルディアは栄え、それが未曾有の繁栄の第一歩となる
「イオン様!」
そこまで詠むとテセはその場に膝をついてしまう。第七音素の光は失われ、残ったのは青白い顔で浅い呼吸を繰り返すテセの姿だ。やはり消耗が激しいのだろう。それでも彼は言葉を紡ぐ。
「……これが、第六譜石の……崩落に関する部分、です」
「やっぱアクゼリュスの崩落と戦争のことしか詠まれてないな……」
「もしかしたら、セフィロトの暴走は第七譜石に詠まれてるのかもしれないな」
もしくは預言に詠まれていない事象なのか。そう思ったが、改めて聞くとルグニカ大陸の崩落が預言から外れているとは言い難いことに気付いてしまった。ルグニカの大地は戦乱に包まれ、マルクトは領土を失う───崩落すれば、領土は失う。
ボクが思っているより預言というのは、解釈の余地が残されているものなのかもしれない。ふと、ティアが囁く。
「───ローレライの力を継ぐ者って、誰のことかしら」
「ルークに決まっているではありませんか」
「だってルークが生まれたのは七年前よ」
「今は新暦2018年です。2000年と限定しているのだから、これはアッシュでしょう」
大佐の解釈が正しいと思う。
問題は実際に「ルーク」として鉱山の街へ行って崩落させたのは、ここにいるルークだということだ。しかもどちらの「ルーク」も消滅していない。
これについて立てられる仮説は三つだ。それをボクは口にする。
「一つ目はどちらの『ルーク』でも預言にとっては変わらないってこと」
「……アッシュでも俺でもいいってことか」
「二つ目は?」
「まだこの預言が履行されていないという可能性。ND2018はまだ終わってない。これから類似した状況に出くわすかも」
「そんな……!」
「三つ目は───ルークの存在が預言から外れたものかもしれないってこと」
ボクはどの説も有り得ると思う。だが一番根拠がありそうなのは最後の説だと思う。───レプリカは、預言に詠まれない。
「それってつまり……俺が生まれたから預言が狂ったって言いたいのか?」
「……ルーク?」
どこか暗い声にティアが訝しむ声を上げる。ボクはそれを意識の端に受け取りながら、考えを巡らせていた。
ユリアの預言が解釈の幅を広く持つものなら、預言から外れることは非常に難しいことだろう。ヴァン謡将が行き過ぎなくらい壮大な計画を立てるのも分からなくはない。
(ボクは預言を「最も可能性の高い未来史」だと思ってる。そこに解釈の余地が───強制力に等しい収束があるなら、それは避けられない未来と変わらない)
だがそれは「何をしても変わらない」ということとイコールに成り得ないと思う。
例えば人が自死を選んだとして、死なない運命にあったら幾度望んでも救われるのだろうか。どれ程入念に準備をしても助かる命───そんなもの不死に近い。
それとも死なない運命にあれば自死を選ぶことが、そもそも有り得ないことなのだろうか。それなら人の意志までも預言は支配していることになる。魔弾のリグレットが言ったように。
(そんな世界望まない)
ボクは預言の支配を望まない。自身の意志を、人の意志を信じている。もし預言が人の意志を侵すというのなら───ボクの被験者の預言が、ヴァン謡将の目的の鍵と成り得るのなら。
知りたいと思った。被験者でもレプリカでも預言にとって変わらないなら。解釈の幅が数多あるのなら。レプリカなら預言の支配から逃れる可能性があるというのなら。きっと、その預言で何かを変えられるのはレプリカであるボクだけだ。
手を伸ばし、譜石に触れる。詠めると思ってなどいない。ただ望むものに手を伸ばして願っただけだ。だが結果は、ボクの想定とは違う形で現れた。
「……え、」
「譜石が……光ってる!?」
アニスの言葉の通りだ。ボクの触れた譜石が第七音素の光に包まれている。共鳴するようにボクの体も同じ光に包まれていて、それは先程テセの身を包んだ現象と同じだ。
その状況にボクは閃いてしまう。もしかして詠めるのではないか、と。
「どうして……譜石は導師以外には反応しない筈よ」
「……アリア……手を、離して」
テセが顔を上げ、苦しそうにしながらボクへ願う。でもボクはその声を聞いていなかった。否、聞こえていたが無視した。人の意志を嗤うモノを許さないための手段を手にしたくて。
共鳴する第七音素に同調すれば、数多の情報がボクの脳を焼こうとする。それを無視し、目指すは一つの預言だ。ND2002───ボクの被験者が生まれた年の記述。
ND2002
星の記憶を綴る者、レムの光の下に誕生す
其は盟約の血脈に生まれし希望の祈りなり
祈りはやがて約束の時に捧げられ
失われた福音に、春を告げる花と代わろう
「───アリア!」
その記述が脳を焼くと同時に、酷い眩暈がボクを襲った。倦怠感と気持ちの悪さが蝕み立ってなどいられない。段々と視界が白く染まり、四肢の感覚がどこかへ行く。
声が聞こえる気がするが判然としない。やがて呼吸すらしているのか分からなくなって。───急速に、ボクは意識を失った。
*****
ここは、どこだろうか。真っ白な世界で、そんなことを思う。
思うけれど、そこに体を感じない。見えているけれど、見ているのか分からない。聞こえているが、聞こえているのか分からない。相変わらず世界の境界は曖昧で、意識はぼんやりとほどけていくようだった。
その中で「声」が聞こえた。
『こんにちは。珍しいお客さんね』
誰、と問うように思えば、声は答える。
『私は貴女。オグドアスの一つ。テトラクテュスとも呼ばれるわ』
さっぱり分からない、と伝えれば、声は笑った。
『ごめんなさい。私もよくは知らないの。ただ、私達はそういう存在なの』
声はそう言うと、話を続ける。
『ここはプレーローマに通じる道。貴女はまだ、ここへ来るには早いわ』
その言葉と同時に、意識と認識しているものまで曖昧になる。この空間から遠ざかろうとしているのだと気付いて、待ってと願う。けれど、その意思が叶えられることはなく。
『どうか、私達の片割れを愛して』
声は最後にそう祈り、意識は再び途切れた。
*****
次に目を覚ました時、ボクは知らない天井を見上げていた。白を基調にしたデザインにはどこか覚えがあって、ゆっくりと身を起こす。
「っ……」
くらりと視界が揺れて頭を押さえる。吐きそうなくらい気持ちが悪い。速くなる鼓動と浅い呼吸を落ち着けようと、深呼吸を繰り返す。そうして少しばかり時間を掛けて慎重に目蓋を上げた。
(……知らない、部屋)
それは綺麗に整頓された部屋だった。白を基調とし水色を要所に差している。ボクが寝かされていたのは天蓋付きのベッドで、身分の高い人の私室だろうか。どうしてそんな場所でボクが寝かされていたのかは見当もつかない。
(ボクは……ユリアの預言を詠んで。それで……)
倒れてからどうなったのだろう。倦怠感は相変わらずで四肢の感覚も遠い。視界はホワイトアウトこそしないが眩暈のせいで役に立たないし、動ける気もしない。不調のレベルがとんでもないことになっている。少し預言を詠んだだけでどういうことか。
(……ユリアの預言が詠めた)
第七音素を扱えるのだから詠めること自体はおかしくはない。問題は欠片に過ぎない、導師しか詠めない筈のそれが詠めたということだ。自分でやっておきながら全く意味が分からない。ただでさえ理解不能の状況なのに体調不良も相まって、脳が悲鳴を上げる。
一先ず思考を投げ出すとゆっくりとベッドから抜け出した。
(現状を、理解しないと)
難しい考え事は今出来なくてもいい。大切なのは現状を把握して行動を起こすことだ。体調が悪いからといってのんびりしていて良いとも限らない。無理矢理に体を引き摺り、この部屋唯一の扉へ向かう。
扉は予想通り鍵が掛けられていて、開けることは叶わない。蹴破る元気もないし、窓から抜け出すには一階の景色でもない。今の体調では自殺行為だろう。
仕方なく部屋の中を調べる。と言っても、あるのは服や身の回りの最低限の物だ。この部屋の主が女性らしいことしか分からない。
クローゼットの中にある箱に眼が留まる。何となく、部屋に初めからあった物には思えなかった。統一感のある中で、その箱だけが違和感を持っている。導かれるようにそれに触れ、蓋を持ち上げる。中から出てきたのは───沢山の思い出だった。
種類は問えない。スノードームのような置物であったり、絵本や古書であったり、譜面のようなものもある。髪飾りや耳飾りなどの装飾品もあり、花をあしらわれたオルゴールなんかもあった。統一されたこの部屋の中で、仕舞い込まれた明らかな「異物」。この部屋に初めからあった物ではない。この部屋の主が後から足した物。だから思い出だと思った。顔も知らない女性の、思い出達だ。
「………………」
勿論、どうすることもない。ただそれがなんとなく気になって、つい眺めてしまった。どれも綺麗な状態で、大切にされていたのだろう。仕舞い込まれたのは何故だろう。暫くして、元に戻す。
出来ることが見付からない。抜け出すなら、まだ扉をどうにかした方が現実的だろうか。真っ直ぐ歩くのも難しい体を引き摺って、再び扉へ向かう。そうして目の前に立って───急に扉が開かれた。
「わ!?」
突然のことに驚く。慌てて避けようとして、足が縺れて体が傾いだ。倒れる、と予感して体を固くしたが、何かに受け止められて備えた衝撃はなかった。
そろそろと目蓋を持ち上げれば、千歳緑の瞳がボクを見下ろしていた。嘴型の仮面の下から僅かに覗く、呆れたような、眼。
「……シンク?」
「───何してるの、アンタ」
何してる、はボクの言葉だ。どうしてここにシンクが現れて、転び掛けたボクを助けてくれているのか分からない。ボクの体を支えてくれていたのは彼の腕だった。戸惑っていれば壁際に座らされて、水差しから飲み水が持って来られる。
「飲め」
「……ありがと」
状況が理解出来ていないが、礼を告げて喉を潤すことにした。冷たさが喉を滑り落ちていき、少しだけ生きた心地がする。改めて、シンクに問い掛けた。
「ここ、どこ……?」
「ダアトの教会だよ。アンタ、モースに軟禁されたんだ」
「……そう」
ということは、ルーク達も何事もなかったとは言えないのだろう。ボクを連れて逃げられなかったのだから。無事に逃げ切れていればいいのだけど。
「ルーク達は……」
「さぁね。僕も今戻ったところだから、知る訳ないよ。そんなことより自分の心配でもしたら?」
その声の調子がなんとなく、自分の体を労らないボクを責めているようで、頭がぼんやりしているが故の錯覚だろうと思う。
「……シンクは、なんで来たの?」
「………………」
簡単に返事があるかと思えば、意外なことに彼は暫く黙りこんだ。どうしたのかと仮面を見詰めるが、答えない。ただ、質問を投げ掛けてくる。
「体の調子はどうなの?」
「何もしたくない……」
答えれば、大きめの溜め息を吐かれる。それからコップを奪うとその辺に置き、今度は体を引かれた。肩に担がれたのだ、と気付いた時には遅い。どこから取り出したのか、長い袋に詰められる。抵抗の余地もない。
「ちょっ……」
「吐いてもいいけど、騒ぐのだけは勘弁してよ」
そのまま再び担がれたようで、何が何やら分からない。音しか分からない中で、部屋から連れ出されたことだけ理解する。
揺れで気持ち悪さが加速するが、吐けば袋の中が惨事になる。せめて気持ちを逸らそうと数を数えていると、いつの間にか時間が経っていたらしい。
揺れがやんで下ろされ、袋から出される。そこは───再び知らない部屋だ。教会、もしくは神託の盾本部のどこかだろうとは思うが、当然の如く全く分からない。
部屋は全体的に濃い茶の色と深緑で誂えられている。物は先程の部屋より少なく整頓されており、シンプルな印象を受ける。
「どこ……?」
「隠し部屋」
短く答えられる。どういうことかと問う視線を投げるけれど無視される。ただ体を支えられ、ベッドへと移された。
「休みなよ。無理されても面倒だ」
「でも……」
「黙らせてやろうか?」
「……おやすみなさい」
寝る意思を伝えれば、シンクはベッドから離れソファへと移る。そこで休むつもりのようだった。
気持ち悪さが離れ、ふわふわする頭でゆっくりと思考する。よくは分からないけれど、助けてくれた……のだろうか。少なくとも大詠師の軟禁からは連れ出してくれた。ヴァン謡将の命令、なのだろうか。
ソファに横になる姿を閉じかけの目蓋越しにぼんやりと眺める。そこにいるのは監視が目的か。監視しなくたって逃げ出す余裕なんてないのだが。
(……もう、ダメ)
意識が薄らぐ。預言を詠んだ結果、体内音素が一気に失われたのだと思う。ボクの体は封印術もどきのお陰で一気に音素を取り戻すことが出来ない。だからゆっくりと取り戻す時間が必要で、そのために眠ろうとしているようだった。
強い睡魔に抗わず、ボクはそのまま意識を手放すことにした。
*****
二度目の目覚めは快適なものだった。体の怠さや吐き気のようなものはなく、体を起こしても眩暈はない。四肢の感覚もしっかりし、頭もスッキリしていた。
どれくらいの時間ボクは眠っていたのだろう。疑問に思いながらベッドを抜け出して、眠る前に見た姿を捜してソファへ向かった。果たして───そこには、眠りに落ちている姿がある。
黒い服に千歳緑の鶏冠髪……シンクだ。いつも目元を隠している嘴型の仮面は外されていて、妙な感じだ。起きている時のような不機嫌さはなく、あどけない寝顔が物珍しい。
(……起きないんだ)
もしかしたら疲れているのかもしれない。ボクが倒れてからどれくらい経ったのか分からないが、その間ソファを使っていたなら満足に休めてはいないだろう。少し申し訳ない。
顔を覗き込んでそんなことを考えていれば、不意に目蓋が持ち上がった。千歳緑の瞳と眼が合う。それは時間にしてほんの数瞬で、驚きに眼が開かれ声が上がる。
「なっ……!?」
「わっ」
急に飛び起きられてこちらもびっくりした。正面衝突する距離にはなかったが、反射的に身を引いて尻餅をつく。その隙にシンクは机の上の仮面に手を伸ばし、目元を隠してしまった。
「何してるんだ、アンタ!」
「ご、ゴメン」
言い訳の仕様もない。流石に不躾だったと反省して即座に謝罪する。ボクが立ち上がると、シンクはソファに座り直して息を吐く。それから胡乱気に問われた。
「……で?」
「で?」
「体の具合を聞いてるんだよ。そんなことも言わなきゃ分からないの?」
「あ、はい。快調です」
不機嫌そうな声に思わず敬語になりながら答える。回答を聞くと彼はもう一度溜め息を吐いた。───それがどこか安堵して聞こえたのは、都合のいい耳だっただろうか。
「良くなったならさっさと出てってよ。一週間もベッドを占領されて迷惑してたんだからさぁ」
「一週間も? てか……」
その口振りでは何事もなくボクを帰してくれるように聞こえる。ヴァン謡将の命令でボクを拘束する必要とかあるのではないだろうか。問えば、シンクは肩を竦めた。
「僕がアンタを連れ出したのはヴァンの命令じゃない。アンタを拘束する気もないよ」
「え……じゃあ、助けてくれただけ? なんで?」
「……さぁ? 自分で考えてみたら」
放り出すように言われてしまい、困惑する。彼がボクを助けることに利はない筈だ。ヴァン謡将の目的とも関係ないなら、何の予測も立てられない。
暫く頭を悩ませて、ボクは考えることをやめた。分からないことに時間を費やすより、今という機会を活かすべきだ。身を返して、向かいのソファへ腰を下ろす。シンクから怪訝に思う声が飛んできた。
「……さっさと出て行けって言った筈だけど」
「折角だしちょっと話そうよ。聞きたいこともあるし」
「僕にはない」
「ボクにはあるの」
強硬な姿勢を示せば何度目か、諦めたように息を吐いた。強行手段に出るつもりはないらしい。頭の中を整理する。
「えっと……ルーク達と来て、預言を詠んで倒れたんだけど……」
「……預言を? アンタ、ユリアの預言を詠んだって言うの?」
「うん。ヴァン謡将がボクの被験者の預言の話をしてたから、知りたくて」
素直に答えれば、仮面の下で眉でも寄せてそうな声が向けられる。
「……どういうこと? アンタに導師の力があるって?」
「そうなるかも」
「……なるほどね。モースがなんでわざわざ養女にしたのかと思ったけど、その力が目的だった訳だ」
どういうことか問えば、元々導師は死ぬ予定だったことを指摘される。今の導師はレプリカで、作った理由は被験者が死に至る病に冒されたから……フォミクリー技術を頼らなければ、本来その座は空席だ。そこに新たな導師として据えるつもりだったのではないか、というのがシンクの予想だ。
「導師の代役かぁ……レプリカだろうと被験者だろうと、変わりないね」
「使えるものは何でも利用するのが人間だろ。利用されたくなければ使う側になればいい」
「簡単に言うなぁ」
でも正しいと思う。他者の価値が万人に等しいとは思わない。利用されたくないなら……利用させたくないなら、相応の振る舞いを自分がするしかない。時にそれは権力であったり、地位を得ることに結び付く。
それはさておき、気になるのは「アリア」に導師の力があることだ。導師は各時代に一人きりで、預言にその存在を詠まれて選び出される。だが「アリア」の預言には導師を指す文言がない。預言に選ばれた導師ではなく、まるで力を持ったのがイレギュラーであるかのように。
どういうことだろう、と首を傾げていれば預言の内容に触れられる。
「それで、アンタの被験者の預言っていうのはどういう内容だったの?」
「ヴァン謡将から聞いてない?」
「ヴァンは道具に必要以上の情報は与えないよ」
そう言われれば何だか癪で、ヴァン謡将にとってはシンクはただの道具なのだろうかと考えてしまう。だとすれば、ボクは好感を抱けない。レプリカだって意志持つ「人」だ。意志を軽んじる考えは好まない。
反感から教えてしまおうという気になる。内容を聞けば、信憑性を疑う言葉を掛けられてしまった。
「……抽象的過ぎるんだけど。これホントにユリアの預言?」
「その筈だけど……」
シンクが疑うのも分かる。ユリアの預言以外は詠み解くのが難しいと言われる程で、裏を返せば意味が分かりづらい預言は珍しい。改めて考えてみても、解釈に頭を悩ませる内容だ。
「これをヴァン謡将はどう解釈したんだろ……」
「それは知らないけど、ヴァンが何に反応したかは分かる。『星の記憶を綴る者』だ。星の記憶は預言を指す言葉だからね」
曰く、預言というのは星の記憶を言語化したものという認識らしい。星の記憶はそのまま、星が記憶する世界中の出来事を指す。つまり、この星は始まりから終わりまでを全て記憶し、その通りに世界を動かしているのが預言という話だ。
「それって、未来は決まってるってこと?」
「僕らはそう考えてる」
否定は出来ない。預言への解釈の余地がある程度の強制力を示すなら、預言による未来は変えられないのではないかと考えたから。でも反面で、ボクの考えは「最も可能性の高い未来史」だ。でないと人の意志が無意味になってしまう。
「……だからリグレットは人の意志と自由のためって言ったんだね。君達は預言によって人の意志が無意味になってると思ってる。従うからじゃなく、初めから」
「そういうこと。どう? 自分の生まれた理由も、死に行く理由も預言に決められる気分は」
シンクは滑稽だと言うように嗤うけど、ボクは同じ考えになれない。預言に詠まれていない事象は既に起きているし、それは人の意志によるものだ。いずれ強制力が働くとしても、影響が全く出せないものだとは思わない。───人の意志は、星の記憶に影響する。
「……ボクの意見は君達とは違う。そこまで聞いても、星の記憶は絶対じゃないって思う」
「こっちにつく気はないってこと?」
「うん。ルーク達も生きてたし、君の誘いを受ける理由はないかも」
答えながら変な関係だと思う。ヴァン謡将はボクを牢に捕えて、シンクはボクを勧誘して、ボクは敵の筈の彼と向かい合って話している。普通に考えたら有り得ない。
今の状況を作ったのはシンクで、やっぱり真意が気になる。本人に教える気がない以上、知ることは出来ないが。
「……そう」
シンクの声が僅かに残念そうに届いて「あれ?」と思う。ヴァン謡将側につかないことを残念に思ってくれるのだろうか。もしかして、と考えてしまう。
(……もしかして、関係してって言葉、響いてる?)
そんなまさかと思うが、そう考えれば現状にも理解が進む。ボクの言葉が届いていたから牢も訪ねてくれて、今も助けてくれたのなら……ボクとシンクの関係は悪くないのではないだろうか。少なくとも、お互いの目的が対立しない限り。
(まぁ、対立してるのと一緒なんだけどね)
シンクは預言を消したくて、消してくれるなら誰でもいいと言った。対してボクはルークの側で、ヴァン謡将の無茶苦茶な計画を止めようと動いている。預言を消す方法がヴァン謡将の計画以外にあるならまだしも、提示出来ないなら敵同士だ。
この関係は不毛であると言われれば、それもそうだと思ってしまう。そもそもボクは何故彼に「関係して」などと言ってしまったのか。あの時の激しい怒りの理由は今も分からないままだ。
息を吐いて、シンクは話を変えた。
「なら、ここに長居はするな。僕の気が変わらない内にさっさと立ち去れ」
「……分かった。でもルーク達がどこにいるか分かんないと動きようがなくて」
「ルークレプリカ共ならバチカルだよ。大立ち回りをして逃げたって話だ」
「バチカルに?」
一週間前には聞いても分からないと返った問いに明確な答えがあって少し驚く。敵対関係にあるから動向を調べたのか、ボクが目覚めたら気にすると思って調べてくれたのか。まぁ前者だろう。そこまでボクもお花畑じゃない。
聞けば、大罪人として断罪するために大詠師に送り込まれたらしい。そこから命からがら逃げ出して、今は行方が知れないという話だ。
アルビオールの飛行機能も浮遊機関を取り外して奪われたらしく、となれば外殻大地を陸路でしか移動出来ていない筈だ。ケセドニア方面は崩落しているし、西のベルケンドやシェリダンの方へ向かったと考えるのが自然だ。
方針が決まって、感謝を述べる。
「ありがと。シンクのお陰で迷わずに済みそう」
立ち上がり、ぐいと体を伸ばす。寝過ぎて鈍っていそうだが、快調には違いない。
シンクもまたソファから腰を上げた。扉へ向かい、手を触れるとそこに譜陣が浮かび上がる。それは導師の私室に繋がる譜陣に似ていて、ここがどこかから飛んで来る場所なのだと理解した。黒手袋の手が差し出される。
「外に出るまでは案内してやるよ。今更モースの部下に見付かっても萎えるからね」
「ありがと。お世話になります」
このまま、シンクはボクを閉じ込めておくことだって出来る。でも実際には手を差し伸べ、外へ連れて行ってくれようとする。どうしてなのか、きっと彼は教えてくれない。だから今は、黙ってその手を掴むことにした。
いつか……敵同士でない時間がくればいいと思いながら。