【南】グリーンライト
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心の中でゆびきりした。
大事な約束
夏休みが終わった。思いもよらない交友関係が生まれ、自分自身でも驚いていた。私が思っていた南という男は、バスケ部のキャプテンで、口数が少なくて、感情の起伏もそんななくて、群れるでもなく孤立するでもなくクールな奴やと思っとった。
実際は薬局のせがれで、会話が上手く、賢いやつだった。ああでも、まあまあ辛らつなこと言うな。
そんな彼と親しくなったものの新学期が始まればまた、話す機会はおろか会うこともなかった。どうやらまだ部活を続けているらしく朝も帰りも駅で会うことはない。
「徳重、進路調査票出てへん。」
「え?」
「あとで職員室来い、どこでもええからとりあえず書け。」
「どこでもええとか先生がそんなこと言ってもええの?」
「人の気持ちは変わるもんやからなぁ。今はあそこに進学したくても明日にはそこに進学したなるかもわからんやろ。」
「一晩で考えてこいいう意味ですか。」
「なに言っとんねん。先週から渡してあったやろ。」
確かにそうだった。新学期始まって早々に言われていたのになにやってんだか。早いひとなんかは推薦入試が夏の終わりから始まるとかなんとか。夢も目標もなく、家が近いからって理由で高校を選ぶような私にこの先の未来なんて描けるものか。
…なんてかっこつけてる余裕はないんやけど。
「お前でも受けれる大学はこの辺やな…。」
「勉強したくないし就職とかないですかね。」
「あるけど、だったらお前なんで国公立進学クラスに入ったんや。」
「去年の担任に頼まれたから。」
「…お前、もう少し自分のこと自分で考えたらどうや。」
その言葉が思ったより深く刺さった。流されるままここまで来たのを見透かされたみたいで。
「今度の模試次第ではあるけど、ええんちゃう。」
「どーも…」
「もう少し部活やるんやろ、ちゃんと寝れとんか。」
「まあ、はい。」
パーテーションで区切られた向こう側から聞こえてくる声に目をやると、頭一つ出ていてすこし笑ってしまった。話聞け、と担任が持っていたファイルで小突いてくる。
「これみてなんとなく考えたらええわ。専門も短大も四大も興味もてんかったら就職考えたらええんちゃう?」
取りあえず先生がピックアップしてくれた学校名を記入すると解放された。渡された資料を手に職員室を出ようとすると、隣にいた生徒も丁度部屋を出ていくところだった。久しぶりだったけど声でわかった、南。
「…やっぱ徳重やった。」
「そう…なんか久しぶりやな。」
「せやな。」
手元の資料に気付いた南は首を傾げる。行きたいとこ決まってへんねん、って言ったら合点がいったようだ。
「…パン。」
「パパパン。」
「どついたろか。」
「いや急に変なこと言うたん南やんけ。」
長い長いため息のあと南が、食べる方の、と続ける。ああ、パンってそういうことか。いやそれ以外ないか。
「前に映画行った時、パン屋寄ったやろ。」
「せや、マクド混んでたもんな。」
「そん時言うてたやん、パンが好きやて。」
「言った?」
「なんや、嘘か。」
「いや、めちゃくちゃ好きやねん、パン。」
食べる専門やけど。作るのは向いてへん、知らんけど、作る気にはならん。ただ、パン教室の体験に友達と行った時に見た一次発酵前後の生地はかわいかった。つるんとして丸くて…
「オープンキャンパスとか行ったか。」
「行くわけないやん。」
「威張んな。」
「いたっ。」
「…俺が行ったとこで、農学部がおもろい研究しててん。」
「は?農学ぅ?」
「パンの発酵。酵母別だったり…なんかそんなん。」
「農学部が食品…?」
「来年度から応用生物科学部やらなんやらになるって話だったような…。」
「生物科学…?」
「食品学とか、微生物とか、色々あるんちゃう?お前、理科系得意やん。物理はアレやけど。」
「よくご存知…。」
聞けば南は大学をいくつか見に行ったとか。なんなん、すごない?どうやって時間つくってんの?
『ちゃんと寝れとんか。』
……あ。
睡眠削ってまで得た知識を、私に分けてくれるの?どんだけ親切なん?あんた本当に南なん?
いや何言っとんの、そもそも私がどんだけ南のこと知っとんのよ。知らへんやん、たかだか夏休みちょろっと関わっただけやんけ。
「……ごめん。」
「はぁ?」
「私アホすぎん?アホやわ、考えなしすぎる。めでたいな!」
「いきなりキレんなや。そんなんいまに始まったことちゃうんやろ、どーせ。」
図星をつかれて押し黙る私に南は、おい、と声を掛けてきた。担任から渡されたファイルを見つめていた私は一度で反応出来なかったが、肩に手を置かれて立ち止まった。南が気遣わしげにこちらを見ている。骨ばった大きな手は、思いのほか優しくて温かい。
「…俺、お前のことあんま知らんけど化学は分かりやすかったし得意なんやろなと思ったで。とっかかりなんてなんでもええやん、いっぺん調べてみたら。」
ほんの少し口角を上げた南を見上げて、せやなぁ、と笑い返した。南ってちゃんと笑うんや。…笑った、よな?
「オープンキャンパスなら学祭の時期にもあるやろ、行けそうなら行ってみ。」
そんな提案までしてくれる手厚さや面倒見の良さに、私の中の南像がアップデートされていく。クールでもドライでもなく、実はほっとけない病を患ってるちょっと気の毒な奴。おいこらなんてこと言うねん助けてもらったくせに!
こんなにいろんなこと教えてくれて、私には返せるものがひとつもない。情けない。
「徳重、今度の模試勝負な。」
「は?」
「第一志望の合格判定いい方が勝ちや。」
「だって私まだ志望校決まってない!」
「とっとと決めて志望校教えろや。約束な。」
「ま、待ってよ!」
「待たん、俺は部活。」
歩く速度を合わせてくれていたことにも気が付かなかった私はなんと愚かなのか。小走りに行ってしまった南の後ろ姿をしばらく眺めた後にようやく気付き、さらにはありがとうの一言もかけられなかったことにますます後悔した。
南に志望校を教えるときにちゃんとお礼を言うこと。
忘れちゃいけない、約束。