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うさぎ・イン・ワンダーランド

 悪夢だ。これをそう言わないなら、何を悪夢と呼ぶのだろう。オレは酷い耳鳴りと頭痛の中で、目を覚ました。

「……ここは?」

 どういう訳だか、森の中の道端で、オレは大の字になって眠っていた。誰に助けられたのか分からないが、意識はしっかりしていて、怪我もないので身体もちゃんと動く。

 さっきの部屋の中の出来事は夢だったのかもしれない。そう思って、オレは起き上がって自分の後部に触れる。しかし、オレの期待は虚しくも外れ、2本の長いうさ耳はしっかりとオレの頭に生えていた。己の姿にオレが落胆すると、オレのうさ耳もだらりと垂れ下がる。今のオレの姿はあまりにも滑稽すぎる。一生このままオレはうさ耳の姿だとしたら、どうやって生きていけば良いのだろうか。考えるだけで頭が更に痛い。

「ウサギさん、お目覚めかい? ふふ、うなされていたようだけど」

 またどこからともなく聞き馴染みのある男の声がする。オレが周りを見渡すと、目の前の木の枝の上に白い猫がちょこんと座っていた。

「よお、アルテミス。どうしたんだ?」

 見知った猫に安心して、オレはいつもどおり声を掛けた。すると、アルテミスは「フンッ」とオレの事を笑い飛ばしてきた。

「アルテミス? ボクの名前はそんな月の女神じゃないよ。ボクはチェシャ猫ってヤツさ」

 気取った感じのあるアルテミス。普段とは違って誠実さの欠片もない、上から目線のアイツに、オレは違和感と共にイラつきを覚えていた。

「……ふざけているのか?」

「いいや。君みたいなふざけた格好をした男に言われたくないな」

 うさ耳のタキシード仮面……確かにふざけた格好だ。アルテミスの言葉に、オレはぐうの音も出ない。だが、そんなことよりも、あのアルテミスはオレをウサギだと言い張っている。おそらく、アイツは姿こそアルテミスだが、アルテミスではないのではないか。

「そんなことよりいいのか? アリスの事を追わなくても」

 アルテミス、もといチェシャ猫に言われて、オレは大事な事を思い出した。オレはアリス、いやうさこを探さなければならなかった。
 自称チェシャ猫は、そんなオレの事を、ニヤリと片側の口元を上げて細い目で見ていた。

「うさこ!? うさこの場所を知っているのか?」

「ああ。君がうさこと呼んでいるアリスなら、元の大きさに戻って、右の道を進んだ。三月ウサギの元へ向かっているはずさ」

 そう言うと、チェシャ猫は前脚で右側の道を差した。その先には真っ直ぐ道が続いていた。

 どういう訳だかうさこは無事に元の大きさに戻り、それにあの部屋から出られた事は理解した。後はうさこの行先が三月ウサギの元ということは、不思議な国のアリスでの有名なシーン、ウサギと帽子屋たちとのお茶会に参加することになるはずだ。

 しかし、このチェシャ猫を信用していいのか疑念が晴れない。だが、この先を行くしか手がかりは無い。オレはチェシャ猫の言うとおり、右の道へ進むことにした。

「そうか。礼を言う。それじゃあ、オレは行くぞ」

「どういたしまして、仮面を着けた紳士のウサギさん。でも、一つ忠告がある」

 オレがチェシャ猫の元から背を向けて通り過ぎようとした時に、チェシャ猫はオレを引き留めた。

「忠告とはなんだ?」

「この先へ進み過ぎると、君もあの娘もこの物語から出られなくなる。既にあの娘はこの物語に捕らわれている。気をつけろよ、ウサギさん?」

 チェシャ猫は「フッフッフ」と気味の悪い笑い声を出す。この物語に出られなくなる? それに、うさこが捕らわれている? それは、今オレとうさこが「不思議の国のアリス」の物語に捕らわれて出られないこと、ということなんだろうか? 訳が分からない事を唐突に言い渡されて、オレは眉をひそめた。

「アルテミス、それはどういう事だ?」

 オレが意味を問おうとした瞬間、チェシャ猫は忽然と姿を消した。

「……いない。アイツ、姿を消したか」

 ここでアイツを真面目に探しても、うさこに会える訳ではない。オレは改めて、チェシャ猫が示した道の先を眺めた。

「アルテミスが言うとおり、ここはうさこを追いかけるしかないか。うさこ、待ってろ」

 オレはいろんな思考を巡らせるのを止めて、今は愚直に地を蹴って、うさこを追いかける時計ウサギになることにした。
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