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「無理。」
間髪入れずに吐き捨てられた言葉は鋭く、嫌気に満ちている。汗をかいたグラス。アイスティーの中に浮かぶ氷が溶け出すタイミングを見計らったようにカランと揺れる。甘酸っぱい期待と絞り出した勇気の末、口に出した一世一代の告白は両断された。
「あ゙?なんでだよ?」
恥じらうどころか検討する余地もなく、付け入る隙もない反応に思わず低い声が出る。〇〇はダルそうな仕草で両手に持っているスマホをテーブルの上に置くと、座ったままグッと手足を伸ばす。
「弦ってさ〜、…一言で表せないけど。付き合ったらダルそう。」
「……はぁ〜〜?」
「なんてーか、仕事は忙しそうだし。休みはゲームばっかしてて構ってくんなそうだし。部屋は相変わらず汚そーだし。最終的に家政婦になりそう。だから無理。」
「うっ、ぐ、そうとは限らないだろが!」
「私さ、重めの女だから構ってくれる人じゃないと無理なんだよね。尽くした分返してくれる人がいい。高収入だと尚良し。」
「はっ、理想の結婚相手ってか?今どき僕以上に高収入な優良物件がゴロゴロ転がってるわけないだろ。」
「だから特定の相手作ってないんだってば。気ぃ遣って関係維持すんのもストレスだから。なんで、私の本命はいつも1人。」
〇〇はスマホの画面を開くとスッと鳴海に差し出した。覗き込んだ画面に映るのは某有名動画サイトのマイページ。綺麗に整えられた爪先がタップし開いた動画に映る、なんだか顔の良さげな男。片手にはガンドムのプラモを持っている。
「ほら、推しのカグヤくん。イケメンでしょ?だからリアルに構ってる暇は、」
「納得いくかボケェ!!!」
喫茶店の片隅にて、落ち着いた空間の中で鳴海は不本意ながら大声を響かせた。
健気な恋心をクソ適当な態度で、しかもクソみたいな理由(※個人差があります)で一蹴に付された鳴海は数日経っても腹の虫が収まらなかった。血眼で見つめるスマホの画面は某SNSサイトにおける〇〇のアカウントページ。投稿はおおむねカグヤくんに関する内容だ。画面を捲っても捲っても公式アカウントの配信予告のシェアや引用等々、見るに堪えない推し活コメばかりだ。なんだこれは。裏アカか?リアアカと混同してんのかあいつ?まじしゅきぴ、じゃねぇよクソ。いつから推してんだこれ。段々とカグヤくんに対する理不尽な怒りと嫉妬は高まっていく。吊り目がちな二重のイケメン。脱力系だが傍若無人な振る舞いのギャップがファンの間で人気らしい。主にガンドムのプラモを組み立てる作業配信やらゲームの実況動画を投稿しているようだ。見れば見るほど結局顔なんじゃねーか、イケメンというスペックに惹かれてるんじゃないかとムカッ腹が立つが鳴海はあることに気がつく。
「おい、会議の時間だ。いい加減俺の迎えが無くても出席時間を守れるようになれ…何してる?」
無遠慮に隊長室の扉を開いた長谷川は訝しい顔をする。乱雑に敷かれた布団の上ではなく、珍しく上役用に設えられた机の前に座す鳴海。シックで高級感のある両袖机の上で何かを食い入るように見つめている。無言で近付き状況を把握してから長谷川は後悔した。鳴海が顎に手を添え真面目な顔つきで見ていたのは卓上ミラーだった。プライベートな空間ならまだしも隊長室であることはこの際仕方ないとして、長谷川が部屋に入ってきたのに気付いてないわけじゃ無かろうに。ナルシストも悪化傾向にあってはままならない。天与二物、否。生まれついてのパラメーター配分ミスが正解だろう。最近、この男に何を言おうか考えると頭が痛くなる。致し方ないが本日も物理行使でいかせてもらおうと、懐からハリセンを取り出した時だった。
「なぁ長谷川。」
「な、なんだ。どうしたんだ?」
向けられた表情と声音の生真面目さに怯んで動きを止める長谷川。鳴海はスマホの画面を長谷川に向けた。画面に映る気怠げに笑うイケメンは片手にガンドムのプラモを持っている。
「僕とこいつ、似てると思わないか?てか同じ系統のイケメン?」
発言の直後、壁や窓ガラスを貫通するほどの発破音が辺りに響いた。第1部隊の面々にとっては聞き慣れたハリセンを打つ音である。
あれは小学校の頃の話。
「あんたって、ほんとバカだよねー。」
「うっせぇ。」
ひょこひょこと片足で歩く鳴海に肩を貸してやる〇〇。ゆっくりとした歩みで進む先は公園の水飲み場だ。転んで盛大に擦りむいた膝が痛くて眉間にシワは寄りっぱなし。
「せっかくいい感じの木の枝見つけたのに、おいてくはめになったじゃんかー。」
「じゃあほっときゃいいだろブス。」
「まぁまぁ、ここで弦の世話して点数かせいどいた方がきっと良いことあるだろうし。そう怒んなって。」
「怒ってねーし痛くもねーから!」
「ガキだな〜。ほら、足ここおいて。」
水飲み場の側面から突き出た蛇口の下に膝を出すと、〇〇は勢いよく水栓の取手を回した。ドバっと出た水が傷に掛かり鳴海は思わず声を上げる。
「いっっ、てぇな!!バカ!!」
先程までの素直になれない恥じらいから出た悪態じゃなく、心の底からの罵倒だった。
「信じらんねぇ!普通もっとゆっくり出すだろ!」
「ごめんごめん。でもほら、綺麗になってきたんじゃない?」
まったく気にしてなさそうな〇〇は水を止めると鳴海を連れてベンチへ向かう。並んで座り、スカートのポッケからピンク色をした布地のカバーに包まれたポケットティッシュを取り出して、鳴海の傷をポフポフと拭いてやる。
「ほら?こんくらいなら痛くないでしょ?」
「…ちょっと痛い。」
「ん〜わがままだな〜。」
〇〇はピンクのケースから絆創膏を出すと、慣れた手付きで鳴海の膝に貼ってやった。
「これで大丈夫だね!」
「お前…いっつもそんなん持ってんのか?」
「そうだよ。弦がいっつも怪我するから持っててあげてんの。えらいでしょ?」
ニッとはにかむに〇〇、あの時なんて言ったんだったか。
所謂腐れ縁、幼馴染。鳴海と〇〇の付き合いは長いが思い返す限り、〇〇はいつも用意が良かった。絆創膏だけじゃない。宿題が終わってないのを見越して写させるためノートを持ってきてくれたり、弁当を忘れた時は一緒に購買へパンを買いに行こうと誘いに来たり。雨が降ってる時は折り畳み傘を貸してくれたり。気立てが良いと言うか、何かと尽くしてくるというか。昔からそんな仲だったから、普通だと思ってたことが違うと分かったのはクラスの男子にからかわれた時だろう。
「鳴海って〇組の女子と付き合ってるよな?」
「はぁ?…別に、あいつはそんなんじゃ。」
「なんてーの?押しかけ女房って言うんだろ?」
カラカラと笑いながら適当なこと言ってくる奴らが気に入らなくて喧嘩したり、そこから〇〇と話したり一緒に帰ったりするのが気まずくなって。
距離が開いてからしばらく、昔の関係の再構築を図ったのは鳴海の方からだった。身寄りはなく施設出身の鳴海。防衛隊の試験に合格し入隊が決まってから、覚悟までとは言わずとも。戦って死んでいく可能性を考えた。此処が自分の居場所になるならばそれも構わないかもしれない。しかし、そう考えたときによぎったのは〇〇の事だった。同じ施設出身の〇〇はいわば身内に1番近い関係性で。訃報くらいはいくようにしてやろうと思ったのだ。連絡先が変わっていなかったのは幸いで、〇〇はあの頃と変わらず鳴海に接した。高校卒業後にすぐ就職し、どうにか今まで1人で生きていたようで。懐かしくも温かな気持ちが巡った。肉体の成長と共に少しは成熟したからか。彼女の優しさを受け入れられる頃には、向ける感情は身内に対するそれから恋に変わっていた。
「んで、こんな夜中にどうしたのよ。」
マンションの玄関先で目元を擦る〇〇の正面に立つ鳴海。寝ていたのだろう。薄着でかなり無防備な格好だ。訪ねてきたのが自分だと分かっていても複雑な気持ちになる。そんな格好で外に出るな、防犯意識はどうなってんだこいつ、と。心配になるのは好いてる相手だからか。
「防衛隊のトップ戦力がこんな時間に一般人の家に来てて良いわけ?」
「明日は一応非番だからな。緊急の招集がなければどうとでもなる。」
「こりゃ驚いたわ。労働基準法は最高戦力にも適用されんだね…安心した。」
気の抜けた表情で欠伸をする〇〇は、数日前に告白を受けたことなどまるで覚えていないかのようだ。
「あがってく?」
「その前に話の続きだ。」
家にまねこうと踵を返しかける動きをピタリと止め、〇〇は無言で振り返る。
「…ちゃんと断ったと思うけど。」
腕を組んで玄関先によりかかると、不満気に鳴海を見上げる〇〇。
「僕は納得していない。」
「だから…色々加味して弦は無いんだってば。面倒くさいな。」
「面倒くさいのはお前だろ。」
鳴海は取り出したスマホの画面を〇〇に向ける。
「僕に似てるからってこんなやつで代替しやがって。本物がいんだからそっちを推しゃいいだろが。」
「…ほんっと、自意識過剰だよね。」
蔑むように吐き出した言葉と相反して、細めた眼差しがスッと下を向く。目は口ほどにとはよく言ったもので、しかして鳴海は彼女の事をよく理解していた。口は虚勢を吐こうと後ろめたさが隠しきれていない。
「こいつのアーカイブを部下に見せたがな。顔のみならず、なんだか僕に似てるとこが多くて腹が立ってくるとほざいてたぞ。」
「やめてよ、弦はともかく私の生き甲斐を貶さないで。」
「はぁ〜?!同じ穴の狢だろが!!」
「どこでそんな賢い言葉を覚えてっ、ていうかこんな夜中に大声出さないで!」
〇〇は鳴海の腕を掴むと玄関に引きずり込んで扉を閉める。
「あんた自分の立場分かってんの?防衛隊のトップ戦力が夜中に女の家に来てるなんて。スクープでもされたら面倒くさいでしょうが。」
月明かりを失い、暗闇に包まれた玄関。壁伝いに手探りで照明のスイッチを探る手を、今度は勢いよく掴まれる。姿勢を崩し、押し付けられる形で壁に背を預けた〇〇。
「僕は構わない。取材が来るならその時、正式な恋人だと答えるつもりだ。」
〇〇は暗がりの中で闇に目がなれずとも、鳴海がどういう表情をしてるのか容易に想像できた。顔を背けたい、それでも目を逸らせないのは。真摯な気持ちを受け止めてとか御立派な心理の上でなく。もっと本能的な、有無を言わせない気迫があるから。昔からそうだった。初めて会った時からずっと、時々彼を怖いと思うことがある。だからといって自分からは距離を置かず、そばに居続けたのは。孤独に見えた彼に対する同情と心配と、家族っぽい愛着と、それから…
「お前、僕のことがずっと好きなんだろ。」
じわりと吹き出す熱に合わせて、不明瞭になる輪郭。〇〇は耐えきれずに、下を向いた。指先が触れる空気がやけに冷たくて、でも彼が掴んだ手の触れ合う部分はやけに熱くて。
「…やっぱ、無理。これ以上踏み込んだ関係にはなりたくない。」
「なんで。好きなら別に構わないだろ。」
震える声が紡ぐ否定には、あらゆる意味と感情が絡まっていた。鳴海はそのうち、マイナスな面は全て無視して都合の良い答えだけを引っ張った。鳴海が上にのぼりつめた理由の一つだが、乙女心とは非常に繊細な造りである。フツフツと、怒りが湧いてくる。学生時代の澱。彼の言う通りだ。好きだったから、今でも好きなままだからこそ黙って飲み込んでいた不満が腹の底から湧き出して来る。
「弦っていっつもそうだよね。こっちは色々思ってるのに、そういう問題は後回しにして自分の主張だけ誇示してさっ。」
思っていたより大きな声が出たことに、〇〇自身驚いた。しかし歯止めは効かなかった。
「勝手に一緒に帰んなくなって、勝手に距離置いたくせに、勝手に連絡してきて、勝手に防衛隊なんかに入ってさ、…どうせそのまま勝手に死ぬんでしょ?」
もっとたくさん言ってやりたかったけど、段々と弱々しくなっていく声音。不完全燃焼であるが仕方がなかった。怒りの根源が悲しみであるなら、言葉が長く続くはずも無い。あの頃の悲しみ。好きだった人が、それでいて家族のように思っていた人が離れていく寂しさと悲しみなんて、あれが最初で最後だったから。
「急にいなくなられたらさ、傷付いたままずっと苦しいのは私だけじゃん。」
無理だった。本当の意味で愛する人になってしまったら、失ったときにどうなってしまうか分からない。
「…無理だよ。弦とはやっぱ、む、っ、ん…」
触れ合っているのが唇だなんてことは、すぐに気が付いた。言葉ごと飲み込んだそれに、目を閉じる。力で敵わないことは分かっているけど、掴まれたままの指を包む手が優しくて。逃さないって気迫の中に垣間見えた柔らかな愛を、叩き返すことが出来なかった。ゆっくり離れると、腕ごと抱き締められる。いつの間にこんなに大きく、たくましくなったのか。小さかったあの頃の彼が遠く感じる。
「一回はなれて、また近付いてから分かった。僕にはお前だけだ。だから傍にいて欲しいし、誰かのものになられたくない。」
「論点が、違うじゃん。」
「安心しろ、僕は死なん。防衛隊最強だからな。」
「…ゔ〜」
情けなく泣き出す○○の肩を握り締める。どうあがいても、結局好きなことには変わりないから。鳴海の強引さに、踏みとどまっていた葛藤が壊落していく。
「そもそも、〇〇だって僕より先に死ぬ可能性はあるんだぞ?車に跳ねられたりしてな。」
「そんなん、絶対にないよ〜っ、」
「いいや、可能性は充分あるね。だから僕と付き合わなかったら、お前は死ぬ時絶対に後悔する。大人しく恋人になれ。」
盲点を突かれいよいよ逃げ道を塞がれた〇〇に、鳴海はもう一度。今度はより深いキスを落とした。
人生どうなるかなんて分からないなら、いま気にしても仕方ない。なら目前の望みに従って生きたほうがいくらかは得だろう。誰もが難しく捉える選択の仕方を鳴海は分かっていた。
「…あれ?〇〇さん、カグヤくん推すのやめちゃったんですか?」
「んー…まぁ…そう、ね。」
透明なスマホカバーに挟んでいたカグヤくんのアイコンステッカー。数日前にやむなく捨てることになったそれが消えていることに目敏く気が付いた同僚。
「え〜!あんな激推ししてたのに!新しい推しでもできたんですか?」
「……そんなとこかな。」
トーク画面に表示される、「何時に帰る?」のメッセージ。半分くらいは純粋な気持ちで推していたというのに、グッズを含めて強制断捨離させられることになった経緯は死ぬまで教えられないだろう。時計をチラ見した〇〇は、予定してた残業時間より早い時間を送信して画面を閉じるのだった。
間髪入れずに吐き捨てられた言葉は鋭く、嫌気に満ちている。汗をかいたグラス。アイスティーの中に浮かぶ氷が溶け出すタイミングを見計らったようにカランと揺れる。甘酸っぱい期待と絞り出した勇気の末、口に出した一世一代の告白は両断された。
「あ゙?なんでだよ?」
恥じらうどころか検討する余地もなく、付け入る隙もない反応に思わず低い声が出る。〇〇はダルそうな仕草で両手に持っているスマホをテーブルの上に置くと、座ったままグッと手足を伸ばす。
「弦ってさ〜、…一言で表せないけど。付き合ったらダルそう。」
「……はぁ〜〜?」
「なんてーか、仕事は忙しそうだし。休みはゲームばっかしてて構ってくんなそうだし。部屋は相変わらず汚そーだし。最終的に家政婦になりそう。だから無理。」
「うっ、ぐ、そうとは限らないだろが!」
「私さ、重めの女だから構ってくれる人じゃないと無理なんだよね。尽くした分返してくれる人がいい。高収入だと尚良し。」
「はっ、理想の結婚相手ってか?今どき僕以上に高収入な優良物件がゴロゴロ転がってるわけないだろ。」
「だから特定の相手作ってないんだってば。気ぃ遣って関係維持すんのもストレスだから。なんで、私の本命はいつも1人。」
〇〇はスマホの画面を開くとスッと鳴海に差し出した。覗き込んだ画面に映るのは某有名動画サイトのマイページ。綺麗に整えられた爪先がタップし開いた動画に映る、なんだか顔の良さげな男。片手にはガンドムのプラモを持っている。
「ほら、推しのカグヤくん。イケメンでしょ?だからリアルに構ってる暇は、」
「納得いくかボケェ!!!」
喫茶店の片隅にて、落ち着いた空間の中で鳴海は不本意ながら大声を響かせた。
健気な恋心をクソ適当な態度で、しかもクソみたいな理由(※個人差があります)で一蹴に付された鳴海は数日経っても腹の虫が収まらなかった。血眼で見つめるスマホの画面は某SNSサイトにおける〇〇のアカウントページ。投稿はおおむねカグヤくんに関する内容だ。画面を捲っても捲っても公式アカウントの配信予告のシェアや引用等々、見るに堪えない推し活コメばかりだ。なんだこれは。裏アカか?リアアカと混同してんのかあいつ?まじしゅきぴ、じゃねぇよクソ。いつから推してんだこれ。段々とカグヤくんに対する理不尽な怒りと嫉妬は高まっていく。吊り目がちな二重のイケメン。脱力系だが傍若無人な振る舞いのギャップがファンの間で人気らしい。主にガンドムのプラモを組み立てる作業配信やらゲームの実況動画を投稿しているようだ。見れば見るほど結局顔なんじゃねーか、イケメンというスペックに惹かれてるんじゃないかとムカッ腹が立つが鳴海はあることに気がつく。
「おい、会議の時間だ。いい加減俺の迎えが無くても出席時間を守れるようになれ…何してる?」
無遠慮に隊長室の扉を開いた長谷川は訝しい顔をする。乱雑に敷かれた布団の上ではなく、珍しく上役用に設えられた机の前に座す鳴海。シックで高級感のある両袖机の上で何かを食い入るように見つめている。無言で近付き状況を把握してから長谷川は後悔した。鳴海が顎に手を添え真面目な顔つきで見ていたのは卓上ミラーだった。プライベートな空間ならまだしも隊長室であることはこの際仕方ないとして、長谷川が部屋に入ってきたのに気付いてないわけじゃ無かろうに。ナルシストも悪化傾向にあってはままならない。天与二物、否。生まれついてのパラメーター配分ミスが正解だろう。最近、この男に何を言おうか考えると頭が痛くなる。致し方ないが本日も物理行使でいかせてもらおうと、懐からハリセンを取り出した時だった。
「なぁ長谷川。」
「な、なんだ。どうしたんだ?」
向けられた表情と声音の生真面目さに怯んで動きを止める長谷川。鳴海はスマホの画面を長谷川に向けた。画面に映る気怠げに笑うイケメンは片手にガンドムのプラモを持っている。
「僕とこいつ、似てると思わないか?てか同じ系統のイケメン?」
発言の直後、壁や窓ガラスを貫通するほどの発破音が辺りに響いた。第1部隊の面々にとっては聞き慣れたハリセンを打つ音である。
あれは小学校の頃の話。
「あんたって、ほんとバカだよねー。」
「うっせぇ。」
ひょこひょこと片足で歩く鳴海に肩を貸してやる〇〇。ゆっくりとした歩みで進む先は公園の水飲み場だ。転んで盛大に擦りむいた膝が痛くて眉間にシワは寄りっぱなし。
「せっかくいい感じの木の枝見つけたのに、おいてくはめになったじゃんかー。」
「じゃあほっときゃいいだろブス。」
「まぁまぁ、ここで弦の世話して点数かせいどいた方がきっと良いことあるだろうし。そう怒んなって。」
「怒ってねーし痛くもねーから!」
「ガキだな〜。ほら、足ここおいて。」
水飲み場の側面から突き出た蛇口の下に膝を出すと、〇〇は勢いよく水栓の取手を回した。ドバっと出た水が傷に掛かり鳴海は思わず声を上げる。
「いっっ、てぇな!!バカ!!」
先程までの素直になれない恥じらいから出た悪態じゃなく、心の底からの罵倒だった。
「信じらんねぇ!普通もっとゆっくり出すだろ!」
「ごめんごめん。でもほら、綺麗になってきたんじゃない?」
まったく気にしてなさそうな〇〇は水を止めると鳴海を連れてベンチへ向かう。並んで座り、スカートのポッケからピンク色をした布地のカバーに包まれたポケットティッシュを取り出して、鳴海の傷をポフポフと拭いてやる。
「ほら?こんくらいなら痛くないでしょ?」
「…ちょっと痛い。」
「ん〜わがままだな〜。」
〇〇はピンクのケースから絆創膏を出すと、慣れた手付きで鳴海の膝に貼ってやった。
「これで大丈夫だね!」
「お前…いっつもそんなん持ってんのか?」
「そうだよ。弦がいっつも怪我するから持っててあげてんの。えらいでしょ?」
ニッとはにかむに〇〇、あの時なんて言ったんだったか。
所謂腐れ縁、幼馴染。鳴海と〇〇の付き合いは長いが思い返す限り、〇〇はいつも用意が良かった。絆創膏だけじゃない。宿題が終わってないのを見越して写させるためノートを持ってきてくれたり、弁当を忘れた時は一緒に購買へパンを買いに行こうと誘いに来たり。雨が降ってる時は折り畳み傘を貸してくれたり。気立てが良いと言うか、何かと尽くしてくるというか。昔からそんな仲だったから、普通だと思ってたことが違うと分かったのはクラスの男子にからかわれた時だろう。
「鳴海って〇組の女子と付き合ってるよな?」
「はぁ?…別に、あいつはそんなんじゃ。」
「なんてーの?押しかけ女房って言うんだろ?」
カラカラと笑いながら適当なこと言ってくる奴らが気に入らなくて喧嘩したり、そこから〇〇と話したり一緒に帰ったりするのが気まずくなって。
距離が開いてからしばらく、昔の関係の再構築を図ったのは鳴海の方からだった。身寄りはなく施設出身の鳴海。防衛隊の試験に合格し入隊が決まってから、覚悟までとは言わずとも。戦って死んでいく可能性を考えた。此処が自分の居場所になるならばそれも構わないかもしれない。しかし、そう考えたときによぎったのは〇〇の事だった。同じ施設出身の〇〇はいわば身内に1番近い関係性で。訃報くらいはいくようにしてやろうと思ったのだ。連絡先が変わっていなかったのは幸いで、〇〇はあの頃と変わらず鳴海に接した。高校卒業後にすぐ就職し、どうにか今まで1人で生きていたようで。懐かしくも温かな気持ちが巡った。肉体の成長と共に少しは成熟したからか。彼女の優しさを受け入れられる頃には、向ける感情は身内に対するそれから恋に変わっていた。
「んで、こんな夜中にどうしたのよ。」
マンションの玄関先で目元を擦る〇〇の正面に立つ鳴海。寝ていたのだろう。薄着でかなり無防備な格好だ。訪ねてきたのが自分だと分かっていても複雑な気持ちになる。そんな格好で外に出るな、防犯意識はどうなってんだこいつ、と。心配になるのは好いてる相手だからか。
「防衛隊のトップ戦力がこんな時間に一般人の家に来てて良いわけ?」
「明日は一応非番だからな。緊急の招集がなければどうとでもなる。」
「こりゃ驚いたわ。労働基準法は最高戦力にも適用されんだね…安心した。」
気の抜けた表情で欠伸をする〇〇は、数日前に告白を受けたことなどまるで覚えていないかのようだ。
「あがってく?」
「その前に話の続きだ。」
家にまねこうと踵を返しかける動きをピタリと止め、〇〇は無言で振り返る。
「…ちゃんと断ったと思うけど。」
腕を組んで玄関先によりかかると、不満気に鳴海を見上げる〇〇。
「僕は納得していない。」
「だから…色々加味して弦は無いんだってば。面倒くさいな。」
「面倒くさいのはお前だろ。」
鳴海は取り出したスマホの画面を〇〇に向ける。
「僕に似てるからってこんなやつで代替しやがって。本物がいんだからそっちを推しゃいいだろが。」
「…ほんっと、自意識過剰だよね。」
蔑むように吐き出した言葉と相反して、細めた眼差しがスッと下を向く。目は口ほどにとはよく言ったもので、しかして鳴海は彼女の事をよく理解していた。口は虚勢を吐こうと後ろめたさが隠しきれていない。
「こいつのアーカイブを部下に見せたがな。顔のみならず、なんだか僕に似てるとこが多くて腹が立ってくるとほざいてたぞ。」
「やめてよ、弦はともかく私の生き甲斐を貶さないで。」
「はぁ〜?!同じ穴の狢だろが!!」
「どこでそんな賢い言葉を覚えてっ、ていうかこんな夜中に大声出さないで!」
〇〇は鳴海の腕を掴むと玄関に引きずり込んで扉を閉める。
「あんた自分の立場分かってんの?防衛隊のトップ戦力が夜中に女の家に来てるなんて。スクープでもされたら面倒くさいでしょうが。」
月明かりを失い、暗闇に包まれた玄関。壁伝いに手探りで照明のスイッチを探る手を、今度は勢いよく掴まれる。姿勢を崩し、押し付けられる形で壁に背を預けた〇〇。
「僕は構わない。取材が来るならその時、正式な恋人だと答えるつもりだ。」
〇〇は暗がりの中で闇に目がなれずとも、鳴海がどういう表情をしてるのか容易に想像できた。顔を背けたい、それでも目を逸らせないのは。真摯な気持ちを受け止めてとか御立派な心理の上でなく。もっと本能的な、有無を言わせない気迫があるから。昔からそうだった。初めて会った時からずっと、時々彼を怖いと思うことがある。だからといって自分からは距離を置かず、そばに居続けたのは。孤独に見えた彼に対する同情と心配と、家族っぽい愛着と、それから…
「お前、僕のことがずっと好きなんだろ。」
じわりと吹き出す熱に合わせて、不明瞭になる輪郭。〇〇は耐えきれずに、下を向いた。指先が触れる空気がやけに冷たくて、でも彼が掴んだ手の触れ合う部分はやけに熱くて。
「…やっぱ、無理。これ以上踏み込んだ関係にはなりたくない。」
「なんで。好きなら別に構わないだろ。」
震える声が紡ぐ否定には、あらゆる意味と感情が絡まっていた。鳴海はそのうち、マイナスな面は全て無視して都合の良い答えだけを引っ張った。鳴海が上にのぼりつめた理由の一つだが、乙女心とは非常に繊細な造りである。フツフツと、怒りが湧いてくる。学生時代の澱。彼の言う通りだ。好きだったから、今でも好きなままだからこそ黙って飲み込んでいた不満が腹の底から湧き出して来る。
「弦っていっつもそうだよね。こっちは色々思ってるのに、そういう問題は後回しにして自分の主張だけ誇示してさっ。」
思っていたより大きな声が出たことに、〇〇自身驚いた。しかし歯止めは効かなかった。
「勝手に一緒に帰んなくなって、勝手に距離置いたくせに、勝手に連絡してきて、勝手に防衛隊なんかに入ってさ、…どうせそのまま勝手に死ぬんでしょ?」
もっとたくさん言ってやりたかったけど、段々と弱々しくなっていく声音。不完全燃焼であるが仕方がなかった。怒りの根源が悲しみであるなら、言葉が長く続くはずも無い。あの頃の悲しみ。好きだった人が、それでいて家族のように思っていた人が離れていく寂しさと悲しみなんて、あれが最初で最後だったから。
「急にいなくなられたらさ、傷付いたままずっと苦しいのは私だけじゃん。」
無理だった。本当の意味で愛する人になってしまったら、失ったときにどうなってしまうか分からない。
「…無理だよ。弦とはやっぱ、む、っ、ん…」
触れ合っているのが唇だなんてことは、すぐに気が付いた。言葉ごと飲み込んだそれに、目を閉じる。力で敵わないことは分かっているけど、掴まれたままの指を包む手が優しくて。逃さないって気迫の中に垣間見えた柔らかな愛を、叩き返すことが出来なかった。ゆっくり離れると、腕ごと抱き締められる。いつの間にこんなに大きく、たくましくなったのか。小さかったあの頃の彼が遠く感じる。
「一回はなれて、また近付いてから分かった。僕にはお前だけだ。だから傍にいて欲しいし、誰かのものになられたくない。」
「論点が、違うじゃん。」
「安心しろ、僕は死なん。防衛隊最強だからな。」
「…ゔ〜」
情けなく泣き出す○○の肩を握り締める。どうあがいても、結局好きなことには変わりないから。鳴海の強引さに、踏みとどまっていた葛藤が壊落していく。
「そもそも、〇〇だって僕より先に死ぬ可能性はあるんだぞ?車に跳ねられたりしてな。」
「そんなん、絶対にないよ〜っ、」
「いいや、可能性は充分あるね。だから僕と付き合わなかったら、お前は死ぬ時絶対に後悔する。大人しく恋人になれ。」
盲点を突かれいよいよ逃げ道を塞がれた〇〇に、鳴海はもう一度。今度はより深いキスを落とした。
人生どうなるかなんて分からないなら、いま気にしても仕方ない。なら目前の望みに従って生きたほうがいくらかは得だろう。誰もが難しく捉える選択の仕方を鳴海は分かっていた。
「…あれ?〇〇さん、カグヤくん推すのやめちゃったんですか?」
「んー…まぁ…そう、ね。」
透明なスマホカバーに挟んでいたカグヤくんのアイコンステッカー。数日前にやむなく捨てることになったそれが消えていることに目敏く気が付いた同僚。
「え〜!あんな激推ししてたのに!新しい推しでもできたんですか?」
「……そんなとこかな。」
トーク画面に表示される、「何時に帰る?」のメッセージ。半分くらいは純粋な気持ちで推していたというのに、グッズを含めて強制断捨離させられることになった経緯は死ぬまで教えられないだろう。時計をチラ見した〇〇は、予定してた残業時間より早い時間を送信して画面を閉じるのだった。