月下美人の横顔
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『なんでやねん。』
「ですから、説明した通りです。」
電話越しの保科に、雨宮は淡々と今日の出来事を説明していた。怪獣被害直後である為、保護対象としての扱いになる予定であったが、防衛隊員というこで第1部隊の基地に一晩世話になることになったと。最初はいたく雨宮を心配している様子の保科だったが話の流れが外泊になった途端、急に雲行きが怪しくなった。
『泊まることないやろ。帰ってき。』
「…もう遅いですし。明日の午後、送っていただく予定です。」
『午後ぉ?』
「はい。折角なのでご厚意に甘えようと思います。」
『だからって…泊まりは駄目やろ…僕、今から迎えに行くわ。』
「副隊長、私のこといくつだと思ってるんですか。」
冷静な突っ込みに、電話の向こうで保科は唸っていた。
「こんな遅い時間に来られても困ります。それに、副隊長は明日も通常通りの勤務でしょうに。とっとと寝て下さい。」
『そもそも、なんでこんな時間まで報告がなかったん?』
スマホに表示される時刻は午後23時05分。健康な社会人は寝る時間である。
「事情聴取等に時間がかかりまして。」
『そない時間かけて何を聴取されることがあんねん。被害者やろ。』
「持ち出した拳銃の件で少々。」
『また拳銃持ち出したんか!あれほど駄目って言っ』
雨宮は保科の声量が大きくなるのを聞くと、人差し指で通話終了ボタンを押した。ブツッと、音を立てて切れる通話。
「…亜白にもそんな感じなのか…?」
「貴方みたいな人にそんなこと心配されるのは、癪ですね。」
引き気味な表情をする鳴海に冷たく返す雨宮。
「ほんっとうに失礼な奴だな。敬いって言葉知ってるか?」
「敬意を示すべき相手であれば、それなりの態度をとりますよ。」
「よし、もう一戦だバカタレ。」
投げ渡したコントローラーを雨宮は難なくキャッチする。テレビ画面にはK.O.の2文字。
「もういい加減やめません?」
「いいや、僕が勝つまでやる。」
「大人とは思えない発言に戸惑いが隠せませんね。」
「クソガキめ、絶対に吠え面かかせてやるからな!」
これまでの人生において、それ程ゲームという娯楽に接して来なかった雨宮は完全に素人だった。しかし対戦型格闘ゲームというジャンルにおいて、類稀なる才覚を発揮していた。ゲームを始めてから約2時間たつが、手慣れたように雨宮は鳴海をボコり続けていた。
「クッ…こんな素人に壁ハメされるなんてっ…化け物か!」
「甘いですね。その手はさっきも見ましたよ。」
ガチャガチャとコントローラーを動かす2人。雨宮の目は眠気で半目なのに対し、鳴海の目はギンギンに冴えて闘志を燃やしている。そもそも、何故夜中に2人が共にゲームをしているのか。
約4時間前に遡る。
「間に合わなかったなぁ…」
ベンチに座りながら落胆した様子でスマホを見下ろす高田に、隣に腰掛けている雨宮は呆れて声をかける。
「こんな状況でバイトの心配?」
「いや、そうなんだけどさ〜…当欠すんの初めてで…」
「流石に許してくれるでしょ。命には変えられないもの。駄目だったら次のとこ探せばいい。」
「…それもそっか。」
高田はスマホをしまい、雨宮の方を見る。
「さっきさ、なんか…色んな感情でごっちゃになっちゃった。」
雨宮は高田を見返した。
「マジで死ぬかと思ったし…帆鳥が怪我してるの本当に見てて辛かったし、毎日こんなことやってんのかー、っとも思った…」
「毎日ではないよ。それにいつもは専用のスーツ着て武器持ってるし。今日たまたま運が悪かっただけ。」
「それな…でもマジで、帆鳥のこと心配になった。」
高田の表情は憂いに満ちている。
「でも帆鳥が防衛隊の人じゃなかったら、多分私達死んでたわけで。だからさ、ありがとう。助けてくれて。帆鳥が防衛隊員で本当に良かった。」
高田はペコリと深く頭を下げた。雨宮は慌ててそれを止める。
「やめてよ、気にしなくていいから!友達じゃん…そんな、頭下げないでよ。」
「でも、命の恩人じゃん?そこは譲れない。」
顔を上げた高田は、じんわりと目の端に涙を溜めていた。雨宮は眉を下げて笑うと高田の両手を優しく掴んだ。
「だから、泣かないでって…」
「ぅ〜…絶対今度お礼するから…」
「またさ、どっか遊びに行こうよ。それで充分。」
雨宮がそう宥めている時だった。
「取り込み中悪いな。」
遠慮がちに二人に声を掛けたのは筋骨隆々とした長身の男。スキンヘッドに厳しい面持ち。顔に出来た鋭い古傷がいかめしさを助長していた。雨宮は立ち上がり敬礼する。
「お疲れさまです。第3部隊隊員、雨宮帆鳥であります。」
静かな重圧。年若い彼女が持つには些か不似合いも思える。男はそう感じながら礼を返した。
「第1部隊副隊長、長谷川エイジだ。此度の人命救助の助力、感謝する。」
「恐縮です。」
「さて、取り敢えずそちらのご友人は仮の保護施設があるのでそちらに移動願いたい。住まいが被害地区でないなら、希望であればすぐに自宅に帰っていただくことも可能だ。」
「あっ…じゃあ、帰らせてもらいます。」
「心身共に異常は?」
「はい、帆鳥…雨宮さんが側についててくださったので。だいぶ落ち着きました。」
「それは良かった。では、此方の隊員が見送ろう。」
長谷川の後ろに控えていた隊員が前に出て会釈する。高田はベンチから立ち上がり、会釈し返して雨宮を見た。
「じゃあ、行くね。」
「うん、またね。」
「…無理しないでね。」
「分かってるって。」
2人は顔を見合わせながら笑顔を浮かべる。隊員について行く高田をその場で見送り、雨宮は振り返った。
「私も帰宅してよろしいので?」
「それなんだがな…」
「本日、自分は非番でございまして。残り少ない休暇を有意義に過ごしたいのですが。」
細められた瞳に下がる声色。友人がいなくなった途端に豹変した雨宮に、長谷川は驚いた。先程までの人当たりの良い態度はどこへやら。複雑に思いながらも、長谷川は雨宮に紙袋を差し出した。彼女が受け取った袋の中には拳銃が入っている。
「弾は此方で回収してある。本拠地に戻り次第、定位置に戻すように。これがあったから今回の被害に際しても対応できたのだろうが…プライベートでこれを持ち出すことの意味が分かるな?」
「違反は承知の上です。しかし後悔はしていません。」
厳しい言葉をかける長谷川にまったく反省の色を見せない雨宮。
「こんなものは、スーツがなければ怪獣に対して玩具に等しいでしょうね。でも無いよりは遥かにマシです。」
「怪獣被害に合った際は市民同様、防衛隊の誘導に則って避難するのが道理だろう。」
「防衛隊が間に合わない時もあります。今回がそうでした。」
あくまで落ち着いた口調、それでも一歩も引かぬ強気な態度。長谷川は口角を上げた。
「噂通りだな。」
「なんです?」
「亜白隊長似の規律に則る真面目な人材が多い第3部隊。しかしその中で1人、反骨心剥き出しの問題児がいるという。」
「…それ、私のこと言ってます?」
この場で他に誰がいる。見下ろす長谷川の目がそう言っていた。急降下する機嫌を隠しもせずに、プイッと顔を背ける姿にまったく持って間違いないと長谷川は感じた。
「ともかくだ。防衛隊と街の治安を維持する為に規律がある。破ったからには罰則が必要だ。一筆書いてもらうぞ。」
「なんでここで…」
「ここも防衛隊の基地だからだ。罰が軽いことにもっと感謝しろ…まったく、つべこべ言わずついてこい。と、その前に。いつまでもその格好では些か気の毒だな。」
腰に手をあてふてぶてしい立ち姿の雨宮はボロボロな格好をしていた。腕と膝に巻かれた包帯。サージカルテープを貼り付けた頬。所々破けたブラウスの袖は傷から流れた血で赤黒く染まっている。休日の装いは、見るも無惨に汚れていた。
「着替を用意させる。」
「着替えるならお風呂に入りたいです。」
とんでも無い我儘を言い出す雨宮。長谷川の頭に青筋が浮かぶ。
「…お前との会話はうちの新隊長と話している気分になるな。」
「お褒めいただき光栄ですね。」
「褒めとらん。」
結果として本来非番であったことと、長谷川の寛大さにより雨宮の我儘は通ることになる。彼女はしっかり第1部隊基地内の浴場で湯船に浸かり、支給されたジャージを着た後、報告書と始末書を書き上げに向かった。スラスラと記入してペンを置き、纏めた書類を長谷川に渡す。目を通して問題無いことを確認した長谷川は頷いた。
「よし。非番なのにご苦労だったな。帰宅していいぞ。」
「はい。ありがとうございます。」
椅子から立ち上がって荷物を持ち、事務室の入り口へ向かう。ドアノブに手を掛けようとしたとき、勢い良く扉が開いた。
「おい長谷川!どういうことだ!!」
怒鳴り込んできたのは鳴海だった。両者ピタリと動きを止めて見つめ合う。
「君は確か…」
「雨宮です。」
スンッとした表情で名乗る雨宮に鳴海はそうだと頷いた。
「そうだ、憎き第3部隊の隊員だったな。どうして君がここにいる。」
「報告書と始末書です。」
「おっ、僕に対する無礼についてか?」
無礼という単語と鳴海の関連性を雨宮は思い返してみる。そういえば、うるさいと口をついて出た言葉に罰則だなんだと言っていたか。
「…第1部隊では、随分しょうもないことに反省書類が必要なんですね。」
「なんだと!!」
「やめろ鳴海。第1部隊の品性が疑われるだろ。」
長谷川の制止に鳴海は鼻を鳴らした。
「僕が隊長になった以上はこの部隊は実力主義の元におく。品性なんて関係ない。だがな、こんな平隊員が僕に舐めた口を利くのは間違ってる!」
平隊員という単語に雨宮の眉がピクリと動く。その通りであるのだが、なじるような言い方がなんだか気に食わなかった。
「第1部隊の隊長様は随分で狭量であられますね。」
「はぁ!?」
「やめろ雨宮。その人は確かに狭量だがあくまで上官だ。口を慎め。」
「おい!」
流れるような失言の嵐に鳴海は憤慨しかけるが、当初の目的を思い出し、長谷川に詰め寄る。
「…そんなことはどうでもいい、長谷川!お前また僕の部屋勝手に掃除しただろ!!」
「掃除…?」
怪訝な顔をする雨宮に、長谷川の心は無に近づいていく。
「やめろ鳴海。これ以上第1部隊の恥を晒すな。それにあそこはお前の私室じゃない。防衛隊の隊長室だ。」
「今そんなことはどうでもいい!僕のUX0フルアーマーをどこにやった!?」
「U…なんだって?」
「ガンドムのプラモだよ!」
「知らん。…確かプラモやフギュアの類は棚に纏めさせていたと思うが?」
「あんなにゴチャゴチャ置きやがって!ちゃんと棚ごとに分けてあるのに勝手に触るからそういうことになるんだ!」
がなる鳴海と面倒くさそうに受け答える長谷川。雨宮はしらけた顔でポツリと言う。
「情けない…」
小さく呟かれた言葉を拾った鳴海。
「おい…誰がなんだって?」
「誰がとは言ってませんが…そうですねぇ。日本防衛隊最強の名を冠する部隊のトップが、自分で部屋の掃除も出来ないなんて。情けないなと思ったまでです。」
鼻で笑う表情には隠しきれていない悪意が滲んでおり、鳴海はいよいよ憤慨した。
「…雨宮帆鳥だったか。」
「はい、そうです。」
鳴海は大股で歩き、雨宮の前に立ちはだかる。見下ろす目は全く笑っていない。雨宮はジッとその目を見上げる。
「いい度胸じゃないか。ちょっとツラ貸せ。分からせてやる。」
「おい、鳴海。」
小柄な女子相手に何をしようというのか。流石によろしくないと長谷川は止めに入る。
「いくらでもどうぞ?」
クイッと顎を上げる雨宮。まさにツラを貸してやると言わんばかりの態度に事務室内は凍りついた。どうして彼女はこうも強気なのだろうか。単に、根っからの負けず嫌いで不遜な性格だからである。2年の時を経て、その気質が表立つようになりつつあるのも要因だが。
「言ったな?」
鳴海は不敵に笑うと雨宮の手首を掴み、部屋から出ていった。引き摺られるように連れて行かれる後ろ姿に、慌てて長谷川は追いかけた。訪れたのは隊長室。今朝方散らかっていたその室内は今では綺麗に整頓されている。雨宮から手を離し、鳴海はテレビの前まで歩いていくと何かを拾い上げた。そして戻ってきたかと思うとバッといきおいよくそれを雨宮に突き出した。
「…なんですか、これ。」
「見れば分かるだろ。コントローラーだ。」
そんなことは分かっている。一体何なのだと思考しかけ、即座に合点のいった雨宮は黙ってそれを受け取った。
「…ゲームで分からせてやろうとか、鳴海隊長って結構子供っぽいんですね。」
「うるさい!いいから勝負だ!!」
一部始終を見ていた長谷川は黙って部屋の扉を閉じる。鳴海が飽きる頃に、また様子を見に来よう。そう決めて何事も無かったかのように職務に戻っていった。
そこから2時間、雨宮が鳴海をボコることになるとは彼女自身も予測出来なかった事態であったが。様子を見に来た長谷川が宿泊の提案及び保科への連絡を推奨するまで、彼女はそれなりに熱中していた。
雨宮は疲労と共に納めた勝利に虚無感を覚えはじめ、もっともらしい口実を出した。
「お腹すきません?」
「…確かに。」
口実とはいえ、横浜での怪獣被害に際して夕飯を食いっぱぐれた雨宮は普通に空腹だった。
一体何度目の敗北だろうか。バトルに区切りがつきコントローラーを床に置くと、鳴海はスマホを手に取る。衝動的な怒りはすっかりおさまっている様子だった。
「出前頼むか。」
「…どこで受け取るんですか?」
「当直のオペレーターが入口で受け取って運んでくる。」
「最低ですね。ピザにしましょう。」
「僕が最低ならお前はそれ以下だ。」
減らず口。それは2人にピッタリな言葉であった。その後、ジャンクフードで目が覚めた2人は長谷川が扉を開けにくるまで、なんやかんやでゲームに明け暮れていた。
「ですから、説明した通りです。」
電話越しの保科に、雨宮は淡々と今日の出来事を説明していた。怪獣被害直後である為、保護対象としての扱いになる予定であったが、防衛隊員というこで第1部隊の基地に一晩世話になることになったと。最初はいたく雨宮を心配している様子の保科だったが話の流れが外泊になった途端、急に雲行きが怪しくなった。
『泊まることないやろ。帰ってき。』
「…もう遅いですし。明日の午後、送っていただく予定です。」
『午後ぉ?』
「はい。折角なのでご厚意に甘えようと思います。」
『だからって…泊まりは駄目やろ…僕、今から迎えに行くわ。』
「副隊長、私のこといくつだと思ってるんですか。」
冷静な突っ込みに、電話の向こうで保科は唸っていた。
「こんな遅い時間に来られても困ります。それに、副隊長は明日も通常通りの勤務でしょうに。とっとと寝て下さい。」
『そもそも、なんでこんな時間まで報告がなかったん?』
スマホに表示される時刻は午後23時05分。健康な社会人は寝る時間である。
「事情聴取等に時間がかかりまして。」
『そない時間かけて何を聴取されることがあんねん。被害者やろ。』
「持ち出した拳銃の件で少々。」
『また拳銃持ち出したんか!あれほど駄目って言っ』
雨宮は保科の声量が大きくなるのを聞くと、人差し指で通話終了ボタンを押した。ブツッと、音を立てて切れる通話。
「…亜白にもそんな感じなのか…?」
「貴方みたいな人にそんなこと心配されるのは、癪ですね。」
引き気味な表情をする鳴海に冷たく返す雨宮。
「ほんっとうに失礼な奴だな。敬いって言葉知ってるか?」
「敬意を示すべき相手であれば、それなりの態度をとりますよ。」
「よし、もう一戦だバカタレ。」
投げ渡したコントローラーを雨宮は難なくキャッチする。テレビ画面にはK.O.の2文字。
「もういい加減やめません?」
「いいや、僕が勝つまでやる。」
「大人とは思えない発言に戸惑いが隠せませんね。」
「クソガキめ、絶対に吠え面かかせてやるからな!」
これまでの人生において、それ程ゲームという娯楽に接して来なかった雨宮は完全に素人だった。しかし対戦型格闘ゲームというジャンルにおいて、類稀なる才覚を発揮していた。ゲームを始めてから約2時間たつが、手慣れたように雨宮は鳴海をボコり続けていた。
「クッ…こんな素人に壁ハメされるなんてっ…化け物か!」
「甘いですね。その手はさっきも見ましたよ。」
ガチャガチャとコントローラーを動かす2人。雨宮の目は眠気で半目なのに対し、鳴海の目はギンギンに冴えて闘志を燃やしている。そもそも、何故夜中に2人が共にゲームをしているのか。
約4時間前に遡る。
「間に合わなかったなぁ…」
ベンチに座りながら落胆した様子でスマホを見下ろす高田に、隣に腰掛けている雨宮は呆れて声をかける。
「こんな状況でバイトの心配?」
「いや、そうなんだけどさ〜…当欠すんの初めてで…」
「流石に許してくれるでしょ。命には変えられないもの。駄目だったら次のとこ探せばいい。」
「…それもそっか。」
高田はスマホをしまい、雨宮の方を見る。
「さっきさ、なんか…色んな感情でごっちゃになっちゃった。」
雨宮は高田を見返した。
「マジで死ぬかと思ったし…帆鳥が怪我してるの本当に見てて辛かったし、毎日こんなことやってんのかー、っとも思った…」
「毎日ではないよ。それにいつもは専用のスーツ着て武器持ってるし。今日たまたま運が悪かっただけ。」
「それな…でもマジで、帆鳥のこと心配になった。」
高田の表情は憂いに満ちている。
「でも帆鳥が防衛隊の人じゃなかったら、多分私達死んでたわけで。だからさ、ありがとう。助けてくれて。帆鳥が防衛隊員で本当に良かった。」
高田はペコリと深く頭を下げた。雨宮は慌ててそれを止める。
「やめてよ、気にしなくていいから!友達じゃん…そんな、頭下げないでよ。」
「でも、命の恩人じゃん?そこは譲れない。」
顔を上げた高田は、じんわりと目の端に涙を溜めていた。雨宮は眉を下げて笑うと高田の両手を優しく掴んだ。
「だから、泣かないでって…」
「ぅ〜…絶対今度お礼するから…」
「またさ、どっか遊びに行こうよ。それで充分。」
雨宮がそう宥めている時だった。
「取り込み中悪いな。」
遠慮がちに二人に声を掛けたのは筋骨隆々とした長身の男。スキンヘッドに厳しい面持ち。顔に出来た鋭い古傷がいかめしさを助長していた。雨宮は立ち上がり敬礼する。
「お疲れさまです。第3部隊隊員、雨宮帆鳥であります。」
静かな重圧。年若い彼女が持つには些か不似合いも思える。男はそう感じながら礼を返した。
「第1部隊副隊長、長谷川エイジだ。此度の人命救助の助力、感謝する。」
「恐縮です。」
「さて、取り敢えずそちらのご友人は仮の保護施設があるのでそちらに移動願いたい。住まいが被害地区でないなら、希望であればすぐに自宅に帰っていただくことも可能だ。」
「あっ…じゃあ、帰らせてもらいます。」
「心身共に異常は?」
「はい、帆鳥…雨宮さんが側についててくださったので。だいぶ落ち着きました。」
「それは良かった。では、此方の隊員が見送ろう。」
長谷川の後ろに控えていた隊員が前に出て会釈する。高田はベンチから立ち上がり、会釈し返して雨宮を見た。
「じゃあ、行くね。」
「うん、またね。」
「…無理しないでね。」
「分かってるって。」
2人は顔を見合わせながら笑顔を浮かべる。隊員について行く高田をその場で見送り、雨宮は振り返った。
「私も帰宅してよろしいので?」
「それなんだがな…」
「本日、自分は非番でございまして。残り少ない休暇を有意義に過ごしたいのですが。」
細められた瞳に下がる声色。友人がいなくなった途端に豹変した雨宮に、長谷川は驚いた。先程までの人当たりの良い態度はどこへやら。複雑に思いながらも、長谷川は雨宮に紙袋を差し出した。彼女が受け取った袋の中には拳銃が入っている。
「弾は此方で回収してある。本拠地に戻り次第、定位置に戻すように。これがあったから今回の被害に際しても対応できたのだろうが…プライベートでこれを持ち出すことの意味が分かるな?」
「違反は承知の上です。しかし後悔はしていません。」
厳しい言葉をかける長谷川にまったく反省の色を見せない雨宮。
「こんなものは、スーツがなければ怪獣に対して玩具に等しいでしょうね。でも無いよりは遥かにマシです。」
「怪獣被害に合った際は市民同様、防衛隊の誘導に則って避難するのが道理だろう。」
「防衛隊が間に合わない時もあります。今回がそうでした。」
あくまで落ち着いた口調、それでも一歩も引かぬ強気な態度。長谷川は口角を上げた。
「噂通りだな。」
「なんです?」
「亜白隊長似の規律に則る真面目な人材が多い第3部隊。しかしその中で1人、反骨心剥き出しの問題児がいるという。」
「…それ、私のこと言ってます?」
この場で他に誰がいる。見下ろす長谷川の目がそう言っていた。急降下する機嫌を隠しもせずに、プイッと顔を背ける姿にまったく持って間違いないと長谷川は感じた。
「ともかくだ。防衛隊と街の治安を維持する為に規律がある。破ったからには罰則が必要だ。一筆書いてもらうぞ。」
「なんでここで…」
「ここも防衛隊の基地だからだ。罰が軽いことにもっと感謝しろ…まったく、つべこべ言わずついてこい。と、その前に。いつまでもその格好では些か気の毒だな。」
腰に手をあてふてぶてしい立ち姿の雨宮はボロボロな格好をしていた。腕と膝に巻かれた包帯。サージカルテープを貼り付けた頬。所々破けたブラウスの袖は傷から流れた血で赤黒く染まっている。休日の装いは、見るも無惨に汚れていた。
「着替を用意させる。」
「着替えるならお風呂に入りたいです。」
とんでも無い我儘を言い出す雨宮。長谷川の頭に青筋が浮かぶ。
「…お前との会話はうちの新隊長と話している気分になるな。」
「お褒めいただき光栄ですね。」
「褒めとらん。」
結果として本来非番であったことと、長谷川の寛大さにより雨宮の我儘は通ることになる。彼女はしっかり第1部隊基地内の浴場で湯船に浸かり、支給されたジャージを着た後、報告書と始末書を書き上げに向かった。スラスラと記入してペンを置き、纏めた書類を長谷川に渡す。目を通して問題無いことを確認した長谷川は頷いた。
「よし。非番なのにご苦労だったな。帰宅していいぞ。」
「はい。ありがとうございます。」
椅子から立ち上がって荷物を持ち、事務室の入り口へ向かう。ドアノブに手を掛けようとしたとき、勢い良く扉が開いた。
「おい長谷川!どういうことだ!!」
怒鳴り込んできたのは鳴海だった。両者ピタリと動きを止めて見つめ合う。
「君は確か…」
「雨宮です。」
スンッとした表情で名乗る雨宮に鳴海はそうだと頷いた。
「そうだ、憎き第3部隊の隊員だったな。どうして君がここにいる。」
「報告書と始末書です。」
「おっ、僕に対する無礼についてか?」
無礼という単語と鳴海の関連性を雨宮は思い返してみる。そういえば、うるさいと口をついて出た言葉に罰則だなんだと言っていたか。
「…第1部隊では、随分しょうもないことに反省書類が必要なんですね。」
「なんだと!!」
「やめろ鳴海。第1部隊の品性が疑われるだろ。」
長谷川の制止に鳴海は鼻を鳴らした。
「僕が隊長になった以上はこの部隊は実力主義の元におく。品性なんて関係ない。だがな、こんな平隊員が僕に舐めた口を利くのは間違ってる!」
平隊員という単語に雨宮の眉がピクリと動く。その通りであるのだが、なじるような言い方がなんだか気に食わなかった。
「第1部隊の隊長様は随分で狭量であられますね。」
「はぁ!?」
「やめろ雨宮。その人は確かに狭量だがあくまで上官だ。口を慎め。」
「おい!」
流れるような失言の嵐に鳴海は憤慨しかけるが、当初の目的を思い出し、長谷川に詰め寄る。
「…そんなことはどうでもいい、長谷川!お前また僕の部屋勝手に掃除しただろ!!」
「掃除…?」
怪訝な顔をする雨宮に、長谷川の心は無に近づいていく。
「やめろ鳴海。これ以上第1部隊の恥を晒すな。それにあそこはお前の私室じゃない。防衛隊の隊長室だ。」
「今そんなことはどうでもいい!僕のUX0フルアーマーをどこにやった!?」
「U…なんだって?」
「ガンドムのプラモだよ!」
「知らん。…確かプラモやフギュアの類は棚に纏めさせていたと思うが?」
「あんなにゴチャゴチャ置きやがって!ちゃんと棚ごとに分けてあるのに勝手に触るからそういうことになるんだ!」
がなる鳴海と面倒くさそうに受け答える長谷川。雨宮はしらけた顔でポツリと言う。
「情けない…」
小さく呟かれた言葉を拾った鳴海。
「おい…誰がなんだって?」
「誰がとは言ってませんが…そうですねぇ。日本防衛隊最強の名を冠する部隊のトップが、自分で部屋の掃除も出来ないなんて。情けないなと思ったまでです。」
鼻で笑う表情には隠しきれていない悪意が滲んでおり、鳴海はいよいよ憤慨した。
「…雨宮帆鳥だったか。」
「はい、そうです。」
鳴海は大股で歩き、雨宮の前に立ちはだかる。見下ろす目は全く笑っていない。雨宮はジッとその目を見上げる。
「いい度胸じゃないか。ちょっとツラ貸せ。分からせてやる。」
「おい、鳴海。」
小柄な女子相手に何をしようというのか。流石によろしくないと長谷川は止めに入る。
「いくらでもどうぞ?」
クイッと顎を上げる雨宮。まさにツラを貸してやると言わんばかりの態度に事務室内は凍りついた。どうして彼女はこうも強気なのだろうか。単に、根っからの負けず嫌いで不遜な性格だからである。2年の時を経て、その気質が表立つようになりつつあるのも要因だが。
「言ったな?」
鳴海は不敵に笑うと雨宮の手首を掴み、部屋から出ていった。引き摺られるように連れて行かれる後ろ姿に、慌てて長谷川は追いかけた。訪れたのは隊長室。今朝方散らかっていたその室内は今では綺麗に整頓されている。雨宮から手を離し、鳴海はテレビの前まで歩いていくと何かを拾い上げた。そして戻ってきたかと思うとバッといきおいよくそれを雨宮に突き出した。
「…なんですか、これ。」
「見れば分かるだろ。コントローラーだ。」
そんなことは分かっている。一体何なのだと思考しかけ、即座に合点のいった雨宮は黙ってそれを受け取った。
「…ゲームで分からせてやろうとか、鳴海隊長って結構子供っぽいんですね。」
「うるさい!いいから勝負だ!!」
一部始終を見ていた長谷川は黙って部屋の扉を閉じる。鳴海が飽きる頃に、また様子を見に来よう。そう決めて何事も無かったかのように職務に戻っていった。
そこから2時間、雨宮が鳴海をボコることになるとは彼女自身も予測出来なかった事態であったが。様子を見に来た長谷川が宿泊の提案及び保科への連絡を推奨するまで、彼女はそれなりに熱中していた。
雨宮は疲労と共に納めた勝利に虚無感を覚えはじめ、もっともらしい口実を出した。
「お腹すきません?」
「…確かに。」
口実とはいえ、横浜での怪獣被害に際して夕飯を食いっぱぐれた雨宮は普通に空腹だった。
一体何度目の敗北だろうか。バトルに区切りがつきコントローラーを床に置くと、鳴海はスマホを手に取る。衝動的な怒りはすっかりおさまっている様子だった。
「出前頼むか。」
「…どこで受け取るんですか?」
「当直のオペレーターが入口で受け取って運んでくる。」
「最低ですね。ピザにしましょう。」
「僕が最低ならお前はそれ以下だ。」
減らず口。それは2人にピッタリな言葉であった。その後、ジャンクフードで目が覚めた2人は長谷川が扉を開けにくるまで、なんやかんやでゲームに明け暮れていた。
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