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うさぎ・イン・ワンダーランド

「ねえ、ねえ!」

 どこからともなく声が聞こえる。オレは周囲を見たが、人影は見当たらない。

「下よ、下を見て!」

 そう言われて足元を見た。そこにいたのは青いワンピースと白いエプロンを着た、お人形サイズの女の子がいた。彼女は見覚えのある金色のお団子頭だった。

 まさかと思いながら、オレはその場にゆっくりしゃがんで、女の子の顔を見た。

「う、うさこ!? どうして、そんな姿に!?」

 そこにいたのは、手のひらサイズの小さいうさこだった。

「よかった、ようやく気付いてくれたー! でも、うさこって誰のこと?」

 うさこが首を傾げると、オレはその後に続いて首を傾げた。

「いや、うさこ、何を言ってるんだ?」

「貴方こそ! あたしは『アリス』って言うのよ!」

「アリス?」

「そうよ」

 うさこはオレに冗談を言っているつもりなのか、それとも、何者かに意識を乗っ取られているのかと思った。だが、アリスを名乗っている事を除けば、性格や容姿はうさこそのものだ。

「えっと、じゃあ、アリスは何でここに?」

 うさこに何か事情があるのかもしれない。うさこの調子に合わせて、オレは尋ねてみる。すると、興奮気味にうさこはオレに話を始めた。

「懐中時計を持って走るウサギを追いかけてたら、穴へ落っこちて、この部屋に着いたのよ! それで、ウサギを追いかけて喉が渇いたから、『私を飲んで』って書いてある瓶を開けて、ジュースを飲んだの。そしたら、体が縮んじゃったのよ!」

 うさこの話、うさこの今の姿、そして、アリスと言う名前。それですぐに分かった。オレはどうやら「不思議の国のアリス」をモチーフとした何処かにいるようだ。
 不思議の国のアリスの物語は幼少期に読んだことはあるが、うさこの言うような内容とは少し違うような気がする。

「で、懐中時計を持ったウサギは見つかったの?」

 ここがどこなのか手掛かりを得るため、うさこが追いかけてきたという「懐中時計を持ったウサギ」について訊く事にした。すると、うさこは目を一瞬大きく開けて、「あはは」といきなり腹を抱えて笑い出した。

「えっ、ここにいるじゃない! 冗談は止めてよ! お腹痛い!!」

 うさこはオレの方を指差す。うさこの探していたウサギがオレの体の何処かに載っかっていると言う事だろうか? オレは自分の姿を見るため、鏡を探した。すると、部屋の壁際に全身鏡が立てかけられているのを見つけた。オレはその前に立って、自分の全身を見た。

「どうして、オレは変身しているんだ?」

 全身鏡に映っていたのはタキシード仮面に変身したオレの姿だった。もちろん、変身した覚えはない。それに、うさこの言う「ウサギ」はどこにも見当たらない。オレの頭の中で疑問符がいくつも浮かび上がってくる。確かにオレは懐中時計なら普段から持ち歩いているが、少なくとも「オレがウサギである」訳はない。
 しかし、頭の方が何故かむず痒い。何かが頭の上にいるような、いや、頭の上に何かがくっついているような感覚がする。

「まさか」

 オレは恐る恐るシルクハットを取って、頭の上を鏡越しで見る。そして、シルクハットの中に隠れていたものにオレは驚愕した。

「何だコレは!?」

 オレの頭の上には二つの白い長い耳が生えている。元々あった耳とは別に、二本のうさ耳がひょっこりとシルクハットから現れたのだった!
 この耳の色と同じように、オレの頭は真っ白になった。どうして、こうなった!? オレの体は一体どうなってるんだ!?

「だから言ったでしょ、『ウサギさん』。ねぇ、あたしを大きくして」

 うさこは両手をグーにして重ね合わせて、オレへおねだりのポーズをする。なんだ、今のうさこのポーズ……凄く可愛い。いやいや、今のオレはそれどころじゃない。

「いや、戻してあげたいところだが、無理だ!」

 うさこを元に戻す事が出来るなら、すぐにでもそうする。それに、オレも一刻も早くこの耳を元に戻して欲しい、と強く願っているところだ。

「あたし、戻れないの?」

 うさこは目に涙を浮かべて、顔をしかめる。このままではいけない。冷静にならなければ。うさことオレを元に戻って、あの図書館へ戻らなければならない。

「戻す方法は分からないが、オレが手掛かりを探す。まずはこの部屋を出よう。出口を探して来るから待ってろ」

「うん」

 オレは部屋の中全体を見渡した。見たところ古い洋風の家のようだが、壁沿いには出口となるドアは見当たらない。オレは壁側だけではなく視野を広げて、出口を隈無く探した。

「ん? 扉はあそこか?」

 天井の方を見ると、飴色の木製の扉が取り付けられていた。この部屋は一体どうやって出入りする想定で作られたのか全く分からない。が、今はそんなことを考えている暇はない。兎にも角にも此処を出なければ、話は進まない。オレは小さくなったうさこを連れて、まずは外へ出る事にした。

「うさこ、出口が見つかったぞ……って、うさこは?」

 うさこはさっきいた場所から忽然と姿を消していた。
 待ってろって言ったのに、どこへ行ったんだ、うさこのヤツ。
 オレは視線を落として、うさこの行方を探した。すると、うさこは赤いカーペットの上にちょこんと座り込んでいた。

「ふふ、美味しそうなクッキー! 『私を食べて』って書いてあるわ。いただきまーす!」

 オレの心配をよそに、うさこはカーペットの上の小皿に置かれたクッキーを大口を開いて食べようとしていた。だが、「私を食べて」と書かれたクッキー……何か嫌な予感がする。

「うさこ、待て、それを食べてはいけない!!」

 オレはうさこを制止しようとした。しかし、時既に遅し。うさこはパクリとクッキーを口にしてしまった。

「うーん、美味しい! ウサギさん、こんなに美味しいものを食べちゃダメなんて無理よ。……って、アレ!?」

 うさこの体に何か異変が生じたようだ。この後の展開はあの本と同じだとしたら……。

「体が大きくなってる! 元に戻れるかもしれないわ!」

 うさこの体は徐々に大きくなってきた。元の大きさに戻ると期待して、うさこはキャッキャと声を上げた。しかし、その数秒後、うさこは大きな悲鳴を上げた。

「えっ、まだまだ大きくなってる!? ウサギさん、なんとかしてー!!」

 うさこの体はオレの背丈を軽々と越えて、更に大きくなっていく。やがて天井に頭がつくが、それでもうさこの体の巨大化は止まらない。オレは身の危険を察して、巨大化するうさこから部屋の隅へ逃げた。

「うさこ、クッキーを吐き出せ!」

「無理無理ー! もう飲み込んじゃったー! うわーん! 狭くてキツイよー!」

 完全にうさこの身動きが取れなくなると、うさこの体の巨大化が止まった。うさこは背中を曲げて、この部屋でぎゅうぎゅう詰めになっていた。オレはかろうじて部屋の隅へ逃げ切れた。が、さっき見つけた扉はうさこの体で塞がれてしまい、オレは肩を落とした。

「キツいよー!! ウサギさん、元に戻してよお!」

 大きくなったうさこは肩を動かそうとするが、部屋はびくともしない。それに、うさこが大きくなったせいだろうか、さっきよりもうさこの声が大きくなって鼓膜が破れそうだ。

「どうして、こんな目に……うわあああああああん!!!!」

 うさこは突然号泣した。うさこの泣き声に地面が振動して、オレの足元が大きくぐらつく。

「うぅ、耳が……。うさこ、泣くな!」

 オレは両耳を塞いで、うさこに呼びかける。しかし、オレの声がうさこに届くはずも無く、うさこは泣き止むことはない。ただでさえ、オレにとってうさこの泣き声を聞くのは耐え難いことなのに、これは相当最悪な状況だ。更に、うさこの大粒の涙がぽちゃんぽちゃんと落ちて、床には大きな水溜まりが出来ていた。

 そして、うさこの涙は、更なる惨事をオレにもたらす事になる。

「まさか、洪水か!?」

 うさこの涙の水溜まりがあっという間に広がってオレの脚が濡れている。その水嵩はどんどん高くなり、あっという間にオレの胸元まで到達していた。

「うえええええん!」

 それでも、うさこは泣き止むことなく、涙の海は潮位を増していく。いよいよ立ち泳ぎをしなければならないほどに水位が増すと、オレは耳から手を離した。が、この瞬間、うさこのつんざくような泣き声がオレの鼓膜を刺激した。

「い、意識が……うさ……こ……」

 オレの体はうさこの涙の海に沈む。そして、海の底でオレの視界は真っ暗になった。
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