推理作家のなんでもない一日
――今朝、洗面所で歯を磨いていた時、ふと目に入ったもう一本の歯ブラシを見て、新しいものを買ってこようと閃いた。
掃除と洗濯を済ませて家を出る。すっかり秋めいた気候は爽やかで心地よい。絶好の散歩日和だ。先日までの残暑が嘘のようだ。車は使わずに徒歩で買い物へ行こうと決意して無人のエレベーターで降下する。エントランスホールを出ると抜けるような青空が眩しくて私は一瞬、目を眇めた。
歩き慣れた道を行きながら、随分と浮かれている自分に気付く。
――今日、火村が訪ねてくる。
たったそれだけのことで妙に浮足立つような気持ちになってしまう。流石にフィールドワークの時は公の場なので自重自戒するけれども。プライベートで会うとなれば別だ。いい歳をした大人が、とおかしく思うのと同時に自分にもこんな感情があったのかと驚いてしまう。
誰に教えられなくても誰かに恋をする、というのはなかなかのミステリーだ。脳科学、進化生物学、人類学、文学や哲学など数多の学問でも繰り返し愛や恋について取り上げられてきたが、それらについて未だ明確な答えはない。目に見えず、触れられず、匂いも色も形もなく、数値化もできない。もし恋や愛というものが目視できるのなら、どんなものだろう。火村の場合、猫の形だったりして。想像をして噴き出してしまう。と、不意ににゃあという声がして足元に目を遣るとどこからとも無く現れた黒猫がいた。猫は餌が欲しいのか、その小さな頭を私の足に擦りつけて金色の瞳で見上げる。
「君、人懐こいなあ。どこの子や? 首輪してへんから野良か?」
その場にしゃがみ込んで顎下を撫でてやると気持ち良さそうに目を細め、ごろごろと喉を鳴らす。野良猫にしては毛艶が良いし、警戒心が薄い。黒猫は長い尻尾を優雅に揺らすと腕に巻き付けてくる。構って欲しいらしい。可愛らしい仕草に自然と頬が緩んでしまう。よしよしと頭や背を撫でてやるとリラックスしたように地面に長く伸びた。
私はふと思いついて携帯電話を取り出し、カメラアプリを起動させて写真を撮った。次にメッセージアプリをタップして数日前の日付で途切れている画面に今しがた撮った黒猫の写真と『可愛い子ちゃんおったで』とテキスト入力して送信する。既読がつくのはまだ先だろう。今頃先方は大学の一室で講義中だろうから。
「もっと遊んでやりたいけど。俺もこれから用事あんねん。またな」
猫の頭を撫でて立ち上がる。「餌をくれへんのか、撫でられ損やないかい」と、どこか恨めしそうな響きを孕んだ鳴き声を背に聞きながら――後ろ髪を引かれつつ――私は足早に立ち去った。
今日の買い物は歯ブラシ、マグカップ、防寒具の下見、書店を覗いて面白そうな本があれば購入、それから食料品。夕食は涼しくなってきたので鍋にする予定である。材料を切って鍋に入れ、煮ればできあがるので作るのも楽だ。今は一人分から作れる鍋のたれが売っているのも真に便利である。スーパーは一番最後に寄るとして、まずはドラッグストアから。
いつも行くドラッグストアの自動ドアを抜ける。ピカピカに磨き上げられたリノリウムの白い床がいかにもドラッグストア然としていて消毒液の匂いが漂ってきそうな感じがする。否、それはどちらかといえば病院か。オーラルケアグッズが並んだコーナーに直行して普段火村が使っている歯ブラシを探す。――あった。二百九十八円也。色は適当にブルーを選ぶ。他に何か必要な物がないか確認していきながら店内を一周する。避妊具やローションが並んだ棚の前で一瞬、居た堪れないような気分になった。スキンの残数は幾つあっただろうかと考えたが、はっきりしない。この棚の前でいつまでもぼんやりしているのは不審者のようだし、そもそもまだ買い物があるのでここでスキンを買うのも何だか気が引けたので歯ブラシだけを持ってレジに向かった。
会計を済まし、ドラッグストアを後にして電車に乗る。向かうのは梅田方面。十分少々揺られて目的の駅で降車する。様々な商業施設が集まった繁華街は平日の昼間でも人でごった返していた。気持ちの良い気候のせいか道を行く人々の表情も晴れやかに見える。人群れの間を縫うように進んで、特徴的な形をした商業ビルに入り、エスカレーターで上階へ移動する。ここでの目的は防寒具――マフラーの下見である。数年使って草臥れてきたので新調しようと思ったのだ。
メンズファッションを取り扱っているフロアはあまり人がおらず、静かだった。特にここのブランドのものを、と決めているわけではないので、とりあえず目についた物から順繰りに見ていくことにした。どのショップも一番目立つところにディスプレイされた衣服は早くも次の季節を先取りしていた。このまま秋もあっという間に過ぎるのだろう。気が付いたら年末だった――そうやって今年も終わるに違いない。年々、時間の経過が早まっているように感じるのは何て言うんだっけ? 思い出せない。
十五分ほどフロアをうろつていると不意に携帯電話が振動した。電話かと思って取り出してみると新着のメッセージが一件。火村からである。画面をタップしてみると『俺も撫でたい』と偽らざる本音が並んでいて少し笑ってしまう。ほんまに猫が好きな奴やな。返信を入力しようとしてまた新しいメッセージが届く。『小さい秋見つけた』と来て画像が表示された。写っていたのは白やピンクのコスモス。どうやら大学構内にある花壇であるらしい。何だか久し振りに花を見たような気がした。それこそ私が子供の頃は空地がそこここにあって、季節になると野放図に植物が繁茂して花を咲かせていた。いつの間にか草が繁り、蕾が開花し、やがて枯れて、またいつの間にか次の季節の植物が芽吹く――今となっては失われた景色だ。
それにしても一体どんな顔でこの可憐な花の写真を撮ったのか、想像をするとちょっと面白い。ふと彼に似合う花を空想しかけて、辞めた。店先でぼんやりしている場合ではない。
「マフラーどれにしよ」
今日は買わずに見るだけのつもりでいたが、実物を見ていると今買ってしまっても良いような気がして、棚に並んだダークトーンのマフラーを手に取ってみる。カシミアだけあって手触りが良い。ダークグリーンやネイビー、グレー、ブラック、オフホワイト、派手なものだと赤いチェック柄もあって目移りしてしまう。が、流石に赤を身に着ける勇気はない。
「うーん、これがええかなあ?」
目に付いたのはブラック、ネイビー、グレーの三色が縦にグラデーションのように配色されているマフラー。ブランドロゴがワンポイントに入っているのも嫌味がなくて良い。値札を確認すると予算内ギリギリの数字が並んでいた。
――あ、そうだ。
私はマフラーを手にして店員を目で探した。
マフラーの会計を済ますと今度はマグカップを求めて移動する。エスカレーターで七階に上がり、寝具やキッチン用品などが売られている暮らしのフロアへ。広いフロアの真ん中を突っ切って食器が並んでいる棚を見て回る。
「流石に前と同じものはないなあ」
つい先日、長年使っていたマグカップをうっかり割ってしまったので新しいものを買いに来たのだ。オシャカになったそれは私が使っていたものではなく、火村専用のマグカップで、それらしく彼のイニシャル――Hが洒落た書体で印字された代物だった。コーヒーが飲めれば何でも良いように思うが、一月で使い捨てる歯ブラシを選ぶようにはいかない。長く使うのだから、やはりそれなりにきちんと選びたい。本当なら本人に選んで貰いたいところだが、致し方ない。
シンプルに真っ白なものか、それとも黒一色、ファンシーに猫の絵柄のものか。アラサーのおっさんが猫印のマグカップでコーヒーを啜っている様はなかなか強烈だ。否、一周回ってちょっと可愛いかも? いやいやいや。デカデカとゴシック体で英字がプリントされたものもあったが、あまりピンとこない。隣に並んでいる花柄はちょっと遠慮したい。可愛すぎてイメージにそぐわないし、ミスマッチすぎる。前衛芸術も真っ青だ。カップ自体のデザインは繊細で美しいのだけれど。
そういえば彼は春生まれだったことを今更のように思い出す。火村の故郷では桜が咲き始めるのは早いと四月の中旬、平年では五月の初め頃だ。随分と美しい季節に生まれたのだなと少し不思議に思う。という私も同じく四月生まれなのだけれど。尤も私の場合、美しいというより、賑やかと言った方がしっくり来る。
ふと視界の端に捉えた青色。視軸を転じると、内側は白く、表面は深海を思わせるロイヤルブルーで染められたマグカップが並んでいた。艶のないそれは良く見ると薄く筆記体で英字が彫り込んであり、飲み口も真円ではく八角形だ。なかなか洒落たデザインである。特に色が気に入った。私が使うわけではないが、この色出しは火村にも似合うのではないだろうか。彼の手の中に収まっている様を想像して青いマグカップを一つ、手に取った。
◆◆◆
午後七時過ぎになって火村がやって来た。彼のリクエスト通り、味噌だれを使った鍋を突きながら況報告をし合い、他愛もないお喋りに興じる。私は専ら今日の出来事――写真を撮った黒猫のことや買った本、スーパーで見かけた新商品についてなど――をだらだら喋った。
「作家先生は充実した休日だったみたいだな」
「休日ちゃうわ。帰ってきてからきっちり仕事しとったで」
とはいえ、執筆した分量は原稿用紙二、三枚に過ぎないけれど。馬鹿正直に言うとまた突っ込まれるのでそこはで黙っていることにする。そりゃ失礼――火村はちっとも悪びれた様子もなく告げてレンゲで豆腐を掬い取る。
「この間君が使うてるマグカップ、うっかり割ってもうたから新しいの買うてきたんや」
「
「
これや――私は冷蔵庫から麦茶を取り出すついでに洗いカゴに伏せていた
「な? ええやろ、これ」
「うん。――時にアリス。表面に刻まれてる文字、ちゃんと読んだか?」
「へ? いや、なんや横文字が入っとるのは知っとるけど。筆記体でお洒落やなあって」
「Je vous aime」
「なんやて?」
「フランス語。――愛してるって」
手にしたグラスを危うく落としかけた。
「え、嘘やろ?」
「嘘じゃねぇよ。調べたら判る」
火村は携帯電話の画面を操作すると私に見せた。確かにネット上の翻訳機能ではJe vous aime――愛してると表示されていた。
「ええ、そんなんやったら買わんかったのに」
よりによってなぜ愛の言葉なのだ。それなら猫印の方が数千倍良かったし、もっと言うなら花柄の方が良かった。私がそんなことを呟くと「良くあるだろ、こういうの。欧米人から見たらぎょっとするような英文がプリントされたTシャツとか。逆に向こうが漢字の意味を知らずに文字の形が格好良いからってだけで選んで刺青入れたり。そういうノリだろうな」火村は何でもないことのように告げる。
「明日返品してくる」
レシートはまだ捨ててない。
「却下」
「なんでやねん」
「それはこっちの台詞だ。せっかく俺のために選んでくれたのに勿体ないだろ」
「いや、でも」
「それにここに書いてあることは本当のことだしな」
火村は言いながらにやにや笑う。その笑い方、辞めろ。
「はあ。よう恥ずかしげもなく言うわ。心臓に針金でもびっしり生えてるんとちゃうか、お前」
「俺は恋人の好意を素直に受け取ってるだけだ」
しれっと答えて豆腐を口に運ぶ。普段、捻くれてる言動を取るくせにこういう時ばかり妙に素直というか、ストレートなものの言い方をするのは、ギャップが大きすぎて未だに慣れない。 彼なりの愛情表現なのだろうが、それにしたってちょっと情熱的すぎないか。嬉しいというよりも、つい気恥しさが先立ってしまう。
鍋を覗いて白菜と鶏肉を取り皿によそっていると、
「なあ、アリス。ソファの横に置いてあった袋、あれ誰かにプレゼントするのか?」
それとも誰かから貰ったのかと、火村は僅かに声のトーンを落として訊ねてくる。彼が気にしているのは昼間私が買い求めたマフラーである。目敏い奴め。――帰宅してそのまま置きっ放しにしていた私が悪いのだが。何か勘違いをしているような彼の態度を見て少し揶揄ってやりたくなって「あれは人にプレゼントするやつや」と言ってみた。さあ、彼はどう出るか。
「誰に? 天農か? 親しくしている同業者にか? それとも会社員時代に付き合いがあった奴か? ブランド名からして女性に贈るわけじゃなさそうだが。でも中身によっては相手が女性でもおかしくはないな。包装紙の中身はなんだ?」
ややテーブルに身を乗り出して矢継ぎ早に問う。興味津々らしい。私は意地悪く笑いながら逆に問い返した。
「なんやと思う?」
「質問に答えろよ」
火村の口角が下がる。――掛かった。
「そんなに気になるか? 中身や渡す相手について」
「……相手とその理由による」
「まあ理由はお祝ではないな。何かのお礼でもあらへん。単純に俺が相手にプレゼントしたいて思ったんや。君が気にしとる中身はマフラーやね、メンズものの」
「お前にそんな殊勝な気持ちを抱かせる奇特な相手は一体誰だよ。俺が知ってる人間か?」
「せやな。けど、さっき出た天農はちゃうで。あと大龍もな」
「……じゃあ森下刑事か?」
火村の口からあまりにも予想外な名前が出てきて私は堪らず噴き出した。と、向かいに座る恋人は目を見開いた後、ばつが悪そうに片頬を攣らせてみせる。
「なんでそこで森下刑事の名前が出てくんねん」
「いや、だって、いかにも彼が好みそうなブランドだったし、天農や大龍を除いた俺とお前の共通の顔見知りってなったらそう多くはねぇし、」
「そらそうやけど。けど、俺が森下さんにプレゼントする理由が何一つあらへんし、寧ろ向こうからこんなもん要らんて熨斗つけて突っ返されるわ」
「じゃあ誰に」
火村はどこか不貞腐れたような顔をする。やり過ぎて臍を曲げられても困るので、ここいらでネタバラしをするのが良いだろう。
「いつもの名探偵ぶりはどうしたんや? ――相手は決まってるやろ。今俺の目の前に座ってるやつや。つまりお前や、お前」
「は?」
まるで何を言っているのか判らないといった顔色で火村はぽかんとした。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔の見本のようなそれに、また笑いが込み上げてくるが、どうにか堪える。
「もっと嬉しそうな顔せぇ」
「……どうもありがとう」
「全ッ然感謝が篭っとらんな。そんな驚いたか?」
「まあ、それなりに。というか、タチの悪いドッキリはよせ」
「なんや、センセ、ヤキモチか?」
「そうだよ。お前は冗談でも俺は笑えねぇし、面白くない」
火村は至極真面目な口調で告げながら溜息を吐く。ふっと空気が緩んだ気配を感じて、彼が本当に内心穏やかではなかったことを悟った。ここは素直に謝るしかない。
「それはすまん」
「判れば宜しい。――で? なんだって俺にマフラーを買ってきたんだ?」
気になるのか火村はちらとソファの方を一瞥する。
「さっきも言うたけど、別に深い理由はあらへん。ほんまは自分のを買うつもりでいたんやけど、商品見てるうちにこれ火村の方が似合うとちゃうんかなって思うて。ただそれだけや」
「太っ腹だな、作家先生は」
「まあ偶にはこういうのもええやろ」
恋人同士らしくて――という言葉は呑み込む。
「でもそれじゃお前が困るんじゃないのか? マフラーないだろ」
「あー、俺のは適当にその辺で買うわ」
今日買ったような値段のものは流石にぽんと手が出ないが、ブランドに拘らなければ幾らでもあるし、最悪ファストファッションのものをワンシーズンで使い捨てて来年少し良いのを買えば事足りる。私がそんなようなことを言うと「じゃあ俺がアリスのマフラーを買う」と来た。
「良いだろ、偶には。恋人同士らしくて」
敢えて言わなかった言葉をこいつは易々と言いやがる。しかもちょっと嬉しそうに。
「君のファッションセンスは信用ならん」
「なら一緒に買いに行けば良いだろ。好きなの選べよ」
「え、それって最早ただのデートやん」
「思い切りデートだな」
「火村の口からデートて聞くとなんや寒イボ立つわ」
あァ? ――片眉を吊り上げてこちらを見たので何でもないデスと大人しくハンズアップする。
「で。そのデートやらはいつすんねん。俺は今月中やったらいつでも空いとるけど」
すると火村は少し考えるような素振りした後「再来週の日曜日」と呟いた。
「アリス、いつまでもベッドに潜り込んでないで出て来いよ。そんなんじゃ俺も帰れねぇよ」
「……俺のことは放っておいてくれ」
「放っておけるわけねぇだろ」
ほらアリス、と頭から被った布団を勢い良く剥ぎ取られてしまった。火村に顔を覗き込まれて咄嗟に枕に顔をうずめる。――穴があったら入りたいとは正にこのことだ。
私は大いなる勘違いをしていたのだ。今夜、てっきり火村は泊まっていくかと思っていたのだ。だからそれとなく、所謂“夜のお誘い”をしてみたのだが――悪いアリス。今日は帰らねぇといけねぇからそれはまた次の時に、と断られてしまったのだ。私は呆然とした。呆然としてから消えたくなった。そして思い出した。数日前のメッセージのやり取りの中で、そっちに顔は出すが翌日は休講した講義の振り替えが二コマ目にあるから泊まらずに帰る、という旨の文章があったのを。私がうっかり――多分、浮かれすぎて――それを忘れていたのだ。本当に穴があったら入りたい。誰か俺を埋めてくれ。恥ずかしすぎて死にそうや。憤死ならぬ、
「アリス、顔見たい」
「嫌や」
「キスしたい」
そう言われて今日はまだキスひとつすらしていなかったことを思い出す。火村の言葉を無視していると宥めるようにくしゃりと髪を撫でられた。
「正直言ってお前から誘われて嬉しかったし、断るのがすげぇ勿体ねぇなって今でも思ってる。――再来週の土曜、今日の埋め合わせをするから」
それでどうか赦してくれと背中越しに乞われて、私は頷くしかなかった。のろのろと身を起こして火村と向き合うと淡い微笑が出迎える。筋張った手が頬に触れて黒い瞳が近付いてきたので瞼を伏せた。この日、初めてのキスをした。
――ああ、チクショウ。
私はこの男が好きで好きで堪らないのだ。
ぎゅうと火村に抱き着いて肩に額を伏せる。
「……なんや今日一日中、ずっとお前のことばっか考えとった気ぃするわ」
何を見ても火村のことが頭から離れなかった。こんなにも深く彼の存在が自分の生活の中に入り込んでいることを知って驚いたくらいだ。
「それじゃ俺はアリスに目一杯愛されてるんだな。物でも景色でも、それを誰かと分かち合いたいと思うのが愛だから」
「なるほど、確かにそうや。――火村は俺に愛されて嬉しいか?」
戯けながら訊ねると「愚問だな」と背を強く抱かれる。
「アリス」
「なんや?」
「アリス」
「うん?」
「好きだ」
「俺も、ちゃんと好きやで」
若白髪混じりの黒髪を撫でながら「あと五分したら帰したるから、もう少し傍におって」ねだると、了承の合図として唇が重なった。
時が過ぎていく。
火村が居なくなるまで、あと――。
(了)
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