【南】グリーンライト
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ひと言も喋ったことない。
でも、一方的にはよく知っている。
緊張する相手
「…おはよう。」
「…はよ。」
この学校にその顔その名を知らない者はいないのではないかというくらいの有名人、南烈という男。依紗はクラスが同じになったことはなく、そのため話したことはない。そしていま夏季休暇の特別補習で同じ教室に居るのだが、互いに早めの到着だったため他に誰もいない。気まずい空気が流れる。もっとも、それを感じているのは依紗だけなのだが。
(ちょっと怖いから緊張すんねんこいつ…。)
依紗はきょろきょろと辺りを見回す。
「…席って」
「自由らしいで。」
「ああ、おおきに南くん。」
窓際一番後ろを陣取った南は問題集を開いて熱心に解き進めていた。依紗がその名を呼んだ時、やや怪訝な顔をしたものの、すぐに問題集に目を落とした。ややあって、ふと顔を上げると依紗の方を見る。
「お前…名前なんて言うん。」
「徳重やけど。」
「徳重サン、化学得意?」
「えーと…人並み。」
「ちょお、教えてほしいんやけど。」
依紗は手招きする南の方へ歩み寄り、隣の席に鞄を置くと椅子に座って手元を覗き込む。
「これ。有機。よぉわからへんねん。」
「ああ、これはね…」
参考書と問題集を指差しながら依紗は熱心に説明した。南も疑問があればすぐに質問し、依紗はそれを打ち返していく。ラリーが活発になるにつれ、南の表情は明るくなっていった。依紗はその変化に瞠目する。
(うっわ…こいつ、可愛いとこあるやん。)
そんな依紗を余所に、南は区切りのところで体を伸ばす。長い腕が天井に向かって伸びるのを、依紗は目で追った。
「おおきに。徳重サンのお陰でなんとかなりそうやわ。」
「どういたしまして。」
「なんかコツでもあるんか。」
「コツ…無機は暗記やけど有機はパズルみたいなもん…って感じやなぁ。」
「なんやそれわけわからん。」
「さっきのやって、」
説明に戻ると、面倒臭そうに南は依紗の手元を見た。依紗はノートにシャープペンシルを走らせる。
「…こういうこと。」
「おお、納得いったわ。そういうことか…。」
教室が賑やかになり始める。南は依紗の方を見ると、おおきに、と言う。
「ちなみに、これ俺のノート。」
「…あ!」
「ええねんけどな。お陰で忘れなくて済む。」
はは、と口角を上げる南に、依紗もつられて笑う。
「徳重サンは苦手なのあるん?」
「私は物理と数Cやな…。」
「お、それやったら俺得意やで。困ったら聞きにきたらええわ、化学の恩。」
「ホンマに?物分かり悪いで。」
「まあそん時はそん時やな。」
南は友人に声をかけられ、それに応じる。依紗が席を立とうとすると、
「そこでええやん。当てられそうになったら助けてや。」
いたずらっぽく笑う南に依紗の心臓が少し跳ねる。
「お、おお…。わかった。」
ぎこちなく返事をして座る依紗をよそに南は友人と盛り上がり始める。南の大きな右手が依紗の文字を撫でるようにしてノートの端を持ち上げ、閉じた。それだけのことなのに依紗の頬が紅潮する。
(ちゃ、ちゃうねん、少し意外で、ギャップに驚いただけなんや。)
授業が終わり、教室を出て行く生徒たち。依紗は数学の補習もあるためその場にとどまっていた。友人と談笑する南が彼らに手を振ると、依紗の方を見る。
「お前も?」
「そう。南くんも?」
「おお。部活で補習休んどった分遅れとるしな。」
「そっか、おつかれさま。」
「おおきに。徳重は数学の何が嫌なん。」
「数Ⅲはええねんけどな。CどころかBもあかん、数列とかなに?数字並べて何が楽しいん?」
「こじらせとんなぁ。」
「南くんは得意やから呑気でいられるんやで。」
「コツがあんねん。」
「どんな?」
「今度はお前のノート。」
「はいはい。」
ノートを開くと南はサラサラとシャープペンシルを走らせる。その説明は明快で、依紗は聞いていて思わず笑ってしまった。
「おもろいやろ。」
「南の説明が上手いんやて。あ、ごめん。」
「あ?なにがや。」
「呼び捨てにしてしもうた…失礼しました。」
「はあ?タメやろ、気にせんでええやん。」
眉間にしわを寄せて呆れたように息をつく南に、依紗は、じゃあお言葉に甘えて、と苦笑した。
(意外と話し易い奴やったんや。)
南は楽しそうにシャープペンシルを走らせ、説明を続ける。依紗の表情は段々と暗くなる。
「タンマタンマ!置いてかんといて!」
「あ?ついて来いや。」
「せやから躓くんやろ、待てやコラ。」
「お、その調子や。」
(話し易い奴やんけ。)
教科書の該当部を開いて頭を抱える依紗の様子に南は口角を上げると、シャープペンシルのノック部分で依紗の額を小突く。
「そんな小難しい文章読んでわかるんか。こっち見い。」
「見てもわからんから読んどるんやろ、ちょっと待ってや。」
「この部分の説明はここや。」
「……わからんな。」
「せやからこっち見い。」
南はそう言ってシャープペンシルの先をノートに、トントン、と打ち付ける。依紗が唸りながらその先を辿るように見つめる。ゆっくり理解していく依紗が南は面白かった。
「帰るん?」
「終わったからな。」
3限の物理まで受けると南が立ち上がる。依紗は南を見上げると同様に立ち上がった。
「思わぬ収穫やったわ。徳重のお陰で俺の前途は揚々やな。」
「私も南のお陰で数列を制することができたわ。おおきに。」
南は少し考えるようにした後、ポケットに手を入れ、携帯電話を取り出す。
「連絡先、交換してくれへんか。また分からんくなったら教えてや。」
「ええで。私も助けてもらお。」
サイン・コサイン・タンジェントよりも使うことが多そうな「南」の一文字。確かな頼もしさに心が躍るようだった。
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