このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

右手のナイフと左手のぬくもり

「ソーニャちゃ~ん!」
「うわっ!?」

 夕暮れに差し掛かる川沿いの道。着かず離れずの距離感で一方的に話をしていたやすなが、私の腕に抱きついてくる。

「急になんだよ!?」
「あ、いま不意打ちにビックリしたでしょ?」

 ゴキブリやお化けが怖いことは既にバレているし、今さら隠すことでもないけれど。年頃の少女らしくドキドキしてしまうところは、やすなにイジられたくなかった。

「もう、意外に乙女なんだから~」
「うるさい! いきなり腕を組むからだろ」
「あ、手の方がよかった?」

 得心したような表情で今度は私の左手を握る。掌に伝わるやすなの体温。私はこの瞬間がとても好きだった。手に染み付いた血の匂いを包み込んでくれるような。そんなぬくもりに触れていられる、この時間が。

「なぁ……」
「なぁに?」
「どうして、いつも左手なんだ?」

 ふと疑問に思った。やすなが毎回握るのは、決まって左手。右手には決して触れない。ひょっとして、私がいつもナイフを握っている手だから、怖がっているのだろうか。そんな不安が拭えず、目を伏せる。

「もしかして、右手を握らないことを気にしてる?」

 全てお見通しだよ。そんな面持ちで私の顔色を窺うやすなの目を、私は見ることができなかった。

「癒してあげたいから……」
「えっ?」
「ソーニャちゃん、基本的に右手でナイフを持つでしょ? だから、反対の手は優しい手であってほしいの」
「優しい、手?」

 空いている方の右手を見つめる。この右手は優しくないということなのだろうか。

「人を殺めることが仕事なら、同じくらい人を助けてあげてほしいの……」
「そんなこと……私にできる訳ないだろ……」

 今まで散々、命を奪ってきた両手。その手で人を救う。できるできない以前に、そんな資格すらないと思う。目の前の少女一人、護れるかも分からないのに。

「大丈夫だよ、ソーニャちゃんなら」
「何で言い切れるんだ?」
「だって、優しいもん」

 満面の笑顔で答えるやすな。
 違う。優しいのはいつだって、お前なんだ。私はその優しさに甘えて、居心地の良い場所にしがみついているだけ。人を助けられるのは、全てを包み込んでくれるようなぬくもりを持つやすなの方だ。その事実を、私が一番理解している。だから。

「無理だよ……」
「ソーニャちゃん……」

 繋いでいた手を離し、歩を進める。

「待って!?」
「また明日な」

 一方的に別れを告げる。後ろでやすなの叫ぶ声が聞こえる。私は振り向かずに路地に入る。これから次の現場に行かなくてはならないのだから。
1/3ページ
スキ