舞美は目の前の青年が自分の手料理を食べ始めたのを見ると、

「いかがでしょうか」

と尋ねた。

「文句なしの一級品をどうも」
「まあ、お口に合って良かったです」

彼女は返答すると、そっと目を逸らし、また別の作業をし始めた。本当はこの一風変わった青年を見ていたかったが、それでは彼も、心休まらないだろう。舞美にとっての最優先は、お客様のもてなしなのだ。

もしこの青年が別の人であれば、舞美は色々話しかけたりもしただろうが、彼はどうもそういったタイプの人間ではないようだった。要は、世間話や意味のない話をするような、ただ孤独を紛らわすための話し相手は必要ないみたいだったのだ。舞美はそれを感じ取り、彼の望んでいるであろう心地の良い静けさを提供した。

それが気に入ったのか、青年は黙々と食べ続け、酒を催促した。しかし、あることに気がついたのか、

「ここって、何時まで」

と、店の終わる時間を尋ねた。確かに、時計はいい時間をまわっている。

「特に、何時までといったものは設けておりません。最後のお客様が満足するまで……」
「なるほど」

時間の余裕があると分かったのか、彼はまた酒を嗜み始めた。しかし、一応舞美のことも考えているのか、あるいは気まぐれか、そんなに時間を掛けずに飲み終えてしまった。

舞美が見るには、まだまだ飲めそうな彼だったが、どうやら今夜は帰るようだった。もうこんな時間だし、彼も眠いのだろうか？

「女将さん」
「はい」

舞美は、急に呼ばれたので返事をした後、彼の顔を見て首をかしげる。

「いかがされましたか？」

彼は、その鋭い瞳で舞美を見て、

「あなたの名前は？」

と、突然聞いてきた。

「私ですか？」

舞美は、少し驚きながらも、こういうことには慣れていたので、平然と答えた。

「私、料亭柳の女将を務めております、東雲舞美で御座います」
「東雲舞美さんね」
「はい」

舞美は、読み誤ったか、と思った。てっきり、私などには興味もないのかと思ったら、名前を聞いてくるなんて。

舞美は、青年の名前を尋ねた。

「赤木。赤木しげる」
「アカギさん」

アカギと名乗った彼は頷くと、無造作に多額の金を取り出した。

「これ、今日のお代。足りるでしょ」
「えぇっ、こんなに。受け取れませんよ」

アカギはそんな舞美の反応を見越していたように、いいよと手を振った。

「じゃあ、取っといてください」
「でも、」
「美味しかった。また来るから」

アカギはそのまま店を出て行ってしまった。

「じゃあね、舞美さん」

舞美が慌てて外に出て見送ると、アカギは颯爽と闇に消えて行ってしまった。

「ありがとうございました！ お気をつけて……」

舞美は言いながら、不思議な人だったなぁと思い、店を閉めた。このお金はどこから来たのだろう？ 考えていても仕方がない。

舞美は取っておくことにした。だって、アカギはまた来ると言っていたのだから。
既に、舞美はアカギが来ることを心待ちにしていた。


アカギがこの店に再び顔を見せたのは、そう遠くない日だった。