夕暮れの嘘は恋のはじまり
「ちなつちゃん、一緒に帰ろう?」
夕暮れの帰り道。いつものように隣へ来て、手を握るあかりちゃん。屈託のない笑顔が私を照らす。その何気ない触れ合いが私を苦しめているとも知らずに。
「どうしたの?」
「なんでもない」
この子を好きになってからどれくらい経っただろう。鈍感な彼女はいつまでも気付かない。だから私の想いが友情から恋心へ変わった時、きっと叶わないだろうなと思った。
「ズルいよ……」
でもその声で。そんな笑顔でスキンシップされたら期待してしまう。ひょっとしたら気付いてくれるんじゃないかって。
「大丈夫?」
「うん」
本当は全然平気じゃないけれど。私の身勝手な気持ちをぶつけて、あかりちゃんを苦しませたくない。それにこのまま友だちの距離感でいればお互い傷つかないのだから。そんなことを考えていると。
「危ない、ちなつちゃん!」
「えっ?」
一瞬の出来事だった。信号無視をしてきたバイクが私を目掛けて走って来る。それに気付いたあかりちゃんが、私に抱きつく形で道の端へ押し倒した。
「いたっ!?」
二人してアスファルトへ転がった私たちは、全身を打って身もだえていた。
「なん……なのよ……」
やっとの思いで起き上がると。バイクのライダーは一瞬こちらを振り向いた後、再び走り出した。
「もう! ひき逃げじゃないの?」
正確にはひかれていないのでひき逃げとは言えないけれど。危うく病院送りになるところだった。
「全く……あかりちゃん?」
先程から一言も聞こえないあかりちゃんの声。全身から血の気が引いていく。まさか打ちどころでも悪かったんじゃ。
「あかりちゃん! 大丈夫!?」
いくら話しかけても動かない。見たところ出血はしてないようだけど、頭を打っていたらまずい。すぐに救急車を呼ばなきゃ。
「待ってて! いま……」
「ううん……」
「えっ?」
頭を擦りながらゆっくりと起き上がるあかりちゃん。よかった、意識が戻ったんだ。
「大丈夫!? 頭痛いの?」
「えっ……」
キョトンとした表情で私を見る。どうしたんだろう。あたし鼻血でも出してたかな。
「あの……貴女が助けてくれたんですか?」
「へっ?」
「ありがとうございます。まだ頭は痛いですが、軽いケガで済みました」
「なに……言って……」
自分は割と感が良い方だと思っていたけれど、今すぐ目の前で起こっている出来事を認識しろと言われても、受け入れることが出来なかった。
「どうしたんですか? お化けでも見たような顔をして」
「冗談だよね……ふざけてるんだよね?」
いつもみたいにアッカリーンって言って、プンスカ怒ってくれるんだよね?
「貴女こそ、どこか打ったんじゃ……」
「記憶……喪失……」
私を助けたせいで。頭を打ったせいで。
「ねぇ」
「はい?」
「自分の名前、言える?」
「私の、名前……」
口元に手を当て、考える仕草を見せるあかりちゃん。いや、あかりちゃんだった人。
「わからない……何も思い出せなくて……」
「やっぱり……」
どんどん不安げになる表情を見て耐えられなくなった私は、赤座あかりの情報を伝えることにした。ある一点だけを除いて。
「そうなんですね……私は貴女をかばって、頭を打ってしまった」
「うん。それで記憶を失くしちゃったと思うの」
「でも、よかったです」
「な、なにが?」
「だって、貴女が無事だったから」
一点の曇りもない笑顔で答えるあかりちゃんだった子。あぁ、やっぱり記憶が失くなってもこの子はあかりちゃんなんだ。
「泣いてるんですか?」
気が付けば、私の頬は濡れていた。それは自分のせいでこんな状態にしてしまった罪悪感からか。別人になっても私を心配してくれる優しさが眩しかったからか。
「私のために泣いてくれてるんですよね?」
「違う……自分のためだよ……」
「ふふっ。嘘つくの、ヘタですね」
そんなことない。だって今まで自分の気持ちを隠し通してきたんだもの。上辺の会話だって得意中の得意。自分を殺すことなんて朝飯前だよ。
そう思っていたのに。
どうして涙が止まらないんだろう。
「ところで、最後に訊いていいですか?」
「なに?」
「貴女は、私の友だちですよね? 名前を教えてほしいです」
そう告げられた瞬間、悪魔の考えが私の頭をよぎる。
「……違う」
「えっ?」
ダメ……言っちゃダメ。
「私は……貴女の友だちじゃない」
言ってしまったら、もう戻れないのに。
「恋人……」
「こい、びと?」
伝えてしまった。
「私の名前は吉川ちなつ。あかりちゃんとお付き合いしてるクラスメイトだよ」
こんなことをしても、それは本当の愛じゃない。そんなことはわかってる。
だけど。
「驚いた? 女の子同士なのにヘンだよね」
「す、少し驚いたけど……ヘンだとは思わないですよ」
「ほんと?」
「はい。逆に嬉しいと思いました……恋人をこの手で助けられたんですから」
拳を握って嬉しそうにするあかりちゃん。優しくて素直なところは記憶を失っても変わらないようだった。
「ねぇ。敬語もやめようよ」
「あ、そうですね……じゃなくて、そうだね」
「あと、私たちが付き合ってることはみんなには内緒にしてるの……」
「まぁ、世間的に誤解を生みそうだもんね」
「だから二人きりの時以外は普通の友だちとして接してもらえたら、嬉しいな」
嘘で嘘が塗り固められていく。もうここまできたら戻れない。嘘を真実にするんだ。これから私たちは恋人として過ごしていくのだから。
「うん。私たちが恋人なのは内緒だね」
「ありがとう」
「じゃあ、帰ろうか」
「病院に行かなくていいの?」
「明日、精密検査は受けるつもりだよ。見た感じ記憶以外は平気みたいだし」
「そっか」
「ところでさ……」
「なぁに?」
「家の場所、教えてくれる?」
照れくさそうに言う彼女の頬は、夕陽の色よりも紅く見えた。
夕暮れの帰り道。いつものように隣へ来て、手を握るあかりちゃん。屈託のない笑顔が私を照らす。その何気ない触れ合いが私を苦しめているとも知らずに。
「どうしたの?」
「なんでもない」
この子を好きになってからどれくらい経っただろう。鈍感な彼女はいつまでも気付かない。だから私の想いが友情から恋心へ変わった時、きっと叶わないだろうなと思った。
「ズルいよ……」
でもその声で。そんな笑顔でスキンシップされたら期待してしまう。ひょっとしたら気付いてくれるんじゃないかって。
「大丈夫?」
「うん」
本当は全然平気じゃないけれど。私の身勝手な気持ちをぶつけて、あかりちゃんを苦しませたくない。それにこのまま友だちの距離感でいればお互い傷つかないのだから。そんなことを考えていると。
「危ない、ちなつちゃん!」
「えっ?」
一瞬の出来事だった。信号無視をしてきたバイクが私を目掛けて走って来る。それに気付いたあかりちゃんが、私に抱きつく形で道の端へ押し倒した。
「いたっ!?」
二人してアスファルトへ転がった私たちは、全身を打って身もだえていた。
「なん……なのよ……」
やっとの思いで起き上がると。バイクのライダーは一瞬こちらを振り向いた後、再び走り出した。
「もう! ひき逃げじゃないの?」
正確にはひかれていないのでひき逃げとは言えないけれど。危うく病院送りになるところだった。
「全く……あかりちゃん?」
先程から一言も聞こえないあかりちゃんの声。全身から血の気が引いていく。まさか打ちどころでも悪かったんじゃ。
「あかりちゃん! 大丈夫!?」
いくら話しかけても動かない。見たところ出血はしてないようだけど、頭を打っていたらまずい。すぐに救急車を呼ばなきゃ。
「待ってて! いま……」
「ううん……」
「えっ?」
頭を擦りながらゆっくりと起き上がるあかりちゃん。よかった、意識が戻ったんだ。
「大丈夫!? 頭痛いの?」
「えっ……」
キョトンとした表情で私を見る。どうしたんだろう。あたし鼻血でも出してたかな。
「あの……貴女が助けてくれたんですか?」
「へっ?」
「ありがとうございます。まだ頭は痛いですが、軽いケガで済みました」
「なに……言って……」
自分は割と感が良い方だと思っていたけれど、今すぐ目の前で起こっている出来事を認識しろと言われても、受け入れることが出来なかった。
「どうしたんですか? お化けでも見たような顔をして」
「冗談だよね……ふざけてるんだよね?」
いつもみたいにアッカリーンって言って、プンスカ怒ってくれるんだよね?
「貴女こそ、どこか打ったんじゃ……」
「記憶……喪失……」
私を助けたせいで。頭を打ったせいで。
「ねぇ」
「はい?」
「自分の名前、言える?」
「私の、名前……」
口元に手を当て、考える仕草を見せるあかりちゃん。いや、あかりちゃんだった人。
「わからない……何も思い出せなくて……」
「やっぱり……」
どんどん不安げになる表情を見て耐えられなくなった私は、赤座あかりの情報を伝えることにした。ある一点だけを除いて。
「そうなんですね……私は貴女をかばって、頭を打ってしまった」
「うん。それで記憶を失くしちゃったと思うの」
「でも、よかったです」
「な、なにが?」
「だって、貴女が無事だったから」
一点の曇りもない笑顔で答えるあかりちゃんだった子。あぁ、やっぱり記憶が失くなってもこの子はあかりちゃんなんだ。
「泣いてるんですか?」
気が付けば、私の頬は濡れていた。それは自分のせいでこんな状態にしてしまった罪悪感からか。別人になっても私を心配してくれる優しさが眩しかったからか。
「私のために泣いてくれてるんですよね?」
「違う……自分のためだよ……」
「ふふっ。嘘つくの、ヘタですね」
そんなことない。だって今まで自分の気持ちを隠し通してきたんだもの。上辺の会話だって得意中の得意。自分を殺すことなんて朝飯前だよ。
そう思っていたのに。
どうして涙が止まらないんだろう。
「ところで、最後に訊いていいですか?」
「なに?」
「貴女は、私の友だちですよね? 名前を教えてほしいです」
そう告げられた瞬間、悪魔の考えが私の頭をよぎる。
「……違う」
「えっ?」
ダメ……言っちゃダメ。
「私は……貴女の友だちじゃない」
言ってしまったら、もう戻れないのに。
「恋人……」
「こい、びと?」
伝えてしまった。
「私の名前は吉川ちなつ。あかりちゃんとお付き合いしてるクラスメイトだよ」
こんなことをしても、それは本当の愛じゃない。そんなことはわかってる。
だけど。
「驚いた? 女の子同士なのにヘンだよね」
「す、少し驚いたけど……ヘンだとは思わないですよ」
「ほんと?」
「はい。逆に嬉しいと思いました……恋人をこの手で助けられたんですから」
拳を握って嬉しそうにするあかりちゃん。優しくて素直なところは記憶を失っても変わらないようだった。
「ねぇ。敬語もやめようよ」
「あ、そうですね……じゃなくて、そうだね」
「あと、私たちが付き合ってることはみんなには内緒にしてるの……」
「まぁ、世間的に誤解を生みそうだもんね」
「だから二人きりの時以外は普通の友だちとして接してもらえたら、嬉しいな」
嘘で嘘が塗り固められていく。もうここまできたら戻れない。嘘を真実にするんだ。これから私たちは恋人として過ごしていくのだから。
「うん。私たちが恋人なのは内緒だね」
「ありがとう」
「じゃあ、帰ろうか」
「病院に行かなくていいの?」
「明日、精密検査は受けるつもりだよ。見た感じ記憶以外は平気みたいだし」
「そっか」
「ところでさ……」
「なぁに?」
「家の場所、教えてくれる?」
照れくさそうに言う彼女の頬は、夕陽の色よりも紅く見えた。
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