月下美人の横顔
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「それで、保科副隊長は何故私に好意を?」
平隊員より広い間取りの部屋、窓際に置かれたベッドより離れ、入り口の手前に位置するシンプルな作りのダイニングテーブル。モノトーンな椅子に座る雨宮は、常と変わらぬ声音で問うた。上司を前にして膝を組んで座る不躾さのわりに、背筋はピシッと伸ばされ、向けられるのは仕事の時と変わらぬ鋭い視線。醸し出されるアンバランス感に、保科は彼女の緊張を読み取っていた。しかしそれを態度に出す男ではない。
「まあまあ、そない単刀直入にせんでも。今はオフやし、ゆっくり話そうや。」
テーブルにマグカップを2つ置く。湯気の立つ赤茶の水面はカフェインレスの紅茶だ。雨宮はチラリと一瞥するも、手を付けずに正面に座る保科を見る。
「その後、体の調子は?」
「…問題がないと言う事は、既に知っておいでなのでは?」
「一応、君からも聞いときたくてな。」
「…防衛隊のメディカルチェックに関しても復帰に異存は無く…ただ通常の定期検診外で、月に2度の受診を義務付けられています。」
月に2度の生態検査の義務付け。他、必要に応じた検査協力。雨宮本人と亜白による当時の報告からは、どう考えてもあり得ない損傷部位の再生。一命を取り留めたとはいえ、原因は定かでない。今後の怪獣実験技術に医療方面で新たな改革をもたらす可能性の他、雨宮本人が何らかの変異により死に至る可能性。各方面からの意向による決定には本人も了承済みだ。
「そうか…」
特に大きな問題でも無いといった態度の雨宮に反して、保科の表情は曇る。
「失礼ですが、貴方がそんな顔をする必要はないかと。これはあくまで、私自身に起きた事柄による帰結ですから。」
「…なんか…最近良うなったと思っとったけど…君、やっぱそういうとこあるよな。」
「ご心配なく。私を案じての反応であることは分かっています。しかし亜白隊長にも貴方にも、多くの部下がいますから。いち隊員の安否で都度、一喜一憂されていては身も心も保たないでしょう。ひとまず、生きている私のことは視野から外してよろしいかと。」
正直、目を掛けてくれてるとはいえ。保科がここまで自分の安否を気にするとは思ってもみなかったから。プライベートな理由はともかくとして、こと仕事に関しては。割り切っているだろうと雨宮は解釈していた。結論として、それは勝手な解釈だったわけだが。
「ここまで来といて…君だからこない心配してしてるとか思わんの?」
保科はズイッとテーブルに身を乗り出し、片肘をついて顎を支える。切れ長な視線の奥、かち合った眼に宿る熱。確かな情の籠もるそれに怖気付いた雨宮は、無言で視線を落としマグカップを持ち上げた。無言の間、紅茶をすする控えめな音だけが部屋に響く。饒舌にも思えた口頭が、プッツリと途切れて暫くたった頃。
「…………それで、保科副隊長は何故私に好意を?」
「面接官かて。」
たっぷり時間をかけて落ち着きを取り戻した先は、冒頭と同じく志望動機でも聞くかのような口振り。保科はあ゙ぁ゙ーっ゙と呻きを上げ、椅子に背を勢いよく押し付けた。
病室での一件以来。復帰後の雨宮が保科を事あるごとに避けて半月、仕事上の会話といえど目も合わない始末。予兆はあったのだ。これまで彼女がしてきた言動は、色々と理解していてのことだと思っていた。しかし彼女はまったく分かっていなかった。まさか彼女がこんなにも恋愛に関して無知蒙昧だったとは。彼女の脳味噌には何が詰まっているのか。仕事か。仕事に関する情報を筋繊維で繋いでるのか。だから恋愛に関する情報など付け入る隙も無いんじゃないのか。脳味噌が筋肉で出来てるとか、こんな華奢な見た目してんのにどうなってんだ。保科の中で構成された彼女の全体像が崩れていく。可愛くてちょっと小悪魔で強い情熱を持つ女像が、猪突猛進で少し賢い馬鹿に変わっていく。にっちもさっちも行かない、このままでは進展に大幅な遅延が発生する。
「あんなぁ…それ言わせる?」
「はい。物事に関しまして、原因、過程、結果。この3つは基本ですから。」
彼女にとってこの問いは、「保科副隊長って、私のこと好きなんですか?」の延長線上にある。所謂、愛情の確認ではない率直な疑問。そんなつもりで接してきたわけではない雨宮は、好意を持たれる理由をマジで分かっていなかった。ある意味、保科が面接される立場っぽい状況なことは言いえて妙。
「その理論に則って事細かく説明すんのも癪やけど。せやなぁ…」
雨宮の強行的な事実に基づく感情確認。それに恥じらうほどに、保科の経験は浅くない。ある程度大人としての余裕を持つ彼は、雨宮に呆れつつも確認作業に付き合ってやることにした。現在進行形の先端にある感情から遡ること、2年前。
「始めは、こいつやたら手が掛かるなー…くらいだったかな。」
「成績優秀者に対して失礼ですね。」
「そーゆうんじゃなくてな?…ま、そんなとこも可愛いな〜…と、思っとったんよ。なんか、妹みたいで。」
「妹さんはいないのでは?」
「いないけども。いたらこんな感じだろうな、ってこと。」
手が掛かる妹のような、手塩に掛けて育てた部下。それを可愛く思わない者はほとんどいないだろう。保科は情に厚い人間なので、無論雨宮のことは悪しからず思っていた。
「僕もまだまだ未熟もんやけど、一応上官やし。君が成長していくんを見るのは、嬉しかったな…勿論、今もだけど。」
「……そうですか…」
すいっと反らした視線に保科は顔を綻ばせる。酒の席で以前似たような会話をしたが、今は完全に素面だ。雨宮としては気恥ずかしいことこの上ないだろう。
「なんや、照れてる?」
「べつに、照れてません。」
「そんな分かりやすいとこも好きなんやけど…今回の一件で自覚したのが大きいかな。」
「一件とは。」
「君さぁ、…ついこないだまで生死不明だったのもう忘れとるん?」
「覚えていますよ。」
保科の胡乱な視線に雨宮は解せぬと首を傾げる。
「私が死にかけたことで、私への好意を自覚したと?」
「いちいち確認とらんでええねん…君って、よく危ないことするやん。毎回毎回肝が冷えるんにも、慣れてきた頃だったんよ。」
新人の頃から変わらない、その無鉄砲さ。窮地において迫られる咄嗟の判断の中、自分の生死を採算に入れない、いっそ馬鹿に見える程の合理性。どの口が死なないなどと、のたまうのか。死に急ぐよう動く者を見て、周りの人間は動かぬわけにはいかないので、フォローに引っ張られる。決断力と行動力、加えて人を動かす力があると言えば聞こえは良いが。最短での作戦遂行による上からの好評価は結果論にすぎず、常に成果を得られるとは限らない。
「第3の誰よりも、いつか絶対に死ぬと思ってた。それがこないだの件で、ついに来たかと思ってな。まぁ、心の準備はある程度しとったつもりやったんけど…君が僕の見えないとこで死んだってのが、だいぶ効いた。」
あの雪の日、きっと個人的な理由で移籍を止めた。あの時、雨宮が言った言葉は的を得ていた。見えないところで死んで欲しくなかった。見えるところにいれば、守れるかもしれないから。多分あの時すでに、彼女のことが好きだった。目を離せない部下から目で追ってしまう相手に変わっていたのは、もっと前からかもしれない。
「言うても終わってしまったことだから、切り替えてかなアカンと思った。言い方悪いがよくあることだし、君が死んでも僕のやるべきことは変わらない。」
どんなに大切な人が逝こうとも、世界は変わらない。日常は続いていく。喪失、悲観、後悔に。どれだけ折り合いがつかなくとも、どうあっても日々は過ぎて進んでいく。まして立ち止まってなどいられない立場なら、体を引きずってでも前に進まなくてはならない。
「君の死は振りきれんけど、亜白隊長の背中押してやらなと思ってたとこだった。したら、君は生きてて無事や言うし。顔見に行ったらいつも通りで、突拍子もないこと聞いてくるし。そん時の僕の気持ち、君に分かる?」
雨宮は何も答えられなかった。
大事な人を失わずに済んだ深い安堵など、知るはずが無いのだから、分かりようもない。
「何を言っとるんやコイツって思ったけど、僕もよく理解したわ。自分で思うより何十倍も、君が大事ってこと。」
生きてて良かった、その先に自覚した想いは単純で。すんなりと受け入れられた。
「この先、君が死んだら絶対に後悔する。だからこの気持ちを片付けたくない。君が好きだから、生きてる今は僕のそばにいて欲しいって思う。…納得出来たか?」
「………理解、しました。」
「ん、なら良し。で、どうなん?僕の気持ちに応える気は、ある?」
好意の経過に関して分かりやすく言葉で説明した保科。雨宮は俯いたまま、目を合わせられないままで、ただ胸に烟る想いを伝える。
「ごめんなさい、無理です。」
「…えー…ここまでちゃんと言わせといて?」
開いた口を閉じ、ほんの一瞬思案する。そうして非難する様子を一切出さず、拍子抜けした態度で聞いてやる。なんなら、少しの穏やかささえも添えて。雨宮の声が震えていたから、保科はちゃんとわけを聞いてやることにした。
雨宮は心臓に纏わりつく嫌悪と不快感を、その正体をとりとめなく吐き出していく。
「わた、しは…貴方が自覚した熱量と同等なものを、持ち得るか分かりません。…けれど残された人間として、大切な人の死に対する感情も、その重要性も理解できます。生きているならそばにいたいと思う気持ちも。」
「…うん。」
「…失ってから、先に進めてなどいません。故人に、囚われたまま生きています。…あの人がそういう、大事な人の為に命を懸けられる人格を持っていたことは、分かるんです。」
「うん。」
「でも私が誰かの、本当の意味で大事な人間になってしまって、その人に同じ思いをさせるのは、嫌なんです。最後のお別れだってちゃんと出来なくて、ただ、誰かを残していくのは、」
「雨宮、」
「分かってるんです、誰かを守るということは、そういうことだって。貴方にそんな思いをさせてしまったことも、申し訳なく思います。…でも私は、もう耐えられない。私が…私、が…そんな風に、誰かの心に残るのは、嫌です。誰かの心の傷になるのは、嫌なんです。」
震える声音が紡ぐ、深層心理。
守るという決意の代償。誰かの為に死ぬことは、誰かに傷を残すということ。保科の誠意は、雨宮帆鳥の心に残る傷を刺激した。彼女を今日ここまで突き動かしてきた物の正体は、痛み。その痛みと向き合う為に、無我夢中で兄の後を追ったのだ。兄の思いを知りたかった。知って納得して、前に進みたかった。知ってもなお、深い悲しみによる傷みは癒えきらず、心の奥底に根付いて彼女を蝕んでいる。自分自身でそれをよく理解しているからこその拒絶。
「そんなん言うたって、もう遅いと思うけど。君、自分が周りの人間から惜しまれないと思ってる?」
「いいえ。友人も同僚も、家族も。きっと泣いてくれるでしょう。でも一時です。きっと…乗り越えていける程度です。」
「はは、分かってるなら雨宮参謀にもうちょい優しくしたりや。」
「いやです。」
「即答…まぁ、それはそれとして。」
娘に拒否される参謀長官に対し同情を抱きつつ、保科は椅子から腰をあげる。
前に立ったとて、いまだ下を向いたままの顔を両手で包むと、指先から掌が、生温い水でしとどに濡れる。滑る頬を柔く掴みゆっくり上を向かせると、雨宮は泣いていた。耐えるように眉を寄せ、開かれた瞳に張った膜が揺らいでボロボロと大粒の涙が溢れる。
初めて見る表情に感じる、純粋な憐憫。この苦しみを少しでも除いてやりたい。しかし同時に抱く、微かな喜びと独占欲。この弱さを、誰かに見せてやりたくない。
あぁ、やっぱりこいつが好きだ。
保科は穏やかな態度を変えず、内心で苦笑した。剥き出しの心に対し、己のなんと打算的なことか。
「なんで僕は乗り越えていけないと思うん?」
「家族や恋人は、重みが違うから…」
「一概には言えんて。友人だろうが同僚だろうが、家族恋人以上か同じくらい、大切になることもあるよ。」
君、分かってないな〜と笑う保科。
「君が恋人にならなくても、僕は目一杯悲しむで。…亜白隊長もな。」
「…」
「でも、僕等は大丈夫。ちゃんと前に進める。」
「なんで、そんなことが言えるんですか。経験したことなんてないくせに。」
「君はここまで歩いてきたやろ。不器用なりに逃げんで、ここまで向き合ってきたやん。」
7年を過ぎまもなく8年に差し掛かる古傷。理解したとて納得することなど出来ず、この痛みを消し去ることは出来なかった。きっと生涯、消えることなどないのかもしれない。
「乗り越えなくてもええねん、それで良いやろ。…でも、たまには笑ってやらんとな。じゃなきゃお兄さんも頑張った甲斐ないで?」
「傲慢な考え方ですね。…笑っていて欲しいと思うなら…」
吐き捨てる非難には、最後の後悔が混じる。
「帰ってきて欲しかった…いってらっしゃいも、言わなかったのに、…」
朝早くに家を出た後ろ姿を覚えている。自分が学校に行くよりもずっと早い時間、起き抜けに見た荷物を背負う背中。玄関の扉を開いたとき、此方に気付いて振り返った兄は、行ってきます、と言った。
それが最後だった。
兄はそういう人だった。出来ない約束をしない父と違って、兄は無計画な人だった。合理性はなく、常に目先の事柄を優先していた。絶対行くからとか言って、学校行事に来たことなんて無かった。家族の為に何とか時間を作ろうとしていたことも知っていた。忙しいことなんて分かっていたけど。
あの日も、送り出す言葉を言えなかった。意地になって、目前の温もりから逃げた。
「誰かを大事になりたくありません。大事にして欲しくもない。」
「へー…僕にキスされたの、嫌だった?」
「論点が違います…貴方が嫌いとか、そういうことじゃありません。」
「じゃ、嫌じゃなかったんや。」
涙を拭うように、親指で薄い頬を撫でる。
「お兄さんの気持ちを知りたかったからここに来たんやろ。だったら本当に大事な人間の1人でも作って、もっと理解深めてみたら?」
雨宮は言葉に詰まる。保科の言葉は納得せざるを得ない、核心だった。見開き固まった表情に満足した保科は正当な意見に想いを乗せる。
「君が好き。だから恋人になって欲しい。」
感情論を丁寧な理詰めで封じた告白には、断る余地など無かった。
平隊員より広い間取りの部屋、窓際に置かれたベッドより離れ、入り口の手前に位置するシンプルな作りのダイニングテーブル。モノトーンな椅子に座る雨宮は、常と変わらぬ声音で問うた。上司を前にして膝を組んで座る不躾さのわりに、背筋はピシッと伸ばされ、向けられるのは仕事の時と変わらぬ鋭い視線。醸し出されるアンバランス感に、保科は彼女の緊張を読み取っていた。しかしそれを態度に出す男ではない。
「まあまあ、そない単刀直入にせんでも。今はオフやし、ゆっくり話そうや。」
テーブルにマグカップを2つ置く。湯気の立つ赤茶の水面はカフェインレスの紅茶だ。雨宮はチラリと一瞥するも、手を付けずに正面に座る保科を見る。
「その後、体の調子は?」
「…問題がないと言う事は、既に知っておいでなのでは?」
「一応、君からも聞いときたくてな。」
「…防衛隊のメディカルチェックに関しても復帰に異存は無く…ただ通常の定期検診外で、月に2度の受診を義務付けられています。」
月に2度の生態検査の義務付け。他、必要に応じた検査協力。雨宮本人と亜白による当時の報告からは、どう考えてもあり得ない損傷部位の再生。一命を取り留めたとはいえ、原因は定かでない。今後の怪獣実験技術に医療方面で新たな改革をもたらす可能性の他、雨宮本人が何らかの変異により死に至る可能性。各方面からの意向による決定には本人も了承済みだ。
「そうか…」
特に大きな問題でも無いといった態度の雨宮に反して、保科の表情は曇る。
「失礼ですが、貴方がそんな顔をする必要はないかと。これはあくまで、私自身に起きた事柄による帰結ですから。」
「…なんか…最近良うなったと思っとったけど…君、やっぱそういうとこあるよな。」
「ご心配なく。私を案じての反応であることは分かっています。しかし亜白隊長にも貴方にも、多くの部下がいますから。いち隊員の安否で都度、一喜一憂されていては身も心も保たないでしょう。ひとまず、生きている私のことは視野から外してよろしいかと。」
正直、目を掛けてくれてるとはいえ。保科がここまで自分の安否を気にするとは思ってもみなかったから。プライベートな理由はともかくとして、こと仕事に関しては。割り切っているだろうと雨宮は解釈していた。結論として、それは勝手な解釈だったわけだが。
「ここまで来といて…君だからこない心配してしてるとか思わんの?」
保科はズイッとテーブルに身を乗り出し、片肘をついて顎を支える。切れ長な視線の奥、かち合った眼に宿る熱。確かな情の籠もるそれに怖気付いた雨宮は、無言で視線を落としマグカップを持ち上げた。無言の間、紅茶をすする控えめな音だけが部屋に響く。饒舌にも思えた口頭が、プッツリと途切れて暫くたった頃。
「…………それで、保科副隊長は何故私に好意を?」
「面接官かて。」
たっぷり時間をかけて落ち着きを取り戻した先は、冒頭と同じく志望動機でも聞くかのような口振り。保科はあ゙ぁ゙ーっ゙と呻きを上げ、椅子に背を勢いよく押し付けた。
病室での一件以来。復帰後の雨宮が保科を事あるごとに避けて半月、仕事上の会話といえど目も合わない始末。予兆はあったのだ。これまで彼女がしてきた言動は、色々と理解していてのことだと思っていた。しかし彼女はまったく分かっていなかった。まさか彼女がこんなにも恋愛に関して無知蒙昧だったとは。彼女の脳味噌には何が詰まっているのか。仕事か。仕事に関する情報を筋繊維で繋いでるのか。だから恋愛に関する情報など付け入る隙も無いんじゃないのか。脳味噌が筋肉で出来てるとか、こんな華奢な見た目してんのにどうなってんだ。保科の中で構成された彼女の全体像が崩れていく。可愛くてちょっと小悪魔で強い情熱を持つ女像が、猪突猛進で少し賢い馬鹿に変わっていく。にっちもさっちも行かない、このままでは進展に大幅な遅延が発生する。
「あんなぁ…それ言わせる?」
「はい。物事に関しまして、原因、過程、結果。この3つは基本ですから。」
彼女にとってこの問いは、「保科副隊長って、私のこと好きなんですか?」の延長線上にある。所謂、愛情の確認ではない率直な疑問。そんなつもりで接してきたわけではない雨宮は、好意を持たれる理由をマジで分かっていなかった。ある意味、保科が面接される立場っぽい状況なことは言いえて妙。
「その理論に則って事細かく説明すんのも癪やけど。せやなぁ…」
雨宮の強行的な事実に基づく感情確認。それに恥じらうほどに、保科の経験は浅くない。ある程度大人としての余裕を持つ彼は、雨宮に呆れつつも確認作業に付き合ってやることにした。現在進行形の先端にある感情から遡ること、2年前。
「始めは、こいつやたら手が掛かるなー…くらいだったかな。」
「成績優秀者に対して失礼ですね。」
「そーゆうんじゃなくてな?…ま、そんなとこも可愛いな〜…と、思っとったんよ。なんか、妹みたいで。」
「妹さんはいないのでは?」
「いないけども。いたらこんな感じだろうな、ってこと。」
手が掛かる妹のような、手塩に掛けて育てた部下。それを可愛く思わない者はほとんどいないだろう。保科は情に厚い人間なので、無論雨宮のことは悪しからず思っていた。
「僕もまだまだ未熟もんやけど、一応上官やし。君が成長していくんを見るのは、嬉しかったな…勿論、今もだけど。」
「……そうですか…」
すいっと反らした視線に保科は顔を綻ばせる。酒の席で以前似たような会話をしたが、今は完全に素面だ。雨宮としては気恥ずかしいことこの上ないだろう。
「なんや、照れてる?」
「べつに、照れてません。」
「そんな分かりやすいとこも好きなんやけど…今回の一件で自覚したのが大きいかな。」
「一件とは。」
「君さぁ、…ついこないだまで生死不明だったのもう忘れとるん?」
「覚えていますよ。」
保科の胡乱な視線に雨宮は解せぬと首を傾げる。
「私が死にかけたことで、私への好意を自覚したと?」
「いちいち確認とらんでええねん…君って、よく危ないことするやん。毎回毎回肝が冷えるんにも、慣れてきた頃だったんよ。」
新人の頃から変わらない、その無鉄砲さ。窮地において迫られる咄嗟の判断の中、自分の生死を採算に入れない、いっそ馬鹿に見える程の合理性。どの口が死なないなどと、のたまうのか。死に急ぐよう動く者を見て、周りの人間は動かぬわけにはいかないので、フォローに引っ張られる。決断力と行動力、加えて人を動かす力があると言えば聞こえは良いが。最短での作戦遂行による上からの好評価は結果論にすぎず、常に成果を得られるとは限らない。
「第3の誰よりも、いつか絶対に死ぬと思ってた。それがこないだの件で、ついに来たかと思ってな。まぁ、心の準備はある程度しとったつもりやったんけど…君が僕の見えないとこで死んだってのが、だいぶ効いた。」
あの雪の日、きっと個人的な理由で移籍を止めた。あの時、雨宮が言った言葉は的を得ていた。見えないところで死んで欲しくなかった。見えるところにいれば、守れるかもしれないから。多分あの時すでに、彼女のことが好きだった。目を離せない部下から目で追ってしまう相手に変わっていたのは、もっと前からかもしれない。
「言うても終わってしまったことだから、切り替えてかなアカンと思った。言い方悪いがよくあることだし、君が死んでも僕のやるべきことは変わらない。」
どんなに大切な人が逝こうとも、世界は変わらない。日常は続いていく。喪失、悲観、後悔に。どれだけ折り合いがつかなくとも、どうあっても日々は過ぎて進んでいく。まして立ち止まってなどいられない立場なら、体を引きずってでも前に進まなくてはならない。
「君の死は振りきれんけど、亜白隊長の背中押してやらなと思ってたとこだった。したら、君は生きてて無事や言うし。顔見に行ったらいつも通りで、突拍子もないこと聞いてくるし。そん時の僕の気持ち、君に分かる?」
雨宮は何も答えられなかった。
大事な人を失わずに済んだ深い安堵など、知るはずが無いのだから、分かりようもない。
「何を言っとるんやコイツって思ったけど、僕もよく理解したわ。自分で思うより何十倍も、君が大事ってこと。」
生きてて良かった、その先に自覚した想いは単純で。すんなりと受け入れられた。
「この先、君が死んだら絶対に後悔する。だからこの気持ちを片付けたくない。君が好きだから、生きてる今は僕のそばにいて欲しいって思う。…納得出来たか?」
「………理解、しました。」
「ん、なら良し。で、どうなん?僕の気持ちに応える気は、ある?」
好意の経過に関して分かりやすく言葉で説明した保科。雨宮は俯いたまま、目を合わせられないままで、ただ胸に烟る想いを伝える。
「ごめんなさい、無理です。」
「…えー…ここまでちゃんと言わせといて?」
開いた口を閉じ、ほんの一瞬思案する。そうして非難する様子を一切出さず、拍子抜けした態度で聞いてやる。なんなら、少しの穏やかささえも添えて。雨宮の声が震えていたから、保科はちゃんとわけを聞いてやることにした。
雨宮は心臓に纏わりつく嫌悪と不快感を、その正体をとりとめなく吐き出していく。
「わた、しは…貴方が自覚した熱量と同等なものを、持ち得るか分かりません。…けれど残された人間として、大切な人の死に対する感情も、その重要性も理解できます。生きているならそばにいたいと思う気持ちも。」
「…うん。」
「…失ってから、先に進めてなどいません。故人に、囚われたまま生きています。…あの人がそういう、大事な人の為に命を懸けられる人格を持っていたことは、分かるんです。」
「うん。」
「でも私が誰かの、本当の意味で大事な人間になってしまって、その人に同じ思いをさせるのは、嫌なんです。最後のお別れだってちゃんと出来なくて、ただ、誰かを残していくのは、」
「雨宮、」
「分かってるんです、誰かを守るということは、そういうことだって。貴方にそんな思いをさせてしまったことも、申し訳なく思います。…でも私は、もう耐えられない。私が…私、が…そんな風に、誰かの心に残るのは、嫌です。誰かの心の傷になるのは、嫌なんです。」
震える声音が紡ぐ、深層心理。
守るという決意の代償。誰かの為に死ぬことは、誰かに傷を残すということ。保科の誠意は、雨宮帆鳥の心に残る傷を刺激した。彼女を今日ここまで突き動かしてきた物の正体は、痛み。その痛みと向き合う為に、無我夢中で兄の後を追ったのだ。兄の思いを知りたかった。知って納得して、前に進みたかった。知ってもなお、深い悲しみによる傷みは癒えきらず、心の奥底に根付いて彼女を蝕んでいる。自分自身でそれをよく理解しているからこその拒絶。
「そんなん言うたって、もう遅いと思うけど。君、自分が周りの人間から惜しまれないと思ってる?」
「いいえ。友人も同僚も、家族も。きっと泣いてくれるでしょう。でも一時です。きっと…乗り越えていける程度です。」
「はは、分かってるなら雨宮参謀にもうちょい優しくしたりや。」
「いやです。」
「即答…まぁ、それはそれとして。」
娘に拒否される参謀長官に対し同情を抱きつつ、保科は椅子から腰をあげる。
前に立ったとて、いまだ下を向いたままの顔を両手で包むと、指先から掌が、生温い水でしとどに濡れる。滑る頬を柔く掴みゆっくり上を向かせると、雨宮は泣いていた。耐えるように眉を寄せ、開かれた瞳に張った膜が揺らいでボロボロと大粒の涙が溢れる。
初めて見る表情に感じる、純粋な憐憫。この苦しみを少しでも除いてやりたい。しかし同時に抱く、微かな喜びと独占欲。この弱さを、誰かに見せてやりたくない。
あぁ、やっぱりこいつが好きだ。
保科は穏やかな態度を変えず、内心で苦笑した。剥き出しの心に対し、己のなんと打算的なことか。
「なんで僕は乗り越えていけないと思うん?」
「家族や恋人は、重みが違うから…」
「一概には言えんて。友人だろうが同僚だろうが、家族恋人以上か同じくらい、大切になることもあるよ。」
君、分かってないな〜と笑う保科。
「君が恋人にならなくても、僕は目一杯悲しむで。…亜白隊長もな。」
「…」
「でも、僕等は大丈夫。ちゃんと前に進める。」
「なんで、そんなことが言えるんですか。経験したことなんてないくせに。」
「君はここまで歩いてきたやろ。不器用なりに逃げんで、ここまで向き合ってきたやん。」
7年を過ぎまもなく8年に差し掛かる古傷。理解したとて納得することなど出来ず、この痛みを消し去ることは出来なかった。きっと生涯、消えることなどないのかもしれない。
「乗り越えなくてもええねん、それで良いやろ。…でも、たまには笑ってやらんとな。じゃなきゃお兄さんも頑張った甲斐ないで?」
「傲慢な考え方ですね。…笑っていて欲しいと思うなら…」
吐き捨てる非難には、最後の後悔が混じる。
「帰ってきて欲しかった…いってらっしゃいも、言わなかったのに、…」
朝早くに家を出た後ろ姿を覚えている。自分が学校に行くよりもずっと早い時間、起き抜けに見た荷物を背負う背中。玄関の扉を開いたとき、此方に気付いて振り返った兄は、行ってきます、と言った。
それが最後だった。
兄はそういう人だった。出来ない約束をしない父と違って、兄は無計画な人だった。合理性はなく、常に目先の事柄を優先していた。絶対行くからとか言って、学校行事に来たことなんて無かった。家族の為に何とか時間を作ろうとしていたことも知っていた。忙しいことなんて分かっていたけど。
あの日も、送り出す言葉を言えなかった。意地になって、目前の温もりから逃げた。
「誰かを大事になりたくありません。大事にして欲しくもない。」
「へー…僕にキスされたの、嫌だった?」
「論点が違います…貴方が嫌いとか、そういうことじゃありません。」
「じゃ、嫌じゃなかったんや。」
涙を拭うように、親指で薄い頬を撫でる。
「お兄さんの気持ちを知りたかったからここに来たんやろ。だったら本当に大事な人間の1人でも作って、もっと理解深めてみたら?」
雨宮は言葉に詰まる。保科の言葉は納得せざるを得ない、核心だった。見開き固まった表情に満足した保科は正当な意見に想いを乗せる。
「君が好き。だから恋人になって欲しい。」
感情論を丁寧な理詰めで封じた告白には、断る余地など無かった。
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