海南
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6限目、西日が差し込む教室には気怠い空気が漂う。今日の練習メニューを考えながら、牧は机に頬杖をついて教科書ををぼんやり眺める。
ふと教室がざわつき出したので何事かと顔を上げると、何かが目の前を横切った。女子が小さく悲鳴をあげたり、男子が手で払う仕草をしており、よく見るとハエが飛び回っていることがわかる。
(鬱陶しいな…。)
そんなことを考えていたら、前の席の女子が自身の顔の横辺りの高さにパッと手を上げる。
「ひえぇぇ!」
その女子があまりに間抜けな声を出すので、頬杖をついていた牧の肘が机から落ちそうになる。
「なんだ徳重、変な声を出すな。」
教師が依紗に声をかける。
「つ、掴んじゃった、もぞもぞ動いてて気持ち悪い!」
ちょっと手洗って来ます、と依紗が席を立つ。教室には笑いと感嘆の声が上がった。
「やっぱ空手全国レベルは違うな!」
「動体視力と度胸がな!」
(全く、頭が下がるな…。)
女子空手部のエースは全国常連の猛者。しかし空手の時以外はスイッチを切っているのか、どこか抜けていた。
ハンドタオルで手を拭きながら戻ってきた依紗は席に着くと牧の方に振り返る。
両手の親指と人差し指で輪を作り、小声で
「えんがちょ、えんがちょ!」
というので、牧は「切った。」と言って乗ってやる。
「ありがと!」
その笑顔に、牧も口元が綻んだ。
部活を終え、自主練の神と清田を置いて、牧はひとり帰宅の途についた。今日の部員たちの調子や練習の様子を思い出しながら歩いていると、前方に依紗の後ろ姿を見つけた。
が、その後ろに不審な人影を捉え、牧は眉をひそめる。少し早足にその姿を追うと、その人影は突然依紗に抱きついた。
(な……っ)
しかし、瞬時にその人影は吹き飛ぶ。
依紗の裏拳、上段回し蹴りが決まっていた。男は呻きながら、しかし立ち上がろうとする。
「てめぇ……。」
「依紗!」
「え、ま…」
「俺の連れに何か用か。」
牧は依紗を自分の体の後ろに押しやり男を見下ろす。
男は牧を見上げると、顔を引きつらせて一目散に逃げて行った。
「徳重、怪我はないか。」
「あ、うん、大丈夫…」
「と、言うよな。怖かったろ、無理をするな。」
牧は怪我がないか確認するように依紗の手を取る。
「正当防衛だが…相手が逆上するとも限らない。助けを呼ぶことも大切だぞ。」
「そ、そうだね。」
でも、と躊躇いがちに依紗は牧の手を握った。
「怖くて、声、出せなかったの。」
その手は震えていた。
その手に、声に、言いようのない庇護欲が湧く。このまま帰したくない、抱き締めて、離したくない。自分が守りたい。
牧はそれを押し殺し、努めて平静を装った。
「…すまない、無神経なことを言った。」
「ううん、牧くんの言うことは正しいよ。何より先に手が出るのは良くないと思うし。」
(ああ、やはり駄目だ。)
牧は、力なく笑う依紗の手を握り返し、そのまま引き寄せ、抱きしめた。
「いや、無神経だよ。優先すべきは徳重の身の安全の筈だ。咎めるようなことをいうのは間違っている。」
「無事でよかった。」
依紗は驚き目を瞠る。そしてみるみるうちに涙が溢れ、膝から崩れ落ちる。
「牧くん…っ、ありがとう、来てくれてありがとう。怖かった…。」
牧はそれを支えながら膝をつく。落ち着かせるように依紗の背中をなでた。
「もう大丈夫だ。俺が傍にいる。」
やがて依紗は落ち着きを取り戻し、顔を上げ、照れたように笑い、立ち上がる。
牧もそれに倣って立ち上がる。
「ハエを掴んじゃったり、変な男に抱きつかれたりして嫌な日だと思ってたけど、最後はラッキーだったかな。」
「え?」
「牧くんが来てくれた。」
泣き顔見られたのはカッコ悪かったけど、と依紗は恥ずかしそうに笑った。
(その表情は…マズイんだが。)
「徳重、言っておくが、俺も男なんだぞ。」
「知ってるよ。」
「隙を見せるのは…あまり感心しないな。」
「…牧くんだから良いんだよ。」
笑顔で真っ直ぐ見つめ返してくる依紗に、牧は困ったように笑う。
(参ったな。)
「ひとりで帰らせたくない。一緒に帰ろう。」
「うん。」
自分よりいくらか背の低い依紗を優しく見下ろし、静かに名前を呼ぶ。
「依紗、」
「なに?」
依紗はそれに従い牧を見上げる。
「好きだ。」
「…ん、私も。」
そっと唇を重ねて、手を繋ぐ。
明日も明後日も傍にいるよ。
「帰りたいところだが、事の次第を先生方に話しておくべきだろう。今後被害を増やさない為にも。」
「…そうだね。牧くん真面目だ。」
繋いだ手はそのままに、来た道を戻った。
雨のち晴れ
(スカートで蹴りはちょっとな…)
(スパッツはいてるよ?)
(そういう問題じゃないんだ。)