月下美人の横顔
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早朝の冷たい空気が、緩む神経を引き締めるかのような錯覚。間もなく、朝が来る。
薄暗い空が、ビル群の間を縫うようにズルズルと移動する巨大生物をあらわにする。目前に迫る巨体に息を呑む心地がした。ピリピリとした空気感。全員がスーツの開放戦力を最大値まで上げた状態。全面戦争に臨むかのような緊張感が、そこにはあった。
「全員、準備はええな?」
通信越しに返事を聞き、保科は次の指示を飛ばす。
「作戦は伝えた通りや。外的刺激を与え、核を片側に追い込んでいく。現状どこに核があるか分からんので端から、まあ尾っぽから中腹辺りまでやな。そこまで追い込んだら後は亜白隊長の領分や。」
各ビルの上層より、地表を移動する怪獣の胴体に小隊ごとの一斉射撃を行う。尾の方から順を追って攻撃を仕掛けていき、核の移動を促す。
「ほな、始めるで。斑鳩小隊より、攻撃始め!」
『了!!』
返事の直後、激しい発砲音が響き渡る。緩やかに移動する胴体の先端、尾の表面に爆ぜる複数の光。絶え間なく撃ち込まれる弾丸の雨は、受ければひとたまりもない攻撃。それでも、この小隊一個分の総攻撃さえ亜白の一撃には届かない。
『撃ち方止め!っ、損傷した肉体内に核を確認!前方に移動していくのが見えます!!』
「効果あり、ちゅーことやな!次、中之島小隊攻撃用意!」
勇ましい返事の後、尾より約300メートル離れた位置で同じように、攻撃が始まる。怪獣が身をよじり、鞭のようにビルにぶつかる。激しい揺れと悲鳴。反応を見るに手応えはあるようだ。
『ぅ、撃ち方止め!!』
「よくやった、各小隊至急退避せよ!次、保科小隊打ち方用意!」
ジャキ、と音を立てて皆が怪獣を見下ろす形で銃口を向ける。
「撃て!!」
保科の号令の直前、怪獣が勢い良く前方に動き出した。発砲した弾の位置が、予定着弾地点より後方にズレる。一斉射撃は中之島小隊の攻撃跡の付近に着弾した。
「チッ!」
保科は舌を打つ。こちらの作戦は不完全。しかし再配置を待ってくれるようなスピードではない。巨体の割に動きが速すぎる。小隊毎に順を追ってでは無く、一斉射撃にすれば良かったか。後悔先に立たずだ。やむを得ないがこのまま亜白に繋ぐしかない。歯噛みしながら保科は次の指示を飛ばした。
「全員、退避や!」
号令の直後皆がビルから退避行動を取る。その中で一人だけまったく逆の動きをするものがいた。
「バッ、雨宮!!!」
ライフルを抱えて走る姿にまさかと思ったのは一瞬で、彼女は勢い良くビルの屋上から飛び降りた。目の当たりにした全員が息を呑む中で、保科だけが動いていた。
「沖村、お前に指揮権を引き継ぐ。後は頼んだで。」
「えっ!?保科副隊長!!?」
頭に包帯を巻いた沖村が、驚きの声を上げた。保科も雨宮の後を追って飛び降りて行ったのだ。
落下する最中の雨宮は冷静だった。肩から下げたベルトを動かしライフルを背に回す。腰のホルダーからナイフを引き抜くと、逆手で力強く握り込む。スーツの開放戦力は先程のまま、今自分が出来る最大値を維持。着地の瞬間、前転して衝撃を逃す。振り落とされぬよう、地面にナイフを突き刺して顔をあげる。あたりを見回す。広い背中と再生する外皮。本獣の上であることは間違いなく、尾の先端が見えないことから中之島小隊が攻撃を当てた箇所よりやや前方に降りたらしい。
揺れに気をつけながら立ち上がり、怪獣の進行方向へと背の上を走っていく。
「雨宮ーー!!」
後方から聞こえる呼び声に振り返ると、全速力で走ってくる保科が見えた。立ち止まって保科が合流するのを見計らい、口を開く。
「…来たんですか、副隊長。」
あっけらかんとした態度で言い放つ姿に保科は憤慨する。
「あっったり前やろが!おまっ、危ないことすな!!!」
保科は雨宮の頭を思いっきり叩いた。
「いった…何ですかいきなり!」
「なんでもクソもないわボケ!!死ぬつもりか!?」
「毛頭ありません。」
「ならマジの考えなしってわけやなっ…」
呆れ返る保科に雨宮は異を唱えた。
「考えはあります。先程の作戦は不完全でした。街の被害状況を顧みるに、今から作戦を練り直す余地は無いと思います。だったら、ここで作戦の軌道修正が必要です。」
「…どないするつもりや?」
「保科小隊の一斉射撃着弾予定箇所に向かい、直接攻撃を叩き込みます。」
ライフルを構えて見せた雨宮は大真面目な顔をしていた。脳筋すぎる発言に、保科は空を仰ぎ片手で頭を押さえる。
「…ホンマに言っとるん?」
「ホンマです。じゃなけりゃ、本獣の上になんてわざわざ降りてきませんよ。兎に角、時間がありません。」
踵を返して走り出した雨宮。保科はその後を追いかける。
「君が言ったんやろ!一人の攻撃じゃ通らんて!」
「はいっ、言いました。それでもやらないと!」
「っ、何が君をそこまで動かす!?」
冷静な淡々とした姿を纏う、情熱の塊。それは恐ろしいほどだった。まとった皮が、剥がれていく。
「街が崩れたら、住民が帰ってこれなくなります!家を、帰る場所を失ってしまいます!!もしかしたら、まだ逃げ遅れた人がいるかもしれない!!だから!事態の収束は急を要します!!!」
「っ、だからって!君一人じゃどうこうできんやろ!」
「はい!ここに降りてきて、正直自信が無くなりかけてました!」
「なんやて!?」
急ブレーキをかけたように、雨宮は立ち止まる。振り返った彼女の髪が強風で舞い上がる。
「でも、貴方が来てくれました。だから今は、なんだか根拠のない自信に溢れています。」
肩で息をする雨宮は目尻を下げ、穏やかな笑みを浮かべた。保科はそれに目を奪われる。こんな戦場の真ん中で場違いなほどに柔らかな笑みは、彼の心を釘付けにした。ライフルとハンドガンを両手に構える雨宮。どうやら、ここが本来の攻撃予定地点であるようだ。
「サポート、お願いしますね。副隊長。」
「…まったく、ずるいやっちゃで。」
保科は溜息をついて武器を抜く。逆手に二振りの刀。
「そこまで信頼されとるなら応えなあかんな。僕も覚悟決めるわ。」
保科は亜白への回線を開く。
「こちら保科。聞こえとります隊長?」
『保科!?今どこにいる!?』
「本獣の上におります。」
回線越しに亜白が絶句しているのが目に浮かび、保科は苦笑する。
「僕の部隊からの攻撃が失敗しまして、今から予定していた位置に直接攻撃を叩き込むところです。」
『なっ、危険すぎる!!作戦は立て直すから、今すぐ退避しろ!!』
攻撃後、すぐに亜白の砲撃が始まるのことに問題があった。
「すぐに退避しますんで、やらせてくれませんか?僕だけやのうて、こっちにはじゃじゃ馬がおるんですよ。ここでバシッと上官らしいとこ見せな、テコでも動かなさそうでして。」
『っ…雨宮だな。』
変わる声音にこれは亜白もご立腹だと冷や汗をかく。
『分かった。ただし、必ず生きて戻れ。二人共だ。本体から離れたらすぐに合図するように。…帰還したら、覚えておけよ。』
「了。」
ブツリッと切れる回線。
「話、終わりました?」
「帰ったら僕諸共罰則やろな…」
「嬉しい限りですね。」
「思ってもないことを…」
保科は笑ってすぐ、深呼吸した。
「うだうだ言っててもしゃーない。作戦はシンプルにいこか。まず、僕がコイツで攻撃を叩き込む。そこに君が追撃する。弾倉が切れたら僕、その後は君、繰り返しや。ある程度本獣の中身が見え始めたら、退避して亜白隊長に合図する。目安はせやな、骨が見えるか、本体に大きな動きが見えたらくらいでどや?それならこいつも核動かすくらいには命の危険感じるやろ。」
「なんだか適当ですね。でも、いいと思います。」
「おしっ。やるで、雨宮。リミッター解除許可申請。」
「…了。」
スーツの開放戦力82%まで上昇。保科が纏う空気が変わったのを肌で感じ、雨宮は気を引き締め、マスクを装着する。
「飛ばしていくで。」
討伐術6式八重討ち。
空を割く音。足元に伸びる8重の交差線。ガパッと音を立てて足場が崩れる。雨宮は飛び退き、トリガーを引いて弾を撃ち込んでいく。硝煙と血飛沫があたりに広がっていく。
「10秒後、リロードします。」
「了。」
足元に向けた銃口を上げ、弾倉をその場に落とす。刹那、次の攻撃が入る。
討伐術4式乱れ討ち。
斬撃の風圧が雨宮の前髪を揺らす。それ程の至近距離でも彼女が巻き込まれないのは、保科の技量ゆえだろう。ジャキンッと音を立てて再び銃口を足元に向ける。発射される攻撃は初撃よりも、一発ごとの威力が大きい。保科は内心笑った。こんな状況でも、新人の成長が嬉しく思えてならないとは。それともこんな状況だからか。徐々に、雨宮の開放戦力があがっていく。
「10秒後、リロードです。」
ビシリと、雨宮の首筋に血管が浮き上がる。スーツの駆動限界が近いのか、涼しい顔をしてかなり無茶をしているらしい。
ガシャッと空の弾倉が落ちていく。彼女の鼻から流れる血が、これ以上は危ないことを訴える。保科はスーツの開放戦力を更に上げる。先程よりも力強く、全身全霊を込め刃を振り下ろした。
討伐術6式八重討ち。
最初と同じ技、それでも威力の違いは明白であった。陥没するように抉れる足元にズルリと雨宮は後ろに転びかける。保科は背中に手を回して彼女を支えるとその場から急いで離脱する。
「っ!まだやれます!!」
「充分や!最後のあれ、内部の筋肉が大きく収縮したんやろ。恐らく核が動いたんや。こっから先は僕等の領分やない。…あー、こちら保科。亜白隊長?」
雨宮を抱きかかえて走りながら保科は亜白へ回線を繋げる。
「バッチシです。今緊急離脱中ですんで、いつでもどうぞ。」
『そうか。二人共、よくやってくれた。こちらも今から攻撃に移る。』
「おおきに。…さて、雨宮。舌噛むなよ!」
「ちょっ、」
保科は怪獣の背から付近のビル目掛けて飛び移る。雨宮は保科の頭を抱えるように力強く抱きついた。ガシャンッと音を立ててガラス張りの窓が砕ける音。つんざくようなそれに耳が痛むのを感じながら歯を食いしばる。
抱き合ったまま床に転がる。パラパラとガラスの破片が落ちていく。保科は庇うようにかかえていた手をほどき、床に手をついて体を起こす。
「無事か、雨宮。」
「…なんとか。」
地面に転がったまま保科を見上げる雨宮。絞り出されるような弱々しい声は、強がりではなさそうだ。保科は立ち上がりると、雨宮の手を引き立たせてやる。直後、亜白の砲撃と思われる音が響き渡る。窓の近くに歩いていき、外の様子を見る。数回砲撃の音が響いた後、怪獣はその場から動かなくなり沈黙した。
「…倒したんでしょうか?」
「そうみたいやな。」
回線から流れる情報により、保科の肯定が正しいものであると知る。報告を聞いて二人は、脱力した。
「まったく、無茶しよって。」
「それほどでも。」
「褒めとらん。」
「…保科副隊長が来てくれたお陰ですよ。ありがとうございます。」
保科は隣に立つ雨宮を見下ろした。そこには気恥かしそうに目を伏せる彼女の姿がある。
「君、ほんとにずるいな。」
「…何がですが?」
不機嫌そうな表情にいつもの調子であると内心頷いた。
「さて、本獣撃破後の仕事と言えば?」
「余獣掃討です。」
「よろしい。部隊と合流もせなあかんな。行くで、雨宮。」
「はい。」
保科の後ろに、彼女はついていった。
「随分軽い罰やんな…」
「副隊長なのに、プライドがないんですか?」
「君、今日なんか当たり強ない?」
「当たり前です。貴方と違って私には多少、プライドがありますので。」
「ひ、酷い言い方するやん…」
トレーニングルームの一角にて、並んで正座する男女の姿がある。副隊長保科と新人雨宮。異様なその光景を見たものは、施設を利用せずにすぐに出て行ってしまう。この施設にしては珍しく、がらんどうであった。
「あと1時間もあるなんて、この空気感に耐えられません。」
「言うて1時間やん。よう耐えたわ2時間も。君、足痺れないん?僕は実家で慣れとるけど…」
無言の雨宮。見下ろすと、彼女の膝は微かに震えているようだった。
「…。」
何も言うなかれ。普段の淡々とした冷静さの一部が強がりであると知った今、保科は何も言わないでやることにした。可愛いものじゃないか。部下の自尊心をある程度守ってやることも、上官の務めである。他愛の無いことにフフッと保科が微笑んでいると、トレーニングルームの開く音がした。入り口からまっすぐに2人のもとに歩いてくる1人の有志。
「あの…」
「…凄いな、これ始めてから声掛けてきたの君だけやで、佐渡。」
「えっと、…すみません。」
目を逸らし、控えめな口調で謝る姿。雨宮と同室の佐渡志保だった。佐渡は少しオドオドとしてそれ以降、何も喋らない。沈黙を破ったのは、非常に不愉快そうな顔をした雨宮だった。
「…見世物じゃないんだけど?」
「コラ、雨宮。」
「何も用がないならどっか行って。」
刺々しい口調に、佐渡は下を向いてしまう。
「どうしてそんなキツイ言い方すんねん…同室やろ…」
「同室だろうがなんだろうが、冷やかされるのってムカつきません?」
「あのっ、その…冷やかしでは無いんです…」
佐渡は慌てて否定すると上着のポケットから何かを取り出し、雨宮の前に置く。
「…これは?」
「…雨宮さん、いつも頑張ってるから…。今回は罰則を受けちゃってるけど、1番前で戦ってくれてたし…その…し、失礼しました!」
佐渡は顔を真っ赤にして、小走りでトレーニングルームから出ていった。雨宮の前に綺麗に立てて置かれのは小さな箱菓子。パッケージに記載されたポップな文字と、チョコレートの写真。
「…めっちゃ良い子やん。」
「…。」
箱を手に取り、まじまじとそれを見下ろす雨宮。
「あっ…それ防衛隊の購買に売っとるやつやで。まあまあ良い値段のやつ。」
「へえ…そうなんですか。」
「なんや、満更でもなさそうな顔しよって。」
「うるさいですよ。」
社交性、人付き合いの問題も多少は解決の兆しが見えてきた。保科はそう、安心するのだった。
薄暗い空が、ビル群の間を縫うようにズルズルと移動する巨大生物をあらわにする。目前に迫る巨体に息を呑む心地がした。ピリピリとした空気感。全員がスーツの開放戦力を最大値まで上げた状態。全面戦争に臨むかのような緊張感が、そこにはあった。
「全員、準備はええな?」
通信越しに返事を聞き、保科は次の指示を飛ばす。
「作戦は伝えた通りや。外的刺激を与え、核を片側に追い込んでいく。現状どこに核があるか分からんので端から、まあ尾っぽから中腹辺りまでやな。そこまで追い込んだら後は亜白隊長の領分や。」
各ビルの上層より、地表を移動する怪獣の胴体に小隊ごとの一斉射撃を行う。尾の方から順を追って攻撃を仕掛けていき、核の移動を促す。
「ほな、始めるで。斑鳩小隊より、攻撃始め!」
『了!!』
返事の直後、激しい発砲音が響き渡る。緩やかに移動する胴体の先端、尾の表面に爆ぜる複数の光。絶え間なく撃ち込まれる弾丸の雨は、受ければひとたまりもない攻撃。それでも、この小隊一個分の総攻撃さえ亜白の一撃には届かない。
『撃ち方止め!っ、損傷した肉体内に核を確認!前方に移動していくのが見えます!!』
「効果あり、ちゅーことやな!次、中之島小隊攻撃用意!」
勇ましい返事の後、尾より約300メートル離れた位置で同じように、攻撃が始まる。怪獣が身をよじり、鞭のようにビルにぶつかる。激しい揺れと悲鳴。反応を見るに手応えはあるようだ。
『ぅ、撃ち方止め!!』
「よくやった、各小隊至急退避せよ!次、保科小隊打ち方用意!」
ジャキ、と音を立てて皆が怪獣を見下ろす形で銃口を向ける。
「撃て!!」
保科の号令の直前、怪獣が勢い良く前方に動き出した。発砲した弾の位置が、予定着弾地点より後方にズレる。一斉射撃は中之島小隊の攻撃跡の付近に着弾した。
「チッ!」
保科は舌を打つ。こちらの作戦は不完全。しかし再配置を待ってくれるようなスピードではない。巨体の割に動きが速すぎる。小隊毎に順を追ってでは無く、一斉射撃にすれば良かったか。後悔先に立たずだ。やむを得ないがこのまま亜白に繋ぐしかない。歯噛みしながら保科は次の指示を飛ばした。
「全員、退避や!」
号令の直後皆がビルから退避行動を取る。その中で一人だけまったく逆の動きをするものがいた。
「バッ、雨宮!!!」
ライフルを抱えて走る姿にまさかと思ったのは一瞬で、彼女は勢い良くビルの屋上から飛び降りた。目の当たりにした全員が息を呑む中で、保科だけが動いていた。
「沖村、お前に指揮権を引き継ぐ。後は頼んだで。」
「えっ!?保科副隊長!!?」
頭に包帯を巻いた沖村が、驚きの声を上げた。保科も雨宮の後を追って飛び降りて行ったのだ。
落下する最中の雨宮は冷静だった。肩から下げたベルトを動かしライフルを背に回す。腰のホルダーからナイフを引き抜くと、逆手で力強く握り込む。スーツの開放戦力は先程のまま、今自分が出来る最大値を維持。着地の瞬間、前転して衝撃を逃す。振り落とされぬよう、地面にナイフを突き刺して顔をあげる。あたりを見回す。広い背中と再生する外皮。本獣の上であることは間違いなく、尾の先端が見えないことから中之島小隊が攻撃を当てた箇所よりやや前方に降りたらしい。
揺れに気をつけながら立ち上がり、怪獣の進行方向へと背の上を走っていく。
「雨宮ーー!!」
後方から聞こえる呼び声に振り返ると、全速力で走ってくる保科が見えた。立ち止まって保科が合流するのを見計らい、口を開く。
「…来たんですか、副隊長。」
あっけらかんとした態度で言い放つ姿に保科は憤慨する。
「あっったり前やろが!おまっ、危ないことすな!!!」
保科は雨宮の頭を思いっきり叩いた。
「いった…何ですかいきなり!」
「なんでもクソもないわボケ!!死ぬつもりか!?」
「毛頭ありません。」
「ならマジの考えなしってわけやなっ…」
呆れ返る保科に雨宮は異を唱えた。
「考えはあります。先程の作戦は不完全でした。街の被害状況を顧みるに、今から作戦を練り直す余地は無いと思います。だったら、ここで作戦の軌道修正が必要です。」
「…どないするつもりや?」
「保科小隊の一斉射撃着弾予定箇所に向かい、直接攻撃を叩き込みます。」
ライフルを構えて見せた雨宮は大真面目な顔をしていた。脳筋すぎる発言に、保科は空を仰ぎ片手で頭を押さえる。
「…ホンマに言っとるん?」
「ホンマです。じゃなけりゃ、本獣の上になんてわざわざ降りてきませんよ。兎に角、時間がありません。」
踵を返して走り出した雨宮。保科はその後を追いかける。
「君が言ったんやろ!一人の攻撃じゃ通らんて!」
「はいっ、言いました。それでもやらないと!」
「っ、何が君をそこまで動かす!?」
冷静な淡々とした姿を纏う、情熱の塊。それは恐ろしいほどだった。まとった皮が、剥がれていく。
「街が崩れたら、住民が帰ってこれなくなります!家を、帰る場所を失ってしまいます!!もしかしたら、まだ逃げ遅れた人がいるかもしれない!!だから!事態の収束は急を要します!!!」
「っ、だからって!君一人じゃどうこうできんやろ!」
「はい!ここに降りてきて、正直自信が無くなりかけてました!」
「なんやて!?」
急ブレーキをかけたように、雨宮は立ち止まる。振り返った彼女の髪が強風で舞い上がる。
「でも、貴方が来てくれました。だから今は、なんだか根拠のない自信に溢れています。」
肩で息をする雨宮は目尻を下げ、穏やかな笑みを浮かべた。保科はそれに目を奪われる。こんな戦場の真ん中で場違いなほどに柔らかな笑みは、彼の心を釘付けにした。ライフルとハンドガンを両手に構える雨宮。どうやら、ここが本来の攻撃予定地点であるようだ。
「サポート、お願いしますね。副隊長。」
「…まったく、ずるいやっちゃで。」
保科は溜息をついて武器を抜く。逆手に二振りの刀。
「そこまで信頼されとるなら応えなあかんな。僕も覚悟決めるわ。」
保科は亜白への回線を開く。
「こちら保科。聞こえとります隊長?」
『保科!?今どこにいる!?』
「本獣の上におります。」
回線越しに亜白が絶句しているのが目に浮かび、保科は苦笑する。
「僕の部隊からの攻撃が失敗しまして、今から予定していた位置に直接攻撃を叩き込むところです。」
『なっ、危険すぎる!!作戦は立て直すから、今すぐ退避しろ!!』
攻撃後、すぐに亜白の砲撃が始まるのことに問題があった。
「すぐに退避しますんで、やらせてくれませんか?僕だけやのうて、こっちにはじゃじゃ馬がおるんですよ。ここでバシッと上官らしいとこ見せな、テコでも動かなさそうでして。」
『っ…雨宮だな。』
変わる声音にこれは亜白もご立腹だと冷や汗をかく。
『分かった。ただし、必ず生きて戻れ。二人共だ。本体から離れたらすぐに合図するように。…帰還したら、覚えておけよ。』
「了。」
ブツリッと切れる回線。
「話、終わりました?」
「帰ったら僕諸共罰則やろな…」
「嬉しい限りですね。」
「思ってもないことを…」
保科は笑ってすぐ、深呼吸した。
「うだうだ言っててもしゃーない。作戦はシンプルにいこか。まず、僕がコイツで攻撃を叩き込む。そこに君が追撃する。弾倉が切れたら僕、その後は君、繰り返しや。ある程度本獣の中身が見え始めたら、退避して亜白隊長に合図する。目安はせやな、骨が見えるか、本体に大きな動きが見えたらくらいでどや?それならこいつも核動かすくらいには命の危険感じるやろ。」
「なんだか適当ですね。でも、いいと思います。」
「おしっ。やるで、雨宮。リミッター解除許可申請。」
「…了。」
スーツの開放戦力82%まで上昇。保科が纏う空気が変わったのを肌で感じ、雨宮は気を引き締め、マスクを装着する。
「飛ばしていくで。」
討伐術6式八重討ち。
空を割く音。足元に伸びる8重の交差線。ガパッと音を立てて足場が崩れる。雨宮は飛び退き、トリガーを引いて弾を撃ち込んでいく。硝煙と血飛沫があたりに広がっていく。
「10秒後、リロードします。」
「了。」
足元に向けた銃口を上げ、弾倉をその場に落とす。刹那、次の攻撃が入る。
討伐術4式乱れ討ち。
斬撃の風圧が雨宮の前髪を揺らす。それ程の至近距離でも彼女が巻き込まれないのは、保科の技量ゆえだろう。ジャキンッと音を立てて再び銃口を足元に向ける。発射される攻撃は初撃よりも、一発ごとの威力が大きい。保科は内心笑った。こんな状況でも、新人の成長が嬉しく思えてならないとは。それともこんな状況だからか。徐々に、雨宮の開放戦力があがっていく。
「10秒後、リロードです。」
ビシリと、雨宮の首筋に血管が浮き上がる。スーツの駆動限界が近いのか、涼しい顔をしてかなり無茶をしているらしい。
ガシャッと空の弾倉が落ちていく。彼女の鼻から流れる血が、これ以上は危ないことを訴える。保科はスーツの開放戦力を更に上げる。先程よりも力強く、全身全霊を込め刃を振り下ろした。
討伐術6式八重討ち。
最初と同じ技、それでも威力の違いは明白であった。陥没するように抉れる足元にズルリと雨宮は後ろに転びかける。保科は背中に手を回して彼女を支えるとその場から急いで離脱する。
「っ!まだやれます!!」
「充分や!最後のあれ、内部の筋肉が大きく収縮したんやろ。恐らく核が動いたんや。こっから先は僕等の領分やない。…あー、こちら保科。亜白隊長?」
雨宮を抱きかかえて走りながら保科は亜白へ回線を繋げる。
「バッチシです。今緊急離脱中ですんで、いつでもどうぞ。」
『そうか。二人共、よくやってくれた。こちらも今から攻撃に移る。』
「おおきに。…さて、雨宮。舌噛むなよ!」
「ちょっ、」
保科は怪獣の背から付近のビル目掛けて飛び移る。雨宮は保科の頭を抱えるように力強く抱きついた。ガシャンッと音を立ててガラス張りの窓が砕ける音。つんざくようなそれに耳が痛むのを感じながら歯を食いしばる。
抱き合ったまま床に転がる。パラパラとガラスの破片が落ちていく。保科は庇うようにかかえていた手をほどき、床に手をついて体を起こす。
「無事か、雨宮。」
「…なんとか。」
地面に転がったまま保科を見上げる雨宮。絞り出されるような弱々しい声は、強がりではなさそうだ。保科は立ち上がりると、雨宮の手を引き立たせてやる。直後、亜白の砲撃と思われる音が響き渡る。窓の近くに歩いていき、外の様子を見る。数回砲撃の音が響いた後、怪獣はその場から動かなくなり沈黙した。
「…倒したんでしょうか?」
「そうみたいやな。」
回線から流れる情報により、保科の肯定が正しいものであると知る。報告を聞いて二人は、脱力した。
「まったく、無茶しよって。」
「それほどでも。」
「褒めとらん。」
「…保科副隊長が来てくれたお陰ですよ。ありがとうございます。」
保科は隣に立つ雨宮を見下ろした。そこには気恥かしそうに目を伏せる彼女の姿がある。
「君、ほんとにずるいな。」
「…何がですが?」
不機嫌そうな表情にいつもの調子であると内心頷いた。
「さて、本獣撃破後の仕事と言えば?」
「余獣掃討です。」
「よろしい。部隊と合流もせなあかんな。行くで、雨宮。」
「はい。」
保科の後ろに、彼女はついていった。
「随分軽い罰やんな…」
「副隊長なのに、プライドがないんですか?」
「君、今日なんか当たり強ない?」
「当たり前です。貴方と違って私には多少、プライドがありますので。」
「ひ、酷い言い方するやん…」
トレーニングルームの一角にて、並んで正座する男女の姿がある。副隊長保科と新人雨宮。異様なその光景を見たものは、施設を利用せずにすぐに出て行ってしまう。この施設にしては珍しく、がらんどうであった。
「あと1時間もあるなんて、この空気感に耐えられません。」
「言うて1時間やん。よう耐えたわ2時間も。君、足痺れないん?僕は実家で慣れとるけど…」
無言の雨宮。見下ろすと、彼女の膝は微かに震えているようだった。
「…。」
何も言うなかれ。普段の淡々とした冷静さの一部が強がりであると知った今、保科は何も言わないでやることにした。可愛いものじゃないか。部下の自尊心をある程度守ってやることも、上官の務めである。他愛の無いことにフフッと保科が微笑んでいると、トレーニングルームの開く音がした。入り口からまっすぐに2人のもとに歩いてくる1人の有志。
「あの…」
「…凄いな、これ始めてから声掛けてきたの君だけやで、佐渡。」
「えっと、…すみません。」
目を逸らし、控えめな口調で謝る姿。雨宮と同室の佐渡志保だった。佐渡は少しオドオドとしてそれ以降、何も喋らない。沈黙を破ったのは、非常に不愉快そうな顔をした雨宮だった。
「…見世物じゃないんだけど?」
「コラ、雨宮。」
「何も用がないならどっか行って。」
刺々しい口調に、佐渡は下を向いてしまう。
「どうしてそんなキツイ言い方すんねん…同室やろ…」
「同室だろうがなんだろうが、冷やかされるのってムカつきません?」
「あのっ、その…冷やかしでは無いんです…」
佐渡は慌てて否定すると上着のポケットから何かを取り出し、雨宮の前に置く。
「…これは?」
「…雨宮さん、いつも頑張ってるから…。今回は罰則を受けちゃってるけど、1番前で戦ってくれてたし…その…し、失礼しました!」
佐渡は顔を真っ赤にして、小走りでトレーニングルームから出ていった。雨宮の前に綺麗に立てて置かれのは小さな箱菓子。パッケージに記載されたポップな文字と、チョコレートの写真。
「…めっちゃ良い子やん。」
「…。」
箱を手に取り、まじまじとそれを見下ろす雨宮。
「あっ…それ防衛隊の購買に売っとるやつやで。まあまあ良い値段のやつ。」
「へえ…そうなんですか。」
「なんや、満更でもなさそうな顔しよって。」
「うるさいですよ。」
社交性、人付き合いの問題も多少は解決の兆しが見えてきた。保科はそう、安心するのだった。
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