月下美人の横顔
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『最終審査…終了。』
こわごわとしたオペレーターの声が演習場に静かに響く。試験終了の合図だった。それを聞くと同時に、ハンドガンをホルスターに収めマスクを外した。血生臭い匂い。醜悪な臭いが鼻についても、解放感の方が勝る。
瞼を閉じて深く息を吸う。静かだ。まるでこの世界にいるのが、私一人だけみたい。そんな爽快感が胸の内からあふれるようだった。烈火のように血湧き暴れていた情動が、穏やかに均されていく。
『お疲れさまでした。これにて、試験の全過程を終了します。全受験者は速やかに…』
次のアナウンスと共に踵を返す。振り返ると、ポツリポツリと見える他の受験者達。どうやら私より前には、誰も進めなかったらしい。畏怖の眼差しを全身に受けながら着た道を戻っていく。
演習場の入り口までつき、やっと。肩の荷が降りたかのような気分になる。ハァっと息をついた。
満足のいく結果だ。試験の感想はそれにつきる。
「雨宮帆鳥。とんでもないルーキーが来たもんやで…」
書類に落としていた視線をチラリと向ける。感嘆の声を上げた主、保科宗四郎。にこやかなその表情。それを確認すると、亜白ミナはすぐに視線を卓上に広がる書類の上に戻した。保科は亜白の態度に苦笑しながら手に持っていた書類の束を彼女の机に追加する。
「2次試験もブッチギリでしたね。1部体力、2部適性試験共に堂々の1位。加えてスーツの解放戦力、37%とくれば文句なしの逸材ですわ。」
個々の試験結果を纏めた書類の束。その1番上にあるのはまさに今しがた保科が褒め称えていた人物についての経歴が記されている。
「…いい動きする受験者もわりといたと思いますが、ほぼ彼女に食われてますね。」
食われてるとは、手柄のことを指しているのだろう。2次試験2部で行われた試験内容は怪獣討伐。演習場に放たれた怪獣の殆どは彼女の手によって倒された。
「出身は一般の高校でアレとは…ホンマにバケモンですよ。やっぱりお父様のシゴキの賜物でしょうかね?」
「かもな。」
亜白は大きな溜息をついて椅子にもたれかかった。
通常、防衛隊への入隊志願者の経歴といえば一般的に討伐大学や専門高校出身者が多い。しかしこの受験者は普通科の高等学校出身者でありながら、これほどの結果を叩き出してみせた。その理由を彼女の父が防衛隊の幹部であるからではと勘ぐるのは自然だった。
日本防衛隊参謀長官、雨宮吾郎。何を隠そう、雨宮帆鳥はその人の娘である。
「人の悪い方だよ…。」
「ホンマに。娘さんが受けるなら、一声かけてくれても良かったのになぁ。」
「…来てしまったものは仕方ないさ。」
「来ない方が良かったみたいな言い方ですね。」
冗談だと分かる軽い口調。それを分かっているだろう亜白の顔は、存外に苦々しい。保科は笑みを引っ込めた。
「どうかしました?」
「…なんでもないよ。」
若干の歯切れの悪さを滲ませる亜白の返事。保科は開いた口を閉じる。その時はそれ以上追求しなかった。副隊長に昇進してまだ日が浅いのだ。進んで不興を買う必要は無い。
数ヶ月後、立川基地にて。よく晴れた日だった。
非常に厳粛な空気の中、式は着々と進んでいく。真新しい制服を身に着けた防衛隊員達が整列するのを見ていると、自分が入隊した頃を思い出すようだった。亜白は少しの懐かしさに浸りながら幹部達の話を聞く。
「では、入隊証書授与に移ります。亜白隊長、お願いします。」
返事をして壇上に上がり、内心で息をつく。ジワジワと懐かしさに滲む憂鬱さ。どんな顔で彼女と向き合えばいいのだろうか。名前を呼ぶ直前までそれほど考えていなかった、否。考えないようにしていた問題に直面しながら厳かに口を開く。
「合格者代表首席、雨宮帆鳥。」
「はい。」
大きすぎず、小さすぎず淡々とした声。彼女は最前列から抜け、静かにこちらへ歩いてきた。壇上へのぼり、目の前に立った彼女はまっすぐにこちらを見上げる。無感情な顔。例年、この場に呼ばれる首席の隊員は堂々と自信に満ちた顔、緊張した顔等、何かしらの感情に満ちた表情で立っているものだ。だが、彼女は驚くほど静かな表情をしていた。
今、何を思っているのか。なにひとつ読み取れないまま、通例の言葉を述べる。
「本日を持って、君達25名を防衛隊隊員に任命する。」
「25名を代表して命をかけて戦うことを、宣誓します。」
静かな言葉と敬礼。一連の過程を終え、手を降ろした彼女は壇上から降りていく。酷く事務的に思えた。
挨拶を終え、入隊式が終わるのはあっという間だった。今後の説明、寮の案内等の些事は小隊長達に任せ、直近のスケジュールと作戦に関する話の為に保科と共に隊長室へ向かう。
「どえらいギャップでしたね、彼女。」
「何が。」
「雨宮ですよ。雨宮帆鳥。試験のときは随分荒々しい戦い方やったのに、普段はあんな静かな感じなんやなぁて…。」
「…入隊式なんて、誰だってそうだろう。緊張していたんじゃないか?」
「…亜白隊長、もしかして彼女と面識あります?」
亜白の歩みが止まる。図星をつかれたような態度に、保科は続ける。
「雨宮よりも、貴女のほうが彼女を気にしてるように見えまして。…差し出がましいことやったら、これ以上喋らんときますけど。」
「いや…君の言うとおりだよ、保科。」
亜白は振り返る。困ったような笑みを浮かべる表情は、始めて見るものかもしれない。
「私の方が彼女を気にしているのさ。…あの子は昔、私の上官だった人の妹でな。」
「生きてますやん、雨宮参謀。」
「雨宮参謀には、息子さんがいらっしゃったんだよ。」
「…初耳です。」
「そうだろうな。もう、随分昔の話だ。彼女と出会ったのも、あの人が生きていたのもな。」
理由はなんであれ、故人であることを察すには難しくなかった。
「彼女とは、その方の事で少しな…」
扉の前に立ち、目を伏せる彼女の横顔は暗く見える。少しというような言葉で収まる事柄では無いように思えた。
「酷い言い方しますが、昔の事なんでしょ?」
気楽な口調の保科の言葉を、暗に気にする必要は無いと励ます内容であると亜白も分かっていた。
「…あぁ、何年も前のことだ。それでも、昨日のことのように思い出せるんだ。彼女がどうかは分からないが。だから粗雑な対応はしたくない。誠意を持って向き合うつもりだ。」
亜白の声音が明るさを取り戻したことに若干安堵しつつ、件の新人のことを思い返してみる。
彼女を認識したのはスーツの試着、開放戦力測定の際に始めて。異彩を放つ結果に驚いたものだ。冷たい眼差しに淡々とした口調で紡がれる言葉。氷のような彼女の戦いぶりはまるで炎のようだった。
右手にライフル。左手にハンドガン。銃火器を両手に荒々しく戦場を駆ける姿が印象的だ。敵を踏みつけ先に進む姿は場馴れしているようでいて、始めて持つ筈の銃火器の扱いは荒削りながらも確実に敵を撃破する。それでも猪突猛進するその姿は、早死してしまいそうな戦い方だった。演習場の奥の奥にいた敵を撃破し、入り口まで戻ってきた彼女は怪獣を撃破していた姿とは相反して、静かな落ち着きを取り戻していた。
「…やっかいな子が入隊してきたもんやで。」
亜白には聞かれぬ声量で呟いたその言葉は、彼の本心だった。育てるのもうまく扱うのも難航しそうな人材だ。
それが保科の雨宮に対する、最初の印象的だった。
こわごわとしたオペレーターの声が演習場に静かに響く。試験終了の合図だった。それを聞くと同時に、ハンドガンをホルスターに収めマスクを外した。血生臭い匂い。醜悪な臭いが鼻についても、解放感の方が勝る。
瞼を閉じて深く息を吸う。静かだ。まるでこの世界にいるのが、私一人だけみたい。そんな爽快感が胸の内からあふれるようだった。烈火のように血湧き暴れていた情動が、穏やかに均されていく。
『お疲れさまでした。これにて、試験の全過程を終了します。全受験者は速やかに…』
次のアナウンスと共に踵を返す。振り返ると、ポツリポツリと見える他の受験者達。どうやら私より前には、誰も進めなかったらしい。畏怖の眼差しを全身に受けながら着た道を戻っていく。
演習場の入り口までつき、やっと。肩の荷が降りたかのような気分になる。ハァっと息をついた。
満足のいく結果だ。試験の感想はそれにつきる。
「雨宮帆鳥。とんでもないルーキーが来たもんやで…」
書類に落としていた視線をチラリと向ける。感嘆の声を上げた主、保科宗四郎。にこやかなその表情。それを確認すると、亜白ミナはすぐに視線を卓上に広がる書類の上に戻した。保科は亜白の態度に苦笑しながら手に持っていた書類の束を彼女の机に追加する。
「2次試験もブッチギリでしたね。1部体力、2部適性試験共に堂々の1位。加えてスーツの解放戦力、37%とくれば文句なしの逸材ですわ。」
個々の試験結果を纏めた書類の束。その1番上にあるのはまさに今しがた保科が褒め称えていた人物についての経歴が記されている。
「…いい動きする受験者もわりといたと思いますが、ほぼ彼女に食われてますね。」
食われてるとは、手柄のことを指しているのだろう。2次試験2部で行われた試験内容は怪獣討伐。演習場に放たれた怪獣の殆どは彼女の手によって倒された。
「出身は一般の高校でアレとは…ホンマにバケモンですよ。やっぱりお父様のシゴキの賜物でしょうかね?」
「かもな。」
亜白は大きな溜息をついて椅子にもたれかかった。
通常、防衛隊への入隊志願者の経歴といえば一般的に討伐大学や専門高校出身者が多い。しかしこの受験者は普通科の高等学校出身者でありながら、これほどの結果を叩き出してみせた。その理由を彼女の父が防衛隊の幹部であるからではと勘ぐるのは自然だった。
日本防衛隊参謀長官、雨宮吾郎。何を隠そう、雨宮帆鳥はその人の娘である。
「人の悪い方だよ…。」
「ホンマに。娘さんが受けるなら、一声かけてくれても良かったのになぁ。」
「…来てしまったものは仕方ないさ。」
「来ない方が良かったみたいな言い方ですね。」
冗談だと分かる軽い口調。それを分かっているだろう亜白の顔は、存外に苦々しい。保科は笑みを引っ込めた。
「どうかしました?」
「…なんでもないよ。」
若干の歯切れの悪さを滲ませる亜白の返事。保科は開いた口を閉じる。その時はそれ以上追求しなかった。副隊長に昇進してまだ日が浅いのだ。進んで不興を買う必要は無い。
数ヶ月後、立川基地にて。よく晴れた日だった。
非常に厳粛な空気の中、式は着々と進んでいく。真新しい制服を身に着けた防衛隊員達が整列するのを見ていると、自分が入隊した頃を思い出すようだった。亜白は少しの懐かしさに浸りながら幹部達の話を聞く。
「では、入隊証書授与に移ります。亜白隊長、お願いします。」
返事をして壇上に上がり、内心で息をつく。ジワジワと懐かしさに滲む憂鬱さ。どんな顔で彼女と向き合えばいいのだろうか。名前を呼ぶ直前までそれほど考えていなかった、否。考えないようにしていた問題に直面しながら厳かに口を開く。
「合格者代表首席、雨宮帆鳥。」
「はい。」
大きすぎず、小さすぎず淡々とした声。彼女は最前列から抜け、静かにこちらへ歩いてきた。壇上へのぼり、目の前に立った彼女はまっすぐにこちらを見上げる。無感情な顔。例年、この場に呼ばれる首席の隊員は堂々と自信に満ちた顔、緊張した顔等、何かしらの感情に満ちた表情で立っているものだ。だが、彼女は驚くほど静かな表情をしていた。
今、何を思っているのか。なにひとつ読み取れないまま、通例の言葉を述べる。
「本日を持って、君達25名を防衛隊隊員に任命する。」
「25名を代表して命をかけて戦うことを、宣誓します。」
静かな言葉と敬礼。一連の過程を終え、手を降ろした彼女は壇上から降りていく。酷く事務的に思えた。
挨拶を終え、入隊式が終わるのはあっという間だった。今後の説明、寮の案内等の些事は小隊長達に任せ、直近のスケジュールと作戦に関する話の為に保科と共に隊長室へ向かう。
「どえらいギャップでしたね、彼女。」
「何が。」
「雨宮ですよ。雨宮帆鳥。試験のときは随分荒々しい戦い方やったのに、普段はあんな静かな感じなんやなぁて…。」
「…入隊式なんて、誰だってそうだろう。緊張していたんじゃないか?」
「…亜白隊長、もしかして彼女と面識あります?」
亜白の歩みが止まる。図星をつかれたような態度に、保科は続ける。
「雨宮よりも、貴女のほうが彼女を気にしてるように見えまして。…差し出がましいことやったら、これ以上喋らんときますけど。」
「いや…君の言うとおりだよ、保科。」
亜白は振り返る。困ったような笑みを浮かべる表情は、始めて見るものかもしれない。
「私の方が彼女を気にしているのさ。…あの子は昔、私の上官だった人の妹でな。」
「生きてますやん、雨宮参謀。」
「雨宮参謀には、息子さんがいらっしゃったんだよ。」
「…初耳です。」
「そうだろうな。もう、随分昔の話だ。彼女と出会ったのも、あの人が生きていたのもな。」
理由はなんであれ、故人であることを察すには難しくなかった。
「彼女とは、その方の事で少しな…」
扉の前に立ち、目を伏せる彼女の横顔は暗く見える。少しというような言葉で収まる事柄では無いように思えた。
「酷い言い方しますが、昔の事なんでしょ?」
気楽な口調の保科の言葉を、暗に気にする必要は無いと励ます内容であると亜白も分かっていた。
「…あぁ、何年も前のことだ。それでも、昨日のことのように思い出せるんだ。彼女がどうかは分からないが。だから粗雑な対応はしたくない。誠意を持って向き合うつもりだ。」
亜白の声音が明るさを取り戻したことに若干安堵しつつ、件の新人のことを思い返してみる。
彼女を認識したのはスーツの試着、開放戦力測定の際に始めて。異彩を放つ結果に驚いたものだ。冷たい眼差しに淡々とした口調で紡がれる言葉。氷のような彼女の戦いぶりはまるで炎のようだった。
右手にライフル。左手にハンドガン。銃火器を両手に荒々しく戦場を駆ける姿が印象的だ。敵を踏みつけ先に進む姿は場馴れしているようでいて、始めて持つ筈の銃火器の扱いは荒削りながらも確実に敵を撃破する。それでも猪突猛進するその姿は、早死してしまいそうな戦い方だった。演習場の奥の奥にいた敵を撃破し、入り口まで戻ってきた彼女は怪獣を撃破していた姿とは相反して、静かな落ち着きを取り戻していた。
「…やっかいな子が入隊してきたもんやで。」
亜白には聞かれぬ声量で呟いたその言葉は、彼の本心だった。育てるのもうまく扱うのも難航しそうな人材だ。
それが保科の雨宮に対する、最初の印象的だった。
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