保健室の優しい番人
子どもたちの可愛らしい声がグラウンドから聞こえる。お昼休みが終わりに差し掛かる頃、私は保健室の窓から校庭で遊ぶ生徒たちを見守っていた。
「あと二人くらい、来そうね」
お茶をすすりながらポツリと零す。その予感通り、ドタドタとこちらに向かって来る足音が一つ。
「せつな先生~!」
「はいはい、どうしたの?」
「サッカーやってたら、転んじゃったの」
保健室のドアを開けた男子は開口一番、私の名前を呼んで擦りむいた肘を見せてくる。確かにうっすらと血がにじんでいるけど、かすり傷のように見えた。
「じゃあ、そこに座って?」
「しみる?」
「もちろん!」
「うぅ……」
ガーゼに消毒薬をしみこませながら、少し脅かすように伝えると、少年はビクっと腕を震わせながら肘を差し出す。
「じゃあ、消毒するわね」
「いってぇ!?」
「男の子なんだから、我慢する!」
「ちくしょ~」
消毒を終えて絆創膏を貼る。処置を終えると、少年は目を滲ませながら自分の肘を見つめていた。
「はい、おしまい! よく頑張りました」
「ありがとう、せつな先生!」
さっきまでべそをかいていた子はどこへやら。あっという間に元気になった少年は、駆け足で教室へ向かって行った。
「廊下は走らない! また転ぶわよ~」
「はーい!」
手を振って駆けて行く生徒を見て、口元が綻ぶ。やっぱり子どもは素直で可愛いな。なんて思いながら保健室へ戻る。
「あと一人、来るかな……」
養護教諭としての勘がそう告げる。これは小学校特有のものかもしれないけれど、お昼休みが終わる頃が一番ケガ人が多いのだ。理由は油断と焦り。
午後の授業に間に合わないというプレッシャーの中、道具のあと片づけを急いで行う最中と、教室へ向かう道中。大体そこで転ぶ子が多かった。
コンコンコン
「はい、どうぞ?」
控えめなノックに返事をすると、入ってきたのは意外にも愛娘だった。
「せつなママ……」
「あら、珍しいわね……何か用?」
ほたるが保健室に来ることは滅多にない。何故ならヒーリングという治癒能力を持っているし、この時間は私よりも友だちと遊んでいることが多いから。
そんな娘に問いかけると、ほたるは手を繋いでいた下級生の女の子をこちらに入るよう促して、ドアを閉めた。
「あら? 可愛らしい子ね……新しい妹?」
「もう、冗談言わないの」
私がジョークを言うと、ほたるは大きく息を吐きながら肩を落とす。そんなほたるの後ろに隠れている女の子を見る。名札を見ると一年二組と書かれていた。本当についこの間まで未就学児だった、ピカピカの一年生だ。
「どうしたの? ケガしちゃった?」
「うん……」
その子の前まで近づいて屈むと、視線を合わせて恥ずかしげに答える。膝小僧が赤くなっている所を見るに、どうやら転んで擦りむいたらしかった。
「ほたるが転ぶところを見たの?」
「ううん……廊下を歩いてたら、泣いてたの……どうしたのって聞いたら、転んだっていうから連れてきたの」
「そっか」
ほたるの説明を聞いて状況を理解した私は、その子を見つめなおした。
「じゃあ、痛いのバイバイしようか」
「いたいの……ばいばい?」
「そうよ? このままだとバイキンが入ってきて、もっと痛くなっちゃうの」
「うん……」
涙目で頷く少女。転んで痛いこと、圧迫感のある保健室、知らない先生、そしてこれからされることを想像して怖がっているのだろう。
私は安心させるためにその子の頭を撫でる。
「大丈夫、せつな先生に任せて?」
「でも、しみるんだよね?」
「ちょっとだけね? でも、すぐに痛いのは治っちゃうから」
「うえぇ……」
両手で目を押さえながらシクシクと泣く少女を見て、ほたるが困ったように私と目を合わせる。
ほたるの言いたいことは分かっている。ヒーリングで治してあげれば万事解決する。そう思っているのだ。
でも、それは本当の解決にはならない。子どもは失敗をして、痛い思いを乗り越えて成長していく。それが常日頃からほたるに教えている私の教育理念だった。
だからその提案は却下する。ほたるもそれを承知したのか、少女の肩に手を置いて話しかける。
「この先生はね、実はあたしのママなの」
「そうなの?」
「うん……ちょっと厳しいところもあるけど、とっても頼りになるのよ?」
「こわくない?」
「もちろん! とっても優しいよ」
「じゃあ、やる……」
笑顔で優しく接してくれたほたるとのやりとりで安心したのか、少女は椅子に座って患部が見えるように裾を捲った。
いやはや、流石は我が娘と言うべきか。大人でも納得させるまで時間がかかる様子だったのに、あっという間に安心させた話術は目を見張るものがある。
そんな親バカなことを思いつつ、再びガーゼに消毒薬を塗る。
「じゃあ、ちょっとだけしみるわよ?」
「うん」
チョンチョンと患部を消毒すると、ピクッと体を震わせる。
「大丈夫?」
「へいき……がまんするもん……」
「えらい!」
強い意思で言う少女を見て安心する。この子は芯がシッカリしているから、きっと素敵な女性になるだろう。お節介な想像をしながら、さっきの男子と同じように絆創膏を貼って処置を終える。
「はい、もう大丈夫よ?」
「えへへっ」
満面の笑みで私を見つめる少女に、胸がキュンとなる。本当は特別扱いしちゃいけないんだけど、あまりにも可愛いのでデスクの引き出しから自信作を取り出す。
「はい、泣かないで頑張ったからコレをあげるわ」
「クマさんだ!」
空いている時間で作ったクマのワッペンを渡すと、少女は嬉しそうに小さな両手で受け取った。
「せつなママはアップリケが得意なの……可愛いでしょ?」
「うん! ありがとう!」
「いえいえ……さぁ、午後の授業が始まるわよ?」
ドアを開けて二人を見送ると、少女が立ち止まって私に振り返る。
「せつなせんせい」
「どうしたの?」
「また……きてもいい?」
照れながら言う少女を見て、破顔しそうになるのを抑える。もう、どうして子どもってこんなに可愛いのかしら。
「もちろん、いつでもいらっしゃい!」
「うん!」
オッケーサインを作って答えると、少女は笑顔で頷いて、ほたると手を繋ぎながら帰って行った。
「ん~!」
両手を天井に向けて、大きく伸びをする。
今日実感したほたるの成長は、帰ったらはるかたちと共有しよう。あの二人も違う意味で親バカなので、可愛い反応が見られるかもしれない。
「平和ね……」
以前の私からは考えられないくらい、幸せな日常。
もう孤独に戦う必要はない。
素敵な家族と、愛する娘に囲まれて、大切な人たちを護る。
そんな日々をかみしめて、生きていこう。
私はすっかり冷えたお茶を飲み干して、次の小さな患者さんが来るまでの間、ウサギのワッペンを作ることにした。
END
「あと二人くらい、来そうね」
お茶をすすりながらポツリと零す。その予感通り、ドタドタとこちらに向かって来る足音が一つ。
「せつな先生~!」
「はいはい、どうしたの?」
「サッカーやってたら、転んじゃったの」
保健室のドアを開けた男子は開口一番、私の名前を呼んで擦りむいた肘を見せてくる。確かにうっすらと血がにじんでいるけど、かすり傷のように見えた。
「じゃあ、そこに座って?」
「しみる?」
「もちろん!」
「うぅ……」
ガーゼに消毒薬をしみこませながら、少し脅かすように伝えると、少年はビクっと腕を震わせながら肘を差し出す。
「じゃあ、消毒するわね」
「いってぇ!?」
「男の子なんだから、我慢する!」
「ちくしょ~」
消毒を終えて絆創膏を貼る。処置を終えると、少年は目を滲ませながら自分の肘を見つめていた。
「はい、おしまい! よく頑張りました」
「ありがとう、せつな先生!」
さっきまでべそをかいていた子はどこへやら。あっという間に元気になった少年は、駆け足で教室へ向かって行った。
「廊下は走らない! また転ぶわよ~」
「はーい!」
手を振って駆けて行く生徒を見て、口元が綻ぶ。やっぱり子どもは素直で可愛いな。なんて思いながら保健室へ戻る。
「あと一人、来るかな……」
養護教諭としての勘がそう告げる。これは小学校特有のものかもしれないけれど、お昼休みが終わる頃が一番ケガ人が多いのだ。理由は油断と焦り。
午後の授業に間に合わないというプレッシャーの中、道具のあと片づけを急いで行う最中と、教室へ向かう道中。大体そこで転ぶ子が多かった。
コンコンコン
「はい、どうぞ?」
控えめなノックに返事をすると、入ってきたのは意外にも愛娘だった。
「せつなママ……」
「あら、珍しいわね……何か用?」
ほたるが保健室に来ることは滅多にない。何故ならヒーリングという治癒能力を持っているし、この時間は私よりも友だちと遊んでいることが多いから。
そんな娘に問いかけると、ほたるは手を繋いでいた下級生の女の子をこちらに入るよう促して、ドアを閉めた。
「あら? 可愛らしい子ね……新しい妹?」
「もう、冗談言わないの」
私がジョークを言うと、ほたるは大きく息を吐きながら肩を落とす。そんなほたるの後ろに隠れている女の子を見る。名札を見ると一年二組と書かれていた。本当についこの間まで未就学児だった、ピカピカの一年生だ。
「どうしたの? ケガしちゃった?」
「うん……」
その子の前まで近づいて屈むと、視線を合わせて恥ずかしげに答える。膝小僧が赤くなっている所を見るに、どうやら転んで擦りむいたらしかった。
「ほたるが転ぶところを見たの?」
「ううん……廊下を歩いてたら、泣いてたの……どうしたのって聞いたら、転んだっていうから連れてきたの」
「そっか」
ほたるの説明を聞いて状況を理解した私は、その子を見つめなおした。
「じゃあ、痛いのバイバイしようか」
「いたいの……ばいばい?」
「そうよ? このままだとバイキンが入ってきて、もっと痛くなっちゃうの」
「うん……」
涙目で頷く少女。転んで痛いこと、圧迫感のある保健室、知らない先生、そしてこれからされることを想像して怖がっているのだろう。
私は安心させるためにその子の頭を撫でる。
「大丈夫、せつな先生に任せて?」
「でも、しみるんだよね?」
「ちょっとだけね? でも、すぐに痛いのは治っちゃうから」
「うえぇ……」
両手で目を押さえながらシクシクと泣く少女を見て、ほたるが困ったように私と目を合わせる。
ほたるの言いたいことは分かっている。ヒーリングで治してあげれば万事解決する。そう思っているのだ。
でも、それは本当の解決にはならない。子どもは失敗をして、痛い思いを乗り越えて成長していく。それが常日頃からほたるに教えている私の教育理念だった。
だからその提案は却下する。ほたるもそれを承知したのか、少女の肩に手を置いて話しかける。
「この先生はね、実はあたしのママなの」
「そうなの?」
「うん……ちょっと厳しいところもあるけど、とっても頼りになるのよ?」
「こわくない?」
「もちろん! とっても優しいよ」
「じゃあ、やる……」
笑顔で優しく接してくれたほたるとのやりとりで安心したのか、少女は椅子に座って患部が見えるように裾を捲った。
いやはや、流石は我が娘と言うべきか。大人でも納得させるまで時間がかかる様子だったのに、あっという間に安心させた話術は目を見張るものがある。
そんな親バカなことを思いつつ、再びガーゼに消毒薬を塗る。
「じゃあ、ちょっとだけしみるわよ?」
「うん」
チョンチョンと患部を消毒すると、ピクッと体を震わせる。
「大丈夫?」
「へいき……がまんするもん……」
「えらい!」
強い意思で言う少女を見て安心する。この子は芯がシッカリしているから、きっと素敵な女性になるだろう。お節介な想像をしながら、さっきの男子と同じように絆創膏を貼って処置を終える。
「はい、もう大丈夫よ?」
「えへへっ」
満面の笑みで私を見つめる少女に、胸がキュンとなる。本当は特別扱いしちゃいけないんだけど、あまりにも可愛いのでデスクの引き出しから自信作を取り出す。
「はい、泣かないで頑張ったからコレをあげるわ」
「クマさんだ!」
空いている時間で作ったクマのワッペンを渡すと、少女は嬉しそうに小さな両手で受け取った。
「せつなママはアップリケが得意なの……可愛いでしょ?」
「うん! ありがとう!」
「いえいえ……さぁ、午後の授業が始まるわよ?」
ドアを開けて二人を見送ると、少女が立ち止まって私に振り返る。
「せつなせんせい」
「どうしたの?」
「また……きてもいい?」
照れながら言う少女を見て、破顔しそうになるのを抑える。もう、どうして子どもってこんなに可愛いのかしら。
「もちろん、いつでもいらっしゃい!」
「うん!」
オッケーサインを作って答えると、少女は笑顔で頷いて、ほたると手を繋ぎながら帰って行った。
「ん~!」
両手を天井に向けて、大きく伸びをする。
今日実感したほたるの成長は、帰ったらはるかたちと共有しよう。あの二人も違う意味で親バカなので、可愛い反応が見られるかもしれない。
「平和ね……」
以前の私からは考えられないくらい、幸せな日常。
もう孤独に戦う必要はない。
素敵な家族と、愛する娘に囲まれて、大切な人たちを護る。
そんな日々をかみしめて、生きていこう。
私はすっかり冷えたお茶を飲み干して、次の小さな患者さんが来るまでの間、ウサギのワッペンを作ることにした。
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