Draw a Heart

4.

 今日の病院も結果は散々だった。ローの白い痣を見ただけで医者は珀鉛病だと声高に叫んで感染るから寄るなと、こちらが笑い出したいくらいに蒼褪めて震えていた。そして縮こまるローに悪罵を投げつけた。ホワイトモンスターと。それを聞いたコラソンは額に青筋を立てて怒り狂った。ローがもう良いと言うのに、彼は感情を露わにして当然の報いだとばかりに医者を殴り倒し、病院を爆破したのだ。駆け付けた病院スタッフをもなぎ倒して、コラソンはローを背負って逃げた。ローはコラソンの背中で泣いていた。病院のやつらにも腹が立ったが、めそめそ泣いている自分にも腹が立った。
 結局自分は何もできない無力なガキなのだ。ファミリーで叩き込まれた体術、剣術、砲術も毛のほどにも役に立ちはしなかった。自分ひとり救えやしない。全く反吐が出る。そうだ。だってローがファミリーで学んだのは救済の仕方ではない。破壊の仕方だ。世界をぶち壊すためのやり方だ。それが今では何の役にも立たないのだ。あれだけ望んで必死になって体得したのにも拘わらず。一体自分は何を学んでいたのかと頭を抱えたくなった。
 ――前はこんなふうではなかったのに。
 これも全て病院を連れまわすコラソンのせいだと思ったらまた腹が立った。頭に来たのでローはコラソンの背中を蹴って飛び降りた。
「ロー? どうした?」
 驚いたようにローを見るコラソンを無視して走り出した。
「え!? ロー!? どこ行くんだ!?」
 焦った声が後ろから聞こえてきたが、完全に聞こえないふりをする。コラソンの気配を無理やり振り切る。道をでたらめに走った。人の流れに逆らって、小路に入って、狭い裏路地を抜けて。走って、走って、走って。これ以上走ったら、心臓が破れるんじゃないかというくらいに走った。
 白く美しい町並み、行き交う人々の群れ。楽しげな笑い声、子供の手を引く親の姿。今はもうない自身の故郷が重なって見えて、自分にもあったかもしれない、失われた優しい風景に涙が出た。口惜しくて、悲しくて、寂しかった。知らない白い町はローに対して余所余所しく、冷たかった。泣きながら走って、走り疲れて、歩いた。ここがどこなのかも良く解からなかった。とぼとぼと歩いて、それも疲れて、近くにあった噴水の縁に座り込む。涙を拭いて目深に帽子を被った。そうしたらお腹が鳴った。こんな時でも腹が空くのかとおかしくなった。
 ――躰が生きたがっている証拠。
 今朝、コラソンはそう言った。なるほど、確かにそうだと醒めた頭で思う。食べることも眠ることも、不意に訪れた躰の変化だって。でももうローはそれを望んでいない。もう疲れた。生きることに。泣くことに。このまま消えてしまいたい。そうすればコラソンだって、こんなバカげた旅を辞めてファミリーに戻って自分のやりたいことができるのだ。兄の暴走とやらを止めることに専念できるのだ。だから、もう。
「あなた、大丈夫?」
 不意に声をかけられて、ローは俯けていた顔をあげた。目の前には心配そうにローを見る中年の女性の顔があった。迷子かしらと彼女は気遣わしげな視線を送ってくる。病気の影響なのか、実年齢より躰が小さいので妙に幼子扱いされることが暫しあるのだが、どうやら今もそうらしい。おれに構うなと女性を避けようとした時、手を掴まれた。
「あら、あなた。この白い痣――」
 しまった。見られた。珀鉛病だとばれてしまう。ぞわりと怖気が立った。血の気が引いて気が遠くなる。
 ――怖い。
 逃げなければと思うのに躰が強張って動けない。どうしよう。助けて。コラソン。
「ロー!」
 弾かれたように声がした方を見た。大男が手を振りながら長い脚で駆け寄ってくる。
「コラソン!」
 女性の手を振り切ってコラソンに駆け寄った。ぎゅうっと足に抱き着く。
「良かった、見つかった……! 探したぞ、ロー! お前、急にいなくなっちまって……」
「この子のお父様ですか?」
 先程の中年女性が近付いて来る。コラソンはコイフを被り直しながら「ええ、まあ」と曖昧に頷いた。と、女性は一瞬、訝しげな目をしたが、すぐにほっとしたように微笑する。
「それは良かったわ。迷子じゃないかと思って心配していたの」
「それはどうも。お気遣い、ありがとうございます」
 ぼく良かったわねと笑いかけられて、ローはガキ扱いするなと女性をきつく睨んだ。するとひょいと抱きかかえられる。こら、そんな態度を取ったら失礼だぞ、と言いたげな目で見られたが、ローは無視をして太い首に腕を巻き付けた。
「ご迷惑おかけしました。それでは、おれ達はこれで」
 尚も何か言いたげな女性を振り切るようにコラソンは頭を下げると踵を返した。
「ロー、大丈夫か?」
 宥めるように背中を撫でられる。服越しに感じる体温が優しくて、ローは目を閉じた。涙が出そうだったので堪えた。よしよしとあやされて、捻じれていた心がすぅと凪いでいく。本当に自分は何もできない無力なガキなのだと改めて思い知った。ただ泣くことしかできない十三歳の子供。でも今はそれで良いのかもしれない。素直にそれに甘えたかった。
「……父様」
 ぽつりと小さく呟く。自分の父親は国一番の名医で、ピエロメイクをしたドジな大男ではないけれど。でも彼が自分に向けてくる優しさは父親のそれと同じだった。あまり認めたくはないし、何かが違っているような気もするが。
「ん? 何だって?」
「……コラソンが父親だなんて嫌だって言ったんだよ」
「あー、さっきのあれか。だって仕方ないだろう。咄嗟だったし」
「おれの父親は父様だけだ」
「うん。解かってるよ」
「……コラソンは」
 コラソンは自分にとって、どんな存在なのだろう。友達とは何だか違う気がするし、年の離れた兄弟というのもいまいちしっくりこない。そうだとすると父親が一番近いのかもしれないが、でも先程言ったようにローにとっての父親は医者であった父様だけだ。
「おれをどう思う?」
「どうって、そりゃあガキとしか……」
「おれはガキじゃねェよ」
「じゃあ可愛いクソガキ」
 コラソンは真っ赤なルージュを引いた口元を歪めて嗤う。
「だから、ガキじゃねェって言ってんだろ!」
 こうも面と向かってガキガキ言われると腹が立って、ローはコラソンのコイフの端を引っ張った。コイフがずれて額が露わになるのを、おい引っ張るなとコラソンは片手で直す。
「じゃあ逆に訊くけど。お前はおれのことどう思ってんの?」
 どうって。そんなの決まっている。
「ドジ」
「えぇ!? そういう意味の質問じゃなかっただろ!」
「だって」
 自分にとって彼がどのような存在なのか見当がつかないのだ。上手く当てはまる言葉が見つからない。自分と彼の関係性。何かを当てはめようとすると、たちまち絵面が歪んでしまう。するとコラソンはふ、と眦を緩めた。
「別に無理に当てはめることねェよ。いろんな人間がいるように、その関係性だって様々だ。おれとローの関係はなんだって構わねェ。ただ一つ、絶対的に言えることはおれにとっちゃお前は可愛くて仕方ねェガキだってことだ」
 迷いなく言い切って、彼はローが書きあぐねていた図形をいとも容易く描いて見せた。丸でも三角でもない四角でもない。でもそれはきっとそう複雑な形はしていない。多分、身近にある形。
 ローは胸がきゅうと苦しくなってコラソンにしがみつく。
そうして天啓のように閃いた。彼が描いた図形はハートだ。でかでかと真っ赤なハートを描き上げたのだ。
「おれがホワイトモンスターでも?」
「何言ってんだ。お前はモンスターなんかじゃないだろ。ローは普通の人間だ。おれと何も変わらねェ。でもって、そこら辺を歩いてるガキと一緒だ」
 だからそんなことを言うなと赤い瞳に顔を覗き込まれる。ローを見詰める眼差しは真摯でどこまでも優しい。不意に心臓がどきりと跳ねた。カァと熱が上ってくる。頬が熱い。耳が熱い。心臓が壊れたように鳴り出す。
「あれ、ロー、お前。何か顔赤くないか? もしかして熱でも出たんじゃ……!?」
 眉根寄せた顔が迫ってくる。たまらずローはぎゅっと目を瞑った。帽子の鍔が押し上げられてこつりと額が合わせられる。薄目を開けると陽光に煌めく金糸が広がっていた。石鹸の匂いと煙草の匂いが鼻先を掠めていく。
「うーん、熱はねェかなァ? 良く解かんねェ」
 合わさっていた額が離れていく。それが少し名残おしい、だなんて。自分はどうかしている――ローは帽子を目深に被り直す。
「ロー、大丈夫か? 躰辛くないか?」
「別に何ともねェよ。つーか、腹減った」
 思い出したように口にすれば、素直に腹が鳴った。するとコラソンはニカッと笑う。
「よしきた! 美味い飯食おうぜ! 何が食いたい?」
「でけェおにぎり」
 本当はコラソンが握ったおにぎりが食べたかったが、すぐに米が炊ける場所まで移動はできないので、我慢した。
「じゃあ、おにぎり屋さんを探そう」
 楽しそうな声を上げてコラソンは歩みを速めた。


 宿を引き上げて次の町に移動する。今夜は野宿だなとコラソンは言って白亜の町を出る前に必要なものを買い込んだ。その時、コラソンはあるものに興味を惹かれて足を止めた。
「ロー! これ、面白そうだから、やろうぜ!」
「何だよコラソン」
 隣を歩いていたローも立ち止まる。
「手紙だよ、手紙。ここにあるポストに手紙を投函すると十年後に相手に届くんだとさ。面白そうだろ?」
 せっかくの記念だからお互いに手紙を書こうぜとはしゃぐ彼は早速、備え付けの便箋とペンを手に取る。おれはまだやるとは言ってない、と思ったがきっとあまり意味がないだろう。妙に楽しそうなコラソンの顔を見てしまうと止める言葉も出てこなくなってしまった。ローは溜息を吐くと、渋々といった風情で横にあった踏み台に上がり、コラソンの手元を覗いた。青いインクで『親愛なるローへ』と几帳面な文字で書かれている。
「……何か意外だな」
「何が?」
「コラソンの字。意外と……綺麗だ」
 彼のことだ、もっと下手くそな文字を書くと思っていたのだが。
「そうか? まあ文書を書くことも多いからな」
 コラソンは照れくさそうに鼻の頭を掻く。
「文書?」
「あー、ファミリーにいた時に作戦会議で議事録取ったり……」
「そんなことしてたか?」
「してたんですぅ。――ほら、ローも書けよ」
 便箋を一枚手渡される。突然手紙を書けと言われても。毎日顔を会わせている男に今更何を書けと言うのか。白紙を見詰めて考える。コラソンをちらと見ると、淀みなくペンを走らせていた。ローも備え付けのペンを握って『親愛なるコラソンへ』と書き綴る。
書きたいこと。伝えたいこと。言いたいこと。――ドジを治せ。これはあんまりだ。そうとなれば、これくらいしか思いつかなかった。
 ――いつもありがとう。
 これだけじゃ少し寂しいのでもう一行、付け足す。
 ――大好きだ。
 何だか恥ずかしい気もしたが、でもこれが彼に伝えたいことだ。最後に署名をして、便箋を折り畳み、備え付けの封筒に入れる。宛名と差出人を書き記して封をした。
「書き終わったか?」
「うん」
 コラソンは窓口に行くと、二通分の切手を手にして戻って来た。一枚をローに手渡すと、ぺたりと封筒の隅に貼った。ローも倣って封筒の左隅に切手を貼り、二人一緒にポストへ投函した。
 店を出て、通りを歩く。はぐれないようにコラソンの手を握る。
「なァ、コラソン。手紙には何て書いたんだ?」
「そりゃ十年後のお楽しみだ」
「でも十年って」
「あっと言う間だろうよ。十年なんざ」
「おっさんくせェ言い方だな」
「酷ェ! おれはまだ二十六だぞ!」
 ローはぱちぱちと金色の瞳を瞬いた。不思議な感動が胸を打った。
 ――この男は二十六歳だったのか。
 普段の子供っぽい言動からは予想もできなかった。
 十年後。この男は三十六歳。自分は二十三歳。――上手く、想像ができない。彼の姿も、自分の姿も。十年後もまだ、コラソンと一緒にいるのだろうか。その時自分は何をしているのだろう。それすらも想像がつかなかった。
「十年経ったら、おれも三十代後半かァ。ローはどんな大人になってるんだろうな」
「知らねェ」
「何がともあれ、おれはローがデカくなるのが楽しみだよ」
 そう言ってコラソンは赤い瞳を細めて柔らかく笑ったのだった。
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