ふたりの果実
「なーんにも連絡してなかったけど、大丈夫かなー」
あたしは恐る恐るまもちゃんの部屋の呼び鈴を押した。まこちゃんの家であまりにも美味しいシチューができたから、ついつい勢いでここまで来ちゃったけど、お留守だったり、既に夕飯を用意していたりしていたらどうしよう。今更だけど、不安になっていた。そして、呼び鈴を押してしばらくすると、扉の向こうから「ガチャ」と鍵を開ける音がした。
「うさこ? どうした?」
扉を開けるとすぐに、まもちゃんがあたしに声をかけてくれた。さっきまで勉強していたみたいで、まもちゃんは眼鏡をかけていた。
「うん。急に会いたくなっちゃって、迷惑だった?」
「いいや。今、オレもうさこに会いたくなってたところだよ。さ、入って」
まもちゃんは眼鏡を外してふっと微笑んだ。約束してなかったけど、こうして「オレも会いたかった」って言ってもらえて、あたしの胸を撫で下ろした。
「ねぇ、まもちゃん、お夕飯は?」
どうか、まだ夕飯を用意していませんように…と心の中で祈りながら、上目遣いであたしはまもちゃんに確かめた。
「これからどうするか考えてたところ」
やった!
あたしは小さくガッツポーズした。
「ちょうどよかったわ。あのね、シチューを食べない? まこちゃん家で作ってきたの!」
あたしはまこちゃんの家から持ってきたポーチから二つのスープジャーを取り出して、まもちゃんへ見せた。
「うさこたちが作った料理か。いいよ。食べたい。夕飯をどうするか悩んでいたから、ちょうどよかった」
まもちゃんはあたしの頭をぽんぽんと撫でて笑ってくれた。「お皿用意する」とまもちゃんが言うと、丸い青色のお皿を二つダイニングテーブルの上に出してくれた。あたしはスープジャーから二人分のシチューをその上に取り分けた。
「おお、美味しそうだな」
シチューから湯気と共にバターとミルクの香りが部屋に広がる。まもちゃんの印象も悪くなさそう。
「うん! 自信作だよ! きっと懐かしい味だと思うよ」
「いただきます」
あたしとまこちゃんの自信作。それに、あのエンディミオンが気に入ったって言ったシチューを再現したんだから、きっとまもちゃんも気に入ってくれるはず。あたしはまもちゃんがシチューを掬って口に入れるまでの間、瞬きをせずに見ていた。
「どう? 美味しい?」
「うん、美味い! お肉が柔らかい。それに、ちょっとさっぱりしている気がするな」
やった! まもちゃん喜んでくれてるわ!!
あたしが料理をしてまもちゃんがこんなに美味しいって言ってくれたのって、初めてな気がした。
「ふふ、このシチューには隠し味が入ってるんだよ。何か分かる?」
あたしはまもちゃんに一つクイズを出した。
「なんだろうな……」
まもちゃんはシチューの入ったお皿を見ながら考えていた。このシチューにはあの隠し味が完全に溶け込んでいるから、きっとすぐにはまもちゃんには分からなかったのかもしれない。
「ヒントはこの間のタルトだよ」
あたしは得意げにまもちゃんにヒントをあげる。すると、まもちゃんはすぐに隠し味について答えた。
「もしかして、林檎か?」
「せいかーい」
「そうか、それでさっぱりした味だったのか」
まこちゃんによると、この林檎は味をさっぱりさせるだけじゃなくて、林檎の酵素でお肉が柔らかくなるらしい。それを知っているのか、まもちゃんは納得した様子だった。
「このシチューはね、エンディミオンがクンツァイトたちと一緒に月に来た時に、ジュピターが作ったものを再現したんだよ。これをエンディミオンが『気に入った』って言ってたのを思い出して、作ってみることにしたの」
「そうか。そんなこともあったな」
まもちゃんは昔のあたしたちとの会食を思い出してくれたみたい。まもちゃんはニコッと笑って、あたしの頬に手を伸ばした。
「うさこ、どうして前世のオレがあのシチューを気に入ったか分かるか?」
「えっ? 美味しかったからじゃないの?」
あたしがそう言うと、まもちゃんは首を横に振った。
「それだけじゃないよ」
「えー、どうしてー?」
あたしには意味が分からなかった。普通、食事の時に料理を気に入ったって言うのは「味を気に入ったから」じゃないの? あたしは首を傾げた。すると、まもちゃんはあたしの想像していなかった答えを教えてくれた。
「あの日、セレニティは凄く緊張していただろ? でも、会食の時になって緊張は解けたのか、セレニティが嬉しそうにシチューを頬張っていたんだ。そんなセレニティを笑顔にするシチューが素敵だと思ってね、気に入ったんだ」
「……まもちゃん」
エンディミオンは単純に料理の味を褒めてたんじゃない。一緒に何を食べた事。そして、その料理が大切な人を笑顔にした事で、エンディミオンが「気に入った」って言ってくれたんだって、あたしは理解した。
想像してなかった答え、考えにあたしはびっくりしたけど、エンディミオンがセレニティをそんなに思ってくれたんだって思うと、あたしはこのシチューを益々特別なものに感じた。
シチューを食べ終わると、まもちゃんはお湯を沸かして、アップルティーを淹れてくれた。
「それにしても、林檎か」
まもちゃんはティーバッグをマグカップから出して、少し低めの声で呟いた。
「どうしたの、まもちゃん?」
あたしがこう訊くと、まもちゃんは遠くを見るような顔をして、何かを考えている様子だった。
「林檎は旧約聖書で『罪の象徴』と言われている。だから、セレニティにかつてのオレが惹かれた事は、神の決めた掟に背いた『オレの罪』だったのかなって」
前世のあたしたちが惹かれ合った事。そのせいで、あたしたちの住んでいた国は滅びたのかもしれない。けれど、それはエンディミオンだけの罪ではない。前世のあたしだって同罪だ。
「それが『あたしたちの罪』だとしたら、罰は十分に受けたはずだよ、あたしたち。それでも罰が足りないなら、あたしが償い続ける覚悟はあるよ」
あたしはまもちゃんの両手を握って、まもちゃんをひたすらまっすぐ見た。すると、まもちゃんはあたしと視線を合わせてくれた。
「そう……か。なら、うさこだけに背負わせるわけにはいかないな。それに、罪になったとしても、オレはうさこを諦めない」
まもちゃんの目はとても力強く見えた。その深い青の瞳をまっすぐ見つめていると、今度はまもちゃんがあたしの手を握り返してくれた。その手は温かくて全てを包んでくれるんじゃないかと思うほど、心強い。
「そう言えば、林檎にはまた別の意味もあると言われているな」
そう言うまもちゃんは再びアップルティーを飲んで、いつものように微笑んでいた。あたしが「別の意味ってなあに?」と首を傾げていると、まもちゃんは優しい顔でその答えを教えてくれた。
「愛や美、知恵の象徴とも言われている。一つの林檎を分け与える事は、罪や罰だけではなく、幸せも分かち合うことなのかもしれない」
一つの林檎を二人で分け合う事。一人に与えられた幸せなことも、辛いこともはんぶんこして、こうやって二人で同じ時間に同じ場所で同じものを味わう事に違いない。それがきっとお互いを好きになるって事なんだとあたしは思った。
「ふふ、そうだね。あの時と同じように」
あたしはアップルティーを口にして、目を閉じた。するとすぐに、ほのかな林檎の香りが口の中に広がって、自然とエンディミオンがくれた半分の林檎が思い浮かんだ。
幸せなあの頃のビジョンに心ときめいていると、不意に何かが唇に当たって、あたしは顔を林檎色に染めた。
あたしは恐る恐るまもちゃんの部屋の呼び鈴を押した。まこちゃんの家であまりにも美味しいシチューができたから、ついつい勢いでここまで来ちゃったけど、お留守だったり、既に夕飯を用意していたりしていたらどうしよう。今更だけど、不安になっていた。そして、呼び鈴を押してしばらくすると、扉の向こうから「ガチャ」と鍵を開ける音がした。
「うさこ? どうした?」
扉を開けるとすぐに、まもちゃんがあたしに声をかけてくれた。さっきまで勉強していたみたいで、まもちゃんは眼鏡をかけていた。
「うん。急に会いたくなっちゃって、迷惑だった?」
「いいや。今、オレもうさこに会いたくなってたところだよ。さ、入って」
まもちゃんは眼鏡を外してふっと微笑んだ。約束してなかったけど、こうして「オレも会いたかった」って言ってもらえて、あたしの胸を撫で下ろした。
「ねぇ、まもちゃん、お夕飯は?」
どうか、まだ夕飯を用意していませんように…と心の中で祈りながら、上目遣いであたしはまもちゃんに確かめた。
「これからどうするか考えてたところ」
やった!
あたしは小さくガッツポーズした。
「ちょうどよかったわ。あのね、シチューを食べない? まこちゃん家で作ってきたの!」
あたしはまこちゃんの家から持ってきたポーチから二つのスープジャーを取り出して、まもちゃんへ見せた。
「うさこたちが作った料理か。いいよ。食べたい。夕飯をどうするか悩んでいたから、ちょうどよかった」
まもちゃんはあたしの頭をぽんぽんと撫でて笑ってくれた。「お皿用意する」とまもちゃんが言うと、丸い青色のお皿を二つダイニングテーブルの上に出してくれた。あたしはスープジャーから二人分のシチューをその上に取り分けた。
「おお、美味しそうだな」
シチューから湯気と共にバターとミルクの香りが部屋に広がる。まもちゃんの印象も悪くなさそう。
「うん! 自信作だよ! きっと懐かしい味だと思うよ」
「いただきます」
あたしとまこちゃんの自信作。それに、あのエンディミオンが気に入ったって言ったシチューを再現したんだから、きっとまもちゃんも気に入ってくれるはず。あたしはまもちゃんがシチューを掬って口に入れるまでの間、瞬きをせずに見ていた。
「どう? 美味しい?」
「うん、美味い! お肉が柔らかい。それに、ちょっとさっぱりしている気がするな」
やった! まもちゃん喜んでくれてるわ!!
あたしが料理をしてまもちゃんがこんなに美味しいって言ってくれたのって、初めてな気がした。
「ふふ、このシチューには隠し味が入ってるんだよ。何か分かる?」
あたしはまもちゃんに一つクイズを出した。
「なんだろうな……」
まもちゃんはシチューの入ったお皿を見ながら考えていた。このシチューにはあの隠し味が完全に溶け込んでいるから、きっとすぐにはまもちゃんには分からなかったのかもしれない。
「ヒントはこの間のタルトだよ」
あたしは得意げにまもちゃんにヒントをあげる。すると、まもちゃんはすぐに隠し味について答えた。
「もしかして、林檎か?」
「せいかーい」
「そうか、それでさっぱりした味だったのか」
まこちゃんによると、この林檎は味をさっぱりさせるだけじゃなくて、林檎の酵素でお肉が柔らかくなるらしい。それを知っているのか、まもちゃんは納得した様子だった。
「このシチューはね、エンディミオンがクンツァイトたちと一緒に月に来た時に、ジュピターが作ったものを再現したんだよ。これをエンディミオンが『気に入った』って言ってたのを思い出して、作ってみることにしたの」
「そうか。そんなこともあったな」
まもちゃんは昔のあたしたちとの会食を思い出してくれたみたい。まもちゃんはニコッと笑って、あたしの頬に手を伸ばした。
「うさこ、どうして前世のオレがあのシチューを気に入ったか分かるか?」
「えっ? 美味しかったからじゃないの?」
あたしがそう言うと、まもちゃんは首を横に振った。
「それだけじゃないよ」
「えー、どうしてー?」
あたしには意味が分からなかった。普通、食事の時に料理を気に入ったって言うのは「味を気に入ったから」じゃないの? あたしは首を傾げた。すると、まもちゃんはあたしの想像していなかった答えを教えてくれた。
「あの日、セレニティは凄く緊張していただろ? でも、会食の時になって緊張は解けたのか、セレニティが嬉しそうにシチューを頬張っていたんだ。そんなセレニティを笑顔にするシチューが素敵だと思ってね、気に入ったんだ」
「……まもちゃん」
エンディミオンは単純に料理の味を褒めてたんじゃない。一緒に何を食べた事。そして、その料理が大切な人を笑顔にした事で、エンディミオンが「気に入った」って言ってくれたんだって、あたしは理解した。
想像してなかった答え、考えにあたしはびっくりしたけど、エンディミオンがセレニティをそんなに思ってくれたんだって思うと、あたしはこのシチューを益々特別なものに感じた。
シチューを食べ終わると、まもちゃんはお湯を沸かして、アップルティーを淹れてくれた。
「それにしても、林檎か」
まもちゃんはティーバッグをマグカップから出して、少し低めの声で呟いた。
「どうしたの、まもちゃん?」
あたしがこう訊くと、まもちゃんは遠くを見るような顔をして、何かを考えている様子だった。
「林檎は旧約聖書で『罪の象徴』と言われている。だから、セレニティにかつてのオレが惹かれた事は、神の決めた掟に背いた『オレの罪』だったのかなって」
前世のあたしたちが惹かれ合った事。そのせいで、あたしたちの住んでいた国は滅びたのかもしれない。けれど、それはエンディミオンだけの罪ではない。前世のあたしだって同罪だ。
「それが『あたしたちの罪』だとしたら、罰は十分に受けたはずだよ、あたしたち。それでも罰が足りないなら、あたしが償い続ける覚悟はあるよ」
あたしはまもちゃんの両手を握って、まもちゃんをひたすらまっすぐ見た。すると、まもちゃんはあたしと視線を合わせてくれた。
「そう……か。なら、うさこだけに背負わせるわけにはいかないな。それに、罪になったとしても、オレはうさこを諦めない」
まもちゃんの目はとても力強く見えた。その深い青の瞳をまっすぐ見つめていると、今度はまもちゃんがあたしの手を握り返してくれた。その手は温かくて全てを包んでくれるんじゃないかと思うほど、心強い。
「そう言えば、林檎にはまた別の意味もあると言われているな」
そう言うまもちゃんは再びアップルティーを飲んで、いつものように微笑んでいた。あたしが「別の意味ってなあに?」と首を傾げていると、まもちゃんは優しい顔でその答えを教えてくれた。
「愛や美、知恵の象徴とも言われている。一つの林檎を分け与える事は、罪や罰だけではなく、幸せも分かち合うことなのかもしれない」
一つの林檎を二人で分け合う事。一人に与えられた幸せなことも、辛いこともはんぶんこして、こうやって二人で同じ時間に同じ場所で同じものを味わう事に違いない。それがきっとお互いを好きになるって事なんだとあたしは思った。
「ふふ、そうだね。あの時と同じように」
あたしはアップルティーを口にして、目を閉じた。するとすぐに、ほのかな林檎の香りが口の中に広がって、自然とエンディミオンがくれた半分の林檎が思い浮かんだ。
幸せなあの頃のビジョンに心ときめいていると、不意に何かが唇に当たって、あたしは顔を林檎色に染めた。
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