ドルあんlog
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六月から七月は、いつもセンチメンタルになりがち。
雨が降って。それから気圧が落ちて、身体が重だるく感じて。
そんな憂鬱な季節だけれど、昨年から少し変わりだした。
「梅雨で憂鬱? そんなの、ぼくのこの輝きで吹き飛ばしてあげるね!」
なんて、いつものように彼は笑って言う。
彼、日和センパイはいつもこの調子で、私の心を晴れやかにしてくれる。
今日だって、課題のある私に気遣って近所の図書館での勉強を手伝ってくれると。
「日和センパイは勉強は得意だったんですか?」
私は向かい側の席に座る彼に訊ねる。私より一つ年上のセンパイは玲明学園を卒業して社会人になった。だからこのように私の課題を時々手伝ってくれるのだ。
「得意というか、ぼくは記憶力には自信があるからね。暗記問題に関してはお任せだね!」
「羨ましいです。私はあまりそういうの得意じゃないので」
「でもあんずちゃん、人の名前とか一度で覚えているよね」
「人は別です。覚えていた方が相手も気分が良いと思いますし、今後の繋がりを作る上では重要な事なので」
「そういうとこ、プロデューサーらしいよね」
ふふ、と嬉しそうに微笑むセンパイ。
お付き合いして約一年が経った訳だけれど、未だにこの笑顔に勝てたことはない。
「ところで、センパイはさっきから何を読まれているんですか?」
私が日和センパイの持つ本を指差すと、「これ?」と言って改めて説明してくれる。
「これは偉人の名言を記した本だね。名言を残すに至った経緯とかも細やかに書かれているね」
「偉人の名言?」
「哲学者、発明家、冒険家。最近のスポーツ選手のまで載ってるね」
「へぇ、意外ですね。日和センパイがそういうものに興味があるなんて」
私がそう言うと、センパイはふるふると首を横に振る。
「興味、とは少し違うね? 暇潰しに何を読もうかと適当に手に取った本がこれだったね?」
「て、適当……!」
「でもあんずちゃんの方がそういうの、興味あるんじゃない?」
「そうですね。先人の名言は人生の糧となるものがほとんどですから」
私の言葉に日和センパイは首を傾げる。
「だけどそれが正解とは限らないし、全てじゃない。その時代に合っていない名言ももちろんあるから、そこを取捨択一するのは結局あんずちゃん自身だね」
こうして真面目な話をするセンパイも良いなぁ。なんて、思わず見とれてしまっていた。
いけない、いけない。
「センパイは何を信じて前に進んでいるんですか?」
私は邪念を振り払う意味でも日和センパイにそんな事を問う。
「あんずちゃん、それは愚問だね」
「ご、ごめんなさい」
「愚問」という言葉に、私は何かいけないことを聞いてしまったと慌てて謝罪する。
だけど日和センパイは決して怒っている訳ではないと、頭をぽんぽんと撫でてくれた。
「センパイ……! こ、ここ、外なので」
付き合っている事はもちろん世間には内緒だ。
だからこのような所で恋人にするような事をされてしまうのは大問題なのだ。
「大丈夫。みんな読書や勉強に夢中だから、気がついてないよ」
「え……?」
言われて、周囲を見回すと誰もこちらには気がついていない。
それどころか、本当にみんな本に夢中で目が合う人すらいなかった。
「ほら、ね?」
日和センパイはまたしても綺麗に目を細める。
ほら、そういうところ。
そうしてまた私を締め付けて、あなたの世界から逃がさないつもりなんだ。
「あんずちゃん。雨が止んだら、一緒にステーショナリーショップに行こうね」
「ステーショ……文房具屋ですか?」
「うん。そこであんずちゃんに愛用して欲しいペンを買ってあげるね」
「どうして、また突然に?」
本当の本当に、突然な発言。
するとセンパイは、わたしの耳許に出来るだけ寄り添って。
「あんずちゃんに、勉強中もぼくを思い出して欲しいから」
その言葉にドキッとした。
いつでも、どこでも、センパイの事を忘れたことなんてない。
だけど、それを彼の方から直接願われてしまうなんて。
「センパイの事を思い出さない時なんてありません」
「嬉しいことを言ってくれるね」
センパイは続けて、「そうだ、さっきの問いの答えなんだけど」と付け足して答える。
「ぼくが信じているのは、ぼく自身。それと、あんずちゃんだね」
「わ、私、ですか……?」
「うん。プロデューサーとして、そして恋人としてきみを信じているから」
──だから、きみもぼくを信じ続けていてね。
センパイは、よく笑う。きらきらと輝く太陽のように。
その輝かしい光は、誰よりも私を輝かせてくれる。
だったら私は、その太陽に寄り添える月のような存在に相応しくなろう。
そう心で誓った、梅雨明けの出来事だった。