第十八話 接唇
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全てがスーパースローの映像でも見せられている様だった。
クンっと引っ張られて前のめりになった体。
目の前に差した影。
ふあっと香るシャンプーの匂い。
……だが。
肝心の、唇を掠めた柔らかさだけは、瞬きする間もないほどの一瞬の出来事だった。
恵の「キスするぞ」は前述した通りで、言うなれば半分脅し、半分冗談の意味での言葉だった。こっそり『あわよくば』もなくはなかったが。
それがどうだ。またもや先手を打たれてしまった。ナマエはこうやっていつも恵の想定外のことばかりしでかす。
「あれ?……恵……くん?」
「…………。」
「えーっと……。」
「…………。」
だが、この時ばかりはナマエの次の行動が簡単に予測できた。昨夜の二の舞なんかさせてたまるか。
「じ……じゃあ、私はそろそろ帰「おいコラ。」…ヒッ!」
ナマエの腕を掴んで低く凄んだ恵に、ナマエはお化けでも見た時の様な反応を見せた。恵の予想通り、逃げる様に帰ろうとしたのだ。
「…ヤリ逃げ。」
「やりっ…………って!…言い方!」
「事実だろうが。」
「ち…がうもん。」
「どこが。」
「…………。」
「あれで済むわけないだろ。」
「え?…………んぅっ!」
掴んでいた腕を引っ張り、反対の手をナマエの首の後ろに回して引き寄せた恵は、そのまましっかりと唇同士を合わせた。
先程の、触れたかどうか微妙なものではなく。ちゃんと、しっかりと、重ねた。
初めて触れた(1回目はカウント外)ナマエの唇は、少し震えていたがしっとりとしていて気持ち良くて、でも、思いっきり力が入っているのか、すこし硬い。
閉じていた目をうっすらと開くと、目の前のナマエはぎゅっと目を瞑ったままだった。ゆっくりと唇を離したが、まだ目は開かれず、そして唇は真一文字に引き結ばれている。しかも、このままだとナマエは窒息してしまいそうだ。
(そりゃ硬いはずだ。)
フッと息を漏らした恵は、ナマエのその固く引き結ばれた下唇に、そっと自分の親指を乗せた。
「っ!」
「ナマエ……息。」
「っ…ハァっ……」
頬に手を当てて呼吸を促す。うっすらと目を開きやっと息を吐いて唇の力が抜けたところへ、恵は間髪入れずに再びキスをした。
「んんっ。」
今度はちゃんと柔らかかった。でもまたすぐに力が入る。
「ナマエ……ちから………抜け。」
「んっ……む…りっ……あっ……んぅ。」
それでも頑固なナマエに、恵は力を抜け、力を抜けと念じる様に、ちゅ、ちゅと、くっつけては離し、またくっつけては離しを繰り返した。
そうしてナマエの力が抜けると今度はゆっくり、ゆっくりと食むように唇を合わせる。
そんな恵のキスはただ唇を合わせているだけなのに、ナマエにとってはどこか色っぽくてドキドキして、ナマエ本人からはくぐもった声と吐息だけが漏れた。
ここまで積極的な恵はナマエにとってはじめてだった。ナマエが無邪気に絡んで、それを恵は眉を顰めてあしらう。それがふたりの通常運転だったから。何がどうなって恵はこんな風になったのか。
その答えは、たったひとつ。
恵が、吹っ切れたから。
これまで頑なに境界線を守っていた恵のネジを外したのは、他でもないナマエなのだが。
それもこれも、昨夜のナマエの発言のせいだ。ナマエの将来のために勝手に自己完結して身を引いていた恵だったが、あんなナマエを見てしまい、愛しさが暴発した。
ミョウジ家なんか知るか。他の男なんかに渡すものか、と。そのためなら本当は嫌で仕方ない五条の力でさえ頼ってやる。
ナマエを部屋に引っ張り込んでからの恵のグイグイ押してきたあの様子も、そのせいだ。
それでも……いつか、どうしても離れなければならない日が来るなら。それがどんなことがあっても避けられないのであれば。
足掻くくらいいいだろう。せめてそれまでは、好きにさせろ。
――それが恵の覚悟だった。
何があってもナマエと離れない。ではなく、もしもの時は…と考えるあたり、ネジが外れていても恵は恵なのだ。
そんな恵の気持ちを知る由もないナマエは、戸惑いながら恵のキスに翻弄されており、気づけばまた恵の腕の中に戻っていた。
「めぐ…………っ、待っ……んぅっ。」
「も……すこし。」
「ん……んんっ。」
「…………。」
鼻から抜けるような声が、恵の腰に響く。恵はこれはヤバい、と思った。柔らかくて気持ちよくて…つい夢中になっていたが。このままだと別の気持ちよさを求めてしまいそうになる。流石にそれはマズい。
なごり惜しむように、しっかりと長く唇を合わせた後、そっと離してそのままナマエの額に自分の額を合わせた。唇が離れる時にナマエからまた「んっ」と声が漏れて、勘弁してくれと思った。が、原因は恵にあるので何も言えない。
額を合わせて涙目のナマエと目が合ったとき、やっと我に返って、突然恥ずかしさが襲ってきた。
「…ファーストキス、ごちそうさん。」
苦し紛れに溢れたのは照れ隠しの一言だった。……のだが、ナマエの返した言葉に恵のテンションは急降下する。
「はじめてじゃ…ないもん。」
「……あ゛?」
目を伏せて右に視線を流したナマエからはどことなく色気があり、恵にはその当時を思い出しているように見えてしまった。一気に嫉妬心が膨れ上がる。
「誰だよ。」
「……ないしょ。」
「……。」
ナマエの表情は恵とさんざんキスをして照れ臭さから来たものであったし、こんなことを言ったのは恵と同じく照れ隠しから来るちょっとした反抗だったのだが。
恵には一切通用しなかった。
(誰だ…そんなタイミングあったか?俺以外の男とこれまで絡むことなんて……いや、まさか。)
「まさか、アイツ…か?」
「っ!違う!……あの時は、されなかった。」
思い出したのか少し震えて言ったナマエに失敗したと恵は思った。
「っ悪い。」
「……ううん。」
気を取り直して、改めて質問をする。よっぽど誰か知りたいらしい。
「じゃあ……誰。」
「……。」
「っ!嫌な想像したんだが……五条先生とか……」
「……ふっ。なんで……ふふっ。違うよ。」
「じゃあ誰なんだよ。」
しつこく聞いてくる恵に、ナマエはもしかして、と期待をした。
「恵……もしかしてヤキモチやいてる?」
「……いいから言えよ。」
「ふふふっ。」
そんな恵の反応が嬉しくなってしまったナマエは、イジワルがしたくなった。
ちなみにナマエ自身も幼い頃の夢を見た時にたまたま思い出したのだが、ナマエのファーストキスの相手は、兄である。
勘違いしている恵には、もう少し黙っておこうと思った。
「……言えない相手なのか?」
「ないしょっ。」
「言わないなら……またキスするぞ。」
「んっ!」
ナマエの返事を待たずして一回だけ唇を落とした恵は早く言えよと急かした。
「ほら…、早くしないと、白状するまでずっとキスするからな。」
恵はまた脅し文句を言ってやったつもりだったが……。頬を染めたナマエは一度目を逸らした後にそっと恵を見上げて……
「じゃあ……やっぱり言わない。」
そう言ってから恵の首の後ろに両腕を回して、背伸びしてキスをした。最初のような掠るだけのものではなく、ちゃんとしたキスを。
「……もっと、したい……から、言わない。」
「っ、お前……なぁ……。」
そうして、二人の顔は近づき……砂糖菓子よりも甘い時間が、しばらくの間続いた。