翔陽
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俺が君を愛した。
それだけで、何が問題だというんだ。
年末年始など関係のない医師の透と看護師の私は、結婚して最初の新年、見えない力によって休みとなっていた。勤務先は、彼の父親が院長を務める総合病院なので、まあ、お察しの通り。
彼の家は由緒正しいお医者様の家系。中小企業のサラリーマン家庭に育った私とは何もかもが違っていた。
「透ちゃんのお嫁さんは…」
花形の親戚の方々から透が質問攻めに遭っていた。馴れ初めはどう、やら、どうして私と結婚した、だの。大きなお世話だ、と内心思いながら能面のような笑顔を貼り付けて応対し、でも、小さく聞こえてくる心ない言葉に打ちのめされもした。
誰それのお嫁さんはどこそこの社長令嬢だとか、なんとかちゃんの嫁ぎ先はどこぞの院長のご子息だとか。はいはい、それは大層ご立派なこって。
お手洗いに立ち、用を済ませて広間に戻ろうとするが足取りは重い。廊下の窓に映る自分の情けない顔に愕然とした。いつからこんなに弱くなってしまったんだろう。そう思って溜息をつくと、急に涙が止まらなくなった。
「依紗、どうした。」
正面からやって来た透がやや驚いた顔をして駆け寄って来た。
「あ…ごめん、大丈夫。どうしたんだろ…。」
慌ててハンカチを取り出そうと鞄を漁り、もたついていると、透が自身のハンカチでそっと涙を拭いてくれた。
「…笑顔になれないことはしなくていい。無理な振る舞いは、心がすり減るだけだ。」
そう微笑み掛けてくれた。きっと彼はお見通しなんだ、私がどんな気持ちでいたか。
どうにか落ち着いたところで、透が私の手を強く握って歩き出す。
広間に戻ると、透は親戚たちを見渡した。人並み以上の長身の彼はよく目立つ。お友達の藤真くん曰く、いつも集合場所は花形だった、とのことだ。分かる。その体格と端正な顔立ちは、どこにいたって目を引く。
今、まさにそうなのだから。
「…私のことをどうこう言うのは一向に構いません。しかし、彼女を軽んじるような発言は慎んで頂きたい。」
静かに、それでいて通る声が、淡々と言葉を紡ぐ。私は彼を見上げ、目を見開くばかり。
「あなた方が下に見ている看護師が居なければ、我々医師は1人の命を救うことだってままならない。そんなこともわかっていない人間が医療に携わっているなんてぞっとする。嘆かわしい話ですね。」
水を打ったように静まり返る部屋に、私はただただ居心地の悪さしかなかった。しかし、隣に立つ彼の言葉は力強く私を励ました。崩れ落ちそうになる膝は、しっかりと私の体を支えている。冷え切っていた心が、ゆっくりと熱を取り戻していく。
「職業に優劣はない。言ってしまえばただの記号だ。俺は彼女を尊敬しているし誇りに思う。なにより、心から愛している。…こんな品評会紛いの宴席に二度と出席するつもりはありません。あなた方と同じ一族として扱われるなんてこちらから願い下げだ、胸糞悪い。」
彼はそう吐き捨てると、私の手を引いて玄関の方へ歩いて行く。少しよろめいたが、私は彼に恥じないよう、背筋を伸ばして歩いた。
長い廊下を歩いていると、後ろから声を掛けられる。
「透。」
彼の父親の声だった。
悠々とこちらへ歩いてくるその表情には、揶揄の色が窺える。
「なかなか言うじゃないか。」
その言葉に、顔を見合わせる。
「父親が死んで、喪も明けた。俺が家督を継いだ以上、こんなクソみたいな席は廃する。肩は凝るし気分は悪いし。姉さんは何が楽しいんだか…。なんなら病院をくれてやるのに。」
普段の物腰が柔らかく真面目な雰囲気とは打って変わって砕けたその物言いに、私たちは目を瞬かせるばかりだった。
「息子に先を越されるとはな、やれやれ。」
そう言って笑うと、透の背中を、ばしん、と叩く。
「後のことは任せておけ。胸を張って帰りなさい。」
義父はどこかいたずらっぽく笑うと、義母を伴って大広間に戻って行った。去り際に義母がこちらへ微笑み掛け、気を付けてね、と手を振って下さった。
「…俺、父さんがあんな風に笑うの初めて見た。」
「なんだか藤真くんを彷彿とさせるような雰囲気だった。」
「確かに。」
靴を履いて戸を開ける。庭を抜けて敷地から離れると、私は改めて安堵の息をついた。
「ありがと、透。」
「いや、嫌な思いをさせてすまなかった。…ありがとう依紗、よく耐えてくれた。」
「ううん、…守ってくれてありがとう。嬉しかった。」
「私も、透を尊敬してるし誇りに思っているし…大好きだよ。」
そう言って見上げると、透は少し驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「…ありがとう。依紗と出会えて本当に良かった。」
私の肩に手を回して、そっと抱き寄せてくれる。その大きな手はいつも私を安心させてくれる。
「帰ろう。疲れたよ。」
「うん、明日からまた頑張ろうね。」
「ああ。…それにしても、この歳で透ちゃんは苦しい。」
「笑いを堪えるの苦しかったよ。」
予定外に空いた時間に心を躍らせ、足取り軽く家路についた。
等身大を、愛して。
(どんなに押し潰されそうになったって、私には貴方がいる。)