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あの唄を覚えてる

「地球で『海』を見てみたいの」

 いつもの場所で逢瀬をしていたある時、セレニティは急にそんな事を言い出した。この日のセレニティと前世のオレは、森の中にある湖の辺りにある石造りのベンチで肩を並べて腰掛けていた。

「海? セレニティは海を見たいのか?」

「えぇ、ヴィーから聞いて、興味を持ったの。地球の海は大きくてしょっぱい水溜まりって、本当なのかしら?」

 純粋な彼女のことだ。遠からず近からずなヴィーナスの説明をセレニティは鵜呑みにした様子だった。

「大きくてしょっぱい水溜まり……ヴィーナスは独特な表現をするものだな。この地球は陸地より海の方が広いから、目の前の湖みたいな小さいものではないよ」

 セレニティは夜空に浮かぶ月の如く、目を輝かせながら、海の話に興味津々だった。

「そうなの? あ、でも、月にも海と名が着く場所はあるわ。あたしが住んでいる場所は、晴れの海と呼ばれているけれど、地球の海と違うのかしら?」

「月で言う海はクレーターで岩の塊しかない。だから、地球の海とはまるで違うものだよ。海には水の中に様々な生物がいて、人間を含めた全ての生き物のふるさととも言われている」

「エンディミオンは海について詳しいのね。益々気になっちゃった」

 セレニティは空を仰ぎ見て、足を軽くばたばた動かした。彼女がまだ見ぬ海に思いを馳せている様子を見ると、オレの中で自然とその夢を叶えたいという気持ちが湧き上がってきた。

「じゃあ、次に会うときに海へ連れて行くよ。オレのお気に入りの場所があるんだ」

 白いドレスの上に置かれたセレニティの手をオレは掴んだ。セレニティはオレの方へ視線を向けて驚いた顔を見せた後、微笑んだ。

「素敵! ぜひ行きたいわ!」

 セレニティはオレの手を握り返して、頷いてくれた。オレは彼女の笑顔につられて口が綻んでいた。

 そして、その次の逢瀬の日。オレはセレニティをお気に入りの浜辺へ連れて行くことにした。
 いつもの逢瀬の場所でセレニティと落ち合うと、オレと側近しか知らない秘密の抜け道へ足を運んだ。抜け道の先は、トンネルのように青々とした緑葉樹が続く細い道に通じていた。セレニティの手を引きながら、オレはその道を進むと、風の中の潮の匂いが次第に強くなる。やがて、緑のトンネルの先を抜けると景色は一変して、白い砂浜と瑠璃色の海のグラデーションがオレたちを迎えた。

「これが海!? なんて、綺麗なの!」

「そうだよ」

 セレニティは目の前に広がる景色を見渡すと、風を受けながら手を広げて目を閉じた。海と陽射しを背景にしたセレニティは、まるで天から舞い降りた天使のようだった。

 ──月でしか生きてこなかった彼女にとって、この地球、この世界はどう見えるのだろうか?

 海を全身で感じるセレニティの横顔を見て、オレはそんな事を考えていた。きっと、オレが知っているどんな言葉でも言い表すことはできないほどの感動に違いないだろう。

「波って本当に近づいたり、離れたりするのね!」

 セレニティは目を開けるとすぐにヒールを脱いで、白い素足で砂浜に小さな足跡をつけた。波打ち際の足跡が波にさらわれると、彼女は不思議そうな顔をしてその様子を見ていた。

「セレニティ、波がどうやって出来るか知ってるか?」

 瑠璃色の波に夢中なセレニティに振り向いてもらおうと、オレは訊いてみた。

「いいえ、知らないわ」

 セレニティは首を左右に振った。

「波は月と風によって作られていると言われているよ」

「月が波を作る? どうやって?」

「海の水を月の引力が持ち上げるんだ。だから、波になって伝わるんだよ」

 この場所に来る前に読んだ海洋関係の本からの受け売りの知識だった。セレニティと海へ行くと決まってから、オレは王宮の図書室でそんな本を何冊も読みふけっていた。波の発生方法が記されたページに「月」という文字を見つけて、セレニティに教えてあげたいとずっと思っていた。

「月と地球は海で繋がってるのね! なんて、素敵なのかしら!」

 月と地球は海で繋がる。セレニティの言葉にオレは感銘を受けた。
 この地球と月は近いけれど、永遠に交わることは無い。クンツァイト達から、何度も聞かされた事だ。オレだって掟は重々承知していた。でも、セレニティの言うとおり、海がこの地球と月を繋ぐ絆だとすれば、見慣れた海が特別なもののように感じた。
 セレニティはドレスの裾をたくし上げた。そして、膝下まで足を海水につけてパシャパシャと音を立てて、子供のようにはしゃいでいた。

「セレニティ、それ以上沖へ行くと波に飲まれるよ」

「大丈夫、大丈夫! ……きゃあ!!」

 突然、少し高い波がセレニティの元へ届こうとしていた。波に驚いたセレニティは足を取られて、バランスを崩した。

「セレニティ!!」

 オレは慌ててセレニティの手を陸の方へ引いた。そして、オレの体でセレニティを受け止めた。

「エ、エンディミオン! あたしったら、ごめんなさい!!」

 オレの胸の中で、セレニティはオレの顔を見ると、顔を真っ赤にしていた。

「いや、セレニティが無事ならいい。怪我が無さそうでよかった」

 オレはお転婆なお姫様の肩へ手を添えると、そのまま抱え上げた。セレニティの素足が海面から上がると、煌びやかな飛沫しぶきが舞い上がった。

「エンディミオンに抱えられて見る海も素敵。……ねぇ、あたし、もっとゆっくりこの海を見ていたい」

 セレニティはオレの肩を掴んで、満面の笑みを浮かべた。困ったものだと思いつつも、オレは目を合わせて頷いた。

「ああ、今度は波が届かぬ場所で」

 その日以来、セレニティにオレが住む地球ほしの彩りを見て欲しくて、様々な場所へ連れて行った。どの場所に行ってもセレニティは嬉々としていたけれど、この海に勝る景色は無かったような気がする。

 セレニティとの在りし日をこうして思い出すことで、オレの中でこの先もずっと二人で美しい景色を見たいという気持ちが湧き上がってきた。もちろん、この旅行でも、うさが見たいもの、知らないものを見せて、喜んでもらいたい。そのために今日まで準備をしてきたつもりだ。
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