海南
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これも勝負だと言うのなら、私は相手の子に何と声を掛けるのが正しかったのだろう。
「牧じゃねーか!」
声を掛けられ、振り返る。そこには中学の同級生がいた。スポーツバッグを肩に掛け、竹刀袋を担いで歩いてくるので立ち止まって待った。
「久しぶりだな!元気か。バスケも。」
「お陰様で。お前は。」
「万事滞りなく。明日県大会なんだよ、個人の。」
「そうか。剣道は早いんだな。」
「バスケはまだ先か。」
「まあな。」
近況報告をし合っていると、彼がふと思い付いたように口を開いた。
「会場近いんだよ、観にこねえ?」
「練習があるからな…でも、そうだな、お前の勇姿を観ておくのも悪くないかも知れん。」
「ははっ!だろ、先にインターハイ決めてくるわ。」
「頼もしいな。終わったら行くよ。」
「一応連絡くれ。返信がなけりゃ勝ち残ってるってことで。」
「そうだな。」
そう言って、別れる。別の競技を観ておくのも、何か発見があるかも知れない。
その日は自分でも驚くくらい調子が良かった。体は軽く、頭は冴え渡り、竹刀の先まで神経が行き渡っているような気分だった。勝ち上がれば勝ち上がるほどに強くなる相手、高揚する気持ち、まるで麻薬のように私を昂らせる。
生成りの道着袴、同じ色の防具、光の加減で至極色になる胴台、レギュラーの揃いの装いだ。心強く、またそれは誇りでもある。身に纏えばひとつ強くなったような気持ちになった。
「徳重先輩、襷付け替えます。」
「お願い。」
面紐を肩に掛けて後輩に背を向ける。背中の襷が赤から白に付け替えられるのを感じながら次の相手を確認する。相手の名前に心臓が高鳴った。
「…大本命じゃない。」
「先輩?」
「ん、ありがとう。」
息を整える。連戦だ。でも次で終わる。なぜなら。
「決勝、頑張ってください!」
相手は、昨年のインターハイ準優勝者。今大会優勝大本命。避けられない相手なのだ。
その試合は格が違った。
両選手が現れた瞬間から目を奪われる。歩く姿、礼の姿勢、構えから蹲踞に入る速度。全てが他と違ってなんとも奥ゆかしいものに見えた。開始の合図に立ち上がり、最初の一声を発した瞬間、空気が一気に張り詰めた。触れ合う鋒、じりじりと詰める間合い。一瞬たりとも目が離せない。
ひとつ息をついたその時だ。
一方が一瞬剣先を浮かすと、他方がすかさず踏み込んだ。迷いのない小手。赤の旗が上がる。
「あーあ、ありゃ腕切り落とされたなぁ。」
決勝を終えてやって来た友人が右手首を振りながら戯けるように言った。女子の方が進みが遅く、彼の試合はとうに終わっていた。中学の時も輝かしい成績を残していたが、錆び付いてはいなかったらしい。
「俺の自慢の後輩。今年はこの県予選どころかインターハイ優勝大本命って言われてんだぜ。」
「お疲れ。」
「サンキュ。」
「お前はインターハイには出られるのか。」
「おお。」
「白は…」
「海南じゃねーか。お前、同級生だろ。知らねえの。」
「…あっ。」
「あっ、じゃねえよ。そういうとこ相変わらずだな。」
二本目が既に始まっている。友人は感心したように声を上げた。
「落ち着いてんな、徳重さん。」
「そうだな。」
慌てることなく、しかし貪欲に間合いを脅かしていく。俺にはあまりよくわからないが、一本先取されていとは思えない落ち着きと攻めだと思った。二本先取で勝ち、ということは知っている。白が体を乗り出すようにして、僅かに前足を進ませた。それが何かの合図になったのか赤が面のモーションに入ったようだった。
「わ、馬鹿っ…」
友人の声が耳に入るより前に、海南の選手の薙ぎ払うような胴がお見舞いされた。迷いなく白の旗が上がる。
「こういうとこなんだよなぁ、あいつは。なんでも押しゃ良いってもんじゃねえっての。」
「今のは。」
「海南の子が誘い込んだんだよ。打ちに行くふりしつつ竹刀の先をほんの少し真ん中から外した。」
中断の構えは剣先を相手の突きの位置に付けるのがニュートラルらしい。面が来ても喉に竹刀がつっかえるし、小手を打たれても鍔に当たって有効打突とならないそうで。その位置を敢えて外した、ということらしい。
「多分、わかった奴はあんまし居ないんじゃねえかな。すげー上手くやった。俺もあそこまではうまく出来ない。」
「ほう…。」
「アイツはなまじ見えるから引っ掛かるんだよ、ほんっとに…。」
友人は、そろそろ行くわ、と去っていった。アイツは少し稽古量増やす、などとぶつぶつ言っていた。相当可愛がっているんだな。
最後の一本を取り合う。膠着する試合はホイッスル音に一旦切られる。延長が宣告されると、今までの静けさが嘘のような打ち合いが繰り広げられた。赤の面、それを返す白の胴。その胴を打ち落とす赤、肩を当てるように間合を詰めて密着する白。鍔迫り合いに持ち込もうとする白の竹刀を弾いて引き面を打つ赤に、弾かれた竹刀を素早く戻して更に弾く白。
呼吸を忘れた。
間合いが切れ、構え直す双方。仕切り直しと言わんばかりの気合。自分の手がじっとりと湿っているのに気付いた。ふう、と息を吸い、吐き出した瞬間、
双方同時の面。
審判が慌てるように赤やら白やらと上げ下げしていたが、それよりもなにか選手の様子がおかしいのが気になった。ぶつかり合ったときにもつれて、折り重なるように倒れたようだ。審判は赤にまとまっていたが、肝心の赤の選手が立ち上がらない。白の選手が何か声をかけているようだったが、審判に声をかけ、すぐに自身の小手を外して相手の面紐を解いた。頭でも打ったのかと思ったがどうもちがう。
「腕、変な方に曲がってたよな。」
観客の声にもう一度よく選手をみた。赤の選手の左手がだらりと垂れて動かない。監督が駆け寄り、声を掛けている。白の選手は審判に言われ、開始線に戻ってその様子を眺めていた。審判と監督が何かを話し、赤の選手を連れてコートから出ようとした際に、その選手がコートの、相手を見て礼をした。海南の選手もそれに応じるように礼をした。審判たちは少し話し合うと、残された選手に何か声を掛ける。
相手不在のコートで、相手の旗が上がって勝負有りの宣告がされる。礼式を一人で済ませ、正面に礼をするその姿は、凛としていたがどこか悲哀を感じた。
医務室に駆け込んだ時には、病院に搬送される直前だった。掛ける言葉も思いつかないまま、失礼を承知で飛び込んだ。
「失礼します!海南大附属の徳重で」
「ああ!ありがとうございました!」
彼女は明るく笑ってこちらに右手を伸ばす。応急処置をされ、肩にはバスタオルを掛けていた。差し出された右手を握って、はなす。言葉が浮かばない私に、彼女は朗らかに笑った。
「徳重さんのあの胴、すごかったっす!完全に誘われましたね私。切腹〜あはは!」
「そんな…一本目で私、右手なくなっちゃいましたよ…。」
「してやったりでしたねー。」
「あと、相面…」
「あれは肝冷えました。勝ててよかったです。」
「腕は、」
「なんか、外れちゃったみたいですね。でもこれから病院行くんで!大丈夫です、ひっつけてもらってきますよ。」
「ごめんなさ」
「謝らないで。これも勝負です。」
監督に呼ばれて彼女は立ち上がる。笑顔で会釈すると、去っていった。
私も探しにきた部員に呼ばれ、表彰式に出た。優勝者のいない表彰式はなんと虚しいのだろうかと、他人事のように賞状を受け取った。何も感じなかった。
自分の名前が、自分のものでないようだった。
人がまばらになった会場。片付けをする係員や手伝いの学生たちが忙しなく動き回る。友人に声を掛けてから帰ろうかとロビーに下りると、人気のないベンチで呆然と座る生成りの道着袴の選手を見つけた。あの横顔、確かに見たことがあった。
「… 徳重。」
「わ、あ、牧?え、なんで?」
「友人が試合に出ていたから観に来た。」
「あ、そう…なんだ。」
「落ち込んでいるのか。」
「落ち込む?なんで。ああ、決勝負けたからね。」
「そうじゃないだろう。」
隣に座り、息をつく。
「準優勝おめでとう。お疲れ。」
「ありがと…。」
「着替えなくていいのか、汗が冷えるぞ。」
「…何も感じない。」
「え?」
「暑くもない、寒くもない。嬉しくもないし達成感もない。相手に怪我をさせて、私…。」
コートに現れた時も、試合中も、表彰式も、息を呑むような綺麗な立ち居振る舞いと凛とした表情で気丈に立っていたその姿とは打って変わって、弱々しく自身を抱き締めて、肩を小さく震えさせた。あの美しさに心を打たれ、惹きつけられた。しかし、目の前のあまりに弱い姿は、俺の中の少しの庇護欲と、支配欲のようなものを掻き立てるばかり。
通路から見えないよう、体の位置を変える。
「…誰も見えない。見せない。少し休んで行け。」
事故だったとか、そんなこともある、なんて安っぽい言葉は却って邪魔だ。そんなことは本人が一番分かっている。それでも消化出来ないのだ。
「相手の子、笑っていたの。笑って、ありがとうございましたって…。謝ろうとしたら、これも勝負だからって。」
「…そうか。」
「どうして責めてくれなかったんだろう、その方がいっそ清々する。どうしてそんなに強くいられるの、私は…どうしてこんなに弱いの…。」
俺は羽織っていたジャージを彼女の頭から被せる。包み込むように緩く抱き締め、被せたジャージ越しに額をあてる。
「それは弱さではない。相手を思い遣る、優しさだ。それがなくては強くなっていけない。」
「牧、」
「コートで誰よりも早く相手を気遣い、試合の後も様子を見に走った徳重は、優しい。弱さを押し込めて表彰式に立っていた姿は、徳重がこんな風に傷付いているなんて誰も気が付かないくらい強く美しかった。」
「やめてよ、そんな」
「やめない。俺は俺の思ったことを言っているだけだ。」
「私が傷付くなんて、そんなのあまりに身勝手じゃない!」
「それでも徳重はこうして傷付いて泣いているじゃないか。」
「ちが…っ」
「起こってしまったことを後悔するのはやめろ。消化しきれない気持ちは全て吐き出してしまえ。」
「部員の前では、強い自分でいたいのだろう。」
彼女が深呼吸するのを感じる。
「ご、ごめんなんだけど…その、臭いと思うから離れて…。」
俺は慌てて体を離す。
「すまない、練習の後に来たから。」
「違う、私が。汗と防具でにおいがひどいから恥ずかしい。」
笑いながら、ジャージから顔を出す彼女の目は赤く腫れていたが、とても可愛らしいと思った。
「ありがと、牧。すっきりした。…気持ちは晴れないけれど。」
「そうか。」
「感謝の気持ちで、前に進まなきゃ。」
「そうだな。」
「かっこ悪いとこ見せちゃったな。」
「そんなことはない。十分かっこいい。」
「嬉しくないなあ。」
「…綺麗だ、とても。」
「あ…はは、ありがと。」
ジャージを手に持ち、洗って返すね、と言ったがさっさと取り上げる。
「いい。そんなことより、そろそろ行かなくていいのか。」
「そうだね、行くよ。」
そう言って立ち上がる。
「ありがとう、牧。」
その微笑みを、俺は忘れることが出来なくなってしまった。
一閃
あれは俺の心を駆け抜けた、光
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Twitterにてリクエスト頂いたものです。
剣道描写濃い目のものということで。
ありがとうございました!
※仙道長編のスピンオフでもあります。