Solidaster(ソリダスタ-)


◆◆◆


とあるパーティの席に呼ばれ、ローレンは気怠そうにしていた。
一応は連れがいるものの、今は『挨拶回り』と言って席を離れているため、今は一人だ。
絢爛豪華。まさにこのパーティを喩えるに相応しい言葉であるが、彼女はこういった類が大の苦手であった。
普段関わっている人間たちは、こんな贅沢な宴は開かない。
むしろ、何気ない日々さえも生きるのに精一杯、という者ばかりだ。
約五十年前に貴族制度や身分制度が廃止されたと言えど、未だにこの国の格差社会は続いている。
ひどい話だ。上級職と呼ばれた者たちのちょっとした懐の金で、どれだけの貧困者が救えるだろう。
廃止前は上級職の減税対策として、そういう救済もあったらしいが。
制度が無くなった今では、そういった救済も消滅したに等しい。

消極的に考えていると、しわのない燕尾服に身を包んだ一人の貴族の男性に声を掛けられる。

「おお、なんとお美しい。是非、貴女の名をお聞かせ願いたい」

見た感じでは名家のご子息、といった所だろう。
彼女のその気品溢れる装いに惹き付けられて来たようだ。
だが正直、面倒である。
しかし、日頃から礼儀だけは弁えるべきだという上司の教えから、彼女は紳士に微笑みかけた。

「ローレン・ハートフィールドと申します。以後、お見知りおきを」
「装いだけでなく、振る舞いまで美しい」
「お褒め頂き、光栄でございます」

ローレンは立ち上がり、ドレスの裾を上げ会釈をする。
その麗しくも謙虚な仕種に男性は感嘆を吐く。
これが、まさか社交辞令だとは思ってもいないだろう。
本当はこのような場所には来たくはなかった。
だが、今日は〝仕事〟としてここにいる。
仕方なしに、ここにいるのだ。

「どうだろう。この後、二人きりで一夜の逢瀬でも──」

男性は自然に手を握ってきた。頬を赤らめ、ローレンを誘う。
この表情、おそらく下心がある時のものだ。
きっぱりと断るつもりで手を振り払おうとした、その時だった。

「これはこれは、アーデル家のご子息。うちのローレン如何様でございましょう?」

彼はローレンの手を握っていた男性の手首を掴み、強引に彼女とと引き離した。
その人物を見た途端、ローレンはむすっと口を尖らせる。

「……遅い」

視線の先にいたのは、彼女の連れであるアルヴィンだ。
ようやく、『挨拶回り』が終わったらしい。

「いやぁ、申し訳ない。懐かしい面々と再会したが故に」
「く、黒鴉<クロカラス>……っ⁉」

男性は、目を白黒させていた。
やれやれ、とアルヴィンはその言葉に呆れた。

「このような華々しい宴の場で、『黒鴉』の名を呼ぶのは差し控えて頂きたい。今宵はただのアルヴィン・ハイドンですので」

彼はにこやかに微笑むが、口調は冷淡だった。
よくもまぁ、あんな嘘を平気で吐けるもんだ。

「そして彼女は、今宵の伴侶。軽率な行動は許しませんよ?」

言って、アルヴィンはローレンの肩を抱く。
その行動に彼女は冷ややかな視線を送る。
しかし、アルヴィンはそんな事はお構いなしだ。

「こ、これは失敬。では、私はこれにて……!」

男性は怯えながら、ローレンたちの前からそそくさと去って行った。
彼が去って行くのを見送った後、ローレンが大きく溜息を吐き呟く。

「誰、今宵の伴侶って?」
「誰って、ローレン以外にいないだろう?」
 
アルヴィンは肩を抱いたまま答える。
一向に離れる様子がない彼に、耐えかねたローレンが一気に不機嫌になる。

「いい加減、その手。離してくれない?」
「おや、もしや気恥ずかしい? いっそこのままでいようと思っているんだけど」
「……気持ち悪いっ」

彼の手を退かそうと身体を捻るが、思わず軸のバランスを崩してしまう。
が、アルヴィンはその動きさえも判っていたかのように、ローレンの身体を支えた。

「慣れない事はするもんじゃない」
「……っ」

その時の彼は真剣で、でもどこか余裕のあるような。
その表情に、不覚にもドキッとしてしまった。
だが、すぐに首を振って、意識をはっきりとさせる。
別に、そんなんじゃない。アルの事はそんな風に見てない。
誰に聞かれた訳でもないのに、ローレンは心の中でそう自問自答していた。


  ◆◆◆


「おかえりなさーいっ」

表面上は住宅街の中にある小さな事務所、もとい我々のアジトに戻る。
すると、フリフリレースのワンピースを着た女性──に見えるが、本当は歴とした男性のリンファが抱きついてくる。

「相変わらず、抱きつき癖が抜けないようで」

ローレンはすっかりこの行動に慣れていて、微動だにしなかった。
今となってはこの程度、何の感情も湧かない。

「良いじゃない、だってローレン可愛いんだもん」
「そう思ってるのはリンファだけ」
「そんな事なぁい! ねっ、団長?」
「そうだ、ローレンは可愛い!」
「はぁ?」

額に青筋を立て、アルヴィンを睨むローレン。
その冷ややかな視線を感じ、ふぅ、と彼は一息吐く。

「ローレン。毎度言っているけど、僕の君への愛は本物だからね? 社交辞令とか、そういうのじゃなく」
「アルが言うと、全てが胡散臭い」
「ほら! すぐにそういう事言う! 偏見良くない!」
「胡散臭いものは胡散臭い。そもそも、かつての時の人がこんな年下好きになるもんか」

そう。この目前にいるアルヴィン・ハイドンという男、かつてはこの国を背負っていた元軍人で。
しかも、その戦闘力は国随一とまで謳われていた。
つまりは英雄である。
戦闘に関しては全く言う事なしなのだが、このアルヴィン、何しろローレンを異常に溺愛しており、いつもべったりなのである。
ローレンとしてはかなりウザい対象でしかない。

「愛に理由が必要か? いや、要らないだろう!」
「まーじで、ウザいの一言なんだけど」
「反抗期のローレンも可愛い! でも、素直な方がもっと可愛いぞ!」
「うるさい! さっさと仕事に入れ! この変態団長が!」

こう言ったやりとりで、我々の日常は成り立っている。
そもそもこの者たちは一体何者なのか、と言うと。

少数精鋭の自警団『ノール』。
それが、ローレンの所属する組織の名だ。
先程の変態、もとい団長のアルヴィンは軍を離脱後すぐにノールに所属し、最速で団長にまで上り詰めた。
その数年後、東方の国より引き抜いてきたリンファ、そして個人的に保護していた神童・ローレンを副団長としてスカウトし、現在に至る。
ノールの使命はこの帝都エギルフの平和と調和を守ること。
そのために、国軍では手の回らない部分を補完することも仕事としている。
非戦闘員であるローレンの仕事は、主に情報収集やコミュニティの形成だ。
少数精鋭である以上、他の組織と信頼関係を築くことも大事な職務なのだ。
ローレンが執務室でコミュニティ関連の整理をしていると、誰かが扉をノックする。

「アルヴィン、居るか?」
 
こちらの返事を聞くこともなく、扉は開かれる。
こっちの返事を聞いてから開けろ。
ローレンはそう注意してやろうと思ったが、彼の姿を見た瞬間にその気がすっと引いてしまった。

「リ、リオさん」
「なんだ、今日はローレンだけか」

リオと呼ばれた男は、そう言いながら小さく微笑んだ。
ローレンはその表情に惹かれて、思わず緊張が走ってしまう。

「アルは今、少し席を外していて」
「あぁ、団長様はご多忙か。まぁ、仕方ないな」

言って、リオはローレンの席の前のソファに腰掛ける。

「最近、無茶はしてないか?」
 
リオはローレンに訊ねた。

「し、してないです」

先程までのアルヴィンたちに対する態度とはまるで正反対。
ローレンはおとなしくなって、リオの問いに丁重に答える。

「そっか。アルヴィンに何か無茶苦茶言われたりしたら、俺に言えよな?」
「ありがとうございます」

このリオ、アルヴィンの同僚で現在も国軍とのパイプ役としてこの事務所を行き来する、国軍の中枢を担う軍人である。
数年前までは戦場を駆っていたらしいが、最近はすっかりデスクワークが増えてしまったのだとか。
さらには、自警団との情報共有で同じ路を往復する日々なのだそう。
ローレンはそんな気苦労の多いリオを密やかに慕っていた。
本当は戦場に行きたいだろうに、それでも任された仕事を全うする姿に憧れを抱いているのだ。
 
「良い感じのムードなところ申し訳ないけど、ローレンを独占することは許さないわよ?」
 
部屋の入口を見ると、そこにはぷぅっと頬を膨らますリンファがいた。

「誰かと思えば、お前か」
「リンファ、どうかした?」
「どうかした、じゃなーい!」

リオの言葉を無視し、がばっと後ろからローレンに抱きつくリンファ。
それからリオの方を見て、激しく威嚇を始める。

「ちょっとアンタ! ローレンに変な事したらアタシが容赦しないんだから!」
「容赦しない、ねぇ」

しかしリンファの言葉に、リオは不敵に笑みを浮かべる。

「女装のしすぎでお得意の拳法が鈍ってないといいがな?」
「何が言いたいのよ」
「趣味ばかりに走っていると、大切なものを見落としかねない、ってな」
「……アンタ、本当に嫌な奴ね」
 
鋭い目線でリオを睨みつけるリンファ。
しかしそれにも全く動じていないリオは、

「任務の時みたいに男の姿でなら、いつでも相手になってやるぜ?」

女装とはいえ、女に手を出すのは性に合わないんでな、とソファから立ち上がると、リオはその場を立ち去ろうとする。

「リオさん、アルに用件があったんじゃ」
「あぁ、用件。あったけど、そこの狂犬が今にも噛み付いて来そうなんでな」

そこの、と聞いてローレンは抱きついたままのリンファを見遣る。

「リンファ」

ローレンの物哀しそうな顔に、リンファも戸惑ってしまう。

「べ、別に何もしなければこっちだって何もしないわよ!」
「どうだかなぁ」
「何よ、その疑うような目は⁉」
「いいや、別に」

何かを知って分かっているような、そんな顔をしてリオは去って行く。
リンファが「待ちなさいよ!」と止めても、リオが立ち止まることはなかった。

「リンファ、リオさんが来るとよく噛み付くよね」
「めちゃくちゃ嫌いなのよ、あいつ」
「何とか、仲良く出来ない?」
「到底は無理、ね」

ローレンのささやかな願いも叶わず、リンファはツンと不機嫌になってしまう。
二人のこの仲の悪さは今に始まったことではない。
数年前に初めて出会ってまもなく、このように言い合うような関係になっていた。
和気あいあいとまでは言わないが、せめて普通に話せばいいのに、とローレンはずっと思っていた。
いつかは、お互いに助け合えますように。と、今日も密やかに祈るのだった。
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