外殻と崩落


 出来ることのない牢での時間は退屈そのものだった。なるべく体を動かして鈍ってしまわないようにするが限度はある。早いところ牢から抜け出したいが、音素を拡散させる首枷がある限り強行突破は望めない。

 シンクはボクの監視役としてか、それともボクの「関係して」という言葉が効力を示せているのか、一日に一回は牢に姿を見せた。その度些細な軽口を交わして、何でもない話を繰り返す。

 神託の盾に入ってからどんなことがあったかや、六神将になってからのこと。そもそも師団長は普段どうしているとか、参謀総長の役割なんかも興味深かった。シンクは尋ねれば案外答えをくれて、ボクもまた自分の話をする。

 師に拾われてからどうしてきたか、何でも屋という生業。どんな仕事があって、どんな出来事があって、その度何を思って何を選択してきたか。そんな何でもない旅人の話。

 彼の方はボクの話を適当に話を聞き流しているようだったけど、特に不満はない。退屈凌ぎに付き合ってくれるだけ御の字だし、こうして時間を重ねる内に「関係している」ことになるかもしれない。望むところだ。

 段々と彼との会話が自然になっていく。シンクと話す時間以外が退屈すぎて、ついあれこれと話し込んでしまった。

 そんな風にゆっくりと時間は進んで、ある日ボクは思い出したようにその話題を振った。

「シンクって、ボクの被験者と面識ないの?」

「ないよ。僕が神託の盾に入った時には研究施設の事故は起きてたし、それでなくともアンタの被験者は意識がなかったって話だ。僕が顔を突き合わす機会なんかなかったよ」

「そっか……」

 期待が外れて少々残念だ。てっきり面識があるものだと思っていた。コーラル城で「アリア」の名を呼んだ時、そこに複雑な感情を感じ取ってしまったから。

 シンク曰く、被験者のアリアのことは資料でしか知らないらしい。何故顔を知っていたのかとも思うが、肖像画でも残っていたのだろうか。

「被験者は死んだんだよね?」

「十中八九ね。アンタみたいに逃れてる可能性もあるけど、不治の病が治る奇跡でも起きてない限り生存の可能性は低い」

「被験者の導師イオンも病死なんだっけ」

「ああ。同じ病だったって話もある」

 なんだか奇妙な話である。衰弱して体の機能が衰えていく病だったらしいけど、同じ時期に二人も罹患するものなのか。しかも、どちらもがレプリカを作られている。妙な符合が意識の端に引っ掛かる。

「イオンは導師だからいいとして……ボクの被験者って何者だったの? 大詠師の駒だったっぽいのは理解してるんだけど」

 バチカルで大詠師と話した時のことを思い出しながら問う。返ったのは想像の外の答えだ。

「モースの養女だよ。被験者の導師の婚約者でもあった」

「え」

「勿論公にはされていない。被験者もレプリカも失われて、無かったことにされてる。七番目も知らない筈だ」

 七番目、というのはテセを指す言葉らしい。導師の代替品として作られた七番目だから「七番目」───シンクは六番目らしい。

 研究施設の事故がなかったら、ボクは被験者の居場所を引き継いでいた筈だ。つまり大詠師の養女でテセの婚約者。今とのギャップが大きすぎて頭が追い付かない。

「……逃れられて良かったかも」

「なんで。七番目が嫌いなの?」

「いや好きだけど。でもそれとこれは違うじゃん。婚約者は荷が重すぎるよ」

 ロクな教育も受けていない流浪の民には遠すぎる単語だ。貴族の育ちならまだしも、急にそんな役目を課されても担える気がしない。しかも、相手が教団の最高指導者ともなれば尚更だ。

 今のボクは旅が好きな無責任な人間だ。今更そんな場所に押し込まれるのは辟易してしまうし、やはり大詠師に連れ戻される展開は避けたい。テセも、急に婚約者が出来たって困ってしまうだろう。

「にしても……導師の婚約者だからアリエッタが存在を知ってたんだ」

「あいつはアンタを被験者だと思い込んでる。それどころか導師も生きてると信じてるんだ。カワイソウにね」

 口の端を歪めて嗤う。聞けば、ヴァン謡将がアリエッタを利用するために伏せているらしい。ルークの件といい、中々酷いことをする。目的のためなら手段を選ばないのは、当然と言えば当然かもしれないが。

 もしかすると真実を知ったアリエッタが耐えられないと思ったから、なんて可能性もあるが真意は知れない。

「アリエッタって、今どうしてるの?」

「命令無視で謹慎になってる。出てくるのは当分先じゃない?」

「んー、そっかぁ……ボクもそんなに長居するつもりないし、話は聞けなさそうかな……」

 呟くと、シンクは少しだけ間を空けて、わざとらしく意外そうな声を出した。

「へぇ。ここを出て行くつもりあったんだ。てっきり居心地でもよくなって、棲みつくつもりなのかと思ってたよ」

「流石に日光は欲しい」

 こんな暗い場所に住んでいたら種族が変わってしまいそうだ。およそ人間が普通の生活を送るには適さない。長居したところでヴァン謡将に利用されるだけだし、良いことはなさそうだ。だが逃げる算段はついていない。

「シンクが手伝ってくれたりとかは……」

「本気で言ってる?」

「……いいえ」

「よかった。もしもアンタが下らない勘違いをするバカなら、余りのバカさに二度とここへ来たくなくなるところだったよ。バカが感染る」

「空気感染だから既に感染ってると思う」

「僕はアンタみたいなバカじゃない」

 ぴしゃりと切って捨てられる。この数日の内に彼の中のボクの評価はバカになってしまったらしい。特にバカみたいな発言をした覚えはないのだけど。名誉毀損だ。

 とにかく手助けは望めそうにない。牢に入れられて一週間以上は経ってしまっているし、いつまでものんびりはしていられない。なんとか算段をつけなければと思っていれば、シンクから問いを受ける。

「ここを抜け出してどうするつもりなの?」

「んー、とりあえずはルーク達を探すよ。生死不明って話だから」

「魔界に落ちたんだよ。死んだとは思わないの?」

「その可能性も考えてる……というか、そっちの方が高いだろうね。でも、一旦は生きてる方に賭けるよ。大佐の依頼も終わってないし」

 答えれば「依頼、ね」とシンクは囁く。仮面越しの呟きにどんな感情が乗せられているのか、ボクには分からない。ただ続く言葉を待てば、彼は思いもよらぬ問いをボクへ掛けた。

「もしルークレプリカ達が死んでいて依頼が不要になったら……アンタはどうする?」

「どうって……」

 じっと仮面越しに見詰められる。どうと言われても、依頼がないならフリーだ。ボクがどうするかはボクが決められるし、どこへ行くにも自由。そんなことは問うまでもなく、シンクが何を聞きたいのか分からない。

 困惑する視線を向ければ、シンクは言葉を重ねた。

「例えばアンタにこっちの手伝いを依頼したら、引き受けるワケ?」

「………………」

 こっち───世界から預言を消すための暗躍の手伝い。正直興味はない。預言に従うだけの世界をつまらないとは感じるが、行動を起こして変えたいと思っている程ではない。見返りも、話が大きすぎて見合ったものが望めなさそうだ。

 考え込むボクにシンクは言葉を重ねる。

「アンタはアクゼリュスの消滅に構わなかった。一万人の命を捨てられるって答えられる。ヴァンの計画を進めるのに丁度いい」

「ヴァン謡将は一万人以上の犠牲を出そうとしてるってこと?」

「そうなるね。預言をこの世界から消そうとすれば、それだけの犠牲を伴うことになる」

 ヴァン謡将もシンクも口にする「計画」の一端。具体的な話は部外者の身で教えられる訳もなく、その手段も最終的な絵図も不明だ。分かるのは、その改革が今ある世界を大きく揺るがして変えてしまうような壮大な計画らしいということくらい。

 シンクはその話の流れでボクへ問う。

「アンタは預言をどう思う?」

「預言を……?」

 思い返す。人々が預言に頼りきりという話。楽な方へと流れてしまう。自ら考えず、それが預言の示した道だからと盲目的に歩く。コーラル城に整備士を助けに行って欲しいと願われた時も、アクゼリュスの崩落さえも。それで果たして、人々は「自分の意志で生きている」と言えるのだろうか。

「……好きじゃない。預言に詠まれてるからって何でもその通りにするって、あまりにも何も考えてないから」

 色々と想像し、引っ括めて答える。すると彼は口の端を上げた。その答えが飛び出してくることを期待していたように。「なら」とその手が差し伸べられる。

「こっちに来なよ。僕らの目的は預言のない世界の実現だ。達成すれば、アンタも預言に振り回されることはなくなる」

「………………」

 じっとその手を見詰める。どうしてこんな風に手が差し伸べられるのか分からない。預言は確かに要らない。頼ったこともない。それが人を盲目的にしてしまうなら良いものだとも思えない。でも、特別消したい訳でもない。ボクに彼らのような思想はない。

(……でもそれが依頼だったら、ボクは引き受けたかもしれない)

 仕事は報酬次第だ。この件に関してヴァン謡将がどんな報酬をボクに用意できるかは分からない。でももし見合った対価が用意されるなら、ボクは引き受けただろう。勿論、大佐からの依頼がなかったらの話だが。

 そもそも、とボクは自分の首にかかった枷を指差した。

「ボクに、選択肢なんてないと思うけど」

「……まぁね。このままだとアンタはヴァンにただ使われる。それくらいなら、自分から協力した方が自由はあると思うよ」

 シンクは差し伸べた手を下ろす。分かっていてわざわざ提案したのは何故か。ボクが一方的に使われようが、自分から彼らに協力しようが些細な差だ。その筈なのに、この提案が彼にとってどんなメリットのあるものなのか。

 もしかすると少しでもマシな選択肢だと思って提示してくれているのかもしれない。それはボクのためである可能性すらある。シンクに利のある話には特に思えないから。

 何だか変な話だと思いながらも「うーん」と唸って答える。

「一応考えてみるけど……でもそれはルーク達が死んでた場合の話だよ。一度引き受けた依頼は放り出したくないから」

「好きにしなよ。ただ、生きたいなら賢い選択が何か、よく考えるんだね」

 忠告めいたことを言ってシンクは牢を立ち去った。

 どうしてそんなことをわざわざ言ってくれるのか分からないが、状況だけ見れば有難い申し出ではあるのかもしれない。このままでは明日をも知れぬ身だ。

 実際、協力を約束すれば待遇は改善されるだろう。地下牢に閉じ込められることもなくなるし、最悪死ぬような事態は避けられるかもしれない。わざわざそんな提案をしたくらいだし、シンクの方からヴァン謡将に渡りをつけてくれるのだろう。その結果は、ある程度信頼出来る。

 ルーク達への義理と、何でも屋としての矜持と、現実的な選択肢。頭を悩ませる難題が、唐突に目の前に提示されてしまった。










*****










 状況は、それからすぐに動いた。ボクの捕まっている牢をぶち抜く存在が急に現れたのだ。

 それは謹慎処分になっている筈の桃色の少女───六神将・幼獣のアリエッタ。彼女はライガの巨体に乗って、鉄格子を体当たりで壊してしまう。

「アリエッタ、なんで……」

「アリア! 早く乗って……!」

 八の字の眉を寄せて必死に願われて、決断する。こんなチャンスは二度とないし、もたもたしていてはシンクに気付かれる。

 ライガの背に飛び乗ると、アリエッタの華奢な体に腕を回して体を固定した。

「掴まってて……!」

 ライガが乱暴に駆け出し、地下牢から飛び出す。駆け付けてきた神託の盾兵を跳ね除けながら、厚い絨毯の敷かれた天井の高い廊下を駆け抜ける。

 魔物の速度での移動は速く、余計なことをして舌を噛みたくはない。ぎゅっとアリエッタの体に抱き着きながら大人しく運ばれる。風になったようにあっという間に通り過ぎる風景に眼が回りそうだ。

 やがて正面玄関をぶち破り、ダアトの街へ飛び出す。初めて見る街並みだったが、ゆっくり見るような余裕は勿論ない。一般人を器用に避けて大通りを駆け抜けると、あらゆる景色を置き去りに街をも飛び出した。

 街を出てもライガは足を止めず、やっと停止した時には街を一望出来る程離れた丘へとやって来ていた。随分駆けたもので、慣れない騎乗に手足から血の気が引いてしまっていた。生身で体感するにはちょっと怖すぎる経験だった。

「ここまで来れば……大丈夫……」

 言って、アリエッタはボクを降ろす。ライガの背に乗ったままの少女を見上げれば、安堵したように頬が緩められる。それは……被験者へ向けられる筈の表情だ。良心が痛むくらいの心はボクにもあった。

「アリエッタ。こんなことをしたら、君は……」

「いいの……アリエッタはアリアの味方。それが総長でも、変わらないから……」

 はにかんで、役に立とうとしてくれているのが伝わる。これ程慕われていたとは、ボクの被験者は人格者だったのだろうか。アリエッタに真実も告げず好意を利用しているボクとは雲泥の差で、ちょっと合わせる顔がない。

 アリエッタはぽつりと口を開く。

「ここで待ってれば……会えるから」

「……誰に?」

「アリアを総長から護ってくれる人。アリエッタはあの人達が嫌いだけど……今はこれしか出来ないから」

 ぎゅうと不気味な人形を抱いて、眉を下げると体を小さくした。顔に苦渋の選択なのだと表れている。

 護ってくれる人と聞いて心当たりはないが、その眼にあるのはボクを案じる色で信じられる。名残惜しそうな視線に、ボクは別れを告げる前に問う。今こうしていられる内に、聞いておきたかったから。

「アリエッタはどうしてヴァン謡将に協力するの?」

「……約束してくれたの。アリエッタに故郷を返してくれるって」

「故郷を……?」

 眉を寄せる。

 彼女は戦争孤児で、故郷はホド島の消滅と共に津波に呑まれて消えてしまった筈だ。沈んだ土地をどうやって渡すというのか。軽い混乱を覚える前で彼女はボクに願う。

「アリア。イオン様を……お願い」

「───うん」

 アリエッタはテセが……導師イオンが生きていると信じている。病で死した二年前も、アクゼリュス崩落に呑み込まれた今も。その健気な意志を受け取って頷く。頷く以外のことは、安易に選べなかった。

 ライガの巨体を翻し、ダアトの街へ戻って行く。その背を見送りながら胸中は複雑だ。本当のことを伝える日が怖い。

(……とにかく、今は待ち人だ。アリエッタを信じて少し待とう)

 旅でダアトを訪れたことがなくとも、地図で大体の地形は把握している。今いる場所は第四石碑のある丘で、ここから西へ進めばダアト港がある。自力でダアトを離れようとすれば出来なくもないが、ボクはボクを助けてくれた少女の言葉を信じることにした。

 少なからず期待を抱いて待てば……やがて丘へ人がやって来る。石碑の陰に隠れ、様子を伺った。

「追手は来ないみたいだな」

「公の場でイオン様を拉致するような真似は出来ないのだと思うわ」

「でもぉ、この後どうしますかぁ? 戦争始まりそうでマジヤバだし」

「バチカルへ行って伯父上を止めればいいんじゃね?」

「忘れたの? 陛下にはモースの息が掛かっている筈よ。敵の懐に飛び込むのは危険だわ」

 聞こえてきた声は覚えのあるものだった。消息が知れなくなって一週間以上……一人も欠けることなく揃っているようで、悪運が強い。アクゼリュスの崩落からよく生き残ったものだ。

「残念ですが、ティアの言う通りかもしれません。お父様はモースを信頼しています」

「私はセントビナーが崩落するという話も心配ですねぇ」

「それなら、マルクトのピオニー陛下にお力をお借りしてはどうでしょう。あの方は戦いを望んでおりませんし、ルグニカに崩落の兆しがあるなら陛下の耳に何か届いているのでは」

 会話を聞く限り、彼らも戦争を止めようと動いているようだ。セントビナーの崩落は初耳だけど、ヴァン謡将がアクゼリュスを崩落させたことを思うと「次」があっても不思議はない。

「よし、じゃあ決まりだな。でもマルクトへ行くのに船はどうする?」

「アッシュがタルタロスをダアト港に残してくれました。まずは港へ向かいましょう」

「アッシュが……分かった。港は北西だったよな。行こうぜ」

 ルークが皆の輪の中でちゃんと喋ってる……などと感動を覚えている内に、話がまとまったようだった。ボクも合流しなければと思いつつ、今更どんな顔で現れればいいのか困る。どうしよう、と思っていると大佐の声が耳に届いた。

「盗み聞きとは感心しませんね」

 ぎくり、と肩を震わせる。一体いつから気付いていたのか。伊達に戦場から生きて帰っていないなとうっかり思考した。

「追手か!?」

 警戒する声が聞こえ、空気が張るのが分かる。これはマズいと慌てて石碑の陰から飛び出した。

「待ってタンマ! 敵意はない、です!」

 精一杯主張しながら顔を上げる。そこに在ったのは、予想通り馴染みの顔触れだ。特に変わったこともなく、全員が五体満足に見える。

 強いて変化を上げるなら、伸ばしっぱなしだったルークの髪がバッサリ短くなってしまっていることだが……気持ちの変化でもあったのだろうか。

 とりあえずみんな元気そうだし、途方に暮れてもいない。ただ皆揃ってぽかんとした顔をしていて、何事かと思っていると眼が合ったルークがハッとして駆け寄ってくる。

「お前……アリアだよな!? 無事だったんだな!」

「え? あ、うん……」

 肩を掴まれ揺さぶられる。あんまり揺られると気持ち悪くなりそうなのでやめて欲しい。視界の端でティアが近寄ってくるのも見えた。

「心配したのよ、もう!」

「心配?」

 なんで?と問う前にガイが説明してくれる。

「アクゼリュスが落ちた後、あんただけが見付からなかったんだ。皆、あんたが死んだんじゃないかって深刻な顔してたんだよ」

 ああ、なるほど。その発想はなかった。確かに崩落後に姿を見なかったら死んだと思うかもしれない。ボクとは逆の立場からの発想だったという訳だ。

 自分が心配されているとは思っても見なかったが、ボクが死んだと思った彼らはどんな顔をしてくれたのだろうか。見られなかったのが残念だ。……と、ルークがすすり泣いていることに気付いてぎょっとする。

「る……」

「俺っ……お前のこと、死なせちまったんだと思って……!」

 それが───泣くほどのことなのだろうか。イマイチよく分からない。

(アレかな。見知った人間を殺した罪悪感ってのはちょっと特殊で、それから解放されたから安心したのかな)

 それならまぁ、分からなくもない。いや分からないんだけど、なんかそんな感じと想像することが出来る。

「……ゴメン。俺のこと止めようとしてくれてたのに……俺……」

「はいはいはい。いいよ、もう。起きちゃったことはしょーがない。あんまり泣かないの」

「なんだよ、子供扱いすんなよ……」

 髪を切って随分印象が変わったなと改めて思う。表情や言動に差があるように思えるけど、気のせいだろうか。それとも、それ程までに変わりたいと願ったのか。ついつい頭を撫でてやりたい衝動に駆られるけれど我慢した。

「えー? でも、本物ぉ? 案外しぶといね~」

「本当に。ご無事で何よりですわ」

 アニスがボクと同じ感想を溢し、ナタリアがよかったと言ってくれる。それらに適当に頷き返していると、大佐が口を開いた。

「一先ず、話はタルタロスに着いてからにしましょう。こちらとしても、時間は惜しい状況ですしね」

「オーケイ、大佐」

 頷き返して、歩き出す一行に続こうとする。お互い追手の心配があるようだし、さっさと動いた方がいいだろう。

 そう思ったボクの前に誰かが立った。顔を上げると千歳緑の瞳と合って、自然な所作で手を取られる。───フーブラス川でも渡された温かさだ。

「……信じていました」

 不意打ちの一言。その言葉と意志の固そうな瞳と裏腹に、声音には感情が押し込められて感じられる。握られた手にぎゅうと力が込められて、言葉より雄弁に彼の緊張を伝えた。

 ───不安だからこそ、信じていたというように。

「無事で良かった。本当に」

「……心配掛けてゴメン」

 謝罪が口を突く。心配されることは今でも分からない。でも今の彼とボクは友人で、ボクがいなくなることに不安があると伝えられてもいる。ボクの姿がなくて、彼が心配しなかったとは思わない。

 テセはゆっくりと首を横に振って、穏やかに謝罪に応える。

「僕こそ何も出来ませんでした。……すみません」

 テセが謝る必要はない。元々体の弱い非戦闘員なのだから、ボクを助けるなんて無茶を考えなくていい。あの時は相手がヴァン謡将だったし、テセに何かが出来たとも思わない。

 そう思うが彼は納得がいかないようで、少しの間沈黙する。どうしたものかと迷っていると、先を行っていたアニスが静寂を破った。

「二人とも~! 何してるの。早く早く~!」

「あ、うん。……テセ、今は行こう」

「……はい」

 表情は晴れないが、頷きはしっかり返る。

 繋がれた手は離してもらえず、手を引かれるようにして歩く。今のボクは首枷のせいで戦闘に加われないし、抵抗する理由もない。それでテセの気が安らぐのなら、それもいい。

(アリエッタは、ルーク達が来てるって分かってたのかな)

 でなければ、彼女の言動は成り立たない。ダアトの方から追われて来ていたし、把握していたのだろう。混乱に乗じてボクを連れ出してくれたのだろうか。ヴァン謡将と敵対しているという意味ではボクを護ってくれる人というのも分かる。

 今の幸運がアリエッタのお陰であることを改めて感じながら、ダアト港を目指して歩いた。










*****










 ピオニー皇帝陛下の力を借りるために、首都グランコクマへとタルタロスを動かす。その間に、簡単に何があったのかを説明した。

 こちらもルーク達側の話を聞く。ルークが自分をレプリカと自覚したこと、被験者であるアッシュが一時的に行動を共にしたこと、ベルケンドでレプリカの研究が行われていること、ワイヨン鏡窟でヴァン謡将がオールドラントの地表十分の一に値する大きさのレプリカを作ろうとしているらしいこと……ボクがただ牢でぐでだらとしている間に、大忙しだったらしい。

 特に驚きだったのは大佐がフォミクリー技術の生みの親であるということだ。関係があることはコーラル城やデオ峠での様子から察していたが、技術者だったとは。ボクが生まれたのは回り回って大佐のお陰とも言えそうだった。

 皆がダアトにいた理由の方は、大詠師が戦争を起こすためにテセとナタリアをダアトの教会に軟禁したことに端を発するらしい。二人に戦争を止められては敵わないから。

「預言のない世界、か……」

 ガイがぽつりと呟く。その顔は暗く、深刻に見える気もする。何か思うところがあるのかもしれない。

「でも、預言を消すなんて出来るのかな」

「預言を詠まないようにってことでしょ? 無理じゃないかなぁ。少なくともローレライ教団の威光がなくなっちゃう訳だし」

「もし仮に既に詠まれているユリアの預言を破棄出来たとしても……それに意味があるかは疑問が残るわ」

「そうですわね……預言に頼らない生き方など、きっと人も、国も忘れてしまいましたわ……」

 皆の表情は明るくない。思うところは分かる。ボクみたいに預言と関わりなく生きる人々もどこかにはいるだろうけど、それは圧倒的多数ではない。ヴァン謡将の希望を叶える世界は難しいだろう。

「グランツ謡将が、貴女を調べるように指示、ですか」

 大佐の呟きに彼を見ると、赤い双眸に無言で見詰められる。

 当然、自分がレプリカであることや封印術もどきのことは伏せて話した。プライベートなことで、わざわざ話すようなことでもない。預言のことには触れたが、内容はボクも知らないので何とも言えなかった。

 誤魔化すように苦笑を返せば、彼は仕方がなさそうに僅かに溜め息を吐く。

「アリア。その首枷は後で私が見ます。無理に外そうとしたりはしないで下さい」

「はーい。ありがと。助かるよ」

 依頼主に手間を掛けさせるなんて何もよくはないのだけど、頼る以外に選択肢はない。開き直って何とかしてもらおう。何となく、ディストが作ったものなら大佐が何とか出来る気がするし。

 今のボクらはアクゼリュスで死んだ筈の人間で、タルタロスも敵に奪われた筈の戦艦だ。端から見て信用など何もなく、不用意に首都に近付けば攻撃を受ける可能性もある。安全にグランコクマに入るため、ローテルロー橋に接岸して陸路から行くことにした。

 その前にダアトから北にあるケテルブルクへと少し寄り道をする。聞けば、大佐と知事が顔見知りらしく、急に首都へ向かうより話を通した方がいいという話だ。ついでにボクの首枷を見るということで、異論もなく。ボクらは一面の銀世界へと足を踏み入れた。










*****










 ケテルブルクは止むことのない雪景色の世界だ。前に師と来た時には、街よりも連れ回された雪山の印象が強かった。

 港に着いて早々、ここが大佐の生まれ故郷なのだと知り納得する。大佐の肌はやけに白いし、何となく北の生まれで違和感はない。

 港からケテルブルクへと移動し、大佐の案内で知事であるオズボーン子爵の元へと向かう。ケテルブルク知事邸を訪ね、女性に会う。少し明るい茶の髪が眼に留まった。

「……お兄さん!?」

 子爵が椅子から立ち上がり、大佐を見て声を上げる。……お兄さん?

「お兄さん!? え!? マジ!?」

 ルークの反応はとても素直なもので、ボクも心の中では似たようなものだ。この人間味に欠けた空気を纏う男に、妹がいたなどと。よく整った美人な顔つきが、二人の血縁関係を証明しているようだった。ぶっちゃけ、大佐の方が美人に見えて怖い。

「やあ、ネフリー。久しぶりですね。あなたの結婚式以来ですか?」

「お兄さん! どうなってるの!? アクゼリュスで亡くなったって……」

 やはり、死亡したものとして扱われているらしい。実はですね、と大佐が事のあらましを説明する。ネフリー知事は途方もない話を、なんとか飲み込んでくれたようだった。というか、もう飲み込むしかない程に噛む余地のない話になっているので飲み込んだ、という感じだ。

「念のためタルタロスを点検させるから、補給が済み次第ピオニー陛下にお会いしてね。とても心配しておられたわ」

「おや、私は死んだと思われているのでは」

「お兄さんが生きてると信じていたのはピオニー陛下だけよ」

 流石は皇帝の懐刀。よく理解されているし、信頼が厚いらしい。殺しても死ななそうだと思っているのはボクだけではないらしい。宿を取っておいてくれるということで、一度宿へ向かうことになった。

「あ、俺ネフリーさんトコに忘れ物した。行ってくる」

 大根役者というのはこういうものを指すのだろう。あんまりな棒読みに閉口してしまう。

 ガイやミュウがついていくと言うけど、一人でいいと言い張ってルークはホテルを出て行く。気にはなるけど、ここは観光の街で危険もないだろうし、眼を離しても大丈夫だろう。ボクはボクで首枷を何とかしてもらわないといけない訳だし。

 と、大佐に話を振ると、予想外の言葉が返ってきた。

「すみません。少し時間を貰えませんか」

「いいけど……どうしたの?」

「ついて来て頂ければ分かりますよ」

 とりあえず大佐にくっついてケテルブルクを歩く。やがて向かう先が知事邸であることに気付いて、ルークとネフリー知事の会話を気にしているのだと理解した。兄心かと思えば、心無し表情が固く見え、少し真面目な話なのかもしれないと思い直す。

 知事邸の前につき、「私はここで待っていますから」と送り込まれる。ボクに聞かせたい話らしい。中に入り込み、二人のいる部屋へ耳をそば立てた。聞こえてきたのは……大佐の幼少期の話だ。

「兄は、大切にしていた人形を壊してしまった私に人形の複製───レプリカを作ってくれたんです。フォミクリーの元になる術を編み出した時、兄はまだ九歳でした」

 「普通なら同じ人形を買うのに、兄は複製を作った。その発想が普通じゃないと思いました」とネフリー知事は語る。確かに一般的な発想ではないと思うけれど、特別おかしな発想だとも思わない。だって同じものを買ったところでそれは別物だけど、複製は正真正銘「同じ」ものなのだ。生物レプリカを除いた理論上は、だけど。

「……今でこそ優しげにしていますが、子供の頃の兄は、悪魔でしたわ。大人でも難しい譜術を使いこなし、害のない魔物達までも残虐に殺して楽しんでいた。兄には生き物の死が理解出来なかったんです」

 生き物の死……それを理解するとは、どういうことだろう。生きていれば皆死ぬ。当たり前のことだ。それはただそれだけの事象で、特別なことではない。

 ネフリー知事の言葉は少し難しくて、そう思うから大佐はボクに課題を出したのだろうか。自分の過去の話を聞かせて、ボクに何か変化があると思ったのだろうか。真意は分からない。

「兄を変えたのはネビリム先生です。ネビリム先生は第七音素を使える治癒師でした。兄は第七音素を使えないので先生を尊敬していたんです。そして悲劇が起こった」

 淡々と語るネフリー知事の声が、少し落とされる。その悲劇を悼むように。

「第七音素を使おうとして、兄は誤って制御不能の譜術を発動させたんです。兄の術はネビリム先生を害し、家を焼きました」

「殺しちまったのか!?」

「その時は辛うじて生きていました。兄は今にも息絶えそうな先生を見て考えたのです。今ならレプリカが作れる。そうすればネビリム先生は助かる」

 何も間違った発想だとは思わない。少なくとも、それが「物」であれば成功事例が既にあったのだ。そっくり同じものが復元出来ると知っていた。

 でも、生物レプリカは違う。ルークとアッシュは違うし、テセとシンクも違う。ボクだってボクでしかなく、被験者とは違う筈だ。大佐の目論見は外れていた。

「兄はネビリム先生の情報を抜き、レプリカを作製した。でも誕生したレプリカはただの化け物でした。ネビリム先生は亡くなり……兄は才能を買われ、軍の名家であるカーティス家へ養子に迎えられました。多分兄は、より整った環境で先生を生き返らせるための勉強がしたかったんだと思います」

「……でも今は生物レプリカを止めさせた。どうして?」

「ピオニー様のお陰です。恐れ多いことですが、ピオニー様は兄の親友ですから」

 皇帝陛下は幼少期をケテルブルクで過ごしている。その縁で結ばれた繋がりらしい。単純な懐刀という訳でもないようだ。でも、と躊躇うようにネフリー知事は続ける。

「本当のところ、兄は今でもネビリム先生を復活させたいと思っているような気がするんです」

「そんなことないと思うけどな」

 ルークの意見に賛成だった。大佐にそういう様子はない。フォミクリーを蘇らせたことに彼は本当に怒って見えた。ルークにレプリカであることを簡単には告げられないと振る舞っていたことだって、それが残酷だと理解していたからだろう。

 レプリカと本物は違う───ボクにだって分かるそれが、大佐に分からないとは思わなかった。

「私は、貴方が兄の抑止力になってくれたらと思っているんです」

 ネフリー知事はそう言って話を終わらせる。ルークが出てくるより先に、知事邸を抜け出して大佐と合流した。彼は雪の中で、いつも通り何を考えているか読み取れない顔で街を眺めていた。

「有意義な話は聞けましたか」

 戻ってきたボクを見て、大佐が問う。それは何かを期待する眼ではなかったし、恐れる眼でもなかった。ただ、淡々とボクを見る。

 どんな回答を望まれているのかと一瞬考えるけれど、やめる。ボクに答えられるのは、ボクの中にある言葉だけだ。

「大佐に貰った宿題、もう少し考えてみる」

 生き物の死───それを理解することを望まれているのだと、何となく分かったから。それが分かっても宿題の答えには遠いけど、人を殺してはいけない理由に近付くかもしれない。

 「そうですか」と大佐はあっさり頷くと眼鏡を直してホテルへ戻ることを提案する。改めて語る言葉はないらしい。

 ホテルに着けば、少しルークと話をしたいからとボクは先に部屋へと追いやられる。どんな話をするのか興味はあったけれど、余計なことをして馬に蹴られたくもない。大人しく部屋に引っ込んでおくことにした。










*****







 部屋で待つこと暫く。規則正しいノックの音が響いて、適当な返事で入室を許可する。現れたのは大佐と……テセだ。

「あれ。なんでテセも?」

「少し、気になることがあったものですから」

 「迷惑でしょうか」と少し不安げに問われて否定する。恐らく心配してくれているのだろうし、迷惑ではない。特別大佐とする話がある訳でもなく、問題ないだろう。

「とりあえず装置を見ましょう。アリア、そこに座って下さい」

「ほい」

 ベッドに腰掛け、首元を晒す。大佐が身を屈めて手を伸ばし、首枷に触れた。僅かに引かれて、少し犬の気分を味わえそうだった。

「これは……なるほど。あまり難しい仕組みにはなっていませんね。封印術とは違い、すぐに外せますよ」

「お。じゃあお願いしていいかな」

「構いませんよ。貴女が正直に全てを話したら、外して差し上げましょう」

「………………」

 やっぱりそういうこと、と思う。予想をしていなかったわけではない。一体どの情報が大佐のアンテナに引っ掛かったのか。

(ヴァン謡将の指示でディストがボクを調べたって辺りかな)

 大佐が何をどこまで想定しているのかは分からない。ただボクが全てを話してはいないと感じただけかもしれないし、隠し事の有無を決定付ける根拠を持っていたのかもしれない。

 誤魔化すことは出来る。話したくないとアピールすれば、大佐は引き下がってくれるだろう。でも、特段隠す必要がある訳でもない。ルークがレプリカだと皆も知った訳で、ゼロからのカミングアウトよりは楽な筈だ。

 ちらり、と側で見守るテセを見る。眼が合うと彼は少し困った顔をして、ボクの隠し事を聞きたいのだろう。ボクの正体を知って、彼はどんな顔をするだろうか。予想もつかないまま、ボクは答えた。

「ボク、レプリカなんだって」

「!」

 驚いた顔をしたのはテセで、大佐の表情はぴくりとも動かない。まるで答えまで分かっていたみたいで、思わず問う。

「驚かないね。気付いてた?」

「そうかもしれない、とは思っていました」

「どこでバレたんだろ」

「……貴女が神託の盾の兵を平然と焼いた時ですよ。私の作ったレプリカの中には、時折そういった特徴を持つ個体が確認されましたから」

 「そういった」とは「人の命の尊さを知らない」ということだろうか。ボクの感性が生まれによるものなんて言われてもよく分からない。

 そんなことで疑ったのかとも思うが、あの時のボクは余程周りには異質に映ったのだろう。当事者であるボクには気付けないだけで。

「他にも疑う点はありましたよ。フォンスロットの件やその特異な能力も、疑いを抱いた理由の一部です」

「他にもあるんだ……」

 フォミクリーの研究者と長く共にいて、気付かれないというのが無理があったのかもしれない。尤も、フォンスロットが機能不全を起こしているのはレプリカ故に劣化した訳ではない。封印術もどきの話も伝えれば、大佐は形のいい眉を寄せた。

「人為的な術式ですか……」

「誰が何のために、とかは分からない。大佐は分かる?」

「………………」

「大佐?」

 彼は思ったより険しい顔をしていて、ちょっと不思議だ。呼び掛ければ「いえ」と短く答え、憶測で語りたくないと返した。考えられる可能性が何かあったようだが、確証が得られないらしい。

 代わりに別の疑問を向けたのはテセだ。彼は大佐を見上げて問う。

「その術式は、アリアの体に悪影響を及ぼさないのでしょうか」

「調べてみないことには分かりませんが……大丈夫だと思いますよ。問題があればとっくに体に表れているでしょうから」

 それはそうだ。封印術もどきが施されて既に二年が経っている。その間、無茶が出来ない以外の不利益は特になかった。テセが少し安堵したように表情を緩める。

 大佐に他に隠していることはないかと問われ、素直にないと答える。その答えに納得したように頷くと、首枷へ触れ譜を扱って数分と掛からずに解除してしまった。

「流石は大佐」

「お世辞は結構ですよ。それよりどうです。何か変わったことはありますか?」

「うーん……?」

 試しに音素に呼び掛けてみるが、いつも通りだ。特に過剰に集まったり、過疎であったり、暴走したりなどはない。体の方に異常もないみたいだし、問題はなさそうだ。大丈夫、と告げると「それはよかった」と彼は形だけ述べたのではというくらい、あっさりと返答をした。

「もし今後も何か変化があるようなら、私に報告するように。いいですね」

「うん」

 フォミクリー研究の第一人者に気に掛けてもらえるなら安心だ。専門家の知識と対処が一番いい。

 「結構」と短く残して大佐が部屋を立ち去ろうとして、ボクはそれを引き留める。それから二人に、レプリカについて口止めをお願いした。

「わざわざ言いたくないんだ。必要があれば話すから」

「僕はそれで構いませんが……」

「……まぁ、問題はないでしょう。ただし、グランツ謡将の目的を探る上で必要と分かればこちらも話しますよ」

「分かってる」

 今度こそ大佐は部屋を出て行く。てっきりテセも出て行くかと思っていたが、彼はその場に残っていた。顔を見れば迷いのある表情で、躊躇いがちに問われる。

「僕やジェイドに……話してしまって良かったんですか?」

「いいよ。必要があれば話すってスタンスは変わらない」

 相手が大佐とテセなら尚更だ。大佐はボクをレプリカだと疑っていた訳だし、テセに関しては寧ろ彼がレプリカだとボクが知ってしまっている。これでお相子というのもちょっと違うだろうが、テセに知られる分には構わなかった。

 それで、とテセへ向き直る。

「気になることって何?」

「………………」

 問えば、テセは言葉にし難そうな顔をする。少しだけ黙って、足を踏み出すとボクの正面へ立った。首筋へ手が伸ばされる。

「テセ……?」

 遠慮がちに指先が触れる。先程までそこに在った首枷と違って、室温に温められた指先は冷たくない。少しくすぐったく思えば、テセはぽつりと呟いた。

「……僕は、無力ですね」

「どうしたの、急に」

「アクゼリュスで貴女がルークを止めようとした時、僕には何も出来ませんでした。ヴァンに貴女が傷付けられた時も……崩落の時も。捕らわれた貴女に、手を差し伸べることさえ出来なかった」

 後悔の滲む声に、しかしどう応えたものか迷う。何も出来なかったと第四石碑の丘でも謝られた。そんなことは今更で、当たり前で、仕方のないことだ。謝罪なんて必要ない。手が下ろされた。

「テセは戦えなくても、自分に出来ることをしてるでしょ」

「導師という立場を利用しているだけですよ。それに、人々が求めているのは僕ではない。僕を通して、預言を欲しているだけなんです。和平だって……僕の力ではありません」

「んー、でも和平の使者を引き受けて、ダアトから飛び出して、大詠師の追手を振り払って……テセは自分で努力してると思うけどな」

「皆さんのお力をお借りしているだけですよ」

「それはお互い様でしょ」

 その言葉には異論がないのか、「そうですね」と彼は苦笑した。導師という立場はテセにしかないものだ。そのお陰で成り立っていたことも幾つかある。決して無力ではないのだけど……彼は何が引っ掛かっているのだろう。

「前も言ったけど、テセは導師イオンだからテセなんじゃないよ。テセが、導師イオンなの。オーケイ?」

「……はい」

「無力じゃないよ。テセは自分に出来ることをしてる。そんな風に心を動かすことだって、きっと意味があることだよ。テセにとって……もしくは誰かにとっても」

「そう……でしょうか。僕が何かを思い、考えることは……意味がありますか?」

「あるある。だからもっと主張していこ。テセがテセとして、それから導師イオンとして、思い考えることを」

「……はい」

 テセが微笑み、安堵する。よかった。何か暗く複雑そうな表情をしていたけれど、落ち着いてくれたらしい。

 と、テセがボクの手を取った。優しく、包み込むように胸の高さへと持ち上げる。ボクを見る千歳緑の瞳は、真剣に思えた。

「……早速ですが、その言葉に甘えてみてもいいでしょうか」

「う、うん」

 なんだろうと思うけれど、聞かないと分からない。大人しく、彼が言葉を紡ぐのを待つ。テセは想いを形にするように、慎重に言葉にする。

「……僕は貴女に何かがあると、嫌みたいなんです。貴女が傷付いたり、一人で悩んだりしていると、力になりたいと願う。貴女を助けられる自分でいたいんです」

 急に飛び出してきた言葉に、何と反応していいか分からない。喜ぶべきなのか分からず困惑する。彼の視線は、包み込まれているボクの手へと下りている。

「これは導師イオンではなく、僕としての感情です。貴女の助けになれない自分が、悔しい。貴女の姿が見えないと不安になる。そのまま貴女がどこかへ行ってしまうのではないかと……いなくなって、しまいそうで」

 その話は、前にルークの屋敷でした話だ。テセからすれば、ボクは今にもいなくなってしまいそうに映るのだ。その根拠の部分は結局共有されていない。ボクが躊躇わずに無茶をするから、というような話だったけど、未だによく分からなかった。

 反面で、この一週間強をボクは行方不明の状態で過ごしてしまった。予感の通りにいなくなってしまったと、テセが感じても仕方がない。……その結果、彼の不安が増してしまっても。

「だから、お願いがあるんです」

 少しだけ力を込めてボクの手を包むと、彼は視線を上げた。その眼にあるのは不安より、小さな光だ。そこに希望があるというように意志を宿して見える。ボクの眼を真っ直ぐに見据えて、想像もしていなかった願いを口にした。

「───アリア。僕と一緒に、ダアトへ来てくれませんか」

「………………」

 言葉が出なかった。というか、表情を作るのも忘れた。恐らく今、ボクは感情通りに間抜けな顔をしているだろう。テセの、望みが分からない。

「勿論、今すぐではありません。事が全て済んだ時でいいんです。モースやヴァン……他の人間に余計なことはさせません。約束します。ですから……考えては貰えませんか」

 繰り返される願いに、問いに。すぐには答えられないのは、やはり意図が理解できないから。いや、意図などないのだ。側にいないと不安だから連れて行く───シンプルに、それだけ。ただボクを連れて行きたい……側に置きたい、らしい。

(でも……これは、そう。雛が親鳥を慕うのと変わらないんじゃないかな)

 ボクがエゴで愛称を渡したばかりに、勘違いが起きてしまったのかもしれない。あの時テセは「自分がどう在りたいのかようやく見えてきた」と言った。ゆっくりと、そこからスタートを切ったように。

 きっと、テセにとっては導師イオンでない自分を認められることは大きなことだった。だからこそ、ボクという関わりに幻想を抱いた。騙されてしまったのだ。可哀想と他者を哀れむのは好きではないけれど、流石にこれは同情を禁じ得ない。

 ボクなんかに、足を取られてはいけない。それでも、彼が彼の意志だと信じるそれを否定することは、憚られて。ボクは言葉に迷う。その表情を見てか、テセは申し訳なさそうに眉を下げた。

「……すみません。急にこんなことを言われても、困りますよね」

「うん、まぁ……想像もしてなかったからね」

 否定はしない。びっくりしたし、テセは間違えていると思う。けれど、それを上手く伝える方法が思い付かない。

「答えは急がなくていいんです。ただ、出来れば貴女に考えておいて欲しい。お願いします」

「……分かった」

「ありがとう」

 彼はどこか嬉しそうな顔で微笑み、それから退出した。部屋に一人残されて、どんな顔をしていればいいのか困る。

 考える時間を貰うというのは、悪くはない選択肢だった。どうにか彼に眼を覚ましてもらう必要があるのだ。そのための方法を考えなければならない。思い付きそうにないことだけが絶望的なのだけど……ヴァン謡将の企みの全部を知るにはまだまだ掛かりそうだし、時間はある筈だ。ゆっくり考えようと思う。

 今は少し疲れたと、ベッドに体を沈ませた。










 翌日、タルタロスの点検も終わったということで、改めてグランコクマを目指してローテルロー橋へと向かった。陸伝いにグランコクマを目指す場合、テオルの森を抜ける必要がある。

 普段はさておき、戦争一歩手前の今なら警戒が厳しく、マルクト兵が見張っているだろうと大佐は予想していた。予想は正しく、大佐が名乗っても尚、ボクら部外者は通行を許可されなかった。「導師イオン」でもダメだというのだから、徹底した警戒ぶりだ。死んだ筈の怪しい大佐だけでも通してくれるのだから、温情かもしれない。

 仕方がなく、大佐が先に一人で皇帝陛下に謁見し、許可を貰ってくるという話になる。



 斯くして、テオルの森の入口で、待ちぼうけをくらうことになった。
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