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「納得がいきません。」
凛として重心のある声音が放つ直線的な糾弾は、射抜く視線の先を穿たんと告げられる。叩きつけるようついた右手の伸びるデスクの先、対面に座すのは四ノ宮功。日本防衛隊第一部隊隊長、その人だ。威圧的にも見える荘厳な風貌にも、伴う権威にも呑まれず意見を発する人物は二回り近くも若く見える細身の女だ。
「決定事項だ。…小隊長である貴様に今更、物申す余地があると思うのか?」
「私が残してきた戦果を顧みれば、ご一考の余地もあると思いますが。」
「論点をズラすな。貴様はそこまでの立場にない。」
「私の昇進を邪魔した張本人のくせして、よくもそんなことが言えますね。」
「おかしなことを言う。与えられた機会をものに出来なかった自己能力の低さを鑑みもせず、他人のせいにするな。」
「次期第2部隊隊長とまで言われたの知ってます?空気も先も読まずに目先を優先した結果のツケがこれだってんなら。第一部隊の隊長って役職は、とんだお飾りですね。」
お前が空気を読め。
第一部隊副隊長、伊丹啓司は口の減らぬ女に対して切にそう思った。しかし四ノ宮の側に控える彼が向ける視線の意図を一切察することはせず女、△△〇〇はなおも噛み付く。
第一部隊隊長室内は、まるで部屋にガスが充満しているかの如く、最悪に空気が悪かった。諍う当人達が大人であるためギリギリ冷戦のラインを越えない論争は、いつ火花を上げ爆発するか分かったものではない。巻き込まれるのは勘弁願いたいと呆れる伊丹を他所に、△△の隣に立つ新人隊員鳴海はまったくもって意に介していない様子だ。むしろ興味深そうに△△を見ている始末。
「入隊して1年そこらの若手をトップに押し上げるくらいなら、私が率いた方がまだマシだと思いますが。」
確かな怒りの滲むその言葉が、何を意味するのかは明白だった。
亜白ミナ。
四ノ宮功が特異点と述べた隊員。防衛隊の、日本の未来を託された人間。
「…何も彼女だけじゃない。貴様の隣に立つ鳴海もそうだ。△△、自覚しろ。我々は既に、次世代へ繋ぐ役目にある。」
暫しの沈黙を経て、鼓膜を突き破るような怒声が響く。
「言葉を綺麗に飾り立てれば、心を後回しにしていいと思うなよ!!!」
慟哭にも似た怒り。捨て台詞ともとれるそれを残し、△△は踵を返し背を向けた。バァンッと勢いよく締まる扉。重いそれをよくもまあ、そこまで力強く引けたものだ。退室した△△に呆れ、伊丹は深々と溜息をついた。
「四ノ宮…分かっていただろう。少しは言葉を選んでやれ。」
「何故私が部下に気を遣わねばならん。ましてやあの跳ねっ返りに。」
2人のやりとりを見るに、度々起こることなのだろう。四ノ宮は何事も無かったように鳴海に視線を戻すが、とうの鳴海は心此処にあらずに見える。△△の襲来により遮られた要件への興味は完全に失われていた。当然といえば当然。
「よくあることだ。気にしなくて良い。」
「へぇ…ここにはアンタにあーいう口のきき方をする奴ばかりなのか?」
「そんなわけがあるか…彼女が少々特殊…事情があるだけだ。お前が気にすることじゃない。」
「なんだ、じゃあ負け犬の遠吠えか?」
興を削がれた。鳴海の顔には分かりやすくそう書いてある。歯に衣着せぬ言い草は、四ノ宮が△△に向けた自己能力の低さという言葉を素直に受け取ったゆえだった。ならばこの件はこれで終わり。
「言葉に気を付けろ、鳴海。」
しかし結論付けた皮肉を覆したのは、鳴海に判断材料を与えた四ノ宮自身だった。
「彼女の実力は確かなものだ。」
「はぁ?アンタが言ったんだろ。」
「…」
率直な意見は形だけ見れば正当だ。黙り込む四ノ宮を見かね、委細を承知している伊丹は助け舟を出してやるが、どれだけ彼女の実績を聞こうとも、実際に眼にしたわけでない鳴海が納得するには決め手にかけた。
「お前はまだ△△と戦場に立ったことがないからな。いずれ分かるさ。」
豪雨の夜、その日は訪れた。
暗雲を裂き、海上に堕ちる落雷が巨大な輪郭を露わにする。
長い尾を揺らし海面から体を晒す大型怪獣はまるで、特撮アニメで見るお手本の姿。荒波を割って港に直進する巨体に向け、防衛戦を張る第一部隊。迎え撃たんと位置する面々の中には鳴海もいた。砲撃の雨を浴びようともその進撃は止まらない。
「…陸に上がるまで待つつもりか?」
小隊長を務める長谷川に対し問う鳴海の姿勢には敬意の欠片も感じられない。慣れつつある自分に対し呆れながら長谷川は答えた。
「我々は陽動だ。」
「陽動だと?市街地を背にしているのに、随分悠長なんだな。」
オペレーターから共有を受けた情報によると、怪獣の特性は厄介極まりないものだ。表層を覆う分厚い外殻は鋼鉄製でありながら受けた雷を吸収する。怪獣本体から微弱に電気を発していることから察するに、発電器官を有し大規模な電気放出を行う可能性もある。この雨の中、予備動作無く陸地でそれが起これば被害は大規模なものとなるだろう。
「お前の考えていることは分かる。しかし、あれが陸に上がる前に対処する手段を我々は有している。」
「なんだよ、あのジジイを空から特攻でもさせるのか?」
上陸までそう時間も無い中で、仕留め切る為の武力を持つのは現状、鳴海が思い浮かべるのは。非常に癪だが第三部隊の亜白か四ノ宮くらいのものだろう。
「四ノ宮隊長と呼べ!…我々には△△小隊長がいる。」
「△△っつーと、…あいつが?」
四ノ宮との口論の末、癇癪ともとれる暴言を吐き退室した、鳴海には目もくれなかったあの女。
「見ていろ。」
長谷川の言葉には確かな信頼があった。
タイミングよく、装着したインカムからザリザリと音が鳴る。悪天候と怪獣から発される電磁波の影響か、電波が悪い。それでも聞き取れた内容は長谷川の言葉を裏打ちする。
『△△小隊長、出撃しました。』
激しい風雨とは別に頭上を突風が通り過ぎる。喧しいプロペラ音。怪獣の真上へ直進するヘリは機動を見出しながら進んでいく。非常に危険だ。天候のせいだけではない。
「落とされるんじゃないのか、アレ。」
「大丈夫だ。そこまでは我々が援護する。」
海岸沿いから怪獣に向けられる砲台より放たれる弾光が、ギラギラと怪獣の外殻を照らす。黒光りするそれはより重厚に見え個人がどうにか出来るものには見えない。
『誘爆予想区域通過、総員砲撃停止。』
援護終了の知らせを受け、一斉に攻撃が止もうと静寂は訪れない。風雨と荒波がつんざくように鼓膜を揺らす中、鳴海はそれを目撃した。ヘリが頭上へ到着するよりかなり距離がある中、ユーターンする。一見して作戦は失敗かのように見えたが、直後に響く爆音。怪獣の付近、海上より高度数百メートル地点で起きる大規模な爆発。黒煙が晴れるより速く、暗闇で一際眩く見える赤い軌跡。それが何か認識すると同時に、怪獣の内側から炎熱が爆ぜた。赤から橙に変わる炎は渦巻くように巻き上がり、消えていく。チリチリと熱を帯び色づく怪獣は半身が吹き飛んでいた。
「…は?」
口と眼球と思われる位置から煙を上げながら、怪獣は倒れた。余波で大きく海面が揺れるのを最後に、本獣撃破の報せを聞く。
余獣掃討後、基地に戻ると鳴海の足は真っ直ぐ隣接する格納庫へ向かっていた。通常、作戦終了後に移送車が戻る場所に△△の姿が無かったからだ。あいつはどこだと忙しなく問う鳴海が長谷川の答えを聞いて駆け出すのは速かった。
なんなのだ、あの火力は。どんな武器を扱っているのか。どうしてお前のようや奴が小隊長の枠に収まっているのか。聞きたいことは山ほどあった。突き動かすのは好奇心と対抗心。とにかく、どんなやつなのか知りたかった。初めて彼女を認識した時は顔すらまともに見なかったことを今になって後悔する。
息も切らさぬ内に辿り着いた格納庫にはタイミング良く、武装された大型トラックが入るところだった。確信する。あれには△△が乗っている。専用武器を備えているならばと簡単に見当がついた。停車したトラックに慌ただしく駆け寄る数名のスタッフ達。大した歓迎じゃないかと心が沸き立つ中、積み荷の扉が開く。扉の影から出てきたのは、先端が丸みを帯びた分厚く長い刃。刃先に纏うギザギザとした鎖。ヒョイッと飛び降りた人物が片手にするそれは、巨大なチェーンソーだ。刃だけでは無く、動力部の装備もかなり大きい。とんでもなく派手な専用武器だと認識すると同時に、キラキラと輝いていた鳴海の表情は固まる。その人物の異様な出で立ちに。身に纏う防衛隊のスーツは通常のデザインとは違い、装備も込みでかなり重装に見える。一見して防御力の高いだろうそのスーツは、焼け焦げていた。ところどころに穴が空き破けている。ライトの下に晒されよく見えるそこには血が滲んでいて、全身がボロボロだった。唯一無事なのは頭に被ったゴツゴツとしたヘルメットのみ。
「△△小隊長っ、すぐに治療室へ!」
興奮から朧気だった周囲への認知が明瞭になると、彼女の側に集まる面々の半数が医療スタッフだと悟る。慌ただしく声を掛けるスタッフを軽くあしらい淀みない足取りで歩く彼女は片手に持つ専用武器を数人の整備士に押し付ける。
「火力、落とすならこれが限界ラインだよ。これ以上は一発じゃ仕留められなくなる。」
「ですが、これでは△△小隊長の体が持ちません!」
「だったらシールドの性能もっと上げて。限界突破後の復旧もっと速くするよう改善が必要。」
「分かりましたから!早く医療部へ行ってください!」
3人がかりで運ばれていく専用武器を見送ると、△△は医療スタッフを伴い去っていく。
「あぁ、流血がっ…お願いだから担架に乗ってください!」
「大丈夫。これくらいだったらすぐに治るよ。」
「そういう問題じゃありません!」
凄惨な状態に反してハキハキと喋る△△の背に、鳴海はたまらず声を掛けた。
「おい!」
名前すら口に出さぬそれに、△△は立ち止まると振り返る。たいして背も高くない平均的な体格の女。目を逸らしたくなるような負傷具合。死傷者はゼロだと言う報告は嘘じゃないかと文句を言ってやりたくなる。黒色のバイザー越しじゃ、どんな表情なのかも分からない。目が合っているかも分からない視線を向け、△△は一言発した。
「あなた、誰。」
数日後、鳴海は浜辺に立っていた。
磯の匂いに混じる腐臭が鼻を掠めるたび眉間に皺を寄せながら、水平線といえない海の景色を眺めていた。景色を崩す正体は先日撃破された本獣の残骸。浜辺に打ち上げられた魚の死体が折り重なり、蝿がたかっている。専門の清掃業者はまだ本獣の解体作業に人員をとられ、此方まで手を回す余裕が無いのだろう。あれからさして日数が経過していないからか、この状態の浜辺に寄る一般人の姿は無い。ならば何故、彼はここに訪れたのか。
あなた、誰。
あの一言が今も耳にこだましている。
「……クソッ!」
ムシャクシャする感情を抑えもせず、砂を蹴り上げる。
まるで、お前には欠片も興味が無いと言われた気分だった。非常に腹立たしい。自分はあの嵐の夜から彼女のことが頭から離れないというのに、彼女はきっと忘れ去っているに違いない。そんな見当違いな怒りすら湧いてくる。結局、あの後言葉を交わすこともなく、顔すら見ることもなく彼女は医療スタッフに連れられて行ってしまったから。残ったのは最悪な印象だけだ。訓練はおろか、基地ですれ違うこともない。嫌な気分を払拭しようと携帯ゲームを開いてみても没頭できない。なら、せめて後の戒めとして。あの日のことを覚えていてやろうと思ったのだ。
自分を防衛隊に招いた男、四ノ宮功。入隊後、日は浅くとも。ふんぞりがえる四ノ宮を見返してやろうと大口を叩いた。しかし奴以外にも強敵はいた。あの△△とかいう女、俺を歯牙にもかけていなかった。良くも悪くも名前の知れているであろう自分を認知すらしていなかった。屈辱的だった。
あんなに強いのに、あんなにボロボロで、ジジイからも実力を認められていて…
「チクショー!!」
鳴海はたまらず、足元に落ちていた小石を広い海へ向けてぶん投げた。濁った海にキラキラと反射する陽の光が眩しく、憎らしい。八つ当たりしたところで、返ってくるのは小波の音とカモメの鳴き声だけだ。
「あははは、荒れてるね。」
突然かけられた声に肩を揺らして振り返ると、1人の女が立っていた。潮風に吹かれ乱れる髪を気にもとめず。爽やかに微笑む女。黒いインナーに肩から掛けた隊服から、防衛隊の一員であることが伺える。
「あなた、たしか鳴海君だっけ。」
「…だったらなんだよ。」
「新人の子がなんか悩んでるみたいだったらさ、話聞いてあげたくなるのが先輩ってもんじゃない?」
「余計なお世話だ!」
初対面だろうが声を荒げて突っぱねるのは若さゆえか。いや、鳴海の人間性の問題である。気にした様子もなくクスクス笑い、女は勝手に鳴海の近くへ歩いてくる。
「16、17だっけか。最強な年頃だね。」
「うるせぇ!悩みに年が関係あるか!」
「それもそっか…でも良かったら聞かせてよ。10代特有の悩みをさ。」
噛みつかれようと崩れない余裕の態度。鳴海の苛立ちは増すが、物腰柔らかな女の態度に少々毒気を抜かれる。どこかで聞いたことのある声だった。
「…鼻っ柱をへし折りたい奴がいて。」
「うん。」
「そいつの他にも強い奴がいた。」
「へぇ〜、じゃあ自分の小ささを知ったってところか!」
「あ゙ぁ゙ん?煽ってんのかお前?」
「うんうん、分かるよ。すごく分かる。」
詰め寄り至近距離でガンをつける鳴海に頷いて見せる女はカラカラ笑う。
「分かるなー、あなたの気持ち。私も最近、自分の小ささを知ったところ。」
「…なんも分かってねぇだろ。僕のこと知らねぇくせして適当言ってんじゃねーよ。」
「もっと、私に出来ることはたくさんあると思ってたんだ。でも色んなことをするにはさ、力も頭も足りなくて。どうやらそんなに時間もないみたいで…絶賛、うまくいってないところだよ。」
女は鳴海を見ずに、遠くを見ながら話していた。浜辺の先、本獣の死骸の先にある何かを見ているような、そんな視線を海に向けながら。
「経験値を積み上げると、プライドもついてくるから。変に意地っ張りになったりしてね。年を取るとその分、素直になれなくなる。」
「…お前、そんなババアなのか?」
「失礼な子だな!まだ20代、バリバリの現役だよ!」
女はムッとした顔をすると素早い動作で鳴海の額にデコピンした。突然の挙動に反応しきれず、モロにデコピンを受けた鳴海はあまりの威力に尻もちをついた。
「イッッテェ!」
「女性に失礼な話題を振った罰ね。」
「ふざけんな!」
「あはは。」
憤る鳴海は立ち上がろうとして、ある一点に視線が止まる。何が可笑しいのか楽しげに笑う女がデコピンをするため伸ばした腕には、包帯が巻かれていた。素肌が見えないくらいしっかりと巻かれた包帯は手首からインナーの下まで覆っている。よく見れば手の甲から指先にも赤くひきつれた痕が見える。真新しく見える傷から、直近の作戦を思い返す。最後の出撃は数日前、あの嵐の夜だ。
「…お前、隊員だよな?」
「もちろん、第1部隊所属だよ。…あれ、初めましてじゃないよね?」
「僕はお前を知らない。」
「お前じゃなくて、△△だよ。△△〇〇。そっか、ちゃんと挨拶しなかったよね。初めまして、鳴海弦君。」
鳴海は立ち上がって指を差す。
「僕をコケにしやがった△△!」
「えぇ、そんなことした覚えは無いけどなぁ。」
「しらばっくれるなよ!僕があれからどれだけっ、」
どれだけお前のせいで悩んでいると。
口に出すには恥ずかしすぎるそれは途切れ、△△は首を傾げた。
「作戦後に、威勢よく声を掛けてくれたものだから。四ノ宮隊長に言ったらきっと鳴海って子だろうって。まさかこんなところで会うと思わなかったけどね。」
「…今までどこにいたんだ?」
「ここ数日は絶賛療養中だったんだ。一応、今日から動いて良いってことになってるから、散歩がてら自分の戦果を目に焼き付けておこうと思って。」
穏やかな口調の裏に隠し切れないほど強固な我が表層に出ている。しかしその欲求が理解できてしまうのが、なんだか悔しい。共感を口に出すのは癪で、しかし何か言ってやりたくて。口の中で舌を彷徨わせているうちに、時間が来た。
遠くから近付いてくる砂を踏む音に振り返ると、小走りで長谷川が来ていた。
「……△△っ、探したぞ。」
「あれ、長谷川さん。どうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるか!着信くらいは鳴るようにしろといつも言っているだろう!」
「ごめんって。療養期間は通知全部切れって言われてるからさ。」
「せめて病室を出る時くらい誰かに言伝しろ!医療スタッフが哀れでならん。」
「えー、今日から解禁なんだからそんなに心配しなくてもいいのにね。」
若干息を切らしているのを見るに、かなり探し回ったのだろう。それはそれとして、ギラリと長谷川の鋭い眼差しが鳴海を見やる。
「鳴海っ!お前は訓練中の筈だろうがっ!!」
「ゲッ、」
「サボりか〜、サボりは良くないな〜」
鬼の形相を浮かべる長谷川に対して笑いながらも咎める△△。長谷川は△△を伴い、鳴海を引き摺りながら基地に戻っていく。
訓練に引き戻された鳴海は長谷川の監視の元、罰として追加の訓練を受けさせらていた。多少の負荷では音を上げない鳴海を分かっているからこそ与えられた重い追加内容は、他の隊員達の訓練終了後も居残りで続けられる。ウンザリした態度の長谷川に鳴海は腕立て伏せをしながら聞いた。
「なぁ、あの△△って奴。」
「△△がどうした。」
「なんで、小隊長なんだ?」
鳴海は手を止め黙り込んだ長谷川を見上げる。
「お前より全然強いだろ?」
「悪かったな。」
「ここは実力主義なんだろ。それにこないだの作戦では、アイツにだけ負担が掛かってるように見えたがな。」
「人聞きの悪い言い方をするな。あれはほとんど事故だ。」
「…みたとこ、調整中か試作の専用武器なんじゃないのか?そんなもんを持たせて前線に送り出すなんて、防衛隊は余程深刻なんだな。」
欲しい解答が無かったことに若干腹を立て、手繰り寄せた記憶から棘を吐く。普段の稚拙な暴言からは想像し難いが、地頭の良い鳴海はこれくらい朝飯前だった。
「あんまり長谷川さんを責めないでよ。あれは本当に事故だったんだ。」
言葉に詰まる長谷川を擁護したのは、△△だ。遅い時間だというのに訓練所を訪れた彼女は訓練着に袖を通しており、軽快な足取りで近付いてくる。
「…おい。」
「明日から復帰のオッケーはもらってるから、1日くらい変わらないよ。軽い準備運動がてら、居残りの子にお灸を据えられればウィンウィンでしょ?」
聞き捨てならない言葉だが、鳴海は目をギラつかせた。単純なトレーニングよりも実力者との手合わせに惹かれるタチなので仕方がない。これじゃ罰にならんと頭を押さえるが、チラリと見た時計の針に考えるのも億劫になり、無言のオーケーサインを出す。残業は出来るだけ少なく済ませたい。
「まぁ、立ちなよ。説明がてらチャチャっとボコってあげるからさ。」
「舐めやがって…逆にお前をボコボコにしてやらぁ!」
威勢よく吠えた鳴海が撃沈するのは速かった。
投げられ、転がされ、蹴倒されながらスラスラと説かれる彼女の経歴。
いわく、元第二部隊副隊長であり次期隊長候補であったらしいが、その機会を失ったと。転機は数年前に発生した過去最大の群発災害、怪獣6号の襲来。過ぎた物量と火力を、当時防衛隊が有する武力だけで対処しきることは不可能だった。開発されていた識別怪獣兵器への適合者は未だ現れておらず、それでも圧される戦況は変わらない、迫る脅威は待ってくれない。即時必要だったのだ。猛攻を打破しうる一手が。
「だから、私が立候補したってわけ。」
適正の無い識別怪獣兵器の使用。それは△△自身の未来を奪うことになった。元第二部隊隊長、四ノ宮ヒカリの殉職後、後釜に据えるには△△の身体には深い後遺症が残っていた。副隊長を継続するにも不安要素として残るそれは、隊員としては致命的だった。
「でも、やる気だけはあったから。人材不足も深刻だし。元々面倒見てもらってた第1部隊に戻す形で、どうにかってことで。ここなら私に何かあっても四ノ宮隊長と伊丹副隊長が補ってくれるからね。今は小隊長やってるの。」
「イデデデデッ」
「あ、ごめんね?」
腕十字固めの姿勢からパッと手を離すと脱兎の如く距離を取る鳴海。
「納得いくか馬鹿!!」
「えぇ〜?どこが?」
本当に困っているという表情を浮かべる△△。有言実行、しっかり打ちのめされた鳴海には彼女に副隊長が務まらないことなど信用出来なかった。
「やりすぎだ、△△。」
「そうだね、少し熱が入りすぎちゃった。」
「…納得したフリしやがって、だったらなんでジジイにあこそこまでキレてたんだよ!」
「よせ、鳴海。」
よっと立ち上がる△△は変わらず穏やかに見える。とてもじゃないが、隊長室へ怒鳴り込んできた面影は見られない。
「四ノ宮隊長が止めてなければ、そのまま第2部隊の隊長になってたから。あの人は今だって、私に防衛隊にいてほしくないんだよ。」
「…△△。」
「親心かなんか知らないけど、他人の人生に口出しする権利なんて誰にも無いよね。」
あくまで一歩引いた姿勢を崩さないくせに、紡ぐ毒はには確かに片鱗が滲み出ていた。
「いい加減にしろ!」
長谷川の怒鳴り声に、饒舌に語られていた口は止まる。
「…言い過ぎちゃった。ごめん、なんか…真っ直ぐぶつかって来られるのが久々でつい、嬉しくなっちゃって。ごめんね?」
「お前、性格悪いだろ。」
「あはは、仮にも上司に対して言うことじゃないかな。」
傾けた頭に合わせ、サラリと髪が流れる。眉を下げて笑う表情。本質的ではない謝罪の言葉に意味はあるのか。鳴海は△△に性根の悪さを感じた。
鳴海が△△を認識してから、初めて季節が切り替わった頃だった。
「あ。」
「あ?」
バチリと目が合った相手は第三部隊新隊長、亜白ミナ。本来は隣を歩く人物に声を掛けようとしていたのだが、向こうが声を出した為に自分もつられて反応してしまった。亜白はマジマジと鳴海を見たあとペコリと一礼して隣に立つ△△を向く。
「それでは自分はこれで。」
「うん、またね。ほどほどに頑張るんだよ。」
「ありがとうございます。」
そそくさとその場を後にする亜白の背を見送り、訝しげに△△を見る。
「なんでアイツがここにいんだよ?第三だろ。」
「良くないよ〜、そういう風潮。たまたまた用事があったついでに、少しお茶でもってね。」
「お前が?」
「そ、私が。最近どう?って聞いたの。」
「アイツの相手するくらいなら俺の訓練に付き合えよ。」
「鳴海君はいつでも会えるけど、亜白ちゃんはそうじゃ無いでしょ?」
△△が他部隊である亜白を目に掛ける理由を鳴海は知っている。亜白が入隊して間もなく迎えた初陣の作戦に、△△も参加していたのだ。
幾つかの作戦をこなす中で、鳴海は理解していった。識別怪獣兵器の適合者で無いにも関わらず身の丈に余る武器を振るう理由。根幹的な原因は、亜白が歴を浅くして第三部隊の隊長を務め、四ノ宮が鳴海を防衛隊に引き入れた理由でもある。
絶対的なエースの不在。
本来、身体にガタが来ている△△を最前線に、作戦の中枢に立たせたくは無いのだろう。それでもやらせるしか無い現状がある。△△に限らずとも、順を追って解決していくべき問題が足元まで迫りつつある中で、亜白が持つ才能は最短で実行しうる現状打破の一手だった。しかし△△はそれを良く思わなかった。新兵に掛ける重圧では無いと。作戦の行く末を、隊員達の生死を一手に担わせるには歴が浅すぎる。まだ自分も現役で動けるのだから、段階を追って育てるべきだ。四ノ宮は△△の意見をバッサリ切り捨てた。能ある者に楽をさせるほど国の防衛に余裕は無いと。
「私が第三に行って支えてあげたいくらいだよ。」
「…そんなこと、思ってないだろ。」
「うん?」
「見え透いてんだよ。アイツが隊長やってんのが気に食わないくせに、どうしてそんなことが言える?」
△△は目を丸くしてすぐ、目元を綻ばせてクスクス笑った。
「勿論、気に食わないよ。私がれなかったものに、あの子は簡単に成ったから。でも、助けてあげたいのも本当。多くの人の命を背負わせるには、まだ心が未熟すぎる。誰かが支えてあげなきゃならないだろうに、四ノ宮隊長はそれを怠っているからね。」
嫉妬と並列する想いに偽善は感じられない。知っていた、△△がそういうやつだと。彼女は身の内に巣食う闇を包み隠さない人柄をしている。常人であれば汚いと嫌悪するようなそれを、正しく自分の本心を受け止めていた。
「駄目だ、お前はここにいろ。」
だからこそ嫌だった。
「え〜?」
冗談めいた言い回しに対する拒否には何の抗力も無い。彼女の方が立場は上だ。本当に亜白の下に行こうと思えば、四ノ宮に直談判してでも行くだろう。
「…四ノ宮隊長からも個人訓練受けてるらしいじゃない。なら、私がいなくても平気でしょ?」
「駄目だっ!」
「…へ〜、鳴海君ってそんなに私のこと好きだったんだね。」
「違う!」
口元に指先を添えプククと笑う△△に憤る鳴海。冗談だと思える言葉は、口をついた感想だろう。強く否定したのは、彼女が良くも悪くも包み隠さない人柄だから。亜白を気に掛ける△△の感情はきっと嘘じゃないから。だからこそ、強く否定した。何故だか分からないが、彼女が亜白を気にするのが面白くなかったから。
月日は流れ、冬の晩のことだった。
「成人、おめでとう!」
「…」
「あれ?…誕生日、おめでとう!」
「…もう終わったわ。」
鳴海の誕生日は数分前に終わっていた。ゲームに耽り徹夜明けで任務に赴いた鳴海は限界だった。要所要所で誕生日を祝う言葉を掛けられたのは覚えている。△△から祝いの言葉を掛けられなかったのは癪だったが、このタイミングで来られるのも複雑である。
「まぁまぁまぁまぁ、誤差だって!」
ガサガサとコンビニのビニール袋を揺らしながら自室に押し入ってくる姿はとてもじゃないが成人済みの女性だとは思えない。
「ほらどれがいい?」
「お前、マジか…」
テーブルに次々と並べられていく多種多様な酒缶に鳴海はドン引きした。頭のネジ飛んでる奴だとは思っていたが、加えてここまで迷惑な奴だったとは。
「ケーキもあるよー!」
極めつけはドンッと置かれたコンビニのショートケーキ。クリスマス後とはいえ、年末に近けりゃ売ってるだろうが。
「…酒飲んでるだろ。」
「飲んでないよ!」
大嘘だった。普段なら酔っ払いがと罵倒し大騒ぎして追い出すところだが、鳴海はそうしなかった。去年もこのやり取りをしたのを覚えていたから。流石に酒は持っていなかったが、△△は今年と同じようにコンビニのショートケーキを持ってきた。態度には出さないが、正直なところ嬉しかった。盛大でなくとも、雑さが目立とうとも、彼女は毎年必ず鳴海の生誕を祝いに来た。
「じゃ、カンパーイ!」
「ん…」
プルタブの開けた缶同士を軽くぶつけ、アルコールを口に流し込む。舌に広がる苦味に耐えかね酒臭っ、と口を離した鳴海を見て△△はケラケラ笑っていた。
「子供だな〜、やーいガキンチョ〜」
半ば無理やり飲ませた挙げ句このセリフは完全にアルハラである。酒を片手に夜中に襲来するヤベーやつ。しかし年単位の付き合いになると、認識の変動は誤差の範疇だった。
「亜白の誕生日もこうやって祝ってんのか?」
「亜白ちゃん〜?亜白ちゃんはねぇ、おうちが遠いからメッセージだけだよ!」
「ならいい。」
「えー、なになに〜?なにそれ〜?」
△△はちゃんと意識があるタイプの酔っ払いなので、鳴海の反応を見てメッセージにそこそこ高めのギフトを添えていることは黙っておくことにした。クソうざい絡みは悪しからず。
「今日は誰と飲んできたんだ?」
「長谷川さんだよー、プチ忘年会。防衛隊の未来について語ってきちゃった。あとは説教。もっと自分を大事にしろーだって。」
「酒の席でも説教臭いとかマジで面倒くせぇなアイツ。」
「そうなんだよ。もーいい加減にして欲しいよねー、」
ぼやきながら鳴海に買ってきた筈のケーキをツマミに酒を飲む△△は長谷川以上に面倒くさいやつである自覚は無いのだろうか。マジでヤベーやつである。
何を思ったのか、△△はフォークで掬ったケーキを鳴海に向けた。
「はい、あーん。」
「…なん、何?」
「だから、あーん。」
「誰がするかボケ!」
困惑気味だったが持ち直して抵抗する鳴海に対し、△△は眉を寄せる。
「誕生日なのに?おかしくない?」
「おかしいのはお前だ!」
「そ、じゃあいいや。」
「…まて!」
食い下がったわりにアッサリした態度で引き下がった△△はケーキを自分の口に運ぼうとする。しかし、鳴海はその手首をガシリと掴む。
「え…どっち?」
片手に酒缶、片手にケーキの乗ったフォークを持つなんともいえない状態の△△。鳴海は歯軋りしながら答えた。
「食べる!食べるから!」
「んもー、ワガママだな〜」
しょうがないなぁ、とニコニコしながらアーンの続きを再開する。ケーキの一片が乗るフォークは、ついさっき△△の口に入っていたもので。首筋から顔にかけて、ほんのりと赤く染まる△△の肌。バクバクと跳ねる心音が煩い。開いた唇が微かに震えていることを自覚した時だった。
カンッ
取り落とした缶が軽い音を立てて転がり、中から残った液体がとトポトポと流れ出る。△△の脚と床を濡らす炭酸がシュワシュワと小さく泡立った。
「おまっ、あ゙ー!!やりやがったな!!」
鳴海の絶叫は部屋の主として当然の反応。お前が拭けと責めるが、△△は黙ったままだ。
「…おいっ、大丈夫か!?」
即座に様子がおかしいことに気付いた鳴海は△△の腕に手を伸ばした。軽く手が触れただけだったにも関わらず、重力に従い△△の体は倒れる。
「…ぁ、…つ、ぅ…」
「△△っ!」
「だいっ、大丈夫っ…うご、かさ、ないで…人も、呼ばなくていい…」
深く、呼吸の音まで聞こえてくる息は痛みに耐えているようだった。カタカタと振動する左腕を抑えようと空を彷徨う右手は、堪えるようにフローリングに縋り付く。薄手のセーターの袖からのぞく古い火傷痕。今までは何も感じることの無かった見慣れた筈のそれが、急に痛ましく目に映る。
こういう時、鳴海はどうしたら良いか分からなかった。だから暗に何もするなと言う彼女に従う他ない。
どれだけ時間が経った頃か。青褪めた肌に薄っすら脂汗を浮かべながら、△△は身を起こした。
「イテテ…ごめんね、迷惑掛けちゃった。」
「馬鹿、そんなんに気にしてる場合か!医務室に行くぞっ」
「平気だよ、たまにあることだから。うーん、最近薬変えたばっかりだから。効き目が薄かったのかな?」
ビショビショに袖を塗らした腕を持ち上げ、他人事のように呟く△△は鳴海の顔を見ると眉を下げて笑った。
「ごめん、ビックリしたよね?…そんな顔しないで、もう大丈夫だから。」
「なんで謝るんだよっ。」
「だって、鳴海君のそんな顔初めてみたからさ。怖かったよね?」
年下を気遣う態度が、神経を逆撫でする。怖いことなどあるか。強い暴言を吐いてやりたかったが、鳴海はそれを呑み込んだ。逆立つ怒りを呑むのは初めてのことだった。
「安心して、こんな突発的なのは滅多にないよ。普段はもうちょい、緩やかなんだ。」
半ば頭に入ってこない弁解を聞き流す中で、よぎったのは四ノ宮の顔。
△△は、重い後遺症を抱えている。
「…泊まってけ。」
「心配しすぎじゃあ、」
「いいから!」
有無を言わさぬ気迫に圧され、△△は頷いた。酒びたしになった彼女を風呂に押し込み、濡れた床を鳴海は拭いた。タオルを掴む自分の手に目が留まる。小刻みに震えていた古傷だらけの指は頼りなく、自分の手よりも小さかった。
何も出来なかった。
喉に詰まるほどの不快感と強い嫌悪。初めて感じる無力感は鳴海に強い衝撃を与えた。自分の力で何もかもを、どうにか出来ると思っていた。芯の部分を打ち砕かれた心地だった。
これより、鳴海が△△に訓練の相手を強いる回数は激減する。△△よりやらかしたことを報告された長谷川は禁酒を命じた。
唸りを上げるチェーンソーの音に、不安を持つようになったのは間違いなくあの誕生日の翌日からだった。大型の怪獣を両断し血飛沫の中を突っ切る姿が、遠目に映る。何もかもを殲滅せんとする強襲的な戦闘スタイルの△△には、絶対的な信頼感があった。事実、それほどの強さを持っていた。
強い爆破現象を起こす液体を分泌する怪獣の器官と、回転数の増大による瞬間的な熱量の増幅を可能にした武器の掛け合わせ。それが△△の手にする識別怪獣兵器である。扱いを間違えれば使用者にも大きなダメージを与えかねないピーキーな性能に加え、隊員のスーツに備えられたシールドを一撃で破壊する程の最大火力。
あの夜、初めて彼女を認識した嵐の夜。悪天候と巨体の放つ電磁波にヘリが耐えきれないと判断した△△は、予想地点よりかなり遠い距離で飛び降りた。専用武器による着火の爆風を利用したことで本獣まで到達するには至ったが、スーツのシールドはダウンし次弾の爆破衝撃を吸収しきれなかった。結果があの負傷である。
何度似たような怪我を負ってきたのだろう。適合性の無いそれを手足のように使いこなすまでに、どれだけの苦節を越えたのだろう。聞かずとも、幾重にも刻まれる肉体の火傷痕がそれを示していた。しかして、心身ともに受ける負荷と後遺症を飼い慣らせているかまでは別問題だ。
肉体の内側にある潜在的な組織に深手を負ったことによる慢性疼痛。重度は、鳴海の誕生日に見た通りだ。定期的に薬を服用しているらしいが、絶対的ではない。今だって、平気なフリして痛みを隠しているかもしれない。
こんな形で四ノ宮の気持ちを理解したくなかった。彼女を第2部隊隊長へ押し上げることを強く否定した彼の心理をようやっと本当の意味で理解できた。信じられなかった。他の隊員達も周知の事実だろうに、どういう気持ちで彼女に戦わせているのだろうか。
爆発の熱風を突き破り、専用武器を手に降り立つ△△。被ったヘルメットは、せめて頭を焼かないようにする為のものらしい。
「どうしたの、鳴海君。手が止まってるよ。」
最初はバイザー越しには分からなかった表情も、想像に容易くなっていた。けれど今となってはそれが正しく、彼女の本心が浮かぶ表情なのかは分からない。きっと、いつだって本音を言っている。でも、彼女はいつだって装っていたのだ。
自分が平気であることを、装っている。
「らしくないね。ここのところ、心此処にあらずって感じじゃない?」
お前のせいだ。
「悩みがあるなら聞こうか?」
△△は専用武器を停止すると肩に担いで隣に歩み寄る。
「…お前のせいだ。」
「え?なんかしちゃったかな?」
縁の下を支える柱の実態は、老朽化と虫害いにより腐食した柱だった。いつ折れてしまうかなど分からない。
本来であれば、既に戦場を退くべき人間。
「爆弾を抱えた人間が見えるところにいるのは邪魔だ。」
鳴海は不器用な人間だった。さりとて直球が過ぎる言葉は、誰かが言わなければならなかった。憐憫もなく、労りもなく、気遣いすら無い直球なそれに、△△はいつものように穏やかさを添えて答えた。
「でも、まだ君より強いよ。」
自信過剰でないことは痛いほどに知っている。
「ずっと気にしてくれてたんだね。大丈夫、引き際は自分で判断出来るよ。私の体なんだから、私が1番分かってる」
「分かってたらこんなとこにいねぇだろ。」
インカムより聞こえる撤収の合図。現場への介入終了、間もなく役割は次へと引き継がれることだろう。
彼女はそれをする気は無いようだが。
「四ノ宮隊長にも言われたなぁ…少し懐かしいや。」
話は終わりだと踵を返す背に激情をぶつける。
「そんな体でいつまで戦い続けるつもりだっ!お前を止められなかった人間に後悔を残すつもりか!?」
立ち止まる△△。
いつだって彼女は、自分の感情を優先するくせに、他者を簡単に蔑ろにはしようとしない。それでも、向き合う姿勢は時に相手を傷付ける。
△△はヘルメットを脱いだ。
「私には責任がある。この役割を自ら望んだ責任が。」
あの日、四ノ宮ヒカリが死んだ日。自分がやらねばならないと直感した。本懐を遂げようとも、残された者達が余波に押し潰されないように。導く力が必要だった。
まだ引けない。本当の意味でこの責任を捨てれることが出来る日が来るまで。
「悔しかったら私より強くなれよ。そんで、私を引きずり下ろせる立場になってみろ。…そういう場所だって言われたからここに来たんでしょう?」
鳴海に向けられたのは、悪辣にして好戦的な笑みだった。
虚勢もオブラートも全てをかなぐり捨てた表情は、元来の凶暴性。
本当の意味での剥き出しの本心。
それは△△なりの、激励だった。
未来を担ってみせろ。
「やってやるよっ…」
足掻く若者への、手向けの言葉だった。
「で、なんで急に引退する気になった?」
いつもの大衆酒場ではなく、小洒落たフレンチレストラン。長谷川がその店を選んだのは△△への労いからだった。長く前線の鋒を務めた彼女の為の、小さな慰労会。飲み干し、空になったグラスを置くと△△は微笑んだ。
「もう、いなくなって良いかなって思ったから。…欠陥品なりには、よくやったほうでしょう?」
「馬鹿を言うな。そんな風に思ってる奴は1人もいない。」
長谷川が副隊長へ昇進して暫く。先日、四ノ宮は鳴海へその立場を引き継ぐ旨を幹部一同に共有した。その席へは立場を超え、△△も招かれた。不貞腐れた表情を浮かべ、△△は鼻で笑ってやった。言われずとも、その意図を簡単に察したから。
「明日、鳴海が正式に隊長へ任命される。…待ってやっても良かっただろう。」
「やだよ…ムカつくじゃん。」
数年前、△△が告げた扇動に対する鳴海の答え。彼は有言実行と称するに相応しい功績をあげ、その象徴にまで手を掛けた。
「はぁ…そんなガキ臭いことを言う年齢じゃないだろ。」
「まだギリギリ二十代ですー!」
貼り付けた穏やかさを取り去った稚拙な態度。キーっと怒る姿は鳴海の前で吹かす先輩風など微塵もない。
「私を追い越して、四ノ宮隊長の後も愚直に追ってさ。あんな小生意気なガキが、凄いし偉いな〜とは思うんだよ?」
「なら最後くらい、ちゃんと背中を押してから退いてもいいだろ。」
「無理、絶対に言えない。私より強くなりやがって…それに第一の隊長なんて、ムカつきすぎて絶対に泣いちゃうよ。」
「…それだけじゃないだろう。」
身振り手振りで愚痴愚痴と喋る△△を長谷川は笑う。思わず涙してしまう理由は、悔しさだけでは無いだろうに。そういう本心を本人には清潭に告げることが出来るくせに、気の知れた中である古参達には言わない。
「長谷川さんだって本当は私の部下になってたかもしれないのに。鳴海君、絶対に仕事全部長谷川さんに丸投げするよ!私だったらそんなことしないのに!」
「否めないが…はぁ〜、いつまでも過ぎたことを言うんじゃない。」
第二部隊副隊長であった頃から変わらない、この気質。実力ある駄々っ子。小隊長に降格してからはそれを表に出さないようになったが、鳴海の前では隠しきれていなかったように思える。どうにか堪えながらやってきたが、引退を決めたことで崩れたのだろう。長谷川はそれが少し嬉しかった。彼女はようやく、背負う立場から降りたのだ。これからは少しでも本当の意味で穏やかに生きて欲しい。
「まあそんなことだろうと思ってな。場を設けておいたから安心しろ。」
「何それ…私、絶対行かないからね。もう辞表も功さんに渡したんだから。防衛隊の基地にも行かないよ。」
ふてぶてしく言う△△へ声を掛けるウェイター。空のグラスに注がれるシャンパンを持つ右手側、隣の席はナプキンと皿が整えられたままだ。
「あの子に言いたいことなんて、もう無い。」
「向こうはそうじゃないみたいだぞ。」
ボトルを戻したウェイターが席を離れると同時に、入れ替わりで別のウェイターが訪れる。遅れて来店した連れを案内して来たのだろう、見上げた人物に△△は硬直する。
ブスくれた表情で、鳴海が△△を見下ろしていた。
「…伊丹さんが来るって聞いてたんだけど?」
「これも転機だろう。去り際の清算はキチンとしろ。」
話は終わりだと席を立ち、退店する長谷川を苦々しげに見送る△△。勿論支払いは済ませていた。
入れ替わるように、空いていた席に品性の欠片もなくドカリと座る鳴海。
「挨拶の一つもなくいなくなりやがって。」
「…実際、あなたは私より強くなった。私の役目はもう終わった。弱者から強者へ、掛ける言葉が必要ある?」
たおやかな笑みを添えて吐き出される、逸脱した理論。在籍時より△△は、鳴海に対して甘える姿勢は見せなかった。捨てた矜持が戻ってくる。もうそんな必要はないというのに。
前髪の隙間から覗く赤い眼がジッと△△を捉える。
不器用な奴。
△△とて、鳴海にだけは思われたくもないだろうに。
「もうお前が戦わなくても大丈夫だ。」
「うん、知ってる。」
「だから安心して辞めろ。」
「うん、もう引退した。」
「…これからどうするんだ?」
「さぁね。しがないOLにでもなろっかな。」
シャンパンを呷る△△は、鳴海を一切見ない。彼女らしかった。部下の成長に伴い日を追って増す劣等感は、古巣と共に捨てて来たつもりだった。しかし目を背けずに向き合ってきたそれが、逃げきたその人は。自ら△△の前に訪れた。
「これ以上、私に何を言いたいの?」
分かっている。鳴海がそういうつもりで此処に来たわけでないことを。全てを隠さないことが誠意などとは思わない。けれど彼に対しては、それでも、併発する感情は抑えきれなかった。
彼女の側面を知っているから、鳴海も引退における労いをかけるつもりは一切ない。
それとこれとも関係なく、彼は△△に伝えたい気持ちがあった。
「…お前のせいで、ケーキが食えなくなった。」
呆気に取られる△△。防衛隊隊員としての側面が消え失せる。劣等感を向ける後輩としてでもなく、新隊長として向ける羨望もなく。イチ個人としての眼差しで、彼女は鳴海を見た。
「それは…ごめん。」
蘇るのは、思い出というには傷として残る誕生日の記憶。痛みに歪み霞む視界で捉えた彼が自分を見下ろす表情を、今でもよく覚えている。
「あーんも受け付けなくなった。」
恋愛経験の有無を話したことなどないが、その口振りから自分のやらかしが与えた傷を今でも鳴海が抱えていることを察し、△△は顔を曇らせる。
「…えぇ、じゃあ今試してみる?」
しかして、△△の発言はやはり常軌を逸脱していた。申し訳ないと思えど、気遣いとかは皆無である。
美しく盛り付けられた料理は既に手を付けられ、形を崩していた。その食べかけの皿にフォークを突き立て、複雑に味付けられた魚の一片を持ち上げる。
「はい、あーん。」
差し出された料理を見つめてから、鳴海はパクリと食い付いた。
「あはは、とっくに克服してるじゃん。大きくなったね鳴海君。」
いたずらっぽく、柔く微笑む△△。咀嚼し、しっかり飲み込んでから鳴海は口を開いた。
「お前が好きだ、△△〇〇。」
再び、硬直する△△。
「僕がお前より強くなっても、この気持ちは変わらなかった。」
鳴海の目に映る彼女はいつだって眩しかった。憧れと対抗心から追い続けたその背の先を行っても、今なおその眩さは変わらない。
だったら、この感情に名前をつけるとするなら。
「責任取れ。」
それはきっと、恋だった。
凛として重心のある声音が放つ直線的な糾弾は、射抜く視線の先を穿たんと告げられる。叩きつけるようついた右手の伸びるデスクの先、対面に座すのは四ノ宮功。日本防衛隊第一部隊隊長、その人だ。威圧的にも見える荘厳な風貌にも、伴う権威にも呑まれず意見を発する人物は二回り近くも若く見える細身の女だ。
「決定事項だ。…小隊長である貴様に今更、物申す余地があると思うのか?」
「私が残してきた戦果を顧みれば、ご一考の余地もあると思いますが。」
「論点をズラすな。貴様はそこまでの立場にない。」
「私の昇進を邪魔した張本人のくせして、よくもそんなことが言えますね。」
「おかしなことを言う。与えられた機会をものに出来なかった自己能力の低さを鑑みもせず、他人のせいにするな。」
「次期第2部隊隊長とまで言われたの知ってます?空気も先も読まずに目先を優先した結果のツケがこれだってんなら。第一部隊の隊長って役職は、とんだお飾りですね。」
お前が空気を読め。
第一部隊副隊長、伊丹啓司は口の減らぬ女に対して切にそう思った。しかし四ノ宮の側に控える彼が向ける視線の意図を一切察することはせず女、△△〇〇はなおも噛み付く。
第一部隊隊長室内は、まるで部屋にガスが充満しているかの如く、最悪に空気が悪かった。諍う当人達が大人であるためギリギリ冷戦のラインを越えない論争は、いつ火花を上げ爆発するか分かったものではない。巻き込まれるのは勘弁願いたいと呆れる伊丹を他所に、△△の隣に立つ新人隊員鳴海はまったくもって意に介していない様子だ。むしろ興味深そうに△△を見ている始末。
「入隊して1年そこらの若手をトップに押し上げるくらいなら、私が率いた方がまだマシだと思いますが。」
確かな怒りの滲むその言葉が、何を意味するのかは明白だった。
亜白ミナ。
四ノ宮功が特異点と述べた隊員。防衛隊の、日本の未来を託された人間。
「…何も彼女だけじゃない。貴様の隣に立つ鳴海もそうだ。△△、自覚しろ。我々は既に、次世代へ繋ぐ役目にある。」
暫しの沈黙を経て、鼓膜を突き破るような怒声が響く。
「言葉を綺麗に飾り立てれば、心を後回しにしていいと思うなよ!!!」
慟哭にも似た怒り。捨て台詞ともとれるそれを残し、△△は踵を返し背を向けた。バァンッと勢いよく締まる扉。重いそれをよくもまあ、そこまで力強く引けたものだ。退室した△△に呆れ、伊丹は深々と溜息をついた。
「四ノ宮…分かっていただろう。少しは言葉を選んでやれ。」
「何故私が部下に気を遣わねばならん。ましてやあの跳ねっ返りに。」
2人のやりとりを見るに、度々起こることなのだろう。四ノ宮は何事も無かったように鳴海に視線を戻すが、とうの鳴海は心此処にあらずに見える。△△の襲来により遮られた要件への興味は完全に失われていた。当然といえば当然。
「よくあることだ。気にしなくて良い。」
「へぇ…ここにはアンタにあーいう口のきき方をする奴ばかりなのか?」
「そんなわけがあるか…彼女が少々特殊…事情があるだけだ。お前が気にすることじゃない。」
「なんだ、じゃあ負け犬の遠吠えか?」
興を削がれた。鳴海の顔には分かりやすくそう書いてある。歯に衣着せぬ言い草は、四ノ宮が△△に向けた自己能力の低さという言葉を素直に受け取ったゆえだった。ならばこの件はこれで終わり。
「言葉に気を付けろ、鳴海。」
しかし結論付けた皮肉を覆したのは、鳴海に判断材料を与えた四ノ宮自身だった。
「彼女の実力は確かなものだ。」
「はぁ?アンタが言ったんだろ。」
「…」
率直な意見は形だけ見れば正当だ。黙り込む四ノ宮を見かね、委細を承知している伊丹は助け舟を出してやるが、どれだけ彼女の実績を聞こうとも、実際に眼にしたわけでない鳴海が納得するには決め手にかけた。
「お前はまだ△△と戦場に立ったことがないからな。いずれ分かるさ。」
豪雨の夜、その日は訪れた。
暗雲を裂き、海上に堕ちる落雷が巨大な輪郭を露わにする。
長い尾を揺らし海面から体を晒す大型怪獣はまるで、特撮アニメで見るお手本の姿。荒波を割って港に直進する巨体に向け、防衛戦を張る第一部隊。迎え撃たんと位置する面々の中には鳴海もいた。砲撃の雨を浴びようともその進撃は止まらない。
「…陸に上がるまで待つつもりか?」
小隊長を務める長谷川に対し問う鳴海の姿勢には敬意の欠片も感じられない。慣れつつある自分に対し呆れながら長谷川は答えた。
「我々は陽動だ。」
「陽動だと?市街地を背にしているのに、随分悠長なんだな。」
オペレーターから共有を受けた情報によると、怪獣の特性は厄介極まりないものだ。表層を覆う分厚い外殻は鋼鉄製でありながら受けた雷を吸収する。怪獣本体から微弱に電気を発していることから察するに、発電器官を有し大規模な電気放出を行う可能性もある。この雨の中、予備動作無く陸地でそれが起これば被害は大規模なものとなるだろう。
「お前の考えていることは分かる。しかし、あれが陸に上がる前に対処する手段を我々は有している。」
「なんだよ、あのジジイを空から特攻でもさせるのか?」
上陸までそう時間も無い中で、仕留め切る為の武力を持つのは現状、鳴海が思い浮かべるのは。非常に癪だが第三部隊の亜白か四ノ宮くらいのものだろう。
「四ノ宮隊長と呼べ!…我々には△△小隊長がいる。」
「△△っつーと、…あいつが?」
四ノ宮との口論の末、癇癪ともとれる暴言を吐き退室した、鳴海には目もくれなかったあの女。
「見ていろ。」
長谷川の言葉には確かな信頼があった。
タイミングよく、装着したインカムからザリザリと音が鳴る。悪天候と怪獣から発される電磁波の影響か、電波が悪い。それでも聞き取れた内容は長谷川の言葉を裏打ちする。
『△△小隊長、出撃しました。』
激しい風雨とは別に頭上を突風が通り過ぎる。喧しいプロペラ音。怪獣の真上へ直進するヘリは機動を見出しながら進んでいく。非常に危険だ。天候のせいだけではない。
「落とされるんじゃないのか、アレ。」
「大丈夫だ。そこまでは我々が援護する。」
海岸沿いから怪獣に向けられる砲台より放たれる弾光が、ギラギラと怪獣の外殻を照らす。黒光りするそれはより重厚に見え個人がどうにか出来るものには見えない。
『誘爆予想区域通過、総員砲撃停止。』
援護終了の知らせを受け、一斉に攻撃が止もうと静寂は訪れない。風雨と荒波がつんざくように鼓膜を揺らす中、鳴海はそれを目撃した。ヘリが頭上へ到着するよりかなり距離がある中、ユーターンする。一見して作戦は失敗かのように見えたが、直後に響く爆音。怪獣の付近、海上より高度数百メートル地点で起きる大規模な爆発。黒煙が晴れるより速く、暗闇で一際眩く見える赤い軌跡。それが何か認識すると同時に、怪獣の内側から炎熱が爆ぜた。赤から橙に変わる炎は渦巻くように巻き上がり、消えていく。チリチリと熱を帯び色づく怪獣は半身が吹き飛んでいた。
「…は?」
口と眼球と思われる位置から煙を上げながら、怪獣は倒れた。余波で大きく海面が揺れるのを最後に、本獣撃破の報せを聞く。
余獣掃討後、基地に戻ると鳴海の足は真っ直ぐ隣接する格納庫へ向かっていた。通常、作戦終了後に移送車が戻る場所に△△の姿が無かったからだ。あいつはどこだと忙しなく問う鳴海が長谷川の答えを聞いて駆け出すのは速かった。
なんなのだ、あの火力は。どんな武器を扱っているのか。どうしてお前のようや奴が小隊長の枠に収まっているのか。聞きたいことは山ほどあった。突き動かすのは好奇心と対抗心。とにかく、どんなやつなのか知りたかった。初めて彼女を認識した時は顔すらまともに見なかったことを今になって後悔する。
息も切らさぬ内に辿り着いた格納庫にはタイミング良く、武装された大型トラックが入るところだった。確信する。あれには△△が乗っている。専用武器を備えているならばと簡単に見当がついた。停車したトラックに慌ただしく駆け寄る数名のスタッフ達。大した歓迎じゃないかと心が沸き立つ中、積み荷の扉が開く。扉の影から出てきたのは、先端が丸みを帯びた分厚く長い刃。刃先に纏うギザギザとした鎖。ヒョイッと飛び降りた人物が片手にするそれは、巨大なチェーンソーだ。刃だけでは無く、動力部の装備もかなり大きい。とんでもなく派手な専用武器だと認識すると同時に、キラキラと輝いていた鳴海の表情は固まる。その人物の異様な出で立ちに。身に纏う防衛隊のスーツは通常のデザインとは違い、装備も込みでかなり重装に見える。一見して防御力の高いだろうそのスーツは、焼け焦げていた。ところどころに穴が空き破けている。ライトの下に晒されよく見えるそこには血が滲んでいて、全身がボロボロだった。唯一無事なのは頭に被ったゴツゴツとしたヘルメットのみ。
「△△小隊長っ、すぐに治療室へ!」
興奮から朧気だった周囲への認知が明瞭になると、彼女の側に集まる面々の半数が医療スタッフだと悟る。慌ただしく声を掛けるスタッフを軽くあしらい淀みない足取りで歩く彼女は片手に持つ専用武器を数人の整備士に押し付ける。
「火力、落とすならこれが限界ラインだよ。これ以上は一発じゃ仕留められなくなる。」
「ですが、これでは△△小隊長の体が持ちません!」
「だったらシールドの性能もっと上げて。限界突破後の復旧もっと速くするよう改善が必要。」
「分かりましたから!早く医療部へ行ってください!」
3人がかりで運ばれていく専用武器を見送ると、△△は医療スタッフを伴い去っていく。
「あぁ、流血がっ…お願いだから担架に乗ってください!」
「大丈夫。これくらいだったらすぐに治るよ。」
「そういう問題じゃありません!」
凄惨な状態に反してハキハキと喋る△△の背に、鳴海はたまらず声を掛けた。
「おい!」
名前すら口に出さぬそれに、△△は立ち止まると振り返る。たいして背も高くない平均的な体格の女。目を逸らしたくなるような負傷具合。死傷者はゼロだと言う報告は嘘じゃないかと文句を言ってやりたくなる。黒色のバイザー越しじゃ、どんな表情なのかも分からない。目が合っているかも分からない視線を向け、△△は一言発した。
「あなた、誰。」
数日後、鳴海は浜辺に立っていた。
磯の匂いに混じる腐臭が鼻を掠めるたび眉間に皺を寄せながら、水平線といえない海の景色を眺めていた。景色を崩す正体は先日撃破された本獣の残骸。浜辺に打ち上げられた魚の死体が折り重なり、蝿がたかっている。専門の清掃業者はまだ本獣の解体作業に人員をとられ、此方まで手を回す余裕が無いのだろう。あれからさして日数が経過していないからか、この状態の浜辺に寄る一般人の姿は無い。ならば何故、彼はここに訪れたのか。
あなた、誰。
あの一言が今も耳にこだましている。
「……クソッ!」
ムシャクシャする感情を抑えもせず、砂を蹴り上げる。
まるで、お前には欠片も興味が無いと言われた気分だった。非常に腹立たしい。自分はあの嵐の夜から彼女のことが頭から離れないというのに、彼女はきっと忘れ去っているに違いない。そんな見当違いな怒りすら湧いてくる。結局、あの後言葉を交わすこともなく、顔すら見ることもなく彼女は医療スタッフに連れられて行ってしまったから。残ったのは最悪な印象だけだ。訓練はおろか、基地ですれ違うこともない。嫌な気分を払拭しようと携帯ゲームを開いてみても没頭できない。なら、せめて後の戒めとして。あの日のことを覚えていてやろうと思ったのだ。
自分を防衛隊に招いた男、四ノ宮功。入隊後、日は浅くとも。ふんぞりがえる四ノ宮を見返してやろうと大口を叩いた。しかし奴以外にも強敵はいた。あの△△とかいう女、俺を歯牙にもかけていなかった。良くも悪くも名前の知れているであろう自分を認知すらしていなかった。屈辱的だった。
あんなに強いのに、あんなにボロボロで、ジジイからも実力を認められていて…
「チクショー!!」
鳴海はたまらず、足元に落ちていた小石を広い海へ向けてぶん投げた。濁った海にキラキラと反射する陽の光が眩しく、憎らしい。八つ当たりしたところで、返ってくるのは小波の音とカモメの鳴き声だけだ。
「あははは、荒れてるね。」
突然かけられた声に肩を揺らして振り返ると、1人の女が立っていた。潮風に吹かれ乱れる髪を気にもとめず。爽やかに微笑む女。黒いインナーに肩から掛けた隊服から、防衛隊の一員であることが伺える。
「あなた、たしか鳴海君だっけ。」
「…だったらなんだよ。」
「新人の子がなんか悩んでるみたいだったらさ、話聞いてあげたくなるのが先輩ってもんじゃない?」
「余計なお世話だ!」
初対面だろうが声を荒げて突っぱねるのは若さゆえか。いや、鳴海の人間性の問題である。気にした様子もなくクスクス笑い、女は勝手に鳴海の近くへ歩いてくる。
「16、17だっけか。最強な年頃だね。」
「うるせぇ!悩みに年が関係あるか!」
「それもそっか…でも良かったら聞かせてよ。10代特有の悩みをさ。」
噛みつかれようと崩れない余裕の態度。鳴海の苛立ちは増すが、物腰柔らかな女の態度に少々毒気を抜かれる。どこかで聞いたことのある声だった。
「…鼻っ柱をへし折りたい奴がいて。」
「うん。」
「そいつの他にも強い奴がいた。」
「へぇ〜、じゃあ自分の小ささを知ったってところか!」
「あ゙ぁ゙ん?煽ってんのかお前?」
「うんうん、分かるよ。すごく分かる。」
詰め寄り至近距離でガンをつける鳴海に頷いて見せる女はカラカラ笑う。
「分かるなー、あなたの気持ち。私も最近、自分の小ささを知ったところ。」
「…なんも分かってねぇだろ。僕のこと知らねぇくせして適当言ってんじゃねーよ。」
「もっと、私に出来ることはたくさんあると思ってたんだ。でも色んなことをするにはさ、力も頭も足りなくて。どうやらそんなに時間もないみたいで…絶賛、うまくいってないところだよ。」
女は鳴海を見ずに、遠くを見ながら話していた。浜辺の先、本獣の死骸の先にある何かを見ているような、そんな視線を海に向けながら。
「経験値を積み上げると、プライドもついてくるから。変に意地っ張りになったりしてね。年を取るとその分、素直になれなくなる。」
「…お前、そんなババアなのか?」
「失礼な子だな!まだ20代、バリバリの現役だよ!」
女はムッとした顔をすると素早い動作で鳴海の額にデコピンした。突然の挙動に反応しきれず、モロにデコピンを受けた鳴海はあまりの威力に尻もちをついた。
「イッッテェ!」
「女性に失礼な話題を振った罰ね。」
「ふざけんな!」
「あはは。」
憤る鳴海は立ち上がろうとして、ある一点に視線が止まる。何が可笑しいのか楽しげに笑う女がデコピンをするため伸ばした腕には、包帯が巻かれていた。素肌が見えないくらいしっかりと巻かれた包帯は手首からインナーの下まで覆っている。よく見れば手の甲から指先にも赤くひきつれた痕が見える。真新しく見える傷から、直近の作戦を思い返す。最後の出撃は数日前、あの嵐の夜だ。
「…お前、隊員だよな?」
「もちろん、第1部隊所属だよ。…あれ、初めましてじゃないよね?」
「僕はお前を知らない。」
「お前じゃなくて、△△だよ。△△〇〇。そっか、ちゃんと挨拶しなかったよね。初めまして、鳴海弦君。」
鳴海は立ち上がって指を差す。
「僕をコケにしやがった△△!」
「えぇ、そんなことした覚えは無いけどなぁ。」
「しらばっくれるなよ!僕があれからどれだけっ、」
どれだけお前のせいで悩んでいると。
口に出すには恥ずかしすぎるそれは途切れ、△△は首を傾げた。
「作戦後に、威勢よく声を掛けてくれたものだから。四ノ宮隊長に言ったらきっと鳴海って子だろうって。まさかこんなところで会うと思わなかったけどね。」
「…今までどこにいたんだ?」
「ここ数日は絶賛療養中だったんだ。一応、今日から動いて良いってことになってるから、散歩がてら自分の戦果を目に焼き付けておこうと思って。」
穏やかな口調の裏に隠し切れないほど強固な我が表層に出ている。しかしその欲求が理解できてしまうのが、なんだか悔しい。共感を口に出すのは癪で、しかし何か言ってやりたくて。口の中で舌を彷徨わせているうちに、時間が来た。
遠くから近付いてくる砂を踏む音に振り返ると、小走りで長谷川が来ていた。
「……△△っ、探したぞ。」
「あれ、長谷川さん。どうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるか!着信くらいは鳴るようにしろといつも言っているだろう!」
「ごめんって。療養期間は通知全部切れって言われてるからさ。」
「せめて病室を出る時くらい誰かに言伝しろ!医療スタッフが哀れでならん。」
「えー、今日から解禁なんだからそんなに心配しなくてもいいのにね。」
若干息を切らしているのを見るに、かなり探し回ったのだろう。それはそれとして、ギラリと長谷川の鋭い眼差しが鳴海を見やる。
「鳴海っ!お前は訓練中の筈だろうがっ!!」
「ゲッ、」
「サボりか〜、サボりは良くないな〜」
鬼の形相を浮かべる長谷川に対して笑いながらも咎める△△。長谷川は△△を伴い、鳴海を引き摺りながら基地に戻っていく。
訓練に引き戻された鳴海は長谷川の監視の元、罰として追加の訓練を受けさせらていた。多少の負荷では音を上げない鳴海を分かっているからこそ与えられた重い追加内容は、他の隊員達の訓練終了後も居残りで続けられる。ウンザリした態度の長谷川に鳴海は腕立て伏せをしながら聞いた。
「なぁ、あの△△って奴。」
「△△がどうした。」
「なんで、小隊長なんだ?」
鳴海は手を止め黙り込んだ長谷川を見上げる。
「お前より全然強いだろ?」
「悪かったな。」
「ここは実力主義なんだろ。それにこないだの作戦では、アイツにだけ負担が掛かってるように見えたがな。」
「人聞きの悪い言い方をするな。あれはほとんど事故だ。」
「…みたとこ、調整中か試作の専用武器なんじゃないのか?そんなもんを持たせて前線に送り出すなんて、防衛隊は余程深刻なんだな。」
欲しい解答が無かったことに若干腹を立て、手繰り寄せた記憶から棘を吐く。普段の稚拙な暴言からは想像し難いが、地頭の良い鳴海はこれくらい朝飯前だった。
「あんまり長谷川さんを責めないでよ。あれは本当に事故だったんだ。」
言葉に詰まる長谷川を擁護したのは、△△だ。遅い時間だというのに訓練所を訪れた彼女は訓練着に袖を通しており、軽快な足取りで近付いてくる。
「…おい。」
「明日から復帰のオッケーはもらってるから、1日くらい変わらないよ。軽い準備運動がてら、居残りの子にお灸を据えられればウィンウィンでしょ?」
聞き捨てならない言葉だが、鳴海は目をギラつかせた。単純なトレーニングよりも実力者との手合わせに惹かれるタチなので仕方がない。これじゃ罰にならんと頭を押さえるが、チラリと見た時計の針に考えるのも億劫になり、無言のオーケーサインを出す。残業は出来るだけ少なく済ませたい。
「まぁ、立ちなよ。説明がてらチャチャっとボコってあげるからさ。」
「舐めやがって…逆にお前をボコボコにしてやらぁ!」
威勢よく吠えた鳴海が撃沈するのは速かった。
投げられ、転がされ、蹴倒されながらスラスラと説かれる彼女の経歴。
いわく、元第二部隊副隊長であり次期隊長候補であったらしいが、その機会を失ったと。転機は数年前に発生した過去最大の群発災害、怪獣6号の襲来。過ぎた物量と火力を、当時防衛隊が有する武力だけで対処しきることは不可能だった。開発されていた識別怪獣兵器への適合者は未だ現れておらず、それでも圧される戦況は変わらない、迫る脅威は待ってくれない。即時必要だったのだ。猛攻を打破しうる一手が。
「だから、私が立候補したってわけ。」
適正の無い識別怪獣兵器の使用。それは△△自身の未来を奪うことになった。元第二部隊隊長、四ノ宮ヒカリの殉職後、後釜に据えるには△△の身体には深い後遺症が残っていた。副隊長を継続するにも不安要素として残るそれは、隊員としては致命的だった。
「でも、やる気だけはあったから。人材不足も深刻だし。元々面倒見てもらってた第1部隊に戻す形で、どうにかってことで。ここなら私に何かあっても四ノ宮隊長と伊丹副隊長が補ってくれるからね。今は小隊長やってるの。」
「イデデデデッ」
「あ、ごめんね?」
腕十字固めの姿勢からパッと手を離すと脱兎の如く距離を取る鳴海。
「納得いくか馬鹿!!」
「えぇ〜?どこが?」
本当に困っているという表情を浮かべる△△。有言実行、しっかり打ちのめされた鳴海には彼女に副隊長が務まらないことなど信用出来なかった。
「やりすぎだ、△△。」
「そうだね、少し熱が入りすぎちゃった。」
「…納得したフリしやがって、だったらなんでジジイにあこそこまでキレてたんだよ!」
「よせ、鳴海。」
よっと立ち上がる△△は変わらず穏やかに見える。とてもじゃないが、隊長室へ怒鳴り込んできた面影は見られない。
「四ノ宮隊長が止めてなければ、そのまま第2部隊の隊長になってたから。あの人は今だって、私に防衛隊にいてほしくないんだよ。」
「…△△。」
「親心かなんか知らないけど、他人の人生に口出しする権利なんて誰にも無いよね。」
あくまで一歩引いた姿勢を崩さないくせに、紡ぐ毒はには確かに片鱗が滲み出ていた。
「いい加減にしろ!」
長谷川の怒鳴り声に、饒舌に語られていた口は止まる。
「…言い過ぎちゃった。ごめん、なんか…真っ直ぐぶつかって来られるのが久々でつい、嬉しくなっちゃって。ごめんね?」
「お前、性格悪いだろ。」
「あはは、仮にも上司に対して言うことじゃないかな。」
傾けた頭に合わせ、サラリと髪が流れる。眉を下げて笑う表情。本質的ではない謝罪の言葉に意味はあるのか。鳴海は△△に性根の悪さを感じた。
鳴海が△△を認識してから、初めて季節が切り替わった頃だった。
「あ。」
「あ?」
バチリと目が合った相手は第三部隊新隊長、亜白ミナ。本来は隣を歩く人物に声を掛けようとしていたのだが、向こうが声を出した為に自分もつられて反応してしまった。亜白はマジマジと鳴海を見たあとペコリと一礼して隣に立つ△△を向く。
「それでは自分はこれで。」
「うん、またね。ほどほどに頑張るんだよ。」
「ありがとうございます。」
そそくさとその場を後にする亜白の背を見送り、訝しげに△△を見る。
「なんでアイツがここにいんだよ?第三だろ。」
「良くないよ〜、そういう風潮。たまたまた用事があったついでに、少しお茶でもってね。」
「お前が?」
「そ、私が。最近どう?って聞いたの。」
「アイツの相手するくらいなら俺の訓練に付き合えよ。」
「鳴海君はいつでも会えるけど、亜白ちゃんはそうじゃ無いでしょ?」
△△が他部隊である亜白を目に掛ける理由を鳴海は知っている。亜白が入隊して間もなく迎えた初陣の作戦に、△△も参加していたのだ。
幾つかの作戦をこなす中で、鳴海は理解していった。識別怪獣兵器の適合者で無いにも関わらず身の丈に余る武器を振るう理由。根幹的な原因は、亜白が歴を浅くして第三部隊の隊長を務め、四ノ宮が鳴海を防衛隊に引き入れた理由でもある。
絶対的なエースの不在。
本来、身体にガタが来ている△△を最前線に、作戦の中枢に立たせたくは無いのだろう。それでもやらせるしか無い現状がある。△△に限らずとも、順を追って解決していくべき問題が足元まで迫りつつある中で、亜白が持つ才能は最短で実行しうる現状打破の一手だった。しかし△△はそれを良く思わなかった。新兵に掛ける重圧では無いと。作戦の行く末を、隊員達の生死を一手に担わせるには歴が浅すぎる。まだ自分も現役で動けるのだから、段階を追って育てるべきだ。四ノ宮は△△の意見をバッサリ切り捨てた。能ある者に楽をさせるほど国の防衛に余裕は無いと。
「私が第三に行って支えてあげたいくらいだよ。」
「…そんなこと、思ってないだろ。」
「うん?」
「見え透いてんだよ。アイツが隊長やってんのが気に食わないくせに、どうしてそんなことが言える?」
△△は目を丸くしてすぐ、目元を綻ばせてクスクス笑った。
「勿論、気に食わないよ。私がれなかったものに、あの子は簡単に成ったから。でも、助けてあげたいのも本当。多くの人の命を背負わせるには、まだ心が未熟すぎる。誰かが支えてあげなきゃならないだろうに、四ノ宮隊長はそれを怠っているからね。」
嫉妬と並列する想いに偽善は感じられない。知っていた、△△がそういうやつだと。彼女は身の内に巣食う闇を包み隠さない人柄をしている。常人であれば汚いと嫌悪するようなそれを、正しく自分の本心を受け止めていた。
「駄目だ、お前はここにいろ。」
だからこそ嫌だった。
「え〜?」
冗談めいた言い回しに対する拒否には何の抗力も無い。彼女の方が立場は上だ。本当に亜白の下に行こうと思えば、四ノ宮に直談判してでも行くだろう。
「…四ノ宮隊長からも個人訓練受けてるらしいじゃない。なら、私がいなくても平気でしょ?」
「駄目だっ!」
「…へ〜、鳴海君ってそんなに私のこと好きだったんだね。」
「違う!」
口元に指先を添えプククと笑う△△に憤る鳴海。冗談だと思える言葉は、口をついた感想だろう。強く否定したのは、彼女が良くも悪くも包み隠さない人柄だから。亜白を気に掛ける△△の感情はきっと嘘じゃないから。だからこそ、強く否定した。何故だか分からないが、彼女が亜白を気にするのが面白くなかったから。
月日は流れ、冬の晩のことだった。
「成人、おめでとう!」
「…」
「あれ?…誕生日、おめでとう!」
「…もう終わったわ。」
鳴海の誕生日は数分前に終わっていた。ゲームに耽り徹夜明けで任務に赴いた鳴海は限界だった。要所要所で誕生日を祝う言葉を掛けられたのは覚えている。△△から祝いの言葉を掛けられなかったのは癪だったが、このタイミングで来られるのも複雑である。
「まぁまぁまぁまぁ、誤差だって!」
ガサガサとコンビニのビニール袋を揺らしながら自室に押し入ってくる姿はとてもじゃないが成人済みの女性だとは思えない。
「ほらどれがいい?」
「お前、マジか…」
テーブルに次々と並べられていく多種多様な酒缶に鳴海はドン引きした。頭のネジ飛んでる奴だとは思っていたが、加えてここまで迷惑な奴だったとは。
「ケーキもあるよー!」
極めつけはドンッと置かれたコンビニのショートケーキ。クリスマス後とはいえ、年末に近けりゃ売ってるだろうが。
「…酒飲んでるだろ。」
「飲んでないよ!」
大嘘だった。普段なら酔っ払いがと罵倒し大騒ぎして追い出すところだが、鳴海はそうしなかった。去年もこのやり取りをしたのを覚えていたから。流石に酒は持っていなかったが、△△は今年と同じようにコンビニのショートケーキを持ってきた。態度には出さないが、正直なところ嬉しかった。盛大でなくとも、雑さが目立とうとも、彼女は毎年必ず鳴海の生誕を祝いに来た。
「じゃ、カンパーイ!」
「ん…」
プルタブの開けた缶同士を軽くぶつけ、アルコールを口に流し込む。舌に広がる苦味に耐えかね酒臭っ、と口を離した鳴海を見て△△はケラケラ笑っていた。
「子供だな〜、やーいガキンチョ〜」
半ば無理やり飲ませた挙げ句このセリフは完全にアルハラである。酒を片手に夜中に襲来するヤベーやつ。しかし年単位の付き合いになると、認識の変動は誤差の範疇だった。
「亜白の誕生日もこうやって祝ってんのか?」
「亜白ちゃん〜?亜白ちゃんはねぇ、おうちが遠いからメッセージだけだよ!」
「ならいい。」
「えー、なになに〜?なにそれ〜?」
△△はちゃんと意識があるタイプの酔っ払いなので、鳴海の反応を見てメッセージにそこそこ高めのギフトを添えていることは黙っておくことにした。クソうざい絡みは悪しからず。
「今日は誰と飲んできたんだ?」
「長谷川さんだよー、プチ忘年会。防衛隊の未来について語ってきちゃった。あとは説教。もっと自分を大事にしろーだって。」
「酒の席でも説教臭いとかマジで面倒くせぇなアイツ。」
「そうなんだよ。もーいい加減にして欲しいよねー、」
ぼやきながら鳴海に買ってきた筈のケーキをツマミに酒を飲む△△は長谷川以上に面倒くさいやつである自覚は無いのだろうか。マジでヤベーやつである。
何を思ったのか、△△はフォークで掬ったケーキを鳴海に向けた。
「はい、あーん。」
「…なん、何?」
「だから、あーん。」
「誰がするかボケ!」
困惑気味だったが持ち直して抵抗する鳴海に対し、△△は眉を寄せる。
「誕生日なのに?おかしくない?」
「おかしいのはお前だ!」
「そ、じゃあいいや。」
「…まて!」
食い下がったわりにアッサリした態度で引き下がった△△はケーキを自分の口に運ぼうとする。しかし、鳴海はその手首をガシリと掴む。
「え…どっち?」
片手に酒缶、片手にケーキの乗ったフォークを持つなんともいえない状態の△△。鳴海は歯軋りしながら答えた。
「食べる!食べるから!」
「んもー、ワガママだな〜」
しょうがないなぁ、とニコニコしながらアーンの続きを再開する。ケーキの一片が乗るフォークは、ついさっき△△の口に入っていたもので。首筋から顔にかけて、ほんのりと赤く染まる△△の肌。バクバクと跳ねる心音が煩い。開いた唇が微かに震えていることを自覚した時だった。
カンッ
取り落とした缶が軽い音を立てて転がり、中から残った液体がとトポトポと流れ出る。△△の脚と床を濡らす炭酸がシュワシュワと小さく泡立った。
「おまっ、あ゙ー!!やりやがったな!!」
鳴海の絶叫は部屋の主として当然の反応。お前が拭けと責めるが、△△は黙ったままだ。
「…おいっ、大丈夫か!?」
即座に様子がおかしいことに気付いた鳴海は△△の腕に手を伸ばした。軽く手が触れただけだったにも関わらず、重力に従い△△の体は倒れる。
「…ぁ、…つ、ぅ…」
「△△っ!」
「だいっ、大丈夫っ…うご、かさ、ないで…人も、呼ばなくていい…」
深く、呼吸の音まで聞こえてくる息は痛みに耐えているようだった。カタカタと振動する左腕を抑えようと空を彷徨う右手は、堪えるようにフローリングに縋り付く。薄手のセーターの袖からのぞく古い火傷痕。今までは何も感じることの無かった見慣れた筈のそれが、急に痛ましく目に映る。
こういう時、鳴海はどうしたら良いか分からなかった。だから暗に何もするなと言う彼女に従う他ない。
どれだけ時間が経った頃か。青褪めた肌に薄っすら脂汗を浮かべながら、△△は身を起こした。
「イテテ…ごめんね、迷惑掛けちゃった。」
「馬鹿、そんなんに気にしてる場合か!医務室に行くぞっ」
「平気だよ、たまにあることだから。うーん、最近薬変えたばっかりだから。効き目が薄かったのかな?」
ビショビショに袖を塗らした腕を持ち上げ、他人事のように呟く△△は鳴海の顔を見ると眉を下げて笑った。
「ごめん、ビックリしたよね?…そんな顔しないで、もう大丈夫だから。」
「なんで謝るんだよっ。」
「だって、鳴海君のそんな顔初めてみたからさ。怖かったよね?」
年下を気遣う態度が、神経を逆撫でする。怖いことなどあるか。強い暴言を吐いてやりたかったが、鳴海はそれを呑み込んだ。逆立つ怒りを呑むのは初めてのことだった。
「安心して、こんな突発的なのは滅多にないよ。普段はもうちょい、緩やかなんだ。」
半ば頭に入ってこない弁解を聞き流す中で、よぎったのは四ノ宮の顔。
△△は、重い後遺症を抱えている。
「…泊まってけ。」
「心配しすぎじゃあ、」
「いいから!」
有無を言わさぬ気迫に圧され、△△は頷いた。酒びたしになった彼女を風呂に押し込み、濡れた床を鳴海は拭いた。タオルを掴む自分の手に目が留まる。小刻みに震えていた古傷だらけの指は頼りなく、自分の手よりも小さかった。
何も出来なかった。
喉に詰まるほどの不快感と強い嫌悪。初めて感じる無力感は鳴海に強い衝撃を与えた。自分の力で何もかもを、どうにか出来ると思っていた。芯の部分を打ち砕かれた心地だった。
これより、鳴海が△△に訓練の相手を強いる回数は激減する。△△よりやらかしたことを報告された長谷川は禁酒を命じた。
唸りを上げるチェーンソーの音に、不安を持つようになったのは間違いなくあの誕生日の翌日からだった。大型の怪獣を両断し血飛沫の中を突っ切る姿が、遠目に映る。何もかもを殲滅せんとする強襲的な戦闘スタイルの△△には、絶対的な信頼感があった。事実、それほどの強さを持っていた。
強い爆破現象を起こす液体を分泌する怪獣の器官と、回転数の増大による瞬間的な熱量の増幅を可能にした武器の掛け合わせ。それが△△の手にする識別怪獣兵器である。扱いを間違えれば使用者にも大きなダメージを与えかねないピーキーな性能に加え、隊員のスーツに備えられたシールドを一撃で破壊する程の最大火力。
あの夜、初めて彼女を認識した嵐の夜。悪天候と巨体の放つ電磁波にヘリが耐えきれないと判断した△△は、予想地点よりかなり遠い距離で飛び降りた。専用武器による着火の爆風を利用したことで本獣まで到達するには至ったが、スーツのシールドはダウンし次弾の爆破衝撃を吸収しきれなかった。結果があの負傷である。
何度似たような怪我を負ってきたのだろう。適合性の無いそれを手足のように使いこなすまでに、どれだけの苦節を越えたのだろう。聞かずとも、幾重にも刻まれる肉体の火傷痕がそれを示していた。しかして、心身ともに受ける負荷と後遺症を飼い慣らせているかまでは別問題だ。
肉体の内側にある潜在的な組織に深手を負ったことによる慢性疼痛。重度は、鳴海の誕生日に見た通りだ。定期的に薬を服用しているらしいが、絶対的ではない。今だって、平気なフリして痛みを隠しているかもしれない。
こんな形で四ノ宮の気持ちを理解したくなかった。彼女を第2部隊隊長へ押し上げることを強く否定した彼の心理をようやっと本当の意味で理解できた。信じられなかった。他の隊員達も周知の事実だろうに、どういう気持ちで彼女に戦わせているのだろうか。
爆発の熱風を突き破り、専用武器を手に降り立つ△△。被ったヘルメットは、せめて頭を焼かないようにする為のものらしい。
「どうしたの、鳴海君。手が止まってるよ。」
最初はバイザー越しには分からなかった表情も、想像に容易くなっていた。けれど今となってはそれが正しく、彼女の本心が浮かぶ表情なのかは分からない。きっと、いつだって本音を言っている。でも、彼女はいつだって装っていたのだ。
自分が平気であることを、装っている。
「らしくないね。ここのところ、心此処にあらずって感じじゃない?」
お前のせいだ。
「悩みがあるなら聞こうか?」
△△は専用武器を停止すると肩に担いで隣に歩み寄る。
「…お前のせいだ。」
「え?なんかしちゃったかな?」
縁の下を支える柱の実態は、老朽化と虫害いにより腐食した柱だった。いつ折れてしまうかなど分からない。
本来であれば、既に戦場を退くべき人間。
「爆弾を抱えた人間が見えるところにいるのは邪魔だ。」
鳴海は不器用な人間だった。さりとて直球が過ぎる言葉は、誰かが言わなければならなかった。憐憫もなく、労りもなく、気遣いすら無い直球なそれに、△△はいつものように穏やかさを添えて答えた。
「でも、まだ君より強いよ。」
自信過剰でないことは痛いほどに知っている。
「ずっと気にしてくれてたんだね。大丈夫、引き際は自分で判断出来るよ。私の体なんだから、私が1番分かってる」
「分かってたらこんなとこにいねぇだろ。」
インカムより聞こえる撤収の合図。現場への介入終了、間もなく役割は次へと引き継がれることだろう。
彼女はそれをする気は無いようだが。
「四ノ宮隊長にも言われたなぁ…少し懐かしいや。」
話は終わりだと踵を返す背に激情をぶつける。
「そんな体でいつまで戦い続けるつもりだっ!お前を止められなかった人間に後悔を残すつもりか!?」
立ち止まる△△。
いつだって彼女は、自分の感情を優先するくせに、他者を簡単に蔑ろにはしようとしない。それでも、向き合う姿勢は時に相手を傷付ける。
△△はヘルメットを脱いだ。
「私には責任がある。この役割を自ら望んだ責任が。」
あの日、四ノ宮ヒカリが死んだ日。自分がやらねばならないと直感した。本懐を遂げようとも、残された者達が余波に押し潰されないように。導く力が必要だった。
まだ引けない。本当の意味でこの責任を捨てれることが出来る日が来るまで。
「悔しかったら私より強くなれよ。そんで、私を引きずり下ろせる立場になってみろ。…そういう場所だって言われたからここに来たんでしょう?」
鳴海に向けられたのは、悪辣にして好戦的な笑みだった。
虚勢もオブラートも全てをかなぐり捨てた表情は、元来の凶暴性。
本当の意味での剥き出しの本心。
それは△△なりの、激励だった。
未来を担ってみせろ。
「やってやるよっ…」
足掻く若者への、手向けの言葉だった。
「で、なんで急に引退する気になった?」
いつもの大衆酒場ではなく、小洒落たフレンチレストラン。長谷川がその店を選んだのは△△への労いからだった。長く前線の鋒を務めた彼女の為の、小さな慰労会。飲み干し、空になったグラスを置くと△△は微笑んだ。
「もう、いなくなって良いかなって思ったから。…欠陥品なりには、よくやったほうでしょう?」
「馬鹿を言うな。そんな風に思ってる奴は1人もいない。」
長谷川が副隊長へ昇進して暫く。先日、四ノ宮は鳴海へその立場を引き継ぐ旨を幹部一同に共有した。その席へは立場を超え、△△も招かれた。不貞腐れた表情を浮かべ、△△は鼻で笑ってやった。言われずとも、その意図を簡単に察したから。
「明日、鳴海が正式に隊長へ任命される。…待ってやっても良かっただろう。」
「やだよ…ムカつくじゃん。」
数年前、△△が告げた扇動に対する鳴海の答え。彼は有言実行と称するに相応しい功績をあげ、その象徴にまで手を掛けた。
「はぁ…そんなガキ臭いことを言う年齢じゃないだろ。」
「まだギリギリ二十代ですー!」
貼り付けた穏やかさを取り去った稚拙な態度。キーっと怒る姿は鳴海の前で吹かす先輩風など微塵もない。
「私を追い越して、四ノ宮隊長の後も愚直に追ってさ。あんな小生意気なガキが、凄いし偉いな〜とは思うんだよ?」
「なら最後くらい、ちゃんと背中を押してから退いてもいいだろ。」
「無理、絶対に言えない。私より強くなりやがって…それに第一の隊長なんて、ムカつきすぎて絶対に泣いちゃうよ。」
「…それだけじゃないだろう。」
身振り手振りで愚痴愚痴と喋る△△を長谷川は笑う。思わず涙してしまう理由は、悔しさだけでは無いだろうに。そういう本心を本人には清潭に告げることが出来るくせに、気の知れた中である古参達には言わない。
「長谷川さんだって本当は私の部下になってたかもしれないのに。鳴海君、絶対に仕事全部長谷川さんに丸投げするよ!私だったらそんなことしないのに!」
「否めないが…はぁ〜、いつまでも過ぎたことを言うんじゃない。」
第二部隊副隊長であった頃から変わらない、この気質。実力ある駄々っ子。小隊長に降格してからはそれを表に出さないようになったが、鳴海の前では隠しきれていなかったように思える。どうにか堪えながらやってきたが、引退を決めたことで崩れたのだろう。長谷川はそれが少し嬉しかった。彼女はようやく、背負う立場から降りたのだ。これからは少しでも本当の意味で穏やかに生きて欲しい。
「まあそんなことだろうと思ってな。場を設けておいたから安心しろ。」
「何それ…私、絶対行かないからね。もう辞表も功さんに渡したんだから。防衛隊の基地にも行かないよ。」
ふてぶてしく言う△△へ声を掛けるウェイター。空のグラスに注がれるシャンパンを持つ右手側、隣の席はナプキンと皿が整えられたままだ。
「あの子に言いたいことなんて、もう無い。」
「向こうはそうじゃないみたいだぞ。」
ボトルを戻したウェイターが席を離れると同時に、入れ替わりで別のウェイターが訪れる。遅れて来店した連れを案内して来たのだろう、見上げた人物に△△は硬直する。
ブスくれた表情で、鳴海が△△を見下ろしていた。
「…伊丹さんが来るって聞いてたんだけど?」
「これも転機だろう。去り際の清算はキチンとしろ。」
話は終わりだと席を立ち、退店する長谷川を苦々しげに見送る△△。勿論支払いは済ませていた。
入れ替わるように、空いていた席に品性の欠片もなくドカリと座る鳴海。
「挨拶の一つもなくいなくなりやがって。」
「…実際、あなたは私より強くなった。私の役目はもう終わった。弱者から強者へ、掛ける言葉が必要ある?」
たおやかな笑みを添えて吐き出される、逸脱した理論。在籍時より△△は、鳴海に対して甘える姿勢は見せなかった。捨てた矜持が戻ってくる。もうそんな必要はないというのに。
前髪の隙間から覗く赤い眼がジッと△△を捉える。
不器用な奴。
△△とて、鳴海にだけは思われたくもないだろうに。
「もうお前が戦わなくても大丈夫だ。」
「うん、知ってる。」
「だから安心して辞めろ。」
「うん、もう引退した。」
「…これからどうするんだ?」
「さぁね。しがないOLにでもなろっかな。」
シャンパンを呷る△△は、鳴海を一切見ない。彼女らしかった。部下の成長に伴い日を追って増す劣等感は、古巣と共に捨てて来たつもりだった。しかし目を背けずに向き合ってきたそれが、逃げきたその人は。自ら△△の前に訪れた。
「これ以上、私に何を言いたいの?」
分かっている。鳴海がそういうつもりで此処に来たわけでないことを。全てを隠さないことが誠意などとは思わない。けれど彼に対しては、それでも、併発する感情は抑えきれなかった。
彼女の側面を知っているから、鳴海も引退における労いをかけるつもりは一切ない。
それとこれとも関係なく、彼は△△に伝えたい気持ちがあった。
「…お前のせいで、ケーキが食えなくなった。」
呆気に取られる△△。防衛隊隊員としての側面が消え失せる。劣等感を向ける後輩としてでもなく、新隊長として向ける羨望もなく。イチ個人としての眼差しで、彼女は鳴海を見た。
「それは…ごめん。」
蘇るのは、思い出というには傷として残る誕生日の記憶。痛みに歪み霞む視界で捉えた彼が自分を見下ろす表情を、今でもよく覚えている。
「あーんも受け付けなくなった。」
恋愛経験の有無を話したことなどないが、その口振りから自分のやらかしが与えた傷を今でも鳴海が抱えていることを察し、△△は顔を曇らせる。
「…えぇ、じゃあ今試してみる?」
しかして、△△の発言はやはり常軌を逸脱していた。申し訳ないと思えど、気遣いとかは皆無である。
美しく盛り付けられた料理は既に手を付けられ、形を崩していた。その食べかけの皿にフォークを突き立て、複雑に味付けられた魚の一片を持ち上げる。
「はい、あーん。」
差し出された料理を見つめてから、鳴海はパクリと食い付いた。
「あはは、とっくに克服してるじゃん。大きくなったね鳴海君。」
いたずらっぽく、柔く微笑む△△。咀嚼し、しっかり飲み込んでから鳴海は口を開いた。
「お前が好きだ、△△〇〇。」
再び、硬直する△△。
「僕がお前より強くなっても、この気持ちは変わらなかった。」
鳴海の目に映る彼女はいつだって眩しかった。憧れと対抗心から追い続けたその背の先を行っても、今なおその眩さは変わらない。
だったら、この感情に名前をつけるとするなら。
「責任取れ。」
それはきっと、恋だった。
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