第56話 虚辞と真情
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本社ビルから徒歩約十分といったところか。高級ブランドから手軽なファッションブランドまで、様々なショップが立ち並ぶ街道を一本奥に入った所にその定食屋はある。道が一本違うだけで表の煌びやかさとは打って変わってひっそりとした印象に変わる。昔ながらの木造建築で、入り口に掛けられた少し色褪せた暖簾がなんともいえない。
こじんまりしている割に個室で区切られているので落ち着いて食事ができる。低価格でボリューム満点、バランスのいい食事ができるということで、育ち盛りの学生にも人気の店だ。
もうすぐ古希を迎えるらしいご主人が入院するという事でしばらく店を閉めると聞いた時、ナマエさんは酷く心を痛めていた。
「いらっしゃい。あら、明けましておめでとう。」
「明けましておめでとうございます。お店、再開されたんですね!ご主人もう大丈夫なんですか?」
丁寧にお辞儀をした後に、一緒に切り盛りしている奥さんにナマエさんが心配そうに尋ねた。
「なに、たいしたことないんだよ。ただのぎっくり腰だよ。それを大げさに入院なんてするもんだから。心配かけちゃったねぇ。」
「こらこら、それは内緒にしてくれって話だったろう?恥ずかしいじゃねぇか。」
「そうだったかい?これはうっかりだね。」
夫婦のやり取りを目を細めて嬉しそうに見るナマエさんに、奥さんが「くだらない話で案内がまだだったねぇ。奥の席が空いてるからどうぞ。」と促してくれた。
「いつ見ても仲の良い夫婦だよね。素敵だなぁ。」
「そうですね。いくつになってもああいう関係性でいられるのって、確かに憧れますね。」
俺の言葉を聞いたナマエさんはパチパチと数回瞬いた後に、眉を下げて「そうだね」と言った。
お冷を持ってきてくれた奥さんに俺たちは品書きを見ることなく、二人とも迷わず生姜焼き定食を注文した。この店の一番人気で、ここに来ると毎回必ず頼んでしまう。
この店のメインを作るのがご主人で、小鉢や味噌汁を担当しつつ配膳やお会計をしてくれるのが奥さんだ。カウンター席の奥に厨房があるので、一段高いところにあるこの座敷からも襖を開けていたら二人の息の合った様子がよく見える。上座に座ったナマエさんは珍しく肘を立てて頬杖スタイルでずっと厨房の方を眺めている。リラックスモードのようだ。
そんなナマエさんを俺も同じように頬杖をついてずっと眺めていた。お互い無言だがそれでも居心地が悪いとは思わなかった。少し離れた所からジュウジュウと肉が焼ける音と香ばしい匂いが漂ってくる。周りに多少他の客もいるので少しザワザワとした話し声も聞こえる。夫婦を眺めていたナマエさんが、ふと口角を上げて目尻を下げた。彼女が今どんなことを考えているのかが分かって俺もつい、ふっと息を吐いた。その吐息のせいでずっと見ていたことがバレてしまった。
「どうしたの?」
「ナマエさんがいつも通りに戻ったので良かったなって思ってました。」
「っ。」
グッとナマエさんの息が詰まったのが分かった。参ったなと思いつつも、ちゃんと伝えるいい機会だと思った俺は、そのまま続けた。
「あの時は急に困らせるようなこと言ってすみませんでした。覚悟しろなんてナマエさんが構えちまうようなこと言ったけど、いきなりどうこうしようとは思ってませんから。いつもみたいに、一緒に出勤して、こうやって飯食って、そんでファーランさんとこで楽しく飲んで。それで今は十分ですよ。」
「でも…。」
「あんまり深く考えないでください。いつも通りのナマエさんといつも通りに過ごしたいし。」
嘘だ。もっと触れたいし、俺だけのものにしたい。仕事中はもちろん弁えるが、それ以外ではもっと彼女の事を知りたいし深い関係になりたいと思っている。いつも通りでいいなんて、真っ赤な嘘だ。
「まぁ、今までよりは俺の気持ち?的なものが漏れ出すこともあるかもしれないですけどね。困ったことに。」
少し眉尻を下げて伝えた。これは本音だ。一度伝えてしまってからは制御する自信がなくなってしまった。それでも嫌われたくはないので極力は我慢しようと思っている。あくまでも極力、だが。
「気持ちは…すごく嬉しいんだけど…。」
待て待て。これは…また振られるパターンでは…。バレないようにゴクリと唾を飲んだ。
「キルシュタインくんには、もっとふさわしい良い人がいると思うの。」
はいキタ。常套句。
「そんなお決まりな言葉でハイわかりました、って言うと思います?」
まずい。ちょっと感情が出てしまったかもしれない。
「だって、私は最低な女だよ。キルシュタインくんも分かったでしょ?付き合ってもない、しかも昔からの同級生を巻き込んでセフレみたいなことして。でも会社では絶対バレないようにして、いい人の顔してるの。ほら、最悪でしょ。」
いつも感情豊かなナマエさんからは想像できない、彼女には似つかわしくない無機質な表情と声だった。アットホームなこの店では猶更ミスマッチだった。
「ナマエさんが課長を巻き込んでるんですか。」
むしろ逆なんじゃねぇのかと勝手に思っていたが。違うのか?
「そうだよ。私のせい。リヴァイは何も悪くない。私がリヴァイの優しさを利用して寂しさを埋めてもらってるだけ。それに、前にキルシュタインくん言ってたよね。『そんなにイイヒトでいたいんですか。』って。その通りだよ。良く見られたいから、リヴァイとの事も隠してたし、良く思われたいから皆のフォローだって率先してやる。フォローの仕方に関してはキルシュタインくんのお陰で間違いだったって気付けたから直せたけど。でも、結局は自分の為。最低だよ。そんな女、絶対やめといた方がいい。」
いや、課長に関してはちょっと違う気がするが…同じ男として、少しだけ同情した。まぁそこは言及してやるつもりはない。課長のアシストをしかねないから。でも、何となく分かってきた。それと同時に段々と腹が立ってきた。
「ナマエさん。俺に嫌われようとしてますよね。」
「…」
自分の声が思ったより低くなってしまったがこれは仕方ない。疑問ではなく確認のつもりで尋ねた。沈黙は肯定。確定だな。
さて、どう反撃してやろうか。と、思ったその瞬間、「おまちどうさん!生姜焼き定食お二人さんね!」と張りのある奥さんの声で思考が一瞬全部吹き飛んだ。
奥さんは俺たちの様子に何かを感じ取ったのか、「ごゆっくりね」と言った後、そっと襖を閉めた。申し訳ない。後ろの襖に一度だけ目をやってから、ナマエさんに告げた。
「とりあえず、食いましょう。せっかくの飯が冷めちまう。」
「…うん。」
「いただきます。」
「…いただきます。」
俺に倣ってナマエさんもそっと箸を手にした。
まずは腹ごしらえ。反撃するのは、いったんお預けだ。
こじんまりしている割に個室で区切られているので落ち着いて食事ができる。低価格でボリューム満点、バランスのいい食事ができるということで、育ち盛りの学生にも人気の店だ。
もうすぐ古希を迎えるらしいご主人が入院するという事でしばらく店を閉めると聞いた時、ナマエさんは酷く心を痛めていた。
「いらっしゃい。あら、明けましておめでとう。」
「明けましておめでとうございます。お店、再開されたんですね!ご主人もう大丈夫なんですか?」
丁寧にお辞儀をした後に、一緒に切り盛りしている奥さんにナマエさんが心配そうに尋ねた。
「なに、たいしたことないんだよ。ただのぎっくり腰だよ。それを大げさに入院なんてするもんだから。心配かけちゃったねぇ。」
「こらこら、それは内緒にしてくれって話だったろう?恥ずかしいじゃねぇか。」
「そうだったかい?これはうっかりだね。」
夫婦のやり取りを目を細めて嬉しそうに見るナマエさんに、奥さんが「くだらない話で案内がまだだったねぇ。奥の席が空いてるからどうぞ。」と促してくれた。
「いつ見ても仲の良い夫婦だよね。素敵だなぁ。」
「そうですね。いくつになってもああいう関係性でいられるのって、確かに憧れますね。」
俺の言葉を聞いたナマエさんはパチパチと数回瞬いた後に、眉を下げて「そうだね」と言った。
お冷を持ってきてくれた奥さんに俺たちは品書きを見ることなく、二人とも迷わず生姜焼き定食を注文した。この店の一番人気で、ここに来ると毎回必ず頼んでしまう。
この店のメインを作るのがご主人で、小鉢や味噌汁を担当しつつ配膳やお会計をしてくれるのが奥さんだ。カウンター席の奥に厨房があるので、一段高いところにあるこの座敷からも襖を開けていたら二人の息の合った様子がよく見える。上座に座ったナマエさんは珍しく肘を立てて頬杖スタイルでずっと厨房の方を眺めている。リラックスモードのようだ。
そんなナマエさんを俺も同じように頬杖をついてずっと眺めていた。お互い無言だがそれでも居心地が悪いとは思わなかった。少し離れた所からジュウジュウと肉が焼ける音と香ばしい匂いが漂ってくる。周りに多少他の客もいるので少しザワザワとした話し声も聞こえる。夫婦を眺めていたナマエさんが、ふと口角を上げて目尻を下げた。彼女が今どんなことを考えているのかが分かって俺もつい、ふっと息を吐いた。その吐息のせいでずっと見ていたことがバレてしまった。
「どうしたの?」
「ナマエさんがいつも通りに戻ったので良かったなって思ってました。」
「っ。」
グッとナマエさんの息が詰まったのが分かった。参ったなと思いつつも、ちゃんと伝えるいい機会だと思った俺は、そのまま続けた。
「あの時は急に困らせるようなこと言ってすみませんでした。覚悟しろなんてナマエさんが構えちまうようなこと言ったけど、いきなりどうこうしようとは思ってませんから。いつもみたいに、一緒に出勤して、こうやって飯食って、そんでファーランさんとこで楽しく飲んで。それで今は十分ですよ。」
「でも…。」
「あんまり深く考えないでください。いつも通りのナマエさんといつも通りに過ごしたいし。」
嘘だ。もっと触れたいし、俺だけのものにしたい。仕事中はもちろん弁えるが、それ以外ではもっと彼女の事を知りたいし深い関係になりたいと思っている。いつも通りでいいなんて、真っ赤な嘘だ。
「まぁ、今までよりは俺の気持ち?的なものが漏れ出すこともあるかもしれないですけどね。困ったことに。」
少し眉尻を下げて伝えた。これは本音だ。一度伝えてしまってからは制御する自信がなくなってしまった。それでも嫌われたくはないので極力は我慢しようと思っている。あくまでも極力、だが。
「気持ちは…すごく嬉しいんだけど…。」
待て待て。これは…また振られるパターンでは…。バレないようにゴクリと唾を飲んだ。
「キルシュタインくんには、もっとふさわしい良い人がいると思うの。」
はいキタ。常套句。
「そんなお決まりな言葉でハイわかりました、って言うと思います?」
まずい。ちょっと感情が出てしまったかもしれない。
「だって、私は最低な女だよ。キルシュタインくんも分かったでしょ?付き合ってもない、しかも昔からの同級生を巻き込んでセフレみたいなことして。でも会社では絶対バレないようにして、いい人の顔してるの。ほら、最悪でしょ。」
いつも感情豊かなナマエさんからは想像できない、彼女には似つかわしくない無機質な表情と声だった。アットホームなこの店では猶更ミスマッチだった。
「ナマエさんが課長を巻き込んでるんですか。」
むしろ逆なんじゃねぇのかと勝手に思っていたが。違うのか?
「そうだよ。私のせい。リヴァイは何も悪くない。私がリヴァイの優しさを利用して寂しさを埋めてもらってるだけ。それに、前にキルシュタインくん言ってたよね。『そんなにイイヒトでいたいんですか。』って。その通りだよ。良く見られたいから、リヴァイとの事も隠してたし、良く思われたいから皆のフォローだって率先してやる。フォローの仕方に関してはキルシュタインくんのお陰で間違いだったって気付けたから直せたけど。でも、結局は自分の為。最低だよ。そんな女、絶対やめといた方がいい。」
いや、課長に関してはちょっと違う気がするが…同じ男として、少しだけ同情した。まぁそこは言及してやるつもりはない。課長のアシストをしかねないから。でも、何となく分かってきた。それと同時に段々と腹が立ってきた。
「ナマエさん。俺に嫌われようとしてますよね。」
「…」
自分の声が思ったより低くなってしまったがこれは仕方ない。疑問ではなく確認のつもりで尋ねた。沈黙は肯定。確定だな。
さて、どう反撃してやろうか。と、思ったその瞬間、「おまちどうさん!生姜焼き定食お二人さんね!」と張りのある奥さんの声で思考が一瞬全部吹き飛んだ。
奥さんは俺たちの様子に何かを感じ取ったのか、「ごゆっくりね」と言った後、そっと襖を閉めた。申し訳ない。後ろの襖に一度だけ目をやってから、ナマエさんに告げた。
「とりあえず、食いましょう。せっかくの飯が冷めちまう。」
「…うん。」
「いただきます。」
「…いただきます。」
俺に倣ってナマエさんもそっと箸を手にした。
まずは腹ごしらえ。反撃するのは、いったんお預けだ。