*【深津】真夏の7Days
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もうすぐ帰ってしまう。
焦ってる。
またしばらく会えない。
触れられない。
越えたい。この距離を。
「一成!」
「…え?」
早朝、深津が公園でボールを突いていた時だ。聞き馴染んだ声が届く。いつもなら畑にいる時間のはずだ、なぜこんなところに。声のした方を見て首を傾げた。
「邪魔してごめんね!今日収穫なしで終わっちゃったから。」
入り口の方から手を振りながらやってくる恋人に知らず口角が上がる。
「こっちももう終わりピョン。これから朝メシ。」
「私も。ひと活動するとお腹減るよねー。」
そう言いながらも、ベンチに座って他愛のない話をした。あの野菜は出来がいいとか、どの果物は美味しくなくてベテランがしょげてるとか。こいつは本当に土が好きだな、と深津は息をつく。呆れではなく、感心の。
ぐう、と腹の虫が耐えかねて鳴き出す。
「私?」
「俺。」
「でも私も鳴いてる気がする。帰ろ。」
作業着の袖をまくり、農具を軽々と持ち上げる菜月はたくましいと思うが、それでも自分よりいくらか細いその腕が愛おしかった。
あらわになった手首の細さに目眩がする。
きっと、かんたんにこの手に収まってしまうのだろう。そんな思考を払うように、深津は首にかけていたタオルで顔を拭いた。それでも邪なこの頭はいつまでもそんなことばかりを考えるのだ。
菜月が隣で笑い続ける限り、延々と。
(おかしいな。)
火種となった件の白い箱が部屋から消えていた。おかしいな、どこにやったのだ。弟は順調に勝ち進んでいるから家族はまだ帰ってこないが、だからと言って安心出来るわけではない。うっかり家族に見つかった日にはどう釈明したものか。
焦りながら探したがどこにもない。この部屋にはないのだ。自分の動線を洗うしかない。
そう決めたところで呼び鈴が鳴った。なんなんだこんな時に。悪態をつきたいところをぐっと堪えて玄関に向かった。
「お土産?」
「先に送って来たみたい。」
客人は宅配業者で、荷物は親からのお土産一式だった。中のメモには振り分け先も書いてある。間も無くやって来た深津に取り分を渡す。
「毎回悪いピョン。」
「お互い様だから。」
深津の言葉に菜月は笑う。兵庫はなにが有名だっけ、などと話しながら段ボールを閉じた。
昼食のカレーを口に運びながら甲子園のテレビ中継を眺める。菜月はマウンドのエースを睨んだ。
「打てないね。」
「流石に相手も強くなるピョン。」
「そうだね…。」
「投手戦ピョン。」
「打てないのはお互い様だね。」
瞳の奥が不安げに揺れるのを見ながら深津は最後の一口を口に運ぶ。
「洗い物やっておくから観てたらいいピョン。」
「ありがとう。」
「余所見しないでさっさと食べるピョン。」
「うん。」
食器を洗い終えた深津は、熱心に試合を見守る菜月の隣に座って、指を組んで膝に乗せる。菜月はそれに気付いて、ありがとね、と微笑みかける。深津はそれに、ふ、と笑って反応した。
その時、金属バットの甲高い音が聞こえた。
歓声が上がる。
「…うそ。」
ダイヤモンドをゆったりと回る打者。
脱力する菜月。
マウンドでボールの行方を呆然と眺める、エース。
この試合ひとりで投げ抜いた背番号1は静かに項垂れた。
試合終了のサイレンが響いた。
「負けちゃった。」
「でも弟は来年もあるピョン。」
「出られるとは限らないけどね。」
明らかに気落ちする菜月だったが、あーあ!と言うなり、勢いよくソファから立ち上がった。
「帰って来たらまたうるさくなるな。折角作り上げたペースを乱されちゃう。」
「菜月。」
「一成は入れ違いだね。弟がっかりするなぁ。」
「菜月。」
「なに。」
「無理することないピョン。落ち込みたい時は落ち込むピョン。」
「…まー、そりゃ悔しいけど。頑張ったっしょ。」
「…。」
「黙んな。」
深津は座ったまま菜月の手を握る。
「負けは、悔しい。」
「うん。」
「でも、意味のない負けはない。理由のない負けも、ない。」
「…うん。」
「弟はもっと上手くなる機会を得た。3年生も。…何人が続けるかは、知らないけど。」
「そうだね。」
「… 菜月。」
ゆっくりと腕を引いて、もう一度ソファに座らせる。涙の滲んだ菜月の目尻に唇を寄せる。
「私が泣いても仕方ないのに。」
「大したブラコンだピョン。」
「ちょっと!」
「はは。」
そのまま、頬、唇、喉と辿る唇に菜月は身を強張らせる。
「か、一成…。」
「ん?」
「あの…。」
「…はは。」
深津は背中に手を回して菜月を抱き締める。首元に顔を埋めて。菜月は深津の首に手を回す、抱え込むように。
「菜月が嫌なら、しない。」
「…えっと…。」
「でも俺は、」
深津は顔を上げる。
「戻る前に菜月を」
ジリリリリリリ……
固定電話が鳴った。
菜月は弾かれたように立ち上がると、受話器を取った。相手は母親で、涙声だ。いまいち上手く回らない頭で相槌を打ちながら、電話台のすぐ隣に白い箱を見つけた。そうだ、この間電話してた時にここに置いたんだ。
電話を終えると、受話器を置く。白い箱を隠すように手に収めると、深津の方を振り返る。
「ちょっと…部屋に。」
「答えをくれ。」
「え。」
深津は立ち上がると、箱を持つ手首を握った。
「…急ぎ過ぎかも知れない。でも俺は、菜月が好きだ。…欲しい。」
「一成…。」
俯く菜月は少し考え、そして顔を上げる。
「…いいよ。私も一成が…欲しい。」
骨張った手が、ぎこちなく体に触れてくるのがわかる。見上げたその顔は、見たことないくらい緊張しているようだった。目が合い、深津はやや困ったように微笑む。
「そんな一成、初めて見た。」
「どんな。」
「緊張してるみたい。」
「…するさ、俺だって。」
そう言って菜月の額に口付ける。
「試合の時そんな風に見えないし、普段だって全然。緊張するのってどんな時?」
自身の緊張を紛らわせようと饒舌になる菜月に、深津は小さく笑った。
「初めて山王のユニフォームをもらったとき。」
先程と同じように目元に口付ける。
「山王の看板を背負って、コートに立ったとき。」
首筋を辿る。
「…キャプテンとして、インターハイの会場でプレーしたとき。」
鎖骨に、ちり、と痛みが走って菜月は声を上げる。
「それから、」
菜月の唇を解くように舌を入れ、ゆっくりと絡める。不慣れな割に器用なそれはいとも簡単に菜月を溶かす。
「今。菜月に触れているこの瞬間。」
柔らかく微笑むが瞳の奥に見える光は鋭くて、菜月は思わず目を逸らしてしまう。
「そっか…。」
「そうだよ。」
「まだまだ全然、ガキだよ。」
深津はそう言って自分で笑い出す。菜月もつられて笑った。
「自分で言って笑わないでよ、つられる。」
「ははっ…何言ってんだ、俺。そんなんわかってるのに。」
「そんなことないよ、」
「みんな、勘違いしてる。私でさえ、一成が同い年の男の子ってこと忘れちゃう時ある。」
菜月は手を伸ばして深津の頬に触れると、体を起こして口付けた。
「まさか、王者山王のキャプテンが私を前にして緊張するなんて。」
「やめろよ。」
「すごい優越感じゃない?幸せ。」
「…馬鹿だな。」
深津は菜月をベッドに押し付ける。
「加減がわからないんだ、あんまり煽るなよ。」
先程までのぎこちなさが嘘のように、菜月を翻弄していく。触れるたびに悩ましげな吐息を漏らす幼馴染みは、記憶の奥底の幼さを残したまま、しかしすっかり大人になっていた。
「菜月、」
「かず…」
呼応するように返すその声も、言葉なのか、あるいは別の何かなのか定かでないくらい夢中になっていた。菜月が、一瞬痛みに顔を歪めた場面に深津は怯んだが、
「やめないで、おねがい…っ」
菜月の言葉にひとつ息をついて、頷いた。
愛しいその声が導く先へ。
2人で。
夏の雷
光から音まで
感情から行動まで
距離が近ければ近いほど、
想いが募れば募るほど、
一瞬で。