月下美人の横顔
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立川基地の一角。ガラス張りの個室内にて、2人の男が椅子に腰掛けている。ガラスの引戸にはタバコのマークが貼り付けてある通り、喫煙所である。半開きの口からモクモクと煙を吐き出出す男、沖村の目は死んでいた。隣に座る保科はポケットに手を突っ込んだまま足を組み、黙って沖村が話し出すのを待っている。暫しの沈黙。煙を吐ききった沖村は備え付けの灰皿に吸い殻を捨て、深く息をついた。
「…気を使わせてしまいましたね。」
「ええねん。僕がここにしよって言い出したんや。」
「はは、助かります。」
沖村は両腕を膝について項垂れる。1本吸いきる程の猶予をもらっても、何から話したものか考えあぐねいているようだ。副流煙が鼻に付くのに嫌気は無く、懐かしさと新鮮な心地に保科はもうしばらく待っても良いような気になってきた。だが時間は有限では無い。実りある語らいにする為、言い慣れつつある口上を述べる。
「最近どうなん?」
「…新米でもないというのに、新たな経験ばかりです。毎日が新鮮ですよ。」
すんなり出てきた返答に保科は満足そうに笑う。最初の一歩を踏み出すきっかけとは、斯様に些細なことである。
「良し悪しあるけど、君は世渡り上手よな。でもこういう場では美点にならんよ。」
「…では、出来るだけ率直に。雨宮さんの小隊はボヤが多いです。」
オブラートをかなぐり捨てた発言は揶揄を挟めど簡潔である。
「…まだ大火事ではないんやろ?」
「どうだかね。時間の問題ですよ。」
乾いた笑いを零すその表情には確かな疲労が窺えた。沖村は防衛隊員として抜きん出た才能がある訳では無い。しかし一般隊員として古株に入る彼は、ここまで生き残ってこれた程度の器用さを持っている。保科の小隊に所属していた彼を雨宮の小隊に加えた要因は、その点の評価に由来する。
「ハタチを越した頃から、だいぶマシにはなりましがね。棘がある、と言うよりは生来の獰猛さでしょうか。…前雨宮小隊長殿によく似ておられます。」
「それ、絶対言うなよ。」
「口が裂けても言いませんよ。…言えるわけがない。」
「…もう一本ええで。」
「……お言葉に甘えて。」
雨宮帆鳥の兄、雨宮颯鳥。保科が知らぬ男の事をこの沖村は知っている。故人の人となりを知らずとも、生者に対する地雷である事は容易に想像できた。ライターのヤスリを回し、咥えた煙草の先端に火を灯す。
「一昨日あった、小隊ごとの訓練に際してです。…中型の余獣を使用した訓練で馬鹿をやったやつがいまして。ま、かすり傷程度でしたが小隊長殿のお気には召さなかったようです。」
「…追加でしごいたんか?」
「いえ、発砲しました。」
予想を超えた雨宮の行動に、保科は黙り込む。
「…勿論当てちゃいませんよ?これで死に対する恐怖を覚えろと仰っていました。」
「……」
「生ぬるいとは言いませんが、お優しい上司の元で育った隊員達です。我々第3の平隊員らに恐怖政治は些か刺激が強すぎたみたいですね。」
「亜白隊長がぬるかったて言いたいん?」
「まさか…少々疲れていまして。言葉選びを間違えました。」
フーっと長く煙を吐いた彼の肩を小突く保科。小さく笑って謝罪すると、間を開けて言葉を続ける。
「後ろをついていく者は強くなりますが、確実に人は選びます。人材不足の深刻な昨今においてはまずいかと。」
「死ぬよりはええと思うけどな。」
「度が過ぎてるってことですよ…訴えられたら勝てません。」
沖村は懐に手を突っ込むと、繋ぎの内ポケットから白い封筒を取り出した。保科に差し出したそれには歪んだ字で辞表と書いてある。震えた手で綴ったのだろう。極めつけに字の端は滲んでおり、涙の跡を彷彿とさせた。
「君、そんなに思い悩んでるん?」
「俺のじゃありませんよ…」
「冗談やんけ。君がこないな情けない申告書をしたためるかいな。」
「例の、発砲された隊員から預かったものです。直接渡そうものなら今度こそ頭を吹っ飛ばされるじゃないかと、怯えきっていましたよ。」
小隊の環境は色々と重症のようだった。
「情けない話ですが、俺はこういった類の問題はてんで駄目で。…やっぱり歴だけ長くとも駄目ですね。」
「よくやってると思うけどなぁ。信頼の厚い証やん。」
手にした辞表を見下ろしながら乾いた笑いを零す沖村。
「上辺だけでやってきたツケですよ。それは本来、何をも恐れず役割を全うしようとする彼女に向けられるべきものだ。そんな人に、簡素な結果をだけを手渡すわけには行きません。」
保科は口角をあげる。ひずみの中において、沖村という隊員は確かに彼女についていく少数派であるようだ。雨宮の受け持つ小隊が悪い事ばかりでない証明の体現でいることを、彼は自覚していないだろう。
「分かった。ちぃとばかし僕から話してみる。それはもうちょいしまっといてくれ。」
「感謝します、副隊長殿。」
区切りよく、沖村の手にする煙草も吸い殻になりかけている。立ち上がる保科に向け、沖村は笑って礼を言った。
明くる日、陽がすっかり落ちた頃。都市部の繁華街、某居酒屋チェーン店にて。保科は無言で雨宮の手元を見つめていた。サラサラと落ちる赤い粉で小山を作る様子に、保科はどのタイミングでツッコミを入れるべきか悩んでる。陶器の小瓶を真下に向け、小皿の一角に一味の山を作る雨宮はいつもの通り真顔である。普段であれば大袈裟にツッコむところを、引き気味き尋ねる。
「…君って、甘い物が好きなんじゃなかったっけ?」
「だからといって辛いものが嫌いな理由になりませんね。」
満足したのか赤いプラスチックの蓋を閉め、カスターセットの内に戻すとタイミングよく店員が卓に訪れる。生ビールの注がれたジョッキグラスを受け取り右手に持つと、雨宮はようやく保科と目を合わせた。
「では、お疲れ様です。」
「おつかれさん。」
カチンとグラスを合わせてすぐ、ゴキュゴキュと喉を鳴らし酒を流し込む姿は景気が良い反面、普段の彼女からは想像が出来ない姿だ。
「良い飲みっぷりやん。普段からよく飲むん?」
「いいえ。友人と外出した時だけです。」
タレの焼き鳥を1本手に取ると、迷わず一味唐辛子の山に先端を埋めた。
「うわっ…」
「失礼ですね…よろしければ一口試してみますか?新しい扉が開けるかも。」
「いや、遠慮しとくわ。」
口元を引き攣らせる保科に向け、赤い粉末のまぶされた串を差し出す雨宮。首を振って断られたのを気にも留めずパクリと食べる彼女は可もなく不可もなくといったところか、無感情に見える。
「で、どうされました。」
「どうって?」
「貴方が理由もなくこういった場を設ける事、あります?」
「酷いなぁ。部下との親睦を深めようって気回しやんけ。」
「自主トレ漬けが良く言いますよ。」
単刀直入。問題を後に回さない気質の彼女はプライベートでもこうなのだろうか。装甲のように固いタチがもう少し砕けてから切り出すつもりだったが、やはり彼女にからめては通じない。
「まどろっこしいのはタチじゃないもんな。」
「どうも。貴重なお時間を無駄に消費しない為の、私なりの気遣いです。」
モソモソと口を動かす様子は小動物を連想させる。そんな可愛らしい女ではないが。
「君が小隊もってしばらく経つな。頑張ってくれてるみたいやけども、最近どや?」
「別に。普通です。」
「普通って…もっとこう…あれが大変ですーとか、こういうときどうしたらいいですかー?とか、ないん?」
「無いです。練度は増し、作戦においては統率も取れているかと。」
事実だった。彼女の部隊にこれといった穴はなく、指示作戦は真っ当する。町田市の作戦依頼メキメキと成長し、防衛隊内部にてもその頭角を現しつつあった。機械的にも感じられる合理性の強い特色を持つ動きをする隊員達。模範的かつ優秀な小隊は理想であるが、それは逆に上長達の懸念点でもある。凶悪な程の勇猛果敢。目標を潰す為なら危険行為を辞さない雨宮が受け持つ小隊が、表面的には部隊としての均衡を徹底し尽くしているというのは如何せん、不自然にも感じる。
「…無理してないか?」
保科は心配だった。沖村の報告も含め、気掛かりはより深くなる。
「どういう意味ですか、それ。」
「君、生粋の破天荒さんやんけ。お上は感心しとるけど、側で見てた僕等としては心配なんよ。」
雨宮は目を細めると、竹串の先端をビッと保科に向けた。
「あぶな!」
「沖村先輩から何か言われましたね?」
行儀の悪さを指摘するより早く、雨宮は核心を突いた。あちゃー、と胸の内で感想を垂れ流しつつポーカーフェイスで両手を上げる。
「あ、バレてもうた?」
「はぁー…そんなこったろうと思いましたよ。彼は何かと心配性ですから。」
雨宮はグビリと酒を煽ると串立てに竹串を放り捨てる。カランと音を鳴らしたそれから視線を上げると、保科を責めるように見る。
「どいつもこいつも。素直に私を褒めるべきだと思うんですけど、ね?」
「内輪はガタガタらしいやん?なんて言ったっけか…外強中乾?」
「見てくれだけじゃないと思いますが。なにせ結果は出してるんで。」
「意味わかるんや、君思ったより賢いやんけ。」
「失礼ですねぇ…伝わりにくい四字熟語を使う人って、性格が悪い人ばっかですよね。」
「あはは!悪いなぁ、なんせ育ちが良いもんで。」
歯牙にかけずケラケラ笑う保科。雨宮は鬱陶しそうに舌打ちをする。
「甘ったれが多いだけです。専攻とってまで隊員になったくせして意思が弱すぎます。脆弱で軟弱な奴らを叩き直してるだけですが、問題ありますか?」
「んー、叩き直すってのは構わんと思うけども。」
からかいを潜めつつも愉快さの拭えない保科の口角はニマニマと笑みを浮かべたまま。しかしてシャンとした言葉を伝えようかと考えると、自然と背筋が伸びる。大人しそうな見た目に反して、見上げる眼はギラギラとした剣呑さを宿す。少女の皮を破ったばかりの年とは思えない、しかし若さゆえの熱すぎる意思はまだまだ不安定に見えた。
嫌いじゃない、と素直に思う。なんやかんやとやっかまれようとも、彼女もまた防衛隊員らしい人柄だった。
「僕にもあったわ。そんな時期。」
「はぁ?」
「いや。なんでもないよ。…でもなぁ雨宮。人間、皆違うんよ。得意なこと、苦手なことがある。分かるな?」
「…なら、お優しくしてみすみす戦場で死なせろと?」
「そうは言ってない。ちょっとだけでいいから、やり方変えてみ。具体的には、敵でもないのに撃ったらアカン。まずそこからや。」
気まずそうにサッと目を逸らす雨宮。正面から指摘されると流石に後ろめたさはあるようだ。すかさず釘を刺す。
「沖村のこと責めたらあかんで?好きでチクったわけじゃないねんから。」
「…知ってますよ。沖村先輩は優しい人ですから。」
やってらんなさそうに酒を飲みきると、追加を頼む為に店員を呼び止める。
「何か飲みますか?」
「じゃ、同じので。」
店員が去ると、保科は若干食い気味に聞いた。
「てかなんで沖村はプラベで先輩呼びなん?」
「深い意味はありません。私が今より未熟な時から目に掛けてくれた人だからです。」
「僕も!僕もそうやん!」
「副隊長は副隊長です。」
「なんか贔屓っぽく感じるな…」
「まぁ、はい。煙草さえ辞めれば殉職も遠くなると何度も言ってるですがね。」
「許したれよ。人に優しくするにも苦労があんねん。」
積もる話もさることながら、夜は更けていく。言うべき事は言ったと肩の荷を降ろし、気分良く呑んでいれば閉店時間はあっという間で。お花を摘みにと消えた部下を尻目に会計を済ませ、席に戻ると雨宮は卓に突っ伏していた。
「おーい、もう帰るで。」
「…」
返事がないことに不味いかと、冷や汗をかいて肩を起こす。意識はまだあるようで、ほんのり紅潮した頬の上で眠そうに眼をすぼめている。
「立てるか?」
「はい、問題無く。小隊長ですので。」
ガタリと席を立ち店の入口へ向かう足取りはフラフラとおぼつかない。間違いなく酔っている。大股で後を追い、腕を掴んで真っ直ぐ歩かせる。景気の良い店員の挨拶を背に受けながら外に出ると、夜風が冷たい夜風に清涼感を覚える。少しばかり、自分も酔いが回っているようだった。
「酒弱いなら無理せんでも良かったのに…」
「部下を持つ者として、ある程度の見栄も必要な筈では?」
「絶対に今はいらん。」
悲しくもそれは自分が教えた事だった。酔っぱらいのくせして達者であり続ける口に腹が立つ。終電間際、駅の改札を抜けホームで電車を待つ人の数は少なく無い。亜白ほどで無いとしても一応防衛隊員として顔が売れている為、時折人が振り返る。
「…なんか、スクープされそうですね。」
「こんだけ人がいればなぁ…安心し。一面に載ったらちゃんと否定したるから。この可愛いくも憎らしい部下は妹みたいなもんですーって。」
「へぇ…」
雨宮は背伸びすると、保科の肩をつかんで体重を乗せる。
「ちょ、なになに。」
下がった頭に顔を寄せ、雨宮は声を潜める。
「貴方を兄のように思ったことは無いですけど、ね。」
内緒話をする、いたずらっぽい少女の声。
保科は虚を突かれたように勢い良く頭を上げる。彼女の口から聞くことは無いと踏んでいた話題。見下ろす雨宮は無表情で、心情が読み取れない。人混みで騒然としていた音が遠く離れ束の間、時が止まった心地になる。何を思って、それを口に出したのか。雨宮が俯き、小さく息を呑む音がやけに鮮明に鼓膜を揺らす。次の瞬間には、弧を描いた眼差しが此方を見上げていた。
「雑誌に載ったらちゃんと否定して下さいね?」
「お前…」
雑多に交差していた心境が吹き飛ばされる。複雑な思いの残り香はいまだくすぶるが、保科は少しばかり好戦的な顔をした。普段とは対極な表情で見つめ合う2人に終止符を打ったのは、雨宮のスマホに届いた通知の音。
「…あ、鳴海隊長だ。」
「あ゙?なんでやねん?」
彼女の口から告げられる唐突な乱入者に低い声が出た。
「最近ID交換したので。たまに遊んでくれます。」
「遊ぶっておまっ、どないやねんっ!」
「あの隊長、ゲーム脳なんで。各ジャンルに精通してますよ。キャリー?してくれます。」
「はぁ〜?消せっ!今すぐ消せっ!」
「ほら、電車来ましたよ。」
「フラフラすな、ほらこっち。」
肩を抱いて乗り込んだ人の多い車両の中で、雨宮がいつものようにセクハラですと手を弾く事は無かった。
「…気を使わせてしまいましたね。」
「ええねん。僕がここにしよって言い出したんや。」
「はは、助かります。」
沖村は両腕を膝について項垂れる。1本吸いきる程の猶予をもらっても、何から話したものか考えあぐねいているようだ。副流煙が鼻に付くのに嫌気は無く、懐かしさと新鮮な心地に保科はもうしばらく待っても良いような気になってきた。だが時間は有限では無い。実りある語らいにする為、言い慣れつつある口上を述べる。
「最近どうなん?」
「…新米でもないというのに、新たな経験ばかりです。毎日が新鮮ですよ。」
すんなり出てきた返答に保科は満足そうに笑う。最初の一歩を踏み出すきっかけとは、斯様に些細なことである。
「良し悪しあるけど、君は世渡り上手よな。でもこういう場では美点にならんよ。」
「…では、出来るだけ率直に。雨宮さんの小隊はボヤが多いです。」
オブラートをかなぐり捨てた発言は揶揄を挟めど簡潔である。
「…まだ大火事ではないんやろ?」
「どうだかね。時間の問題ですよ。」
乾いた笑いを零すその表情には確かな疲労が窺えた。沖村は防衛隊員として抜きん出た才能がある訳では無い。しかし一般隊員として古株に入る彼は、ここまで生き残ってこれた程度の器用さを持っている。保科の小隊に所属していた彼を雨宮の小隊に加えた要因は、その点の評価に由来する。
「ハタチを越した頃から、だいぶマシにはなりましがね。棘がある、と言うよりは生来の獰猛さでしょうか。…前雨宮小隊長殿によく似ておられます。」
「それ、絶対言うなよ。」
「口が裂けても言いませんよ。…言えるわけがない。」
「…もう一本ええで。」
「……お言葉に甘えて。」
雨宮帆鳥の兄、雨宮颯鳥。保科が知らぬ男の事をこの沖村は知っている。故人の人となりを知らずとも、生者に対する地雷である事は容易に想像できた。ライターのヤスリを回し、咥えた煙草の先端に火を灯す。
「一昨日あった、小隊ごとの訓練に際してです。…中型の余獣を使用した訓練で馬鹿をやったやつがいまして。ま、かすり傷程度でしたが小隊長殿のお気には召さなかったようです。」
「…追加でしごいたんか?」
「いえ、発砲しました。」
予想を超えた雨宮の行動に、保科は黙り込む。
「…勿論当てちゃいませんよ?これで死に対する恐怖を覚えろと仰っていました。」
「……」
「生ぬるいとは言いませんが、お優しい上司の元で育った隊員達です。我々第3の平隊員らに恐怖政治は些か刺激が強すぎたみたいですね。」
「亜白隊長がぬるかったて言いたいん?」
「まさか…少々疲れていまして。言葉選びを間違えました。」
フーっと長く煙を吐いた彼の肩を小突く保科。小さく笑って謝罪すると、間を開けて言葉を続ける。
「後ろをついていく者は強くなりますが、確実に人は選びます。人材不足の深刻な昨今においてはまずいかと。」
「死ぬよりはええと思うけどな。」
「度が過ぎてるってことですよ…訴えられたら勝てません。」
沖村は懐に手を突っ込むと、繋ぎの内ポケットから白い封筒を取り出した。保科に差し出したそれには歪んだ字で辞表と書いてある。震えた手で綴ったのだろう。極めつけに字の端は滲んでおり、涙の跡を彷彿とさせた。
「君、そんなに思い悩んでるん?」
「俺のじゃありませんよ…」
「冗談やんけ。君がこないな情けない申告書をしたためるかいな。」
「例の、発砲された隊員から預かったものです。直接渡そうものなら今度こそ頭を吹っ飛ばされるじゃないかと、怯えきっていましたよ。」
小隊の環境は色々と重症のようだった。
「情けない話ですが、俺はこういった類の問題はてんで駄目で。…やっぱり歴だけ長くとも駄目ですね。」
「よくやってると思うけどなぁ。信頼の厚い証やん。」
手にした辞表を見下ろしながら乾いた笑いを零す沖村。
「上辺だけでやってきたツケですよ。それは本来、何をも恐れず役割を全うしようとする彼女に向けられるべきものだ。そんな人に、簡素な結果をだけを手渡すわけには行きません。」
保科は口角をあげる。ひずみの中において、沖村という隊員は確かに彼女についていく少数派であるようだ。雨宮の受け持つ小隊が悪い事ばかりでない証明の体現でいることを、彼は自覚していないだろう。
「分かった。ちぃとばかし僕から話してみる。それはもうちょいしまっといてくれ。」
「感謝します、副隊長殿。」
区切りよく、沖村の手にする煙草も吸い殻になりかけている。立ち上がる保科に向け、沖村は笑って礼を言った。
明くる日、陽がすっかり落ちた頃。都市部の繁華街、某居酒屋チェーン店にて。保科は無言で雨宮の手元を見つめていた。サラサラと落ちる赤い粉で小山を作る様子に、保科はどのタイミングでツッコミを入れるべきか悩んでる。陶器の小瓶を真下に向け、小皿の一角に一味の山を作る雨宮はいつもの通り真顔である。普段であれば大袈裟にツッコむところを、引き気味き尋ねる。
「…君って、甘い物が好きなんじゃなかったっけ?」
「だからといって辛いものが嫌いな理由になりませんね。」
満足したのか赤いプラスチックの蓋を閉め、カスターセットの内に戻すとタイミングよく店員が卓に訪れる。生ビールの注がれたジョッキグラスを受け取り右手に持つと、雨宮はようやく保科と目を合わせた。
「では、お疲れ様です。」
「おつかれさん。」
カチンとグラスを合わせてすぐ、ゴキュゴキュと喉を鳴らし酒を流し込む姿は景気が良い反面、普段の彼女からは想像が出来ない姿だ。
「良い飲みっぷりやん。普段からよく飲むん?」
「いいえ。友人と外出した時だけです。」
タレの焼き鳥を1本手に取ると、迷わず一味唐辛子の山に先端を埋めた。
「うわっ…」
「失礼ですね…よろしければ一口試してみますか?新しい扉が開けるかも。」
「いや、遠慮しとくわ。」
口元を引き攣らせる保科に向け、赤い粉末のまぶされた串を差し出す雨宮。首を振って断られたのを気にも留めずパクリと食べる彼女は可もなく不可もなくといったところか、無感情に見える。
「で、どうされました。」
「どうって?」
「貴方が理由もなくこういった場を設ける事、あります?」
「酷いなぁ。部下との親睦を深めようって気回しやんけ。」
「自主トレ漬けが良く言いますよ。」
単刀直入。問題を後に回さない気質の彼女はプライベートでもこうなのだろうか。装甲のように固いタチがもう少し砕けてから切り出すつもりだったが、やはり彼女にからめては通じない。
「まどろっこしいのはタチじゃないもんな。」
「どうも。貴重なお時間を無駄に消費しない為の、私なりの気遣いです。」
モソモソと口を動かす様子は小動物を連想させる。そんな可愛らしい女ではないが。
「君が小隊もってしばらく経つな。頑張ってくれてるみたいやけども、最近どや?」
「別に。普通です。」
「普通って…もっとこう…あれが大変ですーとか、こういうときどうしたらいいですかー?とか、ないん?」
「無いです。練度は増し、作戦においては統率も取れているかと。」
事実だった。彼女の部隊にこれといった穴はなく、指示作戦は真っ当する。町田市の作戦依頼メキメキと成長し、防衛隊内部にてもその頭角を現しつつあった。機械的にも感じられる合理性の強い特色を持つ動きをする隊員達。模範的かつ優秀な小隊は理想であるが、それは逆に上長達の懸念点でもある。凶悪な程の勇猛果敢。目標を潰す為なら危険行為を辞さない雨宮が受け持つ小隊が、表面的には部隊としての均衡を徹底し尽くしているというのは如何せん、不自然にも感じる。
「…無理してないか?」
保科は心配だった。沖村の報告も含め、気掛かりはより深くなる。
「どういう意味ですか、それ。」
「君、生粋の破天荒さんやんけ。お上は感心しとるけど、側で見てた僕等としては心配なんよ。」
雨宮は目を細めると、竹串の先端をビッと保科に向けた。
「あぶな!」
「沖村先輩から何か言われましたね?」
行儀の悪さを指摘するより早く、雨宮は核心を突いた。あちゃー、と胸の内で感想を垂れ流しつつポーカーフェイスで両手を上げる。
「あ、バレてもうた?」
「はぁー…そんなこったろうと思いましたよ。彼は何かと心配性ですから。」
雨宮はグビリと酒を煽ると串立てに竹串を放り捨てる。カランと音を鳴らしたそれから視線を上げると、保科を責めるように見る。
「どいつもこいつも。素直に私を褒めるべきだと思うんですけど、ね?」
「内輪はガタガタらしいやん?なんて言ったっけか…外強中乾?」
「見てくれだけじゃないと思いますが。なにせ結果は出してるんで。」
「意味わかるんや、君思ったより賢いやんけ。」
「失礼ですねぇ…伝わりにくい四字熟語を使う人って、性格が悪い人ばっかですよね。」
「あはは!悪いなぁ、なんせ育ちが良いもんで。」
歯牙にかけずケラケラ笑う保科。雨宮は鬱陶しそうに舌打ちをする。
「甘ったれが多いだけです。専攻とってまで隊員になったくせして意思が弱すぎます。脆弱で軟弱な奴らを叩き直してるだけですが、問題ありますか?」
「んー、叩き直すってのは構わんと思うけども。」
からかいを潜めつつも愉快さの拭えない保科の口角はニマニマと笑みを浮かべたまま。しかしてシャンとした言葉を伝えようかと考えると、自然と背筋が伸びる。大人しそうな見た目に反して、見上げる眼はギラギラとした剣呑さを宿す。少女の皮を破ったばかりの年とは思えない、しかし若さゆえの熱すぎる意思はまだまだ不安定に見えた。
嫌いじゃない、と素直に思う。なんやかんやとやっかまれようとも、彼女もまた防衛隊員らしい人柄だった。
「僕にもあったわ。そんな時期。」
「はぁ?」
「いや。なんでもないよ。…でもなぁ雨宮。人間、皆違うんよ。得意なこと、苦手なことがある。分かるな?」
「…なら、お優しくしてみすみす戦場で死なせろと?」
「そうは言ってない。ちょっとだけでいいから、やり方変えてみ。具体的には、敵でもないのに撃ったらアカン。まずそこからや。」
気まずそうにサッと目を逸らす雨宮。正面から指摘されると流石に後ろめたさはあるようだ。すかさず釘を刺す。
「沖村のこと責めたらあかんで?好きでチクったわけじゃないねんから。」
「…知ってますよ。沖村先輩は優しい人ですから。」
やってらんなさそうに酒を飲みきると、追加を頼む為に店員を呼び止める。
「何か飲みますか?」
「じゃ、同じので。」
店員が去ると、保科は若干食い気味に聞いた。
「てかなんで沖村はプラベで先輩呼びなん?」
「深い意味はありません。私が今より未熟な時から目に掛けてくれた人だからです。」
「僕も!僕もそうやん!」
「副隊長は副隊長です。」
「なんか贔屓っぽく感じるな…」
「まぁ、はい。煙草さえ辞めれば殉職も遠くなると何度も言ってるですがね。」
「許したれよ。人に優しくするにも苦労があんねん。」
積もる話もさることながら、夜は更けていく。言うべき事は言ったと肩の荷を降ろし、気分良く呑んでいれば閉店時間はあっという間で。お花を摘みにと消えた部下を尻目に会計を済ませ、席に戻ると雨宮は卓に突っ伏していた。
「おーい、もう帰るで。」
「…」
返事がないことに不味いかと、冷や汗をかいて肩を起こす。意識はまだあるようで、ほんのり紅潮した頬の上で眠そうに眼をすぼめている。
「立てるか?」
「はい、問題無く。小隊長ですので。」
ガタリと席を立ち店の入口へ向かう足取りはフラフラとおぼつかない。間違いなく酔っている。大股で後を追い、腕を掴んで真っ直ぐ歩かせる。景気の良い店員の挨拶を背に受けながら外に出ると、夜風が冷たい夜風に清涼感を覚える。少しばかり、自分も酔いが回っているようだった。
「酒弱いなら無理せんでも良かったのに…」
「部下を持つ者として、ある程度の見栄も必要な筈では?」
「絶対に今はいらん。」
悲しくもそれは自分が教えた事だった。酔っぱらいのくせして達者であり続ける口に腹が立つ。終電間際、駅の改札を抜けホームで電車を待つ人の数は少なく無い。亜白ほどで無いとしても一応防衛隊員として顔が売れている為、時折人が振り返る。
「…なんか、スクープされそうですね。」
「こんだけ人がいればなぁ…安心し。一面に載ったらちゃんと否定したるから。この可愛いくも憎らしい部下は妹みたいなもんですーって。」
「へぇ…」
雨宮は背伸びすると、保科の肩をつかんで体重を乗せる。
「ちょ、なになに。」
下がった頭に顔を寄せ、雨宮は声を潜める。
「貴方を兄のように思ったことは無いですけど、ね。」
内緒話をする、いたずらっぽい少女の声。
保科は虚を突かれたように勢い良く頭を上げる。彼女の口から聞くことは無いと踏んでいた話題。見下ろす雨宮は無表情で、心情が読み取れない。人混みで騒然としていた音が遠く離れ束の間、時が止まった心地になる。何を思って、それを口に出したのか。雨宮が俯き、小さく息を呑む音がやけに鮮明に鼓膜を揺らす。次の瞬間には、弧を描いた眼差しが此方を見上げていた。
「雑誌に載ったらちゃんと否定して下さいね?」
「お前…」
雑多に交差していた心境が吹き飛ばされる。複雑な思いの残り香はいまだくすぶるが、保科は少しばかり好戦的な顔をした。普段とは対極な表情で見つめ合う2人に終止符を打ったのは、雨宮のスマホに届いた通知の音。
「…あ、鳴海隊長だ。」
「あ゙?なんでやねん?」
彼女の口から告げられる唐突な乱入者に低い声が出た。
「最近ID交換したので。たまに遊んでくれます。」
「遊ぶっておまっ、どないやねんっ!」
「あの隊長、ゲーム脳なんで。各ジャンルに精通してますよ。キャリー?してくれます。」
「はぁ〜?消せっ!今すぐ消せっ!」
「ほら、電車来ましたよ。」
「フラフラすな、ほらこっち。」
肩を抱いて乗り込んだ人の多い車両の中で、雨宮がいつものようにセクハラですと手を弾く事は無かった。
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