第49話 けじめ
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カタカタとキーボードを叩く音、パラパラと資料を捲る紙の音、プリンターから出力される印刷物の音。そして、社員たちの雑談やら真面目な仕事の話声やら。オフィスはいつも様々な音で溢れている。
しかしそんな喧騒は今の俺の耳には一切聞こえていない。俺の脳内で何度も繰り返し再生されているのは、先日のナマエさんのあの一言だ。
『ジャン』
思わず頬が緩みそうになるが、いかんいかんとパソコンのディスプレイと真面目に向き合う。こんな事を考えながらも俺の手はちゃんと資料作成を進めていたのが自分でも驚きだ。
あの日、思わぬ邪魔が入った事でそれきりになってしまったが、ナマエさんは頬を染めて恥ずかしそうにしながらも確かに俺の名前を呼んだ。俺に無理矢理呼ばされたと言う表現の方が正しいが、そんな事はどうでもいい。
俺の名前を呼ぶ声にもやられたが、あの俯き加減で恥じらいながらチラッと少しだけこちらを見た時の表情が忘れられない。こう、グッときたのだ。
少しは、期待してもいいんじゃないかとすら思える表情だった。ファーランさんも言っていたがナマエさんはきっと誰にも靡かない。それはずっと見てきた俺が一番分かっているつもりだ。ナマエさんの中にはきっと俺の知らない誰かが居る。それでも、何年経ってる?俺が入社した時には既に彼女はフリーだった。だとしたら少なく見積もっても3年近くは経っている筈だ。ナマエさんと俺との関係性に変化が見られだしたのはつい最近だが、この短期間で彼女の俺に対する見方もきっと変わった筈。
そろそろもう少し動いてもいい頃なんじゃないだろうか。
キーボードを叩く指を止める事なく隣に座るナマエさんの方へと視線を向けてみた。彼女は真剣な眼差しで手元の資料とディスプレイを見比べながらうんうんと唸っていた。
「ナマエさん、なんか困ってます?」
「あ、これなんだけどね、何度やっても計算が合わないの。」
「ちょっと見せてください。」
コロコロとローラー付きの椅子に座ったままナマエさんに近づいてディスプレイを覗き込む。
「ちょっと。近すぎない?」
「近づかないと見えませんからね。えーっと…ちょっと資料も見せて下さい。」
「はぁ。はいどうぞ。」
もちろんわざとだ。ため息をつきながらもその場を移動する事なく資料を渡してくれたので内心ニンマリしながらも真面目にチェックをした。
「確かにおかしいっすね。計算式も入力も間違ってねぇ。」
「だよねぇ。あーもぅ、嫌になってきちゃった。もうこれ経理部に回していいかなぁ。」
「ナマエさんでも投げ出したりすることあるんすね。」
「ほんとは嫌だけどもう分かんないんだもん。面倒くさくなっちゃった。」
顳顬を指でぐりぐりしながら顰めっ面のナマエさんは大分お疲れの様だ。
「談話室行きます?少し休憩しましょうか。」
「する!コーヒー飲む!」
「ははっ、りょーかいです。」
クスリと笑って席を立った俺に倣ってナマエさんも席を立った。
「あ、ついでにこの資料経理部に持って行ってもいい?」
「早速ですか。」
「こういうのは早い方がいいでしょ?」
俺たちは連れ立って経理部に向かった。
「すみません、営業部のキルシュタインですが。」
「はい、何でしょうか?」
「「…あ。」」
俺たち2人の声がハモったのは仕方のない事だと思う。何故なら出迎えてくれたのがいつかの『自称ファンクラブ』の人だったから。この人、経理部だったのか。
「なななななななんと!ナマエさんではないですか!こんなところにお越しになるなんて!どうされましたか!」
「はは…どうも。ちょっと調べてもらいたい事があって…」
いや、最初に名乗ったの俺なんだが。恐らくだが、この人に俺の姿は見えていない様だ。
「ふむ、なるほど!確かにお手元の資料だと調べるのは難しそうですね!わかりました!過去の履歴含めてこちらで調査してみます!」
「すみません、お手数ですがよろしくお願いします。」
「お手数だなんて!あなたからのお願いならどんな難題でも解決してみせますよ!」
「ははは…」
乾いた笑いを溢すナマエさんに、行きましょうかと告げて経理部を立ち去る。廊下まで出た時に、経理部の方から奇声が聞こえてきた。
「うぉーーー!ナマエさんに!お願いをされたぁぁぁあ!」
「………。」
「凄いっすね。愛され方が。ナマエさんにお願いされたら犯罪すら起こしそうっね。」
「いやいやそれは流石にないでしょ。あ、どうせならこのまま一階のカフェに行かない?」
「話逸らした。」
「いいから、行こ?」
小首を傾げながらこちらを見てきたナマエさんにまたグッときた。さっきのファンクラブの人には決して見せないだろう仕草をされると、また期待をしてしまいそうになる。
一階のロビーに併設されているこのカフェは、全面ガラス張りで外の明かりが全て入ってくるのでいつも明るい。そのため外の景色もよく見える。ただし、ガラス張りではあるが窓際のテーブル席付近は磨りガラスの様になっていて外からは見えにくい仕様になっている。
ナマエさんは迷わずソファと椅子の並ぶ窓際の席に向かい、俺をソファ側へと促した。こういう所もさすがだと思う。どんな店に行ってもこういったカフェだとしてもナマエさんは迷わず俺を上座に座らせようとする。本来であれば部下である俺の方が下座に座るべきなのに、男の人だからと頑なに譲らない。
「ナマエさんのがさっきの件でお疲れでしょ。ソファどうぞ。」
「え、いいよ。」
「いや、よくないんすよ。」
「どういうこと?」
「レディファーストっすよ。ま、深く考えなくていいですよ。」
ちょっとした男のプライドだ。女を椅子側に座らせて自分だけソファにドカリともいかない。ナマエさんは分からなくてもいい。
注文したブラックコーヒーとカフェモカは割とすぐにやってきた。
「そういえば、そろそろ年末の挨拶周り行っとかないとですね。ピクシス専務あたり、ナマエさんに会いたがってるんじゃないですか?」
「凄い!ついこの間顔を見せろってメールが来てたよ!」
「まじか。ちょっと冗談で言ったんすけどね。」
「ふふっ。キルシュタインくんにも会いたがってたよ。」
「どーだか。」
「26日にお伺いしますって返信しといたよ。その日何も無かったよね?」
「クリスマスの翌日ですね。何もなかったと思いますよ。」
良かったー、と言うナマエさんを見てふと思いついてしまった。さっき脳内で考えていた事。もう一歩先に…
「ナマエさん。」
「ん?」
「クリスマスって…予定入ってたりします?」
「あー…」
聞いてしまってから後悔した。ナマエさんの表情を見てやってしまったと思った。
クリスマスは、25日は。
リヴァイ課長の誕生日だ。
「クリスマスはね、リヴァイと食事に行くんだ。ほら…お誕生日でしょ?」
「…そうでしたね。」
平日だから業務後に食事に行くんだろうな。果たして食事だけなのかどうか…。いや、翌日も平日だ。俺が心配していることにはならないかもしれない。でも…。
「キルシュタインくんは?何か予定入れてるの?」
「え?あぁ。なんもないですよ。去年は営業部の連中でバカ騒ぎしたでしょ?今年はどうすんのかなーって思っただけっす。」
「そっか。」
どことなく気まずい雰囲気が漂う。ナマエさんも、俺に課長と食事に行く事を伝える時、少しだけ申し訳なさそうに話した。多少は俺の気持ちに気付いてくれていると言う事だろうか。
口に含んだブラックコーヒーはいつもより苦い気がした。
ちょっとした休憩のつもりだったのであまり長居することもできず、俺たちはオフィスに戻った。その道中胸ポケットのスマホが震えたので確認するとメッセージだった。
『今日ヒマー?会いたいよー!話したいこともあるし♡』
エリーだ。しばらく存在を忘れていたが、こいつと今のような関係を続けるのも宜しくない。ナマエさんとどうこうなったわけではないくせに、なんとなく後ろめたいのだ。…ちゃんと話すか。
了承の返事だけして、業務に戻った。
しかしそんな喧騒は今の俺の耳には一切聞こえていない。俺の脳内で何度も繰り返し再生されているのは、先日のナマエさんのあの一言だ。
『ジャン』
思わず頬が緩みそうになるが、いかんいかんとパソコンのディスプレイと真面目に向き合う。こんな事を考えながらも俺の手はちゃんと資料作成を進めていたのが自分でも驚きだ。
あの日、思わぬ邪魔が入った事でそれきりになってしまったが、ナマエさんは頬を染めて恥ずかしそうにしながらも確かに俺の名前を呼んだ。俺に無理矢理呼ばされたと言う表現の方が正しいが、そんな事はどうでもいい。
俺の名前を呼ぶ声にもやられたが、あの俯き加減で恥じらいながらチラッと少しだけこちらを見た時の表情が忘れられない。こう、グッときたのだ。
少しは、期待してもいいんじゃないかとすら思える表情だった。ファーランさんも言っていたがナマエさんはきっと誰にも靡かない。それはずっと見てきた俺が一番分かっているつもりだ。ナマエさんの中にはきっと俺の知らない誰かが居る。それでも、何年経ってる?俺が入社した時には既に彼女はフリーだった。だとしたら少なく見積もっても3年近くは経っている筈だ。ナマエさんと俺との関係性に変化が見られだしたのはつい最近だが、この短期間で彼女の俺に対する見方もきっと変わった筈。
そろそろもう少し動いてもいい頃なんじゃないだろうか。
キーボードを叩く指を止める事なく隣に座るナマエさんの方へと視線を向けてみた。彼女は真剣な眼差しで手元の資料とディスプレイを見比べながらうんうんと唸っていた。
「ナマエさん、なんか困ってます?」
「あ、これなんだけどね、何度やっても計算が合わないの。」
「ちょっと見せてください。」
コロコロとローラー付きの椅子に座ったままナマエさんに近づいてディスプレイを覗き込む。
「ちょっと。近すぎない?」
「近づかないと見えませんからね。えーっと…ちょっと資料も見せて下さい。」
「はぁ。はいどうぞ。」
もちろんわざとだ。ため息をつきながらもその場を移動する事なく資料を渡してくれたので内心ニンマリしながらも真面目にチェックをした。
「確かにおかしいっすね。計算式も入力も間違ってねぇ。」
「だよねぇ。あーもぅ、嫌になってきちゃった。もうこれ経理部に回していいかなぁ。」
「ナマエさんでも投げ出したりすることあるんすね。」
「ほんとは嫌だけどもう分かんないんだもん。面倒くさくなっちゃった。」
顳顬を指でぐりぐりしながら顰めっ面のナマエさんは大分お疲れの様だ。
「談話室行きます?少し休憩しましょうか。」
「する!コーヒー飲む!」
「ははっ、りょーかいです。」
クスリと笑って席を立った俺に倣ってナマエさんも席を立った。
「あ、ついでにこの資料経理部に持って行ってもいい?」
「早速ですか。」
「こういうのは早い方がいいでしょ?」
俺たちは連れ立って経理部に向かった。
「すみません、営業部のキルシュタインですが。」
「はい、何でしょうか?」
「「…あ。」」
俺たち2人の声がハモったのは仕方のない事だと思う。何故なら出迎えてくれたのがいつかの『自称ファンクラブ』の人だったから。この人、経理部だったのか。
「なななななななんと!ナマエさんではないですか!こんなところにお越しになるなんて!どうされましたか!」
「はは…どうも。ちょっと調べてもらいたい事があって…」
いや、最初に名乗ったの俺なんだが。恐らくだが、この人に俺の姿は見えていない様だ。
「ふむ、なるほど!確かにお手元の資料だと調べるのは難しそうですね!わかりました!過去の履歴含めてこちらで調査してみます!」
「すみません、お手数ですがよろしくお願いします。」
「お手数だなんて!あなたからのお願いならどんな難題でも解決してみせますよ!」
「ははは…」
乾いた笑いを溢すナマエさんに、行きましょうかと告げて経理部を立ち去る。廊下まで出た時に、経理部の方から奇声が聞こえてきた。
「うぉーーー!ナマエさんに!お願いをされたぁぁぁあ!」
「………。」
「凄いっすね。愛され方が。ナマエさんにお願いされたら犯罪すら起こしそうっね。」
「いやいやそれは流石にないでしょ。あ、どうせならこのまま一階のカフェに行かない?」
「話逸らした。」
「いいから、行こ?」
小首を傾げながらこちらを見てきたナマエさんにまたグッときた。さっきのファンクラブの人には決して見せないだろう仕草をされると、また期待をしてしまいそうになる。
一階のロビーに併設されているこのカフェは、全面ガラス張りで外の明かりが全て入ってくるのでいつも明るい。そのため外の景色もよく見える。ただし、ガラス張りではあるが窓際のテーブル席付近は磨りガラスの様になっていて外からは見えにくい仕様になっている。
ナマエさんは迷わずソファと椅子の並ぶ窓際の席に向かい、俺をソファ側へと促した。こういう所もさすがだと思う。どんな店に行ってもこういったカフェだとしてもナマエさんは迷わず俺を上座に座らせようとする。本来であれば部下である俺の方が下座に座るべきなのに、男の人だからと頑なに譲らない。
「ナマエさんのがさっきの件でお疲れでしょ。ソファどうぞ。」
「え、いいよ。」
「いや、よくないんすよ。」
「どういうこと?」
「レディファーストっすよ。ま、深く考えなくていいですよ。」
ちょっとした男のプライドだ。女を椅子側に座らせて自分だけソファにドカリともいかない。ナマエさんは分からなくてもいい。
注文したブラックコーヒーとカフェモカは割とすぐにやってきた。
「そういえば、そろそろ年末の挨拶周り行っとかないとですね。ピクシス専務あたり、ナマエさんに会いたがってるんじゃないですか?」
「凄い!ついこの間顔を見せろってメールが来てたよ!」
「まじか。ちょっと冗談で言ったんすけどね。」
「ふふっ。キルシュタインくんにも会いたがってたよ。」
「どーだか。」
「26日にお伺いしますって返信しといたよ。その日何も無かったよね?」
「クリスマスの翌日ですね。何もなかったと思いますよ。」
良かったー、と言うナマエさんを見てふと思いついてしまった。さっき脳内で考えていた事。もう一歩先に…
「ナマエさん。」
「ん?」
「クリスマスって…予定入ってたりします?」
「あー…」
聞いてしまってから後悔した。ナマエさんの表情を見てやってしまったと思った。
クリスマスは、25日は。
リヴァイ課長の誕生日だ。
「クリスマスはね、リヴァイと食事に行くんだ。ほら…お誕生日でしょ?」
「…そうでしたね。」
平日だから業務後に食事に行くんだろうな。果たして食事だけなのかどうか…。いや、翌日も平日だ。俺が心配していることにはならないかもしれない。でも…。
「キルシュタインくんは?何か予定入れてるの?」
「え?あぁ。なんもないですよ。去年は営業部の連中でバカ騒ぎしたでしょ?今年はどうすんのかなーって思っただけっす。」
「そっか。」
どことなく気まずい雰囲気が漂う。ナマエさんも、俺に課長と食事に行く事を伝える時、少しだけ申し訳なさそうに話した。多少は俺の気持ちに気付いてくれていると言う事だろうか。
口に含んだブラックコーヒーはいつもより苦い気がした。
ちょっとした休憩のつもりだったのであまり長居することもできず、俺たちはオフィスに戻った。その道中胸ポケットのスマホが震えたので確認するとメッセージだった。
『今日ヒマー?会いたいよー!話したいこともあるし♡』
エリーだ。しばらく存在を忘れていたが、こいつと今のような関係を続けるのも宜しくない。ナマエさんとどうこうなったわけではないくせに、なんとなく後ろめたいのだ。…ちゃんと話すか。
了承の返事だけして、業務に戻った。