月下美人の横顔
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惜しげもなく差し出された命を無駄にしない為に、報いる為に、託された未来を守る為に。後悔を忘れない為に。待ち続ける友が隣にいなくとも、前を向き続けた。立つ瀬がない?こちらのセリフだ。こんな所でヘバッていては、あの人に顔向け出来ない。
鎮静剤を手に取り膝に打った亜白は、間を置かずして立ち上がった。呻きを奥歯で噛み殺す姿に、佐渡が慌てて止めようとする。
「亜白隊長!むっ、無茶です!!」
「無茶でもっ、立たねばならない時がある。私にとってそれは今だ。」
静止を聞かず、側に立つ隊員のライフルを引っ掴むと亜白は屈んだ伐虎に跨る。心得ていると立ち上がる虎に、手は届かずどうしよもなくなってしまう。
「小隊の半数、負傷者を連れて後方に下がれ。他、動ける者は援護を頼む。」
受けた炎熱により、チリチリと火の燃え広がる公園内は地獄のような状況になりつつある。
「消火活動は、…私の部隊が浮いているな。よし、一気にカタをつけに行くぞ!」
「命令違反で、ボコられそうです。」
「気にするな沖村。一番偉いのは私だからな。」
「…はは、違いない。」
第3部隊のトップが言うのだからもういいだろう。後日訓練で地獄をみようと今置き去りにせずに済むなら、それで構わなかった。
人間に近い形で迫る脅威に対し、無意識に対人型を想定してしまうのは反射である。あり得ない方向から捻られた腕が風を切る音の先、叩きつけられた地面が割れる。飛ぶ土から視界を庇い絶え間なく銃撃を繰り返す。体に纏う甲殻に出来た小さな傷がピシリとヒビを作る。効果あり、と徐々に威力を上げながら攻撃を続ける。即時オーバーヒートしては対抗手段を失い本当に死にかねない。両手に持つ2丁の銃が弾切れになるのは同時で、殆ど計算通りだとまとめて排莢動作を行う。弾丸を詰めリロードを終えようとした瞬間、手先に備えられた鋏が飛んでくる。ほぼ岩と同じ質量のそれが、銃ごと手に当たり吹っ飛んでいく。ガツン、と嫌な音と左手の痛みに顔を顰める。
「イッッ、タ!」
手放した2丁に駆け寄ろうとするが、向かう先に伸びる光線。それが地面を焼き、真っ直ぐ自身に向かって走ってくる。
死ぬってーの、と無感情に思いながら飛び退いて避ける。負傷した手を庇いながら立ち上がり、燃え立つ専用武器を眺める。若干の愛着を持ちつつあったそれ。よくよく考えれば使い勝手の悪さが目立つ。生還したら、弾倉の少なさを問題提議しよう。改善点として、合わせて両手首と繋ぐストラップを付けるとか。いや、なんかあって手放せないと今回のように困るか。
仁王立ちで目前に立つ怪獣はジッと雨宮を見ている。甲殻類特有の顔は人間の顔面の位置にあり、アンバランスさが気持ち悪い。白っぽかった甲殻の体躯は熱を帯びてか、赤く染まりつつある。
「節足動物風情が…」
悪態をついても状況は変わらない。しかし、保科が現着する予定時刻までそう長くはないだろう。ここを切り抜け、生き延びるのだ。
雨宮は腰のホルダーからナイフを抜いて逆手に構える。一般隊員の通常装備として備える鋭いバトルナイフを、雨宮も常時身につけている。人生何が起こるか分からないし、何が命綱になるか分からない。しかしこの戦闘においては心許なさすぎる装備だ。保科が扱うならばいざ知らず、雨宮が振るうことでどこまでやれるか。これを機に格闘戦の訓練時間を増やすかと、楽観的な気持ちで仕掛けていく。
予測しづらい動きから出る重い攻撃を片手に持つナイフで捌く。ぶつかるたび欠ける刃に、そう長くは持たないだろうとぼんやり思う。視認する世界に体が追いつかなくなるに連れ、解放戦力を上げていく。ペースが上がった事と極限の状況下でか、肉体にかかる負荷が早い。ビシリと浮き出る血線。煮詰まる脳味噌が持つ雑念は、兄の事。
何故、兄はこんな過酷な仕事を辞めなかったのか。
何故、命をかけて誰かを守ったのか。
何故、自分を愛する誰かの為に、生きてくれなかったのか。
その答えを知りたくて、自分は防衛隊に入ったのだ。
今でもまだ分からない。分かりたくないけど。誰かの帰る場所を守りたいっていう言葉は、少しだけ分かった気がする。家だけじゃなくて人でさえ、この世界では帰る場所になるから。
兄は亜白を守る事で、未来を繋いだのだろう。この命1つで多くの人の帰る場所を守れるなら、捨てても良いと思えた。ほんの少し理解できてしまった事が悲しくて、尚更納得がいかない。
どうして、帰ってきてくれなかったのか。
もう明かされる事はない胸の内。彼の人の答えをずっと求め続けている。
顔にヒビが入る錯覚は、血管の膨張による作用か。ダラリと鼻血が出てくる。限界と共に振り下ろされるぶ厚い腕。
あ、死ぬかコレ。
焼き切れそうな意識が見定めたそれが、終わりだと認識した刹那。バンッと怪獣の腕が肩ごと消し飛んだ。
「伏せろ雨宮!!」
知った声の叫び。即座に反応してその場へ伏せる。直後、次は胴体が塵も残さず吹っ飛んでいく。フラフラと数歩後ずさり、両膝をついて崩れる残された下半身。漏れ出る臓腑は淡い点滅を繰り返し、磯の匂いを漂わせる。徐々に静まる様子に、ようやく息をついた。
「無事か?」
伏せたまま振り返ると、伐虎に乗った亜白がこちらを見下ろしていた。
「……生きてはいますね。」
起き上がる気配を感じない部下は、普段と変わりない態度を見せる。亜白はドッと肩の力を抜き、伐虎の背にへたり込む。
「良かった…」
普段の凛々しさは何処へやら。自分といち小隊が死闘を繰り広げた敵を、ものの数発で仕留めた人が見せる姿とは思えない。悪態、悪態、悪態…と、思いつく限りのそれを鎮めて言葉を選ぶ。
「死にませんと言ったはずですが、ね。」
完全な強がり。この期に及んでひん曲がったことを言う雨宮に流石の亜白も我慢ならず、ガバリと顔を上げて眉を吊り上げる。
「このっ、馬鹿!!完っ全に死にかけていただろうが!!いつもここぞと言うときに命令違反をして!!たまには言うことを聞け!!」
努めて平坦に、それでいて気丈に振る舞う常の亜白からはかけ離れた怒声。雨宮は驚き目を丸くする。亜白が感情的に雨宮を責めるのは初めてだ。嫌味を投げかけられても冷静な態度を示す彼女にしては珍しい。しかも反論のしようもない怒り。堰を切るそれはとどまらることを知らず、転がったままの雨宮に容赦なく浴びせられる。現状、躱す術は無く。走って逃げる気力もない。だが黙って聞いてやるのも面倒だと、雨宮はそれっぽい言い訳を選択する。
「あー…私の後ろには、貴女が立っていましたから。」
気怠げに告げられた言葉は、どこか聞き覚えのある表現。
「私達の後ろには守るべき人達と、守ってくれる仲間が立っています。だから大丈夫なんですよ。ここへ貴女が来てくれたように、ね。」
亜白は目を見開く。それは颯鳥の最後の言葉だ。
気にするべきは2つ。守るべき人と、守ってくれる仲間。後ろにはそいつらがいることを、どんな時も忘れるな。
焦燥と絶望の縁にあった自分を、奮い立たせたあの言葉。1人で戦っているわけではないことを、彼が教えてくれた。
「ま、今回は本当に助かりました。ありがとうございます。今後は悔い改め、少しは無茶も控えるとしますよ。」
フラつきながらゆっくりと立ち、雨宮は肩の力を抜いた。
「…案外、悪くないですね。死地へ足を向けるのも。」
歯を見せ笑う表情が、重なる。
涙が出そうだった。いけないと、隊長である自分を叱咤し口を開いた時。
ズンッと雨宮の体が揺れる。
「…ぁ…?」
下に向く視線の先、腹部から飛び出る青白い束。滑る血を纏うそれに、痛みを意識するより速く。淡い藍玉に輝く束は花開くように広がると、網膜を焼く程に強く発光する。高周波が鼓膜を割く錯覚の余波、頭がキリキリと痛みだす。耳を塞ごうと上げた両手が、全身が揺れる。
「っ、止まれ!!」
構えたライフルの引き金を、亜白は引くことが出来なかった。完全に絶命していなかった怪獣。最後の足掻きとして放ったそれに直接的な攻撃性は無く、閃光手榴弾に近い効果を有していた。真白い視界にチカチカと混じる火薬の色と、やけに遠くに聞こえる地面を引きずる音。対象が移動しているのは確かだが、距離を掴めず撃つことが出来ない。最後に見た光景が定かであるなら、対象は貫いた雨宮ごと移動している可能性がある。弱っているならば、捕食により体力の回復を図るだろう。
「待て、待ってくれ、雨宮っ…!」
返事は無い。ズルズルと何かを引き摺る音と、火の手を広げる延焼の音。喉が引き攣り、乾きが痛みを引き起こす。亜白は音の方向へ銃口を向ける。
「亜白隊長!」
名を呼ぶ声と地より飛び去る音は同時だった。
グラグラと揺れながらぼやけた色が戻ってくる。
「雨宮は…そこにいるか?」
「小隊長はこの場にはいません!怪獣の姿も…一体何がっ、」
「見てわかるやろがボケ!」
いきりたつ保科の声。先行した亜白に追い付いてきた隊員達は徐々に状況を飲み込み始め、顔を青くする。
「僕が追います。自分ら、亜白隊長から離れんとけよ。」
「っ、保科。」
「大丈夫です、ちゃんと連れて帰りますよ。」
どちらかといえば確信のない事は言わない主義だ。しかし、いっときとは言え安心させようと声を掛けざるを得なかった。
「…たく、なんちゅー顔してんねん。」
遠目からでも激しい光源と破音は確認出来た。視界を奪われ焦点の合わない眼差し。悲痛に染まり涙を流す表情は、出来れば見たくなかった。結論として保科は間に合わなかった。それに伴い最悪の事態が起きた。悔やむよりも、先に成すべきことがある。
血痕を辿り、対象の影に追いつくのはすぐだった。建物に身を隠しながら進んでいく、崩れかけの外殻に覆われた下半身。ズリズリと持ち上がらぬ脚を動かすたびに伸びる、筆で引いたような赤い跡。夜闇を背負い、飛び掛かったそれを断裂する。スンナリとはいかずとも、硬い音を出し切り崩されたそれはいよいよベシャリと倒れる。目眩がした。そこに探していた人影は無い。この短時間でと焦燥に駆られ、保科は刻まれた怪獣の臓腑に手を突っ込む。焼けるような熱さに歯軋りする。しかし、内部には食われた痕跡すら残っていなかった。怪獣の体内には、核らしき器官も存在しない。動いていたならばまだ残っている筈だと考えつき、答えに辿り着く。
「ックソ、囮か!」
振り返った先、空に登り始めた月が空に輝く。
微動する体の振動により、雨宮は目を覚ました。
澄んだ空気の奥。遥か遠くに小さく、それでもハッキリと見える丸い月。小波の音が心地良い。
「…っ…ぁ、…」
全身の痛みで息が上手くできない。どうやら仰向けに倒れていて、何かが体を運んでいる。特に痛む腹に震える指を這わすと、柔らかな何かに触れる。上体を起こし見下ろすと、発光し弱々しく動くそれ。透明な束の中に、透けて見える球体は淡く柔らかに光っている。
「………あー…けほっ……なる、ほど。」
仕留め損なった怪獣に渾身の力で投げ飛ばされた雨宮。どこまで飛ばされたのか。腹部を貫いたままの断片に託された小さな核。生存本能だけを頼りに、どれだけの距離を移動したのか。怪獣諸共、九死に一生を得たらしい。意識を取り戻したのは幸い。気絶したままでは目覚めぬ内に溺死していただろう。目前に広がる海原に浸かる脚には失笑する。危うく海中で養分にされるところであった。
作戦はどうなっただろうか。本獣の掃討は亜白が、余獣の掃討は前線にいた保科と隊員達が。力を尽くしてくれた事だろう。通信機の片方は何処かへいってしまい、片方は壊れているようで。残った方を耳から抜いて遠くへ投げる。不法投棄、いや。捜索の手掛かりにでもなれば重畳。でも必要ないかな、捜されようとも自分はここで死ぬ。この傷では恐らく助からない。ならばうだうだ考えずに、仕事をしなくては。
右手に固く握り締めたままのナイフは、逆手に掴んだままだった。指を開こうと動かすと、力みすぎていたようで関節がジワリと痛んだ。緩めぬように握り直すと、一切の躊躇も容赦もなく。雨宮は腹部にナイフを突き刺した。痛みは殆ど無い。カシャンッ、とガラスが割れる音は核の砕ける音。今度こそ、対象を撃破したと信じたい。
短い人生だったと振り返ろうとして、やめる。
死ぬ間際、人生についてどうだったかなんて答えを出したくない。結論付けて、ひとつの感情だけで括りたくない。それでも綯い交ぜになる脳裏を過ぎるのは、やり残したことばかり。
「…そういえば。」
実際のところ。保科が自分に向けていた感情は、恋愛感情だったのだろうか。答えは分からない。分からなくていい。もう聞くことも、無いのだから。
波打ち際にて誰に見られることもなく、細い体は倒れた。
波が攫うように被るたび、揺れる体。昇ったばかりの月明かりがそれを照らしていた。
鎮静剤を手に取り膝に打った亜白は、間を置かずして立ち上がった。呻きを奥歯で噛み殺す姿に、佐渡が慌てて止めようとする。
「亜白隊長!むっ、無茶です!!」
「無茶でもっ、立たねばならない時がある。私にとってそれは今だ。」
静止を聞かず、側に立つ隊員のライフルを引っ掴むと亜白は屈んだ伐虎に跨る。心得ていると立ち上がる虎に、手は届かずどうしよもなくなってしまう。
「小隊の半数、負傷者を連れて後方に下がれ。他、動ける者は援護を頼む。」
受けた炎熱により、チリチリと火の燃え広がる公園内は地獄のような状況になりつつある。
「消火活動は、…私の部隊が浮いているな。よし、一気にカタをつけに行くぞ!」
「命令違反で、ボコられそうです。」
「気にするな沖村。一番偉いのは私だからな。」
「…はは、違いない。」
第3部隊のトップが言うのだからもういいだろう。後日訓練で地獄をみようと今置き去りにせずに済むなら、それで構わなかった。
人間に近い形で迫る脅威に対し、無意識に対人型を想定してしまうのは反射である。あり得ない方向から捻られた腕が風を切る音の先、叩きつけられた地面が割れる。飛ぶ土から視界を庇い絶え間なく銃撃を繰り返す。体に纏う甲殻に出来た小さな傷がピシリとヒビを作る。効果あり、と徐々に威力を上げながら攻撃を続ける。即時オーバーヒートしては対抗手段を失い本当に死にかねない。両手に持つ2丁の銃が弾切れになるのは同時で、殆ど計算通りだとまとめて排莢動作を行う。弾丸を詰めリロードを終えようとした瞬間、手先に備えられた鋏が飛んでくる。ほぼ岩と同じ質量のそれが、銃ごと手に当たり吹っ飛んでいく。ガツン、と嫌な音と左手の痛みに顔を顰める。
「イッッ、タ!」
手放した2丁に駆け寄ろうとするが、向かう先に伸びる光線。それが地面を焼き、真っ直ぐ自身に向かって走ってくる。
死ぬってーの、と無感情に思いながら飛び退いて避ける。負傷した手を庇いながら立ち上がり、燃え立つ専用武器を眺める。若干の愛着を持ちつつあったそれ。よくよく考えれば使い勝手の悪さが目立つ。生還したら、弾倉の少なさを問題提議しよう。改善点として、合わせて両手首と繋ぐストラップを付けるとか。いや、なんかあって手放せないと今回のように困るか。
仁王立ちで目前に立つ怪獣はジッと雨宮を見ている。甲殻類特有の顔は人間の顔面の位置にあり、アンバランスさが気持ち悪い。白っぽかった甲殻の体躯は熱を帯びてか、赤く染まりつつある。
「節足動物風情が…」
悪態をついても状況は変わらない。しかし、保科が現着する予定時刻までそう長くはないだろう。ここを切り抜け、生き延びるのだ。
雨宮は腰のホルダーからナイフを抜いて逆手に構える。一般隊員の通常装備として備える鋭いバトルナイフを、雨宮も常時身につけている。人生何が起こるか分からないし、何が命綱になるか分からない。しかしこの戦闘においては心許なさすぎる装備だ。保科が扱うならばいざ知らず、雨宮が振るうことでどこまでやれるか。これを機に格闘戦の訓練時間を増やすかと、楽観的な気持ちで仕掛けていく。
予測しづらい動きから出る重い攻撃を片手に持つナイフで捌く。ぶつかるたび欠ける刃に、そう長くは持たないだろうとぼんやり思う。視認する世界に体が追いつかなくなるに連れ、解放戦力を上げていく。ペースが上がった事と極限の状況下でか、肉体にかかる負荷が早い。ビシリと浮き出る血線。煮詰まる脳味噌が持つ雑念は、兄の事。
何故、兄はこんな過酷な仕事を辞めなかったのか。
何故、命をかけて誰かを守ったのか。
何故、自分を愛する誰かの為に、生きてくれなかったのか。
その答えを知りたくて、自分は防衛隊に入ったのだ。
今でもまだ分からない。分かりたくないけど。誰かの帰る場所を守りたいっていう言葉は、少しだけ分かった気がする。家だけじゃなくて人でさえ、この世界では帰る場所になるから。
兄は亜白を守る事で、未来を繋いだのだろう。この命1つで多くの人の帰る場所を守れるなら、捨てても良いと思えた。ほんの少し理解できてしまった事が悲しくて、尚更納得がいかない。
どうして、帰ってきてくれなかったのか。
もう明かされる事はない胸の内。彼の人の答えをずっと求め続けている。
顔にヒビが入る錯覚は、血管の膨張による作用か。ダラリと鼻血が出てくる。限界と共に振り下ろされるぶ厚い腕。
あ、死ぬかコレ。
焼き切れそうな意識が見定めたそれが、終わりだと認識した刹那。バンッと怪獣の腕が肩ごと消し飛んだ。
「伏せろ雨宮!!」
知った声の叫び。即座に反応してその場へ伏せる。直後、次は胴体が塵も残さず吹っ飛んでいく。フラフラと数歩後ずさり、両膝をついて崩れる残された下半身。漏れ出る臓腑は淡い点滅を繰り返し、磯の匂いを漂わせる。徐々に静まる様子に、ようやく息をついた。
「無事か?」
伏せたまま振り返ると、伐虎に乗った亜白がこちらを見下ろしていた。
「……生きてはいますね。」
起き上がる気配を感じない部下は、普段と変わりない態度を見せる。亜白はドッと肩の力を抜き、伐虎の背にへたり込む。
「良かった…」
普段の凛々しさは何処へやら。自分といち小隊が死闘を繰り広げた敵を、ものの数発で仕留めた人が見せる姿とは思えない。悪態、悪態、悪態…と、思いつく限りのそれを鎮めて言葉を選ぶ。
「死にませんと言ったはずですが、ね。」
完全な強がり。この期に及んでひん曲がったことを言う雨宮に流石の亜白も我慢ならず、ガバリと顔を上げて眉を吊り上げる。
「このっ、馬鹿!!完っ全に死にかけていただろうが!!いつもここぞと言うときに命令違反をして!!たまには言うことを聞け!!」
努めて平坦に、それでいて気丈に振る舞う常の亜白からはかけ離れた怒声。雨宮は驚き目を丸くする。亜白が感情的に雨宮を責めるのは初めてだ。嫌味を投げかけられても冷静な態度を示す彼女にしては珍しい。しかも反論のしようもない怒り。堰を切るそれはとどまらることを知らず、転がったままの雨宮に容赦なく浴びせられる。現状、躱す術は無く。走って逃げる気力もない。だが黙って聞いてやるのも面倒だと、雨宮はそれっぽい言い訳を選択する。
「あー…私の後ろには、貴女が立っていましたから。」
気怠げに告げられた言葉は、どこか聞き覚えのある表現。
「私達の後ろには守るべき人達と、守ってくれる仲間が立っています。だから大丈夫なんですよ。ここへ貴女が来てくれたように、ね。」
亜白は目を見開く。それは颯鳥の最後の言葉だ。
気にするべきは2つ。守るべき人と、守ってくれる仲間。後ろにはそいつらがいることを、どんな時も忘れるな。
焦燥と絶望の縁にあった自分を、奮い立たせたあの言葉。1人で戦っているわけではないことを、彼が教えてくれた。
「ま、今回は本当に助かりました。ありがとうございます。今後は悔い改め、少しは無茶も控えるとしますよ。」
フラつきながらゆっくりと立ち、雨宮は肩の力を抜いた。
「…案外、悪くないですね。死地へ足を向けるのも。」
歯を見せ笑う表情が、重なる。
涙が出そうだった。いけないと、隊長である自分を叱咤し口を開いた時。
ズンッと雨宮の体が揺れる。
「…ぁ…?」
下に向く視線の先、腹部から飛び出る青白い束。滑る血を纏うそれに、痛みを意識するより速く。淡い藍玉に輝く束は花開くように広がると、網膜を焼く程に強く発光する。高周波が鼓膜を割く錯覚の余波、頭がキリキリと痛みだす。耳を塞ごうと上げた両手が、全身が揺れる。
「っ、止まれ!!」
構えたライフルの引き金を、亜白は引くことが出来なかった。完全に絶命していなかった怪獣。最後の足掻きとして放ったそれに直接的な攻撃性は無く、閃光手榴弾に近い効果を有していた。真白い視界にチカチカと混じる火薬の色と、やけに遠くに聞こえる地面を引きずる音。対象が移動しているのは確かだが、距離を掴めず撃つことが出来ない。最後に見た光景が定かであるなら、対象は貫いた雨宮ごと移動している可能性がある。弱っているならば、捕食により体力の回復を図るだろう。
「待て、待ってくれ、雨宮っ…!」
返事は無い。ズルズルと何かを引き摺る音と、火の手を広げる延焼の音。喉が引き攣り、乾きが痛みを引き起こす。亜白は音の方向へ銃口を向ける。
「亜白隊長!」
名を呼ぶ声と地より飛び去る音は同時だった。
グラグラと揺れながらぼやけた色が戻ってくる。
「雨宮は…そこにいるか?」
「小隊長はこの場にはいません!怪獣の姿も…一体何がっ、」
「見てわかるやろがボケ!」
いきりたつ保科の声。先行した亜白に追い付いてきた隊員達は徐々に状況を飲み込み始め、顔を青くする。
「僕が追います。自分ら、亜白隊長から離れんとけよ。」
「っ、保科。」
「大丈夫です、ちゃんと連れて帰りますよ。」
どちらかといえば確信のない事は言わない主義だ。しかし、いっときとは言え安心させようと声を掛けざるを得なかった。
「…たく、なんちゅー顔してんねん。」
遠目からでも激しい光源と破音は確認出来た。視界を奪われ焦点の合わない眼差し。悲痛に染まり涙を流す表情は、出来れば見たくなかった。結論として保科は間に合わなかった。それに伴い最悪の事態が起きた。悔やむよりも、先に成すべきことがある。
血痕を辿り、対象の影に追いつくのはすぐだった。建物に身を隠しながら進んでいく、崩れかけの外殻に覆われた下半身。ズリズリと持ち上がらぬ脚を動かすたびに伸びる、筆で引いたような赤い跡。夜闇を背負い、飛び掛かったそれを断裂する。スンナリとはいかずとも、硬い音を出し切り崩されたそれはいよいよベシャリと倒れる。目眩がした。そこに探していた人影は無い。この短時間でと焦燥に駆られ、保科は刻まれた怪獣の臓腑に手を突っ込む。焼けるような熱さに歯軋りする。しかし、内部には食われた痕跡すら残っていなかった。怪獣の体内には、核らしき器官も存在しない。動いていたならばまだ残っている筈だと考えつき、答えに辿り着く。
「ックソ、囮か!」
振り返った先、空に登り始めた月が空に輝く。
微動する体の振動により、雨宮は目を覚ました。
澄んだ空気の奥。遥か遠くに小さく、それでもハッキリと見える丸い月。小波の音が心地良い。
「…っ…ぁ、…」
全身の痛みで息が上手くできない。どうやら仰向けに倒れていて、何かが体を運んでいる。特に痛む腹に震える指を這わすと、柔らかな何かに触れる。上体を起こし見下ろすと、発光し弱々しく動くそれ。透明な束の中に、透けて見える球体は淡く柔らかに光っている。
「………あー…けほっ……なる、ほど。」
仕留め損なった怪獣に渾身の力で投げ飛ばされた雨宮。どこまで飛ばされたのか。腹部を貫いたままの断片に託された小さな核。生存本能だけを頼りに、どれだけの距離を移動したのか。怪獣諸共、九死に一生を得たらしい。意識を取り戻したのは幸い。気絶したままでは目覚めぬ内に溺死していただろう。目前に広がる海原に浸かる脚には失笑する。危うく海中で養分にされるところであった。
作戦はどうなっただろうか。本獣の掃討は亜白が、余獣の掃討は前線にいた保科と隊員達が。力を尽くしてくれた事だろう。通信機の片方は何処かへいってしまい、片方は壊れているようで。残った方を耳から抜いて遠くへ投げる。不法投棄、いや。捜索の手掛かりにでもなれば重畳。でも必要ないかな、捜されようとも自分はここで死ぬ。この傷では恐らく助からない。ならばうだうだ考えずに、仕事をしなくては。
右手に固く握り締めたままのナイフは、逆手に掴んだままだった。指を開こうと動かすと、力みすぎていたようで関節がジワリと痛んだ。緩めぬように握り直すと、一切の躊躇も容赦もなく。雨宮は腹部にナイフを突き刺した。痛みは殆ど無い。カシャンッ、とガラスが割れる音は核の砕ける音。今度こそ、対象を撃破したと信じたい。
短い人生だったと振り返ろうとして、やめる。
死ぬ間際、人生についてどうだったかなんて答えを出したくない。結論付けて、ひとつの感情だけで括りたくない。それでも綯い交ぜになる脳裏を過ぎるのは、やり残したことばかり。
「…そういえば。」
実際のところ。保科が自分に向けていた感情は、恋愛感情だったのだろうか。答えは分からない。分からなくていい。もう聞くことも、無いのだから。
波打ち際にて誰に見られることもなく、細い体は倒れた。
波が攫うように被るたび、揺れる体。昇ったばかりの月明かりがそれを照らしていた。
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