月下美人の横顔
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年の離れた妹がいる。だいぶ前に聞いた話だと、少女を見下ろしながら思い出す。ニコニコとした雨宮参謀長官の隣に立つ少女。まだ幼さの残る顔立ちと、身に通した真新しい制服のアンバランスさが春を思わせる。
「ほら、挨拶は?」
「……」
「こら!帆鳥!」
「…こんにちは。」
名乗りもしない不躾な挨拶に、参謀長は再び名を呼んで咎める。当の本人は意に介した様子もない。
「まったく…はぁ、すまないね亜白くん。この子は帆鳥。私の娘だよ。」
それが意味するところは。参謀長の息子であり亜白が属する小隊を束ねる男、雨宮颯鳥の妹ということだろう。
亜白ビッと敬礼をする。
「はじめまして、帆鳥さん。私は雨宮小隊長殿の部隊に所属しています、亜白ミナといいます。」
何も言わずに、ジトリとした視線を向ける少女。何がそんなに不満なのか、とうとうそっぽを向いてしまう。
「…仕事熱心なのはいいけど。約束ぐらい守ったら?って、言っといて下さい。」
くるりと背を向けるのに合わせ、膝下丈のスカートが揺れる。大股で歩くたび鳴るローファーの足音が印象的だ。
「あっ!待ちなさい!いや〜本当に申し訳ないね、亜白くん。」
来た道を戻る娘を慌てて追い掛ける参謀長に、入隊式で見た威厳は感じられない。可愛い子供の前では形無しと言ったところだろうか。上官も同じであるならそれはそれで微笑ましい。
しかし預かった言伝を忘れぬ内にと、訓練終わりに声を掛けた男は詰められた表情をしている。
「んー、…やっぱ怒ってた?」
誰がとは言わない。報告した妹さんの態度の事だ。
「見たままを言うなら、はい。大変お怒りのご様子でした。」
「まー…だよねー…」
専用武器の手入れをしながら、歯切れ悪い返事をする男。廊下でたまたま出くわした2人とのやり取りを伝えた結果である。深い溜息をつく男、雨宮颯鳥に亜白は察していながらも問い掛ける。
「本日は、妹さんの入学式だったのでは?」
彼女がブレザーの胸につけていた花形のリボン。この時期ならば卒業ではなく、入学祝いの飾りだ。
「あぁ、うん、その通りだよ。お察しの通り、休めなかったってわけだ。」
雨宮はジャキリと音を出し、装備の稼働確認を終える。組み立て終えたそれをケースの上に乱雑に置く行動は、若干八つ当たり気味に見える。本人がこの結果を不本意に思っている表れだろう。防衛隊の人材不足が深刻である事は、入隊して間もない亜白もよく理解している。希望休が通らぬことは間々ある事だ。
「悪かったな亜白。あいつ、けっこー態度クソだったろ?」
「いいえ、私は別に…」
「機嫌悪いと、誰にでもああなんだよ。たく、社交性の欠片もないんだから…ほんと誰に似たんだ。」
小隊長殿によく似ておられます、とは言わない。この短期間のうち、雨宮が上官と揉めているところは亜白自身、何度も目撃していた。それを投げやりっぽい今の雨宮に伝えたところで火に油は明白なので、別途素直に感じた事を述べる。
「兄妹仲がよろしいのですね。妹さんは、わざわざ制服姿を見せにいらっしゃったんじゃないですか?」
「…帰っちゃったけどね。」
「少し羨ましいです。」
今となっては、亜白にそんな家族はいない。いるとすれば、幼い頃からそばにいた幼馴染。防衛隊に入隊した自分と、躓きながらも前に進もうとする彼。どうか諦めずに、誓い合った夢を忘れずにいて欲しいものだが。
「…あー…母さんがさ、あいつを産んですぐ死んだんだ。」
首を回し、少し考える様子を見せてから語る雨宮。
「親父は仕事柄、全然家に帰ってこねーから。俺がずっと面倒見ててさ。俺にはすげー懐いてるけど親父はちょっと嫌われてる。」
「なるほど。」
話が見えてきた。道理で参謀長の言うことを聞く様子が無かったわけだ。
「防衛隊に入ってからは俺も忙しくて、あんま顔合わせられてなくてさ。…今日は行くって、約束したんだけどなぁ…」
投げ置いた武器をケースに仕舞い直し、パタリと蓋を閉める。
「亜白さ、今度みかけたらあいつ引き留めといてくれよ。」
「私がですか?」
「うん、また暫く帰れねーし。…そん時はちゃんと会いに行くから、なんか理由つけて待たせといて。」
「…そう何度もご家族の方が基地にいらっしゃいますかね?」
「ま、見かけたらでいいよ。」
適当すぎる希望的観測。雨宮本人もなんとなく、重くなってしまった会話に区切りをつけるくらいの気持ちで言ったのだろう。
しかし偶然とは、何の前触れもなく訪れるものである。
「あっ。」
「…どうも。」
バッタリと鉢合わせたのは数日後、一般の来客を迎える出入り口にて。取材スタッフが落としたであろうネームプレートを届ける為、発見者である亜白はたまたま受付を訪れていた。少女帆鳥はあの日見た制服姿のまま、そこに立っていた。丁度昼休憩の時間だからか受付にいるはずの担当者は席を外しており、右往左往しているところを発見した亜白は思わず声を出した。
「本日は雨宮小隊長に御用ですか?」
「……これ、」
暫く悩んだ様子を見せてから、帆鳥は肩掛けのスクールバッグからファイルを取り出す。差し出されたクリアファイルの中にはプリントの束が入っている。
「渡しといてもらえますか?」
入学してすぐなら、保護者のサインが必要な内容のものもあるだろう。わざわざ届けに来たということは、それだけ家に1人でいる時間が長いことが想像に容易い。
「父さんより、兄さんの方が早そうなんで。また取りに来るから受付にでも預けといてって言っといて下さい。」
ズイッと差し出されたファイル。亜白は反射的に両手を上げた。
「ごめんなさい!私は受け取れません!」
「え?なんで?」
強めに示された拒否反応。呆気に取られた表情をする帆鳥。
「え゙っ、とっ、とにかく、此方へどうぞ!」
突如として発生した上官からの指令任務。どもりながらも少女の背を押し施設の中へ強引に招き入れる。慌ただしい姿に上手く対応できず、帆鳥もたじろぎながらされるままに案内される。戸を開いた応接室の一角に、誰もいないことを確認してから帆鳥をソファに座らせてやる。すぐさまスマホを出してメッセージアプリを開くとスタンプを連打した。ダダダダと流れていくスタンプに既読がついたのは幸い。怒りのメッセージが送られて来るより早く『妹さん来ましたよ!!』の連絡。『行くわ。どこ?』と返事が来るのは秒だった。
「いや、えっと…本当にたいした用じゃないんで。」
「すぐいらっしゃるんで大丈夫ですよ。」
亜白は何事も無かったようにスマホを仕舞う。束の間とはいえ、待たせた彼女の相手するため正面に座る。
「なんか、すみません。」
「何を言うんですか。ご家族が会いに来たんですから、当然のことです。」
居心地悪そうにする帆鳥を安心させるようにキリッとした顔つきをする亜白。
「…颯鳥兄さん、忙しいんじゃないんですか?」
「忙しくされてますが、我々にも昼食を取る時間くらいはありますので。まったく問題ありませんよ。」
「そう…ですか。」
出来る限りポジティブな発言を心掛けるが、帆鳥の表情は芳しくない。人見知り、というよりは別に心配事を抱えているように見えた。
「…お兄さんに会うの、嫌でしたか?」
直感的な亜白の質問に、俯きがちだった顔をあげる帆鳥。
「嫌です。」
曖昧さはなく、明確な拒絶の言葉。これは由々しき自体である。
「差し支えなければ、理由を聞いても?」
上官とはいえ他人の家族事情に首を突っ込むのは気が引けるが、間もなくして雨宮は此処を訪れる。数少ない大切な家族との時間くらい、心穏でいてほしい。善良なるお節介を、余計なお世話だと突っぱねる意地は人並みにもつ帆鳥だったが。抱える苦悩は身内に話せなくとも他人であれば、言ってしまっても良いと思えるものだった。
「次、会えないかもしれないから。」
ポツリと呟いた答えはシンプルだが、当人に伝えるのは難しい葛藤を含む感情。
「もしかしたら、明日死んじゃうかもしれない。次会えないなら、これが最後になるかもしれないから。何ていうか、…」
「最後になるくらいなら、会いたくないと?」
コクリと頷く帆鳥。もっと幼い年頃か、成熟した年齢であれば素直に言えたかもしれない気持ち。思春期特有の不安定な心では持て余す、家族に対する本音。
その点、亜白はまだ年若いが濁らず真っ直ぐな人に育っていた。既に失って、それを超えてきた人だから。だからこそ、伝えるべきことはハッキリと分かっている。
「最後かもしれないなら、尚更会っておくべきだと私は思います。」
打算も気遣いもない、真っ直ぐな言葉。
「何の前触れもなく、いってらっしゃいとか、ただいまが、突然最後になる日が来るかも知れない。どんなに嫌でもいつか来てしまう。であれば出来る限り後悔の無いように、顔を合わせて言葉を伝え合うことが、最善であると思います。」
目を逸らさずに告げる道徳。帆鳥は正しさに打ちひしがれ、逃げ出したい心地になる。誠実が過ぎる言葉は時に、貫くような痛みを与える。
「貴女はまだ、後悔を知る前にいる。だったら、やれるべき事をやった方が良い。」
あまりに厳しく、優しい言葉だった。真理をつく助言に帆鳥の瞳は波打ち揺らぐ。
「防衛隊なんて…辞めてくれたらいいのに。」
「…誰かを守りたいと思ったから、お兄さんはきっと此処にいる。その思いは出来れば尊重してあげて欲しい。」
ポロリと溢れる涙。
涙の理由は、本当に言いたかった事だろう。死なないでほしい。たったそれだけの事。浅すぎる間柄の亜白の前で泣くくらいに、相当悩んでいたのだろう。
「じゃあ、兄さんの事は誰が守ってくれるの?」
広くないテーブルの向かい側、亜白は手を伸ばす。まだ小さく頼りない手を取り、優しく握る。
「大丈夫、1人じゃないから。防衛隊の仲間が、私達がきっとお兄さんを守ってみせる。」
だから、安心してほしい。泣かないで、どうか笑って。そんな意味を込めて、亜白は微笑んだ。
ガチャリとドアノブが回り扉が開く。
「………え?亜白泣かせた?」
入口に立ちポカンとした様子で部屋の中を見る雨宮。亜白はガタリと立ち上がり弁解する。
「こ、これは!違います小隊長!」
泣かせたことに違いはないが、悪意があって泣かせたつもりはないわけで。なんとも言えない表情で見る雨宮に弁解する。
「えー…なんだよ、泣くなよ帆鳥。」
渋々といった様子で部屋に入ると、気安い動作で雨宮は妹の隣に座る。広げた手が頭を掴みワシワシと撫でる。その所作は雑に見えて柔らかだ。
「久々なのに、何泣いてんだよー。そんなに寂しかったか?」
「なんでも、ないっ…」
顔を隠すようにブレザーの袖で目元を擦る妹を、呆れた笑みで見下ろす雨宮。そこには確かに、家族に対する慈愛が存在していた。
真冬の日だった。
穿たれた腹部の先に見える、向こう側の景色。
「しっかりしろっ!!お前の後ろには誰が立ってる!!」
怒声から成る叫びに合わせ、肉体が悲鳴をあげ血が飛び散る。銃撃により頭部の破砕した怪獣の死体をビルから蹴り捨てる雨宮。防衛線が突破されつつあることは誰の目から見ても明らかで。溢れる余獣の掃討と止まらぬ本獣の進行。本丸の亜白を守る為に、激戦を奏でる最前線より走ってきた雨宮はボロボロだった。
『まだ隊長が前にいます!亜白隊員、援護を!』
返事をしない亜白の両手は震えている。手に持つ専用武器はつい最近、試作されたばかりのもので。重厚なそれは10代の少女の手には似つかわしくない。
烈火のような怒りに染まる険しい顔を解かす雨宮。へたり込む亜白の側にしゃがみ、いまだ応答を願う声の漏れ出るイヤホンをつまんで引っ張り出した。
遠くには銃声と衝突音が響いている。しかし今いっときこの場だけは切り離され、静寂に包まれている気がした。雨宮は静かな口調で声を掛ける。
「おい。大丈夫か?」
「…雨宮小隊長っ、私…」
いつもの静かな表情で語る彼に、亜白は口を戦慄かせる。何でもなさそうに振る舞える傷ではない。相当無理をしているだろうに。亜白を庇って出来たその傷は確実に致命傷だった。
「これは…ま、気にするな。んなことよりも、お前が気にしなくちゃなんねえことは、そうだな…2つある。」
ボタボタと落ちる血液。尋常じゃない出血量と深すぎる傷は、彼がもう助からない事を示唆していた。
どうして、平気そうな顔をしていられるの。
絶望に染まる亜白に対し、死に向かうにしては悲観のない空気を纏う雨宮。
彼は歯を見せて不敵に笑い、最後にその教示を口にした。
大怪獣クラスの規模の進行。市外のみならず、多大な損害を出した作戦に対する責任の追及。上層部が対処に追われる中、ヒッソリと葬儀は行われた。多忙を極めるとはいえ、流石の参謀長の職も冠婚葬祭においては暇をいただくことは出来たようで。亜白は彼の人がどんな顔でいたか覚えていない。何か言葉を掛けてもらった、しかしずっと上の空で。誰の言葉もあまりよく覚えていない。
遺書に記された本人の希望もあり、ほとんどが身内だけのこじんまりとした葬儀は粛々と進行される。
終わる頃には雪が降っていた。
参列者が散り散りと帰っていく中、傘もささずに。
彼女は曇天の下に、立ち尽くしていた。黒いワンピースに、コートも羽織らず。
ぼやけていた視界の中で昭然と映るその姿に、ひきつけられて。亜白は彼女のそばに歩む。
「…帆鳥さん。」
風邪を引いてしまうからと、傾けた傘の下。震える呼吸にか細い声が混じる。彼女は亜白の手を弾いた。手にしていた傘が、薄く雪の積もった地面に落ちる。
「嘘つき。」
冷淡な言葉が示す激情。
鋭いその眼差しに、亜白は亡くした人の面影を見た。
「ほら、挨拶は?」
「……」
「こら!帆鳥!」
「…こんにちは。」
名乗りもしない不躾な挨拶に、参謀長は再び名を呼んで咎める。当の本人は意に介した様子もない。
「まったく…はぁ、すまないね亜白くん。この子は帆鳥。私の娘だよ。」
それが意味するところは。参謀長の息子であり亜白が属する小隊を束ねる男、雨宮颯鳥の妹ということだろう。
亜白ビッと敬礼をする。
「はじめまして、帆鳥さん。私は雨宮小隊長殿の部隊に所属しています、亜白ミナといいます。」
何も言わずに、ジトリとした視線を向ける少女。何がそんなに不満なのか、とうとうそっぽを向いてしまう。
「…仕事熱心なのはいいけど。約束ぐらい守ったら?って、言っといて下さい。」
くるりと背を向けるのに合わせ、膝下丈のスカートが揺れる。大股で歩くたび鳴るローファーの足音が印象的だ。
「あっ!待ちなさい!いや〜本当に申し訳ないね、亜白くん。」
来た道を戻る娘を慌てて追い掛ける参謀長に、入隊式で見た威厳は感じられない。可愛い子供の前では形無しと言ったところだろうか。上官も同じであるならそれはそれで微笑ましい。
しかし預かった言伝を忘れぬ内にと、訓練終わりに声を掛けた男は詰められた表情をしている。
「んー、…やっぱ怒ってた?」
誰がとは言わない。報告した妹さんの態度の事だ。
「見たままを言うなら、はい。大変お怒りのご様子でした。」
「まー…だよねー…」
専用武器の手入れをしながら、歯切れ悪い返事をする男。廊下でたまたま出くわした2人とのやり取りを伝えた結果である。深い溜息をつく男、雨宮颯鳥に亜白は察していながらも問い掛ける。
「本日は、妹さんの入学式だったのでは?」
彼女がブレザーの胸につけていた花形のリボン。この時期ならば卒業ではなく、入学祝いの飾りだ。
「あぁ、うん、その通りだよ。お察しの通り、休めなかったってわけだ。」
雨宮はジャキリと音を出し、装備の稼働確認を終える。組み立て終えたそれをケースの上に乱雑に置く行動は、若干八つ当たり気味に見える。本人がこの結果を不本意に思っている表れだろう。防衛隊の人材不足が深刻である事は、入隊して間もない亜白もよく理解している。希望休が通らぬことは間々ある事だ。
「悪かったな亜白。あいつ、けっこー態度クソだったろ?」
「いいえ、私は別に…」
「機嫌悪いと、誰にでもああなんだよ。たく、社交性の欠片もないんだから…ほんと誰に似たんだ。」
小隊長殿によく似ておられます、とは言わない。この短期間のうち、雨宮が上官と揉めているところは亜白自身、何度も目撃していた。それを投げやりっぽい今の雨宮に伝えたところで火に油は明白なので、別途素直に感じた事を述べる。
「兄妹仲がよろしいのですね。妹さんは、わざわざ制服姿を見せにいらっしゃったんじゃないですか?」
「…帰っちゃったけどね。」
「少し羨ましいです。」
今となっては、亜白にそんな家族はいない。いるとすれば、幼い頃からそばにいた幼馴染。防衛隊に入隊した自分と、躓きながらも前に進もうとする彼。どうか諦めずに、誓い合った夢を忘れずにいて欲しいものだが。
「…あー…母さんがさ、あいつを産んですぐ死んだんだ。」
首を回し、少し考える様子を見せてから語る雨宮。
「親父は仕事柄、全然家に帰ってこねーから。俺がずっと面倒見ててさ。俺にはすげー懐いてるけど親父はちょっと嫌われてる。」
「なるほど。」
話が見えてきた。道理で参謀長の言うことを聞く様子が無かったわけだ。
「防衛隊に入ってからは俺も忙しくて、あんま顔合わせられてなくてさ。…今日は行くって、約束したんだけどなぁ…」
投げ置いた武器をケースに仕舞い直し、パタリと蓋を閉める。
「亜白さ、今度みかけたらあいつ引き留めといてくれよ。」
「私がですか?」
「うん、また暫く帰れねーし。…そん時はちゃんと会いに行くから、なんか理由つけて待たせといて。」
「…そう何度もご家族の方が基地にいらっしゃいますかね?」
「ま、見かけたらでいいよ。」
適当すぎる希望的観測。雨宮本人もなんとなく、重くなってしまった会話に区切りをつけるくらいの気持ちで言ったのだろう。
しかし偶然とは、何の前触れもなく訪れるものである。
「あっ。」
「…どうも。」
バッタリと鉢合わせたのは数日後、一般の来客を迎える出入り口にて。取材スタッフが落としたであろうネームプレートを届ける為、発見者である亜白はたまたま受付を訪れていた。少女帆鳥はあの日見た制服姿のまま、そこに立っていた。丁度昼休憩の時間だからか受付にいるはずの担当者は席を外しており、右往左往しているところを発見した亜白は思わず声を出した。
「本日は雨宮小隊長に御用ですか?」
「……これ、」
暫く悩んだ様子を見せてから、帆鳥は肩掛けのスクールバッグからファイルを取り出す。差し出されたクリアファイルの中にはプリントの束が入っている。
「渡しといてもらえますか?」
入学してすぐなら、保護者のサインが必要な内容のものもあるだろう。わざわざ届けに来たということは、それだけ家に1人でいる時間が長いことが想像に容易い。
「父さんより、兄さんの方が早そうなんで。また取りに来るから受付にでも預けといてって言っといて下さい。」
ズイッと差し出されたファイル。亜白は反射的に両手を上げた。
「ごめんなさい!私は受け取れません!」
「え?なんで?」
強めに示された拒否反応。呆気に取られた表情をする帆鳥。
「え゙っ、とっ、とにかく、此方へどうぞ!」
突如として発生した上官からの指令任務。どもりながらも少女の背を押し施設の中へ強引に招き入れる。慌ただしい姿に上手く対応できず、帆鳥もたじろぎながらされるままに案内される。戸を開いた応接室の一角に、誰もいないことを確認してから帆鳥をソファに座らせてやる。すぐさまスマホを出してメッセージアプリを開くとスタンプを連打した。ダダダダと流れていくスタンプに既読がついたのは幸い。怒りのメッセージが送られて来るより早く『妹さん来ましたよ!!』の連絡。『行くわ。どこ?』と返事が来るのは秒だった。
「いや、えっと…本当にたいした用じゃないんで。」
「すぐいらっしゃるんで大丈夫ですよ。」
亜白は何事も無かったようにスマホを仕舞う。束の間とはいえ、待たせた彼女の相手するため正面に座る。
「なんか、すみません。」
「何を言うんですか。ご家族が会いに来たんですから、当然のことです。」
居心地悪そうにする帆鳥を安心させるようにキリッとした顔つきをする亜白。
「…颯鳥兄さん、忙しいんじゃないんですか?」
「忙しくされてますが、我々にも昼食を取る時間くらいはありますので。まったく問題ありませんよ。」
「そう…ですか。」
出来る限りポジティブな発言を心掛けるが、帆鳥の表情は芳しくない。人見知り、というよりは別に心配事を抱えているように見えた。
「…お兄さんに会うの、嫌でしたか?」
直感的な亜白の質問に、俯きがちだった顔をあげる帆鳥。
「嫌です。」
曖昧さはなく、明確な拒絶の言葉。これは由々しき自体である。
「差し支えなければ、理由を聞いても?」
上官とはいえ他人の家族事情に首を突っ込むのは気が引けるが、間もなくして雨宮は此処を訪れる。数少ない大切な家族との時間くらい、心穏でいてほしい。善良なるお節介を、余計なお世話だと突っぱねる意地は人並みにもつ帆鳥だったが。抱える苦悩は身内に話せなくとも他人であれば、言ってしまっても良いと思えるものだった。
「次、会えないかもしれないから。」
ポツリと呟いた答えはシンプルだが、当人に伝えるのは難しい葛藤を含む感情。
「もしかしたら、明日死んじゃうかもしれない。次会えないなら、これが最後になるかもしれないから。何ていうか、…」
「最後になるくらいなら、会いたくないと?」
コクリと頷く帆鳥。もっと幼い年頃か、成熟した年齢であれば素直に言えたかもしれない気持ち。思春期特有の不安定な心では持て余す、家族に対する本音。
その点、亜白はまだ年若いが濁らず真っ直ぐな人に育っていた。既に失って、それを超えてきた人だから。だからこそ、伝えるべきことはハッキリと分かっている。
「最後かもしれないなら、尚更会っておくべきだと私は思います。」
打算も気遣いもない、真っ直ぐな言葉。
「何の前触れもなく、いってらっしゃいとか、ただいまが、突然最後になる日が来るかも知れない。どんなに嫌でもいつか来てしまう。であれば出来る限り後悔の無いように、顔を合わせて言葉を伝え合うことが、最善であると思います。」
目を逸らさずに告げる道徳。帆鳥は正しさに打ちひしがれ、逃げ出したい心地になる。誠実が過ぎる言葉は時に、貫くような痛みを与える。
「貴女はまだ、後悔を知る前にいる。だったら、やれるべき事をやった方が良い。」
あまりに厳しく、優しい言葉だった。真理をつく助言に帆鳥の瞳は波打ち揺らぐ。
「防衛隊なんて…辞めてくれたらいいのに。」
「…誰かを守りたいと思ったから、お兄さんはきっと此処にいる。その思いは出来れば尊重してあげて欲しい。」
ポロリと溢れる涙。
涙の理由は、本当に言いたかった事だろう。死なないでほしい。たったそれだけの事。浅すぎる間柄の亜白の前で泣くくらいに、相当悩んでいたのだろう。
「じゃあ、兄さんの事は誰が守ってくれるの?」
広くないテーブルの向かい側、亜白は手を伸ばす。まだ小さく頼りない手を取り、優しく握る。
「大丈夫、1人じゃないから。防衛隊の仲間が、私達がきっとお兄さんを守ってみせる。」
だから、安心してほしい。泣かないで、どうか笑って。そんな意味を込めて、亜白は微笑んだ。
ガチャリとドアノブが回り扉が開く。
「………え?亜白泣かせた?」
入口に立ちポカンとした様子で部屋の中を見る雨宮。亜白はガタリと立ち上がり弁解する。
「こ、これは!違います小隊長!」
泣かせたことに違いはないが、悪意があって泣かせたつもりはないわけで。なんとも言えない表情で見る雨宮に弁解する。
「えー…なんだよ、泣くなよ帆鳥。」
渋々といった様子で部屋に入ると、気安い動作で雨宮は妹の隣に座る。広げた手が頭を掴みワシワシと撫でる。その所作は雑に見えて柔らかだ。
「久々なのに、何泣いてんだよー。そんなに寂しかったか?」
「なんでも、ないっ…」
顔を隠すようにブレザーの袖で目元を擦る妹を、呆れた笑みで見下ろす雨宮。そこには確かに、家族に対する慈愛が存在していた。
真冬の日だった。
穿たれた腹部の先に見える、向こう側の景色。
「しっかりしろっ!!お前の後ろには誰が立ってる!!」
怒声から成る叫びに合わせ、肉体が悲鳴をあげ血が飛び散る。銃撃により頭部の破砕した怪獣の死体をビルから蹴り捨てる雨宮。防衛線が突破されつつあることは誰の目から見ても明らかで。溢れる余獣の掃討と止まらぬ本獣の進行。本丸の亜白を守る為に、激戦を奏でる最前線より走ってきた雨宮はボロボロだった。
『まだ隊長が前にいます!亜白隊員、援護を!』
返事をしない亜白の両手は震えている。手に持つ専用武器はつい最近、試作されたばかりのもので。重厚なそれは10代の少女の手には似つかわしくない。
烈火のような怒りに染まる険しい顔を解かす雨宮。へたり込む亜白の側にしゃがみ、いまだ応答を願う声の漏れ出るイヤホンをつまんで引っ張り出した。
遠くには銃声と衝突音が響いている。しかし今いっときこの場だけは切り離され、静寂に包まれている気がした。雨宮は静かな口調で声を掛ける。
「おい。大丈夫か?」
「…雨宮小隊長っ、私…」
いつもの静かな表情で語る彼に、亜白は口を戦慄かせる。何でもなさそうに振る舞える傷ではない。相当無理をしているだろうに。亜白を庇って出来たその傷は確実に致命傷だった。
「これは…ま、気にするな。んなことよりも、お前が気にしなくちゃなんねえことは、そうだな…2つある。」
ボタボタと落ちる血液。尋常じゃない出血量と深すぎる傷は、彼がもう助からない事を示唆していた。
どうして、平気そうな顔をしていられるの。
絶望に染まる亜白に対し、死に向かうにしては悲観のない空気を纏う雨宮。
彼は歯を見せて不敵に笑い、最後にその教示を口にした。
大怪獣クラスの規模の進行。市外のみならず、多大な損害を出した作戦に対する責任の追及。上層部が対処に追われる中、ヒッソリと葬儀は行われた。多忙を極めるとはいえ、流石の参謀長の職も冠婚葬祭においては暇をいただくことは出来たようで。亜白は彼の人がどんな顔でいたか覚えていない。何か言葉を掛けてもらった、しかしずっと上の空で。誰の言葉もあまりよく覚えていない。
遺書に記された本人の希望もあり、ほとんどが身内だけのこじんまりとした葬儀は粛々と進行される。
終わる頃には雪が降っていた。
参列者が散り散りと帰っていく中、傘もささずに。
彼女は曇天の下に、立ち尽くしていた。黒いワンピースに、コートも羽織らず。
ぼやけていた視界の中で昭然と映るその姿に、ひきつけられて。亜白は彼女のそばに歩む。
「…帆鳥さん。」
風邪を引いてしまうからと、傾けた傘の下。震える呼吸にか細い声が混じる。彼女は亜白の手を弾いた。手にしていた傘が、薄く雪の積もった地面に落ちる。
「嘘つき。」
冷淡な言葉が示す激情。
鋭いその眼差しに、亜白は亡くした人の面影を見た。
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