【eitr】短編まとめ

「ねえ、久楽間」
「何、今忙しいんだけど」

 チョコレートとバターが入ったボウルをレンジから取り出し、卵、砂糖、牛乳を加えて泡立て器でよく混ぜる。
 
「昨日発売されたダイブの新刊読んだ?」
「俺の声聞こえてる? ……まあ、読んだけど」

 予め振るっておいた薄力粉、ココアパウダー、ベーキングパウダーを入れてよく混ぜ、完成した生地を型に流し込む。ここまで来ればあとはオーブンに入れるだけだ。
 
「今回も気になるところで終わっちゃったから、昨日からずっとモヤモヤしてるんだよね。このまま大人しく続きを待てる気がしないよ」
「同感」

 本当ならもっと凝ったお菓子を作りたいけれど、どうしても部活動で家庭科室を使える時間は限られてくる。少ない時間で調理工程、片付け全てを終えるには、どうしても比較的手間がかからずに作れるものを選ぶしかない。
 だから、ただでさえ時間がないってのに喋っている余裕は正直ないのだ。まあ、こいつに何を言ったところで軽く流されてしまうのは目に見えているのだけど。

「――よし」

 オーブンに生地を乗せた天板を入れ、温度と時間をセットし終えたらようやくひと息つくことができた。

「今日は何作ってるの?」
「ブラウニー」
「おぉ、最新話で礼人が作ってたもんね」

 オーブンの中を覗きに近寄ってきた彼女に、使った食器や調理器具を洗いながら適当に返事をする。なんだかんだ言いながらもこうして俺が彼女の話に耳を傾けているのは――そう、単なる気まぐれだ。

「ところで、本誌についてた特典なんだけど」

 今しがた思い出したようにあっと声を上げた彼女に、ピタッと手が止まった。

「私、礼人が出たんだよね」
 
 ほら、とこちらに向けて掲げるのは、ご丁寧に硬貨ケースに入れられた礼人のポストカード。
 驚き過ぎて持っていた鍋から手を離し、大きな音を立ててシンク内に落としてしまった。それには気付かないふりをして泡だらけな手を震わせながらポストカードを指差す。あれは昨日発売された少年ダイブの購入特典として特定の書店で配布されたものである。しかも、俺が欲しかったやつ。

「久楽間は誰が出た? もし焼太持ってるなら交換しない?」

 指を差していた手を握り締める。泡が滴り落ちているが見えたが、この際構うものか。
 
 実はこの女、つい最近ひょんなことからやたらと絡んで来るようになった同級生であり――俺が愛読しているパティバトのファンでもあった。

* * *

 彼女がやたらと俺の元に顔を出すようになったのはつい最近である。

『――あ、礼人だ』

 職員室にいる教科担任に提出物を提出した帰り道、後ろからそんな声が聞こえて血の気が引いた。
 急いで自分の鞄を確認すると、半開きになっていたファスナーの隙間からキーホルダーが僅かに顔を出していて、慌ててファスナーを閉める。

 昨夜、自室で新たに購入したグッズを開封していたところに大黒さんが訪ねてきてしまい、とりあえず手に持っている物を隠そうと選んだのがこの通学用鞄だったのだ。しかも、それを今朝学校で鞄を開けるまで忘れていたのだから呆れてしまう。

『あれ、もしかして隣の隣のクラスの久楽間――』
『――ッ!』

 そう呟いたのは何度かすれ違ったことがある程度で一度も話したことがない女子生徒。学年までは知らなかったけど、彼女の口ぶりからして同じ二年生なのだろう。

 もう他の生徒は下校した後なのか人はおらず、廊下には俺たち二人だけ。幸いにもこの会話を聞いている人はいなかったけど、いつ誰がここを通りかかるか気が気ではなかった。俺は彼女の肩に掛けられた鞄の持ち手を思いっきり引っ張って近くの空き教室に自分諸共押し込み、口止めという名の交渉を試みたというわけだ。まあ、結局彼女もパティキチであることが判明して事なきを得たのだが。

「久楽間、これ美味しい!」
「当然でしょ」

 ここに来たからには消費を手伝え、と差し出したブラウニーを一口頬張った彼女に笑顔が浮かんだ。その様子を見て自然と口角が上がるも、何とか気合いで引き締める。緩んだ顔を見られるわけにはいかなかった。

 彼女が食べ終わるのを待つ間、残ったブラウニーをラッピング袋に詰めていく。これは後で幼馴染にあげるための物だけど、今食べてくれているおかげで袋一枚で収まったのはありがたい。

 最後に付属のワイヤーで袋の口を閉じると、ちらりと彼女の様子を確認した。いつの間に食べ終わっていたのか既に皿は空っぽ。先程まで俺の手元にあった焼太のポストカードをしげしげと眺めていた彼女が、いきなり「あ!」と大声を出すものだから俺の口から奇声が飛び出てしまった。

「いきなり大声出さないでくれる!?」
「ごめん。ほら、もうすぐパティバトのコラボカフェが始まるでしょう?」
「……それが?」
「久楽間、お願い! 来週の土曜日に予約が取れたんだけど、一緒に行かない!?」

 誰が一緒に行ってやるかっての。


 とは言ったものの――。

「結構人多かったね……」
「土日はこんなもんじゃない?」

 コラボカフェには元々一人で来ようと思っていたのに、まさか本当に一緒に来ることになるとは思っていなかった。

 彼女の言う通り、今日は一段と混雑していた。コラボカフェの方は予約制だったおかげで店内は落ち着いていたけど、問題はその道中。繁華街ということもあり、行きも帰りも見渡す限り人で溢れていたのだ。すれ違う人達にうっかり接触しないよう上手く掻い潜ってこれたけど、かなり疲れてしまった。

「でもどれも美味しかったね」
「まぁね」

 パティバトの舞台がパティシエ専門学校ということもあり、それに因んでスイーツ系のメニューが多かったように思う。作中でキャラクターが作っていたスイーツが再現されたものもいくつかあった。事前にメニューを知ってはいたものの、やっぱり実物を目の前にすると興奮するもの。二人して「おぉ……!」と口を揃えてしまったのは仕方がないだろう。

 コラボカフェを制限時間一杯まで楽しんだ後、とりあえずどこかに入ろうと近くの喫茶店に足を踏み入れたのがこの店である。
 注文した飲み物がテーブルに届いた後、俺達は本日の戦利品をテーブルに出していった。

「なんか、お互いに出たキャラクター偏ってない?」
「確かに。――っていうかさぁ、何でそうポンポンと礼人引き当てるわけ? 嫌味?」

 今回のコラボカフェは、商品をひとつ注文する毎にトレカが一枚ついてくる仕様になっている。しかもキャラクターを自分で選ぶことができないため、今日はお目当てのキャラクターを引き当てるまで相当数を胃袋に詰め込むことを覚悟していたのだけど、まさか成り行きで一緒に来ることになった彼女が早い段階で礼人を当てるとは思わなかった。

「久楽間だってすぐに焼太当ててくれたじゃん?」
「推しは自引きしたいでしょ」
「気持ちは分かる」

 その場で交換してもらったことで欲しかったものが手に入れることはできた。だが、目の前でこうも簡単に当てられてしまうと癪でもある。
 理不尽とも言える俺の文句を笑って流してしまうその様に、思わずため息が溢れてしまった。

「ねえ、まだ時間あるしグッズ見に行かない?」
「別にいいけど」

 丁度コーヒーを飲み終えた時、ひと足先に飲み終えていた彼女がスマホから顔を上げた。
 現在の時刻を確認すると、確かにまだ夕方とも言えない時間帯。帰るには少し早い気がして二つ返事で頷き、会計を済ませた後店を出た。

 外に出るとやっぱり人の多さは変わっていなくて、「うわ……」という言葉が口から溢れ出た。それもそうだ。喫茶店に滞在していた時間はそれほど長くなかったのだから。
 しかし、ここで文句を垂れていたところで仕方がない。通行人との接触を避けるため、出来るだけ道の端を歩くように努めた。

「あっ、あの店見てもいい? すぐに終わるから!」
「ちょっ、分かったから引っ張んなって」

 目的の店が見えてきたところで何かを見つけたのか、とある場所を指差しながらこちらを振り向く彼女に驚き、思わず足を止めた。急に方向転換したかと思えば俺のショルダーバッグのストラップを引っ張り、向かいにあるお店に吸い込まれるように入っていく。
 
 訊いてきたくせに俺の返事聞く気ないじゃん。
 一人で行って来ればいいのに、と内心思いつつも執拗にもストラップから手を離す気配がない様子にため息を溢し、強制的に付き合わされることとなってしまった。

「ここに売ってるフィナンシェが美味しいんだって」

 フィナンシェ、と聞いてすぐにピンとくる。確かいつかの放課後に『フィナンシェが好き』と話していた気がしなくもない。それにフィナンシェは過去に焼太が何度か作っているお菓子だった、ということも。

 横で「フィナンシェ売り切れてる……」と肩を落とす様子を見下ろしながら、彼女がこちらを見ていないのをいいことに一人思案に耽った。
 
 時折、彼女はこうして俺の鞄のストラップを引っ張って好き勝手に振り回す。会うといってもそのほとんどが放課後の家庭科室になるのだが、部活動を終えて施錠をした後、校門まで並んで歩くことも少なくない。その道中でちょっとした寄り道をしたい時にとる行動が正にこれである。
 確か一昨日は、『自販機寄ってもいい?』と問答無用で自販機の前に連れて行かれたと思ったら、お礼と称してジュースを渡された。もう分かりきっていることだけど、彼女はいくらか押しが強いから時々困る。

 ――何故いつも鞄の持ち手を引っ張るのか。
 流石に俺の体質について知っている、なんてことはないと思うけど、どこか気を遣われているのは確かである。因みに体質について話したことは一度もない。

「……ずっとこっち見てるけど、どうしたの?」

 まぁ、藪蛇をつつくようなことはしたくないし、訊かないけど。

「どうしたの、じゃないでしょ。いい加減ストラップから手離してよ。歩きにくいんだけど」
「だって、離したら置いていかれそうだから……」
「俺のこと犬か何かだと思ってない?」

 顔色を窺うことなくお互いが言いたいことを無遠慮に言い合える、この距離感は割と気に入っている。
 
* * *

 廊下から騒がしい足音が聞こえて、はかりから目を離す。家庭科室の扉を凝視するも、見えたのは顔も知らない男子生徒が小走りで通り過ぎていく姿だけだった。

 今日の家庭科室は、珍しく一人きりだ。
 これが本来の在り方だけど、居なかったら居ないでどうも違和感が拭えない。
 ふと無意識に頭を捻っているのを自覚して我に返った。今はそんなことを考えている場合ではない。目の前に置かれたままになっている材料に意識を無理矢理戻した。

 頭に入っている調理工程をなぞりながら、それでいて素早く。今回作っているものは比較的簡単にできるお菓子を選んだから、すんなり生地を作り終えることができた。

「取り込み中すまない」

 オーブンに入れたばかりの生地を暫く眺めていると、不意に名前を呼ばれて扉の方を振り向いた。そこには、控えめに片手を上げて挨拶をする幼馴染の宗氏の姿があった。

「むーちゃん、今日部活無いの?」
「あぁ。早急に寮に戻らねばならないゆえ、ひと足先に下校させてもらう」
「そう」

 詳細は分からないが、十中八九区長業務に関する用事だろう。一瞬昼班で招集が掛かっていたかと記憶を辿ったけどそういった話を聞いた覚えは無かったし、宗氏の様子からして杞憂だったようだ。

「良い香りがするな。今回は何を作っているんだ?」
「フィナンシェ」

 宗氏は俺の隣に肩を並べてオーブンの中を興味津々に覗き始める。いつも俺が作るスイーツを楽しみにしてくれている様子に思わず小さな笑みがこぼれた。

「まだオーブンに入れたばかりだよ」
「そうか。完成が楽しみだ」

 少しの間他愛もない話をした後、「それでは、先に失礼する」と家庭科室に入ってきた時と同じように片手を上げて扉の方に歩いていく。
 俺もそれに短く返事をして、時間があるからもう一品作ろうかと腕捲りをしたところで宗氏がこちらを振り向いた。

「それは、誰かに頼まれたのか?」
「何が?」

 俺に質問を投げてきたはずなのに「うーちゃんの作るお菓子は絶品だから頼みたくなる気持ちは分かる」と一人で納得し始めた宗氏に首を傾げた。
 
「いつもだったらチョコレート菓子を作っているだろう? 焼き菓子を作っているうーちゃんを久しぶりに見たから、少々気になっただけだ」

 手に持っていた泡立て器が滑り落ちる。
 幸いにもボウルの中に上手く入ってくれたようで地面に落とさずに済んだものの、ガシャンッ、と代わりに大きな音が家庭科室内に響いた。

「何はともあれ、フィナンシェはとても楽しみ――うーちゃん?」

 ズルズルと身体の力が抜けていき、思わずその場でしゃがみ込む。大丈夫か、と心配そうな声で俺の名前を呼ぶ幼馴染の問いに、もはや答える気力は無かった。

 何故いきなりフィナンシェを作ろうと思ったのか。
 あの呑気な顔で自分の名前を呼ぶ一人の同級生の顔が頭に浮かんだから、なんて言えるはずもなく、真っ赤になっているであろう顔を隠すように、両手で顔面を覆ったのだった。
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