外殻と崩落


 カイツール軍港へと向かう船の上で、ガイはすっかり調子を戻した様子だった。やはり術者がケセドニアにいたと考えていいようだ。

 「カースロットの位置に傷をつけたのはシンクだった」とガイが話し、術者がシンクであるという共通の認識が持たれる。となれば、少なくともテセはシンクが自身と同じレプリカと気付いた筈だ。

 どう思っているか聞けないもどかしさを感じつつ、カースロットについて尋ねる。

「ね。カースロットってテセには解呪出来ないの?」

「出来ます。というより、僕にしか出来ないでしょう。ただ……今は消耗しているので……」

「そっか。無理はダメだね」

「すみません……」

「気にしない気にしない! 全部終わったら考えよ」

「はい」

 ボクの言葉にテセの表情が明るくなる。と、それを聞いていた他のメンバーが不思議そうな顔でこちらを見ていた。……言いたいことは、分かる。

「テセって……なに?」

 誰より最初に問うたアニスの表情はどことなく文句がありげで、ネーミングセンスがないことは重々承知してるのでそんな顔をしないで欲しい。

「僕の愛称です。アリアが考えてくれたんですよ」

 対して、答えたテセは嬉しそうだ。きらきらと周囲に光が舞っている錯覚まで見えてくるようだ。怪訝な顔をしたのはアニスだけではない。皆もどういうことかボクに問う眼を向けてくる。大佐だけは艦橋にいて、この場にはいない。

「えーっと……」

 テセ自身とは、曖昧に言葉を交わしただけで、彼がレプリカであることなどには触れていない。単に「導師イオンだから自分なのだ」という回答に反発したように映っているかもしれないし、彼がレプリカだとボクが気付いてることを把握した上で愛称を受け取ってくれたのかもしれない。

 その辺りを、明確にしたいとは思わなかった。そしてそれを抜きにしても、下手な説明は彼のプライベートに関わることだ。あまり話したいとは思わない。

 愛称の由来でも話して誤魔化すか、と思った矢先、テセに腕を引かれた。見やると、楽しそうな顔が眼に入る。

「内緒です」

 彼らにそう答えたテセは控え目に言っても浮かれて見えたし、照れ臭い。皆もあのテセが───導師イオンがそんな顔をして「内緒にする」と明言したことが珍しかったのだろう。

 驚いた顔をしている間に、ボクはテセに連れられて彼らの元を離れ、追求を避けることに成功した。










*****










 カイツール軍港に着き、アクゼリュスを目指して北東のデオ山脈へと向かう。

 道中、アクゼリュスの状況について話し、実際にどう動くかを話したりなどをしたが、結局は現場を見ないと分からないという話に落ち着く。アクゼリュスは障気に汚染されているということだが……前回フーブラス川でやったみたいにボクが無茶をする選択肢もあるけど、多分怒られるのでやめておく。最終手段だ。

 そうこうしている内に、デオ峠に着く。切り立った岩々の上にそれなりの傾斜で続く道を見上げれば、中々に体力勝負になりそうなことが分かる。道が整備されてるだけ有り難いけど、崖の上を進むようなものだ。

 隣を歩くテセに視線を向ければ、彼は頑張りますとでも言うように笑った。「オーケイ、何かあったら何とかするよ」と心の中で応えて、峠を越え始めた。

「ちぇっ……師匠には追い付けなさそうだな。砂漠で寄り道なんかしなけりゃよかった」

「寄り道って……」

「ルーク」

 剣呑としたアニスの声を遮って、彼の名を呼ぶ。「あ?」と怠そうにこちらを振り返るルークに、ボクはゆっくりと伝わるように言葉にする。

「テセが……導師イオンが拐われた状態で放置したら、それこそキムラスカは立場を悪くしていたよ。ルークは、必要なことをしたの」

「………………」

 煩いことを言われると思っていたのだろう、ルークは少しぽかんとした顔をして、しかしそれから不愉快げに眉を寄せた。

「でも別に俺が行かなくてもよかっただろ。伯父上達に任せときゃよかったんだ」

「国王陛下にお願いしてたら、多分間に合ってないよ。ルークの判断は正しかった。アクゼリュスまで後少しだし、きっとヴァン謡将は待ってくれてる。落ち着いて進もう?」

「……分かったよ」

 居心地の悪そうな顔をして、ルークは先頭へ移動する。その背中を眺めながら、ティア達が感心したようにボクを見た。

「……凄いわ。ルークが大人しく従うだなんて」

「アリアおっとな~! アニスちゃんはぷっちーんしちゃうところだったよ」

 うんまぁ、その気配を察知したから動いたんだけど、という言葉を飲み込んで曖昧に頷く。それから、彼らにもフォローを投げておく。

「なんか、ルーク焦ってるみたいだからさ。ずっと屋敷の中で育ったからか、人付き合い上手くないし。これから学んでいけるように、ちゃんと付き合ってあげたいなって思うんだ」

「そう言ってもらえると助かるよ。あの通り坊っちゃん育ちだからな。態度が悪いところは、少しずつなんとかしていくからさ」

 ボクにガイも同調し、「な?」とティア達に勘弁してやってくれとお願いする。アニスはともかく、ティアも同じことを思ってはいたのか頷き返してくれた。アニスはまだ少し納得がいかない様子だったが、一応は了承してくれる。これで、大きな亀裂は避けられるといいのだけど。

(ルークが七歳って認識があるのはボクと大佐くらいだろうし、大佐は……絡み方に問題があるからなぁ)

 優しくないとは言わないけど。ルークに対して常に優しいガイとテセはともかく、ティアとアニスとナタリアは不安要素だ。それでもみんな、理解のある方だとは思う。

 とにかく、ボクは出来ることをするだけだ。ルークがああいう風に育ったのは、彼一人の責任とは言えないのだから。

「テセは……」

「僕は大丈夫です。寄り道をさせてしまったことには変わりありませんから」

「そんな! 今日の平和は導師イオンに両国が敬意を払っているからこそあるものです」

「いいえ。両国はユリアの残した預言が欲しいだけです。本当は僕なんて必要ないんですよ」

 悲観的に聞こえる言葉だけど、テセの表情は暗くはなかった。それを当たり前だと思っているからでもあるのだろうけど、その表情の一部にでもボクの祈りが届いているなら嬉しいと思う。

 「導師イオン」ですら傀儡でしかない世界で、自分は自分であると思ってくれていれば、とても。










*****










「思ったより、整備されていますね」

 道を見て、大佐が溢す。

「本当だな。今じゃこの道はあまり使われていないだろうに」

「なんでだ?」

 ルークの疑問に、ガイとナタリアが答えてやる。

「この道は元々、アクゼリュスがキムラスカ領だった頃に利用されていた道だ」

「マルクトに奪われた今となっては、こちらの道を使う意味がありませんものね」

「……まぁ、次の戦いの狙いがアクゼリュスなら、整備しておいた方が得策ですが」

 大佐の茶々に、ナタリアの眉が寄る。

「どういう意味ですの」

「仮に、ですよ。整備しているという風にも見えません。この道を造ったキムラスカの土木技術が高かったということでしょう」

「……どうも貴方は、いちいち癇に障るものの言い方をなさいますわね」

「はっはっはっ。確かに。気を付けますよ」

 このオジサン誰より元気がいいなと内心げんなりしながら峠を上っていく。大体どこの会話にも首を突っ込んでいるので、人と関わるのが好きなのか面白がっているのか。こう見えて寂しがり屋なのかもしれないなどと適当に考える。

 暫く進むと、段々とテセの足取りが重くなっていることに気付く。様子を窺えば、息が上がってきている。やはりこの峠越えは彼の体力には優しくなかったようだ。

「ルーク!」

「あ? なんだよ」

 先頭を行っていたルークに声を掛け、振り返った彼に提案する。

「ちょっと休みたいな。峠を一気に越えるのは無理そう」

「休むぅ? 何言ってんだよ! ヴァン師匠が先に行ってんだぞ!」

「そうだね、ごめん。でも今の状態で敵と遭遇したら、ちょっとマズい。どうしても先を急ぎたいなら、ルークだけ行ってくれてもいいけど……」

 申し訳なさそうに告げると、ルークは面倒そうに舌打ちはしたもののそれ以上は何も言わなかった。「少しだけだぞ!」という言葉だけ残して、上の方で腰を下ろしたようだった。眼で日陰を探し、岩壁の側に見付ける。

「テセ。もう少し頑張って」

 声を掛けてそちらへ誘導すると、事態を把握したらしいティア達が顔色を変えて寄ってきた。

「イオン様……!」

「酷い顔色……申し訳ありません。浅慮でした」

「……いえ。体力がなくてご迷惑をお掛けします」

 少し弱々しい顔で、しかし微笑んで返す。ナタリアが隣に座るボクを見た。

「もしかして、休憩を提案なさったのは……」

「ボクが休みたかったからだよ。ボクも体力ないからねー。そろそろ膝が上がらなくなるところだった」

 「あー疲れた」と言えば隣でテセがくすりと笑った。笑う元気があるなら何よりだ。

「ありがとう、アリア」

「んー? 分かんないけど、どーいたしまして」

 「少しルークの様子を見てくるね」とテセを皆に任せ、ボクは上の方へ向かった。覗くと、ルークは少し苛立たしげに待っていた。ボクの姿を見付けて不満げな顔を見せる。

「なんだよ、もう休憩はいいのか?」

「ううん。ごめんね、手間とらせちゃって」

「……いいよ、もう」

 応えながら溜め息を吐く。ルークは表現方法に問題があるだけで、基本的には優しい心根をしている。誰かが辛そうにしていれば無理強いは出来ない人間だ。合理性よりも、人の心を選ぶ。

「少し、焦ってる?」

「焦ってなんかねーよ。ただ、ヴァン師匠を待たせちまってると思うと……」

「それを焦ってるって言うんだよ」

「うるせー」

 ぶーたれた様子のルークが少しおかしくて、笑ってしまう。睨むような視線が隣から飛んできた。

「なんだよ、笑いに来たのかよ」

「ごめんごめん。ね、ルーク。ルークは今の自分の居場所、好きじゃない?」

「は……!? なんで、そんなこと……!」

 彼が本物の居場所を与えられたレプリカだと確信して、前から聞きたかったことを聞いただけだったが、反応がやけに大きくて少し驚いた。何か繊細な話題に触れただろうか。

「いや、なんか……城とか屋敷での様子を見てるとそう感じて」

「な、なんだ……それだけか」

 勝手に慌てて、勝手に胸を撫で下ろす。それから彼は視線を握った拳へ下ろした。その眼には少し真剣な色合いがある。

「嫌いって訳じゃねーけど……このままじゃダメなんだ。俺はヴァン師匠と……」

 呟きに耳を傾けるが、頭を振ってそれ以上は言葉にされない。気になる話だったが、お預けのようだ。

「とにかく今はアクゼリュスだ。早く師匠に追い付かねーと、話にならねぇ」

「……なら、万全の状態で合流しないとね。使節団が疲れきって到着したら、ヴァン謡将に呆れられちゃうよ」

「うっ……それもそうだな」

 ボクの指摘にルークが眉を寄せる。

 人情に訴え掛けるというのは苦手だ。ボクに出来るのはこんな理詰めの説得だけ。それでも、どうにか衝突を緩和できればいいのだけど。

 ボーナスが欲しいなぁと思いながら、青空を仰いだ。










*****










 暫く休憩し、再び山道を進む。

 ルークとはティアが話をしたようだが、良い結果となったのかは分からない。ガイやナタリアはある程度ルークを許容できるが、大佐やアニスは違うだろう。特にアニスはテセ絡みの衝突だったのもあり、腹に据えかねているようだ。

 こんな調子で大丈夫だろうかと先行きが不安になる。

 峠も中頃を過ぎ、下りが増える。そろそろ抜けられるかもと思う頃に邪魔が入った。

 足を止めさせるための威嚇射撃───望まない大詠師派の妨害で、魔弾のリグレットの登場だ。鋭い青い瞳がティアを向く。

「ティア。何故そんな奴らといつまでも行動を共にしている」

「モース様のご命令です。教官こそ、どうしてイオン様を拐ってセフィロトを回っているんですか!」

「人間の意志と自由を勝ち取るためだ」

 ティアの問いに、思わぬ返答がある。どういうことかと問えば、彼女は話をしてくれる気があるようだった。もしかしたら、教え子であるティアと敵対したくないのかもしれない、と感じる。

「この世界は預言に支配されている。何をするにも預言を詠み、それに従って生きるなどおかしいとは思わないか?」

 リグレットの語るそれは、この世界の当たり前だ。けれど、ボクのような人間もいる。預言に頼らずに生きることは出来る。正確には人間ではないけど、それは脇に置いておいて。

「預言は人を支配するためにあるのではなく、人が正しい道を進むための道具に過ぎません」

「導師。貴方はそうでも、この世界の多くの人々は預言に頼り、支配されている。酷い者になれば夕食の献立すら預言に頼る始末だ。お前達もそうだろう?」

「頼ってはないけど夕食の献立は頼りたくなるの分かる気がする」

「アリア」

「ごめんて」

 うっかり言葉を挟んでしまってテセに窘められる。大人しくしておくことにした。

 リグレットの言葉を躊躇いがちに肯定したのはアニスだ。ガイとナタリアもその後に続く。

「預言に未来が詠まれてるならその通りに生きた方が……」

「誕生日に詠まれる預言はそれなりに参考になるしな」

「そうですわ。それに生まれた時から自分の人生の預言を聞いていますのよ。だから……」

 「結局のところ、預言に頼るのは楽な生き方なのだ」と大佐が口にする。水が低きに流れるように、ボクも怠惰に生きられる方がいい。

 ただ預言に頼りきりの人生というのは如何なものかとは思う。まるで自分で考えることを放棄した道具のようで、預言の操り人形のように感じてしまう。

 それで生きていると言えるのだろうか。

「この世界は狂っている。誰かが変えなくてはならないのだ……ティア! 私達と共に来なさい」

 リグレットは随分高い理想を掲げているようだ。正義感といえば聞こえがよく、考えの一つとして尊重は出来るが、押し付けがましいとも思う。その誘いに、ティアは首を横に振って応えた。

「私はまだ兄を疑っています。貴女は兄の忠実な片腕。兄への疑いが晴れるまでは、貴女の元には戻れません」

「では、力ずくでもお前を止める!」

 言うが早いか、彼女は二丁拳銃を抜いた。戦闘は避けられないらしい。六神将の一人とはいえ、この人数差で挑んでくるのは凄いと思う。

 念のため伏兵に備え、ボクとアニスはテセとミュウを連れて後ろへ下がった。流れ弾がないようにだけ、障壁を張っておく。

 リグレットの武器は二丁拳銃だ。間合いを詰められれば強いが、向こうも適正距離を図るのが上手い。銃弾自体、殺傷能力の高い飛び道具としては随一だ。唯一装填の瞬間だけが隙だが、マガジンの交換が速くてあまり隙にならない。中々厄介な相手だ。

(でもシンクよりは動きについていける)

 小さな鉛弾だけが最大の脅威だが、本人はそれ程ではない。人数有利も合わせれば、こちらが劣勢に立つこともないだろう。

 見守っていれば、実際劣勢に立ったのはリグレットの方だ。彼女は未練が残るように再三ティアへ呼び掛ける。

「くっ……ティア。その出来損ないの側から離れなさい!」

「出来損ないって俺のことか!?」

 応じたのはルークで、ボクはすぐに連想が働いた。ルークを出来損ないと呼ぶのは彼がレプリカだと分かっているから。同じようにリグレットの意図に気付いたのか、大佐が前へ進み出て声を鋭くする。そこにあるのは、怒りや憤りに分類される感情だ。

「……そうか、やはりお前達か! 禁忌の技術を復活させたのは!」

「ジェイド、いけません! 知らなければいいことも世の中にはある」

「イオン様……ご存知だったのか!」

 大佐が驚いた様子で、そのやり取りだけで得られる情報は多い。

 一つ、テセは自身がレプリカであることを知っている。二つ、テセはルークがレプリカであることに思い至っている。三つ、大佐もまたそれら二つを確信していた。

 それはある意味予想通りで、ボクも含め分かっていて口を閉ざしていたのだ。

「な……なんだよ? 俺を置いてけぼりにして話を進めるな! 何を言ってんだ! 俺に関係あることなんだろ!?」

 ルークが喚くけれどそれに答える者はいない。───答えられない。

「……誰の発案だ。ディストか!?」

「フォミクリーのことか? 知ってどうなる。采は投げられたのだ、死霊使いジェイド!」

 それを捨て台詞に閃光弾が放たれ、目を開けた時にはリグレットの姿は既になかった。撤退したようで、それを確認して大佐が吼える。そこにあるのは確かな怒りで、いつも冷静な大佐にしては随分感情的な瞬間だった。

「くっ……冗談ではない!」

「大佐……珍しく本気で怒ってますね……」

 アニスの呟きが聞こえたのか、すぐに大佐は元の平静を取り戻す。

 否、繕っているのか。元々が感情を感じさせない人だから判断が難しい。眼鏡の奥の瞳は何も伝えてはくれなかった。

「───失礼、取り乱しました。もう……大丈夫です。アクゼリュスへ急ぎましょう」

 それは明確な拒絶であり、誰も事情を聞くことは出来ない。もしくはコーラル城で語りたくないと言った過去と関わりあると、皆が察して遠慮したのか。

 大佐が歩みを再開し、皆も躊躇いがちにその後に続く。ボクも歩き出そうとして、ふとルークが取り残されていることに気付く。彼は遠ざかる仲間の背に一人声を震わす。

「ふざけんな! 俺だけ置いてけぼりにしやがって。何がなんだか分かんねーじゃんか!」

 隣でルークが吠える。それは子供の癇癪のようにみっともなくて、でも彼の今の感情をよく伝えていた。混乱と憤り。強い感情に揺らされる。

「どいつもこいつも俺をバカにして! 蔑ろにして! 俺は親善大使なんだぞ!」

 余裕がないのは皆一緒。他者を思い遣れるのは余裕がある時だけだ。思い遣りは、当たり前のものではない。ルークはまだ、それが分からない。自分が思い遣られていたことが、分かってなかった。

「……師匠だけだ……! 俺のこと分かってくれるのは、師匠だけだ……!」

 いじける子供の声を隣で聞いて、ああもう仕方がないなと思わされてしまう。もうダメそうだ。

 ルークの言葉には、声には常に必死な音が乗っている。生きることで精一杯な、素直すぎる感情が乗っている。それを聞き続けて、平気でいろという方が無理だ。全てをコントロールしていく大人達とは違って、彼の声はよく響く。感情は触れる。───痛々しい。

「ルーク」

 名を呼べば、ボクがいることを忘れていたのか、とても驚いた顔をされる。それから彼は憤りを思い出した顔をして、それをボクにぶつけようと口を開いた。しかしそこから怒声が飛び出すことはなかった。

 彼の口は中途半端に開かれたまま、ぽつりと動揺を溢した。

「……なんで、お前が泣いてんだよ」

 ああ、うん。視界がちょっとぼやけると思ったんだ。涙が流れたのはいつぶりだろう。ぼんやりと考えながら、答える。

「ルークが、煩いから」

「……なんだよ、それ」

 すっかり毒気を抜かれてしまったらしく、ルークは再び怒ることはなかった。ただ疲れたように、ボクに返事をくれる。

「だって、ルークずっと一生懸命なんだもん。皆、もっと上手くやるよ。上手に、自分を隠して生きてる」

「……俺がバカだって言いてーのか?」

「違……わないかも。ルークはバカだよ。間違いなく、賢くはない」

「ひっでぇ言われ様」

 ぶすり、と不満げな顔になって、ハンカチを取り出して渡してくれる。ハンカチを持たされてる辺りが坊っちゃん感あって、少しおかしくて笑ってしまう。

「な、なんだよ」

「何でもない。ありがとう」

 ハンカチを借りて涙を拭う。少しだけ目蓋が厚くなったような気がする。

「ねぇ、ルーク。皆は、ルークに意地悪をしてるわけじゃないんだよ」

「どこがだよ! 置いてけぼりにされて……バカにしてんじゃねーか」

「違う。ルーク、分からないことがあれば他人が教えてくれるのは、当たり前じゃないんだ」

「俺が物を知らないのが悪いって言うのか」

「違うよ。ただ、優しくされるのは当たり前じゃないってだけ。それから、今君に彼らが話をしないのは、相応の理由があるんだ。それを、ルークは自分で考える必要がある」

「……なんだよ、それ。訳分かんねぇよ」

「そうだね。ボクも、まだ人を殺した時の何がいけなかったのかを理解してないんだ。でも、自分で考えなきゃいけないんだって」

 一緒だよ、と笑うと、ルークは表情を歪めた。それが初めて少し泣き出しそうに見えて、ああ、彼は今迷子の子供なのだと思う。ボクに出来ることは大してないけれど、そんなに偉くはないけれど、それでも一緒に歩くことは出来るから。

「行こう、ルーク。一緒に行くから」

「………………」

 ルークは何も言わなかったけれど、小さく頷いて歩き出した。ボクはその隣を歩く。左隣にはルークが、そしてこの右手には初めて出来た友人の温もりを感じている。

(あーあ……両手、埋まっちゃった)

 これだから人間は嫌なのになぁ、と。

 ボクは嘆息した。










*****










 デオ峠からアクゼリュスまではあまりかからなかった。

 その道程を重い空気のまま進む。明らかに会話の量は減ったけど、ボクはそれに構わないことにした。どこに解決があるのかボクにも分からないから。

(優しさの上に成り立っていた関係は、優しさを失えば成り立たない)

 皆は今までルークに優しくて、ルークは優しさが向けられていたことに気付いていない。優しさを向ければ解決するのか、優しさを向けなくなった方が悪いのか。それとも全てがルークの自業自得なのか。

 答えは出せないから、ただ一緒に進む。

「これが……アクゼリュス……」

 ルークが呆然と呟く。

 アクゼリュスは鉱山の街で、地を深く大きくくり抜いたような場所にあった。外周に多くの坑道が伸び、その奥で普段は採掘をしていたのだろう。今は薄紫色の霧のように障気が立ち込めていて、人々は苦しみにもがき倒れている。

 見える限りでも四十や五十ではきかない。アクゼリュスの総人口は一万人程度とされているし、坑道の先や各民家の中にも多くの人が倒れているのだろう。

 大仕事になりそうだった。

「想像以上ですね……」

 大佐が少なからず驚きを示し、ボクとしても何故こうなるまで放っておいたのか聞きたい気持ちだ。これでは住民を助けるよりここを埋め立てる方がよっぽど世界のためだし早い。そうしないのは、両国共にアクゼリュスで採れる資源が惜しいのか。

 真っ先に動いたのはナタリアだった。すぐ近くで激しく咳き込んだ男性へ駆け寄り、様子を見る。

「お、おい。ナタリア、汚ねぇからやめろよ。伝染るかもしれないぞ」

 この惨状に圧倒されていたルークが制止しようとする。それはナタリアの身を案じたものだったが、相変わらず言い方が悪い。

 途端、弾かれたようにナタリアがルークを睨んだ。萌木色の瞳が軽蔑の色を浮かべて声が強く返る。

「……何が汚いの? 何が伝染るの! 馬鹿なこと仰らないで!」

 それはとても正しく、清い言葉だ。ボク達は救助活動に来たのだから、ナタリアの行動は正しい。

 なら、ルークの心配は間違った感情だっただろうか。ボクには分からない。

「──────、」

 音素に呼び掛け、純度の高い音素結晶を作る。指の先程の小ささだけど、それなりの時間保つ筈だ。それを人数分作り出し、それぞれの側へ浮かべる。

 大佐が眼を細めた。

「これは?」

「第四音素。障気が体に入るのをある程度防げると思う。日没には消えちゃうから、そうしたら街の外で野営しよう───障気のリスクはボク達にもある」

「あ……」

 ナタリアが息を呑んで、でもボクはそれに応じない。誰が何を言うより先にルークの手を引いて動いた。

 アクゼリュスの状況は思っていたより酷い。昏睡状態の人間は多そうだし、中には呼吸が出来ず既に息絶えた者もいるだろう。死が蔓延すれば、病も避けられない。

 この緊急性を要する場所に、ルークの存在は浮いてしまっていた。余計な摩擦は起こしたくない。

「ルーク。責任者と話をして、先遣隊と合流しよう。勝手に動くより指示を仰いだ方がいい」

「あ、ああ……」

 この環境でまともに動ける程、ルークは大人ではない。恐らくこの状況を想定もしていなかったし、何が出来るかを考えるための知恵もない。皆と一緒の空間に置くのはよくない結果を生む。

 テセにはアニスがついているし、他の皆は一人で行動できる「大人」だ。放っておいても、己の仕事を見付けて動くだろう。

 彼を引っ張り、倒れた村長の代理だという男性と話をする。ヴァン謡将は坑道の奥で救助活動をしている、らしい。

 奥へ進めば、神託の盾の兵がティアを呼び止めた。大詠師から受けていた任務に関わることのようで、第七譜石が見付かったので真偽を確認して欲しい、ということのようだった。

 こんな時にとは思うが、今確認が必要だと言われれば仕方がない。テセが許可し、ティア以外の面子で奥へ進むことになった。

 話に聞いていた通り、進む程障気が増していく。構造上坑道に障気が充満しやすいのもあるだろうが、発生源が奥にあると考える方が自然だ。大元を絶てればそれが早いが、簡単にはいかないだろう。

「……おかしい。先遣隊の姿がない」

 大佐の言葉通り、行動の奥へ行ってもそれらしい姿はない。救助を待つ人々が倒れているばかりで、その事実にボクも眉を寄せる。

 ケセドニアで、確かにヴァン謡将は先遣隊と共に先に向かうと伝えられた。だがヴァン謡将の姿も先遣隊の姿もなく、あるのは被害そのままのアクゼリュスだ。救助活動をしていた形跡すらなく、本当に来ていたのかも疑いたくなる。

 元々ボクの中にあったヴァン謡将への疑念が増していく。

「──────!」

 不意に喧騒が遠くから届き、耳を澄ませる。坑道より外の、上層で騒ぎが起きているようだ。

「上の様子がおかしい。見てきます」

 大佐は言うや否や駆けて行って、ガイ達はその場で救助活動を始める。

 この辺りは障気が濃いし、先遣隊がいないなら障気の薄いところへ連れ出した方がいいだろう。流石に見当たらないものを当てにする訳にもいかずボクもルークへ向き直った。

「ルーク。今、何が出来るか分かる?」

「あ、ああ……師匠を捜せばいいんだ。そうすりゃ、全部上手く収まる」

 想定外の回答に眉が寄る。そう答えるルークは単純にヴァン謡将を頼りきっているというよりは、そう「知っている」顔をしていた。どういうことか。

「……ヴァン謡将に、何を言われたの?」

「それはまだ話せねぇ。けど、師匠の言う通りにすれば大丈夫なんだ。信じてくれ」

 ヴァン謡将を信じる、というただそれだけが選びがたい。ボクの直感が否定する。この状況のおかしさに、ここまでの道程に、どうしても連想を働かせてしまう。ヴァン謡将は、ルークに何をさせようとしてる?

「ダメ。ルーク、それはダメだよ」

「……なんだよ、お前も俺に口答えすんのか!」

「そうじゃない! そうじゃ、なくて……」

 ダメだ。分からないけど、ここから先はダメだ。分からないから、ダメだ。危険だ。よくない、匂いがする。

(けど、ルークにとってヴァン謡将は信頼する相手。彼を否定した言葉じゃ届かない)

 ぐるり、と頭の中で思考が眩暈を起こすようだった。丁度いい言葉が出てこない。こんな時、大佐だったら上手くやるのだろうか。ボクには難しい。

「少しだけ、時間を頂戴。ヴァン謡将と会うのを待って」

「なんでだよ。ヴァン師匠と会えれば、俺がどうすればいいのか教えてくれる。一人一人助けてたって埒があかねーだろ!」

 一人、一人……その言葉で閃く。それはフーブラス川でボクがやったことと近い。違うのは、それが危険極まりない力だということだ。制御を間違えれば、そこに在る全てを消してしまえる。

 その力はルーク一人では使えない筈だが、ここに同位体であるアッシュが呼ばれていれば話は違う。───即ち、超振動だ。

 超振動は物質の分解と再構成をする強大な力───障気は汚染された音素だ。その振動に振動をぶつければ相殺は出来る。ボクがフーブラス川でやったように。でもその方法には致命的な欠陥があった。

 疑念を確信に変えるため、ルークに問う。

「超振動で障気を中和できる……とでも、言われたの?」

「!」

 どんな返事より雄弁に、ルークの表情が肯定を示していた。そんなこと、あるわけがないのに。

「超振動で……? そんなことが可能なんですか?」

「あ、ああ。俺なら出来るんだよ! 師匠がそう言ったんだ!」

 ここまで知られてしまえば隠しても仕方がないと思ったのか、ルークが少しはしゃぐように教えてくれる。騙されているとも知らないで。

「嘘だよ」

「……え?」

「嘘だよ、その話。ルークの超振動じゃそんなことは出来ない」

「お前、師匠が俺を騙してるって言いてーのか!?」

「そうだよ! 忘れたの? フーブラス川でボクが倒れたの……一時的な中和でもああなったんだよ。超振動を扱いなれてないルークが、味方識別もしてない沢山の住民を巻き込まないように障気を中和できるわけがない」

「っ……お前も、俺には何も出来ないって言うのか!」

 ああもうそうじゃなくて───ちっとも理解の進まない話に、ぐるぐると回る思考が悲鳴をあげる。

 限界だ、ぷつんと来てしまった。知ったことではない。今はとにかくルークを止める必要があって、その方法は限られていないのだから。

「オーケイ、ルーク。君が正しいなら、ボクを倒してから進んでよ。ボクが君を倒したら、ボクの正しさに従ってもらう」

「アリア!?」

「下がってて、テセ」

 顔色を変えたテセを後ろに下げる。今はテセの望む「平和的解決」をとっている場合ではない。とにかく、黙らせる。

「……上等だ!」

 ルークが剣を抜く。ボクは第六音素を集める。大佐との約束があるから殺すことはないが、足の一本や二本は失ってもらう必要があるかもしれない。ここが消えるのは構わないけど───その罪をルークに背負わされるのは、困る。

 ルークと眼を合わせ、向き合う。碧眼がボクを親の仇のように睨み付けていて、彼と敵対するというのはこういう感じなのかと思う。

 ルークはボクに比べればまだまだ戦いの素人だ。出方を待つつもりはない。先手をとろうと地を踏んだ───瞬間。

「ルークに手出しはさせん」

 低い声が耳に届き、同時に横合いから剣が振られた。ヴァン謡将だと気付いてそちらを向くが、遅い。ギリギリで剣を回避することには成功したが、その後の攻撃に対応できなかった。

 頭部に何か大きな衝撃があり、体が痺れる。力が入らずそのまま無様に崩れ落ちる。地面の感触が若干心地いいのが、中々に皮肉染みていた。薄れていく意識の中で、テセがボクを呼ぶ声が聞こえる。



 最後に見たのは、紫色の障気の中でいつも通りにルークに微笑みかける、ヴァン謡将の姿だった。
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