月下美人の横顔
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猛烈な暑さが鳴りを潜め、涼しい空気に満たされる街。人々が日常を送る穏やかな街並みを割るように、地を揺るがす程の破裂音が轟く。乾いた青空を覆う鱗雲が地中より発生した衝撃に押しのけられ、穿たれたような円を描く。少し遅れて、地上より白く柔らかな何かが空を覆うように飛び散る。街に舞い落ちるそれらは、白い羽毛だった。
緊急警報に叩き起こされるのも慣れたもので、瞼を開いた瞬間飛び起きた雨宮は滑るようにベッドから降りた。夜間勤務を終え寝入っていた脳味噌はまだ覚醒しきっていなくとも、習慣とは恐ろしいもので。気がつけば武装を整え出撃ゲートにその身はあった。
「おはようさん。良く寝れたか?」
「ぼちぼちってところです。」
「充分やな、頑張り。」
いつもの笑顔で挨拶しながら、保科はすれ違い際に雨宮の肩を叩いた。心なしか急ぐ足を見送りながら、雨宮も指定の車両に乗り込んだ。
『皆、緊急の招集ご苦労。早速だが事態は余談を許さず状況は逼迫している。』
耳を傾ける通信機より流れる亜白の声。眠気に浮つく脳味噌が無理に叩き起こした肉体に追いつかず、自律神経が過敏に反応している。尖った思考がやけに鮮明に述作戦の概要を読み取っていく。
地中を砕き割って噴出した大量の羽毛。街全体に降ったそれらは出現地より驚異的なスピードで合体、増殖し始めた。既に山の如き質量を成している対象に攻撃性は無いが、地図に円を書いていまだ広がり続けている。中心地から動かぬ本獣の撃破よりも、広域に展開し続ける余獣への対処が追い付かない事が想定に容易い。
『広範囲に及ぶ作戦であるからして、とにかく人手が必要になるだろう。今回は第1部隊、第3部隊の2つの部隊での合同作戦となる。心して掛かるように。』
第1部隊と第3部隊により、南北からの挟み撃ちにより被害の拡大を押さえ込むだけだ。合同とは名ばかりの作戦になる事だろうと、その点に関して雨宮は気楽に考える。聞けば増殖のスピードは脅威といえども、耐久性能は高く無い怪獣らしい。タイプは鳥類系怪獣。
就寝前に疲労のあまり、食事を抜いた事をふと思い出す。
「今日の晩御飯は鶏肉にしましょう。」
ポツリと呟かれた雨宮のサイコパス味のある発言に、車内は微妙な空気に包まれる。
「小隊長ってわりと感性終わってますよね。」
「黙りなさい、沖村隊員。」
場を和まそうとした沖村のフォローはバッサリと切り捨てられたのだった。
時刻1345。名称、町田市討伐作戦。現着した防衛隊員達は高台より見下ろす光景に驚愕した。
「…聞いてた話より、かなり侵攻が速いようですね。」
人間の歩行並みのスピードで押し寄せる羽毛の大波。広がりに幅はあるが、高さは4、5メートル弱。北の地域で降り積もる雪のようだ。しかし見た目の軽やかさに反して質量はそれなりに重いようで、圧迫される建造物の窓硝子にヒビが入り割れていく。悠長にしている時間は無いようだ。
『第3部隊、此処からは僕が現場の指揮を引き継ぐ。総員配置についたか?予定より早いが作戦を開始するで。』
号令に合わせ、皆行動を開始する。並び立ち、ライフルを構えて順次発砲する防衛隊員達。主な任務は増殖の牽制、拡大範囲の縮小。本獣と余獣との境がいまだ目視で確認できていない為、手探りでの進行となる。
飛び散る羽と血肉は柔らかく、明確な輪郭を持たずとも動物の片鱗を残していた。
「これは…思ったより…」
「楽勝かも知れませんね。」
控えめな佐渡の意見に雨宮は同調する。広がり続ける羽毛に包まれた肉塊に攻撃性は無い。本獣の撃破さえ済めば、あとは周囲の余獣を地道に削っていくだけのように思える。
「しかし一向に余獣の核が見えません。総員、気を抜かないように。」
通信より隊員達の了承を聞きながら、雨宮は徐々に前進する。芝生の丘が血肉と油に染まり、足元が悪くなる。肉壁を削りながら前進するも、露出している核は発見できない。視界の端に光がチラついたかと思うと、次の瞬間には轟音が空気を揺らす。地鳴りが響くが立っていられないほどではない。亜白が本獣の発生源、核と思われる場所に向け攻撃を開始したのだ。
間もなくあちらの片が付くかと、平坦であった表情が変わる。
眼の前の肉壁がうねり、小刻みに震えだしたのだ。
「雨宮小隊、撃ち方やめ!総員下がりなさい!」
異変を察知したのは他の小隊も同様で、皆足元に気を付けながら下がっていく。
次の瞬間、広い掘削部より津波のように血が吹き出した。
「きゃっ、」
ぬかるむ地面に足を取られ、佐渡は転んで尻もちをついた。ザバッと全身に血を被る。眼前の壁が前方へと急速に厚みを増し、佐渡を飲み込むように広がっていく。雨宮は構えたライフルを手放すと、両腰に装着したホルスターの片側より銃を抜く。銃身と銃床を切り詰めた中折れ式水平二連散弾銃。通称、ソードオフショットガン。迷わず距離を詰め佐渡の腕を掴んで引っ張ると、間髪入れずに佐渡の眼前に銃口を向けた。トリガーを引いた瞬間、半径数メートル圏内の肉壁が後方へ吹き飛んだ。急激なスーツの開放戦力の底上げに、雨宮の首筋に血管が浮かび上がる。
「オペレーター。緊急の為、申請省略。」
事後報告後、続けて1発撃つと佐渡を立たせて坂を上がる。転んで膝をつきながらも懸命に脚を動かす佐渡の手を引いて走る雨宮。下がった防衛ラインにどうにか合流する。
「小隊長、ごめんなさっ、」
「謝罪は結構ですから、すぐ作戦に戻るように。さて、保科副隊長。」
『総員、スーツの開放戦力を上げて再度迎撃にあたれ!オペレーションルームからの報告では、目前の攻撃対象はぜーんぶ本獣の一部や!』
『はっ?』
『嘘だろ…』
オープン回線の通信より聞こえる小隊長達の感想は全員一致のようだ。
「やってられないですね。核の撃破はどうなってるんですか?」
『厄介な事に、この身体に対して核は極小。球体のシールドに守られとるそうや。これがごっつ硬いらしく、亜白隊長がまだ対応にあたっとる。』
遠距離からの砲撃。今回は怪獣被害の展開が早すぎた為に、屋内に取り残された市民も通常より多く残っている事が想定さる。その為、亜白の攻撃威力は普段に比べ控えめだ。しかし仕留めきれないとなれば話は変わってくるだろう。
「核の現在地は地上または地中。そこにバカスカ撃って砕けないとなれば、核より先に街の被害が甚大になるのでは?」
『よく分かっとるやないか。せや、そこが問題やで。』
「亜白隊長が放つ遠距離攻撃の威力を上げ街を破壊しては不味いと。ま、ここまで怪獣の巨体に圧迫されては既に手遅れにも思えますが。」
『思っても、滅多な事は言うもんやないで。』
厳しくなった声音に雨宮は素直に謝罪する。
「どうしますか。現実的なのは亜白隊長の部隊が核本体へ向かうことですが。果たしてそれまで他部隊の消耗が持つでしょうか?」
開放戦力を上げた防衛隊員達は、補給で交代をしながらとはいえ作戦開始時から撃ちっ放しである。高威力の兵装を用意し一気に焼き払おうにも、それでは亜白が威力を抑える意味を成さない。壊れ物に注意しながらと言う点がより作戦をジリ貧にしていた。
『ほんなら、亜白隊長より近場におる僕らが突撃歩兵になろか。』
「はぁ?」
『境界の防衛維持が手薄になるとアカンから、他の小隊は置いていく。僕と君で前進しつつ、後ろから亜白隊長に合流してもらう。もしくは別口で攻めてもらう。』
迫りくる肉壁を切り裂きながら前進すると言う保科。本獣の体は街全体に広がっている。核までどれだけの距離があるか分かっているのだろうか。止まらず攻撃し続けなければ肉体に呑まれて終わりだ。
「物理的に辿り着けるんですか?」
『分からんけどま、5、6キロってとこやろ。』
「分からないって…随分と脳筋なんですね。」
『そういう君は隊長職に就いて弱気になったか?なんなら、僕だけ行くけども。』
「…あ゙ーー、はいはい、行きますよ!」
雨宮は専用武器を下げると、肩から下げたライフルを手にして後方の隊員に投げ渡す。
「佐渡隊員、先程の罰として指揮を引き継ぎます。沖村隊員、彼女をフォローして下さい。」
「ぇっ…」
「了、お気を付けて。」
指揮系統全般が苦手な佐渡は小さく声を上げたが、沖村は笑顔で了承した。空いた手にもホルスターから抜いた銃を握り、雨宮は両手に2丁持ちとなる。
「オペレーター、私と保科副隊長の合流可能地点は?」
『はい。現在地より核に向け直線上、約500メートル進行地点。各自東西に数十メートルですね。正確な位置は直前に再度お伝えします。』
「…仕方ないですね。」
雨宮はゴキゴキと肩を鳴らす。スーツ着用時であれば、全力で走れば瞬きの間に到着するだろう。しかし、道を切り開き続けながらは話が変わってくる。
『くれぐれも残弾数には気を付けて下さい。』
『せや。僕と合流するまで弾の補給には注意するんやで。』
「言われずとも、分かってます。」
言い終えると同時に雨宮は前方の肉壁に散弾を撃ち込み走り出した。数メートル、開けた道が徐々に塞がっていく。振り返らずに、駆け抜けながら前方に弾を打ち続ける。血飛沫が不快で眉を寄せながらも、ひたすらにトリガーを引き続ける。
硝煙と血肉の臭いがマスク越しに感じる錯覚に嫌気が指してきた頃、オペレーターから指示が入る。
『その地点、西です!前方から保科副隊長も向かっているので、注意しながら撃ってください!』
「無茶を…」
オペレーターの指示に苦言を零しながら弾丸の威力を下げる。増殖により迫る肉壁に道の幅が狭まるスピードが速くなる。限界を感じて雨宮は助走をつけて高く飛び上がる。肉壁を超え、足元には道が塞がっていくのが見える。最高到達点から重力に従い落下しつつ見渡す街は見る影も無く。羽毛の海に包まれた市街より飛び出す建造物の屋根が疎らに見える程度だ。着地地点についた踵が飲み込まれるように羽毛と肉の地面に埋まる。激しく舌を打って足元に発砲するが、両足を取られ徐々に沈んでいく。
「まずっ、」
言い切る刹那。見下ろす視線の先に影が伸びる。
「動くなよ。」
頭上から耳に届く聞き覚えのある声。しかし指示の内容に反射で体が硬直した。切断音と浮遊感、そして爆破音。喉から息が抜け心臓を撫であげられる心地に死を感じる。視界がブレ、ギュッと目を瞑れば全身に軽い衝撃を受けた。
「よお、元気だったか?」
軽快な声音に瞼を開くと、紅い虹彩がこちらを見下ろしていた。マスクを装着していても誰かなどすぐ分かる。しかも結構な至近距離だ。
「っ、鳴海隊長…」
「ちゃんと掴まってろよ。」
鳴海は左手に雨宮の腰をしっかりと抱え直す。両手に銃を持ち掴まる事の出来ない雨宮は、思わず鳴海の首筋に勢いよく抱きついた。右手に持つ銃剣を回し、鋒を頭上に向けて発砲する。塞がりかけた肉の天井が拓くと、先程の雨宮のように脚に力を込めて鳴海は高く飛ぶ。羽毛の地面に銃剣を突き刺した瞬間開放戦力を上げ、火力強めでトリガーを引く。鳴海は衝撃で宙を舞った体を翻し、ガンっと瓦屋根にヒビを入れて着地した。小柄な雨宮は足がつかず鳴海にぶら下がっている。爪先をぷらぷらと動かし下を見て足元を確認しようとすると、鳴海が上擦った声を出した。
「っおい!少し近すぎやしないかっ?」
「掴まってろって言ったじゃないですか。」
「これは抱きつくだっ。」
「すみません。そこまで嫌がるとは思わず。」
「別に嫌とは言ってないだろ!」
「何なんですか貴方…」
予想以上の拒否反応を見せたかと思えば必死な形相をする鳴海。雨宮は面倒くさそうに顔を歪めてぴょんと飛んで離れた。
「ともあれ助かりました。ありがとうございます。」
「はぁ…これで2度目だな。」
対怪獣用に開発された超大型の銃剣。それを片手で軽く扱い肩に背負うと、マスクを外した鳴海は挑発するよう歯を見せ笑う。
「遺憾ですが、ね。鳴海隊長はこんなところで何を?」
「それがなぁ…この馬鹿でかい本獣の核を目指し前進していんだが。」
天を仰いだ鳴海の言葉は続かない。雨宮は複雑そうな顔して、気付かわしく声を掛けた。
「まさか道に迷ったなんておっしゃいませんよね?」
「んなわけあるか!僕が方角も分からんような阿呆に見えるのか!?」
「…」
「黙るな!」
欺瞞に満ちた眼差しを向ける雨宮。とにかく目的が同じであるならば共に向かうのが道理だろう。オペレーターに保科の現在地を確認しようとした時、つんざく音が響き渡る。赤く染まる羽毛が舞、2人の前に何かが飛び出してきた。身軽なステップで屋根を踏んだその人は、まさに探していたその人だ。逆手に構えた刀を振り血を払い落とした保科は2人を見る。
「お久しぶりです、鳴海隊長。うちのもんが世話になっとるみたいで。」
笑う保科と対象的に激烈に不快であると、全力で顔を歪める鳴海。
「ゲェッ、なんでお前がここに…」
「ありゃ、そこの雨宮から理由は聞いてるもんだと思ってましたが?」
「はぁ〜?小型専門のお前じゃ核まで進行出来んだろ?」
「あはは、舐められたもんやなぁ。小隊長1人で現地に向かわせる程、性根は腐ってませんよ。」
睨み合う2人をよそに、雨宮は黙って専用武器の空薬莢を排出する。
「そもそもここらはまだ第3部隊のエリアやと思いますが?」
「逃げ遅れた市民を避難させながら来たら、思ったより遠回りになったんだよ!」
「そらご助力、ありがとうございます。こんなとこまで来てもろて。亜白隊長に代わりお礼言わせてもらいますわ。」
「あ゛?皮肉かコラ?」
「いや感謝の意を伝えただけやん。」
「お前の胡散臭い表情だと煽りに聞こえんだよ!」
装填後、持ち上げるように振った銃身が遠心力に従いジャキリと閉まる。雨宮は足元に2つの銃口を向けるとトリガーを引いた。火薬が爆ぜ火花と共に肉片が吹き飛ぶ。
「オペレーター、座標の再指定を。」
2人のやり取りには一切のリアクションを見せないまま、雨宮は開いた道に飛び降りた。
「ちょ、コラ!ほんまに協調性がないんやからっ!」
「おい!助けた僕を置いていくな!」
続く保科に一歩遅れて鳴海も止まっていた足を動かした。
緊急警報に叩き起こされるのも慣れたもので、瞼を開いた瞬間飛び起きた雨宮は滑るようにベッドから降りた。夜間勤務を終え寝入っていた脳味噌はまだ覚醒しきっていなくとも、習慣とは恐ろしいもので。気がつけば武装を整え出撃ゲートにその身はあった。
「おはようさん。良く寝れたか?」
「ぼちぼちってところです。」
「充分やな、頑張り。」
いつもの笑顔で挨拶しながら、保科はすれ違い際に雨宮の肩を叩いた。心なしか急ぐ足を見送りながら、雨宮も指定の車両に乗り込んだ。
『皆、緊急の招集ご苦労。早速だが事態は余談を許さず状況は逼迫している。』
耳を傾ける通信機より流れる亜白の声。眠気に浮つく脳味噌が無理に叩き起こした肉体に追いつかず、自律神経が過敏に反応している。尖った思考がやけに鮮明に述作戦の概要を読み取っていく。
地中を砕き割って噴出した大量の羽毛。街全体に降ったそれらは出現地より驚異的なスピードで合体、増殖し始めた。既に山の如き質量を成している対象に攻撃性は無いが、地図に円を書いていまだ広がり続けている。中心地から動かぬ本獣の撃破よりも、広域に展開し続ける余獣への対処が追い付かない事が想定に容易い。
『広範囲に及ぶ作戦であるからして、とにかく人手が必要になるだろう。今回は第1部隊、第3部隊の2つの部隊での合同作戦となる。心して掛かるように。』
第1部隊と第3部隊により、南北からの挟み撃ちにより被害の拡大を押さえ込むだけだ。合同とは名ばかりの作戦になる事だろうと、その点に関して雨宮は気楽に考える。聞けば増殖のスピードは脅威といえども、耐久性能は高く無い怪獣らしい。タイプは鳥類系怪獣。
就寝前に疲労のあまり、食事を抜いた事をふと思い出す。
「今日の晩御飯は鶏肉にしましょう。」
ポツリと呟かれた雨宮のサイコパス味のある発言に、車内は微妙な空気に包まれる。
「小隊長ってわりと感性終わってますよね。」
「黙りなさい、沖村隊員。」
場を和まそうとした沖村のフォローはバッサリと切り捨てられたのだった。
時刻1345。名称、町田市討伐作戦。現着した防衛隊員達は高台より見下ろす光景に驚愕した。
「…聞いてた話より、かなり侵攻が速いようですね。」
人間の歩行並みのスピードで押し寄せる羽毛の大波。広がりに幅はあるが、高さは4、5メートル弱。北の地域で降り積もる雪のようだ。しかし見た目の軽やかさに反して質量はそれなりに重いようで、圧迫される建造物の窓硝子にヒビが入り割れていく。悠長にしている時間は無いようだ。
『第3部隊、此処からは僕が現場の指揮を引き継ぐ。総員配置についたか?予定より早いが作戦を開始するで。』
号令に合わせ、皆行動を開始する。並び立ち、ライフルを構えて順次発砲する防衛隊員達。主な任務は増殖の牽制、拡大範囲の縮小。本獣と余獣との境がいまだ目視で確認できていない為、手探りでの進行となる。
飛び散る羽と血肉は柔らかく、明確な輪郭を持たずとも動物の片鱗を残していた。
「これは…思ったより…」
「楽勝かも知れませんね。」
控えめな佐渡の意見に雨宮は同調する。広がり続ける羽毛に包まれた肉塊に攻撃性は無い。本獣の撃破さえ済めば、あとは周囲の余獣を地道に削っていくだけのように思える。
「しかし一向に余獣の核が見えません。総員、気を抜かないように。」
通信より隊員達の了承を聞きながら、雨宮は徐々に前進する。芝生の丘が血肉と油に染まり、足元が悪くなる。肉壁を削りながら前進するも、露出している核は発見できない。視界の端に光がチラついたかと思うと、次の瞬間には轟音が空気を揺らす。地鳴りが響くが立っていられないほどではない。亜白が本獣の発生源、核と思われる場所に向け攻撃を開始したのだ。
間もなくあちらの片が付くかと、平坦であった表情が変わる。
眼の前の肉壁がうねり、小刻みに震えだしたのだ。
「雨宮小隊、撃ち方やめ!総員下がりなさい!」
異変を察知したのは他の小隊も同様で、皆足元に気を付けながら下がっていく。
次の瞬間、広い掘削部より津波のように血が吹き出した。
「きゃっ、」
ぬかるむ地面に足を取られ、佐渡は転んで尻もちをついた。ザバッと全身に血を被る。眼前の壁が前方へと急速に厚みを増し、佐渡を飲み込むように広がっていく。雨宮は構えたライフルを手放すと、両腰に装着したホルスターの片側より銃を抜く。銃身と銃床を切り詰めた中折れ式水平二連散弾銃。通称、ソードオフショットガン。迷わず距離を詰め佐渡の腕を掴んで引っ張ると、間髪入れずに佐渡の眼前に銃口を向けた。トリガーを引いた瞬間、半径数メートル圏内の肉壁が後方へ吹き飛んだ。急激なスーツの開放戦力の底上げに、雨宮の首筋に血管が浮かび上がる。
「オペレーター。緊急の為、申請省略。」
事後報告後、続けて1発撃つと佐渡を立たせて坂を上がる。転んで膝をつきながらも懸命に脚を動かす佐渡の手を引いて走る雨宮。下がった防衛ラインにどうにか合流する。
「小隊長、ごめんなさっ、」
「謝罪は結構ですから、すぐ作戦に戻るように。さて、保科副隊長。」
『総員、スーツの開放戦力を上げて再度迎撃にあたれ!オペレーションルームからの報告では、目前の攻撃対象はぜーんぶ本獣の一部や!』
『はっ?』
『嘘だろ…』
オープン回線の通信より聞こえる小隊長達の感想は全員一致のようだ。
「やってられないですね。核の撃破はどうなってるんですか?」
『厄介な事に、この身体に対して核は極小。球体のシールドに守られとるそうや。これがごっつ硬いらしく、亜白隊長がまだ対応にあたっとる。』
遠距離からの砲撃。今回は怪獣被害の展開が早すぎた為に、屋内に取り残された市民も通常より多く残っている事が想定さる。その為、亜白の攻撃威力は普段に比べ控えめだ。しかし仕留めきれないとなれば話は変わってくるだろう。
「核の現在地は地上または地中。そこにバカスカ撃って砕けないとなれば、核より先に街の被害が甚大になるのでは?」
『よく分かっとるやないか。せや、そこが問題やで。』
「亜白隊長が放つ遠距離攻撃の威力を上げ街を破壊しては不味いと。ま、ここまで怪獣の巨体に圧迫されては既に手遅れにも思えますが。」
『思っても、滅多な事は言うもんやないで。』
厳しくなった声音に雨宮は素直に謝罪する。
「どうしますか。現実的なのは亜白隊長の部隊が核本体へ向かうことですが。果たしてそれまで他部隊の消耗が持つでしょうか?」
開放戦力を上げた防衛隊員達は、補給で交代をしながらとはいえ作戦開始時から撃ちっ放しである。高威力の兵装を用意し一気に焼き払おうにも、それでは亜白が威力を抑える意味を成さない。壊れ物に注意しながらと言う点がより作戦をジリ貧にしていた。
『ほんなら、亜白隊長より近場におる僕らが突撃歩兵になろか。』
「はぁ?」
『境界の防衛維持が手薄になるとアカンから、他の小隊は置いていく。僕と君で前進しつつ、後ろから亜白隊長に合流してもらう。もしくは別口で攻めてもらう。』
迫りくる肉壁を切り裂きながら前進すると言う保科。本獣の体は街全体に広がっている。核までどれだけの距離があるか分かっているのだろうか。止まらず攻撃し続けなければ肉体に呑まれて終わりだ。
「物理的に辿り着けるんですか?」
『分からんけどま、5、6キロってとこやろ。』
「分からないって…随分と脳筋なんですね。」
『そういう君は隊長職に就いて弱気になったか?なんなら、僕だけ行くけども。』
「…あ゙ーー、はいはい、行きますよ!」
雨宮は専用武器を下げると、肩から下げたライフルを手にして後方の隊員に投げ渡す。
「佐渡隊員、先程の罰として指揮を引き継ぎます。沖村隊員、彼女をフォローして下さい。」
「ぇっ…」
「了、お気を付けて。」
指揮系統全般が苦手な佐渡は小さく声を上げたが、沖村は笑顔で了承した。空いた手にもホルスターから抜いた銃を握り、雨宮は両手に2丁持ちとなる。
「オペレーター、私と保科副隊長の合流可能地点は?」
『はい。現在地より核に向け直線上、約500メートル進行地点。各自東西に数十メートルですね。正確な位置は直前に再度お伝えします。』
「…仕方ないですね。」
雨宮はゴキゴキと肩を鳴らす。スーツ着用時であれば、全力で走れば瞬きの間に到着するだろう。しかし、道を切り開き続けながらは話が変わってくる。
『くれぐれも残弾数には気を付けて下さい。』
『せや。僕と合流するまで弾の補給には注意するんやで。』
「言われずとも、分かってます。」
言い終えると同時に雨宮は前方の肉壁に散弾を撃ち込み走り出した。数メートル、開けた道が徐々に塞がっていく。振り返らずに、駆け抜けながら前方に弾を打ち続ける。血飛沫が不快で眉を寄せながらも、ひたすらにトリガーを引き続ける。
硝煙と血肉の臭いがマスク越しに感じる錯覚に嫌気が指してきた頃、オペレーターから指示が入る。
『その地点、西です!前方から保科副隊長も向かっているので、注意しながら撃ってください!』
「無茶を…」
オペレーターの指示に苦言を零しながら弾丸の威力を下げる。増殖により迫る肉壁に道の幅が狭まるスピードが速くなる。限界を感じて雨宮は助走をつけて高く飛び上がる。肉壁を超え、足元には道が塞がっていくのが見える。最高到達点から重力に従い落下しつつ見渡す街は見る影も無く。羽毛の海に包まれた市街より飛び出す建造物の屋根が疎らに見える程度だ。着地地点についた踵が飲み込まれるように羽毛と肉の地面に埋まる。激しく舌を打って足元に発砲するが、両足を取られ徐々に沈んでいく。
「まずっ、」
言い切る刹那。見下ろす視線の先に影が伸びる。
「動くなよ。」
頭上から耳に届く聞き覚えのある声。しかし指示の内容に反射で体が硬直した。切断音と浮遊感、そして爆破音。喉から息が抜け心臓を撫であげられる心地に死を感じる。視界がブレ、ギュッと目を瞑れば全身に軽い衝撃を受けた。
「よお、元気だったか?」
軽快な声音に瞼を開くと、紅い虹彩がこちらを見下ろしていた。マスクを装着していても誰かなどすぐ分かる。しかも結構な至近距離だ。
「っ、鳴海隊長…」
「ちゃんと掴まってろよ。」
鳴海は左手に雨宮の腰をしっかりと抱え直す。両手に銃を持ち掴まる事の出来ない雨宮は、思わず鳴海の首筋に勢いよく抱きついた。右手に持つ銃剣を回し、鋒を頭上に向けて発砲する。塞がりかけた肉の天井が拓くと、先程の雨宮のように脚に力を込めて鳴海は高く飛ぶ。羽毛の地面に銃剣を突き刺した瞬間開放戦力を上げ、火力強めでトリガーを引く。鳴海は衝撃で宙を舞った体を翻し、ガンっと瓦屋根にヒビを入れて着地した。小柄な雨宮は足がつかず鳴海にぶら下がっている。爪先をぷらぷらと動かし下を見て足元を確認しようとすると、鳴海が上擦った声を出した。
「っおい!少し近すぎやしないかっ?」
「掴まってろって言ったじゃないですか。」
「これは抱きつくだっ。」
「すみません。そこまで嫌がるとは思わず。」
「別に嫌とは言ってないだろ!」
「何なんですか貴方…」
予想以上の拒否反応を見せたかと思えば必死な形相をする鳴海。雨宮は面倒くさそうに顔を歪めてぴょんと飛んで離れた。
「ともあれ助かりました。ありがとうございます。」
「はぁ…これで2度目だな。」
対怪獣用に開発された超大型の銃剣。それを片手で軽く扱い肩に背負うと、マスクを外した鳴海は挑発するよう歯を見せ笑う。
「遺憾ですが、ね。鳴海隊長はこんなところで何を?」
「それがなぁ…この馬鹿でかい本獣の核を目指し前進していんだが。」
天を仰いだ鳴海の言葉は続かない。雨宮は複雑そうな顔して、気付かわしく声を掛けた。
「まさか道に迷ったなんておっしゃいませんよね?」
「んなわけあるか!僕が方角も分からんような阿呆に見えるのか!?」
「…」
「黙るな!」
欺瞞に満ちた眼差しを向ける雨宮。とにかく目的が同じであるならば共に向かうのが道理だろう。オペレーターに保科の現在地を確認しようとした時、つんざく音が響き渡る。赤く染まる羽毛が舞、2人の前に何かが飛び出してきた。身軽なステップで屋根を踏んだその人は、まさに探していたその人だ。逆手に構えた刀を振り血を払い落とした保科は2人を見る。
「お久しぶりです、鳴海隊長。うちのもんが世話になっとるみたいで。」
笑う保科と対象的に激烈に不快であると、全力で顔を歪める鳴海。
「ゲェッ、なんでお前がここに…」
「ありゃ、そこの雨宮から理由は聞いてるもんだと思ってましたが?」
「はぁ〜?小型専門のお前じゃ核まで進行出来んだろ?」
「あはは、舐められたもんやなぁ。小隊長1人で現地に向かわせる程、性根は腐ってませんよ。」
睨み合う2人をよそに、雨宮は黙って専用武器の空薬莢を排出する。
「そもそもここらはまだ第3部隊のエリアやと思いますが?」
「逃げ遅れた市民を避難させながら来たら、思ったより遠回りになったんだよ!」
「そらご助力、ありがとうございます。こんなとこまで来てもろて。亜白隊長に代わりお礼言わせてもらいますわ。」
「あ゛?皮肉かコラ?」
「いや感謝の意を伝えただけやん。」
「お前の胡散臭い表情だと煽りに聞こえんだよ!」
装填後、持ち上げるように振った銃身が遠心力に従いジャキリと閉まる。雨宮は足元に2つの銃口を向けるとトリガーを引いた。火薬が爆ぜ火花と共に肉片が吹き飛ぶ。
「オペレーター、座標の再指定を。」
2人のやり取りには一切のリアクションを見せないまま、雨宮は開いた道に飛び降りた。
「ちょ、コラ!ほんまに協調性がないんやからっ!」
「おい!助けた僕を置いていくな!」
続く保科に一歩遅れて鳴海も止まっていた足を動かした。
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