第四十九話 雨音
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
春日の車が去り棘が差す傘の中に居たナマエ。今日は大人しく部屋に戻ってじっくりしっかり一人で考えて…頭の中を整理してから恵に報告するつもりだったのに。目の前にはその恵が居る。俯いているので恵の腰から下しか視界に入っていないが。
実家に帰る事をすごく心配していた恵。その恵に明日話す、なんて通用しなかったのだ。でも何時になるか分からないと伝えていたのに。もう少し賢いメッセージ(言い訳)を送ればよかったと思うも後の祭りだ。
悶々と考え込んでいると、ふと肩にポンと重みが。振り返ると棘が自分の肩に手を乗せて眉を下げてこちらを見ていた。
「すじこ。」
「え…?棘く……ん?って、うわっ!」
突然背中を押されて、前につんのめった。転ぶ!…と思う程のまぁまぁの勢いで。幸い恵が支えてくれた事で転ぶことは無かった。結果的に棘の傘の中から恵の傘の中にうまく濡れることなく移動したのだが。振り返って文句を言おうとしたが、続きの言葉が出てこなかった。
棘がにっこりと笑ってこちらを見ていたから。普段見かけるいたずらっ子のような笑顔ではなく、優しい〝にっこり〟だった。帰る時にはスーツ姿にネックウォーマーという変な組み合わせに(でもなぜか似合う。)なっていたので目元しかわからないし、場所と時間帯のせいで正直自信はないけれど。それでも確かに笑っていたと思う。
「ツナマヨ!」
そう言って右手を開いて顔の近くまで上げた後、くるりと後ろを向いて寮の方へとスタスタと歩き出してしまった。
〝お疲れ〟?〝おやすみ〟?いや、〝がんばれ〟…と、言ってくれた気がする。そう思う事にしよう。だから、後ろ姿に向かって叫んだ。雨の音にかき消されないように。
「棘くん!ありがとう!!」
その背中は何のアクションも起こさなかったけど、きっと聞こえているだろう。頑張ろう。いい加減、この〝ちょっと逃げる〟癖を直さなければ。明日言おうとか、気まずいから避けてしまうとか。だめだ。誰が言っていたのかは忘れたけど『明日やろうは馬鹿野郎』だ。よし、と自分を奮い立たせて意を決して恵の方に振り返った。
「恵、あのね…」
「とりあえず部屋戻るぞ。風邪ひく。」
「……あ。…………ハイ…。」
「濡れるからもっとこっち。」
「…うん。」
傘は一つ。男性物なので大きいとはいえ、二人で入るにはやはり狭い。二人はそれからお互い口を開くことなく、身を寄せ合って建物の中へと向かった。
不機嫌、ではないはず。けれど感情の読み取れない表情に暗闇、悪天候が相まってちょっとだけ怖いとナマエは思ってしまった。
だから………2秒で挫けた。
恵の部屋についた。斜めに打ち付ける雨のせいでそれなりに濡れてしまった。無言でタオルを差し出されたので何も言わずにこちらも無言で受け取り濡れた髪を乾かした。
窓に激しく雨がぶつかる音だけが部屋に響いた。あれからまた更に雨は強くなっている。まさか冠水することはないだろうがそう思ってしまう程に降り注いでいる。
ここに来るまでに挫けてしまった意気込みを必死でもう一度奮い立たせたナマエは、こちらに背中を向けて窓の外を見ていた恵に話しかけた。
「あのね、今日の事なんだけどね…」
「狗巻先輩と、婚約したって事か。」
「っえ?」
「そういう事だろ。」
「待って、あのね…」
「家柄考えれば妥当なんだろうな。」
「違うの恵、聞いて!」
「違わねぇだろ。ミョウジ家から一緒に帰ってきたんだ。それ以外に何がある。狗巻先輩の格好もそれだろ。」
さっきからナマエの言葉を聞くことなく恵が行きついた答えをどんどん連ねていく。室内で明るくなったのに、先程よりも感情が読み取れない顔だ。ナマエは泣きそうな声で弱弱しく抗議した。
「なんで……私の話、聞いてよ…」
「何を聞くんだよ。」
「違うの…今日は顔合わせだけって…まだ決まったわけじゃない…」
「顔合わせの時点でほぼ確じゃねぇか。」
「…………。」
そう言われてしまえばそうなのだが、棘はまだ時間があると言ってくれた。方法を考えようと励ましてくれた。それなのに…。
「良かったな。」
「……な、」
「変なヤツ宛てがわれるよりよっぽどいいだろ。狗巻先輩は信用できる人だ。」
「それ……本気で言ってるの?」
「……。」
「ねぇ。」
恵の言った事が信じられなかった。それから、ナマエはどんどん血の気が引いていくのが自分で分かった。逆に冷静になれた。情けなく下がっていた眉も元の位置に戻り。潤みかけていたその瞳は今は真っすぐに恵を捉えて離さない。
「そうだね。確かにそれが目的で私も棘くんも家に呼び出された。親たちも乗り気で楽しそうに話してた。」
「ほら見ろ。」
「棘くんが卒業したら…なんだって。」
「っ。」
「それまで仲を深めるのもいいだろうって、それで。だから正式じゃないはずだって棘くんは言ってた。」
「……。」
淡々と今日の事を話していくナマエ。逆に恵の方がどんどん眉間に皺が寄り、険しくなっていった。
「棘くんは…何か方法があるはずって、大丈夫だって、言ってくれたよ。巻き込まれた張本人できっと嫌な思いもしたはずなのに。」
「親同士が納得してんなら覆らないだろ。」
「そんなのまだ分かんないじゃん!なんでそうやって最初から無理だって決めつけるの?仕方ないからって、納得できるの!?」
「…………。」
冷静だったナマエから少しずつ怒りが滲んでくる。恵はナマエの言い分に何も言い返せなかった。何も言わない恵に呆れたのか、ナマエはやるせなくため息をついた。
「……そっか、…そうだよね。最初から分かってたことだもん。仕方ないよね。それが思ってたより早くって。その相手がたまたま棘くんだっただけ。」
「ナマエ…」
「恵には関係なかったね。だって、私たち…————ただの幼馴染だから。」
「!!」
もう部屋に戻るね、おやすみ、と冷たく言い放って恵から背を向けたナマエは、そのまま部屋の扉へと向かった。
「待て、ナマエ……」
「待たない。」
「待てって!…っ!」
部屋を出ていこうとするナマエを引き留めようと嫌がるその腕を掴んで振り向かせたら…その顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。怒り、悲しみ、悔しさ…もうそれがどの感情かわからないほどにナマエの表情は苦痛に歪んでいた。でも、その瞳はしっかりと恵を睨みつけた。
「ナマエ、悪かった…俺は……」
「聞きたくない!離して!」
「離さねぇ!!聞けよ!」
「こっちの話は聞かないくせに!!勝手だよ!」
「俺は!!俺は……お前にとって一番いい選択を…」
————パンッ!
恵が最後まで言い切る前にナマエの右手が炸裂。乾いた音が響いたのは、ナマエによる気持ちいい程にきれいに決まった平手打ちだった。
「
「…謝らないから。絶対。」
頬への衝撃に驚いた恵が腕を掴む手を一瞬緩めた隙に、ナマエはその手を振りほどいて部屋を飛び出して行った。
「…………くっそ。あいつ……思いっ切りやりやがった。」
その証拠に口の中からは血の味がした。中を切ってしまったらしい。
————痛ぇよ。
恵の呟きはかき消された。ナマエの怒りに呼応するように強くなる雨のせいで。