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心ってやつは正直だ。
盛大な喧嘩をした。
そりゃあ私にも非があるが、それはそれとしてこちらにも言い分はある。いつもなら折れる大が珍しく一歩も引かないのでヒートアップしていった。私は私で論点がずれることもいとわず全ての不満を吐き出してしまった。心にもないことまで、言ってしまった。
大失策だ。満塁ホームランを打ったところで取り戻せるような状態ではない。もしかすると生まれて初めてかもしれない、震えるくらい怒りの感情に支配されてしまったのは。しかしいまさら引っ込みもつかない。
「もういい。わかった。」
そう静かに言って、大は寝室から枕とタオルケットを持ってきてソファに放る。
「こっちで寝るから。明日も仕事だしもう寝よ。」
その態度にまたひとつ感情がたかぶった。冷静になれば、夜にこんな言い合いするべきではないのだ。人間ってそういう生き物だと誰かが言っていた。ネガティブな感情が次々と湧き上がってくるものだと。全くもってその通りである。
けれどそもそも冷静になれるなら喧嘩なんてしない。
「先出るね。行ってきます。」
いつもなら一緒に出て、車で通勤する大に駅まで送ってもらうがそんな気分にはなれない。大は髭を剃る手を止めると振り返る。ややあって軽く頷くと、ん、とだけこたえた。
……くやしい。私、いま期待した。夕べはごめん言い過ぎた、って言葉がきっと返ってくるって。くやしい。かなしい。……やだよ、こんなの。
「あー……最悪。」
あそこまで詰るつもりはなかった。途中で、どこかで、悪い言い過ぎた、って言うつもりだった。喧嘩両成敗だ、どちらもよくないところがあったのだからお互いに謝れば済むことなのにどうしてあんなに追い詰めてしまったのだろう。目も合わせてもらえない。
そういう日に限って大体何も上手く行かない。すべてが狂ってしまう。何をしたってどうしたっていい方向には進んじゃくれない。くそったれ、エンターキーに八つ当たりしそうになって踏みとどまった。残業したってダメだ、帰るに限る。
「うわ、すげえ降ってんじゃん。」
珍しく外出もなく内勤だったので外の様子に気が付かなかった。あいつ大丈夫かな、駅からこの雨の中歩くなんてあんまりじゃないか。迎えに行くから連絡して、それだけ送って車に走る。返信が来るまで時間を潰そうとコンビニに入った。
「そうだ。」
あまりに安易ではあるけれど、とっかかりにはなるだろう。商品を2つ手にとってレジを通す。返信が来たので慌てて確認をしようとしたら手元が留守になった。店員さんと声が重なる。
「あっ、」
悪しき連鎖のせいで仕事はうまくいかずひたすら疲労を積み重ねただけだった。まさに満身創痍、そこへ土砂降り、くそくらえ。そこへとどめの
「折りたたみ傘、不在。」
どうしてだ。私が何をしたというのだ。大と喧嘩してどうしてここまで打ちのめされなければならないのだ。流石に理不尽だ、神さまってやつはどうやら私のことをとことんまで罰してやりたいらしい。
「反省してるってば!」
そこで携帯にメッセージが入っていることに気付く。この雨に濡れてやる前に確認するか。
『迎えに行くから連絡して。』
先程呪った神さまはひとつ手を差し伸べたのか、しかしこの気まずい2人を車という密室に閉じ込めてどうしたいと言うのだ。ああもうありがとう!なにはともあれぜひとも迎えに来てください!
場所のやりとりをしたあと、間もなく大の車が見えた。前照灯がこちらを照らす。私に気がつくと車幅灯に切り替え、傘を差して降りてきた。
「……お待たせ。」
「……ありがと。」
重苦しい空気が流れ、淡々と車に乗せられる。でも私が乗り込むまで傘をさしかけてくれる優しさはなにも変わらない。濡れた傘を後部座席に放り込み、自身を運転席に滑り込ませる。濡れたことを気にすることもなくシートベルトをする様子を見て、鞄からハンカチを取り出した。
「手がすべるよ。拭いて。」
「え、」
大が驚いて目を瞬かせると、その拍子に前髪についていた水滴が鼻先に落ちる。くすぐったそうにそれを指で払ってから、さんきゅ、と微笑んで素直に受け取った。
すごくほっとした。もしも表情が何一つ変わらなかったら、突っぱねられてしまったら、私はきっと立ち直れなかった。
そんな大は、知らない人だから。
「ちょ、まっ……え、え!?」
俺は素っ頓狂な声を上げ、きょろきょろしたあとシートから腰を浮かせてスラックスからハンカチを取り出す。そして彼女の顔に押し付けた。
「どうしたんだよ!」
「どうもしてな」
「泣くなよ!びびるじゃん!」
「泣いてない!雨!」
突然涙を流したかと思えばどうしようもない嘘でその場をやり過ごそうとする。その強がりはいつも通りでそれがたまらなく愛おしい。結局ハンカチ交換しただけだ、なんだこりゃ。
「いいから車出して!」
「はいはい……」
「はいは一回!」
「はーい。」
このやりとりが嬉しくて先程までなまりみたいに重たかった体が嘘みたいに軽くなる。綻ぶ口元がばれないように引き締めて、アクセルを踏み込んだ。視界は良好だ。
「なあ、依紗。」
部屋につくなり靴も脱がずに口を開く。このままこの家の敷居をまたぐのはどうもはばかられるから。先にリビングの方へ向かっていた彼女は振り返って小さく首を傾げる。
「夕べはごめん。言い過ぎた。」
泣いた後の腫れた赤い目が一瞬見開かれる。そしてすぐに目線を落とすと小さく首を横に振った。
「私こそごめん。大のことそんな風に思ってないよ、頭に血が昇っていらいらぶつけちゃった……。」
そこで靴を脱いで部屋に上がる。今にも涙がこぼれそうなのを見て見ぬ振りして肩に手を回す。その肩を小さく2回叩いてリビングへ促した。素直にそれに従って、リビングのソファに腰掛ける。
「ねえ、聞いて。」
レジ袋からふたつクレープを取り出して見せてやる。片方はぐちゃぐちゃだ。
「仲直りしようと思って買ったんだけどさあ、買った瞬間に落とした。」
泣きそうに震えていた唇が緩み、ふ、と小さく息を吐き出したと思えば声を上げて笑い出す。それそれ、その顔だよ。俺が見たかったのはそれなんだ。ああ、あの時取り替えてもらわなくてよかった。じゃなきゃこの表情を見ることなんかできなかった。
「あ、ははは……はは……。もー……ずるいなぁ。持ってるよ、ほんと。」
「だろ。俺もそう思った。」
「私こっち食べる。」
「何言ってんだよ、俺が食べる。」
「私。」
「俺。」
「その前に夕飯どうするの。」
「そっか。」
「もー……早く帰るならそう言ってよね。」
「悪い悪い。」
「冷食あるしこれにしよ。」
「これこれ!この間買ったやつ!楽しみにしてたんだよなー。」
「いまのいままで忘れてたくせに。」
「あははは!」
笑い合って鍋を2つ取り出す。こっちの鍋じゃ収まらない、いやいや溶ければ入っちゃうって、などと笑いながら火にかけようとして、あっ、と同時に声を上げる。まずは着替えようよ、お風呂はどっちが先に入る?じゃんけんなら負けないよ。これこれこの感じ。
人生の中でいちばん長い1日だったかもしれない。もう懲り懲りだ。
ちなみに、依紗が最初にパーを出すことを俺は知ってるから。
晴天と霹靂
晴れの日も嵐の日も、最後は笑顔がいいね。