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渡したいものがあった。
大掃除をしていたら転がり出て来た小箱。記憶の中を辿るがなかなか思い至らない。中身を開ければすむことか。思い出せないのに緊張する、こんな不思議なことは初めてだ。
「……イヤリング?」
片方しかないイヤリング。自分が身につけるわけがない。しかしそれは確実に己の海馬をゆさぶって、じわりじわりと思い起こさせた。そうだ、これは、
———約束、だ。
その日はあいにくの雨だった。進学は地方の大学に決めており、今日は引っ越しで大騒動なのにさらには雨、という気が重い展開にため息が出た。
幼馴染みの彼は都内の大学に進むと聞いている。私だって本当は華やかな都会に憧れたけど、仕方ない。行きたい学校はそこじゃなかった、それだけ。
「じゃ、ひと足先に。」
「ああ。元気で。」
「……うん。」
もう少しなにか気の利いた言葉をかけて欲しかった。そんな淡い期待をしてしまったのはなぜだろう。胸の奥がわずかに痛んだようだったけど、気のせいだと思える程度だった。この時は。
「……。」
「どうした、行かなくて良いのか。」
「ええと……」
高校が別になった頃から少しずつ離れていくのを感じていた。物理的にも、気持ちの上でも。これが大人になるってことなのかな。そんな風に思っていた。そのことに少しの寂しさはあって、でもそれは私だけなんだろうな。
「透、大人になって、お互いにいい人がいなかったら結婚しよ。」
なんてばかげたことを言ったのだろう。ドラマの見過ぎだ、なんて笑われてしまうのかも知れない。でも、それならそれでもいいか。
「……悪くないな。」
眼鏡の奥の明敏な目を楽しそうに細くした。どうしよう、私、この上なく嬉しいみたい。さっきまであんなにふさいでいた気持ちが急に前を向いたんだから。
「じゃ、じゃあさ!」
そうだ、そう言って身に付けていたイヤリングを片方差し出して来た。チープだよね、と困ったように笑ったその顔を思い出すと、途端にそれが焼き付いて離れなくなる。
成人式の日にも会ったがいつも通りで、お互いに変わらないな、などと当たり障りのない話をした。確かその時は……ピアスだった。これはもう要らないのだろうか。忘れてしまったのだろうか。
「あーもーむりしんどい。」
繁忙期に目を回すのも何回目になるのか。わかっていても、準備をいくらしても、イレギュラーは起きる。新入社員は程々で帰らせて、あとは中堅どころが駆け回る。……中堅、ねえ。もうそんな歳になったんだ。あっという間だなぁ。いっぱいひっかけてから帰ろうか、どうせ明日は休みだし。
重たい鞄を持ち直す。週明け月曜に客先へ提出する提案書が入っているためだ。重たい。責任ある立場になりたいというほどの向上心はないのに、知らないうちについてしまった中途半端な役職は思いのほか自分を追い詰めていることに気が付いた。後輩を見ながら、上司からの叱責を受け、客先からは無理難題を突きつけられる。
「一緒にいると息が詰まるんだよなぁ。」
「俺がいなくても生きていけるんだろ。」
好きで強くなったんじゃない。
ちがう、強くなんかない。
恋人だと思っていたひとたちはみんな似たようなことを言って去っていった。なんでいまこんなことを思い出しているの。ばかみたい。髪を耳にかけて気がつく、そういえばもうずっと同じピアスばかりだ。新調するのがあんなに楽しかったのに、今は何も感じない。
だめなんだ。
私、もう、疲れちゃった。
「依紗?」
懐かしい声に顔を上げた。その拍子に、こらえていたはずの涙がひとつ流れた。
帰省した時に母親から聞いた、依紗がこちらで就職したと。詳細は知らないが、どうも忙しくしているということも。がらにもなく昔を懐かしんだ結果だろうか。それを、携えていたためだろうか。
「あ、と、透……やだ、うそぉ。変わってない!あははは!」
「それはこっちの台詞……え?泣いて」
「違います!」
「もが、」
正面から思い切り口に手をあてがわれて、自分でも聞いたことのない声が出てしまった。その声に依紗は高らかに笑った。
「なにそれ!初めて聞いた!」
透に案内されたのは静かな創作居酒屋だった。半個室の席でゆっくりと落ち着いて話ができるのはありがたい。久しぶりにお互いの近況を話し合うにはもってこいの雰囲気。飲み物とそれに合うものをいくつか注文すると、早速透が口火を切る。
「最近、どう。」
漠然とした質問に苦笑いしてしまう。だって緊張が伝わってくるんだもの。透がこういう聞き方する時って大体心配してる時。でもそうは言わないんだ。なんていうか、不器用だなぁ。
「それなり。透は?」
「それなり。」
「あ、ずるい。」
「依紗は都合が悪いといつもそういう答えかたをするな。」
「そんなんじゃないって。」
近頃のことを話そうとすると愚痴ばかりになってしまう。そんなの聞かされたって煩わしいだけじゃない。折角久しぶりに会ったのだから、できれば楽しい話をしていたい。
「その手提げ、ずいぶん重かった。」
道中、透が持ってくれた提案書。製本されたそれはそこそこ重い。相手は神経質で重箱の隅をつつきたがるタイプの人間なので隙のないように様々な資料を差し込んだら冗談みたいな分量になってしまった。こんなん誰が読むんだい。
「次の月曜に使う提案書。朝客先直行だから今日持って帰って来たの。」
「すごいな、こんなの作ったのか。中は見れないけど、重さと厚さを見るに時間かかったろ。」
「誰でも出来ることだよ。」
こんなん謙虚じゃなくて卑屈だ。言ってまたひとつ気持ちが沈む。しかし透は首を傾げた。
「依紗、なんか卑屈になってないか。」
「え、」
「酒入れて、少ししゃべるといい。」
折よく運ばれて来たお酒と食事に透は微笑んだ。勧められるままどちらも楽しんでいけば酔いも回り、饒舌になっていく。いけないと思うのに愚痴が出てしまう。
「お前は1人でも生きていけるけど彼女は違う!だとさ。ドラマの見過ぎだバーカ、そういうしたたかな女ほど強く生きられるんだっつーの。」
「たしかに、知略に長けている様に感じるな。」
「でしょ!そもそも浮気したのを正当化するなって話なのよ。他の子がいいならまず私と別れろっての。順序が違う。」
「仰る通りで。」
透は笑いながら猪口に酒を注ぐ。そんなに注がないで、帰れなくなる。本音のような冗談を言って笑ったら、そうか、としっかり注いだ。綺麗なガラス徳利を置くと、おもむろに財布を取り出した。そこから何かを取り出すと、手を出せ、と短く言う。よくわからないけれど言われるまま右手を差し出せば、その手に透の左手が添えられ、大きな右手から小さなイヤリングが現れた。
「……これ、」
「ピアスにしたみたいだから、もう約束は反故になったのかと思ったんだが……」
私の方を見て少し困った様に笑う。
「そうでもないらしいな。」
涙が、今度は止まらなかった。どうして持ってるの、なんで覚えてるの。イヤリングは軒並み捨ててしまったがこの片割れだけは捨てられなかった。私の中で捨てきれない気持ちがあったから。
「テーブルがもどかしいよ。」
そう言って指先で私の涙を拭った。添えられていた左手はいつのまにか私の手を包み込んでいる。捨てなくてよかった、イヤリングも、透への気持ちも。愚痴っぽくなってしまうところも、素直になれない気持ちも、全部包み込んでくれた。透は優しい。いつも、いつも。
「この後も、一緒に居られるだろうか。」
その言葉に一も二もなく頷いた。この手の温かさにすべてを委ねてしまいたいと思えるほど、私は彼のことを好きになってしまっていたから。
「前から思っていたんだが、これは何の花なんだ?」
「すずらんみたいでかわいくない?」
「少し違うような気もするな……」
「そうかなぁ。」
気になることがあるとすぐに調べたがる透大先生、その答えはスノーフレークだった。正直安物だからそこまで違いは考えてないと思うんだよね。でも、その花言葉に顔を見合わせてしまった。
慈しみを、君に。
スノーフレークの花言葉は慈愛。
私の手を包む大きなその手から、確かに感じているよ。