第七十六話 吐露
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午後8時。昼間のギラギラと照らす太陽のせいでこの時間になっても地熱が籠っているのか蒸し暑い。女子寮、野薔薇の自室にて。全身に擦り傷やら青痣やらを作りまくった部屋の主は全身筋肉痛のその身を労わるため冷湿布と氷嚢とで冷やしていた。
今日の特訓もキツかった。基礎体力が無さすぎると言われグラウンドを数えきれないほど周回し、身体が硬いと言われて骨が折れそうなほどの地獄の柔軟。近接弱すぎと言われ慣れない木刀での真希との対人特訓。そして受け身がなってないと言われパンダに散々ぶっ転がされた。特に今日は吹っ飛んだ野薔薇を受け取る係の狗巻がいないため何度地面とこんにちはしたか分からない。ダメ出しをされすぎてメンタルをやられ、自分には才能が無いのではと卑屈になってしまいそうだ。
「いたたた……。やりすぎでしょあの人たち。」
『もう終わりか?野薔薇ァ。なっさけねぇな、オマエの根性はそんなもんかよ!』
『鬼だな、真希。』
『あ゛ァ!?』
「チッ……なーにが根性なしよ。私を誰だと思ってんの、全然余裕だっつーのよ。……っ痛〰〰。」
ナマエが己の運命と懸命に戦っているというのに何も抱えていない自分がこれくらいで挫けるわけにはいかないのだ。強気がデフォルトの野薔薇は痛むふくらはぎを摩りながらもう片方の手で徐にスマホを見た。
『今日の夜、野薔薇ちゃんの部屋に行ってもいい?』
特訓のあとにスマホを見たとき入っていたメッセージだ。ナマエの方から会いに来るなんて珍しい。何か心境の変化でもあったのだろうか。いつもこちらからアクションを起こしていた野薔薇としてはこのナマエからのメッセージは嬉しかった。時間的にそろそろだと思っていると、案の定部屋の扉がノックされた。はーいと返事をして、筋肉痛で重たい身体に鞭を打ってナマエを出迎えに入口へと向かった。
「こんばんは、いきなりごめんね。」
「平気よ。とりあえず入って。」
「うん、お邪魔します。」
部屋に入るとナマエは手にしていた紙袋をおみやげだと差し出してきた。見たことのあるそのロゴは有名な洋菓子店のものだった。中にはつやつやのチーズケーキが入っている。たしか毎日限定20個しか販売していないので入手困難だったはずだ。七海一級術師に貰ったそうで、ナマエが言うには毎回何かしらこうしてお菓子やらケーキやらを買って来るらしい。
「あんた餌付けでもされてんの?」
「はは……たぶん建人くんは私を元気づけようとしてくれてるんだよ。昔から私の機嫌を取るときにはいつも甘いもの買って来てたから。」
「へー、随分可愛がられてんのね。ケーキなら、紅茶でも淹れようか。」
「修行のときは違う意味で可愛がられてるけどね。あ、手伝うよ。」
テーブルに紅茶とケーキを準備して、さっそく限定チーズケーキを頂いた。3種類のチーズを絶妙な割合で混ぜ合わせ少し固めに焼き上げられたそれはずっしりとした見た目と裏腹に舌ざわりが最高で、さらに上に乗ったマスカルポーネのクリームともとてもよく合う。つまり、めちゃくちゃおいしい。
「やっばいわね、これ。何個でもいけそう。」
「おいしいねぇ。建人くんの選んだものにハズレは絶対ないんだよ。超のつく美食家だから。」
「美食家の選んだものいつもこうやって食べてんの?うらやましすぎなんだけど。」
「ふふっ、今度から野薔薇ちゃんにもおすそ分けするね。野薔薇ちゃん……傷、大丈夫?随分扱かれてるみたいだね。」
「こんなのすぐ治るわ。それよりもナマエよ。なんか顔色悪いわよ。」
「え?そう?」
「それにさぁ、あんた痩せた?ちゃんと食べてんの?」
「自分では分かんないんだけど、そんなに?恵にも全くおんなじこと言われたよ。ちゃんと食ってんのかって。」
「こんな甘いものばっかり貢がれてんのになんで痩せるのか不思議だわ。ってちょい待ち、伏黒!?会ったの?あんたが?」
「貢がれ……」
伏黒とナマエは自販機で偶然出会したらしい。じゃんけんで負けてパシられたあのときだろう。ナマエからそのときのやりとりを聞いて、やっと納得できた。戻って来るのが遅かったのも、ジュースが少し温くなっていたのも、伏黒のあのイラつきの理由も。どうせナマエがまた爆弾を投下したんだろう、しかも無意識に。安易に想像ができた。と、そんなことより。
「つーか普通に伏黒と話すんだ。」
「え?」
「ナマエのことだからなんだかんだ避けたり無視でもするかと思ってたんだけど。」
「あー……うん。ほんとはめちゃくちゃ緊張したよ。でもずっと話さないわけにもいかないでしょ?だって、幼馴染みだもん。」
「はぁぁ、またソレか。」
前よりもさらに『幼馴染み』という言葉に重みがあるな、と野薔薇は思った。あんな偉そうで重油まみれのカモメに火をつけそうなヤツのどこがいいのか野薔薇には欠片も理解できないが、ナマエの伏黒に対する想いが並々ならぬものであることはこの短い期間でも十分理解させられた。そしてその想いが伏黒側も然り、ということも。
ナマエの今後については五条から聞いている。そもそも秘匿とはいえ死刑宣告をされている身。今は自分の感情どうこうより、まず生きるか死ぬかの状況だ。半年以内に兄である翔の呪いの解呪を達成させることができて死刑が取り消しになっても、今度はミョウジ家を支える当主となる役目が待っている。家の存続のためにいずれ婿を取ることになるナマエは、伏黒とどうこうなる可能性をこれで自ら完全に潰したことになる。両親や兄、つまりは『家』に無理やり引き離されたのではなく、自分から『家』のためにその道を選んだ。
術師の家系とはいえ、あくまで野薔薇は一般家庭の生まれだ。正直ナマエのような由緒ある名家の柵など、これまで想像すらしたことがなかった。だからナマエがたかが家のために自分を犠牲にしようとするその精神さえ、未だによく分かっていなかった。
けれどその精神や家の重圧は分からなくとも、ナマエが苦悩しながらも必死で生きようとしている、大事なものを守ろうとしている、それは分かる。
(だからそんな
扉を開けて久々に顔を見たときから、違和感があった。想定より普通に話してはいるが。思い詰めた表情、と一言で言い表すには言葉足らずのような。ため込んでため込んでため込んで抱えきれない程膨らんでいるのに、破裂させるわけにはいかない。吐き出し方も分からない、そんな感じだ。
両親には心配をかけたくないと思っているだろう。五条や七海には忙しい中修行に付き合わせている手前、弱音なんて吐けない。家入に関しても同じ理由。2年にも迷惑をかけたくないと思っているだろうし、交流会に向けて忙しいからとナマエれあれば気を遣うだろう。伏黒には……言えるはずがない。
どこまでできるか分からないが、ここは自分の出番だろう。
「それで?いつもいつも私の誘いを断り続けてたナマエさん。今日はどのようなご用向きで?」
「の、野薔薇さん……それは嫌味?」
「そりゃね。いいから話しなさいよ、だから来たんでしょ?ていうか自分から来るなんてなんか心境の変化でもあった?」
「えっと……恵がね……」
自販機コーナーで伏黒もナマエの様子を見て感じ取った。野薔薇と同じように。かといって伏黒ではどうにもできないから自分に任せることにしたんだろうと野薔薇は思った。
「なーんだ。じゃあ伏黒に言われたから私に会いに来たってこと?伏黒に言われたから、かぁ。」
「ち、違うよ!野薔薇ちゃんにはずっと会って話したいって思ってたの!でもずっと野薔薇ちゃんのお誘い断ってたし野薔薇ちゃんも特訓で忙しいし……確かに恵に言われたことがきっかけにはなったけど、でも……!」
「はいはい、分かってるわよ。だからそんな泣きそうな顔すんな。」
「う〰〰〰。野薔薇ちゃんのいじわる。」
野薔薇の揶揄いが功を奏したのか、部屋に来たときよりもナマエの表情筋がほぐされている気がした。だがナマエは、意を決して野薔薇の元へ来たものの、実際何をどう話せばいいのか全く分かっていなかった。恵に言われた吐き出せという意味もまだいまいち分かっていない。
「とりあえず愚痴でも零せばいいんじゃない?」
「……愚痴?」
「そ。ムカついてることとか、嫌なこととか、あとは辛いこととか?あんた今まで友達に愚痴ったことないの?」
「ないよ……だって野薔薇ちゃんが初めての友達だもん。」
「………………そ。」
素っ気ない返事だが、野薔薇は照れくさがっているだけだ。ナマエにはっきりと『友達』と言われて嬉しかった。野薔薇にはナマエの修行を手伝うことはできるほどの実力は無い。家入のように身体の傷を癒すこともできない。五条のように呪術界からナマエを守ることだってできない。だったら、『友達』にしかできないことをしよう。そう心に決めて、ナマエが話し始めるのを待った。