第七十五話 変化
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__ガコン
自販機コーナーには、じゃんけんで負けてパシられている恵が人数分のジュースを買いに来ていた。交流会への参加が決まって以降、真希たち2年生たちによる“可愛がり”という名の扱きを受けていた。先輩たちの特訓は任務の後だろうが何だろうがお構いなしなので体力的に厳しいものがあったが、今の恵たちにとっては都合が良かった。無我夢中で身体を動かしていれば余計なことを考えずに済む。
現にあの釘崎が何度2年にぶっ転がされても懲りずに立ち向かっているのだ。……文句と悪態は相変わらずだが。
(狗巻先輩が居ないから……今日はナマエのところか。)
葬儀の日から恵はナマエに一度も会っていない。釘崎も会ってはいないが何度かスマホでやり取りはしているらしかった。懸命に修行に励んでいると釘崎から聞かされた。だが、釘崎が言うには少しナマエの様子がおかしいらしい。声に覇気がなく、平坦。話していてもどこか冷たい印象だというのだ。釘崎は、全く本音で話そうとしないナマエに対して思うことがあるようだったが、顔を見ていない以上実際のところが分からず悶々としていた。
どんな修行をしているのか、うまくいっているのか、怪我などしていないか。恵にはそれを知る術がない。狗巻に聞くのもどうかと思うし、釘崎には揶揄われそうであれ以上は聞きたくなかった。五条などもっての外だ。だが1人だけ、恵が聞けそうな人物がいたことを思い出した。
(今度七海さんに……聞いてみるか。)
あの人であればこちらの意を組んで話を聞いてくれそうだ。人数分のジュースを買った恵がそれらを両手で抱えて立ち上がろうとしたとき、背後でザリという靴の音と人の気配を感じた。誰か飲み物を買いに来たのかと振り返ると、つい今しがた脳内に居た人物が目の前に現れた。
「久しぶりだね、恵。」
「ナマエ…………っと。」
動揺のせいか両手に抱えたジュースを取り落としそうになった。焦る恵に対してナマエは随分と落ち着いた様子だった。以前のナマエであれば「大丈夫?」と言いながら駆け寄っていただろう。だがナマエは葬儀の日に見せた、あの真っすぐな眼差しでこちらを見ているだけだった。
「恵たちも休憩?交流会、出るんだってね。」
「っあぁ、お前も休憩か?狗巻先輩と一緒か?」
「うん。」
「……。」
別行動とはいえ、こうやって偶然出会す可能性も当然あると思っていた。そのとき、普段通り会話ができるのか。いや、そもそも少年院の事件の前に自分の子供じみた言動のせいで仲違いのような状況だったのだ。自分なんかと話してくれるものかと恵は思っていた。だからこれは想定外だった。表情こそないものの、普通に話しかけられている。戸惑いのあまり返答がどもってしまう。そんな様子の恵のことを特に気にすることなく、ナマエは自販機の方へ、つまり恵の方へと近づいて来る。でも、数歩手前で立ち止まりまた恵の方を見た。
「恵。私もジュース買っていい?」
「あ、あぁ。」
「これ以上近づいたら兄様が反応しちゃうから。」
「……悪い。」
「謝るのはこっちの方だよ。ごめん。」
ナマエが途中で立ち止まったのは、翔の呪力が恵に反応してしまうからだった。それに気付けず立ちつくしたままだった恵は、ハッとして自販機から離れた。知らないと思っていた。恵が翔によって拒絶されることを。後から誰かから聞いたのだろう。それを知ったとき、ナマエはどう思ったのだろうか。悲しんだのか、それとも拒絶されるのは当然だと……思ったりしたのだろうか。
でも、この事象はナマエのせいではない。
「お前こそ何にも悪くないだろ。謝んなよ。」
「……。」
小銭を入れる音、ボタンを押す電子音、取り出し口にペットボトルが落ちる音。それらを耳にしながら恵はじっとナマエの背中を見つめていた。しばらく見ていなかったせいか何なのか、その身体はどこか小さく見えた。身体を屈めてジュースを2人分取り出したナマエは、恵に背中を向けたままこちらに話しかけてきた。
「悟くんから聞いたよ。名札の件、ありがとう。」
「……たいしたことはしてねぇ。」
「恵にお願いして良かった。」
声はいつも通りだが釘崎の言う通りどこか冷めているようだった。振り返ったナマエの表情はずっと変わらず冷静そのもの。じゃあね、とそのまま立ち去ろうとしたナマエを恵は思わず引き留めた。あまりにも以前と違うナマエの様子に恵は聞かずにはいられなかったのだ。七海に聞くかと思っていた数秒前の考えはどこへやら。
「ナマエ……お前、大丈夫か?」
「……なにが?」
「修行、どんなことやってんのかとか俺は知らねぇけど。無理、してんだろ。」
「…………。」
「それに、少し痩せたな。ちゃんと食ってんのか。」
小さく見えたのは気のせいではなかった。改めて正面からナマエを見て、分かった。身体だけじゃない、顔だって以前はもう少しふっくらしていた。健康的な痩せ方ではないのは一目瞭然だった。顔色も少し悪い。
「……悟くんから聞かなかった?『私は大丈夫』って。」
「それにしたって……」
「恵。誰かに言われたからじゃない。これは私が自分で決めたことなの。」
「……そうだったな。」
昔からナマエはこうだった。一度自分でやると決めたら、絶対に諦めない。恵だけでなく両親や兄、信頼する七海の言うことも通用せず、誰が何と言おうと考えを覆すことはしないし、何より絶対にやり遂げる。高専入学までの経緯がいい例だ。恵から見たナマエはそういう
「お前が決めたことだ、そこは何も言わねぇよ。でもな、心配くらい俺にだってする権利はあるだろ。__『幼馴染み』だろうが。」
「っ。」
「なぁナマエ。俺に、できることは……何もないのか?」
「……。」
変わらない未来に対しての悔しさか、憤りか。恵が意図することなく『幼馴染み』という言葉が冷たく放たれる。そしてずっと表情の変わらなかったナマエの顔に、ここで初めて変化が見られた。眉を寄せ苦悶の表情だった。『心配』に反応したのか、それとも……。恵はその理由には気付かず、残念ながらこちらに嫌悪を示したものだと解釈してしまった。
「悪い、余計なこと言ったか。」
「……ちが……」
「俺に言いたくないのは仕方ないよな。でもお前の周りにはいっぱい居るだろ。いっぱいできただろ、信頼できる仲間が。」
「……頼ってる。だから修行手伝ってもらってるんだよ。」
「そういうことじゃなくて。抱えてるもん、吐き出せって言ってんだよ。」
「……。」
「俺や修行手伝ってくれてる人たちには吐き出せないなら。釘崎がいるだろ。」
「野薔薇……ちゃん。」
「あぁ、やっとできたお前の『友達』だ。」
「………………。」
今度は眉を下げ泣きそうな顔になった。いや、瞳が潤み揺らいでいることから涙こそ零れていないが既に泣いている。そんなナマエの様子を見て、恵は少し安心した。
(なんだ。ナマエはナマエじゃねぇか。)
葬儀の際のあの表情、釘崎から聞いた様子、そして今日の雰囲気からナマエが変わってしまったのではと懸念していた。顔色を悪くし痩せてしまうほど己を追い込んでいるナマエが気が気でなかった。でも感情をなくしたわけではなかった。これならばまだ大丈夫だ。恵にはできなくても、釘崎であればどうにかナマエの心に寄り添うことができるのではと思った。ここから先は、『幼馴染み』でも『先輩』でも『恩師』でも『身内』でもない、『友達』の出番だ。これ以上ナマエのそばに居て気を悪くしてもいけない。そう思った恵はくるりと方向転換してナマエに背を向けた。
「引き留めて悪かった、狗巻先輩待ってんだろ。修行、頑張れよ。」
「……恵も、頑張って。」
「おぅ。」
「………………あの、恵!」
そのまま振り返らず進もうとしたが、今度は恵が引き留められた。顔だけ振り返ると、ナマエは少し照れたようにもじもじした表情でこちらを見ていた。ナマエのこんな表情は久しぶりだったので、恵は図らずもドキッとしてしまう。
「……どした?」
「あの、あのね…………ほんとは、恵にずっと伝えたいと思ってたことがあるの。でもタイミングとか……その……なくて。」
「……?」
見る人が見ればまるで愛の告白シーンだ。恵も勘違いしてしまいそうになりながら、いやでもナマエだしなと思い直して身体ごとナマエの方を向いて続きの言葉を待った。ほんの少しだけ期待をしていなくもなかったが。
「鉄扇、見つけてくれて……ありがとう。」
「………………あぁ、そのことか。まぁ……気にすんな。」
「……それだけ。こっちこそ引き留めてごめん。」
(そんなことだろうと思ったよ!つーかあの人やっぱりサクっとバラしてんじゃねぇか!)
ずっといつ言おうか悩んでいたんだろう。伝えられてスッキリしたのか、ナマエはそのまま恵に背を向けて歩き出した。逆に恵の方は分かっていたことなのにその通りになって、どこに、誰にぶつければいいか分からないこの気持ちを持て余していた。いや、ぶつけるべき相手は居た。五条だ。
「おい恵ぃ。ジュース買いに行くだけでなんでそんなに時間掛かってんだよ!……つーかなんだよその顔。キレてんのか?」
「別にキレてません。ちょっとイラっとしたことがあっただけです。」
「それをキレてるって言うんだぞ。」
「ていうか伏黒ぉ!なんでジュースちょっと温くなってんの!?意味わかんないんですけど!」
「うるせぇ!文句あんならお前は飲むな!」
一方、練武場に戻って来たナマエを見て棘は不思議に思った。ナマエに表情が少し戻っているのだ。以前の通りとまではいかないが、少し柔らかくなっている。五条、七海、家入、そして棘がどれだけナマエを気に掛けても、どうにかしようとしても無理だったのに。自販機にジュースを買いに行っただけだ。そこで誰かと話したのかもしれない。しかもなぜか少し目が赤い。泣いたのか?と思ったが棘は何となく聞けなかった。
外で誰かに会ったとして、ナマエを変えることのできる人物。棘には1人しか思い浮かばなかったから。