【岸本】Courage et fierté
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少しでもその距離を埋めたいの。
「実理さん、起きて。」
寝ぼける実理さんを揺する。面倒臭そうに体を起こすと、いまなんじ…と呟く。
「いま、8時半くらい。」
「うそ、悪い。」
「ううん、疲れてるんですよ。でも、映画観に行きたいのは譲れないかなー。」
「分かっとる。」
「私、先に行ってます。」
「…は?」
「10時に駅前でいいですか?」
「待て待て、意味わからん。」
慌ててこちらに向き直る実理さんに、私は首を傾げる。
「待ち合わせです。」
「はあ?」
「たまにはこういうことしないと。マンネリですよ、マンネリ。」
「マンネリ…?」
「刺激を与えないとね。」
私たちは確かに結婚の約束をしている。でも、言ってしまえば単なる口約束みたいなもの。法的な束縛もないし、まだ両親にも挨拶していないのだ。…一方的に知られてはいるみたいだけど。
同棲は幸せだし、楽しい。もちろんいいことばかりではないけれど。今の私、甘え過ぎだと思う。
「初志貫徹。」
「お、おお。」
「遅刻厳禁。」
「わかった。」
「洗濯物、干して来てね。」
「はっや。」
「あ、ごめんなさい、洗いたいものあったよね…。」
「そうやなくて。おおきにな。早くから洗濯機仕掛けてくれたんやろ。」
ベッドに座る実理さんに対して、私は立っているので見下ろす形になる。新鮮だなぁ、と思っていたら伸びてくる手。腰の辺りに巻きついて、お腹に顔が埋められる。
「好きやで。」
「…な、なんですか急に。」
「言いたなった。」
「…あ、ありがとうございます。」
「麻衣は。」
「…好きです。」
「嬉しいもんやな。」
そう言って腕を緩めると、立ち上がる。
「朝メシ食ったん?」
「外で済ませます。実理さんもよしなに。各々抜かりなく。」
「草刈正雄かいな。」
「大河良かったですよね。じゃ、先に行きます。」
「おお、気いつけえや。」
見送りはしないで、と頑なに断り出掛ける。実理さんは首を傾げていたが、素直に従ってくれた。
「待たせたか。」
「ううん、そんなことないです。」
麻衣が小走りにやって来る。…なんか、いつもと違う。いつもと雰囲気が違い、柄にもなくときめいたりして、これが刺激か、などと納得する。駅のロータリーに車をつけ、乗り込んだのを確認し、発車させる。
「どこの映画館行きたいとかあるんか。」
「指定はないですけど…実理さんは?」
「俺もあらへんで。じゃあ…。」
以前麻衣がマグカップが欲しいと言っていたのを思い出す。したらショッピングモールに併設されとるとこがええか。目星をつけて、ウィンカーを出す。
「決断速いですね。」
「当たり前や。俺を誰やと思ってんねん。」
ランアンドガンは健在やで。
映画も堪能して、欲しかったマグカップも買えた…買ってもらった。家にあるのじゃあかんのか、なんて言う実理さんに、同じのを使いたいと言えば少し照れたように笑っていた。なんか良いなぁ。デートしてるって感じ。
「いっ…」
「は?」
ただ、その反動がボチボチと現れる。普段はスニーカーでがつがつ歩き回る私はハイヒールの類をほぼ履かない。だけど、たまにはこういう大人っぽいような靴で足元を飾って、少し背伸びして隣を歩いてみたかった。それが今回の一番の目的だったんだ。見送りを断ったのも、これがバレては困るから。だけど、こんなことになるのは想定外。
「…目線が違うとはおもっとったけど。」
「綺麗でしょ、この靴。」
「…。」
「なんとか言って。」
「いいから、そこ座っとれ。」
そう言い残して実理さんは去っていく。あーあ、失敗しちゃった。陰鬱な気持ちに泣きたくなる。しばらくして戻ってきた実理さんが私の目の前にしゃがんで靴を脱がす。自身の膝に私の足を乗せて、フットカバーを取り払った。
「な、ちょっと!」
「めちゃ靴擦れしとるやん。」
「…まあ、はい。」
「よう歩いとれたな。」
「平気だから。」
「気付かんくて悪かった。」
そう言ってレジ袋から絆創膏を取り出して貼ってくれる。自分でやると言っても完全に無視される。反対の足も同様に処置される。
「…なんで。」
「なんで、って。」
「そんな慣れない靴、なんで履いてきてん。」
私と実理さんは大分身長に差がある。その距離を少しでも埋めたかった。それから、
「…なんだか私、いつも子どもっぽくて。」
「はあ?」
「スニーカーしか持ってないし…。」
「ええやん別に。」
「良くないの!」
「はあ。」
「こういう綺麗なお姉さんが履くようなシュッとしたの履いて、颯爽と実理さんの隣を歩きたくて。」
「…そうか。」
ベンチの隣にどっかりと腰掛けた実理さんは、こちらを覗き込む。
「靴、買いに行こうや。」
「え?」
「そんなんじゃ歩けんやろ。」
「へ、平気!」
「へろへろなんじゃ、アホ。」
ぱしん、と軽く額をはたかれる。
「…おそろい。」
「え?」
「同じスニーカー、買おや。」
「えっ」
「なんや、文句あるんか。」
「ない、大賛成、めちゃ嬉しい。」
「決定。いくで…ってもその足で歩くのは」
「靴屋、そこにあるから。抱えるとか言わないでね。」
「…。」
「図星かいな。やめてよ、ほんと。」
「わかっとるわ。」
うそつき。
そう言ってお揃いの選んで、でも実理さんのサイズは取り寄せになるから直ぐには手に入らなかったけど、私はそこで買ったスニーカーを早速履いた。
「全然違う、すっごい楽。」
「せやろな。」
「でもこの靴…。」
「また履いたらええやん。どっかメシ行く時とか。そんな歩かん時。」
「うん。」
「…それ、」
「ん?」
「今日のカッコと良く合ってた。遠くから歩いて来る姿、麻衣やないみたいで。」
「…へへ、やった。」
「綺麗やで、ホンマに。」
繋いだ手をぎゅっと握って、実理さんはマグカップを買った時みたいに少し照れて笑った。その表情に、なんとなく視線を下に落とす。
やだな、刺激になったのは、私の方みたいだ。
夕飯を済ませ、車に乗り込んでエンジンをかける。
「…なあ、麻衣。」
「なんですか?」
「今夜、違うとこ行こうや。」
俺が何を言いたいのか、すぐに伝ったらしく。
「あ…。」
「…。」
暗い車内、俯く麻衣。俺はギアをドライブに入れる。
「…はい。」
そっとその手に麻衣が手を重ねる。
「…りょーかい。」
迷わずハンドルを切った。
「決断速いですね。」
「…まあ、な。」
「なんか、やらしい。」
「泣かしたろか。」
「やだよ!」
「さぞいい声で鳴いてくれるんやろうなぁ。声我慢する必要もないで。」
「やっぱ帰る!」
「遠慮すんなや。」
赤信号に照らされた俺の笑顔に、麻衣は顔をひきつらせていた。
おいつきたくて
埋められない距離は愛で補おう。
でも、体力は、無理!!!