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ナイフなんかじゃ切れない

「あれ? お醤油切らしてる……」

 18時頃。家で夕飯を作っていた私は、いつも使っているお醤油が切れていた事に気付いて買い物に行く準備をしていた。

「まだ明るいから、大丈夫だよね」

 この季節ならギリギリ暗くなる前に帰って来れるだろうと思い、外に出る。ソーニャちゃんの忠告を忘れたまま。



「うわ、もう暗くなってる……」

 近所のスーパーでお醤油や他の買い物をしているうちに、辺りは暗くなっていた。商店街から離れるにつれ、静寂が私を包む。

「ちょっと、怖いかな……」

 今頃になってソーニャちゃんの言葉を思い出した私は、駆けるように家に向かった。

「折部やすなさん?」
「えっ?」

 私が振り向くと、そこには帽子とマスクで顔を隠した長身の男性が立っていた。

「あの……あなた誰ですか?」
「ソーニャのお友だちって言えば、分かるかな?」

 一瞬で嘘だと分かった。だってソーニャちゃんの友だちは。あの人にとっての友だちは、私しか居ないんだから。

「ひっ!?」

 男が手を伸ばしてきた瞬間、私はスーパーの袋を投げて全速力で逃げ出した。

「逃げなきゃ……逃げなきゃ……」

 全力で走り続けて、少しは撒けたかと思い後ろを振り向くと。

「所詮、ガキだな」
「あぅっ!?」

 男は真後ろに居て、私の身体を地面に押さえつけた。

「こんなガキが弱点だとは、殺し屋ソーニャも落ちたもんだ」

 男の呟きを聞いて、私はハッとした。ソーニャちゃんにとっての弱点。それが私だというセリフに。
 勘違いじゃなかった。本当にソーニャちゃんは、私の事を大切な人だと思ってくれていたんだ。だからこの男は私を人質に取ろうとしている。その嬉しさと恐怖が入り乱れた感情が頭の中を支配する。

「大人しくしろ!」
「いや……離してっ!?」
「少し眠ってもらうぞ」
「いやぁっ!? ソーニャちゃん!」

 殺される。そう思ったその時。

「やすなっ!」

 ソーニャちゃんの私を呼ぶ声がする。その姿を認識した時、既にソーニャちゃんは男の手の甲をナイフで切り裂いていた。

「ぐっ!?」
「こっちに来い!」
「ソーニャちゃん!」

 私は男が怯んだ隙を見て、ソーニャちゃんの元へ走った。

「大丈夫か、やすな!?」
「うん……怖かったよぉ……」
「ちっ、何でこの場所が!?」

 男が手を押さえながら、私達を睨みつけている。

「あぎりに言われた通りの場所に居やがったな」
「あの忍者か……」
「その忍者ですよー」

 この緊張感のある場面には似つかない、気の抜けるようなトーンのセリフが聞こえる。

「二人とも、ここは任せて逃げてください」
「大丈夫なのか?」
「私を見くびらないでくださいねー」
「すまない!」

 私はソーニャちゃんに手を引かれながら、近くの公園の方に向かった。

「逃がすか!」
「追わせませんよー」
「邪魔をするなら殺すぞ?」
「私……結構、頭にきてるんですよー」
「何の話だ?」
「昨日に続いて、胸糞の悪いやりくちを見たもので……」
「アイツは写真をちらつかせただけでやられたが、俺はそうはいかんぞ?」
「はき違えてますねー」
「あ?」
「昨日の方はソーニャだったから、楽に逝けたんですよ……ですが今日は私が相手なので……苦しんでもらう事になりますね」
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ……来い!」



「ここまで来れば……追っては来れないだろう……」

 公園に着いた私達は、肩で息をしながらベンチに座った。

「あぎりさん、大丈夫かな……」
「万が一やられても、この公園なら見通しが良いから対処できそうだ……」
「そんな……縁起でもない事、言わないでよ!?」
「今日のお前みたいにか?」

 少し微笑みながら言うソーニャちゃんを見て、教室での事を思い出す。そこで初めて気付いた。私の言葉がどれだけソーニャちゃんを傷つけたかを。

「ごめん……」
「いいよ……お互いさまだしな」
「でも、私……」
「私もやっと気付いたよ……あぎりに言われた意味を……」
「えっ?」

 ソーニャちゃんは私の手を取って、じっと私の目を見つめてくる。

「私にとっての、折部やすなという存在の意味を」
「どういう……こと?」
「ただの友だちじゃなかったんだ……お前は」
「友だちじゃ……ない……」

 その言葉を聞いて、また泣きそうになった瞬間。ソーニャちゃんはもう片方の手で私の頬に触れる。

「んっ……」

 そして、唇が重なり合う。

「そ、ソーニャちゃん!?」
「突然すまない……でも……」

 ソーニャちゃんはアタフタしている私の両肩を握って、再び真剣な表情で向かい合う。

「好きに……なってたんだ……」
「えっ……」
「お前に……友だち以上の感情を抱いてたんだ……」
「ソーニャちゃん……」
「愛してる」
「ふぇっ!?」
「誰よりも大切な存在になったお前と、ずっと一緒に居たい」
「あ……ぇ……」

 これは夢だろうか。そういえばさっきから非現実的な事ばかり起こっているし、思えばお醤油を切らした辺りから眠っていたのかも。そんな曖昧な気持ちの中、たった一つだけ言えるのは私の顔は今、リンゴのように真っ赤に染まっているという事だけだった。

「全く、人が戦っている間にイチャついてくれますねー」
「あぎりさん!」
「お前、大丈夫か!?」

 あぎりさんは血が滴る片腕を押さえながら、いつもと変わらない笑顔で言う。

「いやぁ、人質を取るくらいだから雑魚だと思っていたのですが……中々どうして、強かったですよー」
「大丈夫ですか!?」

 私が急いであぎりさんの元へ向かい、傷だらけの手を握ると。

「……これは、ソーニャが惚れるのも仕方がないですねー」
「余計な事を言うな」
「えっ?」

 私が状況を理解できずに、二人を見比べていると。

「ほら、やすなさん……ちゃんと返事をしないと」
「あっ」
「改めてあぎりも居るこの状況だと、何か恥ずかしいな」
「ソーニャちゃん……」
「あ、あぁ」

 私はソーニャちゃんに向き合い暫く沈黙した後、口を開いた。

「本当はね……私、ソーニャちゃんと友だちになれなかったと思ってたの……」
「やすな……」
「でもね、さっき私を助けてくれた事とか、愛してるって言ってもらえた事で……心が満たされたの……」
「私が……素直になれなかったから……」
「ううん……私も信じきる事が出来なかったから、すれ違っちゃったんだと思う」
「すまない……」
「けど……ソーニャちゃんが勇気を出して伝えてくれたおかげで、気付けたよ……」
「えっ?」
「私もソーニャちゃんの事が好き……友だち以上に大好きだよ!」
「やすな……」

 人生初の告白をした後、私はソーニャちゃんの体を抱きしめた。

「もう、ムチャしたら嫌だよ?」
「……自分の事も、お前の事も大事にするよ」
「ありがと……」

 私が涙を流しながら、ソーニャちゃんと抱き合っていると。

「めでたし、めでたしですねー」

 あぎりさんが拍手をしながら、満面の笑みで私達を冷やかす。

「あぎり……もしかして、こうなるの分かってて誘導したのか?」
「何の事ですかー?」
「いや、タイミングがピッタリすぎてだな……」
「私は刺客がやすなさんを狙っているという情報を聞きつけたので、見張っていただけですよー」
「何か納得がいかない」
「まぁまぁ、あぎりさんのおかげで助かったんだし、恋人になれたんだから感謝しなくちゃ」
「そう、だな……」
「よかったですね、ソーニャ」
「えっ?」
「本当の意味に気付けて、それを私に証明できたんですから」
「……ありがとな」
「いえいえー」

 満天の星空の下、三人で笑いあう。それは殺し屋と忍者と女の子という奇妙な組み合わせだったけど、私の大好きな人達。
 はたから見ればこの関係は、とても脆くて危ういものに見えるかもしれないけれど、私は確信していた。

 あぎりさんとは、ずっと大切な友だちで居られる。
 ソーニャちゃんとは、一生のパートナーになれる。

 だから、信じあえる。
 ナイフなんかじゃ切れない、この絆を。



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