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元々、人前で笑うのは好きじゃない。でも、私はいつも笑っている。小さい頃からずっとそう。笑っていると皆が褒めてくれるから。可愛いとか、愛嬌があるとか、接しやすいとか。成長するにつれて綺麗な笑顔のコツを覚えて、私の笑みは完璧に近付きつつあるのだ。目尻を下げ、口角を上げて歯を見せる。そう、これだけでたいていの人は皆同じように笑ってくれる
アイドルになりませんか?って突然声を掛けられた時は流石に身構えたけど。胡散臭い勧誘かと思ってお茶を濁して逃げようと思ったけど、去り際に押し付けられた名刺がなんだか引っ掛かって。親に見せたら調べてくれて、実在するプロダクションであることが判明して。しかも超有名!だからもう、両親は有頂天でアイドル目指しましょうって大喜び。高校2年生の夏、私はその時も笑って頷いた。
それからずっと頑張った。歌もダンスも、ファンサービスも。イベントを開かせてもらって、何度も知らない人と握手して。応援してます!頑張ってください!〇〇さんの笑顔最高です!ポジティブな言葉を掛けてくれる人達にはいつも元気付けられた。〇〇って新人マジ調子乗ってる。早く辞めればいいのに。作り笑顔が見え見え。マイナスなコメントにも時には傷付きながら、なるべく改善しようとしたり、気にしないようにしたりの日々。
そこそこ知名度も上がってきた頃、あるイベントでアイドルの評論家みたいな人の目にとまったのは超ラッキーで。SNSでバズって鰻登りに超有名になった頃。おっきい舞台で今までで1番多くの人に私を見てもらった。最高の気分で、もうなにもかもやりきって、長い階段を登りきったみたいだった。
問題は、一番高いとこをみた後だった。ジェットコースターが急落下するみたいなテンションで、モチベも急降下した。何をするのも無気力で、やる気が出なくて。何のために皆を喜ばそうとしてんのか、どうして笑わなきゃいけないのか。何もわからなくなっちゃった。
ただ、一応超有名アイドルだから色んなお仕事は絶え間なく舞い込んでくるわけで。生活もあるし将来のこともあるからお仕事だと思って頑張って続けた。ただ、どうしてもモチベがないと、やりたくないことって言うのは辛くなっていくわけで。
鬱々としていた日々を過ごす中で、運命の日はやってきた。
「生で見ると、なんか作り笑い感が増すな。」
凪いだように静まり返った空間。時が止まっているのは私とこの男の間だけではないみたいだ。
完璧に完成していた私の笑顔は、その日初めて震えた。アンチに打ちひしがれたのではない。面と向かって核心を突かれて想像を絶するダメージを負ったのだ。
「…っ、おい!」
微妙な空気になってしまいどうしたもんかと周りが沈黙を貫く中、最初に声を発したのは諸悪の根源たる男、鳴海弦だった。
焦る男が見るのは正面に立つ私。まだ、ここが控室で本当に良かったと思えるのはさすがのプロ意識。しかし冷静な精神とは真逆で言動は理性に従わない。従えることが出来ないほど、私は限界ギリギリのラインに立ってたみたい。
「な゙っ、なんでそんなこと言うのよっ…」
もう視界に映るもの全てを認識するのすらつらくて、ギュッと閉じた両目からボロボロと零れ続ける大粒の涙。自分ではどうすることもできずよくわからないくらい大きな嗚咽を出しながら手の甲や指で涙を拭う。驚いているのは賓客の方々よりもマネージャー含むスタッフ陣だろう。当たり前だ。いまだかつてこんな情けない姿見せたことない。しかも人前で。
「〇〇ちゃん〜、ど、ど、どうしちゃったの急に〜!!ご、ごめんなさいね〜、この子疲れてるのかもっ。」
いつも凛々しく優しい最高のマネージャー。品性たっぷりな普段の佇まいから想像できないくらい慌てている。ブランド物の小さなショルダーバッグからポケットティッシュを取り出すと私の顔をソフトタッチで拭き始める。
ガンっと鈍い音がしたかと思うと、背が高くてガタイの良いスキンヘッドのちょっぴり怖いおじさんが、鳴海弦の頭を鷲掴んで下げてくる。
「初対面でいきなり無礼千万な発言をしてしまい、誠に申し訳ない。この通りだ。」
何も悪いことしてないのに、冷や汗を滲ませながら謝るおじさんになんだかこっちが申し訳なくなってきた。
今回のお仕事はズバリ「密着・防衛隊!!☆最強の男24h☆」だ。第1部隊長、鳴海弦は防衛隊最強を自負しており見目もそれなりに整った男だ。一定数ファンもいるしSNSもたまにバズっている(内容はまた第3の隊長に手柄取られたとかそんなんばっか)。そんな最強男の1日のルーティンにはそれなりに需要もあるのだろう。本来は第3部隊の隊長である女性が撮影に抜擢されたわけだが、広報の仕事と本職に引っ張りだこで大層多忙らしい。防衛隊本部より代打として提案されたのがこの男だ。
もう既に精神がこの男を受け付けないムーブに入りつつあるが、ここで拒否すれば一回り近く年の離れた小娘に45度のお辞儀をするおじさんの面子は丸潰れだろう。マネージャーが持ってきてくれたゴミ箱がティッシュで山になる頃、やっとこさ引いてきた涙。ようやくお仕事モードの理性を取り戻しつつある脳味噌の指令を受けて頷いた。
「だっ、だい、じょうぶ、れす。」
「何も大丈夫に見えないが…」
「鳴海!お前はこれ以上余計な口を利くな!」
鳴海弦を怒鳴りつけるおじさんは長谷川さんっていう名前で、第1部隊の副隊長だから、鳴海弦の部下らしい。涙ぐましい苦労が垣間見えて、またちょっとだけ泣きそうになった。
お時間をいただいてしっかり顔を冷やした後、始まった撮影。朝のルーティンから始まる隊長室はキッチリ綺麗に整理整頓してあって、自分勝手な発言をするけどちゃんとした人なんだなって少し尊敬した。何やら私物の行方の件で長谷川さんと口論していたみたいだけど、些細な問題であることを祈る。
「はーい!こちらが防衛隊最強の男の部屋☆綺麗にしてありますねぇ〜流石最強の男!やはり強さは身の回りからですかぁ?」
「いや、普段はもっと物が散乱して」
「カッーーーート!!」
監督ではなく長谷川さんによるストップはこれだけに及ばず、片手じゃ足りない程だった。マイクを向け直すたびにうんざりした表情をする鳴海弦に此方もキレそうになる。おい、しっかり台本通りやれ。プロ意識が足りねぇぞ。この超有名アイドルの私が立役者として取材側に回ってんだぞ。いい加減にしろ。…いけない!驕りが顔に出ちゃう!も〜謙虚にいかなきゃダメだぞ☆っと自分を律してしっかりと笑顔で対応する。VTRでコメカミに青筋が立ってないか確認しなくっちゃね☆
「お次は〜?なんと第1部隊の演習場に来ていまーす☆たゆまぬ日々の訓練がその強さに直結しているわけですねぇ〜!」
「うおおーー!!本物〇〇ちゃんだ!!」
「ぎゃーーー!!〇〇ちゃーーん!!」
「〇〇ちゃーん!コッチ向いてーー!!」
「おおっとぉ!ここにも私のファナティック達がいっぱいみたい!みんなーありがとーー!」
男女共に野太い声の声援に応えながら手を振り返すと、なんだか後方から威圧感を感じて恐る恐る振り返る。
「おうお前らぁ、訓練だからって手ぇ抜いてたら僕直々にいてこましてやるからなぁ!!実力しか問わねぇが劣化すれば許さねぇぞれ!」
「カッ、カーーーーット!!」
「…え、今のは使えませんか?」
「いや、〇〇ちゃんのイメージとかもあるので。もう少し穏便にお願いします。」
長谷川さんと監督の会話を聞く私の隣で大あくびする鳴海弦。その口の中にマイクを突っ込んでやりたい衝動に駆られる。くっ、右手が…。
そんなこんなで撮影が終わったのは予定時刻を3時間押した頃だった。This is 残業。この業界じゃよくあることだね☆
控室の椅子に座ってやっと一息つく。各々方が終了の報告と諸々の確認に向かっているので、マネージャーが戻ってくれば私の今日の仕事はおしまいだ。表情筋が今日一日で死滅したかのような疲労感に苛まれながらスマホのトーク画面をダーッとスワイプしていく。どうでもいい連絡ばっかり。コネ目当ての飯でもどすかーとかそういうの。マネージャー通せつってんだろうが。社交辞令でID交換すんじゃなかったわと嫌気がさしてきた頃に、ピタリと画面を止める。母からのトーク。今日もテレビ出てたわね、素敵な笑顔だったわ(絵文字)。それに可愛らしいスタンプを返して項垂れる。テーブルに突っ伏したまま今日感じた嫌だったことを無意味にぐるぐる考える。
本日鳴海弦から喰らった重めのボディーブローはまだ尾を引いている。色々限界だ。もう辞めたい。無理。これ以上笑えない。
ガチャリと扉を開く音に肩が跳ねる。
「…あー、〇〇サン?」
この声は鳴海弦。嫌だ、顔を上げたくない。今日の営業は終了だ。このまま寝たふりをしていたい。無視を決め込み頑なに顔を上げない様子を見兼ねたのか、溜息が聞こえてくる。そうだ、そのままどっかに行け。私は疲れているんだ。しかし願いは虚しくそばまで足音が近づいてくると、コトリと近くに何か置かれる。
「今日の詫びだ。作り笑いとか言って悪かったな。」
此方に気付いているのかいないのか、鳴海弦は言葉を続ける。
「長谷川に謝罪してこいと念を押されてな、此処に来た次第だ。だがな、謝るが僕は取り消さないぞ。テレビで見るあんたの笑顔はあんまり可愛くない。」
んなっ、なにぃ〜〜?この男、この期に及んで、謝罪の意味わかってて言ってんだろうな〜?
苛々が沸き立つ心地だが、こんな怒りの表情をお見せするわけにはいかない。そう、なぜなら私は笑顔が可愛いから。笑顔を認められて、今此処にいるから。
「もっとこう、自然でいろよ。そっちの方が可愛いと思うぜ?」
自然って何。自然体の表情なんて分かんないんだけど。
「…自然って、なんですか。私分からないです。」
ポツリと呟いた言葉は自分が思ってたより小さい声だったが、鳴海弦の耳にはしっかり届いたみたいだ。
「知らん。そん時の感情で勝手に出る表情だろ。」
ぐうの音も出ない正論。つまりは作っていない表情。分からない。今まで人に見せたことないから。でも、何事も練習だよね。歌やダンスと一緒。ゆっくりと顔を上げて鳴海弦を直視する。バチッと合う視線。赤い目をした真顔の男がこっちを見下ろしている。強気な気持ちで顔を上げたけど、ずっと見てるとなんだか恥ずかしくなってきて視線を下げる。手癖で前髪を直しながら問いかける。
「どう?可愛いですか?」
「……おう。」
「な、なんですか〜?その、微妙な返事は。鳴海さんが焚き付けたんだから、ちゃんと可愛いって言ってください。」
ムカついてジッ睨み上げると、今度は彼が視線を逸らした。
「可愛い、可愛いよ!ほら、満足か?」
「ちゃんとこっち見て言ってくれないと分からないじゃないですか!」
「だぁ~、可愛いから寄るな!」
立ち上がって距離を詰めるとジリジリと後退りして鳴海弦は逃げるように去っていった。
「…勝った。」
笑顔以外で他人に可愛いと言わせた!!沈下する苛立ちと入れ替わりに溢れる自信で心が満たされていく。なんだ、笑わなくても良いんじゃないか!反応はあんまり芳しくなかったけど満更でも無さそうだった。なら練習あるのみだね!自然な表情を出せるように自然体で生きていかなきゃ!
方向性を変える決断をした私を、マネージャーは温かく応援してくれた。ファン層の増減はあったけど、今まで以上に需要の種類は増えたみたいで、仕事は変わらず舞い込んでくる。鳴海弦、嫌な奴かと思ったけど結果的に彼のおかげで大きく変われた。
『方向性を一新したきっかけは?』
『時の流れと共にニーズは変わるっていうのと…ある人のおかげです!アイドル時代に真っ向から笑顔が可愛くないって言われました!』
『えぇ〜それ最悪ですね…』
『あはははは、ですよねぇ〜』
テレビ番組に出る〇〇はアイドルを卒業し、今では超有名女優に進化を遂げた。部屋の布団に寝っ転がりながらテレビを見る鳴海はボリボリとスナック菓子を貪りながら小さく笑った。
「今の方が断然推せるな。」
アイドルになりませんか?って突然声を掛けられた時は流石に身構えたけど。胡散臭い勧誘かと思ってお茶を濁して逃げようと思ったけど、去り際に押し付けられた名刺がなんだか引っ掛かって。親に見せたら調べてくれて、実在するプロダクションであることが判明して。しかも超有名!だからもう、両親は有頂天でアイドル目指しましょうって大喜び。高校2年生の夏、私はその時も笑って頷いた。
それからずっと頑張った。歌もダンスも、ファンサービスも。イベントを開かせてもらって、何度も知らない人と握手して。応援してます!頑張ってください!〇〇さんの笑顔最高です!ポジティブな言葉を掛けてくれる人達にはいつも元気付けられた。〇〇って新人マジ調子乗ってる。早く辞めればいいのに。作り笑顔が見え見え。マイナスなコメントにも時には傷付きながら、なるべく改善しようとしたり、気にしないようにしたりの日々。
そこそこ知名度も上がってきた頃、あるイベントでアイドルの評論家みたいな人の目にとまったのは超ラッキーで。SNSでバズって鰻登りに超有名になった頃。おっきい舞台で今までで1番多くの人に私を見てもらった。最高の気分で、もうなにもかもやりきって、長い階段を登りきったみたいだった。
問題は、一番高いとこをみた後だった。ジェットコースターが急落下するみたいなテンションで、モチベも急降下した。何をするのも無気力で、やる気が出なくて。何のために皆を喜ばそうとしてんのか、どうして笑わなきゃいけないのか。何もわからなくなっちゃった。
ただ、一応超有名アイドルだから色んなお仕事は絶え間なく舞い込んでくるわけで。生活もあるし将来のこともあるからお仕事だと思って頑張って続けた。ただ、どうしてもモチベがないと、やりたくないことって言うのは辛くなっていくわけで。
鬱々としていた日々を過ごす中で、運命の日はやってきた。
「生で見ると、なんか作り笑い感が増すな。」
凪いだように静まり返った空間。時が止まっているのは私とこの男の間だけではないみたいだ。
完璧に完成していた私の笑顔は、その日初めて震えた。アンチに打ちひしがれたのではない。面と向かって核心を突かれて想像を絶するダメージを負ったのだ。
「…っ、おい!」
微妙な空気になってしまいどうしたもんかと周りが沈黙を貫く中、最初に声を発したのは諸悪の根源たる男、鳴海弦だった。
焦る男が見るのは正面に立つ私。まだ、ここが控室で本当に良かったと思えるのはさすがのプロ意識。しかし冷静な精神とは真逆で言動は理性に従わない。従えることが出来ないほど、私は限界ギリギリのラインに立ってたみたい。
「な゙っ、なんでそんなこと言うのよっ…」
もう視界に映るもの全てを認識するのすらつらくて、ギュッと閉じた両目からボロボロと零れ続ける大粒の涙。自分ではどうすることもできずよくわからないくらい大きな嗚咽を出しながら手の甲や指で涙を拭う。驚いているのは賓客の方々よりもマネージャー含むスタッフ陣だろう。当たり前だ。いまだかつてこんな情けない姿見せたことない。しかも人前で。
「〇〇ちゃん〜、ど、ど、どうしちゃったの急に〜!!ご、ごめんなさいね〜、この子疲れてるのかもっ。」
いつも凛々しく優しい最高のマネージャー。品性たっぷりな普段の佇まいから想像できないくらい慌てている。ブランド物の小さなショルダーバッグからポケットティッシュを取り出すと私の顔をソフトタッチで拭き始める。
ガンっと鈍い音がしたかと思うと、背が高くてガタイの良いスキンヘッドのちょっぴり怖いおじさんが、鳴海弦の頭を鷲掴んで下げてくる。
「初対面でいきなり無礼千万な発言をしてしまい、誠に申し訳ない。この通りだ。」
何も悪いことしてないのに、冷や汗を滲ませながら謝るおじさんになんだかこっちが申し訳なくなってきた。
今回のお仕事はズバリ「密着・防衛隊!!☆最強の男24h☆」だ。第1部隊長、鳴海弦は防衛隊最強を自負しており見目もそれなりに整った男だ。一定数ファンもいるしSNSもたまにバズっている(内容はまた第3の隊長に手柄取られたとかそんなんばっか)。そんな最強男の1日のルーティンにはそれなりに需要もあるのだろう。本来は第3部隊の隊長である女性が撮影に抜擢されたわけだが、広報の仕事と本職に引っ張りだこで大層多忙らしい。防衛隊本部より代打として提案されたのがこの男だ。
もう既に精神がこの男を受け付けないムーブに入りつつあるが、ここで拒否すれば一回り近く年の離れた小娘に45度のお辞儀をするおじさんの面子は丸潰れだろう。マネージャーが持ってきてくれたゴミ箱がティッシュで山になる頃、やっとこさ引いてきた涙。ようやくお仕事モードの理性を取り戻しつつある脳味噌の指令を受けて頷いた。
「だっ、だい、じょうぶ、れす。」
「何も大丈夫に見えないが…」
「鳴海!お前はこれ以上余計な口を利くな!」
鳴海弦を怒鳴りつけるおじさんは長谷川さんっていう名前で、第1部隊の副隊長だから、鳴海弦の部下らしい。涙ぐましい苦労が垣間見えて、またちょっとだけ泣きそうになった。
お時間をいただいてしっかり顔を冷やした後、始まった撮影。朝のルーティンから始まる隊長室はキッチリ綺麗に整理整頓してあって、自分勝手な発言をするけどちゃんとした人なんだなって少し尊敬した。何やら私物の行方の件で長谷川さんと口論していたみたいだけど、些細な問題であることを祈る。
「はーい!こちらが防衛隊最強の男の部屋☆綺麗にしてありますねぇ〜流石最強の男!やはり強さは身の回りからですかぁ?」
「いや、普段はもっと物が散乱して」
「カッーーーート!!」
監督ではなく長谷川さんによるストップはこれだけに及ばず、片手じゃ足りない程だった。マイクを向け直すたびにうんざりした表情をする鳴海弦に此方もキレそうになる。おい、しっかり台本通りやれ。プロ意識が足りねぇぞ。この超有名アイドルの私が立役者として取材側に回ってんだぞ。いい加減にしろ。…いけない!驕りが顔に出ちゃう!も〜謙虚にいかなきゃダメだぞ☆っと自分を律してしっかりと笑顔で対応する。VTRでコメカミに青筋が立ってないか確認しなくっちゃね☆
「お次は〜?なんと第1部隊の演習場に来ていまーす☆たゆまぬ日々の訓練がその強さに直結しているわけですねぇ〜!」
「うおおーー!!本物〇〇ちゃんだ!!」
「ぎゃーーー!!〇〇ちゃーーん!!」
「〇〇ちゃーん!コッチ向いてーー!!」
「おおっとぉ!ここにも私のファナティック達がいっぱいみたい!みんなーありがとーー!」
男女共に野太い声の声援に応えながら手を振り返すと、なんだか後方から威圧感を感じて恐る恐る振り返る。
「おうお前らぁ、訓練だからって手ぇ抜いてたら僕直々にいてこましてやるからなぁ!!実力しか問わねぇが劣化すれば許さねぇぞれ!」
「カッ、カーーーーット!!」
「…え、今のは使えませんか?」
「いや、〇〇ちゃんのイメージとかもあるので。もう少し穏便にお願いします。」
長谷川さんと監督の会話を聞く私の隣で大あくびする鳴海弦。その口の中にマイクを突っ込んでやりたい衝動に駆られる。くっ、右手が…。
そんなこんなで撮影が終わったのは予定時刻を3時間押した頃だった。This is 残業。この業界じゃよくあることだね☆
控室の椅子に座ってやっと一息つく。各々方が終了の報告と諸々の確認に向かっているので、マネージャーが戻ってくれば私の今日の仕事はおしまいだ。表情筋が今日一日で死滅したかのような疲労感に苛まれながらスマホのトーク画面をダーッとスワイプしていく。どうでもいい連絡ばっかり。コネ目当ての飯でもどすかーとかそういうの。マネージャー通せつってんだろうが。社交辞令でID交換すんじゃなかったわと嫌気がさしてきた頃に、ピタリと画面を止める。母からのトーク。今日もテレビ出てたわね、素敵な笑顔だったわ(絵文字)。それに可愛らしいスタンプを返して項垂れる。テーブルに突っ伏したまま今日感じた嫌だったことを無意味にぐるぐる考える。
本日鳴海弦から喰らった重めのボディーブローはまだ尾を引いている。色々限界だ。もう辞めたい。無理。これ以上笑えない。
ガチャリと扉を開く音に肩が跳ねる。
「…あー、〇〇サン?」
この声は鳴海弦。嫌だ、顔を上げたくない。今日の営業は終了だ。このまま寝たふりをしていたい。無視を決め込み頑なに顔を上げない様子を見兼ねたのか、溜息が聞こえてくる。そうだ、そのままどっかに行け。私は疲れているんだ。しかし願いは虚しくそばまで足音が近づいてくると、コトリと近くに何か置かれる。
「今日の詫びだ。作り笑いとか言って悪かったな。」
此方に気付いているのかいないのか、鳴海弦は言葉を続ける。
「長谷川に謝罪してこいと念を押されてな、此処に来た次第だ。だがな、謝るが僕は取り消さないぞ。テレビで見るあんたの笑顔はあんまり可愛くない。」
んなっ、なにぃ〜〜?この男、この期に及んで、謝罪の意味わかってて言ってんだろうな〜?
苛々が沸き立つ心地だが、こんな怒りの表情をお見せするわけにはいかない。そう、なぜなら私は笑顔が可愛いから。笑顔を認められて、今此処にいるから。
「もっとこう、自然でいろよ。そっちの方が可愛いと思うぜ?」
自然って何。自然体の表情なんて分かんないんだけど。
「…自然って、なんですか。私分からないです。」
ポツリと呟いた言葉は自分が思ってたより小さい声だったが、鳴海弦の耳にはしっかり届いたみたいだ。
「知らん。そん時の感情で勝手に出る表情だろ。」
ぐうの音も出ない正論。つまりは作っていない表情。分からない。今まで人に見せたことないから。でも、何事も練習だよね。歌やダンスと一緒。ゆっくりと顔を上げて鳴海弦を直視する。バチッと合う視線。赤い目をした真顔の男がこっちを見下ろしている。強気な気持ちで顔を上げたけど、ずっと見てるとなんだか恥ずかしくなってきて視線を下げる。手癖で前髪を直しながら問いかける。
「どう?可愛いですか?」
「……おう。」
「な、なんですか〜?その、微妙な返事は。鳴海さんが焚き付けたんだから、ちゃんと可愛いって言ってください。」
ムカついてジッ睨み上げると、今度は彼が視線を逸らした。
「可愛い、可愛いよ!ほら、満足か?」
「ちゃんとこっち見て言ってくれないと分からないじゃないですか!」
「だぁ~、可愛いから寄るな!」
立ち上がって距離を詰めるとジリジリと後退りして鳴海弦は逃げるように去っていった。
「…勝った。」
笑顔以外で他人に可愛いと言わせた!!沈下する苛立ちと入れ替わりに溢れる自信で心が満たされていく。なんだ、笑わなくても良いんじゃないか!反応はあんまり芳しくなかったけど満更でも無さそうだった。なら練習あるのみだね!自然な表情を出せるように自然体で生きていかなきゃ!
方向性を変える決断をした私を、マネージャーは温かく応援してくれた。ファン層の増減はあったけど、今まで以上に需要の種類は増えたみたいで、仕事は変わらず舞い込んでくる。鳴海弦、嫌な奴かと思ったけど結果的に彼のおかげで大きく変われた。
『方向性を一新したきっかけは?』
『時の流れと共にニーズは変わるっていうのと…ある人のおかげです!アイドル時代に真っ向から笑顔が可愛くないって言われました!』
『えぇ〜それ最悪ですね…』
『あはははは、ですよねぇ〜』
テレビ番組に出る〇〇はアイドルを卒業し、今では超有名女優に進化を遂げた。部屋の布団に寝っ転がりながらテレビを見る鳴海はボリボリとスナック菓子を貪りながら小さく笑った。
「今の方が断然推せるな。」