透明な恋人
マンションへ向かう道中、試しに通行人に声を掛けてみたけれど、やはり声は届くがオレたちの姿は見えていないようだった。
段々と現在おかれているオレたちの状況が分かってきた。体も心も確かにここに存在するが、視認してもらうことができない。服装や持ち物すら透明になっている。
「うさ、着いたぞ」
「鍵、わかる?」
部屋の前に着いたオレは、見えないカバンの中から手探りで鍵を探す。その独特のフォルムの感触が指に伝わり、鍵らしきモノを鍵穴に差す。
「よし、開いた」
「さすが!」
オレたちは手を繋いだままリビングへ向かい、ソファーに腰を落とした。
「あたしたち、これからどうなっちゃうんだろう……」
「まずはこうなった原因を突き止めて、解決策を考えよう」
「うん」
リビングに音のない時間が流れる。手から伝わる感触は震えと少しの汗。オレはうさを安心させるために話題を変えることにした。
「オレたちが透明になったなんて知ったら、みんな驚くだろうな」
「そうだね……」
「タダで映画館とか入れるんじゃないか?」
「ふふっ、美奈Pみたいなこと言わないでよ」
オレの冗談を受けて笑顔になってくれたことが分かる。例え表情は見えなくても、うさの楽しそうな声を聞くだけでオレの不安は消え、鼓動は高鳴っていく。きっとうさにしかかけることができない魔法。そんな魔法にかかったオレは、こんな状態におかれていても幸せを感じることができた。
「さて、どうするかな」
「ルナや亜美ちゃんに相談する?」
「いや、みんなに心配かける前にオレたちでやれることをしよう」
「やれることって?」
「……キスとか」
「きゅ、急に何言ってるの!?」
うさの顔は恐らく赤面していることだろう。真剣な表情で言ったつもりだったが、顔が見えないもんな。オレは改めてキスの理由を伝えることにした。
「あの時、並木道でキスをした瞬間に光に包まれた……だからもう一度キスをすれば、あの光が現れるんじゃないかと思ったんだ」
「そ、そっか」
「してみないか?」
「うん……見えないけど、頑張る」
オレは繋いでいた手の位置を参考に両肩を捉え、顔のある方へ口元を近づけた。
「いくぞ?」
「うん……」
ゆっくりと探るように唇が触れ合う。だが5秒経っても10秒経っても変化はなかった。
「やっぱり、違うのか……」
てっきりキスがトリガーになっていると考えたのだが。もしかして他の条件も揃わなきゃ発動しないのか。例えば場所や時間とか。
「まもちゃん……」
「どうした?」
「あたし、確かめるようなキスはイヤだよ……」
「す、すまん!」
オレはこの状況を打破することに頭がいっぱいで、うさの気持ちを考えていなかった。相変わらず何てデリカシーのないやつなんだ、オレは。
「いいの……いつも一生懸命あたしを助けてくれて、本当に嬉しいよ」
「うさ……」
「あれ?」
「どうしたんだ?」
「まもちゃん、手を離した?」
「いや……うさこそ、どこへ行ったんだ?」
何かがおかしい。さっきまで確かに掴んでいたうさの両肩が、消えた?
「まもちゃん!? どこに居るの!?」
「落ち着くんだ、うさ!」
「見えないし、触れることができないの! もう声しか聞こえない!」
まさか、オレたちの存在自体が消えかけているのか?
このまま進んだら、オレたちは。
「消滅……する……」
「イヤ……あたし、まもちゃんとずっと一緒にいたいよ!」
「オレだってそうだ! とにかく状況を把握するしかない!」
あまりの急な展開に頭が混乱する。ダメだ、ここで落ち着かなければ本当に消滅してしまう。何か手を考えなければ。
焦りながら思慮しても何も繋がらない。この現象の根本の理由を考えるんだ。
「並木道……キス……光の帯……透明……」
「まもちゃん……」
「あの……時の……」
六歳の誕生日。事故に遭ったオレはそこで記憶を失くした。両親も他界し、行くあてもなく病院の近所にあった並木道を歩いていた。
「綺麗な葉っぱ……」
季節が秋だったこともあり、紅葉が辺りを彩る。
「君たちはいいね……たくさんの仲間と一緒で……」
木に生い茂る葉っぱや落ち葉がたくさん舞っていたので、家族みたいだなぁと思った。自分にはもういない温もり。そんな葉っぱたちが羨ましくて。
「ボクは独りぼっちなんだ……いっそのこと、消えてしまいたいよ……」
『その願い、叶えてあげる』
「えっ?」
どこからか声が聞こえる。落ち着いた女性の声。
『ただし、一番幸せなときにね?』
「ど、どういうこと?」
『私はもう、寿命で消えてしまうけれど……最期の魔法をかけてあげる』
「魔法って?」
『愛する人ができた時、その人と一緒に永遠の世界へ行けるわ』
「愛する人……そんな人できるかな?」
『きっとできるわ……どの並木道でもいいから、その人と秋の季節にキスをして?』
「き、キス!?」
『そうすれば、魔法が発動するから』
「うん……覚えてたらね」
『それじゃあ、素敵な人生を』
その言葉を最後に、声は聞こえなくなった。
「あの時の魔法……こんな時に来たのか……」
ようやく原因を思い出したが、結局対処法が分からない。どうすればこの魔法は解けるんだ?
「うさ……実は……」
声を掛けても返事はない。そういえばさっきから、うさの声が全く聞こえない。
「まさか!?」
消えてしまった?
いや、まだここに居る。うさの星の輝きを感じることができる。つまり、声すら届かなくなった状況なんだ。きっとオレの声も届いていないだろう。もうリミットは近いということか。
「くっ……どうしたら……」
妙案が浮かばず拳を握りしめていると、どこからか小さく声が聞こえる。
『……こえる?』
「な、何だ!?」
『あた……びうさ……』
この声は、ひょっとしてちびうさなのか。未来へ帰ったはずじゃ。
『お互いに意思疎通はできないだろうけど、よく聞いて!』
声が鮮明になっていく。その方向を見ると、ルナPボールが部屋の片隅に転がっていた。
『パパとママから今日が試練の日だって聞いて、ルナPを送ったの!』
「試練の日?」
『あたしの体も消えかかってる……時間がないから要点だけ伝えるよ』
「どうすればいいんだ!?」
『信じるの……二人の愛を……』
「愛……」
『誰にも負けない愛情で、魔法なんか吹っ飛ばしちゃえ!』
「ははっ……」
ちびうさの力強い応援に思わず笑みが零れる。そうだ。オレたちは誰にも壊すことができない絆で結ばれているんだ。こんな呪いみたいな魔法に負けてどうする。
「うさっ!」
大声で愛する恋人の名前を呼ぶ。もう不安なんてない。きっとこの声は届いている。だからもう一度、キスをしよう。確かめるような形式ばったものじゃなく、本気のキスを。
「愛してる……うさ……」
全く感触はないけれど、うさはこの場所に顕在していることが手に取るように分かる。もう見失わない。絶対に二人で乗り越えよう。この愛という名の試練を。
「うさ……」
何もない空間に唇をおくる。
そして。
「まも……ちゃん……」
涙声でオレの名を呼ぶうさの声。
「ありがとう……信じてくれて……」
「どこにいても……たとえ姿が見えなくなっても……必ず見つけるさ……」
唇から伝わってきた温もり。うさの鼓動。繊細な声色。それら全てを包み込むように抱きしめる。もうオレたちの姿は、元に戻っていた。
「怖かったよぉ……」
「すまない……もう二度と、うさを離さないよ」
「うん……ひっく……」
涙を流しながらオレの体を強く抱きしめる恋人を心から愛しく思う。そして永遠にも近い時間に感じた抱擁を終えると、うさがリビングを見渡し始めた。
「どうした?」
「ルナP……ちびうさは?」
「そういえば、居なくなってるな……」
「きっとあたしたちを、二人っきりにしてくれたんだよ」
「そうかもな……」
我が娘の力強い言葉のおかげで、オレはこの試練を乗り越えることができた。そして目の前の愛する人と絆を結ぶことができたんだ。
「オレたち、まだまだ未熟だな……」
「色んな人に助けられて、ここまできたもんね……」
「これからは、オレたちの愛情でみんなを助けていこう」
「うん……きっとできるよ、あたしたちになら……」
秋の終わりに突然降りかかった試練。
元はと言えばオレに原因があるのだけれど、それも寂しさからきた弱さ。
だが、今のオレなら絶対に護ることができる。
前世から繋がる魂の伴侶と、未来への架け橋である愛娘を。
冬を迎えたら、また並木道を歩こう。
今度は誰にも邪魔されずに、互いの体温を感じあって愛を育むために。
段々と現在おかれているオレたちの状況が分かってきた。体も心も確かにここに存在するが、視認してもらうことができない。服装や持ち物すら透明になっている。
「うさ、着いたぞ」
「鍵、わかる?」
部屋の前に着いたオレは、見えないカバンの中から手探りで鍵を探す。その独特のフォルムの感触が指に伝わり、鍵らしきモノを鍵穴に差す。
「よし、開いた」
「さすが!」
オレたちは手を繋いだままリビングへ向かい、ソファーに腰を落とした。
「あたしたち、これからどうなっちゃうんだろう……」
「まずはこうなった原因を突き止めて、解決策を考えよう」
「うん」
リビングに音のない時間が流れる。手から伝わる感触は震えと少しの汗。オレはうさを安心させるために話題を変えることにした。
「オレたちが透明になったなんて知ったら、みんな驚くだろうな」
「そうだね……」
「タダで映画館とか入れるんじゃないか?」
「ふふっ、美奈Pみたいなこと言わないでよ」
オレの冗談を受けて笑顔になってくれたことが分かる。例え表情は見えなくても、うさの楽しそうな声を聞くだけでオレの不安は消え、鼓動は高鳴っていく。きっとうさにしかかけることができない魔法。そんな魔法にかかったオレは、こんな状態におかれていても幸せを感じることができた。
「さて、どうするかな」
「ルナや亜美ちゃんに相談する?」
「いや、みんなに心配かける前にオレたちでやれることをしよう」
「やれることって?」
「……キスとか」
「きゅ、急に何言ってるの!?」
うさの顔は恐らく赤面していることだろう。真剣な表情で言ったつもりだったが、顔が見えないもんな。オレは改めてキスの理由を伝えることにした。
「あの時、並木道でキスをした瞬間に光に包まれた……だからもう一度キスをすれば、あの光が現れるんじゃないかと思ったんだ」
「そ、そっか」
「してみないか?」
「うん……見えないけど、頑張る」
オレは繋いでいた手の位置を参考に両肩を捉え、顔のある方へ口元を近づけた。
「いくぞ?」
「うん……」
ゆっくりと探るように唇が触れ合う。だが5秒経っても10秒経っても変化はなかった。
「やっぱり、違うのか……」
てっきりキスがトリガーになっていると考えたのだが。もしかして他の条件も揃わなきゃ発動しないのか。例えば場所や時間とか。
「まもちゃん……」
「どうした?」
「あたし、確かめるようなキスはイヤだよ……」
「す、すまん!」
オレはこの状況を打破することに頭がいっぱいで、うさの気持ちを考えていなかった。相変わらず何てデリカシーのないやつなんだ、オレは。
「いいの……いつも一生懸命あたしを助けてくれて、本当に嬉しいよ」
「うさ……」
「あれ?」
「どうしたんだ?」
「まもちゃん、手を離した?」
「いや……うさこそ、どこへ行ったんだ?」
何かがおかしい。さっきまで確かに掴んでいたうさの両肩が、消えた?
「まもちゃん!? どこに居るの!?」
「落ち着くんだ、うさ!」
「見えないし、触れることができないの! もう声しか聞こえない!」
まさか、オレたちの存在自体が消えかけているのか?
このまま進んだら、オレたちは。
「消滅……する……」
「イヤ……あたし、まもちゃんとずっと一緒にいたいよ!」
「オレだってそうだ! とにかく状況を把握するしかない!」
あまりの急な展開に頭が混乱する。ダメだ、ここで落ち着かなければ本当に消滅してしまう。何か手を考えなければ。
焦りながら思慮しても何も繋がらない。この現象の根本の理由を考えるんだ。
「並木道……キス……光の帯……透明……」
「まもちゃん……」
「あの……時の……」
六歳の誕生日。事故に遭ったオレはそこで記憶を失くした。両親も他界し、行くあてもなく病院の近所にあった並木道を歩いていた。
「綺麗な葉っぱ……」
季節が秋だったこともあり、紅葉が辺りを彩る。
「君たちはいいね……たくさんの仲間と一緒で……」
木に生い茂る葉っぱや落ち葉がたくさん舞っていたので、家族みたいだなぁと思った。自分にはもういない温もり。そんな葉っぱたちが羨ましくて。
「ボクは独りぼっちなんだ……いっそのこと、消えてしまいたいよ……」
『その願い、叶えてあげる』
「えっ?」
どこからか声が聞こえる。落ち着いた女性の声。
『ただし、一番幸せなときにね?』
「ど、どういうこと?」
『私はもう、寿命で消えてしまうけれど……最期の魔法をかけてあげる』
「魔法って?」
『愛する人ができた時、その人と一緒に永遠の世界へ行けるわ』
「愛する人……そんな人できるかな?」
『きっとできるわ……どの並木道でもいいから、その人と秋の季節にキスをして?』
「き、キス!?」
『そうすれば、魔法が発動するから』
「うん……覚えてたらね」
『それじゃあ、素敵な人生を』
その言葉を最後に、声は聞こえなくなった。
「あの時の魔法……こんな時に来たのか……」
ようやく原因を思い出したが、結局対処法が分からない。どうすればこの魔法は解けるんだ?
「うさ……実は……」
声を掛けても返事はない。そういえばさっきから、うさの声が全く聞こえない。
「まさか!?」
消えてしまった?
いや、まだここに居る。うさの星の輝きを感じることができる。つまり、声すら届かなくなった状況なんだ。きっとオレの声も届いていないだろう。もうリミットは近いということか。
「くっ……どうしたら……」
妙案が浮かばず拳を握りしめていると、どこからか小さく声が聞こえる。
『……こえる?』
「な、何だ!?」
『あた……びうさ……』
この声は、ひょっとしてちびうさなのか。未来へ帰ったはずじゃ。
『お互いに意思疎通はできないだろうけど、よく聞いて!』
声が鮮明になっていく。その方向を見ると、ルナPボールが部屋の片隅に転がっていた。
『パパとママから今日が試練の日だって聞いて、ルナPを送ったの!』
「試練の日?」
『あたしの体も消えかかってる……時間がないから要点だけ伝えるよ』
「どうすればいいんだ!?」
『信じるの……二人の愛を……』
「愛……」
『誰にも負けない愛情で、魔法なんか吹っ飛ばしちゃえ!』
「ははっ……」
ちびうさの力強い応援に思わず笑みが零れる。そうだ。オレたちは誰にも壊すことができない絆で結ばれているんだ。こんな呪いみたいな魔法に負けてどうする。
「うさっ!」
大声で愛する恋人の名前を呼ぶ。もう不安なんてない。きっとこの声は届いている。だからもう一度、キスをしよう。確かめるような形式ばったものじゃなく、本気のキスを。
「愛してる……うさ……」
全く感触はないけれど、うさはこの場所に顕在していることが手に取るように分かる。もう見失わない。絶対に二人で乗り越えよう。この愛という名の試練を。
「うさ……」
何もない空間に唇をおくる。
そして。
「まも……ちゃん……」
涙声でオレの名を呼ぶうさの声。
「ありがとう……信じてくれて……」
「どこにいても……たとえ姿が見えなくなっても……必ず見つけるさ……」
唇から伝わってきた温もり。うさの鼓動。繊細な声色。それら全てを包み込むように抱きしめる。もうオレたちの姿は、元に戻っていた。
「怖かったよぉ……」
「すまない……もう二度と、うさを離さないよ」
「うん……ひっく……」
涙を流しながらオレの体を強く抱きしめる恋人を心から愛しく思う。そして永遠にも近い時間に感じた抱擁を終えると、うさがリビングを見渡し始めた。
「どうした?」
「ルナP……ちびうさは?」
「そういえば、居なくなってるな……」
「きっとあたしたちを、二人っきりにしてくれたんだよ」
「そうかもな……」
我が娘の力強い言葉のおかげで、オレはこの試練を乗り越えることができた。そして目の前の愛する人と絆を結ぶことができたんだ。
「オレたち、まだまだ未熟だな……」
「色んな人に助けられて、ここまできたもんね……」
「これからは、オレたちの愛情でみんなを助けていこう」
「うん……きっとできるよ、あたしたちになら……」
秋の終わりに突然降りかかった試練。
元はと言えばオレに原因があるのだけれど、それも寂しさからきた弱さ。
だが、今のオレなら絶対に護ることができる。
前世から繋がる魂の伴侶と、未来への架け橋である愛娘を。
冬を迎えたら、また並木道を歩こう。
今度は誰にも邪魔されずに、互いの体温を感じあって愛を育むために。