陵南
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(神様、私、何か悪いことしましたか。)
依紗は、繊細な江戸切子のお猪口に注がれた冷酒を一気に煽り、徳利が空なのをみてカウンター越しに幼馴染みに声を掛ける。
「ねえ純、おかわり。」
「飲み過ぎだ、依紗。」
魚住は徳利も猪口も引いてしまうと代わりに水を出す。
「ヤダ、まだ飲む。」
「そろそろ帰れ。今日はこの後貸切だ。」
そう言われてしまうと帰るしかないか、と依紗はテーブルに突っ伏していた。
「ウース。ちょっと早かったか?」
「池上か。いや、問題ない。座っててくれ。」
「何か手伝うよ。…あれ?依紗ちゃんか?」
「……そうなんだよ、ちょっとな。」
カウンター席に座る依紗をみて、池上がその肩を叩く。
「依紗ちゃん?久し振り、元気か?」
依紗は顔を上げると、池上に驚くも、酔っていたので絡む形となる。
「池上くん、聞いてよ!ねえ、聞いてよー!」
「げ、かなり酔ってんな。」
「げ、て何よ。」
「……スマン、池上。今手に負えないんだ。」
すると依紗は池上の了承を得ないまま話し始める。引くに引けない池上は観念して隣に座り、テーブルに頬杖をついて話を聞く。
するとまもなく新たなメンバーが加わった。
「ウース、魚住さん!」
「越野に仙道か、お疲れさん。」
越野が仙道を連れて入ってくると、カウンターの状況に、仙道が声を掛ける。
「池上さん、何したんですか?」
「何してんですか、の間違いだろ。話聞いてんだ。」
すると依紗は仙道の声に振り返り、「あんたも座れ!」と一喝した。
「へ?あ、はい…。」
「言うこと聞かなくていいぞ、仙道。」
「純うっさいわ!」
依紗はグラスの水に口をつけると、「どこまで話したっけ?まあいいや、」と言って話し始める。
「…で、結局、妻子がいるからこの話はなかったことにして欲しいって泣きついてきたわけ。まさか式場見学行っただけで私が日程押さえたりドレス決めたり速攻きめてくると思わなかったのね。」
さっぱりすっぱり別れてやったけど、キャンセル料は全部払わせてやった、と言って依紗は笑うと、「純、酒!」と再度魚住に催促した。
「…これで最後だぞ。」
やがて座敷席では陵南バスケ部のOB会が始まったが、カウンターでは依紗が眠ってしまって動かない。心配そうに池上が様子を見に来て依紗の肩を揺するが、反応はない。
「生きてるか?」
「息はしてるから大丈夫じゃないか…?」
すると仙道がそこに加わり、「壮絶な話でしたね。」と苦笑いをする。
「そうだな…。酒癖は悪いが、いい奴なんだよ。」
「魚住さんがもらってあげればよかったのに。」
仙道は冗談めかして言うと、魚住はため息をついて、
「俺は所詮幼馴染みだ。ばかでかい弟、くらいにしか思われてなかったさ。」
と笑った。
「入り込む余地なんてなかった。」
そう言って魚住は依紗の頭を撫でた。その薬指には指輪がはめられている。
仙道は池上の方を見ると、池上は肩をすくめた。
「不毛だろ。」
「なるほど。」
「なんだ?」
魚住は2人に怪訝な目を向けたが、「仕方ない、少し休ませるか。」そう言って客席側に回ってくる。
「あ、俺抱えます。」
仙道はそう言って依紗を抱きかかえた。
「悪いな。こっちへ連れてきてくれ。」
調理場の奥の戸を開けると、自宅に続いていた。客間らしき部屋に依紗を運び込むと、座布団を並べてその上に寝かす。
「お、」
仙道が体を離そうとするが、依紗の手はそのジャケットを掴んで離さない。
「おい、依紗…」
「あ、いいです、俺少し様子見てからそっちに行きます。」
「そうか、すまんな。何かあったら呼んでくれ。携帯分かるようにしておくから。」
そう言うと、魚住は店の方に戻って行った。
仙道はしばらくその健やかな寝顔を見ていたが、やがてあくびをひとつ。
(人が寝てんの見てると眠くなるのはなんなんだろうな…。)
すると依紗が身じろぎして、少し目を開ける。
「目、覚めました?」
「あれ…ここどこ…」
「魚住さんのお宅ですよ。」
「君は誰…?」
「魚住さんの後輩の、仙道と言います。」
仙道は依紗の質問に簡潔に答えていくと、依紗は深いため息をついた。
「また…純に呆れられちゃったかな…。」
「でも嬉しそうでしたよ。」
「うそ。」
「さあ、どうでしょう。」
はあ、依紗はもうひとつため息をつく。
「思い出してきた。君にも絡んじゃったよね、ごめん。」
「いいえ、気にしないでください。」
ふと、仙道は思いついたことを口にする。
「魚住さんのこと、好きだったんですか?」
「!」
その表情を見て、先程の池上の言葉に納得する。
「言えばよかったのに。」
「私のことなんかそんな風に見てないよ、手のかかる姉貴ぐらいにしか。」
「おやおや。」
「純はバスケの事しか頭になかったから。私なんて入り込む余地なかったよ。」
(こんな綺麗にすれ違うものなのか。)
潔いまでのすれ違い具合に、いっそ清々しさを感じる程だった。
弱々しく微笑む依紗に、仙道は目を奪われる。
「魚住さんはすごいな…。」
(こんな可愛らしい幼馴染みがすぐ傍にいて、手を出さずにいたんだから。)
(こんなに信頼されて、想われていたら、逆に手も出せないのか。)
仙道は依紗に顔を寄せる。
「嫌なら抵抗して下さいね。」
そのまま口付ける。
「!」
依紗は驚くが、そのまま目を閉じた。
唇が離れる時、同時に目を開ける。
「どうして。」
「依紗さんが可愛かったから、つい。」
仙道はそう言って笑うと、「ゆっくり休んで下さいね。」と自分のジャケットを依紗に掛け、店のほうに行ってしまった。
その後ろ姿が見えなくなると、依紗は口元を押さえ、瞬きを繰り返した。
オーマイガー!
(神様、私が一体何をしたと言うのですか。)
(今日1日だけで人生が二転三転したような気分だ。)