第十六話 一歩
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これまで、家入がずっとナマエを手元に置いていた理由。万が一ナマエがよからぬ事を考えたら…ということだった。何かあってからでは遅い。目の届く所に置いておかないと不安だったのだ。心配で心配で仕方がなかった。あの日のナマエは今にも消え入りそうだったから。どこかに行ってしまいそうな、そんな危うさがあった。家入が自宅で過ごす回数はそもそもが少なかったが、この半月に関しては一度も帰っていない。せいぜい着替えや洗濯の為に戻るくらいだった。
ナマエが何と言おうと、寮に戻すことを良しとしなかった。
(目が変わったな。)
今日は備品棚の棚卸を手伝わせている。さすがに薬品棚を触らせるわけにもいかないので、包帯やガーゼなど、知識のない者でも問題ないものを任せていた。時々ナマエの質問に答えながらその様子を見ていた。
ナマエの表情はこの半月で少しずつ明るくなっていった。真希や新田と笑いながら話している所も見かけていた。だが、その目だけは。どこか儚く、曇ったようにも映ってたのだが。
(……そろそろか。)
昨晩の事は家入も知っている。覗き見する趣味などないが、ナマエのあんな泣き声が聞こえてくれば心配にもなるだろう。だから、少し様子を伺っただけだ。伏黒はこれまでナマエを気遣って、決して起きているときには会いに来ていなかった。たまたまナマエが起きてしまったんだろうと思う。アクシデントではあったが、結果的に良いきっかけになったようだ。
今回の事は、デリケートな問題だっただけに家入にとっても正解が分からなかった。反転術式で治せるものなら治してやりたい。でも、家入が治せたのは身体の傷だけ。あとは見守ること以外手段がなかった。
「硝子ちゃーん、そろそろ休憩にしない?」
こういった作業が元々得意ではないナマエが、さっそく音を上げた。作業を始めてからまだそんなに経っていないのに。
「まだ包帯の棚しか終わってないだろ。」
「だってー…多いんだもん。あとね、えーと…ちょっと話したいこともあって…。」
そういうことか。さっきからどことなくもじもじしながらこちらを見てきていると思ったら…。どうやら話したくて仕方がなかったらしい。全く…こういう所は幼い頃から変わっていない。
「仕方ないな。コーヒー、淹れてくれ。」
「はぁーい!」
許可を出した途端にこれだ。お伺いを立てるように言っていたのが一転。何事もなかったかのように電気ポットに水を入れだした。そのゴキゲンな背中にはツカモトがいる。
…どこからその抱っこ紐を持って来たんだ。呪力コントロールの精度が上がったため、ツカモトはすやすやと眠っていた。
「美味いな。」
「インスタントだけどねー。」
ナマエの淹れてくれたコーヒーは安物のインスタントだが、なぜだかどこか優しい味がする。一口飲んでふぅっと息をついた。
「…それで?話したいことって?」
「えーと…ね。……。」
「何か心境の変化でもあったか?」
「あの、硝子ちゃん…。夜蛾学長と、お話しできるかな…。」
あの日からナマエは、夜蛾はおろか、五条や七海とも顔を合わせることができなかった。男性への根源的な恐怖。それを拭うことがずっとできなかったのだが。だから、ナマエについてのやり取りは全て家入が間に入っていた。
「大丈夫なのか?」
「わかんない…けど、昨日ね、恵と…話せたの。…怖くなかった。恵は、恵だった。」
「…そうか。」
「分かってたのに…逃げてたの。みんなは、違う。あの人じゃない。…そうだよね?」
「ナマエ…。」
「みんなの優しさに甘えて逃げてた。これから先、恵以外の男の人が怖くないかって言われると、ちょっと自信はないけど。本当は、怖いから逃げてたんじゃない……私は……弱い私を、見られたくなかったの。」
「…お前は、弱くなんかないよ。」
そう、弱くなんかない。心が壊れてしまってもおかしくない程の目に合った。呪術師としてどうこう以前の問題だ。それでも、この子は懸命に前を向こうとしている。これのどこが弱いというのか。
「硝子ちゃんも、真希ちゃんも、新田ちゃんも…みんな、いつも通りだった。誰も…軽蔑しなかった。同情で憐れむようなこともしなかった。」
「そんなもん、するわけないだろ。」
家入の言葉に眉を下げて、少し泣きそうになりながらもナマエは笑った。少し震えながら話すその様子では、まだ払拭などできていないのだろう。それでも、変えようとしていた。変わろうとしていた。
「だから、ね。学長の許可が出たら、寮にも戻るよ。」
「それは…。」
元の生活に戻りたいと言うナマエの願望は尊重してやりたいが…。確かにここで生活を始めた頃の危うさもなくなりつつはあるが。それでも。元の生活に戻ったとき、何がきっかけになるか分からない…。一人にするにはまだ不安があった。
「大丈夫だよ。私は、〝それ〟だけはしない。」
「な…。」
言い淀む家入に、ナマエは、こちらが懸念していることを分かっているような口ぶりだ。
「硝子ちゃん、今まで私のこと見守ってくれてたんだよね。ずっとお家にも帰ってないでしょ?」
「…そんなことは気にしなくていいんだよ。」
「…ありがとう。心配してたのは……私が、変な気を起こすんじゃないかって…ことだよね?」
「ナマエ…。」
ナマエは、責めるわけでもなく、悲しむわけでもなく。両手で包むように持っていたコーヒーカップをじっと見つめながら続けた。
「心配しなくてもバカなことはしないよ。…例え何があっても。命を懸けて戦ってる
「……。」
「それにね、私は、呪術師だから…いつ死んじゃうかなんて分からないけど。それでも。楽になるためにとか、逃げるためにとか…そうやって、自分の為だけに自分から幕を降ろすことだけはしない。みんなを………恵を。悲しませることだけはしない。——絶対に。」
そう言って、コーヒーカップを見つめていた視線が家入へと移った。そのまっすぐな目は、昨日までの曇っていたそれではなく、しっかりと光を取り戻していた。家入は、はぁっと大きく息を吐いてから、肩の力を抜いた。
「…呪術師としてなら死んでもいいってわけじゃないからな。」
「うん…。」
「はぁ…分かった。学長と…五条に連絡を取るよ。話はそれからだ。」
「っ!ありがとう!」
午後から五条と話し、夜蛾にも許可をもらい。いきなり元に戻るのではなく、これまでのように家入たちの手伝いをしつつ少しずつ授業や訓練に戻り様子を見ながら、時期を見て任務の再開をすることが決まった。そして今日からは寮の自室にも戻ることになった。夜蛾たちと話す時のナマエは、これまで通りというわけにはいかなかったが、それでも、思ったよりは落ち着いて話せていたので家入も肩をなでおろした。…ついでにツカモトを夜蛾に返却したが、情が移ったのか…ナマエは少し涙目になっていた。
———そして、その日の夜。ナマエは、寮のとある一室へと向かった。