*【岸本】Courage et fierté
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画面に表示された名前に手が震える。
何度も呼びかけたが、返事は、ない。
「麻衣ちゃん、大丈夫ー?」
「あ、はい、すみません!すぐ行きます!」
慌てて通話を断つと、何かご用でしたか、とだけメッセージを打ち込んで送信した。月のもののために何度かトイレを往復しており、看護師の先輩にも心配されてしまう始末。うう、お腹痛い、薬のも。
「大丈夫?無理しないのよ。薬持ってる?」
「あ、はい。」
「オッサンばっかで言いにくいと思うから、私に言いなね。」
「ありがとうございます〜。」
思わず手を握ってしまい、はっ、と離す。
「す、すみません!」
「あっはは、可愛いねえ。ほな頑張ろ。」
ぽんぽん、と肩を叩かれ気持ちを入れ直す。昼休みになったらもう一度かけてみよう。
『は?俺かけてた?』
「そうですよ。」
『あー…ポケットに入れた時画面触ったんかもな、すまん。』
「全然!…ありがとうございました。」
『は?』
「いえなんでも!じゃあ、特に用事ないんですね、切ります。」
『待て待て、なくはない!』
お昼休みに岸本さんの方から折り返しがあった。どうやら誤操作だったらしく、切ろうとしたらそれを制止される。
「え?」
『土曜、練習試合あんねん。来るか?』
「え、と…午前仕事なんで、時間と場所次第ですけど、」
『来る、んやな。来れるんやったら。』
「はい…。」
『…わかった。詳細は後で送る。』
「お願いします。」
それじゃそろそろ、と電話を切ろうとした時、岸本さんの向こうで声がした。
『お電話中ですか。』
『あーそう。何かあったか。』
『電話があったので。お昼休みと伝えてあります。』
『おう、わかったおおきに。』
女の人の声。そりゃそうだ、職場には女性だっている。そんなの普通のことだ。
『じゃ、またな。』
「…あ!はい、また。」
しばらく画面を眺めていた。このままじゃ心の消耗戦だ、早く終わりにしたい。
土曜、仕事を終わらせ急いで知らされた体育館に向かう。今日は特別だ、タクシーに乗っちゃえ!
「麻衣〜ようやく会えたやあん!」
先輩が顔を見るなり、ベンチの方からこちらに駆け寄ってくる。既に試合は始まっており、見回すと、土屋さんから聞いた通り、部員と思しき人たちも増えてるし、ギャラリーも多い。
「先輩、記録取らなくて良いんですか。」
「部員増えたからやってもらっとる。今日は麻衣来るって聞いてたし、出来るだけやること減らしてる。あはは。」
「…いいんですか、それ。」
「いーのいーの!」
快活に笑う先輩につられて笑っていると、鈍い音と共に笛が鳴る。誰かが座り込んでいるのが見えた。
「怪我したかな。」
「あ、手伝いますよ。」
肩を借りてベンチにやってくる選手を見て、思わず声を上げてしまった。厳密には、肩を貸してる方。
「わ!き、しもとさん、お疲れ様です。」
「おー…。おつかれ、来てくれたんか、おおきに。あ、楠さんすんません、足つったみたいです。」
「座って座って。」
「見せて下さい。」
座った選手の前にしゃがむ。先輩はタオルをその選手に手渡しながら、どう、と首を傾げてくる。
「靴脱がしますね、失礼します。少し触りますね。」
自分の膝に選手の足を乗せ、脹脛を伸ばしてやる。
「痛かったら言って下さい。…肉離れはしてないと思います、大丈夫。でも無理はしないでください。」
「たいしたもんやなぁ。」
その声に顔を上げる。思ったより至近距離だった岸本さんと目が合い、ひえ、と小さく悲鳴をあげてしまった。
「ご挨拶やな。」
「コートに戻ったんかと。」
「向こうのタイムアウトや。」
言いながら椅子に座り、飲み物を飲みながらチームメイトと話し始める。自分も目の前の相手に声を掛ける。痙攣も収まったので立ち上がる。
「帰るなよ。」
コートに戻ろうとしていた岸本さんに肩を叩かれる。汗だくのその表情は、充実そのものだった。
「あ、はい…。」
「よっしゃ、行くで!」
チームメイトに声を掛けるその横顔が眩しくて涙が出そうだった。
彼女でも、友達でも、後輩でもなく、人間黒川 麻衣として、岸本さんの隣を歩きたい。胸を張って、堂々と。
好きだから、大好きだから、叶わなくてもせめて、彼が私を誇りに思ってくれたら。
それ以上は、望まないから。
だから神様、この胸の苦しみを消して下さい。
この愛しさも恋しさも全部差し出すから。